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2011年8月22日 (月)

続・「傲慢さ」

 16日に、脱原発に抵抗する主張に関連して「傲慢さ」という記事を書いた。その時からひとつ書き落としていることがある気がしてならなかったのが、科学技術がすべてを解決する、という人類が持つ「傲慢さ」である。

 人智の及ばないところ、あるいは及んでも対処のしようがないことを、どう見極めるかということである。塾頭も原発の安全神話を100%信じていたわけではないが、ここまでひどい(いい加減)とは思っていなかった。

 3.11後に何度か書いたきたが、東電幹部、関係する学者、経産省や保守政治家、いわゆる原子力村の面々の発言がいかに無責任で、起きている被害の深刻さから目をそらそうとしているか、怒り心頭に発して、「脱原発」に急カーブを切ったのだ。

 もちろん科学技術の進歩が、原発の安全性を高めることを否定するものではない。しかし、今回の事故は、想定可能であった事象を切り捨てたこと、関係者の不作為の過失が重なったもので、人災以外の何ものでもない。

 こういった人災は、科学技術の進歩と全く無関係である。つまり、これからも起き得るということである。いかに次世代原発ができようが、有害な放射性物質を増やすことなく、たまった廃棄物をマイナスにできない限り、手をつけるべきではない。これが人災を克服できない人類の知恵であり義務である。

 技術進歩論者が考えるメリットは、代替エネルギー採用のコストアップ防止と、原発輸出事業であろう。しかし、原発が実は既存エネルギーのどれよりも高コストで、今後稼働率の低下や新設コストの高騰が明白なことが次第に認識されるようになり論拠を失いつつある。

 原発輸出に未練があるようだが、トイレのないマンションを輸出しようという悪徳不動産屋まがいのことが許されるはずがない。これは、求められても口実を設け断るべきだ。また、次世代原発の開発が可能だとしても、前述の条件を満たす見込みがなく、成功させるまで膨大な時間と開発費がかかる。

 それならば、新エネルギー買い上げなどで小口分散型の誰でも参画できる事業の開発・投資意欲を盛り立てた方が電力安全保障には早いのではないか。すでにこの面では、他の先進国より日本が遅れていることが識者の指摘で明らかになっている。

 以上はこれまで何度か論じてきたことと重複するが、脱原発慎重論者の行き着くところは、結局、環境破壊のエネルギー浪費でなければ、「機微技術」温存に行き着くのではないか。実はこの稿を書き始める時は全く違うことを書こうと思っていた。

 それは、直ちに原発を全廃せよというのでなく、いずれは原発をゼロにしようという「脱原発」に向かう以外、日本が取るべき選択肢がなくなってきているのに、前向きに考えているのは、社・共両党のほかみんなの党?、菅さん、自民・河野太郎議員ぐらいしか声が聞こえてこない理由についてだ。

 マスコミにしてもそうだ。今日の毎日新聞(8/22)では、編集委員の山田孝男が2面の頭の囲みで「かすみ始めた『脱原発』」として、菅首相のあとをねらう民主党の代表選候補が、どっちつかずの「玉虫色へ逃げ込むことが選挙対策になっている」と厳しく批判している。

 ところが、同紙1面トップに掲げた大見出しは、同社実施の世論調査結果で、
《原発「時間かけ削減」74%》であった。
 「原子力発電所を今後、どうすべきですか?」の回答が、
   今すぐ廃止すべきだ………………11
   時間をかけて減らすべきだ………74
   減らす必要はない…………………13

 であった。なぜ、「時間をかけてゼロにすべき」としないのだ。それこそ「玉虫色へ逃げ込む」ための設問ではないか。新聞社全体では民主党と選ぶところがない。やはり「機微技術」、それでなければ触れたくない「左右の対立」であろう。

 脱原発反対は、極右議員やネット論陣でも右翼が旗を振り始めていることからも「左右対立」の構図ができつつあるのはたしかだ。昔、ソ連・スターリン健在の頃を思い出した。

 労働者・農民が科学を資本家から奪い取ることにより、自然を克服・改造することが可能になった。大地はよみがえり収穫は思い通りに増えることが約束された――。これを証明できたとして、ルイセンコなる学者が何度もスターリン賞を獲得した。

 庶民の夢を実現させるとして、科学万能の旗を振ったのは、もっぱら左翼が得意とする「傲慢さ」だったのである。冷戦思考からなかなか抜け出せない日本、あるいは抜け出すことを恐れている日本、明治維新がお好きな政治家は多いようだが、もっと冷徹に世界を観察し、新たな進路を追い求める若々しい気概をもってほしいものだ。

参考エントリー
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-d155.html
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-0520.html

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コメント

おはようございます。

やはり、仰せの通り放射性廃棄物を無害にする技術を持たない人類は、『核』に手を出したら駄目ですよね…。種類によっては、半減期が数万年にも及ぶものもあるそうですね…。地中深くに埋めるったって、この先どの様に管理するつもり何でしょうか?
『傲慢さ』と『無謬』なんか共通点がありませんか?
やはり、人知の及ばないものなるものは、ある筈です。また、「原発神話」(原発は安全)なる無謬性の恐ろしさ…福島原発の事故で『核を使用する施設が安全ではない。』という事が皆解ったにもかかわらず、原発再稼働に踏み切る始末。何を考えているんだか、わたしには理解できないでいます。やはり、将来的に軍事転用するために、『核』『原子力』に関する技術研究の継続を止めてはいけないとの思惑が国家なる胡散臭いもののなかにあると考えたくもなりますね…。人間が地球環境を悪化させたのは、ここ50年から60年のことでしょう…地球が誕生してから40数億年?でしたか…それをたった、僅かな時間で破壊してしまう、人類・科学の『傲慢さ』は、許されざるものでしょう…。現在の人間は、経済一辺倒のものさしで、全てを捉えているので、あらゆる面に歪みが生じていると思います。調和が崩れています。
わたしたち人間は、もう少し『自然』に対する畏れ、畏怖の念を持つべきだと思います。
とりとめのないこと、お赦しを…。

投稿: 青い鳥 | 2011年8月23日 (火) 08時00分

青い鳥 さま
コメント、感謝します。

有名学者の中に、宇宙は核分裂に始まり、太陽の恩恵は核融合で、地熱も核放射能、人間の存在そのものから核は切り離せない、というようなアホウなことをまじめに話す学者がいます。

だからこそ、自然界の放射能バランスを勝手にかえてはいけないのではないか。

学者の傲慢さは、こうなると恐竜並ですね。早く滅亡してほしい。

投稿: ましま | 2011年8月23日 (火) 12時01分

福島第1原発事故を教訓にすれば、原子力そのものが如何に物騒で危険なものであるかということをまざまざと見せ付けてくらたのでは無いか。
私達国民は、そういう連中に騙され、豊かな生活を追い求めてきたことに反省しなければならないと思います。
そうであれば、脱原発と言う方向性しか道は無いことは確かなことですが、それによる影響や痛みを分かち合うと言う姿勢からすれば、「時間を掛けて原発をゼロにする」と言うことにしかならないものの、「時間を掛けて原発を減らすべき」ということと、目的は同じものとして分かち合えば、それで良いのでは無いでしょうか。
放射性廃棄物の処理をはじめ、ただ冷温停止状態にすれば良いというものでは無く、最終的にはそれを取り出し、原子炉そのものを屍状態にしなくてはならないことも大切であれば、幾らでもやらなければならない仕事はある筈ではないでしょうか。

小職は右翼も左翼もどちらも大嫌いであり、「お国のため、天皇陛下のため」等と言う理由だけでの愛国心そのものが、自分勝手であり傲慢な、日本を滅ぼすことになりかね無い、これこそが反日的で赦されない偏狭なものでしか無いと思います。
こんなものは、幾らでも雲散無消して行けばそれで良いのでは無いでしょうか。

日本経団連なんかは、亡国経団連とでも名前を変えて日本からとっとと出て行って勝手に勝負すれば良いのでは無いでしょうか。
日本会議なんていう組織も、どうせなら、亡国会議と名前を変えなくてはならないと思います。

これからの愛国心というものは、「地球を愛す、他国を愛す、日本を愛す、己を愛す」と言うことに集約されればそれで良いと思います。
在日外国人であれば、「地球を愛す、日本を愛す、祖国を愛す、己を愛す」と言うことになれば、お互いに日本を愛し、祖国を愛することに変わりないものとして、幾らでも分かち合うことが出来ますよね。

これが、「地球を愛す、日本を愛す、亡国を愛す」とした場合、私達日本人としては、亡国=他国ということで分かち合えば、在日外国人の方とも幾らでも分かち合うことは出来て当然ですよね。
日本から逃げて行きたければ、「地球を愛す、他国を愛す、亡国を愛す」ということで幾らでも分かち合えればそれで良いと思います。
ただ、日本のことは忘れ、他国に幾らでも同質化されることになっても、それは致し方ないことだと思いますので、その場合には、大いに総懺悔しても構わないし、自分達だけで幾らでも泣き寝入りして、ただ大人しく暮して生きて貰えれば、もうそれだけで十分ではございますので。
これこそが、お国のため天皇陛下のためになることだと思えば、幾らでも出来て当然のことだとも思います。


投稿: asa | 2011年8月23日 (火) 13時35分

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