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2012年10月

2012年10月31日 (水)

先制攻撃、つきあいますか

 片道1930Kmというとほぼ中国の南京から東京までの距離に相当します。そこへジェット戦闘機8機や給油機など計12機の軍用機を飛ばしていきなり外国の首都近くを空爆、工場を破壊炎上させ死者2名をだしたという信じられないような話が、実際におきました。

この件は大きく報道されることがなくほとんど知られていないので、経過がわかる「毎日JP」をそのまま引用します。

 【ロンドン小倉孝保】スーダンの首都ハルツーム南部の軍需工場が爆撃された事件で英紙サンデー・タイムズは28日、西側軍事筋などの話として、作戦はイスラエル空軍がイランへの核施設攻撃の予行演習を兼ねて空爆したと報じた。

 同紙によると、爆撃作戦は24日未明、イスラエル軍のF15戦闘機8機で行われた。うち4機が1トン爆弾を2発搭載、他の4機は護衛役だった。また、墜落など不測の事態に備えて、救出部隊としてイスラエル軍のCH53ヘリコプター2機が事前にスーダンの現場周辺で待機。そのほかスーダン防空レーダーに対し妨害電波を出すため空軍機1機、紅海上で燃料を供給するための給油機1機が作戦に加わった。

 イスラエル南部の基地から出撃した戦闘機は、紅海を南下してエジプトの防空システムをすり抜ける形でスーダン領空に侵入し、ハルツーム南部に到達した。往復約3860キロ、計4時間の飛行だった。

 この軍需工場では、イランが指導する形で、イランの弾道ミサイル・シャハブが製造され、パレスチナ自治区ガザに密輸される予定だったという。今回の作戦はガザへの武器密輸阻止のほか、将来、イランの核兵器開発が明確になった場合、イラン国内の核施設を空爆する電撃作戦の予行演習も兼ねていたと西側軍事筋は明かしている。イスラエルからイラン中部までの直線距離は、イスラエルからハルツームまでの距離とほぼ同じ。

 ハルツームでの爆発では2人が死亡。スーダン政府は「イスラエル軍が実行した」と主張しているが、イスラエル軍はコメントしていない。(毎日新聞 2012年10月29日) 

 以上についての真相はわかりません。しかしイスラエルが関与したことは爆弾の残骸など証拠もあり疑う余地がなさそうです。スーダンは「報復の権利がある」と宣言しているようですが、国連の司法裁判所や安保理に持ち出すということにもなりそうです。

 そうすると、どうなるでしょう。これには1981年6月7日に似たような前例があります。同じイスラエルによるオシラク空爆です。オシラクはイラクのバグダード近郊で、原子炉を建設中でした。国連安保理でイスラエルの代表はどう弁明したでしょう。豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』から引用します。

 オシラク空爆は「道徳的にも法的にも自己保存のための本質的な行為」であり、一般国際法と憲章五一条に基づいた「固有かつ自然権としての自衛権の行使である」と言明した。こうした自衛権を主張する根拠として、オシラク原子炉の稼働を放置するならば「イラクは八〇年代の半ばまでには核兵器を製造する能力を獲得するであろう」ということと、さらにはイラクのフセイン体制はイスラエルを国家として認めず殲滅をはかる「無責任で残忍で好戦的な体制」であり、こうした「破廉恥な体制」が核兵器を持つことになれば、イスラエルにとって「きわめて重大な危険」が生み出されることは明らかである、ということが強調された。

 この主張に対し、非常任理事国だった日本をはじめスペイン、ウガンダ、シエラレオネも反論し四面楚歌の有様になりました。結局、満場一致で非難決議が採択されましたが、アメリカはイスラエルが問題の解決のために平和的手段を十分に尽くさなかった」という点で「賛成」という、なんだか条件付きのような歯切れの悪い賛成のしかたでした。

 今回の空爆がイラン空爆の予行演習だとするとオシラク以上の大胆さです。先制攻撃を認めたブッシュ・ドクトリンや「テロとの戦い」の潮流に自信をつけ、「国連は無視していい存在」と決め込んでいるのでしょうか。これまでになくアメリカの責任が高まったと言えましょう。

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2012年10月29日 (月)

高校生の読書力 2

 前回の続編ということで、今回は戦時中の中学5年(現・高2)による詩を2首。(『誇りを胸に』新潟県立村松高等学校100周年記念誌)

南京城陥落    五年生

今ぞ南京陥落の
挙ぐる勝鬨こだまして
天地の間に轟けり
頭上に高く荒鷲の
世紀の目覚め告ぐるなり
あゝ感激の極みなる。

東天高く昇る日に
遥か故国を仰ぎ見る
勇士の顔の輝きや
一番乗の光栄を
声高らかに名乗る時
日章旗風にひるがへる。 

死線を越ゆる幾度ぞ
生死誓ひし戦友は
江湾鎮の激戦に
はた蘇洲河の渡河戦に
果敢なく露と消去りぬ
感慨何ぞ無量なる。

戦果つるは何時の日か
更に兜の緒をしめて
正義の刃振りかざし
蜀の山路も踏み分けて
進む行く手におとづるゝ
平和の鐘の音を聞かん。

戦死者の子    五年生

夕暮れの街に
軍服の小さな子一人
一人垣根に沿うて歩きぬ
サーベルの音寂しく聞こゆ。

夕暮れの街に
友は帰りぬ父母の許へ
一人丸木の門を潜りて
急いで小刻みに走りぬ。

夕暮れの街に
やはらかな灯つき
一人母の膝に抱かれ
丸い目に涙ながしぬ。

夕暮れの街に
軍服の小さな子
母と共に夕げに就きて
仏前に煙たちぬ。

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2012年10月28日 (日)

高校生の読書力

 孫崎亨氏が自著・『戦後史の正体』を「です・ます調」にし、「高校生でも読める」としているのを見て、「……でも」というのは見下した表現だなと思ったことを前々回書いた。ところがこのほど「学校読書調査」 というのが公表された。

 それによると「5月の1カ月に本を何冊読みましたか」の設問で0冊という答えが、高校生で53%にのぼり、小中学生の5、16%の下を行く結果になった。これでは見下されても仕方ないのかな――と思ったが97年には70%あり、これでも大幅に改善されたのだそうだ。

 以下は大正8年(1919)、中学5年生(現在なら高2)の作文である。筆者がお元気なら110歳を超えるお年だが、塾頭にも書けないこの文章が読めれば、高校生の解読力合格ということにしよう。(田村大作「意気ある青年たれ」『臥龍』新潟県立村松高等学校創立100周年記念、より抜粋)

 今や西欧の戦雲は漸く散じ、平和の曙光は再び輝き初めたとは言へ。あの戦ひの神はあの恐ろしさうな形相に悲痛の色を浮べ、つぶやきながらも遂に人間の手を離れて、平和の曙光が再び輝き初めたとは言へ。彼の衣擦れの音も静かな平和の女神の足下には弱肉強食の暗雲が渦巻き、彼の金光璨爛たる正義人道の金看板の後には「マイト、イズ、ライト」の囁きが聞えている。

 ……東洋の平和は永遠に確保する事が出来るか……国際連盟は果して列強の争闘を防止する事が出来るか。……これを思ひ彼を思へば我等第二の国民たる者は、決して、空しく桃源の夢に酔うて居るべき時ではない。何時迄も無気力、不活発の謗りを受けているべきではない。諸君よ自覚し給へ!!

 その後の十数年、政争に明け暮れする政治家や威張り散らすだけの軍部が中学生並みの自覚があれば……。歴史には「もしも」がないのだ。

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2012年10月26日 (金)

石原君の往生際

 読んでいただいている方ならご存知の通り、塾頭の最も忌み嫌う意見の持ち主が石原慎太郎である。しかし、同じ時代を生きてきたので言葉の断片部分では共感するところもある、と書いたこともあった。

 しかしそれはほんの0コンマ何%である。昨日の報道で都知事を辞任して新党を立ち上げるという。彼は若い時から目立ちたがり屋だった。政治家になってトップに立って「かっこよく」振舞いたいというのが人生目標だったのではないか。

 国会議員ではそれが果せなかった。だからトップを狙うなら都知事が早道だし派手な発言を好き勝手にできるという動機があったに違いない。しかしそれには政治家として最低限度の「品性」が必要である。発言に対してマスコミが糾弾することもないので、会見などでは言いたい放題である。

 華麗ではなく加齢のせいか、自制の利かない発言がこのところ目立つ。立ち会っていたたわけではないので、毎日新聞(10/26)記事をそのまま引用する。

 石原知事は同日の会見で、国家財政に関して経済界は認識不足であると厳しく批判しつつ、経団連の米倉会長を「たぬきみたいなおっさん」とこきおろした。

 米倉会長も当塾からすると天敵のような存在である。しかし個人の身体的特徴をあげて、狸だとか豚、犬、猿などと、たとえネット上の無名ブログであろうとも、上の引用でさえはばかれるという表現だ。橋下大阪市長は、週刊朝日に対して、個人の出自曝露や差別助長の恐れがある記事に猛攻撃をした。彼ならこれをどう思うだろうか。

 オリンピックにしろ尖閣買収にしろ当人にとってはかっこいい発言かも知れないが、結局は尻切れトンボで終わる可能性が強い。憲法問題もそうだ。改正ではなく廃棄するのだという。占領軍に作らせられた、というが、その占領軍でさえ帝国憲法の廃棄はできなかった。

 橋下大阪市長も、その法的無謀さを指摘している。つまり、ほとんどが空中楼閣で終わっているのだ。今回の新党立ち上げも、彼にとって有終の美を飾る結果にはならないと思う。

 同年代のよしみで言っておこう。「石原君、大事な一生だ。かっこいいのは、いかに往生際をよくするかが第一なんじゃないの?」と。

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2012年10月25日 (木)

『戦後史の正体』

 外務省官僚だった孫崎亨氏が表題の図書を刊行し、現在ベストセラーズになっているという。戦後の政治家を対米追随路線型と対米抵抗路線型(書中では「自主路線」)に峻別し、追随を「悪」、抵抗を「善」とした一種の暴露本である。

 読み物としては面白く読めるが、序章に「高校生でも読める戦後史の本」と定義づけているのは、「歴史」とあるだけに大変危険である。「高校生でも」とはずいぶん見下した物言いだが、高校生は決してこれが「歴史」だとは思わないでいただきたい。

 塾頭がそれを強く感じたのは、占領期から講和条約締結後にかけて外相・総理をつとめた吉田茂を追随派の代表にして、占領期が全く暗黒の時代だったと一方的に決めつけている点である。憲法を押し付けられ、言論統制がしかれ、日本国民の自由がなくなったような表現である。

 塾頭のような庶民にとっては全く逆で、生活は苦しくてもその解放感はたとえようのないものだった。「青い山脈」など当時の流行歌を知るだけでそれは証明できる。ただし、旧戦争指導者層、既存権力者層にとってはそうでなかったかも知れない。

 孫崎も引用した書籍としてあげているが、「ああ、江藤淳現象だな」とピンときた。江藤は塾頭とほぼ同年代で同じ時代を生きているが、彼が的にしているのは東京裁判や占領政策そのものを、膨大な保管資料を分析し、その正当性に疑問を投げかけたもので、当時の国民がGHQの洗脳を受けていたようなことはことは書いていない。

 江藤は、東京裁判の不当性を立証しようとした。それが国粋右翼つまり、日本の戦争突入は正しかつたとしたい人たちのバイブルになったことだ。右翼でなくても、敗戦の厳しさと戦時体制からの解放感を味わったことのない人達が、占領期の6年間を暗黒と決めつけてしまう傾向が歴史の歪曲であるという危機感を塾頭は持っている。話が横道にそれるといけないので、同書の第一章から例をあげておこう。

 重光は、「占領軍に対するこびへつらい」を激しく批判しました。それは政治の世界だけでないのです。次の半藤一利著『昭和史』(平凡社)の記述には驚かされました。
 「進駐軍にサービスするための『特殊慰安施設』が作られ、すぐ『慰安婦募集』がされました。いいですか、終戦の三日目ですよ」(以下略)

 重光とは重光葵のことで、ミズリー艦上で降伏文書に日本の全権大使として調印にあたっている。孫崎は、「米追随」の吉田茂の対極に抵抗派・重光を置く。上述慰安設備起案の時の外務大臣は重光である。彼の知らない間に事が進んだというのだろうか。

 のちに、同じ内閣で吉田に交替しているのを取り違えていたのではないと疑うが、ずさんな誤解されやすい書き方である。この一件が「こびへつらい」などではないことを過去を知る者として書いておく。

 平時の沖縄でさえ婦女暴行事件が起きる。まして生死をかいくぐってきた占領軍兵士が占領地の市民に向けて暴行や掠奪を働くのは当然のように思われていた。やや古い話になるが、明治33年の北清事変の際、北京を攻撃した日英仏露連合軍のうち、勇敢でありかつ軍規が守られていたのは日本兵だけだったとされ、賞賛を浴びたことがある。

 また、第1次大戦では、ドイツが農村に至るまで生活の根拠を徹底的に破壊され、報復的な賠償を課せられて第2次大戦の遠因になったことも知られている。無条件降伏が何をもたらすか、この時期の常識として最悪の覚悟で臨んだのは当然である。

 もう一つ、朝鮮の従軍慰安部問題でもこれまでに言ってきたことだが、公娼制度はほめたことではないものの当時は合法的な制度で、そのもとで運用される限り道徳に反するとか、社会的に受け入れられない存在ではなかった。それだけに強制や詐取など「性的奴隷」のような運営は厳しく規制されていた。現在の法律や感情で当時を批判する権利は誰にもない。

 その進駐軍用慰安施設は8月27日には東京大森で開業し、1360名の慰安婦が揃ったという。進駐軍がそこをどう利用したかしなかったかはわからないが、占領は混乱もなく円滑に進んだ。米軍も日本側の協力により、想像していたような抵抗を受けることなく進駐できたことに意外感を持っていた。

 進駐は、首都圏だけでなく地方にも及んだ。そういったところには前述のような施設はない。しかし各地には既存の「女郎屋」があった。進駐軍兵士がよく利用していたことは塾頭も見聞きしている。GHQはそれらの利用を推薦していたのだろうか。

 人権意識や男女同権を日本国民に徹底させようという意味からもそういったことはない。逆に占領翌年には公娼制度の見直しを要求、翌々年には売淫させたものを処罰するポツダム政令まで出している。

 しかしいわゆる「赤線」は存続し、売春禁止法が成立したのは講和後5年もたった昭和31年になってからだった。占領軍のご機嫌伺いとは全く関係のないことがわかるだろう。こういうのを本当の「自虐史観」というのである。

 占領政策の円滑な遂行は、ポツダム宣言を受け入れた以上、吉田が指向した「負けっぷりのよい」協力により、マイナスを最低限にとどめる上で必要だった。われわれの知っている吉田は昭和初期の激しい国際舞台をかいくぐり、イギリス仕込みの大使を経験し、戦中は東条に反抗して逮捕される経験も持つ貴族趣味のリベラリストである。「こびへつらい」とは、最も縁の遠い人物というのが当時の印象である。

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2012年10月22日 (月)

今こそ安保見直しを 2

 前回紹介した過去記事「自衛隊は違憲か」は09年2月7日のものだった。その中で「第2の安倍晋三がいつ復活してもおかしくないのである。それをどうやって防ぐのか。それには、現実を認めてそこから可能な範囲の是正を一歩ずつはかり、しっかりした安定世論に支えられるようにするしかない」と書いている。
 
 安倍から福田を経て麻生の時代に入っている時期だが、「第2の安倍晋三」が本当に出現しかねない昨今になってしまった。また記事内容を見ても現在に当てはめてなんら矛盾を生じない。つまり、その後政権交代があったものの、鳩山の変節により周辺状況はなにひとつ変わっていないということだ。

 そこでは、イラクの空輸作戦への自衛隊派遣が違憲に当たるということと、自衛隊の存続そのものまで否定する主張は、むしろ護憲に害をなすといったことも書いている。今回はその結論を導いた枠組みを、国連憲章や戦後の歴史を踏まえながら考えてみたい。

 そのキーワードは、憲法、集団的自衛権、国連憲章の3つである。さらにそれらを整理して導き出した結論を4つ上げてみたい。

 1.憲法9条の原案は、国連の発足を前にして将来あるべき理想として取り上げたものである。
 2.自衛隊は、国の自然権(個人に暴力から身を守る権利同様)として備わっているものであって、その規模・任務・性格等は、それぞれの国の自主性にまかされる。
 3.国連憲章51条の規定にある「個別の自衛権」「集団的自衛権」は憲章の原案になく、作成の過程で各国からの要求を議論の末取り込んだもので、加盟国の権利ではあるが義務ではない。
 4.イラク等で行使されたブッシュ・ドクトリンによる武力行動は国連憲章違反であり、その基本理念を取り入れた日本国憲法からみて、自衛隊による米軍の支援はできない。

 国連憲章をここで詳述する余裕はないが、1.~3.は国連創設当時の解説書などを読み感じたことで、日本国憲法は日本を無力化するための押しつけという説がはやっているが、アメリカ独特の理想主義が働いていたこともまた事実と言わなければなるまい。

 国連憲章の骨子は、第2条4「武力による威嚇又は行使を、……慎まなければならない」と第42条の安保理決定による軍事的措置、および上記3.に上げた第51条である。その51条全文参考のため掲げる。

第51条[自衛権]
 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び赤前の維持に必要な措置を取るまでの間、個別的または集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当たって加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

 上記の3.についてさらに言及すると、第1次大戦の反省に基ずく不戦条約や国際連盟が存在したにもかかわらず、「自衛」という名目、あるいは「戦争」ではないという理由をかかげで戦線を拡大し、第2次大戦を避けられなかった経緯から、国連憲章では「自衛」「戦争」という言語を当初から使わない配慮をしていた。

 第51条が挿入されたのは、アメリカの「集団的自衛権」の主張に始まる。そのため、英、仏などから異論や別提案があり論争が行われたが、結局安保理の枠を越えた例外規定のような位置づけで妥協点に達する。

 アメリカの主張は、安保理の常任理事国に拒否権が認められたため、すでに締結済みの米州会議の条項が生かされなくなるというものだった。すなわち、締結国である中南米ラテン各国など、拒否権発動で他国の攻撃を受けた場合、小国で弱体なため固有の自衛権を行使しきれない。そこで、条約にある「加盟国1国への攻撃はたの加盟国への攻撃と見做す」という共同防衛の義務遂行を有効なものにするという趣旨だ。

 だから今、与野党議員をはじめジャーリズムの一部にも蔓延する「集団的自衛権容認論」は、解釈改憲の便法であり、国連が想定したものとは全く異質のものだというのが塾頭の考えだ。言葉からして2国間で取り決めたことを「集団」というのはおかしなことだ。

 それを実現しないと、国連による国際貢献への参加もできない、というのは本末転倒も甚だしい。さらに、安倍晋三のように攻守同盟と集団的自衛権をごっちゃにするような論理は、到底受け入れられるものではない。

 最後にブッシュ・ドクトリンの結論を掲げると、「脅威が増大すればするほど行動しないことの危険性が増大し、かくて、たとえ敵の攻撃の時間と場所が不特定な場合であっても、我々を防衛するために専制的(preemptive)に行動することがいよいよ求められることになるということ」であった。(豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』)

 これを、「非戦闘地域がどこであるか、そんなこと私がわかるわけがないでしょ」と言った小泉元首相発言と一脈通じるところがある。国連をないがしろにして先制攻撃論を振り回し、にせ情報を根拠に100万人をこえる犠牲者を出しながら8年も戦い続けたアメリカ。これとどう付き合っていくのか、初心に戻ってじっくりと考える時期に来ている。

【参考】
2009年2月 7日
自衛隊は違憲か
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-e509.html

2009年11月19日
安保条約事前協議
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-c2ce.html

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2012年10月21日 (日)

今こそ安保見直しを

 政権交代後民主党政権は落ちるところまで落ちた。それでも塾頭がかすかながらも期待を残しているのは沖縄米軍基地問題を改善し、アジア善隣外交を軌道に乗せるには鳩山内閣発足当時に針を戻すしかないからである。

 鳩山を「ルーピー」などといつて宇宙人扱いし揶揄した人々、その震源地はアメリカでなく日本人った可能性が強い。防衛・外交官僚や財界・アナリストがその中心であろう。このところ、普天間の辺野古移転どころか、オスプレーを新たに配備し、おまけに米兵による婦女暴行事件までそれに加わった。戦後の占領時代以上に基地が増え、治外法権がそのまま続いているのが沖縄だ。

 沖縄住民の傷口にこれでもかこれでもかと塩をこすり付けている政府当局。これ以上進むと暴動か琉球独立運動しか抵抗手段がなくなる。政府に抗議する仲井間知事の表情にそれがはっきり浮かび出ているではないか。

 また、アメリカの良識ある人はすでにそれに気がつき始めている。民主党は手順を誤ることなく、地位協定の見直し、ガイドラインと沖縄基地のありかたにつてい再検討に持ち込むべきだ。知米派・前原誠司の役どころでもあり、安倍自民党政権阻止の決め手にもなる。

 ただし、アメリカには世界戦略があって日本にはないというままでは、決して成功しない。原発の安全神話に依存し続け、国民の生命財産を守りきれなかったことと同じような構図が安全保障問題にもあるのだ。

 原発における全電源喪失と同じようなチェックポイントが、憲法・集団的自衛権・事前協議の形骸化・国連憲章・ブッシュドクトリンなどである。当塾には「自衛隊は違憲?」といった検索が多く寄せられている。次回はこの点から考えてみたい。

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2012年10月19日 (金)

幣原外交と孤立する日本

 1932年(大正12)9月1日、関東大震災が起こった。この時、幣原喜重郎は駐米大使から帰任し、大阪方面を旅行していた。急きょ上京しようとしたが列車は名古屋でストップ、長野県を経由する信越線遠回りコースに切り替えた。以下『人物・日本の歴史』読売新聞社、より。

 途中、ある駅のプラットホームで、興奮した群衆が一人の朝鮮人を取り囲んで、こいつが東京で石油缶を持ち歩いて火をつけて焼いたのだと、私刑を加えようとした。

 幣原はその中へはいって、なんの証拠があるのかと反問し、証拠もないのに自分の同胞をいじめ、それをまた見物しているというのは日本のつらよごしである。たとえ悪いことをしたとしても、懲罰するのは警察とか、裁判所であり、勝手に乱暴するのはよくない、と群衆を厳しく叱責したといわれる。

 このあと、満州事変に至るまで何度か外相を務め、日本の孤立化に歯止めをかけようとする国際感覚重視の「幣原外交」を展開する。そして、同書は次のように続ける。

 同時にそれは幣原外交の発想に、当時の日本の風土とはいくぶん異質なものがあったことをも語るもので、それだけに一般からは不評を招くおそれがじゅうぶんにあったことを示しているといえよう。

 さて、これを現在の中国や韓国で起きている民衆の動き、そして日本の一部にある偏狭なナショナリズムを考え併せて考えてみるとどうなるか。「当時の日本の民度はこの程度だったのだ」でかたづけられるだろうか?。

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2012年10月17日 (水)

反戦塾乗12/10/17

【軽忽】
 東洞院藤原公賢という人は、建武の中興を主導し、南北朝分裂のもととなった後醍醐天皇の前代、花園天皇の時代に禁中の要職についた。そして、南北統合の1年まえまで北朝の太政大臣を務めた由緒ある貴族だ。綿密な日記を書き続け、南北時代の有力な史料を残したことで有名である。

 南北の激しい攻防戦を受け、京が混乱のさなかにあった頃である。三宝院賢俊僧正という人が国政への参加を求め、これが許可された。この人物について公賢は「頗る軽忽(すこぶるきょうこつ)」と日記で表現し、不快の念をあらわにしているのをある書で発見した。

 「軽忽」、塾頭がはじめて目にする熟語である。「軽率にして粗忽」と読めてしまう。僧賢俊は「世情の形勢」を理由に、公賢らが意図した伝統行事を延期するように誘導する。公賢はこの横やりに対し「驚き存じ候」「言語道断」となげいている。

 「軽忽」、言い得て妙というか、なんとなく今を時めく大阪の売れっ子政治家を思い出してしまうのである。
 
 【どじょうの頭は左へ左へ】
 これは、先週書いた記事のタイトルである。今日の毎日新聞を見ると、「近いうち解散」の時期に関連し、安倍自民党総裁が野田首相の発言を「2度ほど食事を共にしたことがあり信頼している。鳩山・菅両氏とは違う」という趣旨のコメントをしている。年内解散実現によほど自信を持っているようだ。

 ということは、塾頭のいう「身投げ解散」で、民主党からの反野田グループの大量脱党、同党の劇的な惨敗を見越し、当選者を中心にした右派連立または吸収を夢見ているのだろうか。野田を信頼しているというのは、前言から見て右派としての波長が合ったということだろう。

 もしそうなら、とても総理などの役職など務まらない「大アマ」の観測で政治家としてもどうかと思ってしまう。「どじょうの頭は左へ左へ」といったのは、前のマニフェストから「消費増税を4年間しない」という部分を変更し、脱原発を明確化させるほかは、外交・経済を中心に前回の主な内容を復活させ、自民党との対立軸を際立たせることにつきる。

 つまり、右へ右へとハンドルを切り過ぎたのをもとに戻すだけである。野田や野田支持勢力にとってそれほど難題とは言えないだろう。また、国民に対する裏切りでもないと思うのだが、果たして選挙に勝てる秘策が構築できるかどうか。野田と安倍の器量を問い直す重要な試金石となろう。

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2012年10月15日 (月)

関東軍と中国人民解放軍

 日本の「関東軍」は、日露戦争後租借地となった遼東半島(関東州)の狭い範囲を守る守備隊の名称であった。それが後に満州から中国へとマンモス化し、中央の指示に従わず陸軍を牛耳って国を危うくしたことは知られている史実である。

 関東軍はいつまでたっても「関東軍」を名乗った。それと同じのが「中国人民解放軍」である。抗日戦争で、そして国共内戦で抑圧された貧しい農民・人民を圧政から開放するための「解放軍」であったはずだ。

 だからあくまでも国の軍隊ではなく、今だに政党の軍隊として存在する。解放されていない人民がいるのならともかく、航空母艦まで持ってどこの人民を開放するつもりだろうか。台湾?、悪いが本土よりずっーと解放されている。

 名前を変えようとしないところに、肥大化したアウトロー的な権力機構のにおいを感ずる。日本陸海軍の最高指揮官は天皇であった。職業軍人ではないので、一応「文民(民ではないが……)」ということにしておこう。

 軍は明治憲法にある「統帥権」をたてに、政治の容喙を許さなかった。軍が陸海軍の大臣推薦を断れば内閣が倒れるという、軍高・政低の仕組みがあった。中国の最高指揮官は、党中央軍事委員会主席・胡錦濤である。彼は毛沢東、鄧小平のような軍歴がなく、文民である。

 副主席に習近平がいるが、見習のようなもので事実上委員会は胡錦濤以外全員制服組である。つまり旧日本軍でいえば天皇と同じ立場だ。トップが素人という弱みからシビリアンコントロールが機能しない。党中央委員会というのがあるが、多分利権の巣窟で伏魔殿のようなものだろう。公開されていないのでわからない。

 いずれにしても三権分立とはなっておらず、最高裁にあたるものも党総書記である胡錦濤の手の内にある。今回報じられている重慶の薄熙来が死刑になるか終身刑になるか、死刑は温家宝が主張し胡錦濤は終身刑にという噂もどこまで本当かわからない。

 さて、尖閣諸島をめぐる中国の常軌を逸した強硬姿勢であるが、どこからその方向付けが出てくるのかである。どうやら答えは、「人民解放軍」制服幹部ということになりそうだ。すこし長いが次の引用を見ていただきたい。(清水美和「対外強硬姿勢の国内政治」『中国は、いま』岩波新書)

 〇八年一二月には尖閣周辺の日本領海に国家海洋局東海海監総隊の巡視船二隻が侵入し、九時間も徘徊して尖閣への主権を主張する前代未聞の事件が起きた。海監は海上保安庁に当たる政府機関だが、前身は海軍海洋調査隊で、一九六四年の創設当時から要員も海軍で訓練され、海軍の別働隊と言える組織だ。

 中国の外交関係者によると、その後の内部会議で、この航行を指揮した司令官は尖閣周辺侵入を上層部にはかることなく単独で決断し、侵入時は無線を切り外交問題になるのを恐れる本部の帰還命令をさえぎったと得意げに報告した。司令官に対する口頭注意はあったものの、処分はまったく行われず、司令官は「われわれは功を立てた」と得意げだったという。

 胡自身、こうした党内の強硬論に押される形で海洋権益確保の姿勢を強めていき、先に述べた〇九年七月の第一一回中外使節会議で鄧小平の「韜光養晦」外交の修正に踏み込んでいった。

  以上で見る通り、独断専行下剋上の実態は昔の関東軍と選ぶところがなく、危険な道を突っ走っていることや、胡錦濤なども当初からのものではなく権力保持のために本心をまげたたということがわかる。

 なお、政府の態度表明に先立ち、中国メディアに軍人が盛んに登場し、ネットに「愛国情熱」とか「売国奴」などの書き込みをあふれさせ、世論形成を試みる手法は今回盛んに見られたが、米韓による黄海合同演習の際にも使われており、最近の常套手段となっているのだ。

 本塾としては、中国の武力行使など常識ではあり得ないことながら、関東軍の例もあり最低限その備えを持つと同時に外交の高度化に全力を挙げることが必要だと考える。今は無理でもこれからの政治に期待したい。

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2012年10月14日 (日)

秋も閑地

市中の散歩に際して丁度前章に述べた路地と同じような興味を感ぜしむるものが最(も)う一つある。それは閑地(あきち)である。市中繁華なる街路の間に夕顔昼顔露草車前草(おおばこ)なぞいう雑草の華を見る閑地である。
 

  以上ご存知永井荷風の「日和下駄第八閑地」の出だしである。

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(手前)カヤツリグサ、メヒシバ、タチイヌノフグリ?。(中ほど赤点)イヌタデ一名アカマンマ。乞う拡大=画面クリック

Dscf3718 ススキ以外は、どうも人の手がかかっている。秋爛漫の花盛り

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2012年10月13日 (土)

ノーベル平和賞に「EU」!?

 EUがノーベル平和賞受賞というニュースだ。

 当塾では、その発端である欧州石炭鉄鋼共同体成立の歴史的経緯からその後の発展などを多く取り上げて記事にしてきた。そして、民主党鳩山内閣発足当時、「東アジア共同体」という言葉だけが独り歩きしだし、当塾はそれを機に「東アジア共同体」というカテゴを設けてその中で考えることにした。

 しかし、受賞を喜ぶというより、「なぜ今ごろ?」という驚きの方が大きかった。塾頭の憶測としては二つ理由がある。ひとつは、ユーローの通貨危機が、共同体の基本理念を忘れさせたり揺るがすようなことがあってはならないということと、アジア、特に日中の軋轢が予想以上に深刻に伝えられていることだ。

 さらにもうひとつ付け加えれば、欧州でも戦争を知らない世代が増え、生まれた時はすでに共同体ができていたため、その欠点の方に目が向きがちであるということと、日本などでも、そういったことの知識がまるでないことへの注意喚起の意味もあると言えよう。

 当ブログで最も多い検索のジャンルは、小学生などの読むべき戦争の図書選びに次いで、「ECとEUの違い」とか「EUとNATOの関係」あるいはEUの年表と言ったものである。当ブログがそれらに答えきれていないし、不十分でであることは承知している。

 EUは、ユーローの関係で経済問題として耳目を集めているだけで、EUの歴史的経緯、その組織や機関および「国家」との違いと権限などを総合的に解説した一般向けの図書かほとんどといっていいほどないことが問題だ。鳩山氏の「友愛」も金満家の趣味程度にしか理解されていなかった。

 今回の受賞が新聞でトップ記事にならなかったものの、他の面では解説する紙が多く、社説に取り上げたのは大手では「朝日」だけであった。受賞を機に、腰の据わったEU紹介機運が高まってほしいものだ。

 「EUと平和」、「東アジア共同体実現の可能性」など具体的な問題については、当塾にとって大きな課題だがやはり材料が少なく、今回は「折にふれ上述のカテゴリで書いていきたい」という願望程度にとどめておく。

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2012年10月11日 (木)

どじょうの頭は左へ左へ

  本塾では7月10日に「どじょうの頭は右へ右へ」という題で記事を書いた。中味は女性宮家に関する皇室典範改正の保守指向の案作成や、国家戦略会議フロンティア分科会が提出した「日本の将来像を提言する報告書」に関するものだ。塾頭には、消費増税案成立のための自民に対する「すり寄り」と映った。

 そしてさらに、10月2日には「解散は遠のくな……」を書いた。これは、その後の党首会談による「近いうち解散密約」や問責決議、民・自両党の党首選挙を経て、党人事と内閣改造の顔ぶれを見た上での感想である。

 マスコミは、依然として野党の願望(小沢新党と維新は内心できるだけ遅らせた方がいいと思っているという説あり)である離党者続出による年内解散を必至とみている。しかし塾頭は、よほどのハプニングでもなければ、そこに至る筋道が見出せない。

 たしかに、過半数にはぎりぎりのところまで来た。しかし反野田であっても、惨敗覚悟の解散を望む議員はまずいない。自ら脱党届を出して維新とかみんなの党の人気で次期選挙の当選を有利にしたいと思う「脱藩者」にとっても、最近の世論調査などで見るようにそれらが決して居心地のいい逃亡先にならないことがわかってきた。

 野党側にとって、解散に強制力を持たす手立ては、不信任案しかない。そういった手続きなしに5代も短命内閣が続いた。各国から足元を見られ外交は史上最悪だ。野田首相には自らその轍を踏むことだけは避けたいという願望があるだろう。国会でどんなにいじめられようと「じっと我慢の子」でいる覚悟だ。

 進退窮まってというなら、解散でなく辞任という手もある。自民党は過去散々その手を使ってきた。噂の域を脱しないが、いざとなれば緊急法案を通したあと首相が辞任し、後任に細野政調会長を選んで安倍自民党に勝てる体制を組む、というのがある。これはちょっと「どじょうか金魚のまねをする」ようで野田のモットーに合わず、すぐ実現とはならないだろう。

 一方で、首相は細野政調会長に民主党の新マニフェスト作りを急ぐよう指示している。広く意見を聞いて、という注文があり、現執行部の方針の先をを行く可能性がある。輿石幹事長との共同作業でどういうものになるか注目される。解散総選挙の早期実施にそなえて、という観測が盛んだが、その完成が解散時期を決めるということにはならない。

 選ばれたばかりの野田代表が、党の壊滅的敗北を承知しながら「身投げ解散」(塾頭造語)などするはずがない。やはり、選挙で勝つことを意識しているのだ。自民の安倍総裁にまつわる改憲など右寄施策、新自由主義、首相辞任に至った健康などの頼りなさなどが攻撃目標となる。勝利するためには、当然それに対抗する明確な対抗軸を争点にする必要がある。自民と似たようなものでは、とても勝てない。

 この前の一連の人事は、原発問題、憲法・安保・基地問題、外交、経済そのたあらゆる面で「左へ左へ」と頭を振り向ける準備ではないかと見た。それにより、党内の反野田派を懐柔して脱藩者を防ぎ、野党の中でも社民・生活をはじめ、あわよくば公明や自民のリベラル指向組のシンパシーを得て、民主中心の安定政権を図るという手もある。

 解散とか辞任とか、新代表選びとかそれらを勘案して最善の時期を見計らって判断するというのが野田の戦略ではないか。ドジョウではないとんだタヌキだが、そのタヌキにさえなれない政治家より多少ましかもしれない。これは、例によって塾頭の妄想に過ぎないことをお断りしておく。

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2012年10月 9日 (火)

冬鳥いらっしゃい

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右の2羽、ヒドリガモ。左3羽、ハシヒロガモ。例年より早いのか遅いのか、例年通りか、そこはわかりません。遠くの島の白点はチュウサギ、これはは留鳥。

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2012年10月 8日 (月)

オスプレーと甲子園の土

 沖縄普天間基地へのオスプレー配属のTV報道を見ていると、「市街地をヘリ・モードで飛んだ」とか「日米合意に反する運用の仕方」がどうのなど、市民の声を拾って「沖縄の市民は迷惑している」といったレベルの内容が多い。

 そんなことだから、本土の人間の中には「そうだよなあ、たしかに気の毒だけど、尖閣はあの通りだし、台湾・中国にも飛んで行けるというから米軍がいることは心強い。少々のことは我慢してほしい」などという輩(政府や与野党の中にも多い)がでてくるのである。

 沖縄はこれまでずーっと日本を守るため「少々のこと」?に我慢させられてきた。ところが沖縄の駐留米軍が日本のためにいるのではないことがだんだんわかってきた。オスプレーを持ってきたのも、そんな目的でないことはちょっと勉強した人なら誰でも知っている。

 沖縄が反対し、怒っているのは、オスプレーだから、普天間だから、辺野古だからということではない。沖縄の米軍基地存在そのものが危険であり、生活を圧迫しているからである。

 尖閣が中国人に占領されたら(あり得ないことだが絶無の保証はない)奪還のため普天間から海兵隊を大勢乗せたオスプレーが飛び立つか?。それこそあり得ない。たとえステルス戦闘機が護衛について制空権を確保しても、着陸の際岩陰に隠れた数人の敵から携帯用ミサイルとか迫撃砲1発で爆破される。

 米軍が日本にいるのはアメリカ人を守るためで、日本人は自衛隊が守るのが基本だ。無人島を守るのに米兵を犠牲にすることなどあり得ない。それどころか「中国固有の領土の守備兵に攻撃を加えた」という理由で、普天間基地に弾道弾ミサイルを撃ち込んでくるかも知れない。

 もう尖閣争奪ではなく全面戦争だ。それが台湾ならなお確実に沖縄全島は再び戦場となる。こんな危険、沖縄の人は口には出さないがどこかで思っているに違いない。それでも本土の人は「我慢してくれ」というのだろうか。それならば昔のように独立国になったほうが……という考えも出るだろう。

 安保条約というのはよくできている。安倍の祖父・岸は旧安保が不平等で、有効期限の定めもなかった。まずそれから改めるべきだという強い信念で10年たったら見直し、その後はどちらかが申し出なければ1年毎の自動更新ということにした。

 それが、条約には手をつけず、地位協定やガイドライン・指針、合意事項などでどんどんアメリカの言いなりになり、安保を同盟と言いかえるようになった。再びいう。安保はよくできている。しかし冷戦もはるか遠くなった現在、協定やその他もろもろ、見直す時期に来ているだろう。

 沖縄が米軍統治下にあった1958年夏、同県から初めて甲子園に出場した首里高の監督・福原朝悦さんが6日、84歳で亡くなった。今日の午後葬式。福原さんは帰路の船内で選手たちに、記念に持ち帰ろうと袋に詰めた甲子園の土が植物検疫に抵触するため沖縄に持ち込めないことを伝え、選手たちは土を海にすてたという。

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2012年10月 5日 (金)

養ひ飼ふ物には

 散歩を日課とする塾頭。遊歩道のある公園に行くと犬を連れた人の多いこと、それも最近は小型犬2、3匹というのが相場で圧倒している。手ぶらで歩くのは、何か気恥ずかしいほどである。そこで、今回は吉田兼好『徒然草』からの借用。

 養ひ飼ふ物には馬牛。繋ぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてはかなはぬ物なれば、いかがはせん。犬は、守り防ぐつとめ、人にも勝りたれば、必ずあるべし。されど、家毎にある物なれば、殊更に求め飼はずともありなん。

 その外の鳥獣、すべて用なきものなり。走る獣は、檻にこめくさりをさされ、飛ぶ鳥は、翼を切り、籠に入れられて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁止む時なし。その思我が身にあたりて忍び難くは、心あらん人、これを楽しまんや。

 生を苦しめて、目を喜ばしむるは、桀紂*(けつ、ちゅう)が心なり。王子猷(ゆう)が鳥を愛せし、林に楽しぶを見て、逍遥の友としき。捕へ苦しめたるにはあらず。凡そ「珍しき禽(とり)、怪しき獣、国に育(やしな)はず」とこそ、文にも侍るなれ。(*桀紂=残虐で国を滅ぼした中国の王) 

 当時は政治が不安定で、南北朝の政権交代をめぐり京都争奪戦に明け暮れしていたはずだが、貴族の多く住むあたりは、現在に似てペットブームだったのだろうか。世の中物騒だったとみえ、番犬の効用だけは認めている。

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2012年10月 3日 (水)

反戦は嫌戦と違う、だが好戦とは戦う

 今日の毎日新聞のオピニオン面、投書などが載るページだが塾頭にとって非常に刺激的なものがあった。いずれも尖閣諸島など領土問題に関連するものだ。まず、ブリュッセル支局斎藤義彦記者による「記者の目」である。タイトルは「欧州から見た領土問題――日中韓は共同体作り目指せ」である。

 当塾には「東アジア共同体」というカテゴリがある。民主党のマニフェストに明記され、鳩山首相の演説にもあって、「ようやく日本もここまできたか」と感激して追加増設したものである。しかしマスコミをはじめ、この問題はほとんど無視といっていいほど冷淡な扱いを受け、まともな議論すらなかった。

 それがようやく、一記者とはいえ新聞に意見として乗るようになったのは進歩だといえる。もうひとつが「領有権の主張を凍結しては」という70歳の女性の投書である。この方は南極条約を例に挙げているが、竹島・尖閣がどの国の領土でもないという解決は、資源利益利益などを共有したとしても無理があり問題をあとに残すことになろう。

 さらにもう1件は、59歳女性の「中国デモに戦争の恐怖覚えた」である。その最後に「私は万が一でも戦争と引き換えにする領土など欲しいと思ってはならないと思う」とある。

 これらを見て塾頭が感じたことのひとつは、竹島、尖閣が区別されていないこと、特に尖閣が中国の理不尽な言い分で尖閣の実効支配を奪取しようとしている事態が、内外に正しく理解されていないことである。その点の政府の矛盾ある態度について、本塾はたびたび指摘してきた。言いたいことを言わないで真の解決も友好も生まれるはずがない。

 今回痛感したのは、標題で見る通りそのことではない。「反戦は嫌戦と違う、だが好戦とは戦う」という塾の基本姿勢が世の理解から遠いのではないか、という点である。

 上記の2番目の投書主は、安倍晋三とほぼ同世代の戦争を知らない世代であるが片や好戦的、片や嫌戦的に見えてしまうのはなぜだろう。いずれも「戦後」の影響は多分にあるものの「戦争に対する実感は遠いのだ」と思ってしまう。

「反戦」がウリの塾頭も、当然その生まれ故郷は「嫌戦」である。そして、そんな戦争にどうしてなってしまったんだろう、避けられなかったのはなぜかで人生のほとんどを過ごしてしまった。

 その中で、嫌戦だけでは戦争は避けられないということが、東西の歴史を見る中でわかってきた。どうかすると強者に合わせようとする態度が逆に戦線を拡大し、被支配者となるか第3国の介入により民族分断の憂き目を見る実例も知った。

 欧州共同体は、30年、100年と戦乱が続き、第1次、2次の大戦による人民の大きな犠牲ががあり、レジスタンスの伝統が生み出した知恵である。決して軟弱な嫌戦だけが生みだしたものではない。

 その一方で、偏狭で好戦的ナショナリズムには法規制さえ厭わないという抑制力も働いている。中国の最近の拡張主義、軍事的恫喝はそれらから見ると明らかに世界でも一周遅れで、先進国の仲間入りの資格が疑われることになるだろう。

 嫌戦も好戦も、歴史に学んでない、という点で共通する。日本政府は「冷静に、毅然として」とよくいうが、どこまでそれらのことをわきまえているか甚だ疑問、というより、すっぽ抜けているというのが本当ではないか。

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2012年10月 2日 (火)

解散は遠のくな……

 このところ、国内政治ネタからすっかり遠ざかっている。投稿リストを見ると9月19以来ゼロである。この間、民主党・自民党の代表・総裁選があり、それに伴う党役員の人事、そうして昨日、第3次野田内閣の顔ぶれが決まった。

 テレビでは、ジャーナリストや評論家たちが解散時期について、臨時国会スタート時から、年内、3月、6月だと、まるで予想屋大会そのものである。塾頭は小沢分裂前に、8月か9月頃と予測したことがあるが、最近の政情を見ると「ことによると任期いっぱいまで伸びて衆参同時選挙もあるな、」という感じがしてきた。

 まず解散権を握る首相周辺から見て行こう。近く与野党3党首会談が開かれそうだ。そこに「近いうちに」の約束をした谷垣総裁はいない。野田首相は早期解散に縛られる必要はないと見ている。

 抜き打ち的に早期解散するというシナリオは、即、身投げ解散である。民主党の惨敗は目を覆うようなものとなり、過半数はおろか第2党に止まれれば成功、といった結果になるかもしれない。野田代表のもとでは、選挙結果を受けて野党でいるより安倍内閣と連立を組む方を目指すことになるだろう。それに、維新の会がつけばまがうことない右翼連合政権となり、改憲が一挙に促進されるはこびとなる。

 首相に解散もしくは辞任を強制する道具は、衆議院の不信任決議しかない。現在、民主党・与党が過半数を切るまで、指折り数えられる造反者がでればいいことになっている。塾頭は、今度の人事でそれが止まったと見ている。閣僚人事に対する配慮もあるが最大の要は輿石幹事長の再任である。つまり「身投げ解散」より「生き延び支持回復」作戦を指向するということである。

 小沢一郎と行動を共にしなかった反野田勢力が離党するかどうかであるが、その可能性を持つ議員は今までにほとんど去った。離党には大義名分と、不信任案賛成などきっかけが必要である。消費税問題はあったにしても、この前の問責決議に反対の立場をとっていればもう使えない。

 菅前首相のように、党に残り脱原発のような政策をはっきり党の政策として取り込ませ、あるいは山田元農相などがTPPへの慎重姿勢を方針に組み込ませるといった影響力を駆使して、安倍自民党との対抗軸を明瞭にし、前ほどでなくても党の復活を意図しようという考えである。この変化は「安倍効果」といってもいい。

 代表選で戦った赤松氏や鹿野氏が安倍流の改憲や集団的自衛権承認の抵抗勢力として党をリードできればいいが、党内タカ派との正面衝突をどこまで説得できるかがカギとなる。そのあたり、これから決まる副大臣・政務官人事や前原特命担当大臣の安保見直し論という変化技が注目されることになる。

 こういった与党の動きに、野党からこれまで以上に厳しい総攻撃の矢が射掛けられるだろう。しかし、自民党総裁選では、「3党合意は守る」、「国債特例法案」など国民生活にかかわる必要最小限について審議拒否をしないなどと、倒閣一本やりではなく国民の目を気にした慎重さも見てとれる。

 そこに、内閣居座りの口実としてまたとない切り札が登場しそうだ。それは、「日中関係が戦後経験したことのないような深刻かつ危機的な状況にある。政府は一刻も早くこれを正常化させなくてはならない責務があり、政治の空白は許されない」というものである。

 中国指導部の大幅入れ替えというタイミングで関係正常化を模索する動きは中国にもある。石破幹事長と組んだ安倍右翼政権より、現政権と関係修復の土台を作っておいた方がよりいいと考えるだろう。

 今回の閣僚人事にもそういった気配を感じさせるものがある。韓国のトップ交代、アメリカの大統領選もある。外交に非力の野田外交が続いたが、最後に逆転ヒットを狙いたいしいう気持ちは当然あるだろう。ただ、そういったシナリオをえがける余裕が、今の政権にあるかどうかが問題だ。

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