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2012年7月

2012年7月31日 (火)

マルクスは「タカ派」

 われわれはアメリカの議会よりも産軍複合体よりももっと強烈な《タカ派》の有力な理論家をマルクスとエンゲルスの中に見出してびっくりするでしょう。技術と小麦の援助を停止し、ペルシャ湾に派兵し、反抗勢力をたすけるというアメリカの《過剰反応》ぶりにマルクスは大いに満足をあらわすでしょう。「ロシアの専制支配に貢献するオリンピック大会などはとんでもない」ことだといって、マルクスはサルトルやイヴ・モンタンとともにすすんで反対署名をするでしょう。マルクスの反応は、右の頬を打たれても左の頬をさしだすキリストの反応とは当然に異なります。
(藤村信『赤い星三日月絹の道』1984年、岩波書店、より)

 複雑怪奇な中東情勢をめぐり、現地特派員として対立の構造を分析、雑誌「世界」連載した4半世紀前の論稿である。欧米と、ロシア・中国で異なる対応があって解決のめどが解かないシリアの動乱が続く。共産主義とマルクス・エンゲルスにたいする現代社会の極端な誤解と評価が定着するには、これから先あと半世紀以上はかかるだろう。

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2012年7月29日 (日)

国を滅ぼす正義

以下は、城山三郎(1927~2007)の文章を、谷沢永一『百言百話』中公文庫の中で山本夏彦の『藪から棒』の一部として紹介したものである。

 ――「リベートや賄賂というと、新聞はとんでもない悪事のように書くが、本気でそう思っているのかどうかわからない。

 リベートは商取引にはつきもので、悪事ではない。ただそれを貰う席にいないものは、いまいましいから悪くいうが、それは嫉妬であって正義ではない。だからといって恐れながらと上役に訴え出るものがいないのは、いつ自分がその席に座る番が回ってくるか知れないので、故に利口者はリベートをひとり占めにしない。いつも同役にすこし分配して無事である。会社も気をつかって交替させ、同じ人物をそこに置かない。

 我々貧乏人はみな正義で、金持ちと権力ある者はみな正義ではないという論調は、金持ちでもなく権力もない読者を常に喜ばす。タダで喜ばすことができるから、新聞は昔から喜ばして今に至っている。これを迎合という。

 城山三郎著『男子の本懐』は、宰相浜口雄幸と蔵相井上準之助を、私事を忘れて国事に奔走した大丈夫としてえがいている。

 当時の新聞は政財界を最下等の集団だと書くこと今日のようだった。それをうのみにして、若者たちは政財界人を殺したのである。

 汚職や疑惑による損失は、その反動として生じた青年将校の革新運動によるそれとくらべればものの数ではない。血盟団や青年将校たちの正義はのちにわが国を滅ぼした。汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼすのである」

 塾頭は小説家・城山三郎のファンではない。原発や米軍基地そして増税などの問題の中、政治はかつてない信用喪失の中にある。今の時代、何が正義で、誰が唱えるか、正義と不正義国を滅ぼすのはどっちか。そんなことを考えさせる文章ではある。

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2012年7月27日 (金)

オリンピックと民族の話

 「民族の祭典」というベルリン・オリンピックの記録映画を作り、最大限の国威発揚と政治宣伝に効果を上げたのはヒトラーである。塾頭も子供の頃見たが感激した。

「民族」という言葉ほどわからない言葉はない。ヒトラーのいう民族としてのドイツ国民は、アーリア民族でなければならないということだった。西洋史では、ドイツはゲルマン民族と習ったような気がしたが、どう違うのかよくわからない。

 今開会式を迎えたイギリスは、アメリカと共にアングロサクソン民族と称される。これももともと現在のイギリスに古来からある民族ではなく、ヨーロッパ東岸から集団移住し、原住民を征服した複合民族だ。

 古いことを言われると、そもそも民族とは何ぞや、ということになる。日本も縄文人が最初にあって弥生人が後から入ってきた。そもそも、日本で自然発生した人種などあるわけがない。

 人類共通の祖先はアフリカ育ちである。縄文人の出は中国南部、インド、ミクロネシアなどがあがる。北は間宮海峡経由で北方民族が渡来して混血、1万年以上にわたる縄文土器文化を栄えさせたとされる。

 弥生人が渡来したのは3000年前ぐらいからで、水耕栽培や銅器・鉄器の文明を持ち込んだ。これは朝鮮南部から、あるいは徐福伝説のように山東省あたりからの中国ルーツの人が多いのではないかと想像する。さらに同じ経路で4、5世紀以降新技術や文字、芸術、宗教などを携えて大勢の人が主に朝鮮からわたってくる。

 そういった人たちが日本民族で、昔はどうだったか、人種は何かなど、一切問われることがない。アングロサクソンというのは、もっと新しい。イギリスの植民地が世界を覆い、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドを独立させ、英語が世界語となった世界制覇をした白人優越主義の代名詞のように語られることが多い。

 そのイメージを残すせいか、どうもテロの標的にされやすい。イギリスではオリンピック会場近辺にミサイルを配置し、軍・警察など厳重な警備態勢がTVで放映されている。アメリカにしろイギリスにしろ人種のるつぼと言われるほどの多民族国家である。

 したがって民族主義国家にはなり得ないのだが、アングロサクソン民族が世界をまたにかけて支配する横暴な国と思われてしまうのは、どういったわけだろう。民族主義とか純血主義というのが、いかにご都合主義的であるかを痛感する。

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2012年7月25日 (水)

オスプレイの謎2つ

 オスプレイには謎が2つある。ひとつは日本国民が墜落事故だけをおそれて運用反対をとなえているのだろうか、2つ目は、中国や北朝鮮の脅威に備える抑止力になるのだろうか、という点である。

 まずこの1年、世相が大きく変わったことを実感せざるを得ない。国民が学者や専門家、政府や官僚の言うことをまるで信用しなくなったことと、人任せにせずできるだけ自分で調べて判断するようになったことである。

 1年前、これほど原発運転再開のデモに多くの人が自主参加することが考えられただろうか。新聞やメディアが専門的知識や原発の安全性を詳細かつ繰り返し伝えるようになったことも大きい。むしろ、一部専門家の言うことは「怪しい」と疑うのがいつしか通り相場になった。

 これは福島事故の収穫のひとつといっていいだろう。オスプレイ配備反対運動も似た経緯をたどりつつある。国内に配備される兵器の種類をあげ、その危険性を専門的立場からTVで解説するようになったのは、クラスター爆弾以来である。それに引きかえ、護憲勢力の中には、「自衛隊」とか「兵器・装備」など口にするだけで穢らわしい、というような現実逃避の風潮があったが、それでは何も解決しない。

 森本防衛大臣もたびたびTVに登場する。前のコメンテーター時代と違って発言が揺れ動き、目がどことなくうつろで、核心をついた質問には目が泳ぐ。庶民は専門知識がなくてもそれ見ただけで危なさを察知するのだ。もと自衛官のキャリアはかえって逆効果になった。

 最初のテーマに戻ろう。沖縄の普天間基地配属が危険であることはいうまでもない。ここにはかつてヘリコプターが近くの学校に墜落した前科がある。オスプレイの回転翼が何かの理由で大地に接触すると、その破片が操縦士など兵員を直撃しないよう外側に飛散させる機能を持っている。

 たとえ基地内に墜落しても周辺地区に破片がばらまかれるという始末に負えないものだ。だから、海中にV字型滑走路を計画した辺野古が最善でしょ、というふざけた結論になる。岩国をはじめ全国的に反対の火の手があかったのは、単に墜落の危険性だけではないと思う。

 日本全国をなめつくすように低空飛行訓練を年に300何十回もする。市街地をさけ山林上空ということだが、騒音被害で動物の生態系に影響を与え、墜落すれば手におえない山火事の原因になる。アメリカ本土での訓練に反対がでているのに、なぜ日本ならいいのか疑問は当然でてくる。

 オスプレイは、ここへきてようやく日米同盟の偏頗な関係をえぐり出し、沖縄基地問題を本土の問題として共有するようにした功績者と言えるのではないか。

 もう一つの疑問、オスプレイ配備と訓練の目的である。政府筋などから流されている単純な理由は次のようなものである。「中国の軍備増強・脅威に対処し、航続距離が長く、沖縄から北京・上海などまで飛べて大量の軍事物資や海兵隊の精鋭を送りこむことができるから、抑止力になる」。

 中国には対空砲火、ミサイルなどがなく、沿岸警備の陸海空軍もないような話である。オスプレーが低空飛行ができヘリよりスピードが出るといっても、ポータブルの地対空ミサイルがあれば簡単に撃ち落とされるのではないか。

 昔、上陸用舟艇で敵地に殴り込みをかけたような海兵隊の任務はなくなってきており、アメリカでも兵員削減の対象になっている。その任務も、海外における邦人救出や自然災害出動に移りつつあるという。

 また、沖縄在任兵力も中国に近すぎ、攻撃を受けた場合の被害を最小にする目的で減員し移動することになっている。このように「学べば学ぶにつけ」ますます「抑止力」には程遠いのに、「沖縄」「海兵隊」「オスプレイ」の3点セットになると「抑止力」になる不思議さ。

 その不思議さを生み出す3点セットを掲げておこう。アメリカにとって、基地経費が米国内に置くより費用を分担してくれる日本に置くのが財政上得策のこと。オスプレー製造は巨大に雇用を生んでおり、日本で実験を重ね将来有力な輸出兵器にする。

 一方日本では、圧倒的な兵器・兵力で世界へのにらみを維持するアメリカとの同盟関係を深化(片思いかもしれない)させることで、虎の威を借りるのが外交上最善のメリットである。というものであろう。

 なお、塾頭の考えでは、森林地帯の低空飛行というと、ベトナム戦争が想起される。べトコン追い出しのための枯葉作戦、住民の機銃掃射とい不名誉な戦いだ。中国では奥地以外にそんなところはないし、各種ミサイル製造能力のある国で成功するはずはない。

 唯一考えられるのは、中・台開戦直後の台湾東岸であるが、沖縄は当然中国からの反撃を覚悟しなければならない。こういった想定外のことでも訓練を怠らないようにしないと予算が取れないのが軍隊というものであろう。

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2012年7月23日 (月)

反戦塾乗12/7/23

言っていい事悪い事
 「人には言っていいことと悪いことがある」という格言は、今も通用するのかどうか知らない。主に人の生き死にかかわることが多いが、その典型的な例が「2030年の原発依存率に対する意見聴取会で中部電力某課長が行った発言である。

 「放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない、10年20年たってもそれは変らない」、それがたとえ事実であってもタブーはタブーだ。福島第一で「ここから生きて出ることはない」と覚悟してバルブ操作に挑んだ東電社員、生きているうちに再び故郷を見ることのできない被災者は何と聞いただろうか。

 評論家・寺島実郎はTBSのサンデー・モーニングで「たとえ電力会社社員でも口を封ずるべきではない」と言って発言内容の批判は口にしなかった。他のコメンテーターが、会の目的や運用方法から見て問題があると言ってそれをつくろったが、「落ち目だな」と感じさせる一幕だった。

 中国電力以外は、やらせのようなことはしていないという。そのとおりだろう。なぜならば中部電力には抗議が殺到し、あたかもそれが会社の本心のようにとられたことを否定、謝罪文をネットで公表せざるを得なくなったからだ。

 「会社の名誉を傷つけるような行為があった」場合、馘首を含む厳罰を課す社内規定があるのが一般的だ。彼の場合、口頭注意ぐらいで、「よくやった」とばかり頃を見計らって昇進させるようでは、やはりやらせだったということになるだろう。

今ごろ菅直人人気
 7月8日、民主党・生方幸夫議員が地元千葉県松戸市市民劇場で菅前首相を招いて「原発ゼロへの道」フォーラムを開いた。300人の定員はたちまち満席。入れない人が200人以上。生方先生、過去何回も開いたがこんなことは経験したことが無い……と。

 生方先生、入れなかった人のために音声ファイルを公開。

http://ubukata.news.coocan.jp/cgi-bin/blog2/diary.cgi

経験のない雨が降り梅雨が明け⇒九州・山口地方
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2012年7月21日 (土)

粗雑な自民党安保基本法案

 本稿は前回記事の続きとして見ていただけたらと思う。本塾は、憲法9条の文章の背景が大きく変化しており、自民党政権下で解釈改憲が横行し、9条が形骸化されることのないよう、歯止めとなる第3項が考えられるとこれまでも主張してきた(下記参照)。

護憲的改憲論にひそむ危険(08/5/13)
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_97e4.html

 したがってその骨子を規定する基本法は必要と考えるが、自民党のホームページで発表されている「国家安全保障基本法案(概要)」のように国、国民、自治体に責務を押し付ける内容ではなく、逆に自衛隊の海外での武力行使を禁止するための具体案を盛り込むものでなくてはならない。

 自民党案を見て感じたことは、憲法の前文がうたっている立場、つまり世界全人類の協調があってこそ、日本国および国民の安全が保障されるという歴史観がない。さらに敷衍すると、現憲法前文にある「人間相互の関係を支配する崇高な理想」の自覚と、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有すること」の確認という理念がスポイルされているばかりではなく、それに代わるべき精神的支柱もないということである。

 これは、自民党改憲案の前文が、「国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する」という、○○主義というこなれていない用語の羅列だけで、継承する中味を示さないというか故意に中味を除外して9条の改変を試みるという、法律としては整合性のない屈折した素案になっている点で全く軌を一にする。

 このような、粗雑で明治憲法や現憲法よりはるかに格調のない、国や国民のアイデンティティーの欠けた改憲案しか提示されないというのは、国民にとって不幸なことである。さらに、「集団的自衛権」と「自衛権」の名のもとに自衛隊の正規軍的な改変をはかろうというのが、この基本法案の改憲にそなえた姑息の手段であり、換骨奪胎作業であると言わざるを得ない。

 およそ法律のベテランが起草したとは思えないずさんな基本法案は、一体誰が誰のために作ったのであろう。塾頭は敢えて言う。軍事費の一部肩代わりと戦争の人的被害を軽減したいアメリカ。そして、世界最強のアメリカに追随するのが日本の安全にとって最善(一面の真理はあるが恒久平和・地球規模の平和は意味しない)と信ずる日本の産軍共同体自らのためである。

 本稿では次の3点を指摘しておこう。まず第2条の目的と基本方針の中で「自由と民主主義を基調とする我が国の独立と平和を守り、国益を確保」とある。自由と民主主義は現憲法にも基本理念としてうたわれているが、国内にそれを根付かせるためで安全保障とは無関係とである。

 これは、日米同盟や米国の太平洋戦略を言う場合よく使われる「価値観の共有」とか「価値観外交」といった線上の使い方であろう。つまり、言外に中国・北朝鮮やイスラム国家を日米豪の対極に置いた考え方だ。現憲法前文の汎世界的な考えとは全く異質なものである。

 改憲に熱心な戦前回帰派や教育勅語礼賛派はどう考えるのだろう。明治当初に板垣退助の自由民権運動があっただけで、大正デモクラシーは民本主義と言い換えざるを得ず、戦時中は自由主義も弾圧を受けた。もともと自由と民主主義の国ではなかったのである。

 第2点は、第3条と4条で国、政府、地方公共団体、国民の安全保障施策への協力義務(責務)を定めていることである。ここには、主権在民の精神はおろか議会の存在も無視されている。国には安全保障上の必要な配慮として、教育、科学技術、建設、運輸、通信その他内政の各分野での協力である。

 教育から平和教育が排除され、核開発技術の推進、道路網整備などの軍事転用にも考慮を払えということか。また、基地新増設、オスプレー配備などには、地方公共団体に対して協力義務が課せられる。国民の責務には具体的項目がないが、基地反対闘争が協力義務違反とされ、徴兵制度に道を開くものとなればゾーッとせざるを得ない。

 最後は、「国連憲章で定められた自衛権の行使」という、あたかも国連が武力行使の権利を認証しているかのような表現で扱っていることである。国連は緊急かつ代わるべき手段のない一時的な範囲で例外的に自衛権を認めているのであって、戦争を合法化したものではない。
 
  その武力を行使するためには「我が国、あるいは我が国と密接な関係にある他国に対する、外部からの武力攻撃が発生した事態であること」が必要で、かつ関係国から「我が国の支援についての要請があること」としている。またそれには「国会の適切な関与」を求めているが「承認決議」は下位の法律に委ねるなどと軽視されている。

 つまり、ニューヨークの高層ビルが爆破された、大統領が「これは戦争だ」と叫び、時をおかずアフガンへの侵攻作戦を準備し、イラクに大量破壊兵器があるとして進撃を開始する。国連への手続きはアメリカが行うが、決議内容はアメリカが勝手に判断して行動を起こす。

 当然アメリカは、共同軍事行動を日本に要求する。この基本法を通せば小泉首相当時のように、洋上給油だけとか後方支援ならば、などと言うことでは済まない。アメリカの都合で血を流す戦争に自発的に加担しなければならないことになる。

 そして、国民は反対のデモなど起こせない。国民は協力の責務を負うことになるからだ。どうかすると反対運動は軍事的手段によらない間接的侵害と見なされかねない。自衛隊に与えられた「公共の秩序維持にあたる」任務で武力弾圧されるという、かつての治安維持法にすらないような条文(第8条)もある。

 断っておくが、1960年に岸元首相が締結して現在なお続いている日米安保条約にはそんなことは一切書いてない。それには手をつけず、集団的自衛権どころか、地域限定のない2国間攻守同盟にまで性格を変えてしまおうという、恐ろしい内容を盛り込んだのがこの基本法案である。

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2012年7月17日 (火)

野田政権、安保で自民と裏取引か

 7月10日付で「どじょうの頭は右へ右へ」という記事を書いた。「国家戦略会議フロンティア分科会」なる諮問委員会の報告に関連し、そこでは、女性宮家創設の動きに対して述べた。いまひとつ、本塾にとってより重要な集団的自衛権解釈変更を目論む動きについては留保しておいた。

 今回は、それを取り上げる。これについては、7月4日に自民党・石破元防衛大臣が同党の集団的自衛権を前提にした「国家安全保障基本法案(概要)」を発表し、そのわずか2日あとの6日に上記の分科会報告がでたことに留意したい。

 タイミングそのものは、偶然かも知れない。しかし、大新聞として唯一(と思う)読売新聞が16日になって分科会報告を社説に取り上げた。それを見ていると、どうも標題のようなことがあったように読めてしまうのだ。

 その最初に「日本は集団的自衛権を保有しているが、行使はできない――。この奇妙で、問題の多い政府の憲法解釈を見直すべきだという考え方は今や、多くの有識者の共通認識である」と、言っている。

 「多くの有識者」というのは、上記会議のメンバーであり、その結論を待ちかねていた読売新聞の論説記者で、決して国民世論とはいえないだろう。そして続ける。「今回の提言が、やや低調だった憲法解釈の見直し論議を活発化させたことを評価したい。」

 これも奇妙だ。報告のあと1週間、もっと議論するべきだと思っていたが他のマスメディアは概して冷ややかで(それでは困るのだが)、読売だけがはしゃいでいるように見える。そして、以下が核心部分だ。

 提言に素早く反応したのが野田首相だ。国会答弁で、「政府内の議論も詰めたい」「集団的自衛権の一部を必要最小限度の自衛権に含むというのは、一つの考えだ」と語り、集団的自衛権の行使容認に前向きな姿勢を示した。

 首相は、「行使容認」が持論だが、昨年9月の就任後は「現段階で解釈変更は考えていない」と繰り返していた。首相が持論の“封印”を解いた意義は大きい。(中略)野田首相が政治決断するための機は熟したとも言えよう。

 「やや低調だった憲法解釈」がトントン拍子で進んだのは、消費税と社会保障の一体改革で民・自が急接近するなかで、野田首相の撒き餌のひとつだったのではないかと疑わせる、読売新聞の正直な書きぶりではある。

 しかし、読売新聞の期待通りには進まない。自民党にとって最大難関は公明党だ。消費増税には、創価学会の反発が強く、選挙戦略の見直しまでささやかれている。護憲・平和志向は池田氏による学会の金字塔、合意はより困難だろう。

 また、民主党にも問題がある。小沢新党に抜けたメンバー以外にも護憲・リベラルをとなえる中間派が少なくない。鳩山グループとともに脱・野田派がでれば、もう自民の軍門に降り合同しかなくなるのではないか。ただ、それ以外の新党グループが解釈改憲へなだれ込んでくる危険ははらんでいる。

 「脱原発」とともに最大級の警戒をおこたってはならない。

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2012年7月16日 (月)

海の日だとさ

 今日は祝日、「海の日」なそうな。数ある祝日のおうち国民に一番なじみのない祝日ではないか。現役をはなれると公共機関が休みというだけでなんのメリットもない。ちなみに、配達された新聞で探したが、海に関連する漢字の読みを解くクイズが一つあっただけで、、「海の日」関連記事は一切なかった。

 塾頭は、戦前にあった海軍記念日の復活かな、と思ったがさにあらず、海の記念日の名残であった。参考にWikipediaから引用する。

【海軍記念日】第二次世界大戦以前に5月27日を海軍記念日としていた。1905年(明治38年)5月27日に行われた日本海海戦を記念して制定された。1945年に敗戦とともに廃止された。

【海の記念日】祝日化される前は海の記念日という記念日であった。海の記念日は、1876年(明治9年)、明治天皇の東北地方巡幸の際、それまでの軍艦ではなく灯台巡視の汽船「明治丸」によって航海をし、7月20日に横浜港に帰着したことにちなみ、1941年(昭和16年)に逓信大臣村田省蔵の提唱により制定された。

 なんだ、前身は明治天皇というより当時の逓信大臣のための記念日ではないか。現・海の日の、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」などと全く意味が違うではないか。国会でまじめに審議したのであろうか?。

 昭和天皇の弟君で当時の若手海軍中佐・高松宮殿下も、この記念日は全く気乗りがしなかったようである。現人神(あらひとがみ)の弟、やはり人の子である。(『高松宮日記第三巻』中央公論社、昭和十六年より)

七月二十日 日曜 雨
 〇九〇〇、海の記念日の海洋少年団や明治丸を見にゆく筈の処、夜来の雨で逓信省より「来ないでよい」とのことに止める。海の日にもともと来てくれが海軍省普及部からいつてきたし、まだ海軍がシリオシせねばならぬので気のりがせぬし、唯少年団の前を自動車で徐行したり、明治丸でシルクハットの連中に拝謁を賜ったり、「長門」の艦型をつくつた家をたてる訓練所の敷地を見たり、どうもたいして行きたくなかったので、よい事にして止めた。

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2012年7月14日 (土)

不毛な原発ことばあそび

 前回、小沢新党の原発政策が「脱原発の方向性」という具体性のないものであることを指摘した。一方で、事故後1年4か月もたつのに政府与党に原発政策のビジョンがなく、事故前と原子力村の構図を変革せずに大飯原発を再稼働させたため、反対デモを無視できないほど拡大させてしまった。

 デモの要求は、すでに「脱原発」を通りこして「反原発」に移行しているように見える。前回、この責任は「脱原発依存」というあいまいな造語をして、見える形の手を打ってこなかった政府の責任である、といった。

  これまでも「脱原発」「脱原発依存」「反原発」の言葉の違いをはっきりさせなくてはならないと説いてきた。早くいえば、漸次原発を減らし、ゼロとする年次を決めておくのが「脱原発」、ゼロにするのではなく比率を下げようというのが「脱原発依存」、原発稼働はすぐにでもやめろというのが「反原発」である。

 以上は、前回記事からの引用である。そこへまたまた、嘉田由紀子滋賀県知事が「卒原発」、経済同友会は「縮原発」などと言いだしはじめた。民主党は、かつて推進派を「原発ルネッサンス」と勢いづけた原発比率50%論の撤回反省から始めなくてはならないのに、それすらまだしていない。

 その中で議員組織の「原発ゼロの会」だけが目をひくが、もう「言葉遊び」はいい加減にしてほしい。原発輸出でアメリカの鼻息をうかがうようなことはやめて、早く脱原発のプログラムをはっきり示すべきだ。それがないから前回も言ったが大飯再開が不明朗さを残し、果てしないデモが続いているのだ。

 ついでに言っておくが、政府に数えきれないほどあるなんとか諮問会議、かんとか有識者会議、なになに検討委員会などにはうんざりする。政府や官僚の思惑通りの報告をだすため、あらかじめ人選に手を加え、あるいはいく通りもの選択肢をそのまま書いて平然としている無責任答申。これらも「決められない政治」を増幅させている元凶だ。

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2012年7月12日 (木)

小沢新党と「脱原発」

 「国民の生活が第一党」がスタートし小沢党首が第一声を発した。基本政策は反消費増税と脱原発の二本柱である。この新党に国民が期待していないのは、世論調査の結果を待つまでもなく当然である。その2つなら共産党や社民党がとっくに打ち出している古証文と同じだ。

 原発に関しては、なんとなく変な言い回しで、民主党の発明した「脱原発依存」よりさらに訴求力の劣る「脱原発方向性」である。

原子力は過渡的なエネルギーと位置づけ、原子力発電に変わる新エネルギー開発に努め「脱原発」の方向性を鮮明にする。(毎日新聞による要旨)

 詳しい政策は追って発表されるそうだが、「過渡的エネルギー論」は3.11以前からあり、あまり期待できるものはでないだろう。原発政策については、これまで推進に手を貸していた自民・民主の幹部としての反省の弁が全くない。その点、同罪のそしりは免れないだろう。

 もし脱原発プログラムを作る時間的余裕がないのであれば、社民党が「脱原発」の唯一しっかりした展望を掲げている。「オリーブの木」だそうだから、手始めに「大賛成」とばかりそれに乗ったらどうか。

【社民党の政策】
http://www5.sdp.or.jp/policy/policy/energy/energy0712.htm

 本塾は、これまでも「脱原発」「脱原発依存」「反原発」の言葉の違いをはっきりさせなくてはならないと説いてきた。早くいえば、漸次原発を減らし、ゼロとする年次を決めておくのが「脱原発」、ゼロにするのではなく比率を下げようというのが「脱原発依存」、原発稼働はすぐにでもやめろというのが「反原発」である。

【既述】
脱原発の定義が必要(11/7/10)
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-fd93.html
なぜ「脱原発依存」ではいけないか(11/9/22)
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-337f.html

 3つの用語は全く違う意味合いを持つが、マスコミは無神経で使い分けをほとんどしていない。小沢発言を「反原発」と表現したところもある。しかし、出てきたのは「脱原発方向性」という、またまた意味不明の新語である。国民は、だまされないよう、政策の先行きによほど注意をした方がいい。

 塾頭は「脱原発」論者であるが、大飯原発再開に限れば「反原発」である。理由は、原子力村解体が進んでいない、福島第一の事故原因調査による新安全基準が未完である、住民避難対策がない、地震等の新知見が軽視されている等のほかに、「脱原発」が明言されていないことをあげる。

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2012年7月10日 (火)

どじょうの頭は右へ右へ

 「女性宮家:複数案を併記 政府、年内に集約…皇室典範改正」、「野田政権の国家戦略会議フロンティア分科会、2050年に向けた日本の将来像を提言する報告書を提出」、いずれも、先週7日付の毎日新聞記事だ。

 今直ちに、という話でもないので、他のテーマを優先させたが、前者は女性天皇論を封じ込めるため、後者は、集団的自衛権の憲法解釈を変える地ならしとして提出されたように思える。

 野田首相のどじょうの頭がどんどん右に傾いている現象のひとつだろう。こうして脱党者相次ぐ民主党の行き着く先として、野田・前原を中心に右傾化を促進させ、将来自民との合併を目指しているとさえ思えるのだ。両施策に共通するのは、森本防衛相起用もそうだが、安倍・麻生首相当時のアドバイザー・メンバーがちらほらするようになったからである。

 後者は、本塾でこれまでもたびたび取り上げてきた主要テーマなので別稿にゆずり、前者の、女性宮家の創設には、「将来の女系天皇誕生につながる」と懸念強いとする保守派に配慮したものだという同紙の解説への感想を書きたい。

 保守派というのは具体的に誰をさすのかわからないが、その論客としては、桜井よし子とか八木秀次などを思い出す。万世一系論は、歴史的・学術的に見てすでに破たんしており、八木教授の「神武天皇のY染色体説」などが物笑いの種になったが、いまだに万世一系信者は根を張っているらしい。彼ら彼女らはのバイブルは『日本書紀』か『古事記』なのだろうか。

 それをどこまで読みこんでいるかわからないが、都合の良いさわりだけではないのか。始祖といわれる天照大神、はじめて大和の巨大古墳に入り、考古学者から卑弥呼ではないかとされるヤマトトトビモモソヒメ、朝鮮遠征の指揮をとったという神功皇后。以上3人はすべて女性である。

 始祖はともかくとして、後の2人は書紀も「天皇」としていない。しかしこの頃はまだ「天皇」という言葉がない。呼び名としては「ヒコノミコト」とか「ヒメノミコト」が固有名詞の下につくだけで、十分トップ階級の人であることを意味した。

 政治的地位を示す言葉もまだない。あったとすれば「キミ」か「オオキミ」だが、単に「キミ」なら地方首長クラスにごろごろいた。大和王朝はその連合体である。その後、推古・皇極・斉明・持統と画期的な業績を残す女帝が現れるが、「天皇」に相当する呼び名が定着するのは持統よりあとである。

 つまり、天皇の名で神武以後をつなげて天皇の系図を完成させたのは書紀にほかならないのである。塾頭は、自著でも津田左右吉流の記紀批判の批判をし、書紀の記述を信用する方であるが、中国や西欧の男性家系相続が厳守されてきたとは、到底信じられない。

 そして、女性は天皇・皇后の区別なく、祭祀・卜占・軍事・外交など、不可視的判断を下す最高権威者だったのではないかと想像している。だから中国人から見れば卑弥呼は倭王に見えただろうし、律令を完成させ、何につけ中国風にしたかった天武・持統以後は、男系一統を装うことになったのだろう。

 書紀では、短い記事であまり知られていないが神武東征の際、丹敷戸畔(にしきとべ)と新城戸畔という2名の女性酋長を殺している。また、神功皇后摂政前記では

  転(うつ)りまして山門県に至りて、則ち土蜘蛛田油津媛(たぶらつひめ)を誅(つみな)ふ。時に田油津媛が兄夏羽、軍を興して迎へ来(まう)く。然るに其の妹の誅(ころ)されたることを聞きて逃げぬ(『日本書紀(二)』岩波文庫)

とあり、その他風土記を合わせると数人の女性首長が記録されている。万世一系論のはじまりは、ずっと後世になった南北朝時代北畠親房の『神皇正統記』であるが、これは南朝の正当性を強調するためで、あえて排除されている天皇もあるので、一系だとは言っていない。

 そこから江戸時代にくだり、古事記を掘り起こした本居宣長、国学者・平田篤胤と引き継がれ儒教に重きを置く徳川光圀の水戸学に引き継がれる。それが尊王攘夷の一方の旗印となるが維新開国を受け影が薄くなる。

 明治に入り民心統一のため掘り起こしたのが伊藤博文をはじめとする薩長政権である。万世一系論は、明治後半に根付いたもので、大和朝廷による祭祀や象徴天皇が古墳時代から続いている素朴な伝統ということ以外、古来の美風、天壌無窮の国体といったものではないことは明らかだ。

 保守系の女系排除論は、その素朴な伝統さえ断絶させようとする超危険思想というほかない。谷垣自民総裁の愛読書は『神皇正統記』だそうだが、野田どじょう大臣は、その点よく相談した方がいい。

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2012年7月 9日 (月)

オスプレー全国に?

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      罪作り 遊具で オスプレー思いだし

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2012年7月 8日 (日)

お騒がせマン、石原都知事

 尖閣諸島を国が買い取る意向であることが報道された。石原知事は、買い取り費用として13億2520万円(5日現在)の寄付金を集め、「民主党の人気稼ぎ。『君らは黙っていなさい』と伝えた」(読売新聞)と豪語している。

 結局は国に引き継ぐ意向らしいが、この間をどううまくつなげるか思案に余って検討チームにまる投げしているらしい。そもそもこれら島嶼は明治時代に国有地だったものを鳥毛採取を目的に古賀某が無償で借り受け、事業が軌道に乗ったころ払下げを受けたものである。

http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-26bb.html

 それが事業放棄後も相続や譲渡などで現在に至ったもので、逆に国が賃借する立場になっている。持主が所有権を返還したいというなら、もとの国有地にもどすのが順当で、中国が目くじらを立てるようなことではない。

 そもそも政府は、上記のような所有関係の変転そのものを、我が国の領土として平穏に所有し続けてきたなによりの証拠として示してきたのである。それを反中意識の強い石原知事が買うなどと言いだしたから急に問題化した。

 毎日新聞7/7付夕刊の解説によると「国有化は自民党政権時代も検討されたが、価格面などで折り合いがつかなかった」としている。となると、持主は「石原ならもっと高く値踏みするだろう」と買主を変えたのだと誤解されかねない。

 いかに地下資源で脚光を浴びたと言っても、島は島であって石油鉱区ではない。都心じゃあるまいし13億もの値段がつく物件ではない。しかし中国が買うといえばもっと多くだしてくる可能性だってある。知事は全く余計なことをしてくれたものだ。

 わざわざアメリカまで行って思わせぶりの予告をした上での買い取り宣言。その上新聞広告を計画するなど日本が実効支配し、領土問題は存在しないといっているのに、騒ぎ立てて問題化しようとしている。

 「民主党の人気稼ぎ」はそのまま、石原知事の頭上にふりかかることをまるで意識していない。お騒がせどころか、日本国にとってまことに有害かつおめでたい存在である。

参考
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-d91b.html

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2012年7月 6日 (金)

続・検証「脱原発依存」

 前回に引き続き、毎日新聞の特集[検証・大震災]から要点を紹介する。(《》内は引用文で太字は塾頭=引用の仕方としては邪道なので、下記全文でご確認願いたい)。
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20120705ddm010040023000c.html

【浜岡原発】
 大地震の発生確率が際立って高い中部電力浜岡原発について《経済産業省は浜岡停止と引き換えに他の原発を再稼働さらるシナリオを描いていた。》昨年5月6日、菅直人首相が緊急記者会見で停止を発表、《この日から再稼働の動きが加速する。》

 この方針を提言したのは、当時官房副長官であった仙石由人氏で川勝平太静岡県知事が難色を示していたこともある。仙石は、野田内閣になってからも、関係閣僚会議に政調会長代行として原子力行政に関与するが《「原発を減らしていくのは悪くはない。しかし、電力不足や火力頼みになれば、産業が弱くなる。日本の富が海外に流れてしまう」》という《持論》を持っていた。

【玄海原発】
 経産省が再稼働1号として念頭に置いていたのは玄海原発である。《「玄海原発は、太平洋側に比べて津波の恐れが少ない。運転開始から36年の1号機と違い、2、3号機は高経年化の問題もないな」。海江田経産相は松永和夫次官らとシナリオを練った。》

 しかし、経産大臣らの計画と行動は菅首相の了承を得たものでなく、菅の怒りにふれ白紙に戻った。

枝野野田の温度差】
 「放射能つけちゃうぞ」発言で野田内閣経産相を辞任させられた鉢呂吉雄氏の後任として、就任要請を受けた枝野氏は、一旦辞退し《ともに原発事故対応にあたった福山哲郎前官房副長官を推薦した。「3.・11」を知らない他の政治家が、この時点で経産相になるのはまずい、と考えたのだ。》

 野田首相は半日後もう一度枝野に要請した。枝野は《おれ、菅政権の脱原発依存方針を踏襲するけど、それでもいいんですか?」。念を押した。首相が就任早々、記者会見などで原発再稼働させる方針を表明していたからだ。首相の答えは「それで行ってくれ」》。

 《経産相に就任した枝野氏は、しかしいくつかの原発は自ら再稼働させなければならないことを覚悟していた。》

【大飯原発再開への関与】
 こうして、枝野は仙石を含む関係閣僚会議を経て大飯原発再開の準備に入る。福井県の説得経過は前回にも触れだが、消費地自治体の合意という難問解決もあった。枝野は、電力会社に最大の焦点である橋下徹大阪市長などの説得が必要、と伝える。

 電力需給対策などエネルギー政策全般にかかわる司令塔として設けられた内閣官房戦略室だが《菅首相が退陣し野田政権に変わったころ、戦略室に民間から出向していたシンクタンク研究員ら脱原発派し任期切れに伴って相次いで去り、経産省出身者ら官僚が主導権を握る体制に変わっていた。》

 そこから、参考資料として関電が作った需給見通しが発表されたころ、《関電の森詳介会長ら首脳は毎週のように上京し、永田町で早期稼働の必要性を訴えていた。経営陣の一人は「自民党や民主党はもちろん、公明党の先生にもお会いした」という。対象は安倍晋三、麻生太郎の両首脳経験者にも及んだ。》

 《5月24日、西川(福井県)知事は記者会見で関西圏の首長の慎重姿勢に「電気が必要ないなら、動かす必要はない」とまで発言する。これを知った枝野経産相は周囲に「おれが言えないことを言ってくれた」と語った。大阪市長らは計画停電の覚悟を迫られる。》

 県側から交渉役を断られた枝野経産相の代役として細野豪志原発事故担当相が登場する。《原発を規制する立場の大臣の方が、慎重派の首長と話しやすいとかんがえたからだった。》橋下市長に近い大前研一氏が細野氏と共通の知人であったことも、稼働容認に作用したとも考えられる。

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2012年7月 5日 (木)

検証「脱原発依存」

 毎日新聞では[検証・大震災]という特集を掲載している。7/5日付では、原発再稼働を中心に、1面の3分の1、14、15面全頁をこれに費やしている。要人の発言などをドキュメント・タッチで紹介しており、これまで想像はしていたものの「脱原発依存」の舞台回しをしていたキーマンの役柄や真意がわかる点で興味深い。

 これは報道記事ではないが、後日歴史編纂などの際、一級史料として扱われる可能性が高く、見過ごせない。以下、要点のつまみ食いのような紹介になるが《》内は引用文(太字は塾頭)で、全体は電子版その他の方法で確認していただきたい。

【大飯再稼働同意について】
 原発稼働ゼロがひと月余り続いたのは、政府・電力会社にとって大いに誤算であった。というのは西川一誠福井県知事は、再稼働賛成で県議会の同意も容易に得られるものだと思っていたからである。

 知事の要求は、首相の国策としての稼働再開を記者会見して国民に明らかにしてほしいという点である。首相は《会見に極めて慎重だった》。《会見の文言を巡り、窓口となった経産省原子力安全・保安院都県の調整がつかない。

 関連産業の存続に向け、原発を電力の主力と位置づける「基幹電源」の表現を入れたい県。野田首相は政権の「脱原発」の方針と相いれないと難色を示す。県側から、表現を弱めた「重要な電源」で折り合う》

 その2カ月前4月14日、枝野幸男経産相は「再稼働妥当」の政府決定を伝えに福井に行った。《その直前、政権内で最も「脱原発」色が強い枝野氏は経産省資源エネルギー庁の今井尚哉次長に「(知事との面会で)『基幹電源』という言葉は絶対に使わない」と宣言していた。知事に「原発を今後とも重要な電源として活用することが必要」と述べた後、記者団には「政府の方針は原発依存からの脱却」とトーンを変えた。枝野氏は周辺に「原発推進と言われるよりは、発言がぶれたと批判される方がましだと思った」と語った。》

 《再稼働にかかわった政権幹部は嘆いた。「野田さんは最後は会見までしたが、原発には関心が薄かったからなあ」。「原発依存」を掲げる政権の足元が揺らぐ中、大飯3号機は7月5日、送電を開始する。》

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2012年7月 3日 (火)

民主党自壊に思う

 先月来、民主党の政局がらみで3本の記事を書いてきた。「妄言・政局展望」「民主党自壊」「続・民主党自壊」である。昨日(7/2)民主党の小沢グループは、衆院38名と参院12名の離党届(3日に1名撤回・衆院37名)を党に提出、「分裂」、塾頭に言わせれば「自壊」の緒についた。

 塾頭の見立てと大いに違ったのは、増税法案採決では小沢欠席、その他は自主投票で分裂の危機を最小限避け、会期末に予想される内閣不信任案で勝負にでるのかと思っていたが、それが急展開したことである。

 そうすることによって、消費増税には賛成でも、原発政策、沖縄基地などその他の野田施政方針に反対する中間派の議員の反対票が増える可能性があり、小沢主導ではない、政策本位の真の政界再編が進むという期待感もあったからである。
 
 一方、渾身の努力で分裂回避の仲介にあたった輿石幹事長は、陸山会にかかわる小沢裁判の一審無罪判決で、本人に課せられていた党員資格停止処分を他の党幹部の反対をおして解除した恩人である。

 さらに、これから始まる参院の審議で党の参院会長でもある輿石氏の立場を考えれば、その政治力を決定的に奪う離党行為は「死ね」と言っているに等しい。このような道義にもとる恥知らずの行動は、まさに「こわし屋」以下で、彼を嫌っている人に共通している彼の欠点ではないか。

 100歩譲って、個人的な道義心より、国民・国家が大事でそれを優先するという考えだったとしよう。しかし、離党者の数や、新党の基本的政策・理念も不明のまま、地方政党とオリーブの木連合だ、などと言っているのはどうか。

 イタリアの真似をしようというご都合主義だが、まだできていない政党同士で手を結ぶというのは聞いたことがない。消費増税と原発再開反対なら、既存政党である共産党の方が先輩格だし、イタリアでは共産党もからんでいた。だが、そんな話にはならない。もっとも、日本共産党はどこまで政策実現を考えているか疑問なので無理な話だ。

 結局、小沢新党では国民の支持が得られず、新党連合も砂上の楼閣に終わるだろう。小沢がそのような危険をおかしてやや性急な行動に出たのは、見通しがあってのことでなく、あせりがそうさせたか剛腕の過信によるものか。いずれにしても、日本の政治にとってプラスになるものは何もない、と断ぜざるを得ない。

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2012年7月 2日 (月)

ハシズムのレベル

橋下氏は「憲法9条は、自分が嫌なことはしないという価値観だ。自己犠牲しないなら、僕は別の国に住もうかと思う」(2月24日、記者団に)とまで言っています。[『赤旗』より]

 大阪市長橋下徹に次の歌を捧げよう。塾頭が子供の頃戦争ごっこでよく歌った。明治時代からある歌だ。

敵は幾万ありとても
すべて烏合(うごう)の勢なるぞ
烏合の勢にあらずとも
味方に正しき道理あり
邪はそれ正に勝ちがたく
直は曲にぞ勝栗の
堅き心の一徹は
石に矢の立つためしあり
石に立つ矢のためしあり
などて恐るる事やある
などてたゆとう事やある

 戦争を知らない橋下市長の知的レベルによく符合する。自分は正義であり相手はいつでも邪悪である。戦争すれば必ず味方が勝つ。一徹で妥協はしない。米ブッシュ前大統領演説もそんな調子だった。Wikipediaによると北朝鮮ではそのメロディーが今も生きており、軍歌になっているとういう。

 9条のない別の国に住みたいとのこと。先軍主義のかっこいい北朝鮮ではお気に召さないだろうか。自己犠牲なら、自爆テロを得意とするアルカイダがうってつけ。それは国でないというなら、アメリカへどうぞ。ただし志願兵の登録だけは忘れずに。

 軍人は人殺しが仕事だ。人間なら嫌いなことだ。それができるようにするため、兵士になると当たり前の人の心をザラザラにする訓練から始まる。それをイラクやアフガンに行って実地に体験する。取り返しのつかない深い心の傷(PTSD)を負って帰国し、まともな職業にもつけない人が少なくない。アメリカでは、これが社会問題にもなっている。

 そんなことを希望する人に政治家などやってほしくない。弁護士でもご免だ。一刻もはやく日本から希望する国に出て行ってほしい。

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