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2013年11月28日 (木)

マクロな歴史認識

 「マクロとミクロを分けてどうするんだ」、「それにどんな意味があるか」と問われればその通りである。個々の情報、知識、学習の積み重ねが、一定の期間を経てその人にとつての「認識」となる。

 それならば、ミクロの歴史認識など言葉としてま成り立たたない、あり得ない話ではないか、ということになるが、実際にはそれがある。日本の敗戦の史実、その後の5年間の占領期間をあたかもなかったことのように切り捨ててしまう史観。

 また、明治時代の教育勅語で表現した天皇制とか国体とかが、開闢以来連続していると考える「それ以前の過去切り捨て論」もある。女性天皇否定論や、天皇火葬に疑義をさしはさむ発想もその一環である。

 そもそも「歴史認識」は、中国・朝鮮筋から日本に向けて発する批判常套用語と化してしまったが、公平な目で見てマクロな歴史認識の最も高いのが学問や表現の自由があった(この先はわからないが)日本だ。プロパガンダ優先の国は、靖国参拝などミクロに焦点をあてることが先で、マクロのレベルは極めて低い。北朝鮮はまだ神話の時代である。

 本来なら、日本こそ「正しい歴史認識を」と言っていいはずだが、そうは言えない。前段で書いたようなミクロの歴史認識の持ち主、それも日本の支配層を構成するトップクラスの政治家や、安直なナショナリズム扇動を売り物にする一部メディアの存在である。

 このブログでも、過去何度か取り上げたように、中国・韓国にも尊敬すべき歴史学者がいる。よく「各国共通の歴史教科書を学者の共同研究で」などという話が出るが、それは今に始まったことではなく、過去何回かトライされている。

 しかし成功した例はなく、これからも期待できないだろう。ヨーロッパの成功例はあるが、まず政治上の妥協合意が先で、欧州共同体を作り発展させるような土壌があってこそはじめてできることである。

 そのスタート時に見られたような有力政治家、学生、民衆、貴族、文人などが追い求めた並々ならぬ永遠の平和に対する情熱が、残念ながら今のアジアには存在しないのだ。

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