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2011年7月 2日 (土)

原発と国策とエゴ

又渡一海千餘里、至松盧國、有四千餘戸、
濱山海居、草木茂盛、行不見前人

 以上、ご存知『魏志倭人伝』に描く、中国から松浦(松盧國)に到着した際の印象記である。「壱岐から千餘里を渡って着いた松浦は、四千戸余りが山と海に沿ったあたりにあり、草木が繁茂していて前を通る人も見えない」とある。

 その前の、壱岐・対馬が「地形が厳しく、耕地はあるが自給できず島民は交易などに頼っている」などと書いてある。松浦も半島で似たような条件があり、海女が海にもぐり、アワビを採取して権力者に献上する「依存経済」に頼っていたようだ。

 海江田経産大臣が停止中の原子炉運転再開を頼みに行った「玄海原発」はこんなところこにある。とはいっても、ここは太古から大陸との玄関口である。神功皇后の出兵伝説があり、豊臣秀吉が朝鮮出兵の基地にした名護屋城は、原発の目と鼻のさきにある。

 原発の立地としてふさわしいと考えたのは、人里離れた貧しい過疎地で受け入れられやすいと見たからであろう。しかし、なにも風光明媚で大陸からの玄関口あたるところに、こんな物騒なものを置いておくことはない。

 隣接して、唐津、伊万里、有田など大陸由来の焼き物名産地があり、長崎・佐賀・福岡などかつて日本の窓口になった九州の大都市が5、60Km圏内に入る。仮に福島のような事故があれば汚染海水は対馬海流に乗って日本海沿岸の漁業を壊滅させ、韓国、ロシアへの影響はフクシマの比ではない。

 それでも、塾頭は結果として定期点検を終えた2号機、3号機は運転再開すべきだと思う。ただし、それには次の条件が必要だ。
1.同原発全体の安全がギャランティーされなくてはならない。
2..佐賀県議会および隣接各県の同意が必要。

 さらに1.を詳述すると、「原発全体」と言ったのは、現在運転中の最も古い1号機が「中性子照射脆化」という金属疲労現象によって、原子炉の圧力容器が壊れ、爆発する危険が高いという井野博満・東大名誉教授(金属材料学)の指摘(週刊現代・7月2日号)がある。
(参考)「きまぐれな日々」
http://caprice.blog63.fc2.com/

 仮にそうであるとすれば、福島で「貞観津波学説」を無視した前例がある。直ちに停止して精査の上結論を出すべきだ。次に安全をギャランティーしたのが海江田大臣の言う「政府」であって、IAEAからも指摘を受けたチェック機能に疑問のある組織、原子力保安院によるお墨付きに基づく。

 電源全面喪失を考慮しなくてもいいと言い、福島の取り返しの利かない事故を招いたあの原子力安全委員会ですら、この原発再開に関与していない。新たな組織、安全基準などに準拠したものではなく、福島事故の教訓は枝葉末節のこと以外何一つ生かされていない。

 菅首相のいう「白紙にもどして」考え直し実施に移すためには、新たな法的措置が必要ということもあろう。そういったことは、事故調査委員会の結論を見てからというのでは遅すぎる。脱エネルギーを着実に進めようというなら、並行して真っ先に対処しなければならない案件だったのだ。

 それが無理ならば、運転再開の決定が遅れても甘んじて受忍しなければならない。今までも「安全神話」という政府の保証で国民は原発の建設・運転を認めてきたのだ。これまでとなにも変わらない手法で、納得してくれといい、それを了解したという関係に、なにか不純なものを感じさせるのはやむを得ない。 

 2..の問題であるが、古川康佐賀県知事は海江田大臣の要請を受けて受諾の方向を示している。すでに立地する玄海町が再開賛成で、知事の「県議会の議論を聞いて判断」といっているが、自民党多数の県議会で、楽観的に考えているようだ。

 さらに、「菅首相と会談して」と言っているが、これは正論である。再開容認の理由として「国策に協力する」というのは、知事としての義務でもある。ところが、何が国策なのかさっばりわからないのが現状である。

 首相が「脱原発」をはっきり言明し、その過程としての運転再開を手順をふんでお願いする、というのなら、それが国策となる。海江田大臣のお願いと安全保証だけで知事の責任を免れるわけにはいかない。

 福島での避難住民は、居住の自由をはじめ財産権など、明らかに憲法上の基本的人権を無残にまで侵害されている。それが、「国民の電力需要を確保するため」という「公共の福祉」を優先させたのであれば、それは、当該地域社会の中で住民が決定する権利を持つ。

 玄海原発では、玄海町だけではなく、地続きの唐津市や湾を挟んだ隣の長崎県松浦市が、九電と「原子力安全協定」締結を申し入れている。また、九州最大の人口をかかえる福岡県も協定申し入れの検討をはじめた。

 もはや、佐賀県知事だけではどうにもならないところへきている。さきに拙ブログの『ソフト・エネルギー・パス』記事で、政策転換が容易でないことを書いたが、まさにその事態に直面することになる。国民に向けて明確なメッセージを訴求できる内閣、政治の信頼を取り戻せる政権がどうしても必要だ。

 最後に、個別原発の運転容認の理由として「地元エゴ」がある。玄海町はマスコミから「沈黙の町」と評されている。地元民の意見を求めても「わかりません」といって逃げられることが多いという。同町は、さきに唐津などとの広域合併の協議に参加していたが、途中で脱退したいきさつがある。

 これは、交付金などの分け前が薄くなることを恐れたものらしい。今回の容認もエゴではないと言い切れるか疑問だ。このエゴは、交付された豪華ハコ物などの維持費、当初大きかった固定資産税の減価償却に基づく減収、従業員の隣接市街地への移住など、他原発でも地元活性化には結びついていない。「依存経済」の玄海、ではなく限界である。

 このあたりの構図は、これまで続いた沖縄在日米軍基地の問題と全く同様で、自民も民主も、日本の潮流の変化をどこまで理解しているか、「はなはだ心もとない」といわざるを得ないのが現状なのだ。

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コメント

はじめてコメントします。 SPIRIT(スピリット)です。
自民や民主はともかくとして、小政党の方はどうでしょうか?
特に社共、それに亀井氏率いる国民新党はどう考えているのか、知りたいところです。

不束者ですが、これからよろしくお願いします。

投稿: SPIRIT(スピリット) | 2011年7月10日 (日) 01時15分

SPIRIT(スピリット) さま

ようこそ。こちらこそよろしく。

この記事を書いたのは8日まえですが、明日(11日)ようやく、原発再開の新安全基準を公表するそうです。すくなくとも浜岡原発停止の方向を打ち出すと同時に、再開の条件を示すべきだった。遅きに失しましたね。

お尋ねの件ですが、社民党は当塾ともっとも考えが近いのに当塾の評価は全く逆です。それは、選挙のたびに議員をへらし、国民の期待に応えるような実績を残さないし、その意欲も感じられないからです。

その点は、国民新党の方が、なんとか自説を実現しようとしている努力が見えるので、社民より人数がすくなくとも存在感はあります。

共産党は、公明党とともに地域に根をははっており地方議会では存在感があること、国会質問でも時々ヒットがあることは認めますが、社民同様、日本の将来を動かす勢力になるためには、解党的出直ししかないと思います。

つまり、既成政党はどこにも期待が持てそうにもない、支持政党なし組です。政界再編で支持できそうな新党ができればのりたいとは思うのですが。

保守系小政党は、どれも仮の姿だと思います。論評以前です。

投稿: ましま | 2011年7月10日 (日) 21時18分

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