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2013年1月28日 (月)

「ものの哀れ」を知る武士道

 前々回の「反戦塾乗」で、日本人の心として茶人・利休の画像に添えて「ものの哀れ」を取り上げた。「わび・さび」の精神とは、やや異質の感なきにしもあらずである。利休は茶道で師弟関係にある豊臣秀吉の「勝者として」のあくなき執念に「もののあわれ」を感じ、それを理解できない秀吉が利休に切腹を命じたものではないかとというのが、塾頭の勝手な解釈である。

 「ものの哀れ」の「もの」とは何か?。「もの」ほどいろいろな使われ方をする言葉はないが、塾頭は、もののふ(武士)、もののべ(物部=軍事をつかさどる部民)、ものがたり(平家物語)など、いくさ、戦いを意味する「もの」ではないかと思う。

 日露戦争の戦記で、水野広徳海軍中佐(執筆当時)が書いた『此一戦』という、旅順港封鎖や日本海海戦などをえがいた戦記がある。その批評を大町桂月は、次のように書いた。(『帝国軍人の反戦』朝日文庫)

 書を読んで先ず嬉しく思わるるは、審(つまびらか)に委(くわ)しく我軍の偉勲を記したるのみならずして大いに敵軍を審にしたるに在り、而して寄せ得べき限りの同情を寄せたるに在り、武士は物の哀れを知る、著者の態度が既に日本武士の精神を発揮せるを見る也

 広徳は、海軍兵学校を明治31年に卒業し、37年の日露戦争まで、北米などの遠洋航海でそれぞれの民情観察の機会に恵まれた。33年には中国で発生した義和団事件のため上海警護の任につき、各国の軍隊と接触・交流する機会を得た。

 こういった経験が、各国の民情・実態を客観的に観察し、戦いに勝っても負けても多くの善良な市民の命が失われていく不条理に目を向けるきっかけとなった。

 今日の勝者が明日の敗者となるのも東西を問わず戦いの常である。勝ったからと言っておごり高ぶり、敗者に思いをいたすことなくさげすむことに厳しい批判の目を向ける。「兵は凶器なり」で書き出し、「国大と雖も、戦いを好む時は必ず亡び、天下安しと雖も、戦いを忘るゝ時は必ず危し」でしめくくっている。

 しかし、広徳の警句や願いは一般国民、民衆の耳に届かなかった。下記はすくなくとも昭和10年代まで、数え歌、手まり唄として歌い継がれた俗謡である。歌詞は広徳の見識・憂慮から遠い”劣情”(↓参照)
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-e0f9.html
の勝ったものである。大正から昭和へ、そして大戦を経て国が亡びた。

 見事な復興を果たした日本、そして周辺国に、またぞろはびこる”劣情”の現状を憂えずにいられない。

♪一裂談判破裂して
 日露戦争始まった 
  さっさと逃げるはロシアの兵
  死んでも尽くすは日本の兵
  五万の兵を引き連れて 
    六人残して皆殺し
  七月八日の戦いに 
    ハルピンまでも攻め入って
  クロバトキンの首を取り 
    東郷元帥万々歳

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コメント

子供のころに剣道を習っていた私から言うと「武士道」は、今の大相撲と同じように強いもの(横綱)は相撲道の手本でなければならないのと同じように、やはり「武士道」も強くあり尚且つ社会の手本となることが究極であろうかと思います。ですから弱い剣士が「武士道」というのはつまらない虚勢でしかありません。さらに言えば剣士でない者が「武士道」を言うのは愚弄されているように怒りを覚えます。
明治は身分制度が解放された時代です。あの時はご都合主義の戯言であって、ついでに言えば官僚主義の念仏として陳腐化してしまった「武士道」でしかありません。(心技体)本当に強い者は「道」を軽々しくは発しないものです。また、発するべきではありません。

投稿: ていわ | 2013年1月29日 (火) 22時46分

ていわ さま
コメントありがとうございます。

中学の正課に柔道と剣道がありました。そのほかに教練では銃剣術というものも。

そのいずれも武士道というのを習った覚えがありません。やはり戦時中は邪魔な存在だったのでしょうか。

投稿: ましま | 2013年1月30日 (水) 09時39分

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