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2012年10月22日 (月)

今こそ安保見直しを 2

 前回紹介した過去記事「自衛隊は違憲か」は09年2月7日のものだった。その中で「第2の安倍晋三がいつ復活してもおかしくないのである。それをどうやって防ぐのか。それには、現実を認めてそこから可能な範囲の是正を一歩ずつはかり、しっかりした安定世論に支えられるようにするしかない」と書いている。
 
 安倍から福田を経て麻生の時代に入っている時期だが、「第2の安倍晋三」が本当に出現しかねない昨今になってしまった。また記事内容を見ても現在に当てはめてなんら矛盾を生じない。つまり、その後政権交代があったものの、鳩山の変節により周辺状況はなにひとつ変わっていないということだ。

 そこでは、イラクの空輸作戦への自衛隊派遣が違憲に当たるということと、自衛隊の存続そのものまで否定する主張は、むしろ護憲に害をなすといったことも書いている。今回はその結論を導いた枠組みを、国連憲章や戦後の歴史を踏まえながら考えてみたい。

 そのキーワードは、憲法、集団的自衛権、国連憲章の3つである。さらにそれらを整理して導き出した結論を4つ上げてみたい。

 1.憲法9条の原案は、国連の発足を前にして将来あるべき理想として取り上げたものである。
 2.自衛隊は、国の自然権(個人に暴力から身を守る権利同様)として備わっているものであって、その規模・任務・性格等は、それぞれの国の自主性にまかされる。
 3.国連憲章51条の規定にある「個別の自衛権」「集団的自衛権」は憲章の原案になく、作成の過程で各国からの要求を議論の末取り込んだもので、加盟国の権利ではあるが義務ではない。
 4.イラク等で行使されたブッシュ・ドクトリンによる武力行動は国連憲章違反であり、その基本理念を取り入れた日本国憲法からみて、自衛隊による米軍の支援はできない。

 国連憲章をここで詳述する余裕はないが、1.~3.は国連創設当時の解説書などを読み感じたことで、日本国憲法は日本を無力化するための押しつけという説がはやっているが、アメリカ独特の理想主義が働いていたこともまた事実と言わなければなるまい。

 国連憲章の骨子は、第2条4「武力による威嚇又は行使を、……慎まなければならない」と第42条の安保理決定による軍事的措置、および上記3.に上げた第51条である。その51条全文参考のため掲げる。

第51条[自衛権]
 この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び赤前の維持に必要な措置を取るまでの間、個別的または集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当たって加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

 上記の3.についてさらに言及すると、第1次大戦の反省に基ずく不戦条約や国際連盟が存在したにもかかわらず、「自衛」という名目、あるいは「戦争」ではないという理由をかかげで戦線を拡大し、第2次大戦を避けられなかった経緯から、国連憲章では「自衛」「戦争」という言語を当初から使わない配慮をしていた。

 第51条が挿入されたのは、アメリカの「集団的自衛権」の主張に始まる。そのため、英、仏などから異論や別提案があり論争が行われたが、結局安保理の枠を越えた例外規定のような位置づけで妥協点に達する。

 アメリカの主張は、安保理の常任理事国に拒否権が認められたため、すでに締結済みの米州会議の条項が生かされなくなるというものだった。すなわち、締結国である中南米ラテン各国など、拒否権発動で他国の攻撃を受けた場合、小国で弱体なため固有の自衛権を行使しきれない。そこで、条約にある「加盟国1国への攻撃はたの加盟国への攻撃と見做す」という共同防衛の義務遂行を有効なものにするという趣旨だ。

 だから今、与野党議員をはじめジャーリズムの一部にも蔓延する「集団的自衛権容認論」は、解釈改憲の便法であり、国連が想定したものとは全く異質のものだというのが塾頭の考えだ。言葉からして2国間で取り決めたことを「集団」というのはおかしなことだ。

 それを実現しないと、国連による国際貢献への参加もできない、というのは本末転倒も甚だしい。さらに、安倍晋三のように攻守同盟と集団的自衛権をごっちゃにするような論理は、到底受け入れられるものではない。

 最後にブッシュ・ドクトリンの結論を掲げると、「脅威が増大すればするほど行動しないことの危険性が増大し、かくて、たとえ敵の攻撃の時間と場所が不特定な場合であっても、我々を防衛するために専制的(preemptive)に行動することがいよいよ求められることになるということ」であった。(豊下楢彦『集団的自衛権とは何か』)

 これを、「非戦闘地域がどこであるか、そんなこと私がわかるわけがないでしょ」と言った小泉元首相発言と一脈通じるところがある。国連をないがしろにして先制攻撃論を振り回し、にせ情報を根拠に100万人をこえる犠牲者を出しながら8年も戦い続けたアメリカ。これとどう付き合っていくのか、初心に戻ってじっくりと考える時期に来ている。

【参考】
2009年2月 7日
自衛隊は違憲か
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-e509.html

2009年11月19日
安保条約事前協議
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-c2ce.html

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