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2011年9月

2011年9月30日 (金)

占領軍と言論の自由

高見順『敗戦日記』
昭和二十年

 九月三十日
 昨日の新聞が発禁になつたが、マッカーサー司令部がその発禁に対して解除命令を出した。そうして新聞並びに言論の自由に対する新措置の指令を下した。
 これでもう何でも書けるのである! これでもう何でも自由に出版できるのである!
 生まれて初めての自由!
 自国の政府により当然国民に与えられるべきであつた自由が与えられずに、自国を占領した他国の軍隊によつて初めて自由が与えられるとは、――かえりみて羞恥の感なきを得ない。日本を愛する者として、日本のために恥かしい。戦に負け、占領軍が入つてきたので、自由が束縛されたというなら分かるが、逆に自由を保障されたのである。なんという恥かしいことだろう。自国の政府が自国民の自由を、――ほとんどあらゆる自由を剥奪していて、そうして占領軍の通達があるまで、その剥奪を解こうとしなかったとは、なんという恥ずかしいことだろう。(以下略・文芸春秋新社)

 発禁になった新聞というのは、27日に天皇がマッカーサーを訪問し、2人が並んだ写真がのった新聞である。言論の自由については、ミズリー号上で降伏文書が交わされた9月2日から8日後の10日に、「言論及び新聞の自由に関する覚書」が交付されている。

 同時に占領軍に関する報道に制限も加えている。そして、高見順の日記に背反するように10月9日には東京の5大新聞にGHQの事前検閲も始まった。これより前、3日の日記には次のようにある。

 東洋経済新報が没収になった。
 これでいくらか先日の「恥ずかしさ」が帳消しの感あり。アメリカが我々に与えてくれた「言論の自由」は、アメリカに対しては通用しないということもわかった。

 ところが翌4日には「政治、信教並に民権の自由に対する制限の撤廃」が指令され11日には、婦人参政権、労働組合結成奨励、教育の自由化など、矢継ぎ早に民主化・社会改革の政策要求が繰り出されるのである。

 それらは、翌年成立した新憲法で国民に保証される。占領軍による言論の自由のダブルスタンダードについては、後に一般国民の手紙まで検閲が及ぶ。塾頭の受け取ったものにも、それを示す封を切ったところをセロテープ様のものを貼った封書が届いたことがある。

 しかし、それで誰かが引っ張られたとなどということは聞いたことがなかったし、社会問題化したという記憶もない。あくまでも、占領政策への妨害を監視するという、限定的な目的にそっていたからであろう。

 なお、東京裁判の批判者の一部が、国民がラジオ番組の「真相はかうだ」に洗脳されていたという論を立てているが、そんな単細胞人間はあまりいなかった。番組の始まったのは12月であり、その前から日本軍部や占領米軍を批判する良識は、当然多くの人が共有していた。

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2011年9月29日 (木)

「もったいない」

 ケニアのノーベル賞受賞者ワンガリ・マータイさんがなくなった。彼女については、本塾の前身「反戦老年委員会」で2、3度記事にしているが、アクセス不能のため再録しながら追悼の記事にしたい。

《復刻》05年4月14日
 「もったいない」、このすばらしい日本語を世界にひろめよう。来日したケニアの女性環境副大臣・ワンガリ・マータイさんは、早速国連で行動を起こした。ノーベル賞をもらうだけあって感性鋭く、行動も早い。日本にとっては「もったいない」人だ。

 今朝、日本でこのような会話があった。

 「おーい。(自治体指定の)ゴミ袋が大きすぎてぶかぶかだ。すきまがもったいない。なにか捨てるものないか!」

 あなたのもったいない感は?。

 という問いかけだったが、東日本大震災と福島原発事故を経験した今、もう一度新たな角度で「もったいない」を振り返ってみたい。塾頭の「もったいない」初体験は、「ごはん粒がこんなに残っている。お百姓さんが1年かかって一生懸命作ってくれたお米ですよ」とか、「昼間なのに電気がついている」などだった。

 「三歩さがって師の影を踏まず」は、中国伝来だが、さきほどのお米や、教科書・本などを踏むと叱られた。労働や知識・教養に対する畏敬や感謝の念を表す「もつたいない」もあり、「もったいないお言葉」は、天皇陛下をはじめ「過分」を意味するものでもあった。

 その一方、「こんないい天気なのに部屋でゴロゴロしているのは、もったいない」という使い方もある。「もったいないから貯金しよう」「土地が遊んでいてもったいない」などの財物から、自然・人・神に至るまで、森羅万象すべてに対する感謝と尊重を意味している。

 マータイさんがどこまで理解されたか不明だが、大量生産・大量消費の上げ潮路線には縁がなく、震災後の日本の針路を決めるカギにしたいものだ。ついでに、もうひとつ《復刻版》をおまけとしてつけておこう。

《復刻》 05年5月18日
 ワンガリ・マータイさんの「もったいない」が注目をあびているが、この日本語を紹介しながら節約の演説をしたのは、マータイさんがはじめてではなかった。その人は第31代アメリカ大統領・フーヴァー氏である。直接資料ではないものの、日本における昭和初頭の空気も伝えている『銀行業務改善隻語』(一瀬粂吉氏編・近代セールス社)から、やや長い引用をさせてもらう。

       米国大絶(統の誤植か)領フーヴァ氏が一九一九年頃食糧大臣たりし時、節約宣伝の演説中に、日本語を以て「勿体ない、冥加が尽きる」と言える言葉を引用して、称揚したることあり。知らずその本家本元の現状如何、なお忠孝の二字を某国に向かって問うが如し。顧みれば、凡そわが国民ほど奢侈に流れ、金銭を軽んじ、何者も粗末にし、華に馳せて実につかず、労せずして収入の多きを望む等、本末転(眞に頁)倒せるもの宇内に比なし。況や大借金国たる国状において、殊に反省せざるべからず。

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2011年9月27日 (火)

疑わしきは罰する司法

疑わしきは罰する司法

災害に外交に機能しない政治

欺瞞怠慢の行政

そして何もできない国民

――ああ 最悪だ

それでも希望だけは失いたくない

          (塾頭)

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2011年9月26日 (月)

過去は泣きつづけている

過去は泣きつづけている――
たいていの日本人がきちんと振り返ってくれないので。

過去ときちんと向き合うと、未来にかかる夢が見えてくる

いつまでも過去を軽んじていると、やがて未来から軽んじられる

過去は訴えつづけている

 以上は、『文藝春秋』10年7月号に掲載された、井上ひさし「絶筆ノート」の最後の部分である。今月24日の毎日新聞「余禄」子はこれを引用し、最後を「防災教育のまことをも照らしている」としめくくった。

 絶筆ノートはこのあと、東京裁判で「お上と国民が一緒になって」戦争責任を回避した儀式だったと述べている。だから、あくまでも「戦争」が念頭にあったことは間違いない。そしてさらに続ける。

先行きがわからないときは過去をうんと勉強すれば未来は見えてくる

瑕こそ多いが、血と涙から生まれた歴史の宝石

 ひさしの筆はここで止まった。なくなったのは10年4月9日である。

 このひさしの遺言は、そのまま「反戦塾」の「趣意」として戴きたいようで身につまされる。3.11以来、塾頭はこの災害が「日本敗戦」に匹敵するような事件であることを言ってきた。

 戦争も原発事故も「過去を泣かせる」ようなことのないよう、井上ひさしに誓わなければならない。

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2011年9月24日 (土)

「新・保守反動」へ蠢動

 やはり危惧していた通りになりそうだ。代表選の前、野田についてこう書いた。

 野田佳彦さんって楽天家ですね
 今度民主党の代表選に打って出るにあたって、自公と連立を提唱なさるとか。公明党とだけなら何とか、いや、それも難しいと思いますよ。小選挙区のもと、果たして自公協力のシステムまで犠牲にするでしょうか。

 そんなに簡単にできるのなら、どうして今までやらなかったのでしょう?。当然ちゃんとした政策協定が必要です。09年マニフェストをチャラにして自民党に合わせる、それじゃあ選挙民だましたことになりませんか。もういっぺん民意を問い直す必要があります。

 古い話で恐縮ですが13年の「志士の会」、覚えていらっしゃいますよね。松下政経塾後輩の中田宏前杉並区長、長浜博行参院議員、中田宏前横浜市長、それに河村たかし名古屋市長らと新党結成の旗揚げをされたことを。血判状を作って誓い合ったんだそうですね。そういえばこのメンバー、戦前の血盟団や5.15事件で指をつめた人たちのように、塾頭風情にはどうもこわい存在です。

 野田さんには責任がないかもしれませんが、その後みんな自分勝手の方に進み、みるみるうちにばらばらになった。あの高い理想はどこへ行ったのでしょう。それよりはるかに難しいと思われる自公連立。さすがは、松下政経塾第1期生。おおらかというか、楽天家なのか、期待しないで見守ります。

 新内閣発足後の9月3日には次のように書いている。

 あれほど菅バッシングに励んでいたマスコミが前内閣失敗の総括もせず、「ドジョウがどうのこうの」といとってお祭り騒ぎに精出しているのはみっともない限りだ。

 その中で注目したい人事がある。護憲・防衛問題で期待したい人が入閣してきたことである。ちなみに、「毎日えらぼーと」でチェックしてみると、次の人が、改憲と、集団的自衛権の解釈変更双方に反対している。

 川端達夫・総務・沖縄北方 旧民社グループ
 平岡秀夫・法務        菅グループ
 安住 淳・財務        前原グループ
 鹿野道彦・農林水産     鹿野グループ
 鉢呂吉雄・経済産業     旧社会グループ
 山岡賢次・国家公安・拉致・消費者 小沢グループ

 このほか、データがないが゜、前田武志国土交通大臣(鹿野グループ)もそれに入るのではないかと思われ、18人中7人というのは決して少ない数ではない。その一方、政治家は重要な地位に就くと、えてして保守転換する傾向があり100%信用はできない。

 しかし、今までとはひと味違うかなと思われるのが平岡、鉢呂で、信条を変えて妥協することはないと見ている。

 また、別の記事の中では「野田首相は、限りなくタカ派に近いが、スタート早々ドジョウがタカに変身する離れ業は無理だろう」とも書いた。ところが、上述の鉢呂が全く理不尽で不可解な経緯を経て早々に首をとられた。これは、ネットの方が反応が早く、当塾でも2度記事にしたが、遠回しながら毎日・朝日なども、後追いでその不可解さを記事にしている。

 さらに、平岡法相については、憲法解釈などの国会答弁担当大臣に指名したばかりなのに、鉢呂の後任にした枝野男経産相に変更した。両人とも弁護士資格を持つが、平岡は民主党内の護憲の旗頭であるのに対し、枝野は改憲の手続法でもある国民投票法案を自民党とまとめあげた実績がある。

 平岡は、内閣法制局長官の起案の線で答弁することになっているので気にはならない(9/20毎日)旨コメントしているが、心中穏やかならぬものがあるだろう。この答えがかえって身の危険を察知しているかのようである。

 この17日にあげたエントリー《「保守反動」新解釈》は、以上の動きの中から考えついた発想である。「保守反動」という表現は、戦後占領中に進められた民主化や封建思想の追放という潮流にさからう保守層に向けた批判用語であったが、ここにきて、新しい「保守反動」といえる傾向に気がついたからだ。それについてこう書いた。

 新しい「反動」像をどう描けばいいだろうか。それは、原発事故の現実に目をそむけ、なんとか旧原子力体制を温存したい勢力、経済的にも軍事的にもアメリカ一国支配が傾き始めているのに、アメリカ属国体制を続け、沖縄県民の民意を無視して基地新設を強行しようという勢力、高度成長や膨張だけを国力と見なし、中国と張り合うのが安全保障と思う勢力、そんなことが思いつく。

 野田は、この度の訪米で上にあげた3つの反動像のうち2つについて言明した。原発輸出については、前回のエントリー、なぜ「脱原発依存」ではいけないか、で書いているように、福島事故を起こしたこれまでの日本の「原子力体制」を維持しようとする政策につながる。

 また、普天間基地移転促進は、沖縄県民が積み重ねてきた民意に逆らって、自民政権時代の決定まであともどりさせようとする、まさに「反動」そのものであることをを決定づけるものだ。

 これからどう野田反動内閣に立ち向かっていくのか、「民主党内閣だから自公内閣よりまし」という考えでこれまでやって来たが、遠からずこの考えを放棄する日が来そうな気がする。
 

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2011年9月22日 (木)

なぜ「脱原発依存」ではいけないか

 まず「脱原発」と「脱原発依存」では違う、ということを認識しなければならない。というより、「脱原発」の定義を一刻も早く定着させんければならない。この努力を、政治もマスコミも怠っている。
【この定義については、当ブログ7月10日の「脱原発の定義が必要」参照】
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-fd93.html

7月13日、当時首相であった菅直人は「原発に依存しない社会を目指す」と発言したが、その直後から枝野官房長官らから、あれは「脱原発」ではなく「脱原発依存」だ、とか「菅首相の個人的な考え」などと後講釈に追われた。
 
 なぜ、そんな横やりが入ったのだろう。前述の定義でも明らかにしたように「脱原発」は、段階的に原発を他のエネルギーによる発電に切り替えてゆき、最後は原発をゼロにするという意味で、3.11以前から専門家の間で使われている。

 それでは「脱原発依存」とは何だろう。このあいまいな言葉をマスメディアが盛んに使いだして今は主流となった。だが、「脱原発」との違いを明確にしているところはない。脱原発に近いと思われる毎日新聞でさえ、世論調査で「脱原発」を意味する設問がなく、ぼやけた表現になっている。

 塾頭の邪推……(いや若しかすると本音かもしれない)では、「脱原発依存」とは、原発ゼロでなく30%を10%、さらに5%程度にまで減らせば、原発に依存していることにならないから、原発を残せる、ということになる。そして、国内で減らしても輸出で稼げば、政・官・財・学の原子力村は、看板を書き換えただけで温存できるという算段だ。

 国民の大多数はそのようにならないことを願っている。だからマスコミも総論賛成、各論反対もしくは保留という様子見姿勢になっていて言葉尻がはっきりしない。読売・産経などは、ほかの人ならともかく、菅が言っているから反対という、おおよそ筋違いな理由を堂々として掲げる。

 なぜ、定義を急がなければならないか。それは、到達する目標が違うので、目前の政策もその第一歩として非常に重要になってくるからだ。脱原発にはプログラムが必要である。プログラム作成には時間がかかるからゆっくり議論して、というのは逆で、まず、原発をゼロにするという結論が先で、最初のプログラムはラフなものでいい。そして、経過を見ながら修正していけばいいのだ。

 目前の政策でもっとも急がれたのが、原子力安全保安院の経産省からの切り離しである。事故発生後しばらくは組織に手をつけられなかったのはやむを得ないが、もう機能させる段階にきていなければならない。

 それは、定期点検中の原発再稼働に向けて、安全神話を打破する信頼のおける機関とするためである。原発運転の可否は、あくまでも地元住民の判断によらなければならない。それには「鬼の保安院」と言われるような独立性の高いものでなくてはならない。

 しかし、今までの「やらせ」などひどい実態が白日にさらされたので、よほどインパクトのある改革でなくてはならない。その第一歩となるのが、あいまいではない「脱原発」という確固とした目標である。原子力安全委員会、原子力委員会も同然であるが、再開に向けた基盤整備がされなければ、来年にでも原発稼働ゼロ、大幅な電力危機という「脱原発」の阻害要因にもなりかねないのだ。

 最後に、塾頭が脱原発にこだわる理由を一つだけ上げておく。それは、どんな安全性の高い原発であれ、使用済み核燃料が出ることである。トイレのないマンションに例えられているが、すでに満杯の上1か所ふえれば、それだけ積み上がっていく。地球上どこにも捨てるところはない。

 これまで、高速増殖炉「もんじゅ」など、膨大な予算をつけて夢を追い続けてきたが、夢で地球環境が改善されるわけがない。核燃料サイクル構想など不毛な技術開発を、一刻も早く脱原発に振り向けることだけが、無資源国、日本を救う唯一の道である。「脱原発依存」が、これを妨げることになるのかどうかの分かれ道にわれわれはいるのだ。

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2011年9月20日 (火)

「原子力学会」を廃絶せよ

 本塾は、4月から5月にかけて、「脱・原子力ニッポン!」を、と題するシリーズを9回続けた。その第8回は、「土下座はしない原子力村学者」という副題をつけ、それら学者に水素爆発ならぬ、公憤を爆発させた。

 東電は、被災者に土下座し叩かれ続け、今や存亡の危機にさえ立っている。しかし、国策民営と称される、原発なしでは経営ができないような経営形態を押し付けられてきたことを考えれば、まだ同情の余地がある。

 事故後、はじめての原子力学会の大会が19日北九州で開かれた。それに関する報道は、主要紙の中で毎日新聞が一番詳しいので、そこから引用させていただく。

(前略)原発安全神話の一翼を担ってきた専門家の責任が問われる中、初日のシンポジウムには一般市民約60人も含む約500人が参加。会員の研究者からは「想像力が乏しかった」などと事故を防げなかった反省の弁が相次ぐ一方、原発推進の基本姿勢を問う発言は出なかった。22日まで開かれる。

 冒頭、会長の田中知・東京大教授は「国民に多大な影響と心配をかけ、学会として大変遺憾に思う」とあいさつ。二ノ方寿・東京工業大教授は「安全神話が独り歩きして結果的に改善が遅れた。専門家もあれほどの事故は起きないと過信があった」と批判の矛先を自らに向けた。

 この後、研究者11人が壇上に並んで討論。参加者から事前に集めた質問に答える場面では、「事故が起こらないと問題が意識できないのか?」との問いに、宮野廣・法政大客員教授が「想像力の乏しさを反省しなければ」。山口彰・大阪大教授も「想像力を働かせなくていい環境があったのでは」などと安全神話に立って原子力を推進してきた自らの姿勢を戒める発言もあった。

 ◇原発の是非 議論されず
 しかし、原発の是非そのものについては意見が出ず、原発の必要性を前提にした議論に終始。田中会長は「原子力エネルギーは必要不可欠」。杉山憲一郎・北海道大教授も「放射能のリスクにばかり関心が向いている。(原発がないと)エネルギー資源が制約されるリスクを若者に教育すべきだ」と主張した。

 シンポ後、一般参加した北九州市の女性(62)は「反省の弁が出たことは評価するが、本当に見直すべきは原発推進の姿勢では。事故で不安を募らせている市民感覚とずれていた」と不満を口にした。【阿部周一、内田久光】

 これだけ大きな事故発生原因の一端を負いながら「遺憾に思う」だけで、本気で反省や謝罪はしていない。それどころか、原発推進を説き、国民の教育が必要などと、どこまで鉄面皮なのだろうか。

 彼らは、人間である前に、高名な大学教授であり、政府の要人であり、その地位だけが名誉と生きがいとう俗物なのだ。学問と名がつけば、言ったこと為したことに責任を感ずる必要はないとも思っている。学問の至らなさに静かに学会から身をひいた、その程度の話すら聞いたことがない。

 今後の原子力政策に彼らを参画させたら、事故は必ず再発することを断言する。塾頭はなにも腹を切れと言っているわけではない。どうせ、彼らの活躍する新設原発などできっこない。持てる学問や知識を放射性廃棄物処理や核施設や核兵器の解体など、地球の環境改善や世界平和に振り向ける、どうして言えないのだ。

 彼らに電力不足の心配などしてもらわなくてもいい。国民は節電することの大切さ、効用をすでに実感しており、新エネルギーの方に大きな期待が向いている。

 ついでに、原発訴訟を裁いた裁判官にも一言要望しておきたい。文系の法科出身のあなた方は、専門的な科学に弱く専門家の提出した証拠だけに頼らざるを得ないという。それは口実だ。今はどんどん新しい科学鑑定や電磁的証拠を判断するのが裁判官だ。

 もちろん、専門家以上になる必要はない。こんな広範囲に取り返しのつかないような影響をもたらすことへの判断だ。官僚的発想を捨て、素人考えの大岡さばきこそ、今求められているのではないか。学者と裁判官の判断が、「原発安全神話」を下支えたことを心に刻んでおいてほしい。

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2011年9月19日 (月)

貞観の教訓

倭国は古の倭奴国なり。(中略)貞観五年、使を遣わして方物を献ず。太宗その道の遠きを矜(あわ)れみ、所司に勅して歳ごとに貢せしむるなし。また新州の刺使高表仁を遣わし、節を持して往いてこれを撫せしむ。表仁、綏遠の才なく、王子と礼を争い、朝命を宣べずして還る。(『旧唐書倭国日本伝』岩波文庫、による)

 最初に「あれっ?」と思ったのが貞観五年である。このたびの原発事故で想定外にされ、すっかり有名になった貞観(じょうがん)大地震と同じ頃……。そんなわけがない。引用した中国正史は、聖徳太子のすぐあと、第1回遣唐使(631年)のことで、貞観地震は250年もあと、平安時代のはずだ。

 当たり前だ。日本が中国の年号をそのまま使ったことは、私的にはあっても、公式にはない。日本が、かつて使った中国年号をパクッたまでのことである。最近、ネット・右翼などが中国をパクリの名人などと言うが、すこし恥ずかしいのではないか。

 せっかくの機会なので、もうすこし古代日中外交史を眺めてみよう。まず上の『旧唐書』は、こんな調子だ。

太宗「なに?、倭国から貢物をもってきた?」「遠い海を越えてやってきたのか。愛いやつらだ。無理して毎年朝貢するに及ばん、そういってやれ。」「そうだ、高表仁あたりがいいだろう、送りがてら日本へ土産をもたせ、返礼を尽くして倭をほめてつかわせ」

 こうして、高表仁は日本にやってきて上陸地難波で盛大な歓待を受けた。それは『日本書紀』にもある。ところが「表仁、綏遠の才なく、王子と礼を争い、朝命を宣べずして還る」に相当する記述が日本にはない。会ったのは、田村皇子だろうか。

 表仁は「天皇に直接会って話をする。そこで土産物を披露する」などと言ったのかも知れない。皇子は「それは、日本の宮中儀礼に反する」と言って喧嘩になったのか、土産も渡さず天皇にも会わずに帰ってしまった。

 『日本書紀』では、彼を高官に送らせたとあるが、それは対馬までで「身辺警護」が目的だったのだろう。一方、『旧唐書』は、表仁に遠国との外交を成功させる才能がなかったと、日本に責任を負わせるようなことはせず、むしろ表仁の方が引責辞職しなければならないような書きぶりだ。

 相当な媚中外交だが、いうべきことはきちんと言う。今の官僚任せ外交とは違う。さて、日本の貞観時代はどうだっただろう。年表(『日本史年表』河出書房新社)にはこうある。

貞観11
▽5・22新羅の海賊船二隻が博多津に来て豊前国の年貢絹綿を掠奪する。▽26陸奥国大地震。▽7・14肥後国大風雨

 この前後の年にも火山の噴火が記録され、原発事故がないだけで今年に似ている。海外関係では、新羅の侵略に備えて九州一帯の警備を強化するなど、あまりいい話はない。

 外交を見ると、25年ほど前に遣唐使が派遣されたあと、25年ほど後に次の遣唐使派遣が計画されたが立ち消えになった。唐の衰退と、国費を使って求めなければならないようなものは既に無く、以後は民間ベースになる。

 一方、渤海国(今の北朝鮮の北方一帯)との交流は毎年盛んで、新羅や唐との抑止力ねらいだったのかも知れない。いずれにしても、災害のために外交がお留守になるようなこともなく、千年以上前の事として「検討せず」どころか、今も生き生きとして通用する話ばかりである。

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2011年9月17日 (土)

「保守反動」新解釈

  かつて「保守反動」という言葉があった。使われなくなったのはいつ頃からだろう。あまり定かではないが、朝鮮戦争特需で経済復興が緒に就き、「もはや戦後ではない」とされた昭和30年代にはあまり聞かなくなったような気がする。

 「保守」と「反動」の複合語で、「反動」は時流に反して動く、つまり反社会的行動だ、というわけだ。 もともとは、占領政策の要である民主化にとって不都合な国家主義、軍国主義、全体主義、それに封建思想の排除に抵抗感を持つ、保守陣営攻撃のための左翼が使う常套語だった。

 言葉の上では、「保守」であっても「反動」でない場合もあり得るわけで、塾頭も、美しい伝統を残そうとするイギリス流保守主義や欧米のリベラリズムの魅力について、当時友人と議論したことを覚えている。

 しかし、左翼がいう場合、保守イコール反動という使い方になった。「反動」を分けなかったのが、その後の硬直性につながったのかも知れない。「逆コース」という言い方もあったがやや弱かった。和服・白足袋でワンマンの名をほしいままにし、天皇上奏文で「臣茂」と自称した吉田茂元首相などは、恰好な「保守反動」の的にされたのである。

 戦後の政治家では、歴史的に見て幣原・吉田首相などは保守主義であっても、反動ではないと塾頭は考える。反動は、戦後に戦犯や公職追放で活動を封じられていたような人に多かったのではないか。

 鳩山一郎にそれを感じるし、岸信介は、保守どころか戦前は革新官僚と言われた人だ。ただし、両人とも、その業績がすべて反動だったとは言えないものの、教育の自由に対する干渉・介入や警察権力利用など、「反動」の材料には事欠かないものがある。

 それから半世紀、反動政治家として名指しできる首相は、安倍晋三につきる。もちろん、首相でない政治家なら、自民・民主その他にごろごろいる。安倍を含む「真・保守政策研究会」といった議連があるが、まっとうな「保守」なら、なにもそのグループ名に、わざわざ「真」とつけなくてもいいはずなのだが、昔の左翼と同じで、保守=反動にしたいらしい。

 さて、そのような古いタイプの保守反動はさておき、新たな「保守反動」を探ってみる必要がある。革新を名乗るのは、体質的には最も保守的で、今や無残な姿に落ち込んだ共産・社民だけになった。民主党は、そもそも保守2大政党を目論んだ現小選挙区制のもとで生まれた保守政党である。

 現在の幹部クラスのほとんどが、自民・日本新党・新進党・さきがけ・民社という保守政党出身者である。旧社会・社民連出というのもあるが、もはや保守か革新かというのは、ほとんど意味をなさなくなった。

 新しい「反動」像をどう描けばいいだろうか。それは、原発事故の現実に目をそむけ、なんとか旧原子力体制を温存したい勢力、経済的にも軍事的にもアメリカ一国支配が傾き始めているのに、アメリカ属国体制を続け、沖縄県民の民意を無視して基地新設を強行しようという勢力、高度成長や膨張だけを国力と見なし、中国と張り合うのが安全保障と思う勢力、そんなことが思いつく。

 これからは、自民か民主かではなく、もちろん保守か革新かでもない。反動かそうでない(名前はまだついていない)かで政治家を見分ける必要がある。中途半端でひとりよがりだが、現実はそうなっているのではないか。

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2011年9月15日 (木)

号外あれこれ

前回、新聞記者の質の低下を問題にしたが、その中の「暴力団まがいの詰問」をした記者が時事通信の記者で、それをで知ったネット人口(一部の民放ではその場面を放映した)からの同社に対する抗議が殺到し、社として陳謝したようなことが「阿修羅」その他に掲載されている。

 記者会見などで突然声をあらげ、恫喝めいた質問をするのは、昔はよくあった。こうして慣れない政治家や社長などを怒らせ、普通では出そうもない発言を引き出すというテクニックだった。しかし最近はTVカメラが入り、広告代理店などのアドバイスもあってか、あまり見かけなくなった。

 このところ新聞の購読部数が軒並み減少しているようだ。そのために新聞の質が低下するようなことは、塾頭のように「唯一確実な情報源」として頼ってきた者には憂慮すべき事態だ。今回は、新聞の「号外」について考えてみたい。

 号外といえば7月7日、産経新聞が、「江沢民死去」という大誤報の号外を出したことを、このブログでも紹介した。その記事の下に「詳細は夕刊フジで」と、色刷りでPRしたが、中国の公式筋の否定でだんだんトーンダウンしていったものの、訂正はまだしていない。

 今の号外は無料である。駅頭などでばらまくが、もし100円などとしたら買う人がいるだろうか。簡単にデジタル情報が手に入る現在であるが、号外の中味もずいぶん地に落ちたものだ。TVの報道番組で、「この件は号外がでましたよ」という、駅頭などの配布風景を映像にする目的ぐらいしかない。

 戦前・戦中は有料だった。住宅街であろうが商店街であろうが、号外屋が腰にリンリンとなる鈴をつけ「号外号外」と叫びながら走り回った。すると、聞きつけた母親などから「買っておいで」と、たしか5銭?玉をつかまされて後を追ったものだ。

 報道の中味は、大抵「中支派遣軍発表の戦況」などである。従軍記者の戦功美談などは本紙を購読しなければならない。人々が号外を競って買ったのは、親類縁者などに出征者がいて、勝利をあげ一刻も早く帰ってほしかったからである。

 「贅沢は敵だ」ということで、化粧品などをはじめ消費財の広告は激減しただろう。新聞社の勝負は購読料収入で決まった。号外を有料で配って、そのうえ定期購読者も増えた。朝日・毎日の2大紙など、「戦争は儲かる」と、軍部批判が姿を消していく。昭和7年頃からだ。

 戦争報道は、軍部と不即不離でないとなかなか情報がとれない。どうしても軍に都合のいいニュースだけになる。しかし、今は世界をつなぐネットがあるので、戦時中のようなことにはなるまい。新聞の広告料収入減から、これからは、情報の質を高め、記事の内容と正確さで読者をつかむしかない。号外を有料にしても成り立っていく、そんな新聞を目指してほしい。

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2011年9月14日 (水)

鉢呂発言、毎日が異例の弁明

 本塾では9月 9日 (金)に「表現の自由侵犯」と題して鉢呂前経産大臣の言葉狩りを、ここ数年続く政治とマスコミの異様な関係として記事にした。「死の町」という表現のどこに問題があるのか、という疑問である。

 マスメディア以外には、ネット上でも多くの専門家・同業者などの中に、塾頭と同じ意見があることがわかった。また、その後の更迭さわぎまでに、前後3回の記者との接点があったことがわかった。最初が同氏が福島視察から帰った8日の、議員宿舎ロビーでの非公式取材、この時「放射能をつける」云々の発言が出た。

 次が9日午前の「死の町」発言のあった公式会見である。さらに、最後に辞任後の゛荒れた゛感じの10日夜の会見があった。どうして最後の会見が荒れたかを推測すると、最初の放射能を云々の発言は、5大紙とFNNの報道がすべてバラバラで、どれが正確なのかわからなかったことが指摘されていたからではないか。

 たしかに、そのような不正確な発言内容が原因で一国の大臣の首を取るというのは暴挙である。そこで、一体本人はどう言ったのか、という質問がでる。それに対して「記憶にない」という答えをした。どの社が正解か、ということにもなる。同氏としては、こう逃げるしかなかっただろう。

 そこで、某記者の暴力団まがいの恫喝が始まったというわけだ。これらについては、同席していた人の証言などもある「BLOGOS」の
http://blogos.com/
「鉢呂発言とメディアの責任」にくわしい。

 最初の、防護服をつける真似をして「放射能を云々」と近寄られた記者は、毎日新聞の記者だった。それが、今日になって、毎日新聞に「民主、取材制限の動き」という4段見出しで6段を使った大きな記事が出た。ただし24面[総合]という、なんでもぶち込める一番目立たないページである。

 塾頭が注目したのは文末の大部分を占める《「放射能」発言報道の経緯》という、新聞社としては異例な内幕暴露的な解説である。これが、マスコミ外にある今回の騒動の批判に、非常に抑制的ながら自省の念を込めたもの、と勝手に受け止めている。

 つまり、最初のはおふざけだから問題なし。2度目は、それだけでは弱いが最初のがあるから、という理由である。すなわち、弱い両方をつないで誹謗記事にしたという、糾弾するにはやや根拠薄弱だったと告白しているようなものである。この記事は、9時現在ネット版に無いようだったので、下にその部分を引用しておく。

「放射能」発言報道の経緯
 鉢呂前経産省が、東京・赤坂の衆議院宿舎前で、報道陣に「放射能をつけたぞ」という趣旨の発言をしたのは8日午後11時過ぎだった。福島第1原発周辺の視察を終え、防災服のまま公用車で帰宅した鉢呂氏は宿舎玄関ホールで立ち止まり、集まった記者団の非公式な取材に応じた。

 経済部や政治部など10人程度の記者に囲まれた鉢呂氏は、現地の状況について「ひどいと感じた」「みんなが頑張っている」などと述べた後、「まだ線量が高い地点があり、なんとかしないといけらい」と指摘。近くにいた毎日新聞の男性記者に防災服をすりつける仕草をし、「放射能をつけたぞ」という趣旨の発言をした。その後、鉢呂氏は「放射線量の高い地点は除染しないといけない」などと話を続けた。

            ◇
 毎日新聞は鉢呂氏の言動について、非公式な場での悪ふざけととらえ、翌9日朝刊では報じなかった。しかし、鉢呂氏は9日午前の会見でも、福島第1原発の視察に関し「まさに死の町」と発言。8日の言動と合わせて、閣僚としての資質に疑義を抱かざるを得ず、同紙の身体に発展しかねない重大な問題と判断し、10日朝刊に事実関係を掲載した。

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2011年9月12日 (月)

続・今どきの大学生

Dscf3505_2   先週日曜に見たTV番組「白熱教室」が、今週は中国・韓国をどう考えるかというテーマだったので、引き続き見ることにした。前回同様、草野厚教授がリードする慶応義塾大学の教室で収録されたものである。

 月とスッポンであるが、当方も「塾」のはしくれ、反戦塾なら気にしなければならないテーマだ。この1か月ほどは、どこを見ても手の施しようのない、うっとうしいニュースばかり。ことに「鉢呂発言」の「死の町」発言に、マスコミ・政治がハイエナのように食らいつく異様なさまだ。

 こっちのアタマが異様なDscf3509_2のかと疑いたくなるほど滅入っていたが、ネット論壇では「英語でいえばゴーストタウン、見たままを言ってどこが悪い」というという、 「正常論」が多数を占めているようだった。話が横道にそれたが、今回の教室は、塾頭が気を取り直すのに格好な番組だった。

 それは、日中・日韓関係の改善を若者の交流の深化・発展から、領土問題・経済問題の矛盾を、東アジア共同体とか北東アジア共同体に発展させるべきだ、という意見が異口同音に続発したことだ。

 最初は、ネット・右翼ばりの意見が出てくるのではないかと思って見ていたが、さすがは慶大生、次元が違う。それにしても、草野教授があらかじめレクチャーしたのでは、と疑うほどで、「日本の将来も暗くないなあ」と安堵した次第。

 当塾では、欧州共同体の起源に始まり、不十分ながらEUにまで発展する過程を記事で紹介した。一昨年の総選挙で、民主党がアジアの共同体をマニフェストで外交方針の項目として掲げ、当時の鳩山首相や岡田外相も向かうべき方向として是認した。

 当塾は、新カテゴリ「東アジア共同体」を設け、その進展を期待し続けることにした。ところが、その後何の措置もとった形跡がない。それどころか「普天間基地は国外、すくなくとも県外へ」と共に消え去り、今や見聞きすることも皆無になった。カテゴリも開店休業である。

 ヨーロッパ人の夢がEUに至るまで3世紀もかかっている。しかも、まだ完全ではなく一進一退が続いている。しかし、アジアには欧州という見本があるのだ。「今どきの大学生」の目の黒いうちに、必ずやその端緒がつかめるように祈るばかりだ。

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2011年9月10日 (土)

9.11の反省いまだし

犠牲者 米国防総省の資料をもとに作成(単位:万人)

              派兵期間 従軍総数 死亡  負傷 
第二次世界大戦 1941~46   1611  40.5  67.1
ベトナム戦争     1964~73    874   5.8  15.3
アフガン・イラク戦争 2001~09/5    183     0.5   3.4 

【コメント】
1.米兵の死者は、アフガン・イラクで戦争終結後も増え続け、すでに6000人を超えている。
2.第二次世界大戦、ベトナム戦争にくらべ、イラク、アフガンの戦死者は80分の1、10分の1以下と極端に少なくなった。ただし、死亡者1人に対する負傷者の数は次の通り逆転する。精神・神経系疾患によるものと見られる。[参照はこちら]      
                
            従軍総数に   死亡者1人に対
            対する死亡率  する負傷者の数
第二次世界大戦   2.5%       1.7倍
ベトナム戦争        0.7         2.6
アフガン・イラク戦争    0.3         6.8 

米ブラウン大ワトソン研究所グループのまとめ(以下、共同→毎日)

死者の数
米兵・イラン・イラクの治安部隊   3万1741人
民間人(アフガン)           1万3900
     (イラク)           12万5000
武装勢力                8万7014

過去10年間にアメリカが対テロ戦争に費やした費用

最大約4兆ドル(307兆円)
国防総省に予算化された戦費   1兆3000億ドル
米本土の安全対策費           4010億ドル
その他、51年度まで退役軍人に支払う医療費、障害給付金、遺族年金、戦費の大半を占めた借入金金利、イラク・アフガンへの復興支援金を加算。情報機関などの新組織増強費用は含まず。

【コメント】
 とても信じられないことだが、東日本大震災の被害総額が政府想定で16~25兆円。アメリカは毎年このような災害の1個か2個分を戦争で消費しているのだ。これではいくらお金持ちでも財政が持たないのはあたりまえだ。

 深刻なのは、ほんのわずかな一部有識者以外には、この深刻さを招いた根源についての反省が見られないことである。イラクのイラン接近、エジプト・リビア・シリアなどの民衆革命、パレスチナのハマス、ファタハ和解、トルコのイスラエル離反、イスラエル国内の大規模デモなど、中東情勢の変化はめまぐるしく数えきれない。

 それなのに、アメリカはパレスチナの国連加盟申請に拒否権を行使するという基本精神に変わりない。オバマは、それを後押しする保守派やユダヤロビーの勢力をおさえることができないでいる。

アメリカ国内のテロ犯罪(99~09年、米シンクタンク)

アルカイダ関与        23件
ホームグロウン・テロ   17
白人至上主義者       20

【コメント】
 ホームグロウン・テロは、イスラム系移民が居住地で起こすテロ。統計として確実性に疑問があるが、これで見る限り外国からの攻撃より国内にいる犯人の方が多い。アメリカは病んでいるのだ。その病んでいるアメリカに、外交お任せの日本はもう救いようがない。本当はこの10年を、日本も検証しなければならないのだが求める方が無理か。
 

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2011年9月 9日 (金)

表現の自由侵犯

  「死の町」がどうしていけない。昔からある文学的慣用句だ。菅首相時代にもたびたびあった。「暴力装置」が左翼用語だという無知。政治村のレベルの低さ、こういった言葉狩りは日本語をますますだめにし、闊達な表現を押し殺す、それこそ言葉を「死の町」に追いやるものだ。

2011年9月9日(金)19時14分配信 共同通信
 鉢呂吉雄経済産業相は9日午後の記者会見で、福島第1原発の周辺市町村を「死の町」と表現したことについて「被災地の皆さんに誤解を与える表現で軽率だった。大変申し訳ない」と陳謝し、「発言を撤回したい」と明言した。野党は発言を問題視し追及する構えを見せており、政治問題化する可能性もある。発言に関し野田佳彦首相は「不穏当な発言だ。謝罪、訂正してほしい」と強い不快感を表明した。

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前原政調会長の真意は

 民主党・前原政調会長がワシントンで日米安保体制などに関する講演をし、物議をかもしている。その要旨は、

 ①自衛隊の海外派遣はより積極的に行うべきで、武器使用基準の緩和、他国軍の防御、集団的自衛権など法制面の再検討。②武器輸出3原則の見直し、共同研究・開発参画。日米同盟に基づく相互運用緊密化。③普天間移転問題履行努力。④中国の膨張政策や特異性。

 といったことである。これが国内にはねかえり、波紋を呼んでいるわけだが、当塾では、8月末から前回にかけて3回彼の名を出しているので、どうしても触れざるを得ない。特に前回、最後のしめとして、《「毒をもって毒を制する」で、むしろ前原政権の方がよかったかも知れない》などと書いたが、どうやらこれだけは撤回した方がよさそうだ。

 さて、講演内容について彼のの真意は何か、ということになるが、これも次の4つをあげてみた。

①首相訪米を控えて、その地ならし。
②党政調会長として、党内不統一のシンボルともいえる防衛問題を提起、活発な議論への呼び水とする。
③ねじれ国会のもと、自民との急接近をねらう。
④持論の、単なる軽率発言。あるいは受けがいいアメリカに対するリップサービス。

 「文民統制には素人がいい」などの発言があった、一川 保夫防衛相は、小沢グループ出身で前原と相性が悪いのか「そんなのは聞いていないし、方針でもない」とおかんむりのようだ。また、外務省の官僚も、一切聞いていなとしており、閣内からはつれない反応が伝わってくる。

 しかも、平岡法相をはじめ、リベラル・グループは早くも反発を強めている。(「新内閣と護憲・防衛」参照)。野田首相は、限りなくタカ派に近いが、スタート早々ドジョウがタカに変身する離れ業は無理だろう。そうすると、①は思い過ごしということになる。

 ②もうがちすぎのようだが、米要人の強い支持を取り付け、党内反対勢力の口封じをするというのは考えられる。鳩山の「学べば学ぶにつけ」効果ねらいだが、これには、外務・防衛、それに官房長官の連係プレーがなければならず、閣外にいてはどこまで通用するかわからない。田中真紀子も、外交委員長として、目を光らしている。

 ③は、心情的にはあり得る。このたびも自民党の石破政調会長の心をしっかりつかんだようだ。党内融和にはマイナス効果しかないが、いざ大連立さわぎでも起きれば、一里塚として効果を発揮する。これが一番警戒を要する。

 塾頭は、彼が政治家になりたいのは、外交をやってみたいからだという動機があると聞いていた。また、軍事オタクということで国交と切り離せない軍事知識を持っており、普天間基地移転問題解決や、アジアにおける緊張緩和という喫緊な課題につてい、米国の厚い信頼があるということから、外務大臣として活躍の場があると思ったが、わずか3か月余で退任してしまった。

 それはどうも買いかぶりで、どうやら「紳助と誠司と唐突」で書いた④あたりではないか、という方に引っ張られている。

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2011年9月 8日 (木)

安保体制60年

 敗戦から6年続いた連合軍(実質的には米軍)の占領が、60年前の今日(8日)終わり、日本は再び独立国になった。その頃塾頭は、すでにサラリーマンになっていたが、サンフランシスコで吉田首相が講和条約に調印し、同時に「日米安保条約」が締結されたという歴史的転換に、あまり鮮やかな記憶や感興が残っていない。

 講和条約には48か国が調印したが、ソ連圏の3か国は調印せず、インド、ビルマ、ユーゴスラビアは出席しなかった。また中国は、内戦で共産軍がすでに台湾以外を支配していたが、どちらに代表する権利を認めるかが決定できず、招請されていなかった。

 国内に、共産圏を含む全面講和か、米英中心の単独講和かで大論争が巻き起こったことは知っているが、(若者言葉でいうと)塾頭的には、講和後、警察予備隊とか保安隊とか自衛隊とか、名前は何であれ、徴兵制度が復活されることを一番心配した。

 「まさか」と思う人がいるだろうが、北九州に空襲の警報が出たほどの朝鮮戦争かようやく休戦状態に達したばかりである。日米安保の同時締結で、米占領軍はそのまま基地に居座り続けるわけだし、議会や諸制度はすでに正常に機能しているので、半独立状態に変化はない、という感覚だった。

 これを打破する唯一の機会が60年安保闘争の盛り上がりだったわけだが、地位協定は手つかずで継承され、オキュパイド・ジャパン体制が半世紀を超えても維持され続けているという、世界遺産に登録されてもいいような状況が続いている。

 田中真紀子元外相が、外務省を「伏魔殿」と評したが、日本の外交は安逸をむさぼる官僚に支配され、外交能力としても、明治この方最低のレベルに止め置かれている。民主党政権の発足で僅かでも改善の方向に向かうのか、という期待をした時もあったが、野田、玄葉コンビでは、官僚をリードする図がまず見えてこない。

 毎日新聞(9/8)によると、野田総理は、雑誌「Voice」10月号掲載の「わが政治哲学」で、民主党のマニフェストに掲げられた「東アジア共同体」のビジョンを棚上げし、「いまなすべきは、領土領海に絡む重大事件が発生した場合に日本がいかなる姿勢を打ち出すべきか、あらためてシュミレーションしておくこと」という姿勢を明らかにした。

 「哲学」と銘打った論文には全くそぐわない。そんなことは、海上保安庁か自衛隊の日常業務として行うことある。そういった事態が起きないようにするための外交理念を示せないようなら、外務官僚のサボタージュに甘んじているとしか思えない。

 国をどっちの方向にもっていこうとするのか示せないような首相、それだけで宰相の資格がない。アメリカの大統領なら、就任時に決してそんな「哲学」を披露ししたりはしないだろう。こんなことなら、「毒をもって毒を制する」で、むしろ前原政権の方がまだましだったかも知れない。

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2011年9月 6日 (火)

今どきの大学生

 日曜日の夕食時間に、NHK・Eテレを見ることはめったにない。一昨日、次なような新聞の番組表につられてチャンネルを合わせてみた。

 白熱教室JAPAN
 日米関係を考える
 ▽沖縄米軍基地は日本の安全に必要か
 ▽慶応大学

 慶応大学の大教室らしいところに現れたてのは、かつてテレビ朝日のサンデープロジェクトで田原総一郎司会のもと、頻繁に出演していた草野厚教授である。

 まず、「アメリカに好意を持っていますか?」などのアンケートを取り、それぞれの回答者からその理由などを手を上げた複数の学生に答えさせる。教授は、それを軽妙にリードしながら基地問題などに誘導する。

  最初に遠慮のない印象をのべると、幼稚園か小学校低学年でよく見る風景と同じだな、という気がした。われわれが経験した独立自尊、エリート意識の強い最高学府のイメージではない。学生にそれぞれの個性は感ずるが、マスメディアの論調を超えない優等生の集まりのようだった。

  草野教授の誘導や、番組収録という限界からか、「中国、北朝鮮やロシアの脅威がある、憲法9条は守りたい、だからアメリカとは仲良くして守ってもらう」という方向で話が進行していた。また、「米軍基地は必用、だけど自分の住んでいるところにくるのはいやだ」が多数意見のようで、予想以上のものは何も出てこなかった。

 見終わって、気がかりなことが2つでてきた。ひとつは、戦争を遠い世界の話のように考えていることである。草野教授自身がすでに戦争を知らない世代である。したがって日本の針路も矛盾を抱えたまま成り行き任せのように思われ、突っ込みに欠ける点である。

 ちょうど原発被害と同じで、福島から遠いところでは関心があっても他人ごとで、脱原発はいいが節電は困るというのに似ている。沖縄出身の女子学生がいたが、生まれた時すでに基地に囲まれており、多くのアメリカ人と仲良く暮らす生活環境に何の違和感もない、と言っていた。

 だから、基地反対を言うのは年寄り、という感覚で基地がなくなって経済基盤を失うことの方が心配だというのは、うそではないだろう。これは、基地と戦争が結びついていないということで、原発立地が放射能と結びつかないのと同じ現象である。

 次は、以上に関連するが、日米基軸の安全保障のほかに、世界を覆いだした戦争回避の方向性や、具体策に教授が全く触れなかったことである。地域紛争への不介入・不干渉、軍縮、地域共同体、国連改革など、項目だけでも示してレポートを求めれば、やや大学らしくなったと思うのだが……。

 戦時体験が薄れていく中で、人類は再び同じ過ちを繰り返すのか、さらに成熟した社会を目指すことになるのか、それを一番問うてみたかった。

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2011年9月 4日 (日)

無意味な東京裁判批判

  「東京裁判はアメリカの押しつけだ」として、A級戦犯はない、というコメントをいただいたmakotoさまに、「裁判はアメリカではなく連合国が行い、各国の意見に違いがあって、日本人弁護人を含めいろいろな議論が法廷でなされたこと、また、裁判の国際法上の論争なども、機会があったら研究してみてください」というレスポンスをしてしまいました。

 首相交代があったりして、他の記事に忙しかったこともありますが、「塾」なので一緒に勉強しましょうというべきだったと反省しています。ただ、歴史的事実として存在する東京裁判を批判し続けることに何の意味があるのかがわかりません。

 まず兄の問いかけにお答えしておきましょう。当時の一般国民は、アメリカが画策した洗脳工作で東京裁判を受け入れたわけではありません。「真相はこうだ」などのラジオ宣伝で日本人が簡単に洗脳されるというのは、それこそ「自虐史観」ではないですか。

 戦勝国が一方的に進めた裁判について、当時の国民は、「勝てば官軍」という明治維新のことわざを使って、ちゃんと批判していました。戦争に勝った国が負けた国に報復するのは当然です。それを国際法がどうの、手続きがどうのといっても始まりません。

 国際法というのは、たしかにいいかげんなものです。昔から強い国が有利になるような法体系です。東京裁判もそれが開かれ、またその結果を日本が受け入れれば、それが国際法になるわけです。イラクに侵攻し、非戦闘員を虐殺したアメリカは、平和に対する罪や人道に対する罪で糾弾されるべきですが、ブッシュがA級戦犯になることは、まずないでしょう。

 歴史をどう評価するかは自由ですが、その評価で歴史が動くわけではありません。私は、A級戦犯に会ったことはりません。テレビはなかったけど、戦時中の東条首相の肉声や動作ふるまいなど、ラジオやニュース映画でいまでもはっきり覚えています。一般国民が知っているのは、東条、近衛、せいぜいで松岡程度でしょう。しかしA級戦犯が全員戦争指導者であったことは明らかです。

 肉親・知人の命を奪われ、敗戦時の国民は、まさに飢餓線上にありました。敗戦で、日露戦争以来確定していた領土を失い、天皇制さえ危機に瀕するような戦争を起こした戦争指導者、連合国がほっておいても、どうして国民がほっておけるでしょう。当然裁判にかけ、責任を問います。事実そういう動きもありました。

 そうすれば、天皇の責任を問う動きも当然出てきます。極端に言うとこれで内乱が起き、それこそ日本滅亡にまで進んだかも知れません。逆に日本は東京裁判で救われた、というのが最近の歴史の一般的結論です。

 そうすると、必ず持ち出されるのが、さきの戦争は侵略戦争ではなかった、とか、南京事件はまぼろし、というものです。そこで古い話ですが、以前そういった考えを知りたいと思って何冊か買った本を引っぱり出しました。

 その中に『封印の昭和史・「戦後五〇年」自虐の終焉』という本があります。小室直樹、渡部昇一の著作です。両人ともご存知でしょうが歴史学者ではありません。小室さんは、「歴史学者を大虐殺したい」などというほど、歴史学者がお嫌いのようです。

 歴史学者は資史料に基づき、仮説をたてます。その後はその仮説が間違っていないか、史料の見落としがないかに全神経を集めます。もし仮説に誤りがあれば進んで訂正し、より完全なものにします。よくあることで、全く恥ずかしいことではありません。

 この本の著者は、まず結論を先に置き、それに合致する資料を片っ端から集めるような書き方をしています。たとえば、侵略戦争ではなかっかったことを証明するために、「そもそも侵略戦争の定義はない」という理由を、古今東西の外交文書を例示することでページを費やしています。

 まったく、無駄な努力としかいいようがありません。よその家に上がり込んで、その家の人が「迷惑だ」といえば「迷惑」、また、そこで暴力をふるい、「侵略だ」といわれればそれが「侵略」なのです。定義がどうの、国際法がどうのというから頭が混乱してしまうのです。

 また、日本の軍隊は世界一軍規の厳しいことで有名である、したがって南京事件はでっち上げの陰謀だと書いています。日露戦争のあと、北清事変というのがあって、西欧各国が中国大陸に出兵したことがあり、その中で日本軍の軍規の整った模範的な行動が各国の賞賛の的になったことは、当塾でも記事にしています。

 だから、何十年あとの南京でも同じはずだ、という比喩は、歴史学者なら普通は使いません。まったく時間と場所の違うことを比べてみても、笑われるだけだからです。だから、何人が虐殺されたかという検証はしますが、その数が多いか少ないかというのはあまり大きな問題ではないのです。

 南京で非戦闘員が虐殺されたことは、事実です。民間に便衣隊というゲリラが混じっていたこともあるでしょう。女子供であっても、殺さなければこちらが殺されるかもしれない、仏心をもってはいけない、手当たり次第殺す、これも事実でしょう。

 人を殺すというのは、大変なことなのです。だからどの国でも、相手は人間でなく、物か害虫のように思う訓練がから始めます。アメリカでは帰還兵の精神疾患急増が問題になっています。ところが、一部に「腰抜け」だとか「補償金ねらい」という声もあって放置され、ますます症状を悪化させています。

 戦争というのはそういうものなのです。人の心を獣にします。ざらざらした砂を噛むような無機質なものに変えてしまいます。「反戦塾」は、そういったことの起らないことを願って続けていることをご理解ください。

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2011年9月 3日 (土)

新内閣と護憲・防衛

 野田新内閣が発足した。菅内閣は、震災対応の遅れが退陣要求の柱にされていたが、その閣僚を務めていた野田をはじめ5人が再任か横滑りである。副大臣などを含めるともっと増え、換骨奪胎といってもいいほどだが、あれほど菅バッシングに励んでいたマスコミが前内閣失敗の総括もせず、「ドジョウがどうのこうの」といとってお祭り騒ぎに精出しているのはみっともない限りだ。

 その中で注目したい人事がある。護憲・防衛問題で期待したい人が入閣してきたことである。ちなみに、「毎日えらぼーと」でチェックしてみると、次の人が、改憲と、集団的自衛権の解釈変更双方に反対している。

 川端達夫・総務・沖縄北方 旧民社グループ
 平岡秀夫・法務        菅グループ
 安住 淳・財務        前原グループ
 鹿野道彦・農林水産     鹿野グループ
 鉢呂吉雄・経済産業     旧社会グループ
 山岡賢次・国家公安・拉致・消費者 小沢グループ

 このほか、データがないが゜、前田武志国土交通大臣(鹿野グループ)もそれに入るのではないかと思われ、18人中7人というのは決して少ない数ではない。その一方、政治家は重要な地位に就くと、えてして保守転換する傾向があり100%信用はできない。

 しかし、今までとはひと味違うかなと思われるのが平岡、鉢呂で、信条を変えて妥協することはないと見ている。また、鹿野は自民党出身だが改憲に熱心だった形跡はない。むしろ、今回代表選に推薦人を大きく上回る支持者を集め、今後グループとして固定化させるため旗印にするかもしれない。

 塾頭の選挙区の民主党代議士は、生方幸夫である。彼はかつて党内にリベラルの会を立ち上げ、護憲勢力の拠点づくりをした。また、横路現衆議院議長などと組み、小沢一郎入党に際して、自衛隊の海外派遣や憲法順守についての協定を結んでいる。

 その生方が、今回の代表選で鹿野を支持し、決選投票では野田に投票した。鹿野グループは野田内閣で少なからぬ影響力を持つことになるだろう。また、生方落選中のリベラルの会は、平岡が受け継いだ。平岡は山口県出身で、当塾がおつきあいを頂いた、戸倉たかこ女史を通じて多くを知った。

 戸倉さんは、参院選山口区に民主党から立候補、また衆院選では安倍晋三を相手に戦い、残念ながら落選した。平岡は、保守王国山口で、岩国米軍基地などの事を一緒に戦った力強い同志・先輩なのである。

 沖縄の基地問題で、日米合意を転換するのは容易なことではない。しかし、同盟国として合意見直しを提案してはならないわけではない。日米同盟を深化させ、かつ基地問題を解決する方法を共同目標として検討する時期にそろそろ来ている。

 アメリカ国内でも、財政悪化のもと、普天間移転見直しの機運がでてきている。そういった新たな方向づけを支援する勢力に是非なってもらいたいものだ。また、閣外にあってもアメリカとの人脈がある前原、北沢など、ベテランに大いに活躍してもらえれば、民主党支持率復活も夢ではなくなる。

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2011年9月 2日 (金)

ゴーヤの佃煮

 ゴーヤが採れすぎた方、是非おためしを。Dscf0454

【材料】
ゴーヤ 1Kg(6本ぐらい)
ざらめ   200g
さとう    150g
濃口醤油  100cc
薄口醤油  50cc
酢     100cc
花かつお  30g
白ゴマ    50g

【調理】 
①ゴーヤを半割にして種をのぞき、5mm程度に刻んだものをざるに入れ、半日程度天日に干す。

②ざるの上から熱湯をかけ、水気を切る。

③鍋に砂糖、醤油、酢を入れ、ざらめが溶けるるまで煮立てた頃、ゴーヤを入れる。

④ゴーヤから大量の水分が出るが、なべ底が見えるぐらいまで混ぜながら煮つめ、花かつおとゴマを入れてからませる。

⑤でき上がり。調味料は好みにより加減してください。 (荊妻提供)

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