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2012年10月25日 (木)

『戦後史の正体』

 外務省官僚だった孫崎亨氏が表題の図書を刊行し、現在ベストセラーズになっているという。戦後の政治家を対米追随路線型と対米抵抗路線型(書中では「自主路線」)に峻別し、追随を「悪」、抵抗を「善」とした一種の暴露本である。

 読み物としては面白く読めるが、序章に「高校生でも読める戦後史の本」と定義づけているのは、「歴史」とあるだけに大変危険である。「高校生でも」とはずいぶん見下した物言いだが、高校生は決してこれが「歴史」だとは思わないでいただきたい。

 塾頭がそれを強く感じたのは、占領期から講和条約締結後にかけて外相・総理をつとめた吉田茂を追随派の代表にして、占領期が全く暗黒の時代だったと一方的に決めつけている点である。憲法を押し付けられ、言論統制がしかれ、日本国民の自由がなくなったような表現である。

 塾頭のような庶民にとっては全く逆で、生活は苦しくてもその解放感はたとえようのないものだった。「青い山脈」など当時の流行歌を知るだけでそれは証明できる。ただし、旧戦争指導者層、既存権力者層にとってはそうでなかったかも知れない。

 孫崎も引用した書籍としてあげているが、「ああ、江藤淳現象だな」とピンときた。江藤は塾頭とほぼ同年代で同じ時代を生きているが、彼が的にしているのは東京裁判や占領政策そのものを、膨大な保管資料を分析し、その正当性に疑問を投げかけたもので、当時の国民がGHQの洗脳を受けていたようなことはことは書いていない。

 江藤は、東京裁判の不当性を立証しようとした。それが国粋右翼つまり、日本の戦争突入は正しかつたとしたい人たちのバイブルになったことだ。右翼でなくても、敗戦の厳しさと戦時体制からの解放感を味わったことのない人達が、占領期の6年間を暗黒と決めつけてしまう傾向が歴史の歪曲であるという危機感を塾頭は持っている。話が横道にそれるといけないので、同書の第一章から例をあげておこう。

 重光は、「占領軍に対するこびへつらい」を激しく批判しました。それは政治の世界だけでないのです。次の半藤一利著『昭和史』(平凡社)の記述には驚かされました。
 「進駐軍にサービスするための『特殊慰安施設』が作られ、すぐ『慰安婦募集』がされました。いいですか、終戦の三日目ですよ」(以下略)

 重光とは重光葵のことで、ミズリー艦上で降伏文書に日本の全権大使として調印にあたっている。孫崎は、「米追随」の吉田茂の対極に抵抗派・重光を置く。上述慰安設備起案の時の外務大臣は重光である。彼の知らない間に事が進んだというのだろうか。

 のちに、同じ内閣で吉田に交替しているのを取り違えていたのではないと疑うが、ずさんな誤解されやすい書き方である。この一件が「こびへつらい」などではないことを過去を知る者として書いておく。

 平時の沖縄でさえ婦女暴行事件が起きる。まして生死をかいくぐってきた占領軍兵士が占領地の市民に向けて暴行や掠奪を働くのは当然のように思われていた。やや古い話になるが、明治33年の北清事変の際、北京を攻撃した日英仏露連合軍のうち、勇敢でありかつ軍規が守られていたのは日本兵だけだったとされ、賞賛を浴びたことがある。

 また、第1次大戦では、ドイツが農村に至るまで生活の根拠を徹底的に破壊され、報復的な賠償を課せられて第2次大戦の遠因になったことも知られている。無条件降伏が何をもたらすか、この時期の常識として最悪の覚悟で臨んだのは当然である。

 もう一つ、朝鮮の従軍慰安部問題でもこれまでに言ってきたことだが、公娼制度はほめたことではないものの当時は合法的な制度で、そのもとで運用される限り道徳に反するとか、社会的に受け入れられない存在ではなかった。それだけに強制や詐取など「性的奴隷」のような運営は厳しく規制されていた。現在の法律や感情で当時を批判する権利は誰にもない。

 その進駐軍用慰安施設は8月27日には東京大森で開業し、1360名の慰安婦が揃ったという。進駐軍がそこをどう利用したかしなかったかはわからないが、占領は混乱もなく円滑に進んだ。米軍も日本側の協力により、想像していたような抵抗を受けることなく進駐できたことに意外感を持っていた。

 進駐は、首都圏だけでなく地方にも及んだ。そういったところには前述のような施設はない。しかし各地には既存の「女郎屋」があった。進駐軍兵士がよく利用していたことは塾頭も見聞きしている。GHQはそれらの利用を推薦していたのだろうか。

 人権意識や男女同権を日本国民に徹底させようという意味からもそういったことはない。逆に占領翌年には公娼制度の見直しを要求、翌々年には売淫させたものを処罰するポツダム政令まで出している。

 しかしいわゆる「赤線」は存続し、売春禁止法が成立したのは講和後5年もたった昭和31年になってからだった。占領軍のご機嫌伺いとは全く関係のないことがわかるだろう。こういうのを本当の「自虐史観」というのである。

 占領政策の円滑な遂行は、ポツダム宣言を受け入れた以上、吉田が指向した「負けっぷりのよい」協力により、マイナスを最低限にとどめる上で必要だった。われわれの知っている吉田は昭和初期の激しい国際舞台をかいくぐり、イギリス仕込みの大使を経験し、戦中は東条に反抗して逮捕される経験も持つ貴族趣味のリベラリストである。「こびへつらい」とは、最も縁の遠い人物というのが当時の印象である。

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コメント

戦後は遠くなりにけり   ですね。
私は戦後生まれですが、親父は明治生まれです。戦後の第一感は開放感であると聞いています。
貴族趣味のリベラリスト、そのイメージも思い出しました。
「歴史」とは怖いものです。

投稿: 飯大蔵 | 2012年10月25日 (木) 22時18分

飯大蔵 さま こんにちは。

最近は100年以上200年ぐらいたたないと本当の歴史は出てこないのかな、と思うようになりました。生存者の証言、海外での歴史検証、埋蔵思慮の発見などです。

戦争は遠くなりけり、がこのところ戦後は遠くなりけりで気になります。

投稿: ましま | 2012年10月26日 (金) 11時16分

終戦後、庶民が開放感を感じたのは戦時体制が解除されたからですよ。
空襲もなくなったし灯火管制もなくなった。
戦争に負けたのは悔しいけど、不自由な恐ろしい諸々が消えてヨカッタヨカッタとなったのです。
ただ、進駐軍が占領体制を正当化するため、日本の旧体制を「悪」と印象付ける政策を採ったのは事実。
昭和20年冬あたりからNHKで始まった「真相はかうだ」とか「真相箱」といった番組がそう。
その集大成が東京裁判だったのは言うまでもありません。
日本国憲法もまた正当化の小道具のひとつで、自分たちが1週間のやっつけ仕事で作成した草案を吉田らに「下賜」してあたかも日本人が自ら創りだしたかのように偽装し、念の入ったことに帝国憲法の改正規定に則って衆議院・貴族院で可決成立させ、天皇の名によって裁可したものだから外見上は文句のつけようがない改正となりました。
とはいえ、日本政府の上に最高権力たるGHQが乗っかっていて、日本政府をコントロールしているのだから、そのような体制で創られた憲法案はどのような内容であれ本来無価値・無効なのです。

投稿: ミスター珍 | 2012年10月27日 (土) 22時43分

「真相はこうだ」は実際によく聞きました。「真相はかうだ」と書かれるのは出典(本)からの知識だと思います。

人気番組だから、学校でもよく話題になります。放送が始まる前から大本営発表がうそで国民をごまかしていたのを知っているので、「そうだろうな」と思うことと「日本の常識とどうしてこんなに違うのだろう」と思ったことがあります。

先生はこんなことを言っていました。「同じ10銭銅貨を見ても裏と表は模様が違う。戦争に勝った国と負けた国では同じことでも全く逆に見える。もっとも、英語には裏と表を表す言葉はないけどな」

憲法が押し付けられたのは事実です。石原知事は、「副詞や助詞の使い方もまちがっているあんな憲法」といっていますが、実際の日本文を完成させたのは、当時の法制局第一部長佐藤達夫という人です。

日本の法文つくりではプロ中のプロ、達人とされた人です。この人が米担当者と時には喧嘩腰でやりあい、徹夜の作業で日本に合う表現に変えさせました。

最後は先方も彼に一目置くようになったようです。こんな先輩たちのことも知っておくべきです。国会で一部修正のうえこの案を通し、講和後変えたければ変えられる(9条など米国がそれをうながした)のに変えませんでした。

東京裁判が一方的なのもその通りです。しかし国民は公開された法廷で、ちゃんとした弁護人をつけまがりなりにも一応の手続きを踏みました。

占領軍は絶対的権力を握っています。本来なら日本人に発言権はありません。しかし日本国民は、旧軍部にくらべれば民主的にみえました。

上官の命に従ったBC級戦犯には同情の声がありましたがA級は、これで彼らの時代は終わったんだという感慨以上でも以下でもありませんでした。

投稿: ましま | 2012年10月28日 (日) 18時20分

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