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2012年3月 4日 (日)

『日本書紀』の読み方

 自民党では、また性懲りもなく新憲法改定案を作ったそうです。今度は天皇を「元首」にするんだそうで、モデルチェンジの目玉はなにかわかりませんが、昔の教育勅語にある「国体の精華」を再現させようとという意気込みのようです。

 こういった人たちに是非読んでいただきたいのが『日本書紀』全文です。『古事記』でもいいですが『日本書紀』の方がくわしく、より後の時代まで書いてあります。

 ただし、要約、マンガ本、電子本では駄目です。同じところを何度も繰り返し、その後の歴史や海外のことも対照しながら読む必要があるからです。おすすめは、原文・読み下し文・解説・注が豊富な岩波文庫版全5冊です。1冊1000円ちょっとだから、そんなに負担になりません。

 片や、マルクス主義全盛の頃にはやった歴史教育を受けた人にもおすすめです。その頃、日本書紀については津田(左右吉)史学が支配的でした。津田博士は共産主義者ではありませんが、戦時中、「書いてあることは嘘っぱちだ」といったことを不敬罪だと攻撃され、出版法違反で検挙、有罪判決を受けました。

 時の権力、国であろうが企業であろうが、歴史を書く上で自らに不利になるようなことは好んで書きません。だからといって、博士の本の中で頻発する「虚構」「潤色」「改作」「作為」、はては「書紀編纂官人のさかしらしさ」などの表現は、「書紀全体が信用できませんよ」といわんばかりで、塾頭も調べ物をしながら「それはちょっと違うな」と思ったものです。

 塾頭は、団体史や企業史を何冊も執筆した経験があります。その際、「歴史の中で、失敗例などもちゃんと書き、それを繰り返さないようにするのでなければ刊行の意味が半減する」といえば、発行元も大抵納得してくれます。

 それから、あくまでも史・資料に忠実で、それに基づかない筆先のあそびは、きびしく自戒するというのが、執筆者の鉄則であり誇りでもあります。したがって発注者の意を斟酌するにしても、意のままに書き換えられるなど、ちょっと考えられません。

 神武即位前紀の、「何年何月何日に橿原の宮に即帝位す」など、暦がなく、天皇という名称も地位も確立していない時代の記述は、たしかに真実ではありません。しかし、何らかの伝説があったかも知れません。すべて根も葉もない創作だ、と決めつけてしまうのもゆきすぎでしょう。

 先月、「卑弥呼史観」というシリーズでも書きましたが、ここ10年ほどの間に考古学は長足の進歩を遂げました。その中には、日本書紀などの古典を裏付ける新発見も決してすくなくありません。日本書紀に親しむことで、より日本の古来の本当の姿がわかりやすくなるような気がします。それは、皇国史観とか国粋主義とは、まったく縁のないものです。

 もうひとつ、日本書紀自体の文献分析が進み、執筆担当者の氏名や執筆方針の一端まで推測されるようになったことです。森博達著『日本書紀の謎を解く』によると、執筆陣の中には、続守言(しょくしゅげん)と薩弘恪(さつこうかく)という2人の中国人の名をあげ、全30巻の半分近くがこの人の手によるものだろうとしています。

 最初にあげた人は、斉明天皇の時代、百済から交戦中の唐の捕虜として贈られたようです。つまり、軍属の戦記記者だったのではないでしょうか。戦況を正確に記録し、戦術の適否を判断し後の参考にするという大切な役目で、前線にいて捕まったのでしょう。

 書紀は、漢文で書かれています。森博士は、書紀全体にわたり、漢文の正しい表記と、誤用あるいは日本人が陥りやすい間違いを分析しました。そのほか、詩などを日本語のまま表記する場合、より正しい発音に近づけるため、どの漢字がいいか厳密に検討しているかどうかも調べました。

 その結果、巻によってはっきり分かれたのです。そして、中国人の手によるとおもわれる巻では、逆に日本人なら誰でも知っている、妻のこともイモ(妹)ということに、わざわざ注釈をつけるなどの不自然さも見られました。

 そして、日本が唐に送った使節のレポートを引用する場合、使節が間違った漢字の使い方をしても、史料に忠実であることを優先させたのでしょう、そのまま訂正せずに載せています。このように、非常に正確を期すよう心掛けたあとが見えます。

 この2人は、律令作成にも協力したらしく、「音博士」という称号をあたえられ、官位につけるなど手厚い処遇を得ています。また「書博士」とされた百済人もおり、こういった各国文化の渾然とした中で、日本のすぐれた独特の文化が形成されてきたことを忘れてはなりません。
 

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コメント

日本書紀の執筆に唐人が加わったのは明らかですが、執筆した唐人が編纂したのかどうかは難しいのではないでしょうか。古事記の場合は漢文ではなく日本語で執筆されています。ですから、日本書紀には遣唐使と深い関係があるのではないでしょうか。ところで、日本書紀で軽視されるのは古事記を補完していないからだと考えます。そんな訳で日本書紀の全てを否定している歴史研究者はいないでしょう。

中国史に触れてみておよそ見当できるのは、本来は日本書であったのだろうということです。ところが日本国王(天皇)の威厳(生い立ちの正当性)に執着したばかりに、他の部族との関係が不明瞭となってしまいました。執着したことは編纂者にとって絶対に必要なことだったのでしょう。ですから、日本書ではなく日本書(紀)という支配者の系統と聖武天皇にいたるまでの縷々とした内容となっていると思われます。最も日本書は聖徳太子の時代に編纂されていたのでは?という考えもあります。法隆寺とともに消失したとか....

ところで古事記は日本ではなく倭としています。ということは白村江の戦いに負けて国名も変えてしまったのでしょうか。となると戦争に負けて、総ザンゲするというのは7世紀から受け継がれてきた遺伝子ということでしょうね。藤原氏の....

投稿: ていわ | 2012年3月 5日 (月) 23時09分

ていわ様へ
>日本書紀で軽視されるのは→日本書紀が ?

旧約聖書の創世記はいくつかの神話の寄せ集めなので「七日間で世界を作った神」と「アダムを創造しエデンの園から追放した神」は名前が異なっている、といった食い違いがあるそうです。『古事記』との食い違いがないほうが気持ち悪いです。

さて、『卑弥呼史観3』のところで書きそびれたのですが、山形明郷氏は話の前提として、明治10年代に日本の学者が中国東北部の地名を朝鮮半島の各地に付け替えていったことを記してから、古朝鮮、帯方郡、高句麗、倭、邪馬台国…の話を書いているのです。江戸時代にすでに朝鮮征伐を当然視する論客が大勢いたことを知っておりましたから、この話はいかにもありそうと思いました。
その山形氏は、白村江(氏は現在の大同江だとする)で百済に味方して敗北した「倭」と「日本(大和朝廷)」を〈別物〉と述べています。唐と交戦した翌年に朝貢(体のいいタカリ?)を申し出て受け入れられるはずがないだろう、というのです。唐は日本に使節を派遣して「倭」とは別物であることを確認したそうです。白村江ののち倭や百済の亡命者が大和朝廷を動かして失地回復を企てようとしたのでしょう。華々しい成功例として語られている「神功皇后の三韓征伐」も実際は市町村クラスの国家を3つつぶした程度のものだったと思われます。古代人の執念が近代日本を駆り立ててしまったのでしょうか。(『古事記』は唐よりどちらかというと倭よりなのでしょうか?)
図書館で「倭」の研究本を借りましたが読めずにいます。『書紀』はそのうち・・・といっていると多分永遠に読めませんね。

投稿: りくにす | 2012年3月 9日 (金) 00時53分

ていわ さま
りくにす さま
断片的ですが……

編纂の意味が責任者として最後に全体をチェックしたかという意味だとすると、それはしていません。だから、巻によって「和習」という和製漢文が出てくるからそれがわかるのです。

白村江には日本各地から豪族が支配する2万人余が動員されており、その経験を持つ生き残りが書記発行時(720年)に大勢いたわけで、書紀執筆に協力させられた豪族も含んでいます。山形説はとうてい受け入れられません。

倭から日本に表記を変えてくれと申し出たのは、701年遣唐使の粟田真人です。それを「ニホン」と和読みしはじめたのは、それこそ聖武天皇(760年前後)以後でしょう。

やはり、その当時の日本人は、倭と書いても大和と書いても日本と書いても、読みは「ヤマト」でした。(万葉集)

投稿: ましま | 2012年3月 9日 (金) 11時14分

日本書紀や古事記が再評価されるのは結構なことです。
私が小学生のころは古代の天皇はほとんど架空だと書いてあって理屈抜きに反発を覚えたものでした。左翼傾向の学者が減ってきて史料を政治性抜きにまともに解釈するようになったのは好ましいことです。
今も実在が疑問視される初代神武から9代開化までや神功皇后もいずれは実在が証明されるのではないでしょうか。


投稿: ミスター珍 | 2012年3月18日 (日) 10時08分

ミスター珍 さま
日本書紀や古事記は日本最古の文献で、しかもほぼ成立当時のまま残っているというのは、誇っていいことです。

それ以外に古書古伝などと称するものがありますが、近世になってからできた偽物もあって疑わしい。あとは、刀や仏像などに刻まれた断片的な金石文が頼りです。

垂仁以後神宮皇后までと崇神以前の9代、そして神話の部分の考古学的な証明は困難です。しかし、各人想像の世界で遊ぶのは勝手で、『書記』自体もそれが本旨ではないでしょうか。「一書に曰く」など異説を多く紹介しているのはそれだと思います。

投稿: ましま | 2012年3月18日 (日) 18時37分

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