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2011年12月28日 (水)

年の瀬

 
世の中は何か常なる飛鳥川
   きのうの淵ぞ今日は瀬になる
       (詠み人知らず)

 「瀬」とは変わりやすいことの謂いである。Dscf3569_2
以下、池田弥三郎『日本故事物語』より。

 なくなった吉右衛門の当たり狂言のひとつであった「松浦の太鼓」では、両国橋の場で、たまたま竹売りとなっている大高源吾に行き会った其角が別れぎわに、

  年の瀬や。水の流れと人の身は

とよんで、付け句を求める。源吾はとりあえず

  あした待たるる その宝船

と付けて立ち去るが、この付合いが劇の重要なモメントになっている。この「年の瀬や……」の句は、かつては立派な武士であり、俳諧のともであった源吾の落魄した姿を目前にしての感慨であるが、この句に至るまで、人生の無常を水の流れに対比しようとする習慣には長い底流のあることが考えられる。しかも、水の縁語で「瀬」ということばが用いられるところまで飛鳥川の淵以来の約束なのである。

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コメント

大晦日は仕事なので今日はそば打ちに明け暮れました。古今和歌集から忠臣蔵ですか。三波春夫の俵星玄蕃に憧れていました。という訳であのそば屋になりきった一日でした。

飛鳥川の淵も瀬も基本的に同じ土砂であり、形は変えても質は変えていません。せめて現政権も基本路線だけは変えないでほしいと願う年の瀬でした。

投稿: ていわ | 2011年12月30日 (金) 22時16分

ていわ さま
忙しいところコメントありがとうございました。

俵星玄蕃、おそば、暮、ていわさま――、おもしろい取り合わせですね(失礼・ヽ(´▽`)/)。

「年の瀬」で本年打ち止めにしようと思ったのですが、言い残したようで気にかかり、もう1編追加することにしました。

来年もよろしく。

投稿: ましま | 2011年12月31日 (土) 09時47分

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