海軍あって国家なし
昭和5年のロンドン海軍軍縮条約で、フリゲート艦など補助艦の比率を米英の10に対して日本は6と提示された。これに海軍軍令司令部の加藤寛治は7を主張してゆずらず、加藤らは「統帥権干犯」という天皇の権威を持ち出して浜口内閣を攻撃した。
当時海軍はアメリカを仮想敵国としており、対等に戦うには最低限度7が必要だとした。これに対し、北一輝との間に次のようなやり取りがあった(松本健一『日本のナショナリズム』ちくま新書)。
「将軍、あなたはそう言いますけれども、あなたはアメリカとだけ戦争をするつもりになっている。しかし、わたしが言ったように、日米戦争を起こせば必ずイギリスがうしろにくっつくんだ。そうしたときには十対十対七なんだから、七とったところで二十対七なんだ。こんなので戦争に勝てると思っているのか」と言ったら、将軍は「いや、海軍は国に殉じ死んでいくのみだ」と答えた。
北はこれに対して、「そんなバカなことを言わないでください。わが国は海軍に殉じて死んでいくわけにはいかないんだから」と批判している。
海軍あって陸軍なし、海軍あって国家なし……。省益や自らの地位しか考えない官僚精神は、今なおうけつがれて健全だ。同書は続けてこういう。
昭和三年頃の民政党と政友会は、お互いに政権をとったり維持したりすることだけが目的になっていた。このための賄賂合戦、曝露合戦、スキャンダル合戦がものすごく、政権交代時に前政権の機密費はどこに使われていたのか、などいまと同じような話が出てきていた。
政権をとることだけが自己目的化する二大政党政治の最大の矛盾点であり、欠陥であるが、どちらが権力をとるかによってお金の流れ方、人の集まり方が大きく違うので、過激なスキャンダル合戦となる。すると、それを見ている国民のほうには、政党は汚い、そういう汚い政治にたずさわっていない「清新」な軍人にまかせようという考え方が出てくる。
北一輝は当時の代表的な右翼の大物である。のちに二・二六事件を指導したとの疑いを受けて刑死し、結果的に軍人をのさばらせ天皇制ファシズムを招くことになった。しかし、北は軍人よりはるかに世界に向けた広い目を持っていたことだけはたしかである。府政から市政、市政から国政とコマネズミのように動き回るハシズムより、はるかにスケールは大きい。
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