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2011年12月11日 (日)

日中にかかる冬の月

   阿倍仲麻呂
 天の原 ふりさけ見れば 春日なる
         三笠の山に 出し月かも

Dscf3553_2   間もなくお正月。百人一首の出番である。「天平、日中のかけはし」といえば、苦難の末盲目の身で来日し、仏教の戒律を伝えて客死した鑑真和尚を思い出す。日本に向かったのが753年冬、その同じ船団に加わるため阿倍仲麻呂も中国南部明州で船待ちをしていた。

 36年ぶりの帰国である。望郷の念やみがたく、はやる心を中空高く冴えわたった月を見て、「あの月は、きっと奈良の三笠の山から上がった月だろうな」とうたった詩である。

 時の高名な詩人・李白や王維との交流も深く、彼の才能は共感をもつて受け止められた。漸く船出したが船団は暴風に遭遇、仲麻呂の乗った船は南に流され安南(ベトナム)に漂着、鑑真や吉備真備らが乗った船は、屋久島や薩摩などに漂着したものの日本に到達した。

 仲麻呂の船に乗り合わせた人は、100数十人が漂着地の原住民に殺され、仲麻呂など10人余りがかろうじて長安にたどりついた。長安では皇帝をはじめ、てっきり死んだものと考えていたので大変驚いた。李白は哀悼の詩まで詠んでいる。

 仲麻呂が遣唐使の留学生として入唐したのは20歳の時である。直ちに大学で儒教典を学び科挙の試験に合格した。そして唐の官吏の道を歩むことになり、図書館の司書のような役についた。そこで彼の才気とけなげさが玄宗皇帝の目にとまるところとなった。

 以後抜擢され、特別の家柄でなければつけないような重要ポストを歴任する。その故もあって、なかなか帰国の許可を得ることがむつかしかった。遭難後も唐の植民地になった安南の総督のような特別の地位についたのは、奇縁とはいえ彼の信認がいかに高かったかを物語る。

 そして、ついに日本の土を踏むことなく、数え年77歳で生涯を終えた。『日本続記』は、「名を唐国にほどこす者、ただ大臣(吉備真備)と朝衡(仲麻呂の中国名)のみ」と高く評価する。しかしこのような次第で、冒頭の詩以外には日本に彼の事績が残っていない。

 強いてあげるなら、少し前にマンガで若者に人気のあった平安時代の陰陽師・安倍晴明が仲麻呂の縁者のようで、吉備真備が唐から持ち帰った呪術の奥義書を贈って、その道の第一人者にしたたとされる(以上、拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』参照)。

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コメント

ましま様…。

勉強になりました…。温故知新…歴史に触れ、先人の思想、偉業などに学ぶことの大切さをあらためて思い起こされた気がします。感謝します。

お礼に一句…。

冬深し
蒼く澄みたる
長良川

ましま様…寒さ厳しきおり、おからだ、ご自愛の程…。


投稿: 青い鳥 | 2011年12月12日 (月) 09時01分

青い鳥 さま
過分なおことば、いたみいります。ありがとうございました。

このところ中国マターを(意図的に?)続けています。中国は北京、上海、西安、桂林(なんと全部観光地!)しか行ったことがありません。

過去の過ちを繰り返さないための関心があるだけです。なにか間違っているところがあれば教えてください。

投稿: ましま | 2011年12月12日 (月) 10時14分

月は日常的にはカレンダーとして文学的には金色夜叉ですね。私が、西国のはてから見ていた月は情緒的になりました。遠くからクルアーンのBGMが流れてくれば完璧です。

南の国では月というよりもズバリ南十字星です。旧日本軍のトーチカ跡の残るホテルの浜辺で思ったのは、戦死した親類が見ず知らずのこの地で、笑うことができたのかどのように亡くなったのかということでした。1996年12月初旬、第一回目のレイテ島でした。

投稿: ていわ | 2011年12月13日 (火) 13時50分

♪月の砂漠をはるばると~ふたり並んでゆきました

♪さらばラバウルよ~椰子の木陰の十字星

花鳥風月の世界にひたる幸せを持ちたいものです。


投稿: ましま | 2011年12月13日 (火) 16時58分

花鳥風月とくれば月見酒ですか。

レイテ島には持ち出し禁止の椰子酒(トゥパ)があります。タクロバン空港は今も昔もセキュリティチェックは厳しく、椰子酒は問答無用で没収される運命にあります。例え持ち出せたとしても発酵がすすんで2日後にはお酢になってしまいます。黄色でトロッと甘過ぎるため甘党でないと見向きもしません。
酔いがまわればたちまち腰がぬけます。マゼランもこれにやられたのかな?と思ったりして。

投稿: ていわ | 2011年12月13日 (火) 22時02分

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