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2013年3月25日 (月)

中国の核心的利益・線?

 中国は、海軍の行動範囲として、第一列島線=日本の九州・沖縄から、台湾・フィリピン・小スンダ列島などを結ぶ線から、第二列島線=日本の伊豆・小笠原諸島から、マリアナ諸島北部、グアム、カロリン諸島、パプア・ニューギニアの北西の海岸を結ぶ線に拡張する、などのことを表明しています。

 また、「核心的利益」というわけのわからない言葉もよく使います。これらを聞くと、明治政府発足後、列強の攻撃に対応するために「主権線」、「利益線」という言葉を使っていたことを思い出さずにいられません。

 「主権線」は領土・領海そのもので、「利益線」とは主権線とは切り離せない密接な利害関係のある隣接部分をいうものです。この発想は、帝国陸軍生みの親といわれる山縣有朋が提唱し、1988年(明治21)、伊藤首相に軍事費増額を訴えました。

 そして、軍事意見書の中で「我国の政略は朝鮮をして全く支那の関係を離れ自主独立の一邦国となし、以て欧州の一強国、事に乗じて之を略有するの憂いなからしむるに在り」といい、、「我邦利益線の焦点は実に朝鮮に在り」と断定しました。

 日本と朝鮮は、1876年(明治9年)に日朝修好条規ではじめて近代的な外交関係に入りました。その最初には次のように書かれています。

 第一款 朝鮮國ハ自主ノ邦ニシテ、日本國ト平等ノ權ヲ保有セリ。嗣後兩國和親ノ實ヲ表セント欲スルニハ、彼此互ニ同等ノ禮義ヲ以テ相接待シ、毫モ侵越猜嫌スル事アルヘカラス。先ツ從前交情阻塞ノ患ヲ爲セシ諸例規ヲ悉ク革除シ、務メテ寛裕弘通ノ法ヲ開擴シ、以テ雙方トモ安寧ヲ永遠ニ期スヘシ。

 これだけ見ると、いかにも平等に見えますが、他の列強が進めていたのと同様、治外法権を認めさせる一方的なものでした。この条文を冒頭に持ってきたのは、当時朝鮮を朝貢国として冊封していた清国のもとを離れさせようとする意図があるからです。

 しかし、この条約を結ぶかどうか、李王朝は内々清国の李鴻章に助言を求め、同意を得ています。つまり、李王朝は、日本の砲艦外交に対しその場しのぎの国交を結んだもので、条約の精神を受け入れようという気はなかったのかも知れません。

 やや横道にそれましたが、日本がやらなくても他の列強が同様あるいはそれ以上不利な開国を迫ったでしょう。山縣の主権線・利益線論も、伊藤博文が帝国憲法を起草するにあたって教えを乞うたドイツのローレンツ・フォン・シュタイン博士の主張に沿ったものだとされます。
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/16-9dd8.html

 その後の朝鮮は実際にどうだったのでしょうか。イギリスとロシアがアフガニスタン争奪で激しく対立しており、火の粉が朝鮮まで飛んできました。ご承知のようにロシアは1860年に清の隙をついて沿海州を領有、さらに朝鮮の東海岸に出没していました。

 その翌年、文久元年に対馬にロ艦1隻がおしよせ、兵を上陸させて土地を不法占拠しました。しかも、これに抗議した島民1人を射殺し2人を拘束するなどして居座るかまえを見せたのです。このことは、ペルーの来航、日米条約締結の応酬などの陰に隠れあまり知られていません。

 その対馬の南に位置する朝鮮領・巨文島にイギリスが東洋艦隊を乗り込ませ、不法占領のうえ要塞工事を始めたのが1885年3月、その後2年間も居座りました。ロシアの南下を防ぐためですが、朝鮮はドイツ人に外交を任せるなど自主性がなく、清国も相談に乗ってくれませんでした。
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/15-cc4e.html

 山縣有朋の朝鮮=利益線論がでたのは、このすぐ後のことです。3回前のエントリー「歴史認識が合わないわけ」で、日清・日露戦争は自衛戦争の色合いが強く、大陸侵略の意図が鮮明になったのは第1次大戦後だ、と書いたことに複数のご批判がありました。

 明治の「富国強兵策」=「侵略・植民地拡張」という発想は、個人としてはありえますが、すくなくとも日清戦争以前に国策として存在した形跡はありません。また、それ以外のデータからも推測できることがらで、「司馬遼太郎の影響」ではありません。

 いろいろ寄り道をしてしまいましたが、日本の「線」は日露戦争以降「満蒙は日本の生命線」から「大東亜共栄圏」にまで拡張されたのでした。それが日本国民にどれだけ多くの犠牲を強いたのか、すでに忘れかけようとする機運が今の日本にあります。

 現行の憲法でも「主権線」は厳然として存在します。これを否定すれば「国」ではなくなります。しかし、「利益線」の概念は存在しても、これを戦争に訴えることはできません。それにかえて、主権線を守る固い決意と国際ルールにのっとった強い外交力を身につけることです。

 これが、中国の主張する「線」の拡張に対抗できる、日本が守るべき利益「線」になるのではないでしょうか。

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コメント

毎度拙い長文で貴コメント欄を汚して恐縮です。なお司馬遼太郎を引き合いに出したのは直観的に図式が似ていると感じたまでのことだったのですが、適切でなかったですね。他意はありませんので悪しからず御了承下さい。
日清戦争前に日本政府に国策として「明確な侵略意図」があったわけではないでしょう(琉球処分が引っかかるところですが)。日本の拡張策は明確な戦略に基づくものではなく、総じて場当たり的なものだったと思います。ただ、のちの侵略に必然的につながらざるをえない道をすでに日本は選択していた、ということでしょう。
日朝修好条規は仰せの通り「日本がやらなければ欧米がやった」性質のものでしょうが、不平等条約に苦しむ日本が、隣国にそれ以上の不平等条約を押しつけたことに変わりは無いわけで、しかもそれは欧米諸国の支持の元に行われた。先方の不信を買う一端となったことは紛れもない事実でしょう。のちに孫文が言った「西洋覇道の鷹犬」ですね。
どうにも話が噛み合わないので念押ししますが、私の意図はそのこと自体の善悪を言挙げするところにはありません。東アジアの近代史は日本の「成功物語」でもなければ、侵略対抵抗の「勧善懲悪劇」でもなく、あくまで「悲劇」だと思っています。今考えるべきことは、同じ悲劇を繰り返さないためにはどうするか、ということでしょう。

投稿: ちどり | 2013年3月27日 (水) 01時20分

すみません!。

ちょっと時間をください。

投稿: ましま | 2013年3月27日 (水) 13時44分

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「中国は‘第一列島線’から‘第二列島線’へ移行した」と、いきなり言われても何のことやら解らないと思います。 これは中国海軍が防衛や攻撃のための戦略を立てる場合の太平洋上の目標となる島々を線で結んだもの... [続きを読む]

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