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2013年5月 1日 (水)

戦後史問答

 これは、ミスター珍 さまからいただいたコメントのレスポンスです。長文となり、本塾の基本テーマでもあるので本文にさせていただきました。

 なお、当塾では、コメント欄での「揚げ足とり」や「売り言葉に買い言葉」のようなやりとりを遠ざけています。したがって、一問一答スタイルにしてみました。ミスター珍さまにはお断りとお礼を申し上げます。(■=ミスター珍さま、▲塾頭)

■日本は好きで戦争をしたわけではないのです。進むも地獄、退くも地獄というぎりぎりの局面
でやむなく戦争に突入したのです。

▲太平洋戦争のことでしょうが、開戦の年の4月頃は開戦をさけるための日米交渉が進んでおり、陸軍もこれに賛成していました。ぶち壊したのは松岡外相ら3国同盟派で、「やむなく」は秋口から開戦までの御前会議の経緯で判断されたのだと思います。
▲その前の、満州事変のきっかけとなった柳条湖満鉄爆破事件、盧溝橋事件の前の上海事変を起こした邦人僧侶殺害事件など、好きで戦争をしたい関東軍の自作自演だったことは疑う余地がありません。

■太宰治は日米開戦の報に頭上の暗雲が晴れたと回想しています。同じ思いの人は大勢いました。

▲「大勢」がどれほどかわかりませんが、否定はしません。

■もちろん今となっては米国の周到な策略にまんまと嵌ったという事実はあります。見抜けなかった責任は当時の指導者にあります。敗戦の責任は戦争を遂行した軍部にあります。

▲米国の陰謀、そういう説はありますが、歴史的事実とする十分な史料がありません。陸海軍の対立、それを調整できなかった政府や天皇にも責任がありますね。

■りんごの唄や青い山脈などの歌にみられる戦後の明るさは当然です。厳しい灯火管制や食料統制から開放され自由の身になったのですから。
長くつらい戦争が終わったんですから庶民が歓迎するのも当たり前。負けた責任を問われる軍部以外はみな歓迎した。
ただその前段階、玉音放送の瞬間は別です。その日の午後は日本全国し~んとなったそうです。悔しさと怒りと虚脱状態…。

ここが一番のポイントだと思います。今まで信じていたものが裏切られた、ありえないことが起こった、今までの努力・我慢・忍耐はなんだったんだろう。
で、少し時間がたつとそこから価値観の大逆転が生じた、塾頭もその一人だったんだろうと推測します。

▲価値観の大逆転は一度に来たのではありません。塾頭個人では、まず東条英機の自殺未遂による軍部・戦争指導者への決定的不信感。次いで秋口に体験した鬼畜米英ではない進駐軍(当時、占領軍しは言いませんでした)のソフトな印象。さらに女性の地位向上・民主主義普及・反占領政策以外の自由復活・労働運動解禁などの推奨があり、憲法はそれに次いで年をこしてからです。

■新憲法にほとんど反対の声がなかったのも今となってはよくわかります。完膚なきまでに負けて抗議の力さえ萎えた、というか庶民レベルではその日の食料・生活に追われて憲法どころではなかった。

▲この点は違います。貧困・飢餓に覆われた日本ですが、食糧メーデーや闇市などで見られる気力と活気は今以上にありました。新憲法のどこに反対するのでしょう。天皇制や戦争放棄には、いろいろ意見があり、巷間で活発な討議もされました(街頭録音の再現を見たい)。

■インテリレベルも今は仕方ない、何を言っても通じない、GHQには勝てない、でも今に見ていろいつかは改正するぞ、ということだった。

▲そういう考えを持った人は、たしかにいます。敗戦で出世の望みを絶たれた人、A級からC級までの戦争犯罪人にされた人、戦争で指導的役割を果たしたとして公職を追放された人、農地解放で土地を小作人にとられた人およびその家族などの一部ではないでしょうか。苛酷な戦争被害を受けた大部分の庶民はそうは思いませんでした。

■ところが時間がたつにつれ生活が豊かになってくると、庶民もインテリも案外この体制(国防をアメリカに丸投げ→代償としてアメリカの子分になる)も悪くないと思い始める。

▲この表現がある程度当たっているのは、80年代後半、日本を「不沈空母」といった中曽根さん時代以降でしょうか。講和が発効すると同時に旧安保条約も発効しました。当時冷戦がもっとも烈しい時代です。北朝鮮は釜山まで戦火を広げてきました。日本がいきなり丸裸で放り出されるのでは、たまったものではありません。米軍の駐留をしばらく続けるというのは、已むをない選択だったでしょう。

■心の中ではいつまでも子分はまずい、いつかは独立すべき、と思ってはみるものの大変な難事業なので先送りした、ということではありませんか。

▼仮に、憲法を改正し9条をなくしていたら、日本は韓国のように朝鮮戦争、ベトナム戦争に参戦する運命にあったでしょう。占領期間を「独立」国でないというのは、安倍さんたち特有のレトリックです。
押し付けられたといっても憲法を持ち、警察が治安維持にあたり、選挙で国や地方の議員が選ばれ、戦前からの法律は占領政策に反するものは改正し、アメリカのアドバイスを受けたものの経済・金融・財政政策などで秩序を取り戻した日本が独立国でないわけがありません。それを否定するのを塾頭は「右派自虐史観」と名付けます。

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コメント

九条がなければ、日本は米国に言われるままにさまざまな戦争に参戦させられ多くの戦死者を出していたはずだ、とは左翼の皆さんからよく聞かれるのですが、まったくの見当違いだと思います。
独立直後改憲して再軍備していたら昭和40年代の前半には核武装が完了し単独で自国を守れる体制になっていたはず。米国と友好関係を維持するけど外交方針は自分で決める、米国のいいなりに参戦しない、という路線が可能になっていました。フランスのようなイメージ。
憲法についてはこれが他国の占領下で制定されたという事実が重要。中身の問題ではないのです。
自国の主権が喪失された状態で制定(形式的には改正)されたのだから、内容がどのようなものであれ無価値・無効なのです。
だから占領解除後作り直さねばならないところそれをネグった。で、遅まきながら今やろうとしているのです。それが”戦後レジームの脱却”ということなのです(但し、60年たってしまってこの憲法の上に判例・法体系ができてしまい、もう今さらなかったことにはできずこの憲法は有効だというのが前提)。

投稿: ミスター珍 | 2013年5月 4日 (土) 09時11分

ミスター珍さんに全面的に賛成します。

投稿: makoto | 2013年5月 4日 (土) 14時14分

ここのブログに来ると、いろいろな熱心な考えや意見が聞くことができて、参考になります

投稿: 玉井人ひろた | 2013年5月 5日 (日) 09時47分

「塾」経営者?として、どなたにしろおいでいただくことは嬉しいことです。今後ともよろしく。

 ミスター珍 さまのご意見は、「短絡」と「飛躍」が多いように思います。それで本文では「項目ごとに」「時系列(時間=年月を追って)説明申し上げたつもりです。

 朝鮮戦争の線かが消えやらぬ時の講和条約、アメリカの圧力は、武装解除の継続ではなく、逆に正規軍の復活を意図していました。

 それに憲法の存在をたてに抵抗したのが吉田首相です。それがあっても海上保安庁の掃海艇が動員され、1人戦死者をだしていることはご承知だと思います。

 もちろん核武装など国内的にも国際的にも、また技術出的にも不可能でした。東京オリンピックの余韻が残っている昭和40年代前半にそれが実現できていればというのは、歴史の経緯について飛躍があり、原因と結論を時間を無視して短絡させているとしか言えません。

 さらにもう一つ。核武装が唯一の抑止力であるという、魔法の杖かそうでなくとも葵の御紋の印籠のように思っておられるのは、時代錯誤というか、北朝鮮と同じレベルだなあ、と思います。

ドイツは核を持っていなくても、イラク戦争などアメリカの言いなりになっていません。集団的自衛権とは本来NATOのような存在をいい、安倍氏ほかの考えは、2国間攻守同盟であって、安保条約にはそんなことは書いてありません。

投稿: ましま | 2013年5月 5日 (日) 11時13分

ドイツは、核を持っていなくても、アメリカとニュークリア・シェアリングを結んでいますよね。
そして、決定的なのは、ドイツは9条を持っていないことです。
日本は9条があるおかげで、アメリカの軍事力に頼るしかないんですね。

さっさと、9条を破棄して、自衛隊を軍隊にし、日米安保も破棄してほしいものです。
あ、ついでに、核装備も。

投稿: makoto | 2013年5月 5日 (日) 15時21分

ニュークリア・シェアリング……、よく勉強しておられますね。私はよく知りませんが、冷戦のころの発想で、今は1抜けたという国なども出ており、構想内容も古く、段階的解消の過程にあると見ています。

塾頭は9条改正はあってもいいと思いますが、makotoさまの考えが、2周遅れの発想でないことを祈ります。

投稿: ましま | 2013年5月 5日 (日) 17時06分

ニュークリア・シェアについて、よく知らないのに、解消の段階にあると見ています?
おかしくないですか。
塾でしょう?
よく勉強しましょうよ。

投稿: makoto | 2013年5月 5日 (日) 17時26分

よく知っている人は、研究発表してください。塾生一同。

投稿: ましま | 2013年5月 5日 (日) 17時56分

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