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2013年3月28日 (木)

「歴史認識」の再構築 2

 前回の予告に従い、ちどり さま からいただいたコメントを中心に勉強してみたいと思います。そのコメントは整然とした文章で、部分の引用は文意をそこねるおそれがあり、恐縮ですが全文をお借りします。

毎度拙い長文で貴コメント欄を汚して恐縮です。なお司馬遼太郎を引き合いに出したのは直観的に図式が似ていると感じたまでのことだったのですが、適切でなかったですね。他意はありませんので悪しからず御了承下さい。

日清戦争前に日本政府に国策として「明確な侵略意図」があったわけではないでしょう(琉球処分が引っかかるところですが)。日本の拡張策は明確な戦略に基づくものではなく、総じて場当たり的なものだったと思います。ただ、のちの侵略に必然的につながらざるをえない道をすでに日本は選択していた、ということでしょう。

日朝修好条規は仰せの通り「日本がやらなければ欧米がやった」性質のものでしょうが、不平等条約に苦しむ日本が、隣国にそれ以上の不平等条約を押しつけたことに変わりは無いわけで、しかもそれは欧米諸国の支持の元に行われた。先方の不信を買う一端となったことは紛れもない事実でしょう。のちに孫文が言った「西洋覇道の鷹犬」ですね。

どうにも話が噛み合わないので念押ししますが、私の意図はそのこと自体の善悪を言挙げするところにはありません。東アジアの近代史は日本の「成功物語」でもなければ、侵略対抵抗の「勧善懲悪劇」でもなく、あくまで「悲劇」だと思っています。今考えるべきことは、同じ悲劇を繰り返さないためにはどうするか、ということでしょう。

 まず、申し上げておきたいのは、結論部分およびそれぞれの各論についてちどり さまと大きな違いがないということです。そもそもは、「歴史認識」それも尖閣諸島の領有権に対する日中の食い違いをどう判断するかがはじまりでした。

 中国は、国連などで「日清戦争末期に日本が(こっそり)盗んだものだ」といっており、日清戦争そのものが日本の東亜侵略のための戦争だった、という認識です。日本にもそういった考え方があり、塾頭自身もかつてはそれを疑いませんでした。

 だけど、尖閣諸島を盗んだ覚えもなくそういった事実もないのに、一方的にそのような結論を受け入れることは、果たして歴史に正しく向き合うことになるのでしょうか。また、日清戦争が領土拡張を目的としたものだという決めつけは本当でしょうか。

 日本に正しい歴史認識を要求するためには、当然双方の歴史の突き合わせが必要になります。そうすることにより、たとえ一致しない点があっても相互理解が深まり、永遠の平和を追求することができるでしょう。

 ちどり さま の発言の中に(日朝修好条規など)「のちの侵略に必然的につながらざるをえない道をすでに日本は選択していた」、という部分があります。塾頭もあえてそれに反対しません。

 滔々として海にそそぐ大河が、山奥の水源の一滴にはじまっているのはその通りです。ただし水源と河口は明らかに違います。景色も違います。用途も、水質も違います。川も合流、分流を繰り返します。したがって歴史の大きな流れは、その時々で姿が違い、価値判断も変えなくてはなりません。

 たとえば「琉球処分」の話があります。ちどり さまと歴史認識は多分同じです。米軍基地問題などで最近「琉球独立」さえ云々されているのは、ここが源流です。琉球は清国の冊封国ですが、徳川時代から薩摩藩の軍事的支配下にありました。

 明治維新となり、25日に書いた「利益線」「主権線」の区別で奄美や琉球はどっちに入るのだ、ということになります。たまたま琉球人が台湾で原住民から殺された事件で清国に抗議をしたところ、中国の官僚から「あれは化外の民がしたことで清国にはかかわりがない」という返事がありました。

 清は台湾の主権の一部を否定し、琉球人に対する日本の抗議を認めたことから「しめた」とばかり、琉球列島を「主権線」の中にいれてしまったのが琉球処分です。徳川幕府はもとより、清国すら「国民国家」とは言い難い時代のことです。

 日清戦争では、日本が勝ったことにより台湾を割譲させました。これは賠償金と共に当時のグローバル・スタンダードで当然の権利とされていたものです。この流れが変わってきたのは、第1次世界大戦の国民を巻き込んだ悲惨な結果以降のことです。

 パリ条約、国際連盟発足、軍縮会議、不戦決議など、戦争回避や植民地競争への反省が流れとなったのです。したがって、日本はここで価値判断を変えなければならなかったのです。日露戦争にも勝った日本は反省どころか、陸軍を中心に中国侵略を増幅させる道をたどりました。

 塾頭が、日本の大陸侵略が露骨になったのは「対華21カ条要求」から始まる、としたのはこのことを指しています。世界の流れの風景が大きく変わったのに日本は気がつきませんでした。

 ちどり さま は、有名な孫文の神戸演説で「西洋覇道の鷹犬」と表現したことをに触れています。これの前後は「日本は世界文化にたいして西方の覇道の鷹犬となるか、はたまた、東方王道の干城となるを浴するか」(拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』)となります。

 孫文が講演したのは1924年で、中国が「21カ条条約」を破棄した翌年に当たります。つまり、「覇道」を行くのか「王道」を選ぶのか、ここが選択の分かれ目ですよ、という警告になっていることです。
日本には、右翼の大物・頭山満をはじめ孫文の同調者は少なからずありました。

 それまでも列強の帝国主義に肩を並べようと、必死で進んできたのです。誉められたことではありませんが、列強に反省機運が出てきた中で「ようやく列強の一端を占めるようになった。これから東洋の覇権を求めてどこが悪い」というわけです。

 なぜか、今の中国が漸く経済大国になった。これから太平洋やアフリカなどに「核心的利益」をもとめて覇権を競うことのどこが悪い、というのに似ています。残念ながら、日本には「孫文」はいません。

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コメント

再三の不躾なコメントにも丁寧にお答え頂く塾頭様の御姿勢に、改めて敬意を表します。第一次大戦前後を画期とする世界情勢の変化等についての今回の塾頭様の御説明、概ね納得しております。
台湾出兵から琉球処分に至る流れに関して、日清修好条規批准から日も経たぬうちに、条約でうたった善隣友好の精神をあっさり踏みにじった日本の行動に対し、当時の中国側の不信感は相当なものだったでしょうね。私とてこれを尖閣問題とストレートに結びつけるべきではないと考えますが、領土侵略の意図があったか否かはどうあれ、こうした日本の行動の積み重ねが現在の感情的齟齬の根底にあることは、日本側も謙虚に考えるべき事だと思っています。
また、今回の御記事で触れられていない大きな問題として、韓国併合の問題がありますね。とかく歴史問題というと世間では中国と韓国・朝鮮をごっちゃにして語る向きが見受けられますが、歴史認識でも現実外交でも、区別すべき部分はきっちり区別して理解する必要があると思います。その辺の塾頭様のお考えをあらためて窺えると幸いです。今後の御記事を楽しみにしております。

投稿: ちどり | 2013年3月29日 (金) 00時48分

ちどり さま

蛇足……①
余計なお節介ですが、日清戦争までの朝鮮は下記シリーズの17、日韓併合の韓国側史的評価については23をご紹介しておきます。

2008年12月19日 (金)
朝鮮・韓国 17
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/17-061e.html
2009年1月 8日 (木)
朝鮮・韓国 23
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/23-7433.html

蛇足……②
日清講和条約交渉では、陸奥宗光の『蹇蹇録』によると、日本要求の台湾、澎湖島及び奉天省に対し、
「割地は、奉天省内において安東県、寛甸県、……と、南方において瓢湖島に限ること」という修正案をしっかりと出しています。尖閣諸島の沖縄県編入に異議申し立てができる状態になかった、などとはちょっと言えませんね。

投稿: ましま | 2013年3月29日 (金) 17時55分

尖閣諸島問題ですが、経済発展で力を付けてきた中国が態度がでかくなった(中国が変わった)を日本のマスコミが報道するので日本人の多くも、マスコミの論調に影響されて『中国の変化』をあれこれ取り沙汰する。
中国が自信を付けたのは間違いないでしょうが、
尖閣に関しては中国側の変化よりも日本側の変化の方が騒動の本質ですよ。
本来なら実行支配している日本側は平穏に何も無い方が得なのですが、明らかに前原などの日本のネオコン勢力がわざと騒動を起こしているのです。
尖閣ですが、これは日中双方で『棚上げ』で合意していた。
ところが日本側が『棚上げは無かった』と最近と言い出したから揉めているのです。
事実関係として間違いなく今までは日本側は尖閣を棚上げしていたのですよ。
中国としては喧嘩を売られたと感じたとしても、これは当然でしょう。
安倍晋三を除けば自民党政府も誠実に棚上げを実行していた。
民主党も当初は棚上げだったが前原が海上保安庁の所轄大臣に就任して中国船拿捕が起きている。
北緯17度以南のこの尖閣海域では、日本側は中国船を取り締まらないとの1997年11月11日付の小渕恵三外務大臣(当時)の中国宛の書簡が存在し、これは当時毎日新聞も報道している。
この事実は外務省としては隠したいのでしょうが、元外務省分析官の佐藤優は詳しく日本側の非を指摘しています。
尖閣では、中国が変わったのではなくて日本側が突然変わったのです。騒動の元は日本の病的な右傾化ですね。

投稿: 宗純 | 2013年3月29日 (金) 18時44分

宗純 さま
コメントありがとうございました。

はれものは、ほおっておいたら直るとは限りません。触ってしまって悪化したのがこのケースでしょう。

はれものに触らないようにするのがいいのか、痛くてもメスを入れて治療した方がいいのか。私は後者の方を選びます。

双方にある「劣情」を克服し、前向きの発想で話し合えばそんなに難しいことではないと思います。

投稿: ましま | 2013年3月29日 (金) 20時02分

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