号外あれこれ
前回、新聞記者の質の低下を問題にしたが、その中の「暴力団まがいの詰問」をした記者が時事通信の記者で、それをで知ったネット人口(一部の民放ではその場面を放映した)からの同社に対する抗議が殺到し、社として陳謝したようなことが「阿修羅」その他に掲載されている。
記者会見などで突然声をあらげ、恫喝めいた質問をするのは、昔はよくあった。こうして慣れない政治家や社長などを怒らせ、普通では出そうもない発言を引き出すというテクニックだった。しかし最近はTVカメラが入り、広告代理店などのアドバイスもあってか、あまり見かけなくなった。
このところ新聞の購読部数が軒並み減少しているようだ。そのために新聞の質が低下するようなことは、塾頭のように「唯一確実な情報源」として頼ってきた者には憂慮すべき事態だ。今回は、新聞の「号外」について考えてみたい。
号外といえば7月7日、産経新聞が、「江沢民死去」という大誤報の号外を出したことを、このブログでも紹介した。その記事の下に「詳細は夕刊フジで」と、色刷りでPRしたが、中国の公式筋の否定でだんだんトーンダウンしていったものの、訂正はまだしていない。
今の号外は無料である。駅頭などでばらまくが、もし100円などとしたら買う人がいるだろうか。簡単にデジタル情報が手に入る現在であるが、号外の中味もずいぶん地に落ちたものだ。TVの報道番組で、「この件は号外がでましたよ」という、駅頭などの配布風景を映像にする目的ぐらいしかない。
戦前・戦中は有料だった。住宅街であろうが商店街であろうが、号外屋が腰にリンリンとなる鈴をつけ「号外号外」と叫びながら走り回った。すると、聞きつけた母親などから「買っておいで」と、たしか5銭?玉をつかまされて後を追ったものだ。
報道の中味は、大抵「中支派遣軍発表の戦況」などである。従軍記者の戦功美談などは本紙を購読しなければならない。人々が号外を競って買ったのは、親類縁者などに出征者がいて、勝利をあげ一刻も早く帰ってほしかったからである。
「贅沢は敵だ」ということで、化粧品などをはじめ消費財の広告は激減しただろう。新聞社の勝負は購読料収入で決まった。号外を有料で配って、そのうえ定期購読者も増えた。朝日・毎日の2大紙など、「戦争は儲かる」と、軍部批判が姿を消していく。昭和7年頃からだ。
戦争報道は、軍部と不即不離でないとなかなか情報がとれない。どうしても軍に都合のいいニュースだけになる。しかし、今は世界をつなぐネットがあるので、戦時中のようなことにはなるまい。新聞の広告料収入減から、これからは、情報の質を高め、記事の内容と正確さで読者をつかむしかない。号外を有料にしても成り立っていく、そんな新聞を目指してほしい。
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