« 暗中模索の年 | トップページ | お相撲さんの出身国 »

2012年1月26日 (木)

ヒトラーの日本観

 ドイツでは、ヒトラーの『わが闘争』が、州法により禁書扱いになっているらしい。ネオ・ナチのバイブルにされかねないということのようだが、日本の常識からすると「そこまでしなくても」と思う。しかし第2次世界大戦の反省は、国是といっていいほどの厳しさがある。最近、英国の出版社が一部抜粋を黒塗りで発行せざるを得なかったという報道があった。
【参照】
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012012600099

Dscf3577  塾頭蔵書(写真)の訳者・平野一郎は、巻頭の序で次のように書いている

 わたしをこの仕事にふみきらせたものは、最近の一部の青少年のヒトラー礼賛の声――それはしばしば仮借なき残酷さをもつ青年期特有のヒロイズムに由来するのであろうが――であった。戦争経験なき世代こそ、この書を読むべきではないだろうか。この書をくもりなき目で読み、客観的に判断することが、この世代にとって必要であり、戦後の教育を受けたものなら、十分な批判力をもって読むことができるのではないか、と考えたからである。さらにヒトラーが痛烈に攻撃している議会の腐敗堕落、これは形を変えて現代の日本の社会にも存在しているのではなかろうか。もしそうだとするならば、議会主義という近代民主政治の最低擁護線を確保し、ファシズム勢力の台頭を予防するためにこそ、ナチ勢力の伸長過程とナチの論理をつぶさに見ることが必要なのではないか、というのが、わたしの立場である。

 本塾は、これまで何度か同書を引用した記事を書いてきた。
ヒトラーの宣伝と戦争
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-c0dc.html
ヒトラーと歴史教育
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-ac65.html
ヒトラーと逃亡兵
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-303f.html
ヒトラーとユダヤ人
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-fa24.html
ヒトラーの戦争礼賛
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-3c4f.html
ヒトラーと優生学
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-f397.html
ヒトラーと民主主義
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-e345.html

 戦時中同盟国であった日本は、ヒトラー礼賛派が多かったが、『わか闘争』の中で翻訳公開されない部分があった。今回はそれを明らかにしておこう。

 多くの人々がそう思っているように、日本は自分の文化にヨーロッパの技術を付け加えたのではなく、ヨーロッパの科学と技術が日本の特性によって装飾されたのだ。実際生活の基礎は、たとえ、日本文化が――内面的区別なのだから外観ではよけいにヨーロッパ人の目に入ってくるから――生活の色彩を限定しているにしても、もはや特に日本的な文化でないのであって、それは、ヨーロッパとアメリカの、したがってアーリア民族の強力な科学・技術的労作なのである。これらの業績に基づいてのみ、東洋も一般的な人類の進歩についてゆくことがで゜きるのだ。これらは、日々のパンのための闘争の基礎を作り出し、そのための武器と道具を生み出したのであって、ただ表面的な包装だけが、徐々に日本の存在様式に調和させられたに過ぎない。

 今日以後、仮にヨーロッパとアメリカが滅亡したとして、アーリア人の影響がそれ以上日本に及ぼされなくなったとしよう。その場合、短期間は、なお今日の日本の科学と技術の上昇は続くことができるに違いない。しかし数年で、はやくも泉は水がかれてしまい、日本的特性が強まってゆくだろう が、現在の文化は硬直し、七十年前にアーリア文化の大浪によって破られた眠りに再び落ちてゆくだろう。だから、今日の日本の発展がアーリア的源泉に生命を負っているとまったく同様、かつて遠い昔にもまた、外国の影響と精神が当時の日本文化の覚醒者であったのだ。その文化が後になって化石化したり、完全に硬直してしまったという事実は、そのことをもっともよく証明している。こうした硬直は、元来創造的な人種の本質が失われるか、あるいは、文化領域の最初の発展に動因と素材を与えた、外からの影響が後になって欠けてしまう場合にのみ、一民族に現れうる。ある民族が、文化を他人種から本質的な基礎材料として、うけとり、同化し、加工しても、それから先き、外からの影響が絶えてしまうと、またしても硬化するということが確実であるとすれば、このような人種は、おそらく「文化支持的」と呼ばれうるが、けっして「文化創造的」と呼ばれることはできない。

 塾頭曰く。――残念ながら合っているところもあるな――。

|

« 暗中模索の年 | トップページ | お相撲さんの出身国 »

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/468248/43882578

この記事へのトラックバック一覧です: ヒトラーの日本観:

» ドイツ:「わが闘争」出版断念  今日は「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」 [自分なりの判断のご紹介]
今日の毎日新聞に 目を通していたら こんな記事が。 ドイツ:「わが闘争」出版断念 英週刊誌付録の本文、文字「ぼかす」 ナチス・ドイツの独裁者 ヒトラーの著書「わが闘争」の 一部抜粋を英国の出版社が 週刊誌の付録と... [続きを読む]

受信: 2012年1月27日 (金) 15時35分

« 暗中模索の年 | トップページ | お相撲さんの出身国 »