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2012年9月

2012年9月30日 (日)

核心的利益、反日、暴走

«まえがき»
 ネット論壇では、気のせいか「反日」とか「反中」などといって二者択一のレッテル貼りする傾向があるようで気になります。これは、原発問題その他の政策論争でもあることで、塾頭自身おちいりやすい、またそうしないと人の目をひかない、といったジレンマがあります。

 しかし、これを越えたところで是々非々を明らかにしていくこと、自由闊達に論議をすすめていくこと、これがなければ進歩も正解も生まれてこないし、ネットが単なる不毛の荒野になってしまうのではないか、塾頭が恐れるのはこの点です。

 以上に直接関係はありませんが、「ちどりさま」から「日本も尖閣白書を」にいただいたコメントが、本塾の基本的な方向性を問いかけるものなので、ここでお答えしたいと思います。なお、ちどりさまの文が要領よくまとめられているのに対し、部分的な引用になりますがこの点はお許しください。

«1»

日中間の紛争の根源は単なる領土のいさかいではない。現実の軍事バランスや経済関係の重要性を考えても、中国が単なる野心や領土欲から一方的に日本を挑発していると見るのは無理があります。

 「現実の軍事バランスや」のあとを「石油備蓄を……」と置き換えてみましょう。日米開戦の直前そっくりです。起こせるはずのない戦争に突入したのです。開戦当日のことを思い出しました。一介のサラリーマン家庭の我が家の朝、ラジオ放送を聞いて、出勤前の父に聞きました。

 「勝てるの?」。「…………」。ただ、開戦に対し、今様の表現にすると「マジ~……?!」という顔つきでした。この冒険の土台をつくったのが5.15や2.26クーデターの青年将校で、軍には下剋上が当たり前のようになり、政治は天皇の統帥権侵犯という軍の恫喝を跳ね返せませんでした。

 最近、これまでとは違って中国で「まさか」と思われるようなことが起きないと断言できないと思うようになりました。民衆のデモは横に置いておいても、中国政府が内外に向けて発する強硬発言は、かつてない突出したものです。日本の開戦前の「国威発揚」キャンペーンを思い出します。

 前回にも触れましたが、その発信もとは、首相もタッチできない利権集団・中央軍事委員会の首席交替を前に、制服組幹部の激しい権力闘争があるとされ、お互いに過激宣伝を競いあっているのではないかと想像されます。

 防衛大学校長をされ、中国事情にもくわしい五百旗頭真先生は、2年前すでにこのことを予知されたのか「中国よ、戦前日本の道を歩むこと勿れ」という一文を、「人民日報」に投稿されています。ノーカットだったそうですが、いまなら完全に没でしょうね。

 次に「中国が単なる野心や領土欲から一方的に日本を挑発していると見るのは無理」というご意見ですが、中国は、尖閣を「核心的利益」と公言し、琉球列島の外側まで「列島線」という軍事ラインを拡張しています。

 塾頭は、これを聞くと、もともと欧米が国際法上使っていた用語で、日清戦争前日本でも言いだした「中朝国境が利益線」とか、その後の「満蒙国境は日本の生命線」などという言葉を思いだします。こういった線引きは大東亜共栄圏でさらに拡張しました。

 戦略上の線引きは「生き延びていくためにはそれが必要」という意味で、必ずしも領土的野心とは言えません。中国の「核心的利益」は、台湾、チベット、新疆ウイグル自治区、南シナ海のほとんど全域、さらにはインド洋にまで広がる勢いです。

 13億の人口を養い、貧富の格差解消のためにはエネルギーをはじめ膨大な資源が必要です。昔は農作物を得るために土地が侵略の対象でしたが今はもろもろの経済利権です。尖閣諸島の中国領有を認めるということは、明の時代云々という彼らの理論からすれば、沖縄も譲るということになりかねません。

 尖閣の領有は確保して、鉱物・漁業資源や共同開発というのが将来考えられる妥協点ではないでしょうか。無抵抗・無原則の妥協は日本をさらに苦境に追い込みます。日本の抵抗が強いので軍事進攻はあきらめざるを得ない、という体制は、現憲法下で整えることが可能ですし、またそうしなければならないのが現実の姿です。

«2»

 「中国政府よりは日本政府を信用する」旨お書きですが、百戦錬磨のブログ主様の言にしては、いくらなんでもナイーブすぎます。中国であれ日本であれ、為政者やその取り巻きの言うことは、疑ってかかるのが庶民として当たり前の態度ではないのですか?

 このコメントでの答えは次の通りです。

政府の言うことは100%信用できないのでしはょうか。信用できない点と信用すべき点両面あります。それを見分けるのが国民の訓練です。

 国民が選んだ政府であり、存在を無視することはできません。100%信用できないのであれば生きていけません。日本政府と、中国政府。言論統制の差で比べればまだ日本政府の方を信用します。

 さらに付け加えますと、日本政府の信用が地に落ちたといっても、比較的オープンなので同じ閣内で、脱原発ひとつとっても意見に差のあることがわかりますね。気に入らなくても日本に一つしかない政府です、今の趨勢ではそれが来年まで続く気配です。

 それに対し、庶民感覚に近い閣僚を言論で応援する自由はあるわけでそれで向きを変えることもできます。政府だからといって良心的政治家、官僚のすべてを含めて敵対してもなんら得るところがありません。庶民の利益にもなりません。それに引きかえ、中国のそのすじ(中国共産党)は一枚岩で、意見の相違など絶対出てきませんし、人民はそれに従う立場です。

 だからウオッチャーは幹部の言葉のはしはしで憶測するしかないのです。日本の権力の隠ぺい体質は徐々にベールがはがれ、「真っ赤なうそ」がまかり通る時代ではなくなりました。ソ連解体後、衛星国の曝露もの書籍がいくつか出ていますが、共産党政府の「うそ」には相当悪質なものがあったことが知られるようになりました。塾頭の「よりまし」論は、そんなことから出ています。

«3»

抗日戦争は現中国のアイデンティティの根源ですよ

 それがどうして尖閣諸島の国有化反対につながるのでしょうか、尖閣を領土に編入したのは日清戦争を終結させる下関条約締結の3か月前、1895年1月のことです。抗日戦争とは全く関係ありません。
 
 日清戦争は、朝鮮国内の農民一揆に端を発した戦争で、圧倒的に強いとされていた清国の北洋艦隊を壊滅させたことで勝利を得ました。戦勝国が賠償を求めるのは当時当然の権利でした。条約により台湾の割譲は受けたものの、遼東半島はその後3国干渉で返還しています。

 ここですでに述べたことですが「釣魚島は日本が盗んだ」という中国の言い分を吟味してみましょう。同島付近を内務省が調査に乗り出し、古賀辰四郎が開拓を申し出たのは、領土編入の9年前、1884年です。

 それ以来、政府は同諸島が無主無住の島かどうか慎重に調査するといって、標識等の建立や沖縄県編入を引き延ばしてきました。そして領土編入をしたのが前述のとおり日清戦争で清国の敗色が見え始めた1895年1月です。

 そこで、中国側は、「尖閣諸島が中国領であることを日本は知っていたから9年も放置していた。それが急に日本領に編入されたのは、清国が敗戦目前でそれに抗議するような力がなくなつた。そういったどさくさにまぎれて同諸島をひそかに盗み取ったのだ」という言い方になっています。

 これは成り立ちません。もし中国領と知っていたならなにもこっそり盗み取らなくても、下関条約で台湾の一部にしてしまえばよかったわけです。条約では周辺諸島として澎湖島をはじめ散在する小島をもれなく網羅していますが、尖閣諸島はその中に含まれません。

 それから下関条約の清国全権大使を務めた李鴻章は、自国の利益のため全力を尽くした立派な人物として日本でも尊敬を集めた人です。敗戦で意気消沈して抗議すらできなかったということは考えられません。要はそんな小さな島に関心がなかったというだけでのことでしょう。

 当時台湾を取られ反日感情がなかったとは言いませんが、中国本土で反日運動が組織的になり社会問題にまで発展したのは、第1次大戦後中国に理不尽な要求を押し付けてからです。さらに満州事変、日華戦争と侵略が露骨化していったことはご承知の通りです。

 まあ、戦後生まれの安倍晋三さんなどが、それを認めることが嫌で「美しい日本を」などという今や少数意見になった歴史修正論に執着していますが、今回の中国の反日ぶりがこれに勢いを与えようとしていることは残念です。

 塾頭にしてみれば「今ごろなにを」という気持ちです。1955年、国交のない中国から学術調査団として日本に居住経験のある郭沫若など著名人がはじめて来日しました。この時、日中友好の糸口を作るとして、マスコミをはじめ国をあげてのフィーバーぶりでした。

 同じ頃、うたごえ喫茶全盛で「東京・北京」という歌がはやりました。歌詞は、美しい友情をもって肩を組み、アジアに光を掲げようといった内容です。そして田中角栄首相が友好裡に国交正常化を果たして40年たちました。

 それがどうしていつの間にか「中国のアイデンティティの根源」が反日になってしまったのでしょうか。やはり作られた人為的なものとしか言えません。日中関係は日米関係同様、言いたいことをはっきり言える関係でなければならないと思います。それが相互の誤解を解くカギになってほしいものです。これが日本政府にもっとも不足している。

«4»

石原にはさしたる非難とて起こらない日本の政治・メディアの状況をブログ主様はどうお感じですか?

 全く同感です。こんなのをおまけにつけておきますが、わずかながら意識している人もいるようです。

「新聞・テレビが言わないなら、本誌が言おう ことの発端は石原都知事にある!」
(週刊朝日 2012年10月05日号配信掲載)

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2012年9月28日 (金)

なぜ中国はそんなに怒るのか

 ずーと不思議でいたことである。国有化がそんなに悪い事なのか。そこへ毎日新聞の謎解きが続々と出てきた。1面で”中国で「野田・石原陰謀説」”、さらに2面の”国有化時期が刺激”へと続く。

 さらに3面、西川恵専門編集委員による解説は”「国有化」中国の誤解”と題し、国有化の認識の違いを説明する。中国関連記事は4面、5面、6面と続き、10面、11面には見開きいっぱいに、これまで起きた日中摩擦の顛末や内外各方面の見解など、年表も加えて特集している。

 大新聞が1面で陰謀論を記事にするとは異常なことである。つまり石原の計画は国有化へ持っていくため、あらかじめ国と示し合せた芝居だという説が国内で浸透しているのだという。

 日本国内で見ると笑止千万だが、中国ではこの手の政治活動が頻繁に行われるのだろうか。そういえば習近平や温家宝などが「一連の日本の行為は茶番だ」とコメントしているが、それをいうのかもしれない。

 塾頭が中国を訪問したのは、北京オリンピック直前で北京は建設ブーム真っ最中、どこもかも土埃のせいかかすんで見えるような時だった。昔からある都心に近い平屋の住居を次々にこわし、都市施設とか高層ビル街にする目的だ。

 中国人の説明では、中国の土地は国有で、個人はそこに居住する権利を所有し、売買も可能だが、国が必要とすればわずかな補償でその権利は回収されるのだそうだ。

 だから国が買い取るということは、当然そこに国の意向で競技場を作るとか高層ビルを作るとか、より積極的な利用を前提とすることになる。つまり尖閣を国で買うということは、そこで国家的事業を展開するため、というのが中国の常識になる。

 塾頭は、かつてそんな認識の行き違いがあるのかな、と思ったが、その程度のことなら当然双方で説明しあえば納得できる範囲内のことだと思っていた。この度の毎日新聞記事は、認識の差を表面化させたわけだが、今回のことはそんな単純で楽観視できる要素だけではあるまい。

 暴力デモの規制は厳しくなったようだが、中国当局の内外に向けた対日強硬論は衰えを見せずエスカレート一方だ。首脳部の権力闘争の影響は前から説明されていたが、国連における発言など中国マスコミが連日のようにトップでこれを伝えるなど、国内世論に向けた宣伝の色彩が強くなっている。

 つまり、国内権力A派、同B派があって、それぞれ理由に違いがあっても国民の関心を日本叩きに向けておくことがA、Bいずれにとって好都合、ということで一致しているのではないか。

 振り上げてしまった拳は、あまりにも影響が大きく、沈静化には長い期間を必要とするだろう。ここに至った政治家の責任は、日中双方とも負わなければならないことだけはたしかだ。

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2012年9月27日 (木)

日本も尖閣白書を

  野田首相は今朝早く(日本時間27日未明)、国連総会で演説した。以下朝日新聞より引用

 首相は演説で、中韓の名指しや具体的な領土への言及は避けた。ただ尖閣国有化に反発した中国の反日デモの暴徒化などを踏まえ、「国際法の下で、文民、外交官の安全が確保されなければならない。暴力行為は許されない」と中国側の対応を批判。中国公船が尖閣周辺に連日集結していることを念頭に「自らの主義主張を一方的な力や威嚇を用いて実現する試みは、国連憲章の基本的精神に合致しない」と訴えた。

 中国・韓国はこれを聞いたうえで演説の構想を練るらしい。日本が具体的なことを取り上げていないので個別の論争にはならないだろうが、わからない。中国はこれに先立ち、25日に国務院報道弁公室から「釣魚島は中国固有の領土」という白書を各国にばらまいている。

 本塾は、中国の過激・暴力デモに対し、日本国民も冷静で秩序あるデモで、「デモはこうあるべきだ」という見本を示せばいいというような記事を書いた。これには「相手のゲームに乗せられる」というご批判もあったが、ごもっともである。

 しかし、塾頭が気にしているのは、日本が「武士道精神」よろしく惻隠の情で真実の発信を控えていると、「従軍慰安婦」のように相手国の宣伝がまかり通ってしまうということがあるからだ。中国の白書は、釣魚島を窃取ひそかに接受、日本の主張にはまったく根拠がない断固として闘う世界反ファシズム戦争勝利の成果、などと「白書」ではなく政治宣伝といっていい文章だ。

 そして、その中味たるや法的根拠といいながら、その証拠となる関連法文を示さず領有権があると繰り返しているだけである。「先占の法理」に関しては、唯一明の時代の航海記録で島の名があり命名したとのことだが、名付け親は琉球人である可能性もある。

 このことは、以前にも書いたが、喜望峰はポルトガル人が命名したから、南アはポルトガル領とすべきだというのと同じで、すくなくとも国民国家成立以前の古い航海記で上陸もしていない所を先占の根拠にする証拠価値は、ほとんどゼロに近いと言えよう。

 野田演説は、「法による解決」「法の支配」を強調したものである。日本は明治以来の尖閣に関する法的文書(公文書)を多く持つ。その中には条約・外交文書や登記簿もある。それらを余すことなく示す義務があるのではないか。

 中国の白書に対抗するプロパガンダであってはならない。それらを時系列で示すだけで先占や長年の実効支配が十分証明でき、中国の主張に反論できる。そして「窃取」など人聞きの悪い中傷も成り立たないことがわかる。

 その中に、中華民国長崎領事館や中国共産党機関紙「人民日報」など、中国の主張を覆す相手方準公文書があるが、それらを強いて加える必要はないだろう。日本版「白書」は国際的にも国内的にも必要だと思うが、諸賢のご意見いただければありがたい。

【参考エントリー】
尖閣・復習版
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-9611.html
尖閣諸島ノート
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-26bb.html

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2012年9月25日 (火)

ようじに危ないようじ

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 梨に化学樹脂製楊枝を突き刺し、口の中に入れたら楊枝が短くなっていた。不思議に思い、梨を細かく噛んだが先端が出てこない。

 最後の頃ようやく写真の断片2片が出てきた。「幼児に危ない楊枝」だ。消化しないで排出されるだろうが、もし鋭角に折れていたら?。

 消費者センターに通報しようと思ったけど、「被害届」か「調書」のような申請書が必要とあって面倒になり、やめてしまった。

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2012年9月24日 (月)

安保・外交と「神話」

大蒙古国皇帝。書を日本国王に奉ず。朕おもうに、古から小国の君も境土相接すれば、なお講信修睦に務める。いわんやわが祖宗、天の明命を受け、天下をおおう。遠方にある異境で威を畏れ徳になつくものは、ことごとく数えきれない。

朕即位のはじめ、高麗の無辜の民が久しく兵戦につかれているので即刻兵を引き、その境界を返還し、その老幼の民をかえさせた。高麗の君臣はこれをよろこび来朝した。義は君臣といえども、歓は父子のようである。

王の君臣もまたすでにこれを知るところであろう。高麗は朕の東にに接する藩である。日本は高麗により近く、開国以来また時に中国と通じた。朕みずからに至り一度の使いもなく和好を通ずることもない。

なお、恐れるのは王国がこれをつまびらかに知らないことである。故に特に使いを遣わし書をもって朕の志を告ぐ。ねがわくば自今、相親睦をもって問を通じ好を結ぶことである。かつ聖人は四海をもつて家となす。相通好せずば、どうして一家の理であろうか。

兵を用いるに至ること、たれが好むところにあらず。王、その意を図れ。

 以上は『元史・日本伝』を塾頭流に意訳したものである。ことさら、尖閣問題や中国共産党を意識したわけではない。これが大宰府に到着したのは、1268年、744年前の事である。これは鎌倉幕府に届けられさらに朝廷に奏上された。

 連日会議にかけられ「返牒あるべからず」という結論を出した。つまり無視せよということである。前述の書の最後の一行にカチンときたのであろう。元の側では、数度にわたり返書の催促をしたが、日本は決戦準備や、「敵国降伏」の祈祷に精出すことしかしなかった。

 日蓮でなくても、正直勝てるという自信はなかったのである。面子をつぶされ、しびれを切らした元は、2度にわたる渡海攻撃をかけてきた。結果は九州の水際で暴風などで元船側が戦闘継続できず撤退した。

 これを「神風が吹いた」という。つまり本当は負けるはずのところ、「日本は神国だから神が守ってくれた」という、「安全神話」ならぬ「神風神話」が日本に蔓延してしまったのである。第2次世界大戦突入も、軍部でさえ最後の決断は「神風神話」にすがり、ついに日本を滅ぼしてしまったのだ。

 日本に今「○○神話」が残っていないかどうか、この際厳しくチェックする必要がある。

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2012年9月22日 (土)

尖閣・復習版

 「今日は中国でデモがありませんでした」というのがニースである。焼けぼっくりはまだあちこちに残っており、尖閣領海に船がどうしたこうした、旅行者は、経済はといった先行き不安は、つのるばかりである。そういった中、中国でデモをする人、日本でそれに憤慨する人、尖閣についてどれほどの知識があってのことなのかはなはだ心もとない。

 一昨年の9月には、尖閣沖で漁船体当たり事故が起きた。今回は中国が国家として「実効支配奪還」の先頭に立ってる点で前回より深刻である。日本はどう立ち向かうべきか。前回を振り返ってみて、その時考えた塾の答えが意外にも当てはまる。しかしこの解決は、また手の届かぬ所へ遠ざかって行った。

 「尖閣諸島」を塾内記事で検索すると36本のエントリーがヒットした。そのうち一昨年の事故以前に3本、漁船体当たりから今回の動機を作った今年4月の石原知事演説まで23本、その後今まで10本、計36本にのぼる。

 前に書いたから、といって端折ってしまったこと、忘れてしまっていることがたくさんある。そこで、前記事からいくつかピックアップ、復習版を作ってみた。正確な記事はURLで見ていただくこととし、ここでは省略や加筆をした。

平和は自信ある外交で(10/10/18)
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-1032.html

しかしこの先、国民が日頃の備えを整えておけば、心配されるような事態は何も起こらないはずだ。

 その備えとは、第1に日中2000年の交流を前向きに考え、発展強化させる善隣外交である。次は、どんな場合でも落ちついて行動できるよう、心構えを養っておくこと。3番目は、それを揺るがないものとする「東アジア共同体」という、耐震構造建築を作り上げることである。

 第1と第3は省いて、第2をひとくちでいうと、日本は寸土も侵させないし、外国へ武力をもって侵略せず、加担もしない、という固い決意を内外に示すことにつきる。日米同盟に全面依存しきることがいかに心もとなく、不安定なものであるかを、ここ数年でわれわれは学習した。

 そのために、専守防衛を任務とする自衛隊の強化が必要とあれば(塾頭は米中に続く第3のグループにいる日本の軍事費が少ないとは思っていないが)、それを厭ってはならない。くわしく触れる余裕はないが、自国防衛に無関心であったり、人任せにする国が、これまでに大きな戦争の原因になったり、地域の安定をそこなった例は枚挙にいとまがない。またそうすることが、日米、日中関係にとって悪影響をおよぼすというのは、いまや時代遅れの伝説である。

 そこで本題に入るが、これまで尖閣諸島事件で政府がとってきた姿勢は、前述に照らして大きな矛盾のないもののとして賛成である。むしろ、「勝った負けた」の国会論議やマスコミの誘導、悪乗りしたデモなどの行為が結果的に国益を損じ、日・中双方に不利を招いていることを知るべきである。

 ただ、「領土問題は存在しない」という硬直的姿勢は賛成できない。それは「問答無用」といわんばかりで、上記第1の原則に反した外交上の非友好的姿勢に他ならないからだ。「固有の領土だ」というだけでは双方平行線で最後まで解決しない。しかし、国にとっては基本的な命題で、不条理に譲歩したり主張を取り下げる必要はない。

 そこで、中国側の主張の基本的な考えを探るため、しばしば中国側がとりあげる、日本人学者の故・井上清京大名誉教授の《「尖閣」列島――釣魚島の史的解明》を参考にすることにした。その内容を批判するような形になるが、自身にはこれだけ膨大な資料を取材・分析する能力がなく、反論・教示もいただけない故人なので、読後感ということでお許し願いたい。

 まず、主張の基本的姿勢である。文中、いたるところで日本政府に(たとえ自民党政権であろうとも)帝国主義・軍国主義という形容詞を付したり「日共」と表現するなど一方を敵視した表現が多く、かつての孤立した新左翼の口調で語られている。せっかくの膨大な史料があらかじめ決められた筋書で解釈・利用され、公正を欠いているように見られる点は残念である。

 次に、「日清戦争で窃かに釣魚諸島を盗み公然と台湾を奪った」という結論部分である。教授は、「窃かに盗んだ」理由として、民間人がアホウ鳥の羽毛採取のため島の利用を思いつき、沖縄県庁に土地貸与を申し出たのが明治18年ころであるのに、9年間許可を躊躇していた事実をあげる。

 それは、清国(中国)領であるこを日本政府が自覚していたから、日清戦争に日本が勝利し、講和条約が開始される1895年3月20日に先立つわずか2か月ほど前、1月14日になってこっそり自国領に編入手続きをすませていた、という主張である。

 これには、大きな論理的破たんがある。講和条約では、台湾全島とその付属島嶼、澎湖列島など、中国から日本に割譲する区域を定めたが尖閣諸島が清国領であると日本が認識しているか不確定地域であると考えるのであれば、その条約に含めればいいだけの話である。こっそり掠め取る必要は何もない。

 日本側がいう、「無主の島」と決定するため慎重な調査を繰り返したというのは本当であろう。それは、清の異議申し立てがあった場合、その他の第三国の認証が得にくくなることをおそれていたと考えられる。これは、博士の主張に似ているようでも、「盗んだ」という動機とは全く違う。

 博士が、古来中国の領土と認識されていたという根拠は、明の時代以降、中国の冊封を受けていた琉球王朝との往来のため、航海の目標として、中国の文献に釣魚島の存在や、その先琉球側に海の色が変わる海溝があるなどの記述があることである。

 しかし、多く指摘されているように、航海の目標を書いた以上に、その島の利用とか領土とかには一切触れていない。博士が、領有していたと中国側が認識していたはずだ、と憶測しているだけである。博士の論文の一節にこういうくだりがある。

  釣魚島などの事が書かれている「福州往琉球」の航路記は、中国の冊封使の記録に依拠している。しかも、この程順即は、清国皇帝の陪臣(皇帝の臣が中山王で、程はその家来であるから、清皇帝のまた家来=陪臣となる)として、この本を書いている。それゆえにこの本は、琉球人が書いたとはいえ、社会的・政治的には中国書といえるほどである。(中山王=琉球王、塾頭注)

 待ってほしい。この伝でいけば、斉の皇帝に藩屏を誓う上表分を差し出し、斉から鎮東大将軍や征夷大将軍の位を受けた雄略天皇や、明の恵帝から「日本国王」の称号を受け、遣明使に「日本国王 臣 源表す、臣聞く……」という国書を持たせた足利義満の家来が書いたものは、すべて中国書と見てもいいことになる。沖縄や対馬が中国や朝鮮の領土といわれかねない暴論ではないか。

 塾頭は、近代国民国家が誕生する前の古文書や伝承を、領土問題の議論にのせる建設的な意味はまったくないと思っている。明の時代といえば、ようやくアメリカで独立宣言があり、その末期にはナポレオンがヨーロッパなどをあらしまわった時期である。

【塾頭加筆】アメリカを発見したのはコロンブスであり、先占していたのはインディアンである。またナポレオンは広く各地を占領した。それが今何の役に立つというのか。また、戦前の中華民国長崎領事館は、大日本帝国沖縄県の尖閣諸島で住民の古賀某が自国民の海難者を救助したことに感謝状を出し、戦後の中国共産党の機関紙・人民日報は、尖閣諸島を琉球の一部と解説している。中国の「自国領」の主張は、完全に論破できるのである。
(参考記事)
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-5a52.html

尖閣共同開発を袖にする愚10/10/30
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-6622.html

報道によると、「中国が今月中旬、沖縄県・尖閣諸島周辺の海底資源に関する共同開発に応じるよう日本側に求めいていたことが21日、分かった。日本側は即刻拒否した」(10/22毎日新聞)という。

 また、前原外相がたびたび露骨な強硬論を発言することに、中国側は不快感を持っているようだ。どっちともどっちだが、これは自然現象ではないのだから、相互に譲り合い、取り返しのつかない被害が生じないよう100年の計を立てなくてはならない。

 民主党は、マニフェストに「東アジア共同体」をうたっており、歴代首相をはじめ外相もそれに触れてきた。しかし、その緒に就いたと思われる業績は何もない。最近はむしろ逆の方向を向いているのではないかと思わせることが多い。

 前置きが長くなったが、尖閣諸島沖のことに話をもどそう。冒頭に触れた報道ではよくわからないが、魚釣島という島そのものと、領海つまり国境の線引きをどこにするかということ、それに共同開発をするかどうかという3つの問題はそれぞれ別個の問題であるということを、どれだけの人が認識しているだろうか。

 ここが、問題視され始めたのは、海底の資源開発が脚光を浴びた時以来であることはよく知られている。領土の存在は別として、資源開発の権利をいう場合、大陸棚(陸地から連続してもっとも深くなるところまで)説と、二国間の陸地からの等距離を境界とする説がある。

 中国や韓国は前者の説をとり、日本は後者の説による。2説併存しており決まりはないが、どちらかというと大国の支持がある前者の方が有利(国連海洋法会議)になっているようだ。したがって双方の説が重複する地域では、共同開発という現実的な解決方法が採用される。

 現に、出油はしなかったが、昭和54年(1979)から61年までの7年間、日韓石油共同開発が行われた。実はこの時も弱腰とか譲りすぎという意見がでていた。結局得られる利益、失う損害を考えて最善の道を選んだといえる。

 したがって、中国の提案を即刻拒否、という表現は誰がしたのかわからないが、交渉次第では日本にとって有利な方法もありうるわけで、国粋主義的でヒステリックな反応としか言いようがない。

 この問題は、1978年に当時中国の副首相だった鄧小平氏が言った尖閣諸島領有権棚上げ論は、資源問題に関する限り正解であり、日本は「問答無用」ではなく、この点をつめて話し合いに応ずるべきであった。拉致問題同様、日本はせっかく開けかけた交渉窓口をまた閉じようとしている。

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2012年9月19日 (水)

野田、石破発言の矛盾と便乗

 原発ゼロに言及した「新・エネルギー環境戦略」が矛盾とほころびだらけで、いつ自然爆発してもおかしくないようなたよりない内容であることは、すでに本塾の記事でふれたし、マスコミでもとりあげていた。そして今日19日、閣議決定を見送ってたたき台程度にするという、事実上の撤回に等しいものとなって米倉経団連会長が喜んでいる。

 選挙目当てで打ち上げてはみたものの、自民や財界の反応はつめたく、民主党内でも代表選での野田圧勝が確実と見てこの拠にでたものだろう。今回は、野田首相の発言がその時の都合次第で都合よくもてあそばれていることを指摘しておきたい。

 首相は同会議で挨拶したが「原発ゼロ」の言葉は使わず「あまり確定的なことを決めるのはむしろ無責任な姿勢だ」と述べた(9/15日経新聞朝刊)。野田首相のやってきたことはどうだったのか。何年には何%、その翌年に何%と消費税率アップするが変更もあり得るという不確定のことを決めたことだ。

 これが責任ある決め方だと言いたいのだろうか。消費増税なら党を割り3党合意をし政治的生命をかけて決められるが、エネルギー政策は決めてはならないというのは筋が通らない。戦後、石炭への傾斜生産というエネルギー政策目標を立て、復興への足掛かりを作った。

 何年には原発ゼロという政策目標を立てる。不確定要素があるからそうするのではないか。そして目標に向けて代替エネルギー開発を促進し、廃炉や放射性廃棄物処理の技術開発に直ちに着手し、必要があれば対アメリカなど関連する国との協議を開始するなど障害を取り除く。

 塾頭は、より安全と見なされる原発を再開することには最初から賛成しているが、それには技術チェックをする機関を解体再構築する必要がある。今やっと立ち上がろうとしている原子力規制委員会であるが、1年前にできていれば大飯原発の再稼働もこんなにもめなかっただろうし、それに次ぐ原発のめどもついていたただろう。

 要は原子力村、財界、アメリカなどの抵抗を慮って無駄に時を過ごしただけである。

 次に石破の「日本には海兵隊がなく、万一の際の邦人救出さえできない。法律を作って海兵隊を持たなくてはならない」という、総裁選候補としての発言である。「邦人救出」、どっかで聞いたことがあると思ったが、アメリカの海兵隊のことである。

 海兵隊は敵地に強制上陸をする「殴り込み部隊」の任務を負っていた。文字通りその任務についた海兵隊は20年前のソマリア作戦で映像を見た覚えがある。しかしその後は戦争の様態が変化し海兵隊の腕力をふるう場面もすくなくなった。最近は増大する軍事費削減のため、米海兵隊が縮小・廃止のターゲットとされているという実態がある。

 それに危機感を持った海兵隊が主張しはじめたのが「邦人救出」である。また、それが沖縄である必要は、朝鮮半島・中国・台湾に近いということにある。決して日本を守るためではない。日本の領土守備は自衛隊の任務である。日本と共に戦うというのは、在日米人を守るためである。

 これに便乗したのが、石破発言である。時代遅れの海兵隊に対する苦しい論理だが、日米共同作戦として一定の説得力を持つかもしれない。しかし、安全保障の根幹にふれる問題ではない。あまり品がよくない指折り――ではない指開き説得にやすやすと騙されないようにしたほうがいい。

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2012年9月18日 (火)

「尖閣は日本領!」のデモを

 前回、中国の「愛国ゲームに乗るな」という記事を書いたが、もしどうしてもゲームに参加したいなら「尖閣は日本領!」のデモを、「脱原発デモ」に劣らない規模や方法でやったらどうか。中国大使館や領事館をめぐって、中国のように用意された既製品の国旗の小旗などを持たず、各自手作りでスローガンを掲げる。

 勿論モノを投げたり突入したりはせず、解散したら中華料理屋で軽く一杯やって帰ろう。そうすれば、国際社会は中国との違いに目をみはり、日本の主張の正しさに注目するはずだ。これなら、事前の根回しも必要なく、デモのやりかたを中国に教えるいい機会にもなる。

 今朝見た夢、正夢にはならないだろうな。(゚▽゚*)

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2012年9月17日 (月)

反日デモ、7年半前との違い

 塾頭がブログを始めたのが05年4月12日、当塾の前身「反戦老年委員会」で最初のテーマが反日デモ(復刻版はこちら)だった。それから7年半、同じようなことがまた起きたというしかない。一部官制デモとの疑いが持たれ、暴徒化の経過や当局の対応も何か類似している。

 その時の反日の名目は、「日本の国連常任理事国入り反対」とか「首相の靖国参拝反対」だった。尖閣諸島は当時も日本が実効支配していたが「釣魚島を取り返せ」の「釣」の字も出てこなかった。

 強いて共通点をさがすと、その年に民主化に影響力を持った胡耀邦が死に党や政権が独裁体制維持に腐心していたことや、直前に竹島問題で日韓間の対立が激化していたことなどがあげられる。

 また違いといえば、靖国が日本国内でも賛否相半ばしていたのに対し、尖閣は理論的に容喙される点がなく、完全に日本領土で一致していることや、中国の国力が相対的に高まっており、被害者というより覇権主義的な主張が全面に出てきたことだろうか。

 いずれにしても、デモの参加者が反日で得られるものはなにもなく、「愛国」という名のゲームに参加しているだけである。前回の繰り返しというだけなら、日本国内の意見がほとんど一致している点心配はないのだが、日本にも「愛国ゲーム」に参加したがっているごく一部の政治家(そもそもの火付け役は石原慎太郎だが)おり、それに乗じられそうなのが自民党の総裁候補達だということだ。

 中国共産党、特に人民解放軍の超保守派(極左勢力)が日本の旧関東軍のような好戦的な工作を仕掛けた場合、日本はどういう対処をすればいいか。アメリカ頼みではなく、そういった口実を与えないこと、それを真剣に考えておく必要があるということである。これが前回との違いである。

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2012年9月15日 (土)

改憲の流れ、危険水域に

 毎日新聞は8月31日〜9月2日、憲法に関する全国世論調査を面接方式で実施した。結果を要約すると、(◎は塾頭)

◆今の憲法を改めることに賛成ですか、反対ですか。
  賛成 65%  反対 27
*賛成の理由は
a 今の憲法が時代に合っていないから     60
b 米国から押し付けられたものだから      10
c 制定以来、一度も改正されていないから   17
d 自衛隊の活動と憲法9条に隔たりがあるから 8
e 個人の権利を尊重しすぎているから       3

◎改正賛成は09年9月の調査より7ポイント上がって過去最高となった。逆に憲法改正論議に関心があるかどうかとの問いには、関心ありが57%で9ポイント減っている。上述の「理由」aとcを見てもわかるように、差し迫った理由、必要性は感じてないのである。

 つまり、このままではなく「何か変えてほしい」という国民の気持が、民主党の政権交代では果たされず、「維新の会」を「目新しいもの」として飛びつこうとしている心理に相通じるのではないか。また、そういった雰囲気をとらえることを、特に自民党の安倍総裁候補などが狙いをつけているのは明らかだ。

◆9条改正についてどう考えますか。
  何らかの改正が必要      56
  一切、改めるべきでない    37
*改正が必要と答えた方に、どう改正すべきか
a 第1項だけ改めるべきだ     8
b 第2項だけ改めるべきだ     23
c 1項、2項とも改めるべきだ    20
d 新たな条項を付け加えるべきだ 46

◎この調査が塾頭のところへ来たら、「憲法改正には賛成」、9条は「新たな条項を付け加えるべきだ」が答えになってしまう。しかし自衛軍創設を意図する自民党案とはま反対で、「公務員の国外における武力行使を禁止」する項を設ける。解釈改憲のできない9条の強化がその目的だ。

 自民党改憲案などを阻止するために、もはや社・共などの非武装中立や自衛隊の段階的縮小論は役にたたない。また、一時改憲論者をいらだたせた「9条の会」設立だけではだめだ。自民党などは、最近の尖閣・竹島問題などをてこに、改憲ムードを千載一遇の機会に見立て巻き返しをはかるだろう。

 自民党改憲案は、幸いなことに現憲法の要所要所をつぎはぎした、理念を欠いた極めてレベルの低いものである。それに対抗するためには、新しい世界の潮流をとらえた完成度の高い改憲案を用意し、ぶつけなければならない。

 それを国民が自民党案と比較し「どちらを取りますか」と問いかけることで、不安定で危険な改憲への流れをせき止めることが可能になるだろう。最後に「集団的自衛権」への設問を付け加えておこう。これで、かろうじて国民の安保に対する健全な常識が保たれていると信じたい。

◆集団的自衛権を行使できるようにすべきだと思いますか、思いませんか。
   行使できるようにすべきだ 43
   行使できないままでよい  51

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2012年9月13日 (木)

沖縄NO・青森OK

どうしてこうも違う野田。
沖縄の民意は、オスプレー配備反対。
青森の民意は、使用済み核燃料棒受入れ反対。

沖縄には数えきれないほど何度も足を運び、説得に精出した。
青森では、そんな話を聞いたことがないし対策もない。

共通しているのは、アメリカに要人を派遣して顔色をうかがいに行くこと。

原発を30年代にゼロ、新増設はしない、使用期限40年厳守。使用開始には原子力規制員会の厳重なチェックを通ったものだけ。

塾頭は、この政府の新方針に賛成しようと思った。新規制委員会のメンバーに旧原子力村に在籍した人が1人入っているなどのことに目をつぶってもだ。

なぜならば、政治家のほとんどは旧原子力村メンバーかシンパだったのにだれ一人やめていない。

それなら早く決めてその道に邁進させることが先、という判断だ。

ところが、政府が策定する新たなエネルギー・環境戦略の原案が明らかになると、やっぱりだましの核爆弾だということがわかった。

第1に核燃料サイクル政策を維持し、世界が無駄と認めている高速増殖炉・文殊の運転を継続することが青森の要求だというすり替えをしていること。

新たな核燃料を増産して何が「原発ゼロ」だと言いたくなる。

第2に、「この方針は見直しがあり得る」という、ぬけぬけとした抜け道をうたっている点だ。

 これで不信は一層高まった野田。

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2012年9月12日 (水)

土佐藩と維新の会

 大坂の陣で敗れた豊臣側の長宗我部氏に代わって、山内氏が占領軍として土佐に入り領主になった。山内は地元に根付く武士を一切採用せず、主に東方から新規の家来を募集して新政権を築いた。それだけにとどまらず、山内藩は両者に徹底的な身分差別制度を設け、地元の武士を郷士(下士)として農地開拓などに従事させた。

 このため、志ある郷士はつぎつぎと脱藩し、幕末、尊王攘夷の荒波の中でそれぞれが持てる能力と思惑で活躍する。今の政治家が盛んに持ち上げる坂本竜馬もそのひとりであった。

 土佐勤王党というのもあったが、血を血で洗う内部抗争で結局は瓦解、薩長同盟を仕掛けた竜馬も暗殺にたおれる。こうして、戊辰戦争の先陣を錦の御旗を押し立てた薩長が競いあい、土佐は後退する。維新後の権力は薩長が主導権を握った。

 徳富蘇峰はいう。
 「土佐人ご当人たちは他を妥協せしむる力があっても、自分たちを妥協させることは上手ではなかった。もし薩長を妥協せしめたように、土佐を一緒にしてやったならば、薩長のおよぶところではなかったであろう」
 つまり、薩摩の芋畑、長州の蜜柑畑の肥料になってしまった。(奈良本辰也監修『幕末・維新おもしろ事典』)

 竜馬から「船中八策」のアイディアを借りて発足した「維新の会」。衆院選の候補の選び方など、どこか土佐藩と似ていると思いません?。土佐出身の人は、強い改革の意志を持ちながら南国独特の明るさもあって、いま一つつめが甘い。

 せっかく意気込む橋下さんには悪いが、「八策」が実を結ぶ前に、功をあせって身内からの瓦解を招いたり刺客にやられたりして、土佐藩の二の舞を踏むかもしれません。自・民の肥料になるだけなどと言われないよう、くれぐれもご注意のほどを。塾頭の老婆(爺)心です。

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2012年9月10日 (月)

日本の政治と飛鳥川

  世中は何か常なる飛鳥川
  昨日の淵ぞ今日は瀬になる
                          (古今和歌集)

 こう詠むむと、日本の美しい自然風景として眼に浮かべることができる。しかし、政治では全くそうはいかぬ。国民の暮らしも命もなんとはなく不安にさらされかねないからだ。

 民主・自民の代表・総裁選の候補が大体決まったようだ。自民が石破・安倍・石原・町村・林で、谷垣現総裁は派閥の長から疎んじられ候補から降ろされた。彼としては野党総裁として限度ぎりぎりの仕事をしてきたつもりがある。無念さは察して余りがある。

 同じ執行部にいてこれを支えた石原だが、明智光秀に見なされ、これが人気のかせとなるだろう。メディアでは石破が地方票を集めて有利だと見る。軍事オタクで強力な日米連合軍を夢見る石破に、9条改憲が「美しい国」と映ずる安倍が組んで2位連合をねらうとされる。

 しかし石破が1位となったらそれはないし、個別政策の違いもあって総選挙後に安倍と維新の会との連携が実効を現すという場面も考えづらい。石破が総裁になったらむしろ町村や他派閥との接近をはかるのではないか。林芳正は参院山口選挙区で、かつて当塾が応援した戸倉多香子の政敵であったことしか知らない。

 民主の方は、野田のほかに原口・鹿野・赤松の計4人である。野田が圧倒的に有力視されているが、仮に過半数の票が取れなかった場合、他の3人のアンチ野田が鮮明で2位候補に票が集まる可能性がある。

 鹿野・赤松は出身が自民・社会とま反対だが、憲法9条改正やTPPに消極的な点は共通しており、代表選の政策論争で脱原発への対応が争点化し、谷垣不出馬で一体改革の行方があいまいになったりすると、菅グループからも2位に票が行くことが考えられる。

 仮に民主の方もトップが変わるなどの事態が起きれば「飛鳥川」、景色は全く違ったものになって、流れの方向も川筋も全く予測のつかない姿になるだろう。

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2012年9月 9日 (日)

越後に前期古墳

本エントリーは、発表ニュースに重大錯誤があったため、全文削除扱いにします。詳細については、以下をご参照ください。

 http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-4d66.html

 低次元の政局話に覆われてつくされているニュースの中で、塾頭が心はずますフレッシュ・ニュースが飛び込んできた。

 新潟県胎内(たいない)市にある「城(じょう)の山古墳」(4世紀前半)から、長大な舟形木棺や矢を入れる靫(ゆぎ)、刀剣、銅鏡などが未盗掘の状態で出土し同市教委が6日、発表した。北部日本海側では例のない、ヤマト政権期の畿内的要素を持っており、市教委は「初期ヤマト政権と同盟関係にあった王の墓」とみている。(産経新聞2012.9.6)

 ヤマトトトビモモソヒメ→卑弥呼?→ヤマト政権→大彦命→四道将軍→北陸・東海・会津地方に版図拡大……。これは、戦後古代史で「記紀による大和政権の勢力範囲誇大記述」というのが定説になっていた。

 前述の古墳は、そのほぼ一世紀前後あとのものとみられ、能登以北の日本海側にはなかったものだ。この時期は「なぞの4世紀」と呼ばれる。記紀では日本武尊の武勇伝などが主で、そこから神功皇后→朝鮮遠征→難波王朝という過程が説話としてえがかれ、そのまま史実とは見なされていない空白期間である。

 ヤマトトトビモモソヒメで始まった大型前方後円墳をベースに、その墳形の伝播が大和政権の勢力範囲を示す指標となっている。この墓は長径41メートルの楕円形というが、円墳でも方墳てもない、前方後円の形がくずれた形とも言えなくない。

 注目されるのは、その大きさ、形ではなく、鏡・武器などのヤマト前期古墳の副葬品等の共通性で、直接交流があったとしか考えられないことである。塾頭は、自著の取材などで同地を2度ほど訪れたことがある。

 もっとも、塾頭の関心は当時の北蒲原郡黒川村の方で、隣接する中条町にある古墳は知らなかった。現在は双方合併して胎内市になったが、市のヘソのあたりに位置するので、今後脚光をあびることは間違いなさそうだ。

 黒川村は越後山脈を源流とする胎内川の扇状地にあり、中条町はその下流に接して日本海に面する。県内でも知名度は高くないが、中世には有力な荘園として栄え、江戸時代には黒川藩、廃藩置県直後は黒川県都でもあった。明治になってからは、日本における最初の原油採掘地として英人医師シンクルトンが竪井戸を掘ったことで、その記念館もある。

 やや横道にそれたが、ヤマトトトビモモソヒメと同時代人の将軍・大彦命も長い間架空の人物とされてきた。しかし記紀とは別に、埼玉古墳群から先祖の名前として鉄剣に金象嵌で彫られた名前が発見されたので、やや、実在人物に近づいてきたのだ。

 その大彦が、北陸道から越後・弥彦山、そしておそらく阿賀野川河口からさかのぼり会津若松に至り、そこで東海経由でやってきた息子の建沼河別命と会った、それでそこを相津という、と『古事記』が伝える。この方は一足早く、会津大塚山古墳など前期大型前方後円墳などの調査で、ヤマトや北陸との接点が見つかっていた。

 塾頭が注目するのは、ヤマト盆地にひときわ秀麗な山容を示す三輪山と、越後蒲原平野を見下ろすランドマーク弥彦山の類似性である。山全体が神体で岩舟・降臨伝説もありヤマト同様、饒速日尊が関連する。

 この山麓に越後一宮の弥彦神社があるが、祭神を天香山命(あめのかぐやまのみこと)とする。『先代旧事本紀』によれば、天照太神の孫神である饒速日尊と、天道日女命(あめのみちひめ-)との間に生まれた神(天照太神の曾孫神)としている。

 また、大彦命を祭神とする説もあるが、越後平野を「まほろば」と見る位置づけに変わりはなさそうだ。しかし3世紀、4世紀の新潟から、会津・東北南部を結ぶ物的証拠は発見されていなかった。阿賀野川の北に位置する今回の発見は、ヤマト王朝の影響力が卑弥呼以後遠くなくこのラインまで達していたことの有力な証拠になるだろう。

 ネットで地図を拡大したら、さして広くない同古墳所在地の中に、伊夜日子(いやひこ=弥彦)神社と書いた鳥居マークがあった。調べてないが、どうしてその名の神社があるのか、興味は尽きない。

【追記】

14/11/12付の新聞夕刊によると、周辺部の追加発掘で前方後円墳が確定したようです。

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2012年9月 6日 (木)

尖閣さわぎ…、やっぱり!

 こんな滑稽なオチはそうざらにない。『太陽の季節』でデビューし国際的な買い物失敗でその名を残す。見栄えを気にする石原慎太郎知事にはなんとも気の毒な顛末になってしまった。結局、固執した海難避難施設などの要望は容れられないまま、尖閣3島は20億5000万円で国が買うことになったらしい。

 当ブログが7、8月の2度にわたって書いた「お騒がせマン、石原都知事」http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-ebc8.html
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-ce60.html
そのままで、騒ぎはまだ続く。政府の見積もりで、5億がいいところとしていたのが、寄付を14億も集めてしまったので価格はスルスルッと急上昇、20億円超は売主が負っている債務(根抵当権)解消に必要という噂まで立つようになった。

 結局”カネ”だったのだ。集まった寄付金はどうするのだろう。国に譲渡するというが、高い買い物を押し付けられた国へのお詫びのしるしでは、寄付者が納得できない。「よきに計らえ」では、猪瀬さんもたまったものではない。

 このお騒がせマンに加担しているのが中国政権だ。明治時代に国有地だった物件を個人が事業目的で買い取り、いまは国に賃貸しているのだから不要になれば国が買収するというのは、ごく自然だ。

 それを「国有化は認められない」などと騒ぎ立て、かつては、民間の日本人がここで仕事をしていたことを中国人にPRするような効果が出てしまった。中国国内の反対運動も、かつて竹のカーテンと呼ばれていた情報管理が、レースのカーテン程度になったらしい。

 しかし、日本大使の乗用車から日の丸の小旗をもぎ取ったという事件の犯人についての報道だが、最初盛んに報道されていたニセ・ナンバープレートがプッツリ報道されなくなり、偶発的行動(矛盾しますね)と変るなど、大本営発表も心もとない。

 庶民には手の届かない高級車を使っての犯行に、最初から「これはウラがあるぞ」と思っていたが、中国市民にしてみれば、そんなのは「想定の範囲」ということらしい。そこが「レースのカーテン」の「レースのカーテン」たるゆえんである。以下、毎日新聞(9/6)のコラム「木語」から引用する。

 日本の大使公用車を襲った男たちを、北京市公安当局が行政拘留処分などにした。

 不思議なことに、処分された人物像が曖昧模糊(もこ)としている。白いBMWに乗った郭という男(23)、夏という男(25)。銀色のアウディの劉という男(27)。いずれも職業が明らかではない。

 中国には郭や劉という姓の男は大勢いるから、隠しているのと同じことだ。本当に実在の人物ではなく、処分をしたという書類の上にだけ存在する人物ではないかと中国人なら考えるだろう。

(中略) 

 郭という男らが当局に身柄拘束された8月29日、北京の日本大使館前で20人ほどの反日デモがあった。

 香港紙「明報」ネット版で記事と写真を見た。中国旗の小旗を手にしているが、活動家ではない。普段着姿の老若男女。路地裏から出てきたような、生活臭の漂う集団だ。

 「ある人は『日本のやり方に腹を立てた』と言ったが、ある人は『警察にデモに行くよう強制された』と言った」と写真説明にあった。

.郭という男らの支援に警察関係者が動いているらしい。

 同じころ「騰訊網(とうじんもう)」というポータルサイトが調査をしたところ、大使車襲撃を「良いこと」とした回答が82%だった。日本のメディアは、ネットで反日世論が高まったと受け止めているが、中国の庶民なら「また五毛党がかせいだ」と思うだろう。

 中国のインターネット界には「五毛党」と呼ばれる人々がいる。治安当局に都合のいい書き込みをすると1回につき5毛(約6円)の手当が出るという。数をこなせばお茶代になる。82%という数字の裏には、「良い」と書けという当局の指示があるはずだ。

 最近、白いBMWやフェラーリに乗った青年が交通警察の取り締まりで言う決まり文句がある。「おれのパパは××だ」。××は地元の高官である。

 もし、郭という男がこのフレーズを使っていたら、××次第では治安当局は捜査どころかお世話しなくてはならない。当局が隠したいのは男の名前より、パパの名前ではないか。そう考えるのが普通の中国人だろう。(金子秀敏専門編集委員)

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2012年9月 3日 (月)

熱い夏でした。

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関西電力大飯発電所運転後の需給について(毎日新聞9/3夕刊)

Dscf3701_2 エネルギーには、神経を使いました。プロパンガスボンベにはまだ日傘が必要(右)。

しかし、森の上にはかすかに秋の雲(下)。Dscf3697

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2012年9月 2日 (日)

求められているのは「維新」より「安全・安心・安定」だ

 「大阪維新の会」が政界再編の台風の目になっているというが、奇妙な気がして仕方ない。それにあやかろうという「維新」が雨後の竹の子のように各地にはやる。いま、なぜ「維新」にしなければならないのだ。

 明治維新では大勢の人が暗殺され、戊辰戦争による大勢の犠牲者もだした。昭和の代に入って青年将校や右翼が「昭和維新」を旗印に、やはり財界人や政治家要人を暗殺した。その結果が大戦への道となり国民が多く死ぬことになった。

 今、維新をやって何をどう変えようというのか。「船中八策」といっても、道州制や首相公選・憲法改正……。今すぐどうなるという中味ではないし、国民が渇望してることでもない。政治劇場の人気者でありたいという野望で、国政を混乱させるだけなら直ちにやめにしてほしい。

(参考)http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-bb77.html

 国民が望んでいるのは、原発をゼロに向けた政策転換をし、放射能の危険から身の安全を確保すること、福祉政策で安心して暮らせるようにすること、オスプレー配備や沖縄基地の固定化を断り、周辺国と安定的な関係を維持することなどではないか。

 民主党や、自民党の代表・総裁選の候補と目される人の中にそう言った事を実現させてくれそうな人は見当たらない。仮にそういった政策を掲げても、党内でそれを消化実行に移せるような指導力を持つということは至難の業だ。

 それでは、これまで首相経験がなく「安全・安心・安定」を感じさせる知名度の高いベテラン政治家はいないだろうか。絶望するにはあたらない。公正公平を心がける衆議院の議長を経験した横路孝弘と河野洋平、それに自民党の加藤紘一議員などがいる。

 「な~んだ全部左じゃないか」とウヨ諸君はいうだろう。その通りだが世の中がこのところ右へ傾いてしまったので、このあたりが中庸に位置するようになったのだ。橋下のように独断独行ではなく集団指導体制で若手もどんどん起用する。そして、長期安定政権を目指すのだ。危なっかしい「維新新党」よりよほどましだ。

 もちろん、自民でも民主でもない「安・安」新党のたちあけである。小沢一郎の拙速脱党騒ぎを遅らせていれば、最近できた「民主党復活会議」の44人や菅直人などによる「脱原発を考える会」70人余もこれに加わったチャンスがあっただろう。鹿野道彦や山田正彦とそのグループの動向も注目だ。

 さらに自民や社民党からの参加も見込まれるので、第一党は無理にしても政策決定に影響力行使が可能な勢力を目指すことは不可能ではないのではないか。例によって素人の妄想だが、さきに名を上げた人たちをマスコミがステージに乗せることはまずなく、本人たちがどう思ってるかわからない。そこで加藤紘一議員のオフィシャルサイトから、次の部分を転載しておく。

 日本の政局は、各党の違いがよくわからない状況になりました。大連立か、政界再編か、二大政党にこだわるのか、はっきりしません。このような状態がこれから2、3年は続きそうです。私は政界再編に進むべきだと思います。そして、そこには大義名分がなければなりません。政策という明確な旗が掲げられ、国民が選択できるようにならなければ意味がありません。どんな旗が立つべきか、どの旗の下に集うべきなのか、この2年ほど考え続けています。

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