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2013年12月30日 (月)

日清戦争と日韓併合

26日付当塾記事へのコメント回答としてまとめました。

 ◆ちどり さま。そういえば、以前にもご意見をいただきましたよね。私の説明が下手だったのか、たとえ上手でもご納得いただけないのかはわかりません。しかし、お互いに勉強するのが「塾」ですからもう一度答えさせてください。

 ◆正直なところ、塾頭自身10年前には、明治新政府による富国強兵策が、帝国主義列強の仲間入りをするための準備だったという定説に疑いを持ちませんでした。吉田松陰が獄中で一時そんなことを構想しているので、国内にそういう考えの人がいたことは疑いを入れません。

 ◆しかし、上述のような定説を書いた本でも、朝野の要人の発言や残された史料を精査すると、すくなくとも日清戦争は、侵略を目的とした帝国主義的戦争とはいえないのではないかと思うようになりました。

 ◆むしろ明治維新を担った元勲は、開国以前から恐れられていたロシアやイギリスなど列強の侵略で中国、特に朝鮮が蹂躙されつつある現実を直視し、事前にこれを防がないと日本が危ないという考えが強かったように思えます。

 ◆つまり、アヘン戦争の怖さが痛いほど身に染みている維新の元勲たちは、朝鮮に対する列強の野望をくじくには、朝鮮がそれなりの独立国ではなければならない、と考えていたようです。朝鮮には事大党というのがあって、強い大きな方につかえるのが生き延びるコツという伝統的な発想が宮廷内にありました。それが日本に大きな危険を及ぼすと考えたわけです。

◆内紛があると、すでに国勢の衰えた清を頼りにしたり、ロシアの大使館で政務をとったり、反対する軍部がそれに対抗できる国をたよって右往左往したことは御存じでしょうし、韓国の姜萬吉氏など有力な現代史家もその点を克明に指摘しています。

◆日本は韓国を植民地化したくて日清戦争を起こしたと考えるのは間違っています。朝鮮に市場としての魅力はすくなく投資価値もわずかで、むしろ朝鮮を抱え込むことによる同国の膨大な対外債務を肩代わりさせられることを恐れていた人も少なくありませんでした。

◆伊藤博文もそのうちのひとりです。植民地化より、近代化・自立促進を願っていたものと思われます。その彼を安重根がハルビンで暗殺したため、日本の国論は一挙に併合強行論に傾きました。博文が死の直前「馬鹿なやつだ」と言葉を残したと言いますがそのことを指しているのかもしれません。

◆「李朝末期の歴史に目をそらす傾向がある」というのは、それらを直視し相互の検証が必要だということです。戦後の韓国についても言えそうです。韓国人が日本を非難すべきことは、おせっかいかもしれませんが、次の3つではないでしょうか。
 ①日韓併合を続け、独立運動を弾圧し、同化政策などで民族の尊厳を奪ったこと。
 ②太平洋戦争で朝鮮人に日本人に劣らぬ苦難を強いたこと。
 ③南北分断は、日韓併合がなければ、結果的にあり得なかったこと。

◆したがって、中国のいう歴史認識問題と時期的、質的な面で別であり、反日の道具として一括するのは、日本の歴史修正主義と同様に歴史をねつ造することになりかねません。どの国であろうと、どの人であろうと、歴史をないがしろにすることには大反対です。

◆もうひとつ、塾頭が憲法9条堅持を主張する一方、自存自衛を強く意識するのは、李朝末期の国益より私益、自衛力後回しの外国依存体質が、国を滅ぼしたと感ずるからです。そういった国が存在することは隣接国を不安にさせるとともに、権益拡張主義の国からは恰好な餌食になるということです。

◆9条で海外派兵ができなくとも、レベルの高い自衛隊があり、国民が他国の侵略を寸土も許さないという強い意志があり、平和憲法のもと軍縮や平和構築に積極的な国際貢献をする国という信頼を世界から得られれば、それが最大の戦争抑止力になるはずだと信じています。

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コメント

塾頭の日清戦争観はきわめてまとも、ほぼ同意します。
ただ、南北分断と日韓併合はたまたまそうなった(米ソの力が角錐する状況下で日本が敗れ半島から撤退した結果分断された)だけで因果関係はないと思います。

投稿: ミスター珍 | 2013年12月30日 (月) 23時17分

いつも懇切な御回答ありがとうございます。

どうも毎度のことながら論点がずれてしまいますね。
いろいろ気になる点はあるのですが、どうしても長文になってしますので、何回かに分けて述べたいと思います。

何か誤解があるようですが、日清戦争を帝国主義戦争とはいえない、植民地化を目的としたものでない、等の御指摘は私も全く異論がありません。朝鮮植民地化が具体的な日程に上るのは日露戦争期以降です。

ただそのことをもって明治政府に覇権主義的な願望なり意図がなかった、というのは首肯できません。征韓論政変以後、明治政府の首脳が採用したのが欧米流の近代外交であった以上、然るべき国力を備えて19世紀末以後の帝国主義時代を迎えれば、自然と日本も帝国主義列強に仲間入りする道筋が出来ていたわけです。山県有朋にせよ伊藤博文にせよ、そうした将来をそれなりに展望していたはずで、だからこその例えば「利益線」論だったと思います。福沢諭吉の『時事新報』など、メディアの強硬論の突き上げも無視できなかったでしょう。そうした世論の背景に古代以来の皇国主義的な「征韓」意識がつきまとっていたであろうことも、案外重要ではないかと思っています。

伊藤博文などはクールな現実主義者で、日本の国力がまだ心もとなかった日清戦争前には朝鮮中立化の模索などもやっていますが、日露戦争後はイギリスのエジプト支配などを参考に、保護国化であれ直轄支配であれ明確に朝鮮の植民地化を企図していますよ。伊藤が「植民地化より、近代化・自立促進を願っていた」旨の研究もありますが、異論も多々あるところで学問的に決着していません。それに日本政府内で韓国併合の方針が固まるのが安重根の事件より前であることも近年明らかになっているはずです。

投稿: ちどり | 2013年12月31日 (火) 03時40分

(つづき)
お話が前後しますが、「日清戦争そのものが帝国主義戦争でなかった」はいいとして、では日露戦争はどうだったでしょうか?どうも塾頭様のこの時期の評価がよく分からないのですが、これを「帝国主義」抜きで語るのはどう考えても無理でしょう。桂タフト協定や第二次日英同盟から三度の日韓協約に至る流れなど、列強の勢力均衡論に基づく分割競争の一環であることは明白です。その際、朝鮮(大韓帝国)の遅まきながらの近代化改革の動きや中立宣言などが無視された点も見逃せないと思います。塾頭様は「21か条要求」を日本の覇権主義の画期とお考えのようですが、私はやはり日露戦争前後であろうと考えています。となると、「中国のいう歴史認識問題と時期的、質的な面で別」と断言できるか疑問も生じます。

次に、これも再三申し上げてきたことで、何度申し上げても水掛け論になりそうなのですが、当時の朝鮮の国情の問題ですね。日本にとっての危機感やある種の連帯意識、近代改革を勧めるための様々な「おせっかい」等々、いずれも常識のようなことで塾頭様の事実認識にさしたる異論もないのですが、要はこれを朝鮮社会が「善意」として納得、歓迎できる筋合いのものだったか、ということなのです。以前いみじくも塾頭様が比喩された通り、近年の米国の「テロ戦争」「中東民主化」で、逆にイスラム社会の民衆の反発を招いたケースとよく似ていると思いますね(この例に限らず、欧米列強の「近代化」の押し付けは、世界の津々浦々で反発されてきました)。また日露戦争以前の日本が露骨な植民地化を目指していなかったにしても、その後の歴史の展開を見れば、その底意を遡って勘ぐられるのは致し方ないところでしょう。

投稿: ちどり | 2013年12月31日 (火) 11時39分

なおこうした19世紀から20世紀初めまでの状況を韓国側が「反日の道具として一括している」と塾頭様が見ているとすれば、随分おおざっぱすぎるのではないのでしょうか。戦時期はともかく、今の日韓関係で具体的な争点になっているのは1905年の保護条約(第二次協約)と1910年の併合条約の合法性、有効性如何だけでしょう。韓国が例えば江華島事件や閔妃事件の賠償を請求しているなんて話は聞いたことがありませんからね(もちろん個人や一部団体にそういうケースがあるかもしれませんが、トンデモ論を言う人は日本にだって大勢います)。

投稿: ちどり | 2013年12月31日 (火) 12時06分

長くなって申し訳ありません。ひとまずこれで終わりにします。

妙な形で申し訳ありませんが、何卒よいお年をお迎え下さい。

投稿: ちどり | 2013年12月31日 (火) 12時07分

ミスター珍 さま

”珍”らしく意見が合いましたね(笑)。

南北分断と日韓併合――これはかつて左翼が言っていたこと、塾頭も「そんなバカな」と思ってました。だけど「風が吹けは桶屋がもうかる」の類で成り立つのです。

つまり、日韓併合で朝鮮が日本の国土なった。太平洋戦争が起き日本は連合国に負け、朝鮮は日本から召し上げられた。

連合国同士の米ソは38度を境に朝鮮でそれぞれ別の国を作った。さかのぼって日韓併合さえなれば、そんな事態にはならなかった。

……という理屈です。歴史に「かりに」は禁句なのですが、かりにその歴史がなかったら99%社会主義国になっていたと思いますね。

投稿: ましま | 2013年12月31日 (火) 18時14分

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