井上ひさし、美輪明宏、石原慎太郎、本田勝一、江藤淳、開高健、こういった人たちは、塾頭と年齢にして2、3歳と違わない。戦中戦後を小学生、中学、高校で過ごした年代である。ことに終戦から戦後にかけては、最も感受性が高く、好奇心も反抗心も強い時代であった。
本題は、「A級戦犯はGHQが日本人を洗脳して決めた不当なもの」という、言説が流布していることに対し、当時を体験している者として、誤った解釈を放置できないという危機感からまとめたものである。
この問題については、9月4日の「無意味な東京裁判批判」を皮切りに、30日の「占領軍と言論の自由」、そして今月に入って「戦後再考録」1~3を連続して掲載し、さらに前回の「品のない国家」に続けた。本稿はそのしめくくりとして、前後2回に分け総括に位置付けたい。
前述の「言説」に興味をもったのは、たまたま本塾に寄せられたコメントがきっかけであるが、その後ベストセラーズとなった『国家の品格』の著者・藤原正彦が、同様の知識を江藤淳の『閉された言語空間』から、彼の言葉を借りると「余すところなく」得ていることを告白(「文芸春秋」10/7)していることがわかった。
その著作から、正確を期すためやや長い引用をして結論部分を紹介する。(段落の頭にある色番号は塾頭による)
①(前略)『太平洋戦争史』と題されたGI&E製作の宣伝文書は、日本の学校教育の現場深くにまで浸透させられることになったのである。
②それは、とりもなおさず、「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」の浸透であった。『太平洋戦争史』は、まさにその「プログラム」の嚆矢として作成された文書にほかならないからである。歴史記述をよそおってはいるが、これが宣伝文書以外のなにものでもないことは、前掲の前書を一読しただけでも明らかだといわなければならない。そこにはまず、「日本の軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている。
③(中略)前掲のGI&E文書が自認するとおり、占領初期の昭和二十年から昭和二十三年にいたる段階では、「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、かならずしもCI&Eの期待通りの成果を上げるにはいたっいなかった。しかし、その効果は、占領が終了して一世代以上を経過した近年になってから次第に顕著なものになりつつあるように思われる。
④なぜなら、教科書論争も、昭和五十七年(一九八二)夏の中・韓両国に対する鈴木内閣の屈辱的な土下座外交も、『おしん』も、本田勝一記者の゛南京虐殺゛に対する異常な熱中ぶりもそのすべてが、昭和二十年(一九四五)12月八日を期して各紙に連載を命じられた『太平洋戦争史』と題するCIE&E製の宣伝文書に端を発するから騒ぎだと、いわざるを得ないからである。そして、騒ぎが大きい割には、そのいずれもが不思議に空虚な響きを発するのは、おそらく淵源となっている文書そのものが、一片の宣伝文書に過ぎないためにちがいない。
⑤占領終了後、すでに一世代以上が経過しているというのに、いまだにCI&Eの宣伝文書の言葉を、いつまでもおうむ返しに繰り返しつづけているのは、考えようによっては天下の奇観というほかないが、これは一つには戦後日本の歴史記述の大部分が『太平洋戦争史』で規定されたパラダイムを依然として墨守しつづけているためであり、さらにはそのような歴史記述をテクストとして教育された戦後生まれの世代が、次第に社会の中堅を占めつつあるためである。
⑥つまり、正確にいえば、彼らは、正当な史料批判にもとづく歴史記述によって教育されるかわりに、知らず知らずのうちに「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」の宣伝によって、間接的に洗脳されてしまった世代というほかない。
以上の①から⑥までが同書の結論部分といえる。このあと、NHKが放送した「真相はこうだ」にも同じ役割があったとしており、藤原その他の言説に符合する。江藤が渡米し、詳細に関係資料に当たって拾い出した労作であることには違いなく、そこに示されたこと自体は史実である。
それを、冒頭に書いた塾頭同年輩の名士は、それぞれみんな体験しているわけだが、さすがに江藤は、日本人すべてが洗脳されたとかマインドコントロールを受けたとは書いてない。むしろ③では、米国資料がその逆であって、失敗だつたという評価を正直に述べている。
それが、一世代あとになってゾンビのように生き返って「不思議に空虚な響きを発するのは、おそらく淵源となっている文書そのものが、一片の宣伝文書に過ぎないためにちがいない」④、と軽視しておきながら、一方で、いまだに生き続けるのは「天下の奇観というほかない」と、直接つながってこないことを検証でないために、文学的表現で嘆いて見せているのである。
それが、まさにこの本の題名『閉された言語空間』になったのであろう。つまり、当時「一片の宣伝文書に過ぎない」ものに日本人がだまされたというのは、虚構だったということを認めているようなものだ。
彼の誤算は、自虐史観の蔓延を占領軍の占領政策の意図的政策によるものと主張したかったことを、史実として証明できなかったことによる。その点を、塾頭の体験として終戦からの3、4か月をこれまでのエントリーで書いたが、その後を追加してみよう。
同書によると、『太平洋戦史』は、CI&Eが準備し、昭和20年12月8日から新聞連載が始まったという。全体で1万5000語だから大した量でない。翌年3月には連載が終わっており、単行本が発行され、学校に教材として購入するよう通達もだされた。
「真相はこうだ」は、1日遅れて9日から始まり翌年2月10日まで週1回の放送があった。塾頭は、『太平洋戦史』について全く記憶にない。ただ、「真相はこうだ」については、オープニングの効果音、ベートーベンの第5交響曲の最初の部分とともに聞いた鮮明な覚えはある。
たとえば、バターン死の行進など初めて聞く内容があったかも知れない。しかし、戦争なのだからそれくらいのことはあっただろうし、アメリカ側から言うのだから割り引いて聞くのが当然だという考えでいた。
なお、『太平洋戦史』の教材のことだが、それを使って教えられたことなど一切ない。当時の先生は、皇軍を推戴信奉した1年前の先生と同じである。同じ口で軍を誹謗しても何の教育にもならない。つまり、洗脳はなかった、ということである。このことはアメリカの資料で憶測するのでなく、国内資料を精査すれば証明できることである。
上記の中に、CI&Eというアメリカの機関がたびたび出てくる。たしかシビラル・インフォーメーション・アンド・エデュケーションのことだと思うが、県庁所在地にCIA図書館というのがあり、塾頭も訪れたことがある。
目的は、16mm映画の映写技術講習をしてくれるというので参加したように覚えている。学校はもとより、地域社会、就職してからも大変役に立った。ところが、CIEから「洗脳」用フィルムを借りた覚えは全くない。借りたとすればターザンの短編か文化映画だったかも知れない。それすらもよく覚えていない。
さて、冒頭に書いたように、同じ年代で同様の社会的経験をしながらどうしてこんなに考えが違ってしまうのだろうか。 その辺を次回に回したい。
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