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2013年4月17日 (水)

自民党改憲案の「イエ」観

 前回の「教育勅語」、読んでいただけましたでしょうか?。できれば音読していただきたかったんですが……(*^-^)。戦後、これが身の回りから消えた時、内心ちょっと淋しい気がしました。なぜならば、人としてあたりまえの倫理観を言っており、戦後、民主主義になっても変わりないのに、と思ったからです。

 ご覧のように「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し」など、ファミリー、「家」に踏み込んだ内容なのに「家」という字が一字も出てきません。ただ、戦中にさかんにとなえられた「八紘一宇」を思わせるようなくだりが、最後の部分に出てきます。

 つまり、「日本国内はもとより、世界中の人々がひとつの屋根の下にいるように、互いに尊重しあい、仲良く暮らしましょう」という、「家族主義」的な表現です。しかし天皇ですから、個々の「家」は対象にしていません。家のある人ない人、門地・人種などで「民草」に区別があってはならず、すべて平等な「天皇の赤子(せきし)」であるという精神です。

 さて、ここから本題の自民党改憲案(以下「改憲案」)の話に入ります。前置きに教育勅語を持ってきたのは、この改憲案を通読してみて、これを作った人は、「美しい国」をここからイメージしているのではないか、と思ったからです。なお、今回は9条を抜きにして考えました。

 ところが改憲案には、教育勅語に1字も出てこなかった「家」の字が、前文だけで4か所でてきます。それをあげると次のような使い方です。「国家」も「イエ」の概念の延長としてカウントしました。

・ 「天皇を戴く国
・ 「和を尊び、族や社会全体が互いに助け合って国を形成する」
・ 「良き伝統と我々の国

 現行憲法では、「いずれの国も」と「国の名誉にかけ」しいう表現の2か所ですが、他の国家との関係を言ううえで使われており、「日本」の定義や「イエ」を強調したものでもありません。これらから見ても、改憲案は教育勅語からも遊離した異質な存在と言わざるを得ません。

 その端的な現れが、改憲案24条です。

家族、婚姻等に関する基本原則)
 第24条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助けあわなければならない。

 以上の項が新設されます。国民には家族を失ったきのどくな人、家族のしがらみから離れ、自由を得たい人、この前あった尼崎の事件のように、家族尊重がむしろあだをなすようなことさえあります。家出は憲法違反になります。このような国民すべてにあてはまらない条文を、なぜわざわざ憲法に入れなくてはならないのでしょうか。

 「イエ」にはもう一つの側面があります。それは「家系」です。これは、絶対的であった明治維新前ほどではありませんが、今なお根強く残っています。一番重視されるのは、万世一系を称する天皇家の家系です。

 次いで武士階級でした。天皇の傍流、源、平、藤、橘を称しないと偉くなれませんでした。殿さまから支給される家禄は、イエに支給されるもので、世襲が原則です。士農工商の身分差があり、武士のほかは「姓」が許されませんでした。

 しかし、農民や商人も世襲の屋号で権益を維持しようとします。イエを維持するには家族の団結が必要です。この差別的秩序が潜在意識として保守階級にあるのでしょうか。塾頭は反対ではないのですが、政治家に世襲議員が多いことも気にかかります。

 同じ24条の2項以降で、「婚姻は、両性の合意のみに基いて」の”のみ”を削除したり、「住居の選定」に関する法的裏付けを消すなど、個人の尊厳・両性の平等原則に、「はてな」を思わせるような「イエ」、つまり家父長優先思想がちらほら出てきます。

 教育勅語よりさらに昔を行く「超・保守主義」からでたと思われるてもしかたがないのが、この改憲案です。「イエ」優先で、個人の自由・基本的人権が思いっきり後退する案であることは疑いありません。自民党内閣に70%を超える支持を与えるとどうなるか、よくよく考えておく必要があるでしょう。

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コメント

私には、70%の支持率に疑念があります。
http://iwasironokuni.cocolog-nifty.com/komiti/2013/04/post-3.html
↑私のブログで書きましたが、私の県では自公推選の現職市長が落選をしていることが起きています。

支持率操作などをしているとは思いませんが、高い支持率は理解しかねます

投稿: 玉井人ひろた | 2013年4月18日 (木) 22時18分

ていわです。
「イエ」というのは歴史のことだと思います。

それぞれの家族の「ルーツ」と考えてはいかがでしょうか。となると過去に輝かしい歴史のあった「イエ」は無意識ではあれ先祖を称えるということになります。長寿の家系とか、資産とか特権階級を残してきた家系とかであれば「イエ」というものに執着をするものです。

それぞれの歴史というのは、本来ならば宗教が導きだす教えなのですが、シャーマニズムの混在した日本では「エネルギー」とか「パワー」とか意味不明に解釈され、ご都合主義(政治・経済)の材料に使われてきた歴史があります。

現代社会の「イエ」というのは「ナショナリズム」とは別のものです。たとえば、結婚式では「家」どうしの婚姻として扱われますが、今では身分の象徴として「イエ」を考えていません。むしろ家族(ファミリー)として当事者を受け入れ祝福するために「イエ」として敬意を表して表現しているに過ぎません。

過去にあった忌まわしい表現でも、現代社会はプラス思考で「イエ」という表現を受け入れています。問題なのは言葉の「定義」を曖昧にしておきたいと考える政治家やオピニオンリーダーのご都合主義だと思います。

投稿: ていわ | 2013年4月20日 (土) 00時00分

ていわ さま
こんにちは

結婚式もそうですが、お墓もそうですね。「〇〇家之墓」というのが圧倒的で、丁寧なのはそこに「代々」と入ります。

宗旨によってそれぞれ変化はありますが、最近は「愛」などというものも。塾頭にはちょっと面はゆくそこまでは……、とという感じ。

今度の自民党案には「個人として尊重」を「人として尊重」と書き換えたところがあります。「個人」ではなく「人」から「家」、家から「国家」という意図が見え見えなんです。

「個人」を捨象し「家族を単位とした国家」とすることに狙いがありそうです。 

投稿: ましま | 2013年4月20日 (土) 13時23分

教育勅語の内容はとてもよいですね。
そのまま復活して教育基本法と並立して使えばよいと思います。
それに比べ自民党改憲案は言葉が生硬で不自然、改憲案24条も義務条項が入っているのもおかしい。塾頭の論にも一理あり。
ただ、今後国会での議論の過程で厳しく精査されると思うのであまり心配しなくていいのではと思います。

投稿: ミスター珍 | 2013年4月21日 (日) 22時01分

ミスター珍 さま

>それに比べ自民党改憲案は言葉が生硬で不自然、改憲案24条も義務条項が入っているのもおかしい。塾頭の論にも一理あり。

共感、ありがとうございました。それが「珍」さまだから余計に(笑)。

改憲論者は、米語の翻訳調だと言いますが、GHQと喧嘩しながら案文を作った当時の佐藤達夫法制局第一部長は、英語は不得意ながら漢語はベテランで法案作りの神様といわれた人です。

それと比べても、魂のこもってない幼稚な自民案です。

投稿: ましま | 2013年4月22日 (月) 10時15分

 初めまして。私はボケ防止に2011年3月からブログを始めました。題材は主として政治と経済です。ブログは批判が多くなりますので、実名で書いております。でも77歳の老人で右も左も解らず現在に至っています。私の信条は、右翼も左翼も嫌いですが、敗戦後の昭和天皇、現在の平成天皇には尊崇の念を抱いているものです。
 私が最も嫌いなのは三権+マスメディアです。ですから過激な表現になってしまい、反省ばかりです。今回の自民党の改憲草案には、ネオコン(新保守主義)的なものを感じています。今回の改憲草案は「現行憲法の分かりにくいところを、分かり易くしたもの」(中谷元)だそうですが、三権を縛るための憲法が、国民を縛る憲法に改悪されそうで心配です。特に、96条先行改革には組みすることは出来ません。憲法改正は大賛成ですが、自民党の草案は大反対です。
 なお、教育勅語については、2012年9月11日に「教育勅語の理念を学べ!」という題で書いておりますのでご一読頂ければ幸いです。年は取っていても解らない事だらけなので、間違いがありましたらご指摘、ご教示下さい。今後とも、よろしくお願いします。

投稿: 武井信雄 | 2013年5月13日 (月) 21時49分

武井信雄 さま
 ようこそ。検索で近くから拾わせていただいたのがよかったようです。

 まず、共通点の自己紹介から。
「ましま」は、プロフィルらんに書いたように本名です。自著があり、書いたことに公的にはないが私的な責任はある、という立場です。

 コメント欄をご覧になればわかるように、「左翼」「右翼」両陣営から名誉の勲章を頂戴しています。

 天皇は以前はそうでもなかったんですが、歴史研究をすすめるうちに、平和擁護者として機能しなかったら、日本全土が墓場になってしまったという気がしてきました。

 教育勅語の暗記……、そうですよね。私は中学に入るとすぐ「軍人勅諭」「忠節」の項を暗唱させられました。

 今、戦後の数年があたかもなかったような言い方をする風潮に憤慨しています。今後ともいろいろご指導賜れば幸甚です。

投稿: ましま | 2013年5月14日 (火) 10時25分

日本は、天皇を中心とする神の国です。

日本人には日本語があり、日本語には階称 (言葉づかい) がある。
「上とみるか、下とみるか」の判断により序列関係 (義理・恩) を作る。
義理が廃ればこの世は闇と考えられている。

日本人は、礼儀正しい。
日本人の礼儀は、序列作法である。
序列なきところには、礼儀なし。

日本人の社会は、序列社会である。
社会の構成員は、神々と下々に分かれている。
天皇は、序列最高位の人である。

天皇の御前では、全ての国民は「わし」でもなく、「わたし」でもなく、「わたくし」である。
価値観を揃えることで、日本人は一体感を得ている。安心感を得ている。
日本語の無い社会では日本人は価値観に迷いを生じ、心身ともに疲れ果てる。

序列社会では、序列判断とその作法により、人を遇する。
礼儀作法により、人々は向上心を掻き立てられている。
学校でも生徒に「身を立て、名をあげ、やよ励め」と歌わせている。

日本人の社会は、向上心により活気を得ている。
その原動力は、序列競争である。そのための試験地獄もある。
序列人間を作るのが、日本人教育の目的である。

教科の内容は、雑学ていどのものでよい。
日本人の学校は、格差を検出するための道具立てである。
だから、日本人は、序列人間となるために日本の学校で修業しなくてはならない。
四年間、大学で遊ぶことも、また序列作りに必要なことである。
生涯の協力も序列協力でなされるからである。

意思薄弱と他力本願を伴う幼児症に罹っていて、序列の外には出られない。
英国も日本も島国であるが、島国根性になるのは日本人だけである。

移民をすれば、序列社会を出なければならない。
外国では、序列判断も序列協力も成り立たず、日本人は本来の力を発揮できない。
それで、さまよえる日系人となり、精神的な不安定さにさいなまれる。

日系人は、移民先で勢力を拡大することもなく、祖国に帰って国の柱となることもない。
我が国の天皇制は、日本人に心の安らぎを与え、仕事に励ましを与える世俗の上下観である。
我々の過去を語ることもなく、行き着く先を示すこともない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2013年5月17日 (金) 21時09分

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