« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »

2011年12月

2011年12月31日 (土)

原子力村物語

原子力は科学でない
 一時、「歴史は科学ではなく、物語である」という発想がはやったことがある。『新しい歴史教科書』を発行した扶桑社は、その頃、「はじめて日本を主人公にした一つの小さな物語を楽しむことができます」というコピーの入った新聞全ページ広告をうった。歴史を人文科学でなく、文芸・小説に追いやろうという試みを垣間見たような気がした。(拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』)

 似たようなことが、あろうことか、原子力村で長い間通用していたのだ。事故が危機的状況にあるのに「爆発」を「原子炉建屋の上方が解放」と言いかえ(東電小森常務)、津波被害の警鐘を無視しておきながら「想定外」という筋書きを作ろうとした。

 枝野官房長官(当時)は、「爆破的-事象」とか「脱原発-依存」などの新語を使い、歯切れのよい表現でそれをつくろった。原発で起きたことは、科学技術ではない表現技術の世界に置き換えられてしまったのだ。こういった「原子力村物語」は、死んだふりをしながら現在なお生きのびようとしている。

 塾頭は、3・11までは「安全神話」を信じないまでも、ここまでひどい事故を起こすとは想像もしていなかった。そこに持ち出されたのが上記物語だ。このことで、当塾は「脱原発」路線を明確に打ち出す方針を決めた。

科学技術以前
 年末を前にして、東電、政府の事故調査中間報告が相次いで発表され、TVでも関連するドキュメンタリー番組がいくつか組まれた。その中で28日の報道ステーションSPが異色だった。古舘伊知郎のこの報道番組は、日頃あまり見ないのだが、番組紹介につられてつい最後まで見た。

 その中で印象に残った点が2つある。そんな複雑なことではないので、事実に反するようであれば当然当事者から抗議を受け撤回を迫られることがらだ。したがって事実に近いことなのであろう。その一つは、ベントの排気塔に通ずるダクトの構造と、あとは、住民避難の重要データ、スピーディーの活用を怠ったことである。

 まず、最初は圧力容器内の圧力を下げるためのベントをすれば、放射能を含んだ気体がタワーのように高く立てた煙突に導かれる。その間をダクトでつないであるが、そのダクトは原子炉建屋の換気ダクトと途中でつながっている。

 ベント時には、そのつながりをダンパーが閉鎖することになっているということだが、そんなことをしても気体は完全に遮断しきれない。空調関係やダクトの仕事をしたことのある人なら誰でも知っていることだ。

 番組は実験をして見せたり、海外におなじ設計をしている原発がないことを紹介していたが、原発設計技術というより、常識以下ではないかとさえ思える。こうして、炉の中で発生した水素が行くはずのない建屋に洩れ、爆発に至ったという想定である。

 もう一つは、スピーディー(SPEEDI・緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)という文部科学省が億単位の金をかけたコンピュータ・シュミレーション・システムである。原発から同心円を描いた外側、北北東に舌のように広がった例の高濃度汚染地帯地図である。

 これが早い段階で作成できたので、文科省は東電、原子力安全保安院、原子力安全委員会その他関係する組織に複数回以上結果を送信した。ところが、肝心の官邸には何の報告もなく、避難指示が後手後手にまわってしまった。
 
 これについて、番組は追跡取材をしているが、各関係先は責任のたらい回ししかせず、「当然文科省がするものと思っていた」とか、「同心円が10キロ、30キロと広げられているので対策は進んでいると思った」、「放出量が確定データでなく不確定要素があった」などと、まるで他人ごとだ。

 反面、該当地域で密かに防護服で身を固めた係員が現地の線量調査をしており、何も知らず不審顔をする地元の人々に、「頼むからここからすぐに逃げてくれ」と懇願したそうだ。「スピーディー」は、一向にスピーディーではなかったのである。

物語終章宣言しかない
 官僚や東電の要員に何の悪意もなかったのだと信じる。ただ、長年浸ってきた原子力村の掟、原子力物語の筋書に従って、日々の仕事をこなしただけなのであろう。さあ、これを変えるにはどうすればいいのか。

 最近、新聞の投書欄その他で、現在稼働中の原発を含め、即刻全機を停止すべきだという意見が多くなったように感ずる。上記のような実態が明らかになるにつれ、塾頭も無理ないことだと同調したくなる。

 しかしここは、物事を冷静にわけて考える必要がある。まず、一斉停止をすれはすべてが安全になるかというと、NOである。塾頭の経験からすると、原発に限らず事故は、停止中に発生する確率が運転中をはるかに上回るのである。

 いまなお一番大切なのは、福島第一の事故終息に全力を注ぐことで、稼働中の原発の定期点検や運転中原発の事故防止のためには、現在ある要員や法律・規則などを使わざるを得ない。原子力物語を終わらせるためには、事故発生後直ちに最終章宣言をして新体制に移行する準備に入ることだった。

 それをするのかどうか、来年夏を待つというのではいかにも遅い。そうしているうちに第2第3の事故が起きないとはいいきれない。政治のトップの頭の切り替えひとつで物事が決まる。それができないようでは、総選挙で民意を聞くしかない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月28日 (水)

年の瀬

 
世の中は何か常なる飛鳥川
   きのうの淵ぞ今日は瀬になる
       (詠み人知らず)

 「瀬」とは変わりやすいことの謂いである。Dscf3569_2
以下、池田弥三郎『日本故事物語』より。

 なくなった吉右衛門の当たり狂言のひとつであった「松浦の太鼓」では、両国橋の場で、たまたま竹売りとなっている大高源吾に行き会った其角が別れぎわに、

  年の瀬や。水の流れと人の身は

とよんで、付け句を求める。源吾はとりあえず

  あした待たるる その宝船

と付けて立ち去るが、この付合いが劇の重要なモメントになっている。この「年の瀬や……」の句は、かつては立派な武士であり、俳諧のともであった源吾の落魄した姿を目前にしての感慨であるが、この句に至るまで、人生の無常を水の流れに対比しようとする習慣には長い底流のあることが考えられる。しかも、水の縁語で「瀬」ということばが用いられるところまで飛鳥川の淵以来の約束なのである。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2011年12月27日 (火)

反戦塾乗11/12/27

小泉元首相朝鮮総連で献花
 小泉元首相が、朝鮮総連に出向いて、金正日の遺影に献花していた。拉致被害者の家族会や支援者の中の一部には、内心「裏切りだ」と怒り狂っている人がいるかも知れない。しかし、2度にわたって訪朝し、重い扉をこじ開ける交渉をした相手の死を悼むことは、日本人ならまっとうな神経だと思う。

 その扉を再び閉ざしたのは、先方のせいだけにしているが、半分はこっちにもある。小泉氏と逆に何度かあったチャンスを見逃し、圧力強化だけを唱え続けたのが後を継ぐ各政権である。それでは問題解決に何の足しにもならない。

 つまり、外交テクニックを放棄し、海外の首脳が集まる会場まで、得々としてブルーリボンをつけたまま出席することが拉致問題対策だと思っている総理や外務大臣がいるかぎり、アメリカか中国任せにするしかありませんな、ということだ。

倫理学について
 ドイツが脱原発の先鞭をつけている。日本の「脱原発依存」の生煮えとは違う。また、戦争責任で、ナチスの犯した犯罪を民族として徹底的に追及し、いわゆるネオナチは存在するが日本のように「自虐史観攻撃」が大手を振ってまかり通るようなことはない。

 この違いの根っこに何があるのか。メルケル政権が福島事故を受けて脱原発を決断した裏には、「安定したエネルギー供給のための倫理委員会」の報告書があった。日本の役所が使うエネルギー調査会とか安全委員会・○○審議会などとは違う、倫理学的見地から結論を導く委員会だ。

 古い話で恐縮だが、大学に入って論理学、哲学、倫理学のうち一つを選択することになった。哲学は秀才でなければとっつけない気がしてパス、倫理学は古いヨーロッパの「修身」を学んでも役に立たないと思い、結局論理学にした覚えがある。

 今でも日本ではあまり人気のある学問分野ではないと思うが、ヨーロッパ、中でもドイツでは、もろもろの科学者の見解に劣らない判断基準に位置していたのだ。日本政府の事故調査中間報告を見ても、中身は倫理学に属するようなことが多い。

 いまさら倫理学を日本で育てても間に合わない。フランスやロシアやアメリカから防災技術をかき集めることもさることながら、この際ドイツの「倫理委員会報告」をそのまま輸入したらどうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月25日 (日)

米軍は日本の傭兵?

 当塾恒例の毎日新聞ベタ記事(12/25)紹介である。電子版にないので全文を引用する。

 一川保夫防衛相は24日の沖縄政策協議会で、基地負担軽減策として米軍嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)に所属するF15戦闘機の訓練を、来年2月に米領グアムで実施すると報告した。経費の4分の3は日本側が負担する。日米両政府は今年1月、嘉手納から沖縄県外の航空自衛隊への訓練移転を拡充する方針で合意した。

 「ついにここまで来たか!」という感じである。これまでは、在日米軍の経費4分の3、つまり75%前後が日本持ちだと聞いてきた。また、海兵隊などのグアム移転に要する経費は米側が見積もりその過半を日本が負担するように言われてきた。

 移転費用に移転先インフラ整備費なども含まれており、なんで米国内の米軍基地建設費にまで、俺の税金が使われるのだ、という気がしたものだが、まあすれすれ日本にあった基地の引っ越し費用として関連はつけられる。

 そもそも、一部海兵隊など沖縄からの撤退は、中国にあまりにも近すぎて危険だから、という理由もあったのではないか。こんどは、日本に駐留してない戦闘機の訓練経費まで持てというのだ。どうやって見積もるのか知らないが、これでは、訓練された米兵の4分の3は日本の傭兵にしてもらわなければ合わない。

 こんなことは、米国民は誰も知らないと言っていいだろう。若し知れば誇り高い米国民は憤慨するに違いない。石山永一郎共同通信編集委員によると次のような実態となっている(「世界」2012/1月号)。

【米軍駐留経費負担】
             日本   スペイン イタリア 韓国  ドイツ
 負担率(%)     74.5      57     41    40    32
 
駐留米兵1人当たり負担額、1位日本 10万6000$、2位イタリア 2万8000$

 以上の数字は2004年時点のもので、その後は公表されていないようだ。以上の国以外、例えばアフガニスタン周辺国などでは、逆に基地設置に多額な地代や協力金が支払われているはずだ。仮にアメリカ国内と日本で同じ経費がかかるとすれば、アメリカは基地を日本に置けば、国内に置く4分の1の経費ですむのというのだから、こんなにおいしい話はない。

 日米同盟もいいが、こんな状態に手をつけられない日本政府は、世界から笑われ者にされても仕方がないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2011年12月23日 (金)

平成天皇の立ち位置

 23日、天皇誕生日だが、年末も押しつまり例年どうも印象が薄い。先月はじめ「天皇と憲法」というシリーズを4回ほど書いた。そのせいもあってか、誕生日にあたっての国民向け感想に改めて目を向けてみた。

 今年は、健康上の理由を考慮し、前もって文書での発表である。以下、「反戦塾」としての注目部分である。

今年は先の戦争が始まって70年になります。この戦争における死者はおびただしい数に上り、戦後、こうした戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう、日本の人々は、真摯(しんし)に過去を学びつつ、戦後の厳しい困難に耐え、営々と国づくりに励み、今日の日本を築き上げました。戦争の記憶が薄れようとしている今日、皆が日本がたどった歴史を繰り返し学び、平和に思いを致すことは極めて重要なことと思います。

 天皇が生まれたのが1934年、日本が国際連盟を脱退し、翌年には満州帝国を立ち上げる。盧溝橋事件で戦争が始まったのが2歳、太平洋戦争開始が6歳、終戦が10歳で、日光の疎開先、学校には行っていなかった。

 その時、皇居を守る天皇を気遣って出した手紙の返事にこうある。

 我が国人が あまりに皇国を信じすぎて 米英をあなどったことである 我が軍人は 精神に重きをおき過ぎて科学を忘れたことである
 明治天皇の時には 山縣 大山 山本等の如き名将があったが 今度の時はあたかも第一次戦争の独国の如く軍人がバッコして大局を考えず 進むを知って 退くことを知らなかったからです。(『昭和天皇独白録』文芸春秋)

 そして連合軍の占領が終わり講和条約が結ばれたのが6年後の1951年である。彼としては、天皇になれるのかどうか、ギロチンにはかけられないにしても、廃帝の息子として隠棲の日々を送る可能性だってあったのだ。

 昭和天皇論はあふれるほど世に出ており、週刊誌の皇太子夫妻ゴシップ氾濫は目に余る。しかし、平成天皇論はまだない。これまでの経緯を見ると、平和主義であり、護憲指向であることは疑いなさそうだ。

 塾頭が注目したのは、上記感想の「戦争の記憶が薄れようとしている今日、皆が日本がたどった歴史を繰り返し学び、平和に思いを致すことは極めて重要なことと思います」の部分だ。単に「歴史に学び」ではなく「繰り返し」という強調があることを見逃してはならない。

 これには、その前段がある。今回の「感想」の大部分を占めた自然災害のことである。東日本大震災だけにとどまらず、新潟県の同じ地域を襲った水害、熊野・紀州、タイの水害まで見渡し、日頃の訓練、過去の教訓、先人の経験などを活かすかどうかで被害を回避または軽減できることを、実例をあげて繰り返し述べている。

 さらに、救援や原発事故対応にあたった自衛隊や警察、消防、海上保安庁、自治体、東京電力などの関係者の努力や、諸外国の救援に謝意を表しているが、諸外国を除いては、現場の活躍を念頭に置いたもので、意地悪い見方をすれば、為政者の怠慢を暗に批判しているようにもとれる。

 この内容は、国事行為でない私的行為だとしても、天皇の形式的・儀礼的・慣例的な発言の枠を超えた、政治的内容を内蔵するものと言わなければならない。当塾のかねての主張と合う部分が多く、あたりまえのことなのだが厳密に言えば憲法第4条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」に抵触するかも知れない。

 天皇の政治利用は天皇自身がするわけではない。政治家、官僚、軍隊などによる政治利用を厳しく禁じればいいことだ。戦前の天皇神格視またはそれに近い復古論を断ち切ることが、天皇にある程度の自由な発言・行動を保障することになる。塾頭は、そうありたいものだと思っている。

| | コメント (2) | トラックバック (4)

2011年12月22日 (木)

ふくろう

2006_09020015 ←キャラクターに寄せて

ボードレール「悪の華」(武田靖冶・訳)

ふくろう

黒い、いちいの葉の下に
ならんでとまるふくろうは
異国の神にそっくりだ、
赤い目をむきだし、もの思い。

姿勢もくずさず、じっとして
傾く日ざしもなんのその
あたりに闇が深まって、
ものいう時がくるまでは。

そのふくろうの姿みて、
賢い人はこう思う、
この世に恐るべきものは
動揺、変化、動乱と。

すぎゆく影に酔う人は
居場所を変えようと望むので、
いつでも悩みにつつまれる。

(『少年少女世界の名作文学』フランス―4・小学館、所載)

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2011年12月21日 (水)

国粋症候群

 「国際猜疑論者」「対外興奮患者」「国際神経衰弱病者」「慢性愛国患者」「憤慨常習病患者」「大和魂己惚病」「戦争慢心病」

 これだけ並べ立てると、「こりゃあ なんじゃ」ということになる。1925年(大正14)、『中央公論』2月号に載った水野広徳の論文からとったものだ。水野は戦前の有名な反戦ジャーナリストだが、出身は日露戦争で水雷艇長として武勲をあげ海軍大佐までつとめた武人である。

 上述のようなこなれてない新造熟語を濫発しているのは、それだけ戦争に幻想をいだき無鉄砲に美化してしまう人間が多いことに危機感を持ったからであろう。その頃、何があったのか。前年秋に、太平洋上で武力を張り合うような大演習が2国間で相次ぎ行われた。

 日米と中国ではない。日本とアメリカなのだ。その前、5月には米上下院で人種差別につながる「排日移民法」が可決された。日本の海軍が描いた仮想敵国はアメリカなのである。しかし、その後戦局は陸軍により満州・中国から発展し、水野が恐れた国の破滅は、20年後に至って現実のものになった。

 水野がさまざまな病名をつけて警告した対象は、職業軍人だけではない。マスコミ、政治家、文化人、一般国民に広く呼びかけている。しかし、これをまっとうに受け止めたのは、ごく少数の識者だけであった。

 国際情勢を冷徹に分析し、誤った道を踏まないよう警告を発した先人は、水野だけではない。福田元総理が外交の指針としたといわれる『日本之禍機』は、すでに日露戦争後まもなく発表されており、当塾でも紹介した。

 その中から、次の警句を引用し、この記事の締めくくりとしたい。

今日日本の要する所は実に反省力ある愛国心也。先づ明快に国家前途の問題を意識して、次に之に処するに非常なる猛省を以てするにあらざれば、国情日に月に危かるべし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月19日 (月)

福島事故で変わったこと

福島事故で原発をめぐる環境が去年までと違って大きく変わった。いろいろあるが、思いつくまま上げてみよう。第一に、一般国民の原発や放射能被害に対する知識が格段に高まり、政府や東電の施策や発表を批判する目が養われたことである。

 野田首相が「冷温停止」に「状態」を付け足して、ステップ2完了宣言をしたまやかし(「脱原発」に「依存」を付け足したのと同じ手口)を、町のおじさん、おばさんたちにまで見破られている。さらに、そのわきから、事故原因のヒューマンエラーによる部分が続々と明るみに出ている。

 事故発生後の前半では、ストレステストさえパスすれば、停止中の原発再開は比較的簡単に進むだろうと考えられていたが、中部の高浜、九州の玄海など住民が安全神話を了解するだろうという見通しは、かなり甘いと言えるようになった。

 2番目に、当塾でも早い段階で「脱原発」の定義と進行のパターンを示していたが、そのうちの節電効果は、不景気の影響もあるが夏冬を通じて想像以上の進展があったと考えられる。つまり、原発がなくても乗り切れるのではないか、という線がぼんやりながら見えてきた。

 かといって100%即時停止はやはり厳しい。そこで「ストレステストさえ」ではなく、再開しても安全度の高い原発をセレクトし、その中からお願いしていくような方針に転ずるべきだ。それでも合意が得られなければ、中途半端な「脱原発依存」を捨て、「脱原発」にはっきり踏み切って、代わるべき新エネルギー政策をフル回転させなければならない。

 一部の御用学者をのぞいて、発電に用いる原子力は過渡的なエネルギーで、いずれ再生可能なエネルギーがとって代わるという見通しが、科学者の間で有力であることを当塾でも紹介してきた。しかし福島事故で、原子力は過渡的エネルギーの座をもはや明け渡す時期にきていることが世界の趨勢になりつつある。

 新しい過渡的エネルギーは、天然ガスである。それならば化石燃料として既にあるではないか、と思われるだろうが、ここにきて脚光をあびているのが、これまでとは全く違う方方法で採取するシェール・ガスとメタン・ハイドレードである。

 シェール・ガスは、頁岩と称される地層の隙間から採取される。これまでもオイル・シェールとかオイル・サンドなど固体化した石油層が液体のそれに匹敵するほど存在することはわかっていたが、それからガソリンや灯・軽油を製出するには莫大な経費を要した。

 シェール・ガスは、そういった加工技術ではなく、ガスを安定的・継続的に採取する新方式の開発に成功したことによるもので、アメリカ・カナダなどではこの方法でガスの価格が劇的に低下することが見込まれている。

 アメリカ政府の原発政策は、日本の自民・民主とそっくり(逆か?・笑)だが、民間会社がそれを採用するかどうかの選択は日本より自由だ。したがって新設があってもごくわずかな数になるだろう。 シェール・ガスは、各大陸には賦存するが、日本にはない。輸入ガスの価格低下が見込めるだけだ。

 ところが、ガスについては、日本が世界有数の資源国になる可能性があるのだ。それが、メタン・ハイドレードである。どんなものかというと、メタンガスを含む大きな氷の結晶で、容積の20%がメタンだという。海底500m以下の地中にあり、海底に露出しているものもある。

 四国沖の南海トラフが最大で、その他海に囲まれた日本の各地沖合に散在する。今のところ日本で消費される天然ガスの96年分(Wikipedia)とされており有限の資源であることは確かだが、他の化石燃料に比べてみてすくない数字ではない。

 経済的な採取のしかたなど、まだ研究課題があるが、原発に投じられた開発費から見ればごくわずかな対応で商業生産できるだろう。日本海にあるものは一部露出して水泡を発しており、簡単に採取できるようだ。

 取り出したガスの回収、運搬、液化その他の処理技術は、日本は世界にないものを持っている。また、化石燃料だから燃やせば地球温暖化の原因となるCO₂がでるが、燃料のうちでは格段に少ない。

 それより、地球温暖化による海水の温度上昇で、溶け出すメタンガス自体の方が、豚のゲップや牛のおならではないが、はるかに悪影響を及ぼすという。それならばどんどん取り出して使う方がよほど地球環境にはいい。

 さらに、それを家庭用の燃料電池として使えば、夜昼なく家庭での発電が可能となり、給湯や床暖房用温水も確保できる。排出するのは水とわずかなCO₂だけで、送電ロスも排熱も生じないため環境と脱原発の優等生になれる。この方も装置のコストダウンが進み、機能の改良などに大きな楽しみがある。

 原発輸出や核燃料再処理など、ふんぎりの悪い後ろ向きのことをしている場合ではない。大きくハンドルを切れる政府がいつできるのか、待ち遠しい。

付録

金正日死去のニュースを受け、1年半前の記事を貼り付ける。

http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-3f81.html

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2011年12月17日 (土)

年末光のページェント

 Dscf3566_2 イルミネーションに負けていません。日本の冬の陽(太陽光)は、美しく貴重ですね。(近くの公園で)Dscf3563_2

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2011年12月16日 (金)

朝日・読売の共同切り

 16日の毎日新聞ベタ記事にちょっと気になるニュースがあった。

共同通信社:朝日と読売が配信契約解除
 共同通信社は15日、海外ニュースやスポーツ記録などの配信契約を結んでいる朝日、読売の両新聞社から解除の通告があったことを明らかにした。来年3月末で記事の配信は終了する。解除について両社は「経費的な理由」と説明したという。

 最近のことであるが、某有力政治家が「中央紙はまだいいが、地方紙はかたよった記事が多く困ったものだ」という趣旨のこと言ったとされるニュースを聞いた覚えがある。記録しなかったので正確には再現できない。

 しかし、それが東京新聞をはじめブロック紙・主要県紙をさしていることは確かだろう。塾頭が気になったのは、競争関係にある朝日・読売が同じタイミングで共同歩調を取っていることである。これは対・共同に対し初めてのことではないが、なにか「経済制裁」のような印象を持った。

 地方紙は、中央の有力記者クラブに入れない。その代わりを共同通信がつとめている。したがって取材の上では中央紙各社が競争相手である。また、外国からの情報は通信社の得意とするところで、世界各地に特派員・通信員、その他の情報ネットを有し、地方紙はこれに頼らざるを得ない。
 
 朝・読が揃って「経費的な理由」で共同との縁切りに踏み切ったというが、その代わりに両社の海外支局や特派員を増強すれば、経費はより増大するのではないか。ちなみに、毎日新聞は、このところ共同との連携を深めている。上記記事の隣に取材用のジェット小型機を共同運用することになった、という記事を掲げていた。

 毎日が、激しい拡販競争で後退し、読・朝との差をつけられて苦境に立っていたことはよく知られている。そこで、地方支局などの経費削減を目指すため、取材費節減という身を切る選択をしたのだ。朝・読の理由づけは全くその逆である。

 新聞社の収入は、広告料と購読料である。その中で朝・読など中央紙と地方紙では広告料に圧倒的な差がある。最近は知らないが、中央紙の広告スペースのほとんどを、電通を中心とした大手代理店が独占的に抑えていた。

 したがって、中小代理店は地方紙へのスポンサーを探すしかなく、大手のおこぼれにようやくありついていたという実態だった。一方、共同通信の収入源に広告料はない。情報提供の契約料だけである。だから、スポンサーやそれと利害を共にする権力に気兼ねする必要はない。

 地方紙は地元と密着した記事で読者をひきつけ、購読料を確保するのが命綱である。その地方の隅々までY紙が過大なノベルティーを持って荒らしまわったという、地方紙幹部のの憤激を聞いたことがある。戦前、反軍・反戦の旗を振ったのは一部地方紙だった。もともと、地方は反中央、反権力なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年12月15日 (木)

中国脅威論の不見識

 このところ中国マターの投稿が続く。G7は遠い過去、G8もだめ、EUは危機、G20も?といわれる中で、G2という声がしてきた。つまりアメリカと中国、GNP第1位と2位、軍事力もそのうちにという勢いであれば、世界を動かすのは2国関係だということになる。

 しかし、そのような発想は中国の自尊心を満足させ、より傲慢な姿勢を増長させるだけで、中国にとっても益するところがない。すでに「世界の警察官」を気取ったアメリカに、いいお手本がある。日本が心しなければならないことは、これまでのように、アメリカの眼鏡を通してみてさえいればいいという時代ではなくなったことを自覚することだ。

 中国は猛スヒードで変化している。かといって、4000年の歴史が消えたわけではない。時にふれ折にふれ身についた体質が顔をだす。それが中華意識であったり、儒教であったり、独善主義であったり現れ方はさまざまだ。

 その中で無視できないのが、民衆の貧しくしいたげられた長い屈辱と苦難の歴史である。中華といっても、清や元は漢民族が蕃夷に支配されていた時代であった。100年前に孫文の辛亥革命で近代国家の芽はでたものの、その前半は国内分裂、日本の侵略で、以前にも増した暗い時代が続いた。

 それを切り開いたのが毛沢東の中国共産党と人民解放軍である。敵は日本軍(後に周恩来は「日本人民は同じ被害者であり、敵ではない」と述べた)と蒋介石軍で、日本敗退後内戦に勝利して台湾をのぞく統一国家を確立できたのは1949年である。

 今の国を作ったのは、群雄割拠する地方軍閥の代表でも、資本家・地主の代表でもない。もっと広く力を結集できる「人民」を原動力として戦い抜いた「人民解放軍」と、指導に当たった「共産党」であるという考えである。

 つまり、「党」が先で「国」は後からできたもので、党を抜きにしては国が存在しないという理屈にもなる。人民解放軍が党の軍隊というのも、その伝統を継いでいる。日本や西欧の、国家、政党、議会、軍隊をそのまま当てはめてもわからないことだらけだ。

 日本には「共産主義」だからそうなる、という単純な考えがあるが、全く違う。毛沢東の事績を追ってみても、本家のソ連と厳しく対立したり協調したりの融通無碍ぶりで、開放政策以来の市場経済の中で、日本では考えられないような大富豪が生まれたり、激しい所得格差が生じたりしている。むしろ共産主義とは縁遠いとさえいえる実態だ。

 領土が広く人口も多い。治安やインフラ整備、外交その他たもろもろの行政機関としての国家が必要である。その国家主席であり、同時に共産党トップである中央委員会総書記を兼ねているのが、胡錦濤である。

 温家宝は、国家の中の政府にあたる国務院総理であるが、党中央委員会に直結する「中央軍事委員会」(胡錦濤首席)はその指揮下にない。党と国家は2重権力機構で、日本から見ると政権がふたつあるように見える。しかし、幹部のほとんどが兼任しており、構造上は党高政低になっているようだ。

 この前の高速列車転覆事故の処置は、国務院の省庁にあたる「鉄道部」が関連するものと思われるが、その責任者が党の要職にあり、力を持っているとすれば、どういうルートで末端に指示が行ったのかわからない。

 党には「人民を指導する」という、憲法上の重要な任務があり、「人民日報」の発行やその他情報・宣伝に大きな権限を持っている。それらが、どう機能していくのか、他の民主主義国が育ててきた近代的なルール―とどう整合させていくのか。国家としての未熟さは衆目の一致するところだ。

 中国は試行錯誤を重ねながら、国内の不安要素をとりのぞき、国際的孤立をおそれ、巧みに舵を切っていくことに懸命である。中国に迎合する必要は全くないが、中国の脅威を必要以上に喧伝し、ナショナリズムに火をつける、例えば自民党石原幹事長の「尖閣に自衛隊常駐を」などという発言など、どこの国にとっても全く害あって益のない不見識といわざるを得ない。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2011年12月13日 (火)

♪どうしてそんなにのろいのか

 「革新的エネルギー・環境戦略」というのを政府がまとめる。ところがそれは来年夏までにという、亀さん顔負けののろさである。それまでに解散総選挙がないとは言えない。そんなとき脱原発、どこまでやるのかやらないのか、あいまいな政策しか示せないような政党は勝てっこないだろう。

 そもそもやる気のなさは、わけのわからない会議の乱立に現れている。首相を議長とする「国家戦略会議」の下に「エネルギー・環境会議」があり、これまで原子力行政に絶大な権力をふるってきた内閣府の「原子力委員会」と経産省の「総合資源エネルギー調査会」が横から口を出す。

 そのほか、有識者会議とかタスクフォースなどという数々の官製会議が妍を競い合う。どう見ても国民に対する目くらましのように見えてしかたがない。その「エネルギー・環境会議」が、2030年のエネルギーコストを今日発表するという。

 毎日新聞によると、原子力が1キロワット時当たり5~6円だったのが事故費用などが上乗せで最低でも8.9円、風力が最低8.8円、太陽光発電が同12.1円になるという。ちょっと待ってほしい。

 これまで、いろいろな本を読むと、原子力はすでに20年ほど前からコスト高と放射能制御が難しいことから、地球温暖化の問題で「原発ルネッサンス」といわれた一時機はあったものの、2030から50年頃には姿を消す「過渡期のエネルギー」という位置づけだと解説をするものが圧倒的に多かった。

 20年先のエネルギーコスト比較など当たったためしがない。そのうえ、原発が姿を消す頃の試算をして何の意味があるのだろう。あきれてものが言えない。野田ニョロニョロ内閣だとおもったら、ノロノロ内閣だった。いち早くバトンタッチしてもらうしかない。年よりは気が短いのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2011年12月11日 (日)

日中にかかる冬の月

   阿倍仲麻呂
 天の原 ふりさけ見れば 春日なる
         三笠の山に 出し月かも

Dscf3553_2   間もなくお正月。百人一首の出番である。「天平、日中のかけはし」といえば、苦難の末盲目の身で来日し、仏教の戒律を伝えて客死した鑑真和尚を思い出す。日本に向かったのが753年冬、その同じ船団に加わるため阿倍仲麻呂も中国南部明州で船待ちをしていた。

 36年ぶりの帰国である。望郷の念やみがたく、はやる心を中空高く冴えわたった月を見て、「あの月は、きっと奈良の三笠の山から上がった月だろうな」とうたった詩である。

 時の高名な詩人・李白や王維との交流も深く、彼の才能は共感をもつて受け止められた。漸く船出したが船団は暴風に遭遇、仲麻呂の乗った船は南に流され安南(ベトナム)に漂着、鑑真や吉備真備らが乗った船は、屋久島や薩摩などに漂着したものの日本に到達した。

 仲麻呂の船に乗り合わせた人は、100数十人が漂着地の原住民に殺され、仲麻呂など10人余りがかろうじて長安にたどりついた。長安では皇帝をはじめ、てっきり死んだものと考えていたので大変驚いた。李白は哀悼の詩まで詠んでいる。

 仲麻呂が遣唐使の留学生として入唐したのは20歳の時である。直ちに大学で儒教典を学び科挙の試験に合格した。そして唐の官吏の道を歩むことになり、図書館の司書のような役についた。そこで彼の才気とけなげさが玄宗皇帝の目にとまるところとなった。

 以後抜擢され、特別の家柄でなければつけないような重要ポストを歴任する。その故もあって、なかなか帰国の許可を得ることがむつかしかった。遭難後も唐の植民地になった安南の総督のような特別の地位についたのは、奇縁とはいえ彼の信認がいかに高かったかを物語る。

 そして、ついに日本の土を踏むことなく、数え年77歳で生涯を終えた。『日本続記』は、「名を唐国にほどこす者、ただ大臣(吉備真備)と朝衡(仲麻呂の中国名)のみ」と高く評価する。しかしこのような次第で、冒頭の詩以外には日本に彼の事績が残っていない。

 強いてあげるなら、少し前にマンガで若者に人気のあった平安時代の陰陽師・安倍晴明が仲麻呂の縁者のようで、吉備真備が唐から持ち帰った呪術の奥義書を贈って、その道の第一人者にしたたとされる(以上、拙著『海と周辺国に向き合う日本人の歴史』参照)。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2011年12月 9日 (金)

『三酔人経綸問答』と中国

 民主主義者の洋学紳士君と侵略主義者の豪傑君が、南海先生の家で酒を飲みながら侵略と戦争を語り合う。(中江兆民『三酔人経綸問答』岩波文庫)

 たとえば、中国などは、その風俗、風習から言っても、その文物、品格から言っても、また地理的に言っても、アジアの小国としてはいつもこれと友好関係をあつく、つよくすべきで、たがいに恨みをおしつけあうようなことのないよう、努力すべきです。わが国がいよいよ特産物を増し、物資を豊かにするならば、国土が広く、人民のいっぱいいる中国こそ、われわれの大きな市場であって、尽きることなく沸く利益の源泉です。この点を考えずに、ただ一時的に国威発揚などという考えに取りつかれて、ささいな言葉のゆき違いを口実にして、むやみに争いをあおりたてるのは、ぼくから見れば、まったくとんでもないゆき方です。

 こういう議論をする人もある、中国はもともと、ずっと前から日本に恨みをはらそうと思っている。こちらがたとえ礼をあつくし、友好の情をふかくして、仲良くしようとしてみても、も一つの小国との関係から、むこうはいつも怒りの心を持っている。それで機会さえあれば、むこうはヨーロッパの強国と共謀し、約束を結んでわが国を排斥し、強国の餌食にして、自国の利益をはかろうとするようなことがないとはいえない、と。しかし、私の見るところでは、中国はそんなことまで考えていないように思われる。多くのばあい、国と国とが恨みを結ぶのは、実情からではなくデマから生ずるものです。実情を見破りさえすれば、少しも疑う必要がないのに、デマで憶測すると、じつにただごとならぬように思えてくる。だから、各国がたがいに疑うのは、各国のノイローゼです。青眼鏡をかけて物をみれば、見る物すべて青色でないものはない。外交家の眼鏡が無色透明でないことを、私はいつも憐れに思っています。

 これは、明治20年、124年前で日清戦争をさかのぼること7年に発表されたものである。引用は現代語訳されたもので、原文では「中国」ではなく「支那国」となっている。

 長い引用を試みたのは、ご想像の通り、最近の一部中国脅威論が120年前と全然変わってないなあ……、という印象を持ったからである。

| | コメント (18) | トラックバック (1)

2011年12月 8日 (木)

東電国有化

 東電国有化が内閣で検討されているという報道で東電の株価が暴落している。ピカ一の資産株が、紙くず同然になる危険を含んだ恰好なマネーゲーム銘柄になってしまった。当塾では、震災直後の3月13日に「原発は国営化せよ」という記事を掲げた。

 もちろん、東電幹部のあまりにもサラリーマン丸出しの(サラリーマンをやっていたからよくわかる)無責任発言で怒り心頭に発し、直感的に書き上げたものである。ただし、「東電」ではなく「原発」を国営化せよ、と書いたところがみそである。

 原発を利益優先の民間会社に運営させているというのが、そもそも間違いである。アメリカは民営であるが、手厚い奨励策にもかかわらず発電を何でするかの選択権は持っている。建設コストと事故のリスクを考え、民間会社が慎重になるのも当然だ。

 原発以外の事業、すなわち他エネルギーによる発電、配送電などは完全に自由化・民営化した方がいい。その方が、新エネルギーへの投資や開発に競争原理が働くことによりコストダウンが促進され、合理的、能率的な需要対応ができるからだ。

 原発は、核放射能から完全に人類を保護する手段を持たないし、この先解決される見通しは全くない。26日には政府の事故調査・検証委員会による中間報告が上がるが、東電では事故を防ぎ得なかった実態がより鮮明になるだろう。

 こういった筋道は、国家戦略として「脱原発」という目標を掲げることにより、より迅速に迫力をもって実行に移せるが、来年夏まで玉虫色の政策でごまかすということには、大変不安を感じる。停止中の原発再開の承認基準は、既存の組織に依存しており、原発輸出に承認の方向を出した国会決議についても同然である。

 来年夏をまたず総選挙があるかも知れない。その際に「脱原発」に筋道を示し、ただちにそれに沿った政策に着手することを公約する政党があれば、迷わずその政党に投票することにしよう。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2011年12月 7日 (水)

国民がだしたい問責決議案

 ただし、自民が一川・平岡大臣などとセットで出そうとする決議案などの理由とは全く違う。誰が見ても実行不可能な普天間基地辺野古移転を引きずり続け、日米関係にしこりを残し、沖縄や日本の政界を混乱に陥れている内閣の責任だ。

 自民党時代からの日米合意→政権交代→「すくなくても県外へ」の鳩山首相→「学べば学ぶにつけ」の辺野古案継続変身→菅の無為無策→野田内閣環境調査提出で忠誠の証し。この間何年たっているのだろう。

 米民主党の重鎮バーニー・フランク下院議員は、沖縄での海兵隊の機能を「今や日本の政治を不安定化させることでしかない」と指摘(「琉球新報」11/12/7、社説)した。この問題が提起された当時から世界は大きく変わっている。

 変わらないのは、日本の保守勢力がアメリカにねだり続ける「核の傘」幻想と、日米同盟に支えられる成長路線信仰だ。これは、「脱原発」に二の足をふんでいる構図と全く同様で、戦後の長い保守政権が築いてきた政・官・財・マスコミによる利権の巨城である。

 この巨城は、落ちそうな見えてなかなか落ちない。持久戦で勝つことを考えている。もう一度上述の「琉球新報」に目を通していただきたい。アメリカを含んで四面楚歌なことを。こうして、政権は世界の潮流に背を向け、日々国益を蝕んでいる。

 それを理由にする問責決議なら、立派に筋が通る。しかし、最大野党自民は、身から出たさびで賛成できない。その一方、賛成は社共のほか与党からすくなくて20、多ければ100を超える造反者がでるかも知れない。

 どうせ、否決される決議案なら、この方が野田政権によほど打撃を与えるだろう。そして、高みの見物の自民にも鉄槌がくだる。これが、国民の感覚に最も近い決議案になることうけあいだ。

 
 

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2011年12月 6日 (火)

元寇と神風神話

 戦中の歴史教育は、建国神話、建武の中興と楠正成、元寇の神風に日露戦争の美談などが柱でした。小学校(国民学校)では修身や唱歌で教わります。今日は、日本開国以来の危機、元寇が「神風」で救われたというのも、どうやら神話のようだ、ということを書きます。

 結論からいうと、元寇で攻めてきたのは蒙古ですが実際は、船員などを含め高麗(朝鮮半島)や南宋(中国)から徴発された兵士が多数を占めており、船の建造や物資の調達も両国に無理やり押し付けます。日本にやってきても一糸乱れずという統制ぶりがみられず、台風というほどの風でもないのに、粗製乱造の船が簡単に沈没してしまったようです。

 つまり、国を亡ぼされたうえ、日本攻撃のための過酷な徴発を課せられ、限界まで追い詰められた人々の見えないサボタージュやレジスタンス潜行しながら進んでいた。そのせいで日本に深入りする力がなく、神風や日本人の抵抗がそれを後押ししたということでしょうか。

 元の皇帝が、神風におそれをなして3度目の攻撃をあきらめたのではありません。もともと大陸の騎馬戦術なら天下無敵であっても、船を作ったことも操ったこともないのです。生まれて初めて海に出るような大軍団を作っても統率がとれるわけがありません。戦いのしかた勝ち方も経験がなく、メリットもないことに気がついたのでしょう。だから、勧められても応じようとしませんでした。

 以下、年表プラスアルファで整理しましたが、数字その他に、いろいろな異説があることをあらかじめお断りしておきます。

1231年 蒙古高麗侵攻、高麗降伏
1232/6月 高麗王朝江華島に遁走、人民に蒙古抗戦を命ずる
1235、47、53、54年 蒙古相次いで来襲掠奪を繰り返す
1254年 高麗捕虜男女20万6800、殺戮、その数を知らず
1260年 高麗元宗蒙古に降伏、属国となる
1274/1月 蒙古、高麗に日本攻撃のため900艘の船建造を命令、資材や3万5000人の工匠・役夫等の3か月分の糧食等高麗持ち。別に15000人の兵士・水主などを徴発、高麗人民「木の葉草の根で飢えをしのぐ」状態に
1274/6/16日 金州に船団結集。造船に要した期間わずか3か月の簡易型船舶

【文永の役】
1274/10/3 合浦から出撃。(高麗駐屯蒙古軍5000、追加蒙古兵1万5000、高麗助成軍6000、高麗船員、漕ぎ手等6700)
1274/10/5 対馬制圧
1274/10/14 壱岐制圧
1274/12/20 博多湾岸上陸、夜船に引き返し暴風風に遭遇、1万3500人が溺死または戦死。残りは退却

【弘安の役】
1280/8月 高麗から東路軍4万(蒙古・高麗・南宋敗残兵混成軍)、江南から宋の降兵10万が発進、壱岐で合流の上本土上陸という東征計画をたてる。高麗には、前回と同規模の造船命令など課す。
1281/5/3 東路軍4万、900艘の船で合浦を出発。5/21 対馬。6/6 壱岐を経て志賀島。13日まで海上で小競り合い。東路軍、肥後・鷹島あたりへ

1281/6/18 江南軍10万、3500艘で寧波を出発開始
1281/2/22 世祖フビライ、諸将を集めて訓示

「日本はわが国の使者をとどめて還さない。朕が卿らに遠征を命じたのはそのためである。また、朕、漢人の言をきくに、国をとるのは人民と土地をうるためであり、もし尽く人民を殺すすならば徒に地をえても無用であると。まことに然りである。なお、つぎの一事はとくに朕の憂慮するところである。すなわち卿らが不和におちいることである。もし日本人と卿らが交渉するばあいには、つねに同心協謀して一口より出ずるがごとく答えよ」(『日本の歴史8』中公文庫)

1281/6/末 平戸、五島海域へ
1281/6/29~7/2 壱岐で激しい戦闘、後、東路軍と平戸方面で合流
1281/7/27 20日以上平戸・五島方面の海上ですごしたのち主力が鷹島へ
1281/閏7/1 暴風で元船多数沈没。高麗への生還者1万9397.江南軍3
 
 以上、煩雑な作業を終えます。推測を交えて要約すると、高麗は2回の出撃に1800艘の船をそれぞれ工期3か月で作らされたが、遠洋航海に耐えられない簡易型で粗製乱造した可能性がある。

 弘安の役では、江南軍10万の乗る船の新造記録がないが、大部分は既存の商船を徴用したものでしょう。そして南北両軍は連絡が悪く(なにしろ電信のない時代です)漸く合流できたが、なぜか長い間海上をうろうろして攻勢にでません。作戦会議がまとまらなかったか?。フビライが心配していた「不和」のせいかも知れません。

 最近鷹島近海の海中遺跡で、元船の構造部が発見されました。鷹島は長崎県内ですが、話題になった佐賀県の玄海原発のすぐ隣です。沈んだ船の多くは高麗製にちがいありません。元軍の幹部は、南軍が乗ってきた堅牢な船で、出港地に戻らず、近い高麗に逃げ帰ったのでしょう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年12月 3日 (土)

東電、吉田所長口封じ?

 東電福島第1原発事故につてい、社内事故調査委員会が2日、中間報告書を発表した。また毎日新聞の「ヨイショ」になるが、ネットでサーチしてみた限り、ニュース本文・解説・報告書要旨と内容が一番充実している。そこから一部を引用する。

【解説】
(前略)
 東京電力福島第1原発事故で、東電の社内事故調査委員会が2日に発表した中間報告書は、「結果として、これまでの安全対策で事故拡大を防げなかった」と言及。130ページ中、「結果として」「結果的に」との文言を計25カ所多用し「原因は想定外の津波」と従来の見解を繰り返した。信頼回復には情報公開に徹し、責任の所在を明らかにするのが大前提だが、自己弁護に走るようでは道のりはほど遠い。

 「天災か人災かを割り切るのは難しいが、我々は国の審査を受けて原発を運転した。だが、津波で根本的な安全対策が覆された」。会見で山崎雅男副社長はこう弁明した。

 「想定外」という言葉は、今年の流行語になったほどだが、臆面もなくまたそれを持ち出している。すでに地震学者や、社内でさえ津波の問題提起をしていたことが明らかになっている。「想定は可能だったが、故意に検討から外した」が正しい表現ではないか。

 事故発生当時、「爆発」を「建屋上部の解放」と言いくるめたことで、塾頭の「東電のウソつき体質」不信感が決定的なものになった。また、国の審査に合格したものを運転しただけ、という責任逃れの体質は、何ら変化がなく、開きなおっているようにさえ聞こえる。

 すでに何度も伝えられているが、東電が第1原発からの全面撤退を検討したとされる問題に対しては、全面否定している。これらについて、清水正孝前社長や吉田昌郎前所長らの実名でのヒアリング内容は、明らかにしなかった。吉田所長が「もうやっていられない」と叫んだことも、虚報で片づけたいのだろう。

 ここまで、書いてきてフト思った。先月28日に吉田所長が放射能被曝と関係ないといながら入院したことだ。病名やその他の事情は伏せたまま。プライバシー尊重というが、彼の活躍や健康は、国民的関心事であり、今後の事故処理の成否が注目を集めている。

 なぜ、この時期の入院なのか、後任をすぐ発令したのか、どうして急にプライバシーを持ち出すのか。畏れ多くも天皇陛下でさえ、病名や体温まで公表される。彼は、何度も「これが最後か」という捨て身の仕事をしてきた人である。プライバシーがこわくて逃げ隠れする人とは思えない。口封じ入院とは思いたくないが、菅さんに是非見舞いを頼みたい。

 これを本題にしたのは、それほど東電の言うことは疑ってかからなければならないということである。ほかに、津波による電源喪失以外に事故原因はないと言い切っているが、それならば、各号機の水素爆発の水素がどこから、どう洩れたのか納得のいく説明がされていないことにも触れようと思ったが、これは省略する。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2011年12月 2日 (金)

原発依存症

 「脱原発」を「脱原発依存」と言いかえた民主党政権は、原発を将来もゼロにしたくない、それがないと生き延びられない「原発依存症」であることが、だんだんわかってきた。衆議院外務委員が、原発輸出を可能にするためにヨルダンなど4カ国と署名した原子力協定について、先月30日から審議入りしているはずだが、さっぱり報道されない。

 今日が最終日で、野田総理出席のもとで開かれた。その模様は、マスコミではわからないので衆議院のホームページのネット中継で見ることにした。なお、当塾は、日本が持つ高度の技術や知見、経験などを活かし、また、さらにそれを伸ばすことで国際貢献をすることに賛成である。

 ただし、それは脱原発や、核廃絶のための協力で、原発輸出による金儲けであってはならないと考えている。それでも、すでに協定調印済みで批准を待つばかりの案件は、福島事故のため、日本自身が脱原発を目指すようになった事情を話して、必要があれば一部を修正するなど理解を受けたうえでの調印であれば、国際信義上やむを得ないかな、とも思っていた。

 2日午前の、外務委員会は、自・公・共の委員が質問に立ったが、共産党がいなくても自公の段階で、議論は政府の完敗であった。つまり、この協定は3.11以前と何ら変わるところがないことを暴露されたのである。

 塾頭は、日本のこれまでの原理力体制、つまり原子力村から脱却する意志がない、またはできたら温存したいという政治家・官僚のもとでこれが進められることを懸念していた。自公の質問は、まさにそこをえぐりだしたのだ。

 たとえば、懸念されるヨルダンの冷却水不足や地震対策など、調査団を派遣したというが、視察日数は1日だけで、メンバーは役人だけで専門家が加わっていなかったとか、安全対策は主権国家の責任で、福島と同じIAEAの基準に適合していればいいという考えだ。

 野党議員のいうように、福島の教訓は口で言うだけで、なに一つ活かされたものではないということだ。今後新規の協定に応ずるかどうか、国際的原子力協力の在り方などについては、福島事故の検証を終え新方針を策定する来年夏以降に決めるという。

 「それは今決めるべきことだ」という公明党議員のいうことは、もっともである。この分かりきったことをうやむやにしておこうという、裏に、既存勢力の中にある抜きがたい 「原発依存症」を見ずにはいられない。これは一部マスコミにも伏在する。以下、やや古いが「紀伊民報」のコラムを引用しておく。

 「原子力報道を考える会」という団体がある。どんな組織か、誰がスポンサーなのかは知らないが、毎月のように送られてくる資料を見ると、原発の安全性に疑問を呈する記事が出るたびに、それを「偏向」として厳しくとがめてきた。

 ▼最近も「脱原発」に動き出した世論に「興奮気味だ」と水を掛け「メディアは原発事故報道が菅政権を支えていることに気づいているのか」と言い掛かりをつけている。「脱原子力政策を進めることが幸せな道か」という、脅迫じみた言葉もある。

 ▼この会には元読売新聞論説委員、元朝日新聞科学部長、元共同通信論説委員らが名を連ねている。彼らが意見を公表するのは自由である。原発推進のお先棒を担ぎたいのならそれもいいだろう。だが、原発の安全性に警鐘を鳴らした人たちを批判してきた責任をどうするのか。福島の惨状をどう考えるのか。それを整理、総括してからにしてほしい。

 ▼彼らだけではない。政財界、学界には過去の言動を省みず、えらそうなことをいう人が多すぎる。例えば自民党の諸氏。共同通信の調査によると、自民党の政治資金団体「国民政治協会」の2009年収支報告書では、個人献金額の72・5%が電力9社の役員やOBからの献金だった。

 ▼原子力政策を推進してきた党として、この献金と自らの政策の関係について説明する責任があるはずだ。それ抜きには、日本のエネルギー政策に発言する資格はない。(石)    (2011年07月26日)

| | コメント (3) | トラックバック (2)

« 2011年11月 | トップページ | 2012年1月 »