« 天皇と沖縄と政治 | トップページ | 安保世論の混迷 »

2012年12月29日 (土)

大正・昭和・平成

 下は永井荷風『葛飾土産』の中にある一文。これに何も付け加えることはないし、またそうすべきでもない。時代をどう感じ、過去から未来にどう思いを託すか。引用ではうかがうことのできない文豪の片りんも、著作権存続がないおかげでそのまま紹介ができる。ただそれだけである。

 わたしくの若い時分、明治三十年頃にはわれわれはまだ林檎もバナナも桜の実も、口にしたことが稀であった。むかしから東京の人が口にし馴れた果物は、西瓜、真桑瓜、柿、桃、葡萄、梨、栗、枇杷、蜜柑のたぐいに過ぎなかった。梨に二十世紀、桃に白桃水蜜桃ができ、葡萄や覆盆子(いちご)に見事な改良種の現れたのは、いずれも大正以後であろう。

 大正の時代は今日よりして当時を回顧すれば、日本の生活の最豊富な時であった。一時の盛大はやがて風雲の気を醸し、遂に今日の衰亡を招ぐに終わった。われわれが再びバナナやパインアップルを貧(むさぼ)り食うことのできるのはいつの日であろう。この時代をつくるわれわれの子孫といえども、果たしてよく前の世のわれわれのように廉価を以て山海の美味に飽くことができるだろうか。

    昭和廿二年十月

|

« 天皇と沖縄と政治 | トップページ | 安保世論の混迷 »

エッセイ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/468248/48515171

この記事へのトラックバック一覧です: 大正・昭和・平成:

« 天皇と沖縄と政治 | トップページ | 安保世論の混迷 »