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2012年2月11日 (土)

卑弥呼史観 3

 この回からヤマトトビモモソ姫が卑弥呼であるという前提で話を進める。中国からもたらされた大量の織物・金箔・真珠などは、早速大和王朝を構成する豪族らに分配された。しかし、その量には限りがある。

 そこで、銅鏡100枚を限りなく増やすため、型をとって国産の鏡を増産した。これを同笵鏡といい相当長い期間にわたって作られ続けた。それを配ることで同盟豪族の結束には役立ったが、天神・アマテラスの祭祀普及には失敗した。

 大和でも纏向を見下ろす位置にある大三輪山の大物主神をはじめ、大国魂神など古来地元に根付いてきた地祇である出雲系神々の影響力が圧倒的に強い。よそもののアマテラスは、むしろ排斥される対象であった。卑弥呼もこれら旧勢力の懐柔を図ろうとしたが失敗、また、その機に乗じてもともと同盟の外にあった狗奴国が攻勢をかけてきた。

 それから間もなく、卑弥呼は失意の中で命を絶った。しかし、それは同盟豪族や民衆は結束を固めるきっかけになった。かつて抗争に明け暮れ、宅地や田畑を環濠で守った頃の苦しい生活を救ったのは卑弥呼だ。平和の守り神になってもらうため、特大の墳墓を造って威を張ることになる。

 この墳墓で慰霊するため、遠く山陽・山陰などの豪族が地元伝統の特殊祭器を携えてかけつけた。なお、狗奴(くな)国は、邪馬台国九州説がいう熊襲や球磨などではなく、静岡から安倍川・大井川・天竜川あたりに名の出てくる久怒臣・国造や久能山あたりの国名ではないかと思われる。

 この抗争は崇神天皇から垂仁天皇の時代まで持ち越された。魏志倭人伝は、卑弥呼の宗女壱予(13歳)を立ててようやく抗争がおさまる、と書いている。崇神の時代には、卑弥呼がうち立てた豪族同盟を維持するため、地方で力を持つ地祇をアマテラスと並行して祀る方針を確立した。

 異なる神をもつ豪族にアマテラスを祭らせることは、天孫族に完全服従することを意味する。それは、謀反計画などが露顕して討伐を受け、降伏したような場合に限られていた。したがって、前述のような二重の祭祀というのは、さまざまの場面で矛盾が避けられないという欠陥をはらんでいたのだ。

 これを補完するのが前方後円墳(制度)である。卑弥呼の箸墓に続いて大和以外でも続々と作られるようになった。全体の外観、祭器やはにわの使用、棺の材質・構造、それらは時代や場所により多少の変化はあるが、一定の共通性が保たれている。

 設計・施工方法、石材や土器、副葬品などを比較すると、相当遠隔地であっても盛んに交流があったことがうかがわれる。これは、葬制の共有であって祖先への祭祀ではない。また、大きさ形状などに差があるのは、大和朝廷の先導によるものという解釈がある。

 さて、壱予に話を戻すが、壱予は、垂仁の娘である倭姫命(やまとひめのみこと)であるという説がある。これも卑弥呼=ヤマトトソソビ姫同様確証はない。それがわずか13歳であるとすれば、「年すでに長大」とされている卑弥呼と、戦乱がおさまった理由に大きな隔たりがあるはずだ。

 日本書紀によると、倭姫は、今の奈良県から三重県、滋賀県、岐阜県を経て伊勢湾沿いに南下し、アマテラスを祀る場所を探したという。その結果、「伊勢は平和をもたらす波がうち寄せる好ましい地である」というご神託があって、ここをアマテラス専用の斎宮とした。

 これには、何の意味があるだろう。大和朝廷には聞こえが悪いが、政治の中心地からアマテラスの分離・追放をするである。これにより、大和は二重祭祀から解放され、八百万(やおよろず)の神を祀ることに専念します、ということになる。こうして、同盟豪族との間にあった不調和音を解消させた。

 もうひとつは、近江から伊勢に至る線を、狗奴国との停戦・不可侵ラインとしたことである。それは、遠く、群馬・栃木・から茨城・東北南部まで大和王朝の勢力範囲となる動きが出てきたことに関係がある。つまり、広域の狗奴国包囲網を意識し始め、この橋頭堡として伊勢を選んだという解釈だ。

 倭国が最初に遭遇した危機は、これでひとまず回避された。大和朝廷の影響力を示す前期大型前方後円墳が濃尾平野や三河方面になく、遠く離れた外側に多く分布するのはそのせいだろうか。

 前方後円墳が3~4世紀にわたり継続し、律令による支配体制が整備されるとともに古墳時代が終焉する。万世一系とは言えないが、大和王朝が今に続いていることは疑う余地がないことだ。

 建国記念日という、でたらめな日にこのシリーズを閉じる。加えて、日本史の知識がなく、不用意に大統領制や首相公選制を持ち出す新政治勢力への批判も、忘れてはならないということを付け加えておこう。

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コメント

私も昔は邪馬台国畿内説でしたが安本美典氏に影響されて今では北九州説に傾いています。でも卑弥呼=天照大神説はいかにももっともらしいので疑っています。卑弥呼を誰に比定するか、塾頭の説通りヤマトトビモモソ姫かもしれません。
ただ魏志倭人伝を過大評価するのも疑問、例の位置関係を説明するくだりのいい加減さをみれば半分以上は陳寿の創作ではないかと思います。

投稿: ミスター珍 | 2012年2月12日 (日) 21時21分

ミスター珍 さま
コメントありがとうございました。本当は分厚い本になるテーマですが、珍説(笑)につき3回の記事で終わりにします。

半分以上は陳寿の創作――かも知れませんが、この頃の『日本書紀』は80%神話です。そうすると考古学をどうしても頼りにしなればなりません。

魏志倭人伝の過大評価――、私も書いていて実はそう感じました。そこが珍説なるが所以です。

投稿: ましま | 2012年2月13日 (月) 07時53分

ホメロスのオデッセイアからシュリーマンが大発見するのですが、叙事詩のトロイア陥落の詳しい記述は8~9割以上は創作でしょう。
同じことが日本書記にも言えて、大まかな枠組みは正しい可能性があるが出て来る有名人物が実在した可能性は限りなく低い。
そして大王家の天孫族が九州出身なのは日本書紀に明確に記述しているので、これは先ず間違いない史実である可能性が高いと思われる。
卑弥呼が天照大神であったと仮定したら、益々邪馬台国が大和では辻褄が合わず、今までの北九州説で無いと日本書紀との整合性が崩れます。

投稿: 宗純 | 2012年2月13日 (月) 14時38分

宗純 さま
コメントありがとうございました。

宗純さまではないが”世の中あまり不思議すぎて”しばらく想像の世界で遊ぶことにしました。

圧力容器の温度計が誤差が20度もあり、3個のうち1個だけが80度を超えたとか。

うちの石油ストーブや風呂釜の温度計、何十年も使っていて一度も狂ったことなどありません。不思議で嫌になってしまいます。原発安全神話より日本神話の方がまだましと思う昨今です。 

投稿: ましま | 2012年2月13日 (月) 18時02分

私は邪馬台国がどこであってもいい、と考えておりましたが、韓国ドラマ『クンチョゴワン(近肖古王)』に「ヤマタイの王女」が出てきたので心穏やかではなくなりました。
王女は日本にある七枝刀の受領者として設定されたキャラのようであります。
邪馬台国については山形明郷先生の「中国東北部」説が気になります。(『卑弥呼の正体』)
『魏志倭人伝』に出てくる「倭」は古代日本ではなく韓国南部であり、さらに「邪馬台国」は「倭」の中の一国ではないようなのです。
邪馬台国への行程のいい加減さはミスター陳様がおっしゃるとおりですが、山形先生は古代の航海術を過小評価している気もします。(遣唐使の遭難が多かったのは旅費を浮かそうと無理をしていたかららしい)
安本義典説も捨てがたいのですが、卑弥呼=アマテラスは納得がいきません。確かに両者は「弟」と「引きこもり」という共通項がありますが、卑弥呼は常に引きこもっているのに、アマテラスがたまに引きこもると大騒ぎになる。北九州にあったのは「邪馬台国」ではなく「高天原」だったのではないかと思いますが、このばあい「日向」はどういう位置づけなのか分からなくなってきました。
邪馬台国が日本でないとすれば、「倭」がどこに朝貢しようと皇室とは無関係となり、精神衛生上すこぶるよろしいかと存する次第ですが・・・
勝手なことを長々と述べてすみません。

投稿: りくにす | 2012年2月14日 (火) 19時14分

りくにす さま
コメントありがとうございました。

山形明郷先生というのは存じ上げないので何とも言えませんが邪馬台国が中国東北部というのは、100%ありえないと思います。

高麗・百済が扶余族出というのが根拠かもしれませんが通説にはなりえないでしょう。ただ倭人が釜山のあたりから洛東川沿いに多く住んでいたことはたしかのようです。

昔は国境などないので自由に行き来していたのでしょう。魏志倭人伝からもその点はうかがえます。七支刀は卑弥呼の時代よりあとですね。

魏志倭人伝はいい加減なところがあっても、その時代の唯一の文献で他に比較するものがなく、それなりに尊重されるべきです。

韓国ドラマにドラマを越えるものはないでしょう。

投稿: ましま | 2012年2月14日 (火) 20時14分

原発の温度計は熱伝対ですが構造がシンプルすぎて壊れることはまず考えられない。
それで東電は仕方なく断線を言っているのですが、・・・
断線なら0か振り切れるかの二つに一つで今回のような数値の変遷は有り得ない。
何れにしろ現在は修繕も出来ないし点検も出来ない。
壊れていることだけは判るが、何処が悪いかが判らない。

遣唐使船の遭難ですが造船技術と航海術の両方に問題が有ったようです。
日本や朝鮮には強度が弱い近海用の平底船しかなく、安全な竜骨を持つ丈夫な外洋船は中国南部にしかない。
風と潮流まかせで、日本行きは冬の北西の季節風を利用したが海が一番荒れる時期です。
逆の大陸行きは夏から秋にかけてだか台風時期と合致していて遭難が絶えなかった。
中国には南船北馬の言葉があるが、日本は何故か竜骨のある外洋船を作らなかったらしい。
造船技術に劣っていた訳ではなくて幕末にプチャーチンの軍艦が下田沖で津波で難破した時には3ヶ月で300トンの西洋式軍艦を建造して、ロシア側に日本人船大工の造船技術の驚異的な高さに驚いています。

投稿: 宗純 | 2012年2月15日 (水) 09時55分

元寇のとき朝鮮製の船は相当粗製濫造だったようですね。韓国へいった時の印象だがヒョロッとした松が多く日本のような巨木はあまりなかった。

それで3,4か月で90隻も作れという元の命令。費用は自分持ち。誰だって手抜きしますよね。

前に、元寇は想定外の神風のせいではなく、泥船だっからだ、と書きました。

投稿: ましま | 2012年2月16日 (木) 08時59分

管理人様、宗純様、コメントありがとうございます。山形説について補足しなければならないと思うので再びコメントいたします。
要約しますと
①「卑弥呼」を「ひみこ」と読むのは日本人だけ。「ひみこ」の当て字が「卑弥呼」であるわけがない。
②漢が「帯方郡」「楽浪郡」他二郡を置いた「古朝鮮」の領土は現在の遼寧省付近にあった。当時の朝鮮半島は倭人(≠日本人)などが支配していた。だから、「帯方郡」から海岸沿いに「南し東す」るなら朝鮮半島南端部に達する。
…であれば、「邪馬台国」は朝鮮半島にあったことになると思いますよね。ところが…
③同時代の「倭」についての文献は『三国志』の『魏志倭人伝』だけだが、「邪馬台国」と「卑弥呼」は『晋書』など他の歴史書にも登場する。『晋書』には帯方郡の公孫氏が滅亡するや、卑弥呼が魏に朝貢したと読める記述がある。邪馬台国はもともと公孫氏の庇護下にあった国としか思えず、したがってその所在地は現在の遼寧省となる。
…他の文献が出てくるとなると私にはお手上げです。日本にいる女王が玄界灘を隔てた魏に援軍を求めるのはおかしい、魏が彼女に金印を与えるのはさらにありえない、という意見には同意できるのですが…
④宋時代の歴史書に「『祁馬台国』を『邪馬台国』の誤りであるので訂正した」という記述を見つけた。「祁馬台国」は「蓋馬国」とも書き(これも当て字)3世紀に存在したが、4世紀末高句麗の拡大によってその中に取り込まれた。
…三国時代に高句麗はすでに一大勢力でしたから、その手前にある蓋馬国は金印を与えられる価値がありそうです。
しかし、中国の周辺国の名前が過去にさかのぼって「訂正」されるのなら、「魏志倭人伝」の日本列島としか思えない自然描写も後世に挿入されたのかと疑いたい衝動に駆られます。ところが『卑弥呼の正体』では山形氏はこの疑問に答えてくれないのです。「卑弥呼」以外の邪馬台国の住人「難升米」などの人名が何系の名前なのかなど聞いてみたいことはいくつかありますが、山形氏はすでに物故されております。自力で解決できそうなのは①だけです。

ところで、例のドラマで「百済の王・近肖古王(時代はちょうど蓋馬国滅亡のころ)」のシンボルとしてタイトルに掲げられていた「七枝刀」は現存しているのは日本のものだけですよね。
もしかしてあの脚本家は頭の中で「ヤマタイの王女チング」を「本当は神功皇后」にしたかったのではないかと考えているのは…たぶん私だけでしょう。「神功皇后」その人に罪はないかもしれませんが、私にはわが国を誤らせた腹立たしい神話としか思えませんでした。誇大妄想。迷惑至極。
ドラマでは七枝刀は七本作られ、百済の従属国に配られていました。韓国では「ヤマタイ」はどう思われているのでしょう。

投稿: りくにす | 2012年2月29日 (水) 18時21分

中国が唐の時代にいたるまで日本を倭と称していたことがたしかであり、難升米など不明な人名はあるもののひなもりなど明らかな日本語も散見されます。

また、邪馬台国以前に委奴国に与えられた金印が福岡県から発見されていることなどで、倭=朝鮮半島説は理解を越えます。お説はひまを見て勉強したいと思います。

投稿: ましま | 2012年2月29日 (水) 20時48分

朝鮮半島に存在した「倭」について韓国人の著作もいくつか出ています。こんな私でも一応「愛国心」はあるので山形説を消化してから取り組もうと思います。
志賀島の金印は偽物説もありますが、あわてて逃げるときに落としたか、あとで掘り出すつもりで埋めたという解釈もできます。「親魏○王」の印はそんなに乱発するものではないので確実な相手、どこか陸続きの国が受領するのが自然に思えます。『卑弥呼の正体』ともう一冊の本『古代史犯罪』は幸運(?)にもわが町の図書館で読んだのですが、『古代史犯罪』に伽耶の王(辰王)が日本語としか思えない名を名乗っていることが書かれていたりするので私も混乱しています。当時「日本語」を話していたのはどこの誰だったのでしょうか。とにかく、我らが大和朝廷が東洋史にデビューするのは山形説では600年の日本側に記録されない遣隋使のときで、それまで史書に登場する「倭」は半島側の「倭」とのことです。(邪馬台国の先にある「倭人の住む島」が日本列島かもしれない)ただ、二つの「倭」が、緊密に連携しているのか同一民族がなんとなく分かれて暮らしているのか説明してくれていません。

「古朝鮮」が中国東北部だろうという予感は韓国ドラマを見ているときにありました。それ以前だったら本の存在を知っていても読む気にならず、「邪馬台国は虫のいい要求を魏にするし、張清は同盟者を水増しして報告するいい加減な官僚だ」と思ったままでした。
ところで、帯方郡が大連あたりにあったとしても邪馬台国が出雲や九州北部にあったと解釈することもできますよね。
『三国志』以外に出てくる『邪馬台国』について他に誰か詳しい方がいるとありがたいのですが。

投稿: りくにす | 2012年3月 1日 (木) 01時16分

朝鮮南部には縄文時代すでに九州との往来が石器などで確認されており、特に伽耶を中心に倭人が力を得ていたことも確実視されています。

日本の栢森さんや茅野さん賀屋宮などその系統の人かもしれませんね。当時、国境などなかったと考える方が妥当です。

投稿: ましま | 2012年3月 1日 (木) 09時41分

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