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2013年3月

2013年3月31日 (日)

どこか変な維新の会綱領

①日本を孤立と軽蔑の対象におとしめ、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。
    [日本維新の会]党綱領(要旨)

 おお!!、何と勇ましい。結構じゃないですか。「日本を孤立と軽蔑の対象におとしめ」というのは初めて聞きました。どこから孤立し、軽蔑されているのでしょうか。もしかして中国と韓国からですか?。

 それ以外の「法の支配と民主主義・自由のある価値観を共にする国々」からは、アメリカをはじめ「日本の右傾化傾向を憂慮する」というニースは聞くものの、「国家・民族として独立してない」というのは初耳です。来月28日を安倍さんは独立回復の記念日にするといっていますが、やめさせた方がよさそうですね。

 よく聞いてください。終戦の詔勅があってしばらくして占領軍が入ってきました。「鬼畜米英」と教えられていたので、最初は物陰からこっそりのぞいていました。丸腰で陽気で人懐っこい米兵は子どもにチョコレートを配り、ジャズをはやらせ、主権在民・基本的人権・民主主義・自由を保障する憲法を「押し付け」ました。

 覚悟していた賠償が放棄され、給食用の食糧も支給されました。はっきり言って今よりよほど明るい将来がありました。近所のおかみさんたちが集まる「井戸端会議」では、「日本が負けてよかったわね」「もし勝っていたら軍部がどんなに威張り散らしたか、考えるだけでぞっとするわ」などの会話が飛び交いました。

 この時期、屈辱と感ずる暗い日々を送っていた人、またはその子孫。言わなくてもわかりますね。維新の会にも約1名半ほどいます。

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2013年3月28日 (木)

「歴史認識」の再構築 2

 前回の予告に従い、ちどり さま からいただいたコメントを中心に勉強してみたいと思います。そのコメントは整然とした文章で、部分の引用は文意をそこねるおそれがあり、恐縮ですが全文をお借りします。

毎度拙い長文で貴コメント欄を汚して恐縮です。なお司馬遼太郎を引き合いに出したのは直観的に図式が似ていると感じたまでのことだったのですが、適切でなかったですね。他意はありませんので悪しからず御了承下さい。

日清戦争前に日本政府に国策として「明確な侵略意図」があったわけではないでしょう(琉球処分が引っかかるところですが)。日本の拡張策は明確な戦略に基づくものではなく、総じて場当たり的なものだったと思います。ただ、のちの侵略に必然的につながらざるをえない道をすでに日本は選択していた、ということでしょう。

日朝修好条規は仰せの通り「日本がやらなければ欧米がやった」性質のものでしょうが、不平等条約に苦しむ日本が、隣国にそれ以上の不平等条約を押しつけたことに変わりは無いわけで、しかもそれは欧米諸国の支持の元に行われた。先方の不信を買う一端となったことは紛れもない事実でしょう。のちに孫文が言った「西洋覇道の鷹犬」ですね。

どうにも話が噛み合わないので念押ししますが、私の意図はそのこと自体の善悪を言挙げするところにはありません。東アジアの近代史は日本の「成功物語」でもなければ、侵略対抵抗の「勧善懲悪劇」でもなく、あくまで「悲劇」だと思っています。今考えるべきことは、同じ悲劇を繰り返さないためにはどうするか、ということでしょう。

 まず、申し上げておきたいのは、結論部分およびそれぞれの各論についてちどり さまと大きな違いがないということです。そもそもは、「歴史認識」それも尖閣諸島の領有権に対する日中の食い違いをどう判断するかがはじまりでした。

 中国は、国連などで「日清戦争末期に日本が(こっそり)盗んだものだ」といっており、日清戦争そのものが日本の東亜侵略のための戦争だった、という認識です。日本にもそういった考え方があり、塾頭自身もかつてはそれを疑いませんでした。

 だけど、尖閣諸島を盗んだ覚えもなくそういった事実もないのに、一方的にそのような結論を受け入れることは、果たして歴史に正しく向き合うことになるのでしょうか。また、日清戦争が領土拡張を目的としたものだという決めつけは本当でしょうか。

 日本に正しい歴史認識を要求するためには、当然双方の歴史の突き合わせが必要になります。そうすることにより、たとえ一致しない点があっても相互理解が深まり、永遠の平和を追求することができるでしょう。

 ちどり さま の発言の中に(日朝修好条規など)「のちの侵略に必然的につながらざるをえない道をすでに日本は選択していた」、という部分があります。塾頭もあえてそれに反対しません。

 滔々として海にそそぐ大河が、山奥の水源の一滴にはじまっているのはその通りです。ただし水源と河口は明らかに違います。景色も違います。用途も、水質も違います。川も合流、分流を繰り返します。したがって歴史の大きな流れは、その時々で姿が違い、価値判断も変えなくてはなりません。

 たとえば「琉球処分」の話があります。ちどり さまと歴史認識は多分同じです。米軍基地問題などで最近「琉球独立」さえ云々されているのは、ここが源流です。琉球は清国の冊封国ですが、徳川時代から薩摩藩の軍事的支配下にありました。

 明治維新となり、25日に書いた「利益線」「主権線」の区別で奄美や琉球はどっちに入るのだ、ということになります。たまたま琉球人が台湾で原住民から殺された事件で清国に抗議をしたところ、中国の官僚から「あれは化外の民がしたことで清国にはかかわりがない」という返事がありました。

 清は台湾の主権の一部を否定し、琉球人に対する日本の抗議を認めたことから「しめた」とばかり、琉球列島を「主権線」の中にいれてしまったのが琉球処分です。徳川幕府はもとより、清国すら「国民国家」とは言い難い時代のことです。

 日清戦争では、日本が勝ったことにより台湾を割譲させました。これは賠償金と共に当時のグローバル・スタンダードで当然の権利とされていたものです。この流れが変わってきたのは、第1次世界大戦の国民を巻き込んだ悲惨な結果以降のことです。

 パリ条約、国際連盟発足、軍縮会議、不戦決議など、戦争回避や植民地競争への反省が流れとなったのです。したがって、日本はここで価値判断を変えなければならなかったのです。日露戦争にも勝った日本は反省どころか、陸軍を中心に中国侵略を増幅させる道をたどりました。

 塾頭が、日本の大陸侵略が露骨になったのは「対華21カ条要求」から始まる、としたのはこのことを指しています。世界の流れの風景が大きく変わったのに日本は気がつきませんでした。

 ちどり さま は、有名な孫文の神戸演説で「西洋覇道の鷹犬」と表現したことをに触れています。これの前後は「日本は世界文化にたいして西方の覇道の鷹犬となるか、はたまた、東方王道の干城となるを浴するか」(拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』)となります。

 孫文が講演したのは1924年で、中国が「21カ条条約」を破棄した翌年に当たります。つまり、「覇道」を行くのか「王道」を選ぶのか、ここが選択の分かれ目ですよ、という警告になっていることです。
日本には、右翼の大物・頭山満をはじめ孫文の同調者は少なからずありました。

 それまでも列強の帝国主義に肩を並べようと、必死で進んできたのです。誉められたことではありませんが、列強に反省機運が出てきた中で「ようやく列強の一端を占めるようになった。これから東洋の覇権を求めてどこが悪い」というわけです。

 なぜか、今の中国が漸く経済大国になった。これから太平洋やアフリカなどに「核心的利益」をもとめて覇権を競うことのどこが悪い、というのに似ています。残念ながら、日本には「孫文」はいません。

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2013年3月27日 (水)

「歴史認識」の再構築 1

 今ではすっかり遠のいてしまいましたが、民主党が自民党から政権を奪った時、鳩山首相がアメリカで「中国とのかけはしになる」といった演説をしました。塾頭は、それ以前から究極の平和構築をめざして発足した欧州共同体に関心を持ち、専門資料などをあさっていました。

 そこに起こった政権交代です。外務大臣をやった岡田克也氏なども「東アジア共同体」に期待する論陣を張っており、この政権がその方向でどこまで迫れるか、精一杯応援する気持ちでした。そこで、それまでに書いた中国・朝鮮・韓国関連の記事を「東アジア共同体」というカテゴリにまとめることにし、現在でもそのままになっています。

 さて、前置きが長くなりましたが、このところ3月19日の「 歴史認識が合わないわけ」など数本の記事を書き、貴重なコメントをいくつかてただきました。東アジア連携の障害に「歴史認識」問題が横たわることは論をまちません。

 このブログをふりかえってみても、小泉首相当時の「靖国参拝」が問題になった当時から、日本の右翼や一部週刊誌、マンガ等に現れるいわゆる「歴史修正主義」の間違いや、戦争への反省などに紙面(メモリー面というのかな・笑)を費やしてきました。

 ここにきて、塾頭の考えが微妙に変わった点があります。それは、歴史認識の浅薄さが指摘できるのは日本の方に多かったのですが、尖閣問題が起きてからそれに関する相手方の歴史認識が根拠薄弱で、どうかすると歴史のねつ造にもなりかねない、という危機感を持ったからです。

 先方のプロパガンダの激しさにひきかえ、日本側は冷静に誤りを指摘することすらできていない。中には、相手の主張の中に「日本発」の論旨が含まれていることも知り、愕然としたこともあります。「売り言葉に買い言葉」は厳に慎むべきですが、歴史修正主義や、硬直した唯物史観から距離を置いた「歴史認識」が今ほど日本に求められている時期はないのではないでしょうか。

 相手国の政治家や権力機構が日本の歴史認識の乱れを突いてくるようなことがあればそれこそ悲劇です。日本には言論の自由や学問の自由があるはずです。大いに議論をたたかわせ、その中からよって立つべき日本の「歴史認識」を浮き上がらせることが、今こそ必要なのではないでしょうか。

 次回は、いただいたコメントから、塾頭の私見をいくつか書いてみたいと思います。

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2013年3月26日 (火)

違憲選挙で結果も無効

 ニュースに「快哉」を叫んでしまったのは何年ぶりだろう。広島高裁(筏津順子裁判長)による巨年末の総選挙無効判決である。これほどスッキリと割り切れる筋の通った判断は、今どき珍しいということと、3権分立の憲法の精神がしっかり息づいているという2点である。

 「首相として憲法をまもるが、総裁としては改憲」だとか、「日銀の独立性は認めるが人事は俺が握っている」式の、なにも決められないくせにやたら威張っている政治家に、一本の太い釘を刺したということだろう。「平成日本のジャンヌダルク」といっては言い過ぎか?。

 全国に繰り広げられた違憲訴訟は、これまで「違憲」「違憲状態」とは言っているが、選挙は有効とするものだった。今日これから6件ほどの判決がでるが、昨日の広島判決の影響を受ける時間的余裕がないので、「選挙無効」とするものがでてこない可能性が強い。しかし、いずれも最終判断は最高裁にゆだねられることになり、広島の判例は無視できないだろう。

 選挙は違憲だか選挙は有効というのは、問題先送りで前述の政治家発言とどことなく似ている。その混乱を回避するため「無効とするのは、選挙制度改革の検討が始まってから1年目以降まで猶予する」という具体的な解決の手順まで差し伸べており腑に落ちる。

 これは、言外に「その時点で憲法違反の議員を選び直しなさい」といっているのと同じではないか。それでまた同じ安倍首相になってもやむを得ない。野党第1党の民主党がそれまでに体力を回復するには、相当な覚悟が必要であろう。要するにこれまでどおりでは「だめですよ」ということである。

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2013年3月25日 (月)

中国の核心的利益・線?

 中国は、海軍の行動範囲として、第一列島線=日本の九州・沖縄から、台湾・フィリピン・小スンダ列島などを結ぶ線から、第二列島線=日本の伊豆・小笠原諸島から、マリアナ諸島北部、グアム、カロリン諸島、パプア・ニューギニアの北西の海岸を結ぶ線に拡張する、などのことを表明しています。

 また、「核心的利益」というわけのわからない言葉もよく使います。これらを聞くと、明治政府発足後、列強の攻撃に対応するために「主権線」、「利益線」という言葉を使っていたことを思い出さずにいられません。

 「主権線」は領土・領海そのもので、「利益線」とは主権線とは切り離せない密接な利害関係のある隣接部分をいうものです。この発想は、帝国陸軍生みの親といわれる山縣有朋が提唱し、1988年(明治21)、伊藤首相に軍事費増額を訴えました。

 そして、軍事意見書の中で「我国の政略は朝鮮をして全く支那の関係を離れ自主独立の一邦国となし、以て欧州の一強国、事に乗じて之を略有するの憂いなからしむるに在り」といい、、「我邦利益線の焦点は実に朝鮮に在り」と断定しました。

 日本と朝鮮は、1876年(明治9年)に日朝修好条規ではじめて近代的な外交関係に入りました。その最初には次のように書かれています。

 第一款 朝鮮國ハ自主ノ邦ニシテ、日本國ト平等ノ權ヲ保有セリ。嗣後兩國和親ノ實ヲ表セント欲スルニハ、彼此互ニ同等ノ禮義ヲ以テ相接待シ、毫モ侵越猜嫌スル事アルヘカラス。先ツ從前交情阻塞ノ患ヲ爲セシ諸例規ヲ悉ク革除シ、務メテ寛裕弘通ノ法ヲ開擴シ、以テ雙方トモ安寧ヲ永遠ニ期スヘシ。

 これだけ見ると、いかにも平等に見えますが、他の列強が進めていたのと同様、治外法権を認めさせる一方的なものでした。この条文を冒頭に持ってきたのは、当時朝鮮を朝貢国として冊封していた清国のもとを離れさせようとする意図があるからです。

 しかし、この条約を結ぶかどうか、李王朝は内々清国の李鴻章に助言を求め、同意を得ています。つまり、李王朝は、日本の砲艦外交に対しその場しのぎの国交を結んだもので、条約の精神を受け入れようという気はなかったのかも知れません。

 やや横道にそれましたが、日本がやらなくても他の列強が同様あるいはそれ以上不利な開国を迫ったでしょう。山縣の主権線・利益線論も、伊藤博文が帝国憲法を起草するにあたって教えを乞うたドイツのローレンツ・フォン・シュタイン博士の主張に沿ったものだとされます。
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/16-9dd8.html

 その後の朝鮮は実際にどうだったのでしょうか。イギリスとロシアがアフガニスタン争奪で激しく対立しており、火の粉が朝鮮まで飛んできました。ご承知のようにロシアは1860年に清の隙をついて沿海州を領有、さらに朝鮮の東海岸に出没していました。

 その翌年、文久元年に対馬にロ艦1隻がおしよせ、兵を上陸させて土地を不法占拠しました。しかも、これに抗議した島民1人を射殺し2人を拘束するなどして居座るかまえを見せたのです。このことは、ペルーの来航、日米条約締結の応酬などの陰に隠れあまり知られていません。

 その対馬の南に位置する朝鮮領・巨文島にイギリスが東洋艦隊を乗り込ませ、不法占領のうえ要塞工事を始めたのが1885年3月、その後2年間も居座りました。ロシアの南下を防ぐためですが、朝鮮はドイツ人に外交を任せるなど自主性がなく、清国も相談に乗ってくれませんでした。
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/15-cc4e.html

 山縣有朋の朝鮮=利益線論がでたのは、このすぐ後のことです。3回前のエントリー「歴史認識が合わないわけ」で、日清・日露戦争は自衛戦争の色合いが強く、大陸侵略の意図が鮮明になったのは第1次大戦後だ、と書いたことに複数のご批判がありました。

 明治の「富国強兵策」=「侵略・植民地拡張」という発想は、個人としてはありえますが、すくなくとも日清戦争以前に国策として存在した形跡はありません。また、それ以外のデータからも推測できることがらで、「司馬遼太郎の影響」ではありません。

 いろいろ寄り道をしてしまいましたが、日本の「線」は日露戦争以降「満蒙は日本の生命線」から「大東亜共栄圏」にまで拡張されたのでした。それが日本国民にどれだけ多くの犠牲を強いたのか、すでに忘れかけようとする機運が今の日本にあります。

 現行の憲法でも「主権線」は厳然として存在します。これを否定すれば「国」ではなくなります。しかし、「利益線」の概念は存在しても、これを戦争に訴えることはできません。それにかえて、主権線を守る固い決意と国際ルールにのっとった強い外交力を身につけることです。

 これが、中国の主張する「線」の拡張に対抗できる、日本が守るべき利益「線」になるのではないでしょうか。

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2013年3月21日 (木)

尖閣&仏像盗難

 現在、世界の平和を脅かす火種をかかえているのが東アジアという評価は、何とも残念なことです。軍部の暴発を警戒しなければならないのが北朝鮮と中国の2国でしょう。順位をつければ北の方の可能性が高いのですが、その場合考えられるのが局地戦です。

 米軍が表に出てくるような事態をおそれる中国は、あらかじめアメリカの了解を取っておいて平壌を占領、金王朝に代わる和平構築政権構築に乗り出すのではないでしょうか。金正恩が国民に全幅の信頼を得ていないと判断すればあり得ることです。

 金正恩がそうならないよう軍部をコントロールできていいるかどうか、不透明さは中国以上です。中国の方はようやく全人代が終わり、習体制の手腕が問われることになります。制度上は文民統制があり、軍事委員会主席も確保したので、軍強硬派が突出する可能性はすくないと思います。

 日中間の問題は、尖閣諸島の一点です。双方「固有の領土」を主張している限り厳しい対立関係は解決しません。日本は、実効支配を明治以来(米軍統治期間をのぞく)続けており、中国はその始まりを日清戦争中に掠め取った、つまり知らないうちにとられたとしています。

 しかしその法的根拠も証拠も一切示されていません。またその前の中国が言う史的根拠は同島の存在を観察・確認したものだけで、利用を裏付けるようなものがありません。塾頭が残念に思うことは、このようなシナリオが、かつて一部の日本人学者によって味付けされた形跡がうかがえることです。

 その発想は、同島が日清戦争以前からあった日本人による利用計画や領土化の動きを、日本の帝国主義的侵略意図によるものとしている点です。つまり、日本が常に加害者、被害者は中国という構図が最初からあるということです。これは、歴史の事実より特定の史観を優先させたものとしか言えません。

 前々回の記事「歴史認識が合わないわけ」はまさにそれを言ったものです。「歴史認識」や「歴史の正視」について、例えば韓国との間にある、明治初頭の砲艦外交によってできた不平等条約・「日朝修好条規」が、日本帝国主義のはじまりで、後の日韓併合・植民地化の橋頭堡になった、そして大陸侵略へと邁進する、といった発想は、あまりにも短絡しすぎるのではないでしょうか。

 最近、対馬の寺から盗まれた仏像が韓国に渡り、韓国の裁判所が返還を差し止める仮処分をしたというニュースがあります。中世に倭寇で朝鮮から強奪された可能性があるということらしいのです。

 倭寇による被害というのはあり得ることですが、その一方、当時日本の御家人、地頭といった階層が朝鮮で発達した印刷技術による大蔵経を寺院に喜捨するという需要がふえ、正規の貿易の上位をしめていたということもあります。

 仏像が強奪されたという証拠もなく、こんなところにも加害=日本、被害=朝鮮とするバターンが持ち込まれるようでは、両国の正常な関係を築くことが永久に不可能になってしまいます。やはり、どこかの時点で相互に理解しあうということが必要になります。

 途中で道を誤った。ならばどこでどの角で間違ったのかを探求し、反省すべき点を明らかにするというのが各国の歴史に対する正視の仕方ではないでしょうか。繰り返すようですが、2国関係を加害者と被害者に分け、それに反する見解や時間的経緯を切り捨てるというのは歴史ではありません。

 尖閣問題にかえりますが、日本が平穏裡に実効支配していたという事実は覆しようがありません。東亜侵略の一端として奪取した、というのは「加害・被害」の論理でしかでてきません。塾頭は、あんな小さな無人島の帰趨より、歴史を正しく認識するという国の基本的な姿勢が貫けるかどうかの方を重要視します。

 それだけに、領土としての位置づけさえ確保されれば、国際法上認められている大陸棚開発や漁業協定など、双方にとって最大の利益になるような共同体設立とか、共同利用協定など主権の一部委譲、制限などを盛り込んだ解決方法を考えるべきだと思います。

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2013年3月20日 (水)

世界中大笑い

福島第一原発冷却水循環用電源一斉ダウン!。

「3日たってやっと原因がわかりました。一匹のネズミです」

「全く想定外の事故!!」←東電常務、←安全委員会東大教授

テロ、飛行機事故、何十万年に一度動く活断層、隕石落下……

神話はくずれた――。

「俺ってそんなに偉いのかな?」←死んだネズミ。

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2013年3月19日 (火)

歴史認識が合わないわけ

 Dscf3805 写真は塾頭が不用意に買って後悔した本である。表紙に書かれた文字を帯を含めて書き写す。
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 日本・中国・韓国=共同編集
      未来をひらく
        歴史
   東アジア3国の近現代史
日中韓3国共通歴史教材委員会

日・中・韓の研究者・教師らが共同編集・執筆し作り上げた国境を越えた近現代史!
「第1版」発刊後、再び3国共同で細部の記述のズレを点検・検証、発刊一周年を記念して出版する3国完全修正版!
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 なぜ後悔したかというと、明治維新以降一貫して日本が加害者、中・韓が被害者という視点で書かれており、日本人が担当する部分でも「この天皇の政府のもとで、日本は近代化のための政策と、アジアへの膨張政策をすすめていくのです」というパターンになつていることである。

 塾頭は、日清・日露戦争は膨張政策でなく、西欧列強から侵略をふせぐ自衛の側面が強いと判断しており、中国・朝鮮の安定が主目的で大陸への膨張を企てるような実力はなかった、と見ている。

 したがって、明らかに侵略侵略に踏み込むのは、第1次大戦後の昭和になって、下火となる列強帝国主義に逆行するように、対華21カ条要求で大陸の権益を拡張しようとしたことに始まる。それまでの間、いろいろな人びとが3国の友好・協力関係を模索し努力した事実は、書かれていない。

 加害者と被害者にわけた歴史は歴史ではない。正確さもなければ公正さもない。悲惨な戦争を防ぐためにどうすればいいのか、という参考にもならない。アメリカとイラク・アフガンの戦争で見よう。

 アメリカは9.11でニューヨークの高層ビルなどを破壊された被害者である。襲ったのは、加害者・ビンラデイン配下のテロリストで、大勢の市民が殺された。テロリストは極悪人で抹殺すべきであるとする。同書でも5.15事件や2.26事件をテロリズムだけでかたづけている。
 
 「自爆テロがどうして起きたのか、なぜアメリカがテロリストの標的にされなくてはならなかったのか」の分析や、背景説明がない。これでは完全な歴史にならないのだ。

 本書は、日14、中17、韓23、合計54人の共同編集・執筆ということになっている。ドイツのフリードリヒ・エーベルト財団の支援と寄付が活動資金になっているらしいが、ドイツではナチスに対する深甚な反省が根についている。したがって近隣国から日本のような非難にさらされることはない。

 しかし、第1次大戦からヒトラー出現までの歴史すべてをナチスによる加害などと統括しているわけではないだろう。中・韓からの抵抗はあろうが、歴史認識を合わせるということではなく、日本の姿勢や知見は正しく主張し、場合によっては両論を併記する――。

 これがなければ「新しい教科書をつくる会」の主張に対抗でず、歴史認識に大きな亀裂が生じたまま、より対立が深まる。そのことの方を恐れるのだ。

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2013年3月17日 (日)

大衆行動の奇習

 TPP交渉参加に抗議する自民党系の抗議活動のような映像がTVに写っていた。そろいのはっぴに鉢巻をしめた姿が会場の舞台と客席にあふれている。そこへ石破幹事長が背広姿で演題に現れた。

 「鉢巻を締めてこい!」とヤジが飛ぶ。塾頭は、大勢が鉢巻を締めて引きつった顔をしている姿は嫌いだ。戦時中の女子挺身隊(従軍慰安婦ではない)を思い出すからだ。

 最後に、司会者の掛け声で全員がこぶしを突き上げるようなしぐさ。これは、確か三井三池炭鉱の争議で労働者がやったのが始まりではないか?。今は自民党でも民主党でも慣用している。これも嫌いだ。

 別にTPPに賛成しているからではない。塾頭の意見は、参加して後悔するのと、参加しないで後悔するのを比較した場合、後者の方がダメージが大きいのではないかという程度である。

 ああ、また両方から非難されるなあ……。

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2013年3月16日 (土)

桜開花日

 今Dscf3797日午前、靖国神社の桜が開花し、東京の公式な「桜開花日」となった。気象庁がなぜ靖国神社を選んだかは聞いたことがない。たぶん旧気象台から最も近い桜の名所だからだろう。

 逆に靖国神社が官庁から指定されて決まるのが祀られる英霊である。これは旧厚生省であるが、軍人でないA級戦犯まで指定してしまったので混乱が起き、昭和天皇もおかしいと感じたのだろう、参拝をとりやめてしまった。

 靖国神社から10数キロしか離れていない当地だが、いく筋もの川に隔てられているのでヒートアイランド現象も及ばず、平均気温は1℃ほど低いとにらんでいる。 暖かさにさそわれ、当地の桜如何にと観察に出向いた。そうとうふくらんでいるが、明日はまだ無理そう。その中で今にも開きそうな桜を見つけた(下)。 ただしソメイヨシノではない。ヨウコウ(陽光)桜という新種で紅色の花が 長持ちする。Dscf3802

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2013年3月14日 (木)

小沢秘書裁判&天皇の出番

 今日のニュースとして、小沢一郎の秘書だった石川智裕など3人の高裁による有罪判決がある。小沢氏は昔から政策よりは政局、破壊力と離合集散、政治はカネといった体質がつきまとい好きになれなかった。

 しかし、結果として彼を追い落とす働きをした検察・マスコミなどに妥協することなく、「小沢氏には戦ってほしい」という記事を書いたのは3年以上前である。今回の判決批判は、ほかで多く取り上げられると思うので、結論だけいっておく。

 石川氏に西松建設が5000万円渡したという前提の判決だが、小沢裁判でも取り上げられず、陸山会政治資金不実記載共謀では無罪判決となった。全く逆の結果である。仮に前述のような事実があったとすれば、贈収賄事件として徹底追及すべきだった。

 今判決でいうように、それほど被告が「悪質」ならば執行猶予付き判決などあり得ない。議員を続けるなどとんでもない話になる。事件はますます国民の常識からはずれた方向に迷走を続けることになりそうだ。

 ここでさらに「小沢氏には戦ってほしい」というには、氏か現在おかれている立場があまりにも厳しく、彼の政治力は今まで以上の打撃を受けることになろう。

 今日考えていたテーマは、「主権回復の日」を画策する政権与党の歴史感覚のずれを攻撃する前エントリー「安倍首相の自虐史観」、「ばかげた記念行事」に続く第3弾である。それは、「独立」を祝う日でなく、昭和天皇がさきの戦争への責任をとって退位する最後のチャンスだったということである。

 天皇自身が戦争責任をとって退位を考えていたことは、ポツダム宣言受諾、新憲法施行、東京裁判終結時などいろいろあったと思われる。これは、マッカーサーとの最初の会談で自らの責任を認め、マッカーサーをいたく感激させたという話以外に戦後何度かあった話だ。

 田原総一郎なども天皇退位論に賛成していたが、たしか「講和を機に」といっていたような覚えがある。そうならなかったのは、保守政治家、宮内庁、それにアメリカの強い反対が続いていて機をのがしたということだろう。

 当時の皇太子・今上天皇は19歳、退位すれば後を継ぐことになり、無関心であったはずはない。また戦後の一連の天皇の立場や高松宮など皇室内のさまざまな議論も知っているはずだ。

 昭和天皇も20歳で摂政の地位についている。講和発効から皇室典範の改定整備、即位の礼、大嘗祭などを考えれば、その時点で退位の意向を発表、皇太子20歳もひとつのタイミングだったと思える。

 今上天皇は、これまでも自らの発言の中で、憲法尊重の意志をはっきりさせている。本人の意向にはかかわりなく、今回の「主権回復の日」への参列をことわることはできないだろう。昭和天皇は新憲法成立後も、わりあい政治的発言をタブー視していなかった。公的発言ではないが靖国神社のA級戦犯合祀に批判的で、天皇参拝がストップしている。

 今上天皇も、今度の行事でお言葉を求められたら、是非戦後から講和発効まで特に講和発効について、忌憚ない人間天皇として「歴史に残るおことば」を賜りたいものだ。

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2013年3月12日 (火)

ばかげた記念行事

 政府は今日12日午前の閣議で、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効した「主権回復の日」に当たるとして、4月28日に政府主催の式典を開くことを決定した。戦没者慰霊行事同様、天皇、皇后両陛下も出席するようだ。

 塾頭が予測した通り、沖縄から苦情がでたほかは、各政党、マスコミその他さしたる横やりもでないまま実現するのだろう。塾頭が前々回の「安倍首相の自虐史観」で示唆したように、これを改憲の下ごしらえとして利用しようという魂胆が見え隠れするのである。

 ある高名の歴史学者が、戦争を知らない世代の歴史観は、終戦が時代の切れ目であり、明治維新から戦前までの近代化・躍進のめざましい時代、戦後占領期は屈辱欠史の時代、そして戦後の高度成長といった区分で見がちである、といっていた。

 したがって、戦中・戦後がすっぽり抜けており、講和発効が「日本が独立した日」などという短絡的発想が出てくる。全部とは言わないが、安倍・石破といった右派政治家でなくても、社会全体の中で、塾頭のような戦前からの4時代を知る者が少数派になった。それにともない、戦争への反省が極めて軽易に扱われ、どうかすると歴史から抹消されかねないという危機感に襲われる。

 講和発効の日の頃をもう一度証言しよう。朝鮮戦争は停戦状態だかまだ継続中で、米軍基地は依然として日本に残り、後方支援の意味合いから日本に要求された警察予備隊は「保安隊」と名を変えて、軍隊に一歩近づいた。

 国論は、米国中心の単独講和かソ連圏も入れた全面講和かで2分していた。塾頭は再び戦争に巻き込まれ、兵隊にとられるのが嫌で「徴兵制度反対」の署名活動をしたくらいだ。講和条約は結局ソ連欠席、中国代表は台湾という半端なもので、奄美・沖縄の施政権は放棄した。

 講和と同時に旧安保条約が結ばれ、実質なにも変わっていない。お義理で「おめでたい」と言った人がいたかどうかは全く記憶にないが、講和後が独立国なら講和前も独立国だ。61年目に突然この日を記念日にするというのは、現憲法が不当なものとする意図以外に何があるのか。また、4時代を生きてきた者の歴史を抹殺するような歴史改ざんは、決して容認できない。

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2013年3月11日 (月)

日中、どっちが大人?

Dscf3790_2  写真は、拙宅近所の公園にある中国の有名な文学者であり政治家でもあった故・郭沫若氏の詩碑である。国交回復前の1955年に学術視察団団長として来日した際、亡命中に住んでいたこの地に立ち寄り作詞したものである。

別須和田
      1,草木有今昔,人情無變遷。
     2,我來游故宅,鄰舍盡騰歡。
     3,一叟攜硯至,道余舊日鐫。
     4,銘有奇文字,俯思始恍然。
     5,“此後一百年,四倍秦漢磚。”
     6,叟言“家之寶,子孫將永傳”。
     7,主人享我茶,默默意未宣。
     8,相對查眉宇,舊余在我前。
     9,憶昔居此時,時登屋後山。
    10,長松蔭古墓,孤影為流連。
    11,故國正荼炭,生民如倒懸。
    12,自疑歸不得,或將葬此間。
    13,一終天地改,我如新少年。
    14,寄語賢主人,奮起莫俄延。
    15,中華有先例,反帝貴持堅。
    16,苟能團結固,驅除並不難。
    17,再來慶解放,別矣須和田。

 日本語訳は確定したものが見当たらないのでそのままを写した。最初の1,2を塾頭が訳すと次のようになる。

 「草木に今昔あれど人情に変遷なし。われ故宅に来遊し、近所の人はあらん限りの歓待をしてくれた。」

 隣家の主人が家の宝とし子孫に永久に伝える、というので筆をとったといういきさつが続くが、これを両国民の友好を示すあかしとするため、有志が碑を建て市に寄贈した。

 市もこの意をたいし、氏の旧宅を買い取って公園隣接地に改築移設し、現在「郭沫若記念館」として管理・運営を続けている。当ブログでも外観の映像を含め過去2度にわたりこれを紹介した。
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-814a.html
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2005/05/post-814a.html

 片や中国では、党の肝いりで各種反日記念館、教育イベント、常設シアターのような形での日兵の残虐行為宣伝がおおはやりで、盛況をきわめているという。日本のこの記念施設は、閑古鳥が鳴くありさまだが、妨害を受けたとかペンキをかけられたなどということはない。

 一方、靖国神社の遊就館のような例はあるが、小泉時代の頃にくらべあまりはやっていないようだ。このところ、慎太郎ちゃん、晋三ちゃん、茂ちゃん(石破)の3シ兄弟が変なことをしでかさない限り、日本の方が大人の対応をしている。「反戦老年委員会」の復刻作業で「三酔人経綸問答」のシリーズを復活↓させたが、これが明治以来の常識・常態であり、今が異常なことを知るべきだ。

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2013年3月 8日 (金)

安倍首相の自虐史観

 「改憲派の陰謀?」いやいや安倍首相はそんな悪知恵の働く人ではない。党の公約というが、起案した人はともかく、承認した人はその程度の「歴史認識」しか持っていなかったし、ただ子どものようにそれに従っただけだろう。

 サンフランシスコ講和条約発効の日に、独立を祝う政府主催の記念式典開催をするという案のことである。7日に開催した予算委員会で、野田毅委員の質問に対し首相は次のように答えた。

 1952年、4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効致しました。7年にわたる長い占領期間を終えて、我が国は主権を完全に回復を致しました。つまり独立を手に入れたわけでございます。既に60年を経ているわけですね。

 むしろ若い方々の中には我々はかつて主権を失っていた、7年という長い占領期間があったんだということも、知らない人立ちも増えているわけでございまして、そんな中で、ご存知のように憲法、あるいは教育基本法といっった、日本をかたちづくるそうしたものも、その期間に出来たわけでございますが、この、いわば4月28日、60年前の4月28日に独立をした。

 首相たちはなぜ60年前の当日、そして60年間の間独立を祝う記念日がなかったのかを分析し考えても見なかったのだろうか。その理由はおおきくいってふたつある。それは、占領中も独立国民としての誇りを持っていたことと、ソ連の入らない不完全な講和で、日米安保によりいわゆるサンフランシスコ体制で占領軍を残すことになったからである。

 そのようなことは、安倍さんの祖父・岸さんがよく承知している。歴史修正主義者ならいざ知らず、占領期間中は「独立国でなかった」などという暴論を平気で国会答弁する神経は、まさに戦後の日本再建を果たした先輩を愚弄する「自虐史観」そのものではないか。

 この間にできた憲法をはじめ、あらゆる法律が独立国でないので無効だといいたいのだろう。戦後になってはじて女性も参加し、年齢に達していれば誰でも立候補できる民主的な選挙で選ばれた議員からなる国会や地方議会ができた。

 そして象徴天皇、国民主権、基本的人権、三権分立を定めた憲法のもとで、破壊・貧困の中から復興に努力し、占領軍と渡り合ってきた先輩日本人は、現在以上にプライドの高い日本国民だった。

 さらにもう一つある。沖縄と奄美大島をアメリカの委任統治下におくということで、この日に日本からもぎ取られたことだ。沖縄決戦を戦った沖縄県民にすれば、琉球処分に次ぐ屈辱の日以外のなにものでもないのだ。沖縄を切り放した「独立を祝う日」を主催する政府のために、辺野古埋め立ての承認判を押せという神経は、とても正常な大人のものとはいえない。

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2013年3月 7日 (木)

違憲議会に改憲発議権なし

 昨日6日に東京高裁が昨年末の衆院選に「違憲」判決をだした。安倍総理以下当選議員は全員「違憲選挙選出議員」ということになる。今後、同様の訴訟が全国14の高裁・支部で審理され、今日の札幌高裁をはじめ、今月中に判決が出そろう。

 上告を受けて最高裁の判断も遠くなく示されるだろうが「合憲」の判断は絶対ありえない。朝・毎・読・産経の社説も珍しく判決支持で一致している。つまり、改憲の発議などできるわけがないということだ。

 この異常の状態のまま4年の任期を続けることは、民主主義の息の根を止めることに等しい。選挙無効なら直ちにやり直し、といっても区割りを決めなくてはできない。それならば至急選挙法を改正のうえ、正当性のある国会議員を選ぶ選挙をしなくてはならないのだが、そんな緊迫感は一向にただよってこない。

 なお、前回当塾の前身を復刻版として掲載することを「お知らせ」として発表したが、その作業中にこんなのを発見した。明治時代の「美しい日本」熱望してやまない安倍首相に是非知っておいてもらい。

[反戦老年委員会復刻版]

2005年11月4日

憲法改正手続き

 明治憲法、昭和憲法、自民党改憲案それぞれの改憲手続きを復習。微妙なところで、その性格の違いが表れています。

 大日本帝国憲法発議=勅命を以て議案を帝国議会の議に付す。 議決=両議院は各々その総員の三分の二以上の出席を要し、その三分の二以上の多数で議決。

 日本国憲法発議=各議院の総議員の三分の二以上の賛成で国会が発議。承認=国民投票において、その過半数の賛成を必要とする。

 自民党(1次・塾頭注)改憲案発議=衆議院又は参議院の議員。 提案=各議院の総議員の過半数の賛成で国会が議決し国民に提案。 承認=国民投票において、その過半数の賛
成を必要とする。

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2013年3月 6日 (水)

旧ブログの復刻(お知らせ)

 塾頭がブログを始めたのは2005年4月で、名称は「反戦老年委員会」でした。その後、2007年9月にプロバイダーを変更し、「反戦塾」として再出発の上、現在に至っております。

 前ブログは、最初取り上げたテーマが「反日デモ」で、小泉首相の靖国参拝に議論が高まり、郵政民営化抜き打ち解散などが話題になった年から始まっています。

 小泉チルドレンが大勢当選し、現首相・安倍晋三が官房長官になりました。自民党第一次改憲案が発表され、現在はあたかもその時代にひきもどされたような感じです。

 現在、そのブログをネットで見ることはできませんので、当塾に古い日付を入れた「復刻版」として掲載することにしました。ただ、リンクの無効やカテゴリの不適合等、そのままというわけにいきません。

 したがって、コメント、トラックバック、画像などをカット、少しずつ再編集しながら掲載しております。現在2005年10月まで進みました。右サイドバーの「バックナンバー」という字をクリックし、現れた最初の月別ファイルで見ていただくことができます。

 利用方法や、記事ご案内等は、復刻が完了した後、改めて掲載したいと思っています。以上、併せてご閲読願えれば幸甚に存じます。

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2013年3月 5日 (火)

どこまで続く殺戮

 【カイロ=田尾茂樹】エジプト北部ポートサイドで3日から4日にかけて、デモ隊と警官隊が衝突し、保健省によると、警官2人を含む5人が死亡し、500人以上が負傷した。(3月4日21時49分YOMIURI ON-LINE配信)

.【カイロ時事】イラクからの報道によると、同国西部アンバル州アカシャトで4日、武装勢力がシリア人の車列を襲撃し、シリア兵やシリア政府職員計40人とイラクの警備要員数人を殺害した。(2013/03/05時事ドットコム配信)

【ニューデリー杉尾直哉】バングラデシュで2月28日に起きた野党「イスラム協会」(JI)による反政府暴動は週末も続き、治安部隊との衝突で新たに約20人が死亡、4日までの死者総数は約60人に上った。(毎日新聞13/3/5朝刊)
 
 【ニューデリー杉尾直哉】パキスタン最大都市の南部カラチにあるイスラム教シーア派のモスク(イスラム礼拝所)近くで3日、爆発があり、市当局によると、女性や子供を含む少なくとも45人が死亡、約150人が負傷した。現地からの報道によると、車に仕掛けられた爆弾が爆発したという。イスラム教スンニ派武装勢力で、「パキスタン・タリバン運動」の傘下にある「ラシュカレジャングビ」などによる爆弾テロの可能性が高いという。(毎日新聞 13年3月4日 東京夕刊)

 アルジェリアにしろエジプトにしろ、日本人が死ぬと連日大報道になる。しかし上記のような記事がほとんど毎日のように報道されているのに関心は低い。アメリカが中東から手を引いたところであだ花的な「アラブの春」が開いたのもつかの間、残虐な暴動や殺戮があとを絶たない。

 アメリカの関与がなくなったことで、日本の自衛隊がからむ「国際貢献」もかげが薄くなった。9.11にウサマビンラディンがかかわっていたかどうか、いまだに真相は分からないが、パレスチナ人を追い出したイスラエル、それを支持するアメリカ、イスラムの聖地であるサウジに常駐する米軍、そんな相関関係が取りざたされていた。

 しかし上記のような紛争に、説明しきれるような対立構造が見当たらない。イスラムシーア派対スンニ派、イスラム原理主義対世俗派、民族抗争、いろいろ言われるがいわゆる「聖戦」には程遠い。最大の原因は貧富の差ではないか。

 先進国が内紛に関与するようなことが減ったのはいいことだが。その貧富の差を先進国が作り出しているとすれば直接干渉以上に罪が深い。米、ロ、中、仏、日、それぞれ身に覚えがないか反省してみる必要がある。

 同時に、治安維持だけを目的とする国連自前の「国際警察隊」など、この際検討してみるだけの価値があるのではないか。

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2013年3月 3日 (日)

反戦塾乗13/3/3

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Dscf3780 今、戦争を知らない政治家が憲法を改正して戦争をしやすくしようとしている。戦争でどれだけ人が苦しむか、想像力がない。想像力がないということは愛がないということです。

(瀬戸内寂聴「毎日新聞/東京・朝刊」)

Dscf3779 羽後雪譜

 秋田新幹線が脱線した理由、塾頭にはすぐわかった。降り積もった雪より低い線路の上に台風並みの吹雪で吹き溜まりができる。その圧縮された硬さは、「吹き溜まり」といった生易しいものではない。(写真NHKニュース)

 ラッセル車でさえそれに乗り上げ、立ち往生している現場を見たことがある。列車が不通でそれに沿った道を歩いて通学していたからだ。

 その、道路の方はどうか。普通は人の歩くところが周囲の雪より低くなるのが当たり前だが、ここでは逆だ。歩くところは踏み固められて残るが、周りの雪は風に飛ばされて低くなる。

 だから、馬の背を歩くような感じになる。でもそれ以外のところよりは歩きやすいのだ。一番歩きやすいのは馬(牛)橇の通ったあとで舗装道路以上。それに飛び乗るのがさらに楽ちんなのだが、馭者さんにはよく怒られたものだ。

[追加]直近のニュースで吹雪により、北海道では8人が車の立ち往生などで死亡したことを知った。

 先に掲載した『北越雪譜』に下記を追加する。以下のくだりは、夫婦が嫁の里へ初孫を見せに行くという話に続いている。

 天色倏急(にわか)に変り黒雲空に覆ひければ[是雪中の常なり]夫空を見て大に恐怖、こは雪吹ならん、いかゞはせんと踉蹡[ためらふ]うち、暴風雪を吹散事巨濤の岩を越ゆるがごとく、飈(つちかぜ)雪を巻騰て白竜峯に登がごとし。

 朗々(のどか)なりしも掌をかへすがごとく天怒地狂、寒風は肌を貫の鎗(やり)、凍雪は身を射の箭(や)也。夫は蓑笠を吹とられ、妻は帽子を吹きちぎられ、髪も吹みだされ、咄嗟(あわや)といふ間に眼口襟袖はさら也、裾へも雪を吹いれ、前身凍呼吸迫り半身は已に雪に埋められしが、命のかぎりなれば夫婦声をあげほういほういと哭叫ども、往来の人もなく人家にも遠ければ助る人もなく、手足凍て枯木のごとく暴風に吹僵(ふきたふさ)れ、夫婦頭を並て雪中に倒れ死けり。

 此雪吹其日の暮に止、次日は晴天なりければ近村の者四五人此所を通りかゝりしに、かの死骸は雪吹に埋られて見えざれども、赤子の啼く声を雪の中にきゝければ人々大に怪み、おそれて逃んとするも在しが、剛気の者雪を堀てみるに、まづ女の髪の毛雪中に顕たり。

 扨(さて)は昨日の雪吹倒れならん[里言にいふ所]とて皆あつまりて雪を堀、死骸を見るに夫婦手を引あひて死居たり。児は母の懐にあり、母の袖児の頭を覆ひたれば児は身を雪をば触ざるゆゑにや凍死(こゞえしな)ず、両親の死骸の中にて又声をあげてなきけり。

 今回の事件も似たようなことが起きている。塾頭が子供の頃は、雪深く猛吹雪時の外出は「死と隣り合わせ」と教えられ、出るにしても集団でなければならなかった。それでも、帝国陸軍の雪中行軍で聯隊が全滅した八甲田山の例がある。

 現在の「車社会」過信が、このような事態を招いたのだ。古くからある教えを軽視して大災害を招いた例は東日本大震災でも経験している。しかし、雪害についてそれをいう人はあまりいない。

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2013年3月 1日 (金)

押し付けられた憲法

 安倍首相は憲法を全面的に変えたがっている。何をどう変えるのか、自民党案があまりひどい案なので議論することを避け、とりあえず96条の改正手続き、すなわち国会議員の3分の2の発議で国民投票ができるのを2分の1として垣根を低くしようという案を先行させようという魂胆だ。

 なぜ、そんなに急がなければならないのか。差し迫った必要があるのかの説明は一切ない。唯一のキャッチフレーズは「GHQに押し付けられた憲法だから」が幅をきかせているだけだ。

 塾頭は、去年まで制定当時の空気を知る者として「全面的に押し付けられたわけではない」という主張をし続けてきた。しかし今年からそれをやめて、「押し付けられた憲法」と書いているのにお気づきの方もいるかも知れない。

 そう、押し付けられたのだ。押し付けられたのは「護憲派」である。その代表格が当時の幣原内閣の憲法担当国務大臣・松本烝治など、戦中の指導層である。護憲派は憲法改正はできるだけ避けたい、するとしても最小限度にとどめたいと思っていた。

 つまり、戦争には負けたが国体は維持できた。だから触りたくないという意識だ。GHQは、ソ連やアメリカ国内の天皇を裁判にかけろという声が大きくならないうちに、しっかりした自主憲法を作らせたかったが、毎日新聞のスクープで松本試案が明るみに出てしまった。

 その保守的な代わり映えのしない案に驚いたマッカーサーは、「これじゃあだめだ天皇を守りきれなくなる」というので、大至急見本をぶつけたのだ。必死に抵抗した松本にとっては、まさに「押し付けられた」といっていいだろう。

 安倍首相の祖父・岸信介も、戦犯として獄中にいなければ「護憲派」の最右翼になっていたはずだ。もう一度いうが押し付けられたのは(明治憲法)護憲派で、大多数の国民ではない。

 戦後初の選挙で選ばれた国会議員が、吉田首相の提出した「押し付けられた」憲法草案を審議し一部訂正の上賛成可決したのだ。歯を食いしばりくやしなみだで賛成票を投じたのではない。また公布の日には、皇居前で天皇を前にして国民は「万歳」で祝ったのだ。

 護憲派にとっては「押し付けられた」ことに間違いない。しかし、講和後にアメリカから催促されても改正を断り、護憲派やその子孫が改正したがったかも知れないが、半世紀保ちつづけた憲法を「押し付けられた」といったところではじまらないのである。

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