« 野田、石破発言の矛盾と便乗 | トップページ | 安保・外交と「神話」 »

2012年9月22日 (土)

尖閣・復習版

 「今日は中国でデモがありませんでした」というのがニースである。焼けぼっくりはまだあちこちに残っており、尖閣領海に船がどうしたこうした、旅行者は、経済はといった先行き不安は、つのるばかりである。そういった中、中国でデモをする人、日本でそれに憤慨する人、尖閣についてどれほどの知識があってのことなのかはなはだ心もとない。

 一昨年の9月には、尖閣沖で漁船体当たり事故が起きた。今回は中国が国家として「実効支配奪還」の先頭に立ってる点で前回より深刻である。日本はどう立ち向かうべきか。前回を振り返ってみて、その時考えた塾の答えが意外にも当てはまる。しかしこの解決は、また手の届かぬ所へ遠ざかって行った。

 「尖閣諸島」を塾内記事で検索すると36本のエントリーがヒットした。そのうち一昨年の事故以前に3本、漁船体当たりから今回の動機を作った今年4月の石原知事演説まで23本、その後今まで10本、計36本にのぼる。

 前に書いたから、といって端折ってしまったこと、忘れてしまっていることがたくさんある。そこで、前記事からいくつかピックアップ、復習版を作ってみた。正確な記事はURLで見ていただくこととし、ここでは省略や加筆をした。

平和は自信ある外交で(10/10/18)
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-1032.html

しかしこの先、国民が日頃の備えを整えておけば、心配されるような事態は何も起こらないはずだ。

 その備えとは、第1に日中2000年の交流を前向きに考え、発展強化させる善隣外交である。次は、どんな場合でも落ちついて行動できるよう、心構えを養っておくこと。3番目は、それを揺るがないものとする「東アジア共同体」という、耐震構造建築を作り上げることである。

 第1と第3は省いて、第2をひとくちでいうと、日本は寸土も侵させないし、外国へ武力をもって侵略せず、加担もしない、という固い決意を内外に示すことにつきる。日米同盟に全面依存しきることがいかに心もとなく、不安定なものであるかを、ここ数年でわれわれは学習した。

 そのために、専守防衛を任務とする自衛隊の強化が必要とあれば(塾頭は米中に続く第3のグループにいる日本の軍事費が少ないとは思っていないが)、それを厭ってはならない。くわしく触れる余裕はないが、自国防衛に無関心であったり、人任せにする国が、これまでに大きな戦争の原因になったり、地域の安定をそこなった例は枚挙にいとまがない。またそうすることが、日米、日中関係にとって悪影響をおよぼすというのは、いまや時代遅れの伝説である。

 そこで本題に入るが、これまで尖閣諸島事件で政府がとってきた姿勢は、前述に照らして大きな矛盾のないもののとして賛成である。むしろ、「勝った負けた」の国会論議やマスコミの誘導、悪乗りしたデモなどの行為が結果的に国益を損じ、日・中双方に不利を招いていることを知るべきである。

 ただ、「領土問題は存在しない」という硬直的姿勢は賛成できない。それは「問答無用」といわんばかりで、上記第1の原則に反した外交上の非友好的姿勢に他ならないからだ。「固有の領土だ」というだけでは双方平行線で最後まで解決しない。しかし、国にとっては基本的な命題で、不条理に譲歩したり主張を取り下げる必要はない。

 そこで、中国側の主張の基本的な考えを探るため、しばしば中国側がとりあげる、日本人学者の故・井上清京大名誉教授の《「尖閣」列島――釣魚島の史的解明》を参考にすることにした。その内容を批判するような形になるが、自身にはこれだけ膨大な資料を取材・分析する能力がなく、反論・教示もいただけない故人なので、読後感ということでお許し願いたい。

 まず、主張の基本的姿勢である。文中、いたるところで日本政府に(たとえ自民党政権であろうとも)帝国主義・軍国主義という形容詞を付したり「日共」と表現するなど一方を敵視した表現が多く、かつての孤立した新左翼の口調で語られている。せっかくの膨大な史料があらかじめ決められた筋書で解釈・利用され、公正を欠いているように見られる点は残念である。

 次に、「日清戦争で窃かに釣魚諸島を盗み公然と台湾を奪った」という結論部分である。教授は、「窃かに盗んだ」理由として、民間人がアホウ鳥の羽毛採取のため島の利用を思いつき、沖縄県庁に土地貸与を申し出たのが明治18年ころであるのに、9年間許可を躊躇していた事実をあげる。

 それは、清国(中国)領であるこを日本政府が自覚していたから、日清戦争に日本が勝利し、講和条約が開始される1895年3月20日に先立つわずか2か月ほど前、1月14日になってこっそり自国領に編入手続きをすませていた、という主張である。

 これには、大きな論理的破たんがある。講和条約では、台湾全島とその付属島嶼、澎湖列島など、中国から日本に割譲する区域を定めたが尖閣諸島が清国領であると日本が認識しているか不確定地域であると考えるのであれば、その条約に含めればいいだけの話である。こっそり掠め取る必要は何もない。

 日本側がいう、「無主の島」と決定するため慎重な調査を繰り返したというのは本当であろう。それは、清の異議申し立てがあった場合、その他の第三国の認証が得にくくなることをおそれていたと考えられる。これは、博士の主張に似ているようでも、「盗んだ」という動機とは全く違う。

 博士が、古来中国の領土と認識されていたという根拠は、明の時代以降、中国の冊封を受けていた琉球王朝との往来のため、航海の目標として、中国の文献に釣魚島の存在や、その先琉球側に海の色が変わる海溝があるなどの記述があることである。

 しかし、多く指摘されているように、航海の目標を書いた以上に、その島の利用とか領土とかには一切触れていない。博士が、領有していたと中国側が認識していたはずだ、と憶測しているだけである。博士の論文の一節にこういうくだりがある。

  釣魚島などの事が書かれている「福州往琉球」の航路記は、中国の冊封使の記録に依拠している。しかも、この程順即は、清国皇帝の陪臣(皇帝の臣が中山王で、程はその家来であるから、清皇帝のまた家来=陪臣となる)として、この本を書いている。それゆえにこの本は、琉球人が書いたとはいえ、社会的・政治的には中国書といえるほどである。(中山王=琉球王、塾頭注)

 待ってほしい。この伝でいけば、斉の皇帝に藩屏を誓う上表分を差し出し、斉から鎮東大将軍や征夷大将軍の位を受けた雄略天皇や、明の恵帝から「日本国王」の称号を受け、遣明使に「日本国王 臣 源表す、臣聞く……」という国書を持たせた足利義満の家来が書いたものは、すべて中国書と見てもいいことになる。沖縄や対馬が中国や朝鮮の領土といわれかねない暴論ではないか。

 塾頭は、近代国民国家が誕生する前の古文書や伝承を、領土問題の議論にのせる建設的な意味はまったくないと思っている。明の時代といえば、ようやくアメリカで独立宣言があり、その末期にはナポレオンがヨーロッパなどをあらしまわった時期である。

【塾頭加筆】アメリカを発見したのはコロンブスであり、先占していたのはインディアンである。またナポレオンは広く各地を占領した。それが今何の役に立つというのか。また、戦前の中華民国長崎領事館は、大日本帝国沖縄県の尖閣諸島で住民の古賀某が自国民の海難者を救助したことに感謝状を出し、戦後の中国共産党の機関紙・人民日報は、尖閣諸島を琉球の一部と解説している。中国の「自国領」の主張は、完全に論破できるのである。
(参考記事)
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-5a52.html

尖閣共同開発を袖にする愚10/10/30
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-6622.html

報道によると、「中国が今月中旬、沖縄県・尖閣諸島周辺の海底資源に関する共同開発に応じるよう日本側に求めいていたことが21日、分かった。日本側は即刻拒否した」(10/22毎日新聞)という。

 また、前原外相がたびたび露骨な強硬論を発言することに、中国側は不快感を持っているようだ。どっちともどっちだが、これは自然現象ではないのだから、相互に譲り合い、取り返しのつかない被害が生じないよう100年の計を立てなくてはならない。

 民主党は、マニフェストに「東アジア共同体」をうたっており、歴代首相をはじめ外相もそれに触れてきた。しかし、その緒に就いたと思われる業績は何もない。最近はむしろ逆の方向を向いているのではないかと思わせることが多い。

 前置きが長くなったが、尖閣諸島沖のことに話をもどそう。冒頭に触れた報道ではよくわからないが、魚釣島という島そのものと、領海つまり国境の線引きをどこにするかということ、それに共同開発をするかどうかという3つの問題はそれぞれ別個の問題であるということを、どれだけの人が認識しているだろうか。

 ここが、問題視され始めたのは、海底の資源開発が脚光を浴びた時以来であることはよく知られている。領土の存在は別として、資源開発の権利をいう場合、大陸棚(陸地から連続してもっとも深くなるところまで)説と、二国間の陸地からの等距離を境界とする説がある。

 中国や韓国は前者の説をとり、日本は後者の説による。2説併存しており決まりはないが、どちらかというと大国の支持がある前者の方が有利(国連海洋法会議)になっているようだ。したがって双方の説が重複する地域では、共同開発という現実的な解決方法が採用される。

 現に、出油はしなかったが、昭和54年(1979)から61年までの7年間、日韓石油共同開発が行われた。実はこの時も弱腰とか譲りすぎという意見がでていた。結局得られる利益、失う損害を考えて最善の道を選んだといえる。

 したがって、中国の提案を即刻拒否、という表現は誰がしたのかわからないが、交渉次第では日本にとって有利な方法もありうるわけで、国粋主義的でヒステリックな反応としか言いようがない。

 この問題は、1978年に当時中国の副首相だった鄧小平氏が言った尖閣諸島領有権棚上げ論は、資源問題に関する限り正解であり、日本は「問答無用」ではなく、この点をつめて話し合いに応ずるべきであった。拉致問題同様、日本はせっかく開けかけた交渉窓口をまた閉じようとしている。

|

« 野田、石破発言の矛盾と便乗 | トップページ | 安保・外交と「神話」 »

東アジア共同体」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

 歴史は23年周期で,新たな段階に進む,というのは中国についても当て嵌まるようです。
 1834年 英国船アヘン密売開始
 1857年 ロシア人黒竜江左岸に移住,英仏連合軍広東省を陥落させる
 1903年 ロシア兵奉天占領
 1926年 7月1日蒋介石北伐開始
 1949年 10月1日中華人民共和国建国
 1972年 アメリカ・日本と国交回復

 太陽黒点の増減周期というのは気候の寒暖に関係しますから,世界共通です。人が生まれてから成人するまでの平均期間は文明度によって若干違うでしょうが,中国の場合はあまり違わないようですね。
 国によって違うのは,社会の構成ですね。
 こういうことを考慮することによって,世界史も科学に成り得るのではないでしょうか?

投稿: 弥勒魁 | 2012年9月23日 (日) 16時42分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/468248/47174799

この記事へのトラックバック一覧です: 尖閣・復習版:

» 橋下氏「麻生発言、ナチスを正当化したわけでないのはすぐ分かる。騒いでるやつは国語力が足りないのでは」 [いたにゅーす]
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は1日、麻生太郎副総理のナチス政権に関する発言について「行き過ぎたブラックジョークだったのではないか。正当化した発言でないのは国語力があればすぐ分かる」と擁...... [続きを読む]

受信: 2013年8月12日 (月) 00時14分

« 野田、石破発言の矛盾と便乗 | トップページ | 安保・外交と「神話」 »