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2013年8月19日 (月)

戦後レジームを言う前に

 前々回、「反戦塾乗・終戦の日」という記事をのせた。当日のニュースは、定番になっている慰霊行事と政治家の靖国参拝などであるが、国際的に右傾化が議論される安倍内閣のもとでどう変化があるかどうかに注目が集まる。

 慰霊行事では首相が挨拶文から戦争への反省を抜くという、慰霊ならぬ異例な言動があった。靖国では、抗議に来た韓国議員や中国の公式な反応などが関心の的だった。前回書いた「歴史認識ランキング」にも関連するのだが、中・韓の人々は、靖国のA級戦犯合祀がなければ(遊就館の展示は別として)全くOKなのだろうか。

 これは、日本人の参拝賛成派についてもいえる。東京裁判やA級戦犯のことをどれだけ知っているか、昭和天皇が合祀にどういった感慨を示されたかなど熟知しているとは思えない。終戦の日の記事に次のように書いた。

最近、なぜかA級戦犯合祀の話がさっぱり出てこないことが気にかかる。マスコミは、憲法改正問題と同様、なぜそれが問題かをしっかり若い人に説明をせねば……。

 本塾は、占領中や東京裁判に関した記事をかぞえきれないほど書いている。またコメント欄では議論にもなった。その中から3編を掲げておく。しかし、どうも中途半端で終わった感はぬぐえない。

11年.10月16日「続・GHQが洗脳はウソ」
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-82c3.html
11年10月14日 「GHQが洗脳はウソ」
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-0d99.html
11年9月 4日 「無意味な東京裁判批判」
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-5b2f.html

 ここに、”「東京裁判」を読む”という日本経済新聞出版社が2009年8月に出版した本がある。同書の序文に書かれている一文は、塾頭の大いに共感する所であり感銘を受けたので、長文になるが引用する。

 (前略)第二次世界大戦は人類史上未曽有の人命が失われた戦争であった。人類そのものを消滅させ得る原爆が登場し、第三次世界大戦が勃発すれば人類に未来はない、と当時の誰しもが思ったことだろう。従来の法が想定できなかった惨禍を経て、近い将来それ以上の危機がありえる時期であったといえる。

 ただし、法に基づいた形式をとった以上、いかに崇高な目的があろうとも、法の曲解や不公正は許されない。その面で見ると、東京裁判が一点の陰りもないものだったとは言い難い。原爆や無差別爆撃など、裁判で訴追された戦争犯罪と差異のない連合国側の行いはいっさい不問となった。「勝者の裁き」という批判がつきまとうのはそのためだ。

 敗者に反論と連合国批判の余地を与えることを恐れた英国のチャーチル首相や米国政府の一部からは、枢軸国の指導者のを裁判を行わずに即決処分する案が出されていた。もし、そのような野蛮な方法がとられていたら、後世の批判はより大きなものとなっていただろう。そして、われわれ日本人が戦争の実態を知り、平和の尊さを考える機会も失われていた。平和国家として再出発を誓った日本にとって、戦争裁判は全否定するものではなく、むしろ有用であったというべきではないだろうか。

 時は流れ、裁判後の世界はどうであったか。第三次世界大戦は起きなかったが、戦争は根絶されていない。しかも、その戦争の多くにかかわってきたのが東京裁判で裁いた側の米国であった。対して裁かれた日本は戦後一貫して平和国家の道を歩んできた。裁判で示された「平和」」と「人道」の理想をもっとも忠実に実践しているのは日本である。それは誇るべきことなのだが、「共産主義との戦い」「テロとの戦い」という形で続いてきた世界のありように、理想は色あせて見える。東京裁判の「正義」が不戦条約と同様に空文化しているとしたら何のための裁判だったのだろう。

 しかし、理想の挫折だけで裁判が無価値と見るのは早計だろう。裁判という方法で戦争の総括を試みたことは、敗者を裁き、正義と理想を掲げることと同様に大きなものを残した。それは裁判で提出されたおびただしい数の文書である。これらはあの悲惨な戦争がなぜ起きたのか、後世の人間が読み解くための貴重な歴史資料となった。時の経過はますます裁判の理想を風化させていくかもしれないが、逆に怨讐と政治的色合いを脱色し、「歴史の書庫としての東京裁判」という姿に変えつつある。

 もちろん、裁判で提出された文書、証言すべてが歴史の真実を反映しているわけではない。根拠が不確かであったり報復感情に基づいた一方的なもののもあった。裁判での証拠採用が公正であったか、疑問の余地もある。

 完全無欠の裁判ではなかったのは事実だが、その不備を根拠にそこで明らかにされた事実までも「東京裁判史観」として全否定するのは間違っている。忘れてならないのは、裁判は連合国側の一方的断罪に終始したわけではなく、日本側も大いに主張し、証拠を提出し、裁く側の問題点を突いたことだ。裁判では否定的に扱われた弁護側の資料も、時の経過とともに新たな歴史解釈の材料となりえるのだ。(以下略)

 紹介が後になったが、著者は、ノンフィクション作家の半藤一利、保阪正康の両氏と日本経済新聞編集委員の井上亮氏である。半藤氏は塾頭のふたつ上、保阪氏は7つ年下で戦中はまだ幼児であった。

 両氏とも昭和史で活躍する作家だが歴史学者ではない。当塾のバックナンバーでは、両氏の著作などを批判したこともあった。ことに保阪氏は、戦中記述に史実と異なる記載があるなど、半藤氏のように戦中戦後体験で文句なしに共鳴できるようなものがあまりない。

 井上氏は、戦後史で未発掘だった膨大な東京裁判関係文書や富田メモ(昭和天皇の靖国発言など)の公開にたずさわった人だ。本書は、そういった新資料をベースに裁判の背景、進行を解説し、中に半藤・保阪両氏の対談を挟むという構成になっている。保阪氏はそこで主に聞き役という立場になつている。

 塾頭が上記の引用文に引かれたのは、かつて企業や団体ではあるが、その歴史を書くという仕事にたずさわり、経営者や学者などと資料の扱い方などについて議論を交わした経験からくるものだろう。いずれにとても、安倍流戦後レジームを云々する人は、本書を一度熟読してからにしてほしい。

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