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2011年12月31日 (土)

原子力村物語

原子力は科学でない
 一時、「歴史は科学ではなく、物語である」という発想がはやったことがある。『新しい歴史教科書』を発行した扶桑社は、その頃、「はじめて日本を主人公にした一つの小さな物語を楽しむことができます」というコピーの入った新聞全ページ広告をうった。歴史を人文科学でなく、文芸・小説に追いやろうという試みを垣間見たような気がした。(拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』)

 似たようなことが、あろうことか、原子力村で長い間通用していたのだ。事故が危機的状況にあるのに「爆発」を「原子炉建屋の上方が解放」と言いかえ(東電小森常務)、津波被害の警鐘を無視しておきながら「想定外」という筋書きを作ろうとした。

 枝野官房長官(当時)は、「爆破的-事象」とか「脱原発-依存」などの新語を使い、歯切れのよい表現でそれをつくろった。原発で起きたことは、科学技術ではない表現技術の世界に置き換えられてしまったのだ。こういった「原子力村物語」は、死んだふりをしながら現在なお生きのびようとしている。

 塾頭は、3・11までは「安全神話」を信じないまでも、ここまでひどい事故を起こすとは想像もしていなかった。そこに持ち出されたのが上記物語だ。このことで、当塾は「脱原発」路線を明確に打ち出す方針を決めた。

科学技術以前
 年末を前にして、東電、政府の事故調査中間報告が相次いで発表され、TVでも関連するドキュメンタリー番組がいくつか組まれた。その中で28日の報道ステーションSPが異色だった。古舘伊知郎のこの報道番組は、日頃あまり見ないのだが、番組紹介につられてつい最後まで見た。

 その中で印象に残った点が2つある。そんな複雑なことではないので、事実に反するようであれば当然当事者から抗議を受け撤回を迫られることがらだ。したがって事実に近いことなのであろう。その一つは、ベントの排気塔に通ずるダクトの構造と、あとは、住民避難の重要データ、スピーディーの活用を怠ったことである。

 まず、最初は圧力容器内の圧力を下げるためのベントをすれば、放射能を含んだ気体がタワーのように高く立てた煙突に導かれる。その間をダクトでつないであるが、そのダクトは原子炉建屋の換気ダクトと途中でつながっている。

 ベント時には、そのつながりをダンパーが閉鎖することになっているということだが、そんなことをしても気体は完全に遮断しきれない。空調関係やダクトの仕事をしたことのある人なら誰でも知っていることだ。

 番組は実験をして見せたり、海外におなじ設計をしている原発がないことを紹介していたが、原発設計技術というより、常識以下ではないかとさえ思える。こうして、炉の中で発生した水素が行くはずのない建屋に洩れ、爆発に至ったという想定である。

 もう一つは、スピーディー(SPEEDI・緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)という文部科学省が億単位の金をかけたコンピュータ・シュミレーション・システムである。原発から同心円を描いた外側、北北東に舌のように広がった例の高濃度汚染地帯地図である。

 これが早い段階で作成できたので、文科省は東電、原子力安全保安院、原子力安全委員会その他関係する組織に複数回以上結果を送信した。ところが、肝心の官邸には何の報告もなく、避難指示が後手後手にまわってしまった。
 
 これについて、番組は追跡取材をしているが、各関係先は責任のたらい回ししかせず、「当然文科省がするものと思っていた」とか、「同心円が10キロ、30キロと広げられているので対策は進んでいると思った」、「放出量が確定データでなく不確定要素があった」などと、まるで他人ごとだ。

 反面、該当地域で密かに防護服で身を固めた係員が現地の線量調査をしており、何も知らず不審顔をする地元の人々に、「頼むからここからすぐに逃げてくれ」と懇願したそうだ。「スピーディー」は、一向にスピーディーではなかったのである。

物語終章宣言しかない
 官僚や東電の要員に何の悪意もなかったのだと信じる。ただ、長年浸ってきた原子力村の掟、原子力物語の筋書に従って、日々の仕事をこなしただけなのであろう。さあ、これを変えるにはどうすればいいのか。

 最近、新聞の投書欄その他で、現在稼働中の原発を含め、即刻全機を停止すべきだという意見が多くなったように感ずる。上記のような実態が明らかになるにつれ、塾頭も無理ないことだと同調したくなる。

 しかしここは、物事を冷静にわけて考える必要がある。まず、一斉停止をすれはすべてが安全になるかというと、NOである。塾頭の経験からすると、原発に限らず事故は、停止中に発生する確率が運転中をはるかに上回るのである。

 いまなお一番大切なのは、福島第一の事故終息に全力を注ぐことで、稼働中の原発の定期点検や運転中原発の事故防止のためには、現在ある要員や法律・規則などを使わざるを得ない。原子力物語を終わらせるためには、事故発生後直ちに最終章宣言をして新体制に移行する準備に入ることだった。

 それをするのかどうか、来年夏を待つというのではいかにも遅い。そうしているうちに第2第3の事故が起きないとはいいきれない。政治のトップの頭の切り替えひとつで物事が決まる。それができないようでは、総選挙で民意を聞くしかない。

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