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2012年4月

2012年4月30日 (月)

小沢裁判と庶民感覚

 「小沢議員を支持するわけではないが……」といちいち断り書きをしなければならないのは、困ったものだ。ネット言論の限界は、「右翼」だとか「左翼」だとか「小沢信者」あるいは「反小沢」などとレッテル貼りをし、それで思考停止をしてしまう傾向のあることだ。

  まあそれはどうぞご勝手に――ということにして、中央5大紙が足並みをそろえ、かつて小沢バッシングに精出した手前か、無罪判決に水を差す論調が目立つのを取り上げたい。訴訟や判決にないことまで匂わして世論に媚びようとする内容は、どこから見ても見苦しい限りだ。

 まず、「4億円もの大金を現金で用立てるなど、庶民感覚にほど遠い」などというものである。たしかに、塾頭から見れば天文学的金額であるが、このところ、ちょっとした小金持ちなら持っていそうな金額で、事業家ならずとも名の知れたタレントや野球選手ならはした金だろう。

 政治に金がかかるのは、古今東西の常識である。日本は清廉潔白をよしとするが、昔は「井戸塀」と言って政治家になると財産をすりへらし、井戸と塀しか残らないという格言もあったぐらいだ。4億円の私財が多すぎるというという根拠はどこにあるのだろう。アメリカの大統領選では、公然と桁違いの金が動くが、それに対し「庶民感覚」云々などという非難は聞いたことがない。

 もちろん、賄賂は言語道断、選挙民の買収もあってはならない。これらに、厳罰を科すのは当然である。そのために政治資金収支報告書でチェックする仕掛けになっている。検察は当然賄賂を立証したかったのだ。ところが証拠が出てこないので、「その帳面のつけ方がよくない」という容疑に切り替え、秘書と小沢議員が共謀したということにしたが結局不起訴処分にした。それをおして「検察審査会」の強制起訴で裁判になつたわけだ。

 もちろん、判決文には「庶民感覚」などという文言は一切ないのに、マスコミの判決ではそうなる。マスコミが政治とカネの問題を追及するのは大いに結構。しかし、資金集めをしない政治家が立派で、財産調べでは貧乏な方がいい政治家のように印象付けるのは、偽善ぶったまやかしである。

 次に、判決文に「収支報告書は一度も見ていないとする点などは、およそ信用できるものではない」などとあるのをあげて、「実質小沢の敗訴である」とか「判決とは別に国民の前に真実を明らかにすべきである」などと、無罪判決に未練たっぷりである。

 しかし、小沢は、そういった帳面のつけ方が「適法であると考えていた可能性がある」、といった共謀の犯意のなかった意味のことを判決文の中で3度も繰り返している。つまり、秘書が運転する車が制限速度30Kmのところ、40Kmで走っていのを、同乗していた小沢がそれに気がつかなかったのだから共謀といえない、という至極まっとうな判定なのだ。

 秘「秘書の宿舎にするのにいい土地が見つかったんです」。小「おおそうか、買ったらどうか」。秘「いますぐ手を打たないとほかにいく可能性があるんですが、事務所にある金では足りなくて」。小「ボクが立て替えるから、すぐそうしろ」。秘「先生の金で買ったというのは聞こえが悪いので、預かった金を担保に銀行融資を受け、それを使った事にします」。小「おおそうか。わかった。ボクの金を返すのは忘れるなよ」と、およそこんなことだ。

 さらに秘書は、実際に買った年度を1年繰り下げ、仮登記ではなく本登記完了の日をもって買収の日とした。それを知っていたとしても、なんで総理大臣になる可能性のある政治家を3年も4年も疑惑でしばりつけ、政治的生命を奪いかねない状況を作りだすのか。

 控訴されればさらに最高裁まで被告の立場が続く。政治とカネの問題は古い政治家ならほとんどがすねに傷を持つ。小沢だけがどうしてこんな微罪で追いかけ回されなくてはならないのか。判決は、小沢の政治家としての注意が足りないことを指摘しているが、それ以上に検察側の供述調査偽造などについて「あってはならないこと」、「決して許されない」などの激しい言葉で糾弾している。

 この裁判の取調べに関して不当性を声高に主張したのは、小沢とその弁護団である。それが認定されたことがどうして実質小沢の敗訴になるのだろう。新聞はこれに触れないか全く軽視した上で、無罪となった小沢の政界退陣だけを叫びつづける。小沢判決をどう読んでもそういった結論はでてこない。このマスコミの異様さはどこからくるのだろう。

 もうひとつ、4億円の中味として、解散した政党の数十億円の政党助成金を個人が着服した疑いがあるということをあげる。特捜部が調べて、その疑いがあれば4億円を隠しておきたいという有力な動機になり、小沢共謀の証拠として使える。

 かりにそれが法的な犯罪を構成しなくても証拠があれば利用するはずだ。また、マスコミがそれをいうのなら裏付けを示さなければならないがそれもない。繰り返すが、国会議員を裁くには司法による結論か選挙しかないのだ。人気や好き嫌いで身分を脅かすことはだれにもできない。小沢叩きの異様さ、これが庶民である塾頭の感覚である。

 さらに誤解されないよう付け加えておこう。無罪が確定したなら、復権して大いに政治手腕をふるうべきだ。ただし、秘書の一審有罪判決があるので、要職就任は控えるのが当然であり、それが今回の判決を尊重する証しにもなる。また、裁判で指摘されたような政治資金の秘書任せ、法軽視が繰り返されれば、もう小沢に先はない。同時に「かばん」に頼ろうとする時代ではなくなったことを知るべきだ。

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2012年4月27日 (金)

辺野古断念まで米追随?

 以下毎日新聞4/27夕刊トップ(太字は塾頭)

 (前略)普天間移設問題に絡んで、米国防予算の編成で大きな権限を持つ上院軍事委員会のレビン委員長らが直前に中間発表に反対する書簡をパネッタ国防長官に送ったことを受け、日米両政府は25日の発表予定を延期して急きょ文言を再調整。レビン氏らが辺野古への移設は非現実的だとして、米軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)への統合案を提唱していることを勘案し、辺野古への移設が「唯一の有効な解決策」とする予定だった箇所の前に「これまでに特定された」との文言を挿入した。現時点での移設案であることを明示することで理解を得た。(後略)

【塾頭解説】「中間発表」は、在日米軍再編ロードマップの見直しに関する、日米の外務・防衛担当閣僚2+2が連名で行う。発表に「待ったが」かかって保留になっていたが、首相訪米の際にこの線で両首脳が合意することになっていた。

 その「待った」の中味が以上である。普天間の辺野古移転の代案として既設の嘉手納基地統合案が、元岡田外相などにより幾度が検討されたが、自民党時代に決めた辺野古案に固執、鳩山首相が掲げた「すくなくても県外」同様葬り去られていたものだ。

 それが、沖縄住民の固い決意の前で右往左往する日本政府ではなく、アメリカの議会筋の方が無理であると見て現実的解決を要求するようになった。これまで日本では、アメリカ側に再考の余地全くなしとする強硬意見が多いように伝えられがちだったが、別の意見も前からあったのだ。

 上記の報道の中にも、レビン氏らの意見に対する抵抗勢力が、日米の外交・防衛官僚であることが垣間見えてくる。殊に日本が問題で、鳩山内閣以来沖縄県民の悲願をくみ取ろうとする力が政権内にないどころか、中には辺野古強行を望む勢力もあったのではないか。

 社・共と一部有志議員だけでは、有効な議会からの働きかけにも限界があり、辺野古断念までアメリカ人の力を借りるようになってはもうおしまいだ。無罪になった小沢氏にそれを打破する器量がもし備わっているなら、是非復権してもらいたいものだ。

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2012年4月26日 (木)

小沢元代表無罪判決を聞いて

 小沢信者でもないのに、TVの第一報を聞いて「やった!」と手を打った。思えば、大久保隆規秘書が西松建設裏金問題に端を発して逮捕されたのが3年前の3月、検察のリークによるマスコミの小沢バッシングが続く中、石川知裕秘書、池田光智秘書を政治資金収支報告書虚偽記載容疑で逮捕した。

 この間、小沢は民主党代表を退き、幹事長を辞任し、最後は検察の2度にわたる小沢不起訴処分を、検察審議会というブラックボックスがひっくり返し、強制起訴という奇手によって被告にされ、党員資格まではく奪された。

 無罪判決が出ても、もし検察官役をつとめる指定弁護士が控訴(ないとは思うが……)すれば、ほぼ小沢の政治生命は終わりを告げるだろう。被告の身で政党代表や総理大臣というのは考えられないからだ。

 本塾は一昨年10月、「小沢氏には戦ってほしい」というエントリーを掲げた。かねて、身にただよわせる金権体質、政治節操を疑わせる政界去就術など支持しかねる政治家だが、昨今の余りにも頼りにならない力量のない政治家の中にあって、一角をなす有力者であったことは間違いない。

 それを排除するために、見えぬ力が働き姑息な手段がとられている(一連の経緯はそう思われても仕方のない流れだった)とすれば、戦後ようやく築いてきた民主主義から政治暗黒時代に転落させることにもなりかねない。そうならないよう小沢氏には最後まで戦ってほしいと思ったのだ。

 検察は、大阪地検特捜部のフロッピーディスク改ざん事件などで、すでに大きなダメージを受けているが、少数の市民により政治家が抹殺されるような検察審査会のありかたにも、メスを入れるべきだ。いわゆる司法改革を点検し直す時期でもある。ぜひ「小沢無罪効果」にしてほしい。

 小沢無罪で今後の政治がどう動くか、TVでは評論家、コメンテーターなどの予測でにぎわっているが、どれも当たらないような気がする。バックグランドはこれまでになかったような混迷が続いている。一寸先は闇、小沢先生、この事態をどう乗り切っていくか。変化の起爆剤として動けるかどうかである。

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2012年4月24日 (火)

トキの学習

 Dscf3637 テレビの画面(TBS)をみていて「本当に良かった」とほのぼのとした気分になった。久々なことだ。みのもんたが環境省の担当職員に電話で聞く。「カラスが(卵を奪われるなど)心配なのですが、追っ払わないんですか?」。

 「(トキに野生の)学習をさせることが大事なのです」。そうか!、本当だよな。しかし学習には何代もかかるかも知れない。

 そのあとに続くニュースは、中学生がバス・ジャック未遂で運転手がけが。免許のない未成年が居眠り運転で児童の列に突っ込み、2人(妊婦の胎児をいれると3人)が死亡、重体を含む10数人が負傷――である。

 こういった場合、加害者の周辺の人からは、きまったように「おとなしくていい子なんですがね……」といった反応が返ってくる。自然界にいながら、人を人が害することに神経が行き届かないのは、霊長類のおごりから「野生」の学習を怠っている結果ではなかろうか。

 ひるがえって子供の立場で考えてみよう。科学的に証明できない放射能被害を騒ぎ立てすぎてはいないか、ほとんど考えられない北朝鮮のミサイル落下、消費税、年金、就職、迫りくる大地震、なにもかも将来真っ暗なような言い方をしていないか。これらが、どんなに子供を不安にさせているだろうか。

 われわれはトキからも学ばなければならない。人を害する原発を無くしていくにはどうすればいいのか、それがないと食べていけなくなる地元の人や、電力消費産業の原発維持派は、結果的に他人を害することにならないか。人類はすでに何度かこれらを学習しているはずだ。またこれからも厳しい不断の学習を続けなければならない。

 トキのおめでたから、ついそんな方に発展してしまった。happy01

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2012年4月22日 (日)

枝野大臣の真意

 テレビ東京に「週刊ニュース新書」という、土曜日午前の番組がある。これまであまり見たことはないが、大飯原発運転再開について、日替わりで発言が右往左往する枝野経産大臣を呼び、「その真意をただすとともに、今後の見通しや脱原発世論にどう立ち向かうかを聞く」という予告につられ見ることにした。

 聞き役は、元日経記者でジャーナリストの田勢康弘氏だ。こういった番組で、他のマスメディアが報道するような発言が出れば成功だが、やはり、期待ははずれた。政府広報の片棒かつぎ、とまではいわないが、ややそれに近いものだった。

 冒頭に、発言のぶれをついたことに対し、枝野は「この問題は、長期、中期、短期それぞれに分けて丁寧にご説明し、理解をえられるようにしたい」とし、長期的には、脱原発依存、新エネルギー開発であり、中期的には需要ピーク時の乗り切り、短期的には、現行法規・組織で可能な範囲での安全対策の補強などといったことを説明した。

 田勢氏は、「私は理解しているつもり」などと持ち上げ、すかさず、長期、中期、短期と書いたハードルをのトラックを走る大臣のマンガ入りフリップを、局側で持ち出したのには驚いた。どんな放送番組でも、事前打合わせや構成を考えておくのは当然だが、ここまで用意周到にされると、視聴者は鼻白む。

 中長期の政策展望として、本塾では脱原発(原発ゼロ)に至る工程表が明示されなくてはならないということを去年前半から何度も言ってきた。それが、「脱原発」ではなく「脱原発依存」という言葉のすり替えで、いまだに提示されない、いや、作る気がないのだ。

 長期、中期、短期の問題を国民が理解してないのは、そのロードマップがないからではないか。また、国民全体や周辺自治体が政府の説明に納得しないのは、これまで原子力体制を維持推進してきた、自民党・民主党、原子力委員会・原子力安全委員会・経産省・原子力安全保安院などの政府機関、それに東電・プラントメーカーなど原子力村の構成がそのままで、何を言っても信用されていないからではないか。

 その2点については、野党の協力が得られないだけではなく、政府与党内にも抵抗勢力があるのか、番組で掘り下げることなく触れずじまいだった。

 政治家の本音を引き出せないのは、取材者の力量不足であるにしても、根源をなす疑問や矛盾を巧みに避け、追及しないまま時間内で打ち切ってしまうのは、出演を断られると番組が成り立たなくなるテレビ番組の宿命なのだろうか。

 橋下大阪市長を壮士にしてしまうような世情に、誰がどこで歯止めをかけめのだろうか。

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2012年4月21日 (土)

集団自殺

民主党・仙石由人の、「原発再開反対=集団自殺」 発言を聞いて思い出した。

♪貴様と俺とは同期の桜  同じ兵学校の庭に咲く 
咲いた花なら散るのは覚悟  見事散りましょ国のため

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2012年4月20日 (金)

未完成技術・原発

 日本では、原子力委員会をはじめ、原子力発電についてバラ色の夢をえがいた話をする人が多いが、そのような楽観的な人にかぎって、ここに取りあげた放射性廃棄物の問題については、まるで無関心であるようにしか、受けとれない。

 いまの段階て、というより、この段階まで原子力発電が進んできて、どうしても、どうにもならないもの――それが、放射線を放出しながらなかなか消滅しないで生きながらえる物質――放射性物質であるという認識について、原子力発電にたずさわっている当事者がきわめて甘いといわざるをえない。

 この困難さがあることをはじめから知っていながら、現実となって目の前に立ちはだかるまで、積極的な解決策は日本ではほとんど何も求められてはいなかったのだ。(武谷三男編『原子力発電』岩波新書、1976/2/20初版)

 これは、昨今の議論ではない。36年前の1976年、すでに原子力安全問題研究会を組織した専門家により喝破されていたことだ。そこから一歩も先に進んでいない。どこが「先端技術」だといいたくなる。

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2012年4月18日 (水)

敵塩になる都知事構想

 石原都知事の尖閣諸島買収発言は、妄言癖もここに至ってはばかばかしく、批判する気にもなれなかった。黙殺するのがいいと思っていたが、都庁のとりまきや、マスコミの中には、「法的手順はこうだ」とか「一般から寄付金を……」などと、追従にこれつとめる手合いが依然として多い。政治の劣化は、ここにも原因があるのでひとこと言っておきたくなった。

 石原構想を陰でほくそ笑んでいるのは、中国の石油・資源利益集団とアメリカの軍事筋だ。中国の利益集団は同国の経済発展の原動力になっており、軍事をはじめ外交を動かす巨大利権集団で富裕層の頂点に立っている。

 尖閣諸島問題も、当初胡錦濤主席主導の「和諧政策」によるガス田などの共同開発交渉が、小泉首相の靖国参拝問題などを理由に打ち切られ、特殊利益集団の「開発独裁主義」による圧力で後退せざるを得なくなったのである。石原構想は、彼らの強硬策に格好の口実を付加させることになる。

 国粋主義者である石原は、「Noといえる日本」という著書があるようにアメリカの覇権主義に対する反感も同時に持ち合わせている。オバマ政権は、公約通り中東からの軍撤退を推進し、同時に軍事費の削減も財政上避けられない課題となっている。

 しかし、強いアメリカを望む国民感情と予算削減に抵抗する軍事筋のため、アジアに重点を移した新国防戦略に構想を移した。そのため、日米同盟に新たな価値が生じたのである。アジア展開のための日本財政による分担(思いやり予算)増加と、その必要性を裏付けるための「中国の脅威論」がより効果を高めるというわけだ。

 以上の2点を「承知の上」というなら、「強国米・中を相手に、大和魂で戦争ができるよう、戦前並みの憲法にしよう」という機運を国内に作り出したいということしかないだろう。それならば、平沼と新党を、などという与太ばなしと同様、いずれは立ち枯れていく運命にあるということだ。

追記 21日午前の議会で野田首相が、国有地とすることも検討しているという答弁をしているが、無人島または無住地の地権者が、所有権を国または所管する自治体に移管するというのは、自然であり反対しない。

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2012年4月17日 (火)

郭沫若記念館

 中国古代の歴史、文学、詩などに多くの業績を残し、毛沢東の時代副総理を務めた郭沫若は、戦前蒋介石に追われて市川市で亡命生活を送った。その居宅を近くに移設・復元したもの。
 春は芝桜など花の鑑賞でにぎわうものの、日中友好の証、記念館内を見学す人は稀。

 Dscf3624 近くの公園には、戦後1955年に来日、故宅を訪れ近所の人の歓待を受けた。その際に詠んだ漢詩の碑があるが、ここまで足を運ぶ人もすくなく閑散としている。

草木有今昔 草木に今昔あれど
人情無変遷 人情に変遷なし
我来遊故宅 我来たって故宅に遊べば
隣舎尽騰歓 隣舎ことごとく騰歓す

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2012年4月15日 (日)

「最も警戒すべき国は中国」金正日遺訓

 前回の「発射失敗後の北朝鮮」で、「当塾が遠い歴史的事実をたびたび引くように、中国が利益を度外視して北朝鮮を助けたり、北も中国を頼りにするという相思相愛のような関係ではない」と書いた。

 また、未熟な反共右翼が「中朝が一枚岩であり、日本の脅威になっている」という、半世紀以上も前の東西対決意識から一歩も出ていない主張を批判するコメントを書いたこともある。これは、過去の歴史だけではく、最近の断片的な報道の中からも推測していたことだ。

 それが、正恩世襲にかかわる金正日遺訓の中に明記されていということまでは予測できなかった。遺訓は40項目あるとされるが、その中の一項を、韓国の中央日報が解説をくわえ次のように伝えている。

 金正日は遺書で「歴史的にわれわれを最も苦しめた国が中国」とし「中国は現在、われわれと最も近い国だが、今後、最も警戒すべき国となる可能性がある」と伝えた。さらに「中国に利用されてはならない」と警告した。世宗(セジョン)研究所の鄭成長(チョン・ソンジャン)首席研究委員は「朝中が血盟関係ではなく、徹底的に自国の利益に基づく外交的関係に入ったことを見せる部分」と分析した。

 そのほか、すでに日本でも体制の維持など輪郭が伝えられているが、「--金正男(金正日の長男)に配慮する。あの子は悪い子ではない。彼の苦労を減らすこと」などと興味深い項目も含まれている。

 この遺訓は、金正日が死去の2カ月ほど前に側近に残したという「10.8遺訓」で、北朝鮮の平壌理工科大学修士出身の脱北者で、北朝鮮戦略情報サービスセンターのイ・ユンゴル所長(44)が「北朝鮮の最高位層と連絡が取れる複数の消息筋から入手した資料」といわれ、12日にその一部が公開されたものである。 

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2012年4月14日 (土)

発射失敗後の北朝鮮

 先月末の「反戦塾乗」で、北朝鮮の<衛星>打ち上げ失敗を予測し、それにどう備えるのか、というような記事を書いた。北朝鮮は王朝の後継者・正恩推戴と金日成生誕100年記念、そして強勢大国を開く号砲・打上げ花火と位置付けたミサイル発射に失敗し、世界に醜態をさらした。

 それに劣らぬ破片落下の「お祭り騒ぎ」で失態を見せたのが日本政府とマスコミである。「北はこの失敗を取り返すため、近々核実験を行うだろう」と、変わらぬ「脅威論」をあおることだけに余念がない。

 今回の打上げが、ミサイル開発だったとしても大陸間弾道弾、つまりアメリカ向けであって、日本向けにそんな高価なものを使うはずがない。それより恐怖を抱かなければならないのは、すでに開発済みとされる日本向けノドン2~300発の方である。

 核弾頭を積まなくても、放射能や生物化学兵器をまき散らし、日本を混乱に落とし入れるのならノドンで十分だ。国民にとって不安なのは、アメリカ頼りきりの日米同盟とか、安保理の制裁決議頼みで日本独自の外交・防衛戦略がないことだ。

 さて、本題に入ろう。今後の北朝鮮がどうなるのかである。打上げ失敗が報じられた直後、まず両極端の北の反応を考えて見た(その中間はいろいろあるが省略)。

 ①北は「某国の攻撃で衛星切り放し前に撃ち落とされた。共和国は断乎この敵対行為を究明し、無慈悲な反撃をもってこれにこたえるだろう」という声明を発表。従来路線をより強硬なものにする。

 ②「技術上の問題が発生し、衛星の打ち上げは延期した」と正直に発表し、「この問題は偉大な指導者のもとやがて解決される」と、ミサイル打上げを当分凍結する。

 北朝鮮国営テレビの「打上げ失敗声明」で①はなくなった。その中で、自信満々の事前予告にもかかわらず「失敗」という責任追及に及びかねない文言を使った事、これは、②でいう塾頭の想像をはるかに上回るものだった。

 北朝鮮は明らかに変わった。同国のことだから、今後どんなハプニングが起こるかわからない。しかし、外国記者団を呼び込んで機密にわたるようなことまで見せる記者会見を公開したり、番組を中断して「失敗」の臨時ニュースをながすなど、これまでとはたしかに違う。

 打ち上げ前から気がついていたことだが、衛星打ち上げの目的として「農業発展のため」という1項が加えられていたことだ。これは、明らかに「食糧難に目をそむけた無駄遣い」という批判を意識したもので、国内にも無視できない反対意見があり、ことによるとミサイル関連部門優遇に対する軍内部対立を物語るものかも知れない。

 前述したが、失敗の名誉挽回のため3回目の核実験をするという軍事筋や北朝鮮ウオッチャーの観測が多い。しかし、塾頭はこれにも疑問を持つ。北は、すでに核保有国であることを自認し国内宣伝に使っている。また、どう転がっても衛星とちがって飯のタネにはならない。

 仮に核実験を強行すれば、衛星の場合と違って中国の同情は得られず、国連安保理の制裁決議は避けられなくなるだろう。北朝鮮はそれらをいつもカードとして使ってきたというが、それはこれまでのことで、もう各国に見透かされているから使えないカードだ。

 当塾が遠い歴史的事実をたびたび引くように、中国が利益を度外視して北朝鮮を助けたり、北も中国を頼りにするという相思相愛のような関係ではない。北朝鮮は、ミサイルの失敗を奇貨として、実益のない核兵器開発を放棄(それにより衛星開発も公認される)することでアメリカとの交渉の糸口を維持発展させるという変身ぶりを見せるかもしれない。

 その時、日本は東アジアの外交舞台でだれからも相手にされない孤児にならないようにする用意ができているだろうか、与野党を見回しても、そういった政治家が存在するとは到底思えない。

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2012年4月12日 (木)

反戦塾乗12/4/12 

LED電球では合わない
 以前「新円切替の時代」という題で「軍足(ぐんそく)」という靴下の話をした。現在でも「軍手」は健在だか、軍足は死語のひとつだろう。「戦後強くなったのは女性と靴下」という比喩がはやったのはいつごろだっただろう。まだ調べてない。

 こんなことを書き始めたのは、朝、着替えの際に靴下のかかとに指先大の穴が開いているのを見つけたからだ。それで、就職したての独身寮で、靴下の穴をかがつたことを思い出した。すると、昭和25年以降、1950年代初頭ということになる。

 軍足はすでになくなっていたが、靴下はまだまだ弱かったことになる。靴下に40ワットか60ワットの白熱電灯をはかせ、穴の開いたかかとの丸い部分をあてる。そして縫い針に適当な糸を通し、穴の端から端へ経糸を、それがすんだら横糸を直角に編むようにして穴がふさがったら、それで終わり。LED電球ではそのビミョーな丸みがちょっと違いそうだ。

マナーのゴルフはどこへ
 働き盛りの頃、「ゴルフはなさらないのですか?」と不思議そうな目で見られたことがある。金がないこともあるが紳士のスポーツといわれるゴルフをする柄でもないことから、なんとなく手をつけなかっただけだ。

 勤め先では接待ゴルフ全盛であった。得意先にはゴルフをしない人もいるので、小生はもっぱら大相撲升席接待の担当にさせられていた。ゴルフをする人同士の話の中で、そこにいないプレーヤーのマナーがいいとか悪いとかという話もよく聞いた。

 門外漢にはどうでもいいことだ。最近、つけっ放しにしておいたTVでマスターズ・ゴルフというのを何気なく見いてた。そこに名前も知らない某選手、思いっきりスイングした打球がそれたのか、カメラのまえでクラブを投げつけ、それを踏みつけたり蹴とばしたりの大場面。

 人に迷惑はかけないかも知れないし、ルール違反でないかも知れない。しかし道具を大事にしないばかりか憎悪あらわな表情をビジターに見せるのは、マナーがいいのだろうか。これが日本人選手でなくてよかった。

 日本のプロ(職人)は道具を命のように大事にする。大工さんはノミやカンナを使った後次回にそなえて自分で砥ぎ、すり減っても限界ぎりぎりまで使い込む。相撲、柔剣道、碁将棋など競技にはマナーというより「美」が大切にされる。

職人のいない原発の現場
 職人と言えば、原発建設やメンテナンスの現場には、素人だけでプロの職人はいないんだそうである。
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html#about

 かつては、そういった人もいたようだが、ちょうどプレハブ住宅のように構造物をすべて工場生産し、建設現場に運んできて組み立てるんだそうだ。職人の常識から見ておかしなところがあっても、「マニュアルに書いてある通りにやればいいんだ」と取り合ってくれないという。

 そこで、職人クラスの人は「ばかばかしくてやっていられない」とばかり次々やめてゆく。そして、その場限りの素人だけの作業になるそうだ。そのため、容器の中に道具を置き忘れたり、マニュアルの解釋がまちまちだったり、大事故につながりそうなおそろしいことがそのままになってしまうこともあるようだ。

 今、大飯原発再稼働で政府が容認に向けて動いているが、電力会社やメーカーが作った書類(マニュアル)を経産省の役人や学者集団がチェック、それを現場を知らない素人の閣僚たちが判断すればそれでいい(Oh いい)では困る。政府はもっと早く「職人」を養成しておくべきだったのである。

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2012年4月10日 (火)

鳩山由紀夫をほめよう

 鳩山元首相がイランに出向き、大統領ほかの要人に面会したことについて、山本一太など自民党議員からの露骨な攻撃はもとより、与党内からも二重外交だとあからさまに渋い顔をされている。TVコメンテーターなども、したり顔で「敵(多分アメリカから見た)を利する」とか「国益に反する」などと気焔をげている。

 本塾もこれまで書いてきたように鳩山批判については、人後に落ちるものではない。しかし、そういった言説をなす者にどれだけ問題解決に道筋をつける名案があるというのだろうか。なにもできないひきこもり政治家よりはましだ。

 敵対している国に、元大統領とか外交の一線で活躍したことのある人が個人の資格で訪問、解決の糸口を探るというのは、きわめて常識的なことで、アメリカでもそういった前例がすくなくない。

 最近ではアナン前国連総長がシリアを訪問し、国際的に注目を浴びているが、国連当局をはじめ悪しざまに批判している世論など聞いたことが無い。鳩山氏が日本政府に全く無関係(相談もせず)出かけたとは思えない。現にイランでは外交官が同席している。

 仮に野田首相と事前協議があったにしろ、当事者同士は「なにもなかった」と否定するのは当然だ。また、鳩山氏の外交手腕にはおおいに疑問があるが、イランは日本の元総理にそれなりの敬意をはらって応じたはずだ。

 それを、選挙で選んだ自国民が悪しざまにこき下ろし、ワシントンポストからルーピー(頭のいかれた程度の俗語)といわれたことを喜んでいるいるような国など他にあるだろうか。トップが毎年のようにクルクル変わり、変わったとたんに競争で足を引っ張りあう。この方がよほど国益に反する。

 この傾向はネット上でも顕著である。言論ならいかに激しく戦わせてもいい。しかし匿名とはいえ、聞くに堪えないような品のない罵詈雑言はやめようではないか。外国人が聞いたら「この国はどうなっているのだろう」と思うに違いない。

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2012年4月 9日 (月)

模倣、仮借すべき文化はもうない

『荷風随筆集(上)』「向島」、岩波文庫より 

  わが旧時代の芸文はいずれか支那の模倣に非らざるはない。そはあたかも大正昭和の文化全般の西洋におけるものと異なるところがない。我国の文化は今も昔と同じく他国文化の仮借に外ならないのである。

 唯仔細に研究し来って今と昔との間にやや差異のあるが如く思われるのは、仮借の方法と模倣の精神とに関して、一はあくまで真率であり、一は甚しく軽薄である。一は能く他国の文化を咀嚼玩味して自己薬籠中の物となしてるに反して、一は徒に新奇を迎うるのみに急しく全く己を省る遑なきことである。

 これそも何が故然るや。今人の知能古人に比して劣れるが故か。将また時勢の累(わざわい)するところか。わたくしは知らない。
     昭和二年丁卯五月稿

 戦後はよくも悪くもアメリカ文化に随従した。軍事でも経済でもバスクアメリカーナの退潮は著しく、日本にもすくなからぬ影響を与えている。日本が模倣、仮借すべき文化はもはやどこにもない。これからは、中国でも西欧でもアメリカでもない日本が独自のものを作り出していかなればならない。 半世紀にわたり続けた憲法9条を新たな文化に位置付けてはどうか。 

 Dscf3621 塾頭の住む市では、宮城・山形のがれき焼却受入れを決めた。ところが、かつて契約していた秋田県の焼却灰処理場が震災後放射能にはかかわりなく受け入れを拒否、送り返してきた。桜をめでる文化とは、全く相容れない。  

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2012年4月 6日 (金)

殿ご乱心につき押込致候

 国民新党の亀井代表が、同党8名の議員のうち、6人による議員総会で亀井代表と亀井亜紀子政調会長を解任した。この措置、すぐ頭に浮かんだのが「押込(おしこめ)」である。押込の詳しいことはWikipediaで見ていただきたい。

 党代表が党議員に解任されるなど聞いたことが無い。小沢元代表の「党員資格停止」にくらべると、言葉はきついがそれよりは軽い。連立離脱だとか、解党して石原都知事と組むなどと言わなで党所属議員として活躍してくださいというもので、改心していただけばいつでも復活しますよという含みも残す。

 亀井氏は、賛否はともかく歴史に名を残す政治家だなと思っていたが、どうもこれで残すのは滑稽さだけかという感じになった。石原知事はすでに一足先に滑稽で先行している。千葉県の名勝鋸山に原発を作ればいい、など妄言がひどくなった石原が、大阪まで出かけて橋下と密談?、わさとその密会ぶりをメディアに売り込む。

 脱原発で関電と対決指向を強める橋下市長は、内心、もうまともに相手にする気がないだろう。石原から原発立地にされた森田健作知事は、へつらい笑いでごまかすだけだ。地方から国政を変えるといってもこんな手合いに変えられるようなら、日本はもう、本当におしまいだ。

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2012年4月 4日 (水)

今日は「清明」。(二十四節季)

Dscf3617  稀代の春の嵐。明けて今日は「清明」。春分より15日目をいう。江戸時代の暦の解説書にある「清浄明潔」の略とされ、すべてが生き生きとして清らかにみえるさま。沖縄では今日先祖の墓参りをする。(広辞苑・毎日新聞より)

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2012年4月 3日 (火)

こわいのは人間

 南海トラフで複合地震が起きると津波34m、35m。房総沖には大断層。東京湾北部直下型なら震度7で首都壊滅。食品放射能は500ベクレルでなく100ベクレル、水は10ベクレル、それでもこわいなどなど。おまけに北朝鮮のミサイル破片落下まで加わる。

 こう毎日おどしたてられることで、子供の心にどういう影響を与えるだろうか。そんなものは、なにもこわくない。昔、こわいものの例えとして「地震・雷・火事・おやじ」というのがあった。それが、戦時歌謡「隣組」で「地震・雷・火事・どろぼう」にかわった。

 自然現象と火災をのぞく最後だけが人間だが、「おやじ」はとうの昔にランキング落ちした。だけど、本当にこわいのはやはり人間だ。千年に一度あるかないかの自然災害は、ことによると「杞憂」に入れていい。なにも明日にでもあるように考え込むことはない。

 原発事故は人間が起こした。30年に一度は起こり得る。日本で直接の死者はでてないが、10年に一度の割で起こしてきた戦争は、何万どころか何十万、何百万の死者を出している。こわいのは自然現象ではない。

 一番こわいのはやはり「人間」だ。もっともっと人間をこわがろう。

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2012年4月 2日 (月)

中国から見た北朝鮮、韓国、日本

  広大な面積、13.5億の民、「中国から見た……」といっても決して一様ではなく漠然としてつかみようのないものだろう。ところが「共産党」という大きな一枚の鏡がある。この鏡は実像・虚像いりまじり、あるいは映らない部分もあるが、この鏡を見て冷静に分析を加えるという利点もある。

 その点、個人崇拝の宗教ですっかり覆われてポスターのような北朝鮮のそれとは全く違う。また日本には、旧ソ連の時代の思想と区別ができない人が多いが、フルシチョフの時代には、中・朝ともに完全に対立関係にあるといってもいい時代があった。

 どこの国の共産党でも、マルクス・エンゲルスの共産党宣言に端を発していることだけは間違いない。理論・理念が尊重され、政治に正しい方向性を与えようとする共通点もある。スターリンの過ちは、各国の独自性は認めず、クレムリンを唯一正しいものとして世界制覇をたくらんだことにあった。

 それぞれの民族には、独特の風土・伝統・習慣となによりも誇るべき文化と歴史がある。それらを一様に「反革命」で葬り去ろうとすれば、抵抗を受けるのは当然である。4000年の歴史を誇る中国が、覇権主義反対、内政不干渉、民族自決をかかげてソ連国際主義に対抗したことは、忘れてはならない。

 さて、前置きが長くなったが、中国の今後を占ううえで、「歴史」は決して軽視できない問題だ。「歴史問題」というと、すぐ「南京事件」などと細部にこだわりがちだが、やたらに対立をあおるのでなく、尖閣問題なども含めて長い目で検証し合うことに、両国が協力しあう余地は大いにあるといえよう。

 中国と朝鮮の関係は、神話の時代はさておいて、4世紀初頭まで不完全ながら帯方郡など中国の置く4郡が支配していた。その中でほぼ時を同じくして北から高句麗、百済、新羅、そして駕羅の4つの勢力が分立、中国王朝から冊封を受けて自らの地位を確保しようとした。

 駕羅は、はっきりした国家の態を欠くが、以前から住んでいた倭人が主導権を持っていたのではないかと推測される。仁徳の頃からかといわれる倭の五王は、東晋や宋、斉などの皇帝に朝貢し、五王の最後にあたる武(雄略)は、使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事鎮東代将軍の号を受けている。

 これは、倭(日本)国内の王権強化の目的もあるだろうが、朝鮮半島内で三国と相対峙する地位を確確保する目的が主であったことを物語る。しかし、その後じわじわと新羅、百済に浸食され、欽明朝には、遂に任那滅亡(562年)といわれるようになった。

 589年、統一国家として隋が誕生する。倭王武が梁に朝貢した502年から100年近くたった600年の推古朝まで全く接触のなかった日本は、あらためて隋に遣使する。そして引き続き607年の遣使の際、有名な「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」云々の挨拶となるのである。

 以前の冊封を求めるような卑屈さはすでにない。もう朝鮮半島には主張しなければならないような支配地がないからだ。冊封ではない対等な関係を宣言したかったのだろう。隋の煬帝はその無礼を怒ったが翌年返礼の使者を派遣し、友好関係を結んでいる。

 隋にとって、重要度が高く最も神経を費やさなければならないのは、地続きで過去何度も衝突を繰り返した高句麗である。冊封は、郡による直接支配にかわって王朝の権威と内部体制維持のための重要な機構の一部となっている。

 煬帝は出過ぎた日本に、「またもって聞するなかれ」(二度と聞きたしない)と怒ってみせたがそれだけである。ところが高句麗の場合は違った。領地侵犯を理由に兵を発し、それを謝罪しても朝貢回数が少ないとか礼を失しているといういいがかりをつけて200万という大軍を向けたのだ。

 ところが足元で反乱がおきたり高句麗に追い返されたりで成功せず、煬帝が軍の先頭に立つなど3度も遠征を試みたがいずれも失敗、ついに、隋の国運が尽き、煬帝も国内大乱の中で殺されてしまうのである。

 そのあと、唐の時代になり朝鮮3国は一斉に唐と冊封関係を結んだ。しかし、初代皇帝高祖は、隋の失敗に鑑み、民を安んずるためには、高麗を冊封体勢から除外する方がいいと考えた。これを阻んだのは帝をささえる側近たち、すなわち官僚群である。

 その言い分は「遼東の地は周の時代の箕子朝鮮以来のものです。魏、晋の前から中国が封じた内にある。どうして不臣を許していいものでしょうか。もし高麗と対等の立場に立ったら周辺の四夷が中国を仰ぎ見ることをやめるでしょう。中国は夷狄から見て太陽や星のようなものです」というものである。

 つまり、中国から見て高句麗(高麗)は、日本、もっといえば百済・新羅とも全く違った重要かつセンシティブな存在なのだ。塾頭は、現在の北朝鮮に対して腫れ物に触るような中国の態度に、ついこの故事を思い出してしまうのである。

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