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2011年7月

2011年7月30日 (土)

「脱原発」タブー化を正せ

 長崎の原爆記念日の平和宣言に「脱原発」という言葉を使うことを避け、別の言い回し方をするという。前例として、菅首相の記者会見を「脱原発」ではなく、周辺が「脱原発依存」だなどといいつくろったことがある。その後「卒原発」だとか「減原発」など、ノンセンス造語の濫発だ。

 この奇態な現象は何に起因するのか、なかなか理解ができなかった。それが、新聞記者や解説者の語り口を聞いているうちに、脱原発→反原子力→反核運動→左翼という連想が働いているのではないか、ということに気がついた。

 そこで、はたと思い出したのが、当時官房長官だった仙石さんが国会答弁で使った「暴力装置」という言葉である。マックスウェバーが国家論の中で使った「ゲバルト」というドイツ語を「暴力」と直訳した学術用語で、塾頭もいつの頃からかごく自然に使っていた。

 それを「自衛隊に失礼だ」とか「左翼が使う言葉だ」とか喧々諤々の非難を浴び、あっさり陳謝し、辞任にまで持って行かれた。これがいけない、なぜ堂々と反論し、説明をつくして相手の不勉強をなじらなかったのか。

 こうして、間違った解釈が正しくなり、正しい表現が誤用になってしまった。これと全く同じ現象がいま起きつつある。この言葉は、福島事故が起きるはるか前から、むしろ原発容認派といっていいような学者の間でも使われていた言葉である。

 塾頭も、その解釈で「脱原発の定義が必要」の記事など、繰り返し「脱原発」の意義を強調してきた。しかし、その言葉は「反原発」「反核」の意味に置き換えられ、それが正しいような風潮になりつつある。かつて「ことば」がこんないい加減な扱いをされた時代があっただろうか。

 その「ことば」について、吉岡斉九州大副学長の著書『原発と日本の未来』(11/2/8、岩波書店)からやや長い引用をしておく。菅首相や政府の目指していることは、全く「脱原発」に他ならない。日本国のために、日本語のために堂々と「脱原発」を使ってほしい。

 一九八〇年代まで、原子力発電に反対する人びとは「反原発」論者と呼ばれてきた。しかし八〇年代末から「脱原発」という新語が普及し始めた。それは八六年のチェルノブイリ3号機事故以来、ドイツで広く使われるようになったアウスシュティークAusstieg(バスや電車から降りる意)という言葉を日本語に置き換えたものである(高木仁三郎『市民科学者として生きる』、岩波新書、二〇〇〇年、一九七ページ)。脱原発という言葉゜には、すでに原子力発電が社会の中で一定の役割を果たしている事実を認識した上で、原発からの脱却を図るという意味が込められている。

 脱原発という発想に立てば原子力発電の即時全面廃止という主張はしにくくなる。まだ十分に使える原発を廃止させるためには電力会社への損失補てんが必要となるし、代用として原発以外の発電設備を数多く建設しなければならず、そのためには一定の時間的猶予が必要となるからである。したがって脱原発の立場からは、安全上の問題があったり、自然災害の被災の可能性が高い場所にある原発を例外として、既存の原発が老朽化するまでの運転継続を認める一方で、原発の新増設は禁止とし、十数年またはそれ以上の時間をかけて原発の全面廃止という終点へと段階的すすんでいくという柔軟な判断に傾きやすい。それが反原発の発想との違いである。

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2011年7月28日 (木)

「原発は安い」神話

 新聞の投書欄などに、さすが原発安全神話が載ることはなくなったが、「原発は安い」神話は依然として健在だ。経団連米倉会長に代表される「原発をやめると石油やガス火力に依存せざるをえなくなり電力料金が上がる。そのため製造業の海外移転が進み日本経済が破たんする。よって原発は残すべき」の類だ。

 原発が安いとする根拠は、すでに電力会社の内部資料によっても証明できなくなっているのに、いまだにそう信じている人が多いことは驚きだ。下の試算はすでに広く知れ渡っているものと思っていたが、ネットのニュースで検索すると、毎日新聞と共同通信が柱で他からは黙殺されているように見えた。そこで、初耳という人があるかもしれないので、当ブログにしっかり記録しておくことにした。

Dscf3476  ① 03年の計算で各電力の広報が使い各メディアも使用してきた。運転年数40年、設備利用率80%の発電所を想定、為替レートや燃料価格など当時のまま、修正を加えていない。なお、以上のほか経産省は、風力(小中) 24円、風力(大)  14円、 太陽光 49円という試算も出している。
 ② 有価証券報告書総覧に基づく実績
 ③ 運転期間は40年の過小評価、実際はもっと長い期間運転中 
  ④ 地元自治体交付金を按分加算

 この試算は、すでに10年9月に政府原子力委員会で紹介されており、毎日新聞などで明らかになっているので、数字に欠陥や誤りがあれば指摘されなくてはならないが、そういった話もない。 廃棄物処理のうち、MOX再処理費用が抜けていたり、六ヶ所村工場の稼働率を100%とするなどの過小評価もそのまま採用するなど、むしろ控えめな計算になっている。

 表で見るように、原子力とその他エネルギーとのコスト差は実績値でごくわずかであり、地元交付金などを加えると逆転し、原子力が最も高くなっている。震災前の試算なので、福島事故の補償金や、安全基準の底上げなどによるコストアップ、設備利用率の低下などは当然入っていない。

 今後の原子力でのコストアップ要因は目白押しだが、オイルシェールの開発技術に伴うガス資源の増大、打ち続く円高など、原子力がますます対抗できなくなる可能性が高いのだ。これまでの電源利用の実績をふまえつつ、節約→原子力段階的削減→火力・水力による補充→再生可能なエネルギー→原発全廃というのが「脱原発」の意図するところである。

 その、長期的ロードマップがない、経産省などが作ろうとしないことが現在の最大の問題点である。強力な政治主導ができれば、この間のシュミレーションを行うことは、そんなに難しいことではないはずだ。   

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2011年7月27日 (水)

仏教ブーム

▽人生観を変える 週末ブディストのススメ ブームの【仏教プチ修行】をやってみた!(週刊SPA! 7月19日号)

▽今静かにブッダがブーム!! 数千年に一人の大天才!!(週刊朝日 7月29日号)

▽仏教と哲学のWブーム 若者を中心になぜ流行?(日経トレンディ 8月号)

 瞑想、座禅、写仏、社寺めぐりや社寺コンという男女出会いの場もあり、ネットを介したさまざまなイベントが盛んだそうだ。荻原魚雷が毎日新聞7/27夕刊のコラムで紹介している。

 いずれも東日本大震災以後の不安な社会と結びつけた解説がされているそうだ。大いに結構、ノルウェーのキリスト教原理主義のあんちゃんはもとより、昭和初期の不安に乗じた日蓮系の右翼、井上日召・北一輝や麻原彰晃などになびくより、よほどいいではないか。

 社会現象としては、幕末のおかげ参りや「いいじゃないか」に近そうな気がする。塾頭は無党派・無宗教と言いたいところだが家には浄土真宗大谷派の仏壇が置いてある。そのせいではないが、親鸞に最も親しみを感じている。

 「善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人おや」。有名な悪人正機説である。「悪人」のかわりに「軽いのり」に置き換えてみてもよさそうな気がする。

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2011年7月26日 (火)

反戦塾乗11/07/26

魂売り飛ばし本舗

YOMIURIONLINE111/7/25

 民主党の鳩山前首相は25日、鳩山グループの緊急会合であいさつし、岡田幹事長が2009年衆院選政権公約(マニフェスト)は財源の見通しが甘かったなどとして謝罪したことについて、「野党との様々な法案の成立に向けての妥協という中で(マニフェストの見直しが)出てきたことは理解するが、だからといって魂を売り飛ばしてはならない」と述べ、岡田氏の対応を強く批判した。

 去年、「学べば学ぶにつけ」といって魂を売り飛ばしたのはだれだったっけ。

ゴジラを怒らせたのは

  毎日JP、火論:ゴジラの夏=玉木研二、『東宝特撮映画全史』孫引き

 ストーリーはさまざまだが、基本的パターンの一つには、人間のおごりが生んだ制御不能の「原子怪獣」ゴジラが、戦後の経済成長に華やぐ豊かさを踏みしだき、焼き尽くすことがある。悲壮な復讐(ふくしゅう)劇のようだ。時代が進み、原発とのかかわりもテーマになる。

 そうだ!、人間のおごりが福島事故になった。おごりの張本人は誰だ。○大出の秀才→○大×学部教授→政府△委員会委員。○大出の秀才→通産省入省→同省高官→天下り先安泰。○大出の秀才→T電力入社→エリートコース→社長。ゴジラよ!、今度来るとき福島だけはさけてくれ。

理想の国ニッポンですか

YOMIURIONLINE111/7/25 

 【オスロ=末続哲也】アンネシュ・ブレイビック(ノルウェー・テロ)容疑者は、22日の犯行直前にインターネットに投稿した「マニフェスト」の中で、「文化面での保守主義を持つ」理想の国として、日本や韓国を挙げていた。

 イスラム系移民が少ないため、だという。また、「いま、最も会ってみたい人々」としてローマ法王とロシアのプーチン首相を挙げた。「次に会ってみたい人々」としては日本の麻生太郎・元首相など4人を挙げた。

 そうです。日本にはキリスト教原理主義者もいません。エエッ、もしかして麻生太郎さん?、それは誤解でしょう。

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2011年7月24日 (日)

ゴーヤ育成法

Dscf3475_2   今年はいろいろなことがあって育てるのが遅れた。3.11の影響で日よけ用に大ブーム。一時苗が店頭から消えたことがあった。あわてて種を購入、直ちにまいた。ところがいつまでたっても芽がでない。

 水をかけすぎて種が腐ったか?。市が希望者に苗を配布するという噂があったが、情報がとどかない。移植時期を過ぎようとした頃、ようやく苗を手に入れた。我が家は、連作障害をさけるため、1株重点主義。それで十分なのだが、念のため2株買った。

 そうしたらなんと、数日してまいた種の芽がでてきたのだ。こういう時はなかなか捨てる気にはなれない。結局4株を2か所で使うはめになった。ところが、今度は去年使った緑色のネットが見当たらない。なにかにまぎれて捨ててしまったか。

Dscf3474_2  そこで、農事用の細紐があったので、手作りした導線に這わせることにした。いま、ようやくここまで育ってきた。すると、ある楽しみに気がついた。つるを伸ばしたい方向や育っていく過程を考えながら作った誘導紐を、主人の思惑通りにたどっていく姿を観察できるのだ。 もちろん、中には主人の気持ちをよそに、あさっての方に延びようとする脇芽もある。そんな脇芽はどんどん摘んだ方がいい。目標の高さに達したら今度はまん中の芯を摘む。その方が大きく太い実をならせるようになる。ここまで書いて、気がついた。いるいる、内閣にそんな脇芽閣僚が。

 トルコの原発輸入計画に、日本の高い技術を説明するため、経産省の役人を派遣するという海江田大臣だ。脱原発を言っているかたわら、日本製の原発を買ってください?、なんと恥さらしな腐った根性なのだろう。

 東芝からいくらもらったかとか、天下り予定があるからだなどとは言わない。日本国民や被災者にこれ以上恥ずかしい思いをさせないでほしい。そんな脇芽も摘めないようなら、別の内閣に早くかわってほしい。このテーマのカテゴリは「エッセイ」のはずが、「経済・政治・国際」を追加しなければならなくなってしまった。

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2011年7月23日 (土)

万が一

 また昔の話で恐縮。 m(_ _)m
 間違えてはならない事務作業にたずさわっていた。Aの仕事をBとCが読み合わせでチェック、Dは算盤で数字に誤りがないか他の資料と複数回照合、それを係長クラスが目視で再確認。

 こうして万全を期したつもりでも、軽易なものは1万件に1件、重大なものは10万件以上に1件のミスが発生することは、不可避とされていた。もちろん間違えたからといって人命にかかわるようなことではない。

 保険業務で膨大な事務ミスを犯した社会保険庁の仕事ぶりは、前掲の作業よりずさんであったように見える。お役所仕事とはこういうものか、とあきれてしまったものだ。そこで今日の新聞から。

経済産業省原子力安全・保安院は22日、九州電力が09年に提出した耐震性の安全性再評価(耐震バックチェック)の最終報告に2件3カ所のミスがあったと発表した。玄海原発3号機(佐賀県玄海町)の耐震性評価の前提となるデータが誤入力されていた。保安院は同原発だけでなく、電力会社など原子炉や原子力施設を保有する全国12事業者に再点検を指示。原発の再稼働を判断する「安全評価(ストレステスト)」の実施が全国的にずれ込むことが確実となった。

 九電や保安院によると、入力ミスは玄海3号機(定期検査中)の地震解析データで見つかった。原子炉建屋上部にある「復水タンク」の屋根の重さを、本来は2600トンなのに「260トン」としたほか、原子炉建屋に隣接する補助建屋の基礎と地盤との関係を示す定数を、2カ所で2倍の数値に誤入力していた。これらは九電の子会社がゼネコンの大林組(東京都港区)に委託して入力・解析した。
(以下略)毎日新聞・東京7/23

 屋根の重さの桁を10分の1にしてしまったとは、なんと恐ろしいことか。仕事に緊張感がなく、発見されてもどこのだれが責任を取るという体制でもないようだ。安全神話もこんな程度だったのだ。電力会社、保安院、原子力安全委員会。細野剛志さん頼んまっせ!!。

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2011年7月21日 (木)

魁皇引退

 スポーツ・芸能ネタはめったに取り上げない当塾である。前々回のなでしこジャパンなど、何か月ぶりのことだろうか?。しかし、大関魁皇は特別なのである。本ブログ内を検索してみたら、過去5回も記事にしていた。ぜならば、唯一塾頭がひいきにしているスポーツマンだからだ。

 復活名古屋場所で3連敗のあと、ようやく千代の富士の持つ1045勝とタイ記録に達した。それからあと2番、1047勝まで記録を更新したが、琴欧洲の突きにあっさりと土俵を割り、遂に引退の覚悟を決めた。

 その後の姿をテレビの映像で見たが、いつものような遠くをみるようなすがすがしい目で、何事もなかったような顔をして闊歩していた。実に魁皇らしいやめ方だった。

 ファンとしては、39歳の誕生日である千秋楽まで頑張ってもらいたかったが、それより自らのペースを優先させた。他のスポーツ選手のように「よく頑張った」「全力を振り絞って耐えた」「精神力のたまもの」といった賛辞が、彼には全くふさわしくない。淡々として日課をこなしたかのようなのだ。

 勝つときは当然の流れであっても相手に申し訳なさそうな顔をしていたし、負けた時は自分のふがいなさにため息をついているように見えた。まさに「気はやさしくて力持ち」を絵にかいたような力士だった。

 小学生の時、裸になってまわしを締め、学友と対戦させられることを泣いていやがったという。実は塾頭も泣きはしなかったが、それがいやで当日は学校を休みたいと思った経験がある。彼は体が大きかったので一度も負けなかったそうだが、塾頭は1、2度勝った覚えがあるだけでいつも負けていた。

 そのまわしだが、6尺の白いさらし木綿で水泳にも使っていた。戦後、会社の同僚たちと葉山の海水浴場でそれを着用したら、都会近辺の海では異様に見えたのか、すっかり嫌われてしまった。これは余談である。

 その魁皇が力士仲間から厚い信望を得ていたことも有名である。モンゴル力士の朝青龍と旭鷲山は仲が悪くいつも衝突していた。ある日風呂場で掴み合いの大喧嘩になろうとした。それを魁皇が止めに入り、両者を仲直りさせたという。

 あのやんちゃな横綱、朝青龍が魁皇だけには頭が上がらず深く尊敬していた所以である。魁皇と同じ福岡県出身の琴奨菊は、子供のころから魁皇があこがれの的であり、いつも手本となるべき存在であった。

 その琴奨菊、今場所は全勝横綱・白鵬を破って快進撃中である。魁皇が欠けて、横綱・大関が全員外国人となる中、大関昇進がかなって魁皇の後釜の地位を占めるかどうか、今場所の残る関心事はそこに集まる。

 とにかく、現場を支える日本人はみんな偉い!!。

 

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2011年7月20日 (水)

原発を残したい人々へ

 与論は圧倒的に脱原発に向かっているように見えまずが、原発を残したい人々がすくなからずあることも事実です。菅がどうの自民がどうのという、政治的思惑をからめて発言する人は別として、そういった意見は大きく分けて2とおりあると思います。

 その一つは、当塾でもたびたび取り上げている毎年1兆円近い原子力予算に巣食う、産・官・学など原子力村住民と交付金や税をあてにする地元自治体です。さらに、産業空洞化をはやしたてて脱原発反対を叫び続ける財界がありますが、一方にソフトバンクの孫正義社長、城南信用金庫(東京)の吉原毅理事長らのようにま反対の意見があり、完全に割れています。

 もう一つは、そういった特定の階層の人でなく、勤め人とか中小企業主などで高度成長期に育った中高年の人に多いような気がします。これは原発ストップ→電気料金値上げ→生産拠点の海外移転→空洞化→成長ストップ→不況深刻化といつた、まるで「風が吹けばおけ屋が儲かる」といったたぐいの経団連会長のアジテーションに乗ったものと思えます。

 電気料金は、新エネルギーを採用しなくても福島事故による補償金や追加安全対策、放射能廃棄物対策のため、確実に上がります。そして、原料ウランも石油同様の有限な資源でいずれは枯渇することも考えておいてください。

 この点、太陽光や風力など自然エネルギーは、使っても減るということがありません。こういった発電は原発と違って、小規模なものを多数作ることができます。自給自足の考えにもつながります。また、発電コストが高いと言っても、技術開発や機材生産は、誰でも参画できるため競争原理が働き、確実に安くなるでしょう。つまり、原発とちがってコストは安くなる方向に向かいます。

 さらに、原発に向けていた膨大な政策資金を新エネルギーに注ぎ、発電事業にどこでもだれでも参入できるようにすれば、普及にはずみがつき原発廃止がしやすくなります。それは、さらに新らしい起業や雇用創設にもつながります。

 そういったことを、節約の普及を含め20年30年かけてやろうというのが「脱原発」であるということをこれまで何度も書き続けてきました。それでも、生まれてこの方、原発安全神話、高度成長神話になれ親しんだ一般の人が、なかなか「脱原発」になじめず、非現実的だと思う気持ちもわかります。

 高速道路に乗るとゴー・ストップもなく快適さを味わえます。そしてスピード慣れすると、前にもたもたした車あると隙をみて追い越し車線で前に出るたがる。しかし、スピードが上がれば上がるほど事故を起こせば損害が拡大する。それでも「平場で目的地へ」、といわれればあまりいい顔をしないでしょう。

 信号や歩行者に気をつかい時間もかかる。しかし、街角を観察し風景を見ながら、安全第一でドライブを楽しむという手もあるわけです。そうして両方を全体の得失で考えてみると、そんなに大きな差がない、ということはよくあることです。

 あまりいいたとえではないかも知れませんが、双方の欠点には改善・改良の余地が残るでしょう。ただし原発の場合は、運転を続ける限り放射能物質が永久に増え続けるという、人類が解決できない問題があります。その一事が乗り越えられない限り、答えは答えと言えるでしょうか。

 最近は、脱原発に勢いがあるので、それに同調するような発言をし、最後に「安全性が確立すれば」「技術が進歩すれば」新規増設もあり得る、という付け足しでごまかす「かくれ推進派」的発言も多くなりました。米倉経団連会長でさえそうなりました。政治家では、馬淵澄夫民主党議員などもそういった言い回しです。

  将来も「原発を残しておきたい」という考えは決して「脱原発」ではありません。足して2で割る方法や中間的解決方法などあり得ない概念ですが、政治の世界では「卒原発」だとか「脱原発依存」などと言いかえるなど、わけのわからない思切りの悪さだけが目につきます。その点、自民党河野太郎議員や、みんなの党など、保守でも野党の方がまだ明解です。時間がかかっても、そのあたりをはっきり見極めることが大事だと思います。

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2011年7月18日 (月)

女子サッカーW杯優勝と涙

 自慢じゃないが塾頭はスポーツ観戦で応援するチームや人が勝とうが負けようが、涙したことなど、生まれてこの方一度もない。そもそも夜中の3時から始まる中継、それも下馬評では一度も勝ったことのない、身長・体力差では大人と子供ぐらいの差がある相手に蹴散らされそうなみじめな放送を、睡眠を犠牲にまでして見る気はなかった。

 それが、暑さのせいか例により早起きしてしまい、最初の追いつきゴール以後を見る破目になった。そして最後はPK戦にもつれ込み、勝利を決める一蹴が成功した時に、なんと、不覚にも涙がひとすじならぬひと粒。

 まさに、不覚。あれっ、なんだこれは。じわっとでもなく、こみ上げるでもなく、あふれるでもない。たったひと粒、それで終わり。あるいは加齢現象か?。

 「ああ、政治と違ってまだ世界に自慢できるものがあったんだ……」という感歎にしておこう。何たる塾頭の愛国心?!。

 

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2011年7月16日 (土)

「脱原発」、菅では無理

 菅降ろしのあまりにもの異様さに、前回、「あまのじゃくだから最近ではかえって支持したくなった」 と書いたばかりである。今回、これを全面撤回する。

 首相は13日夕刻、記者会見を設定し「脱原発」を宣言した。マスコミから「脱原発依存」と揶揄されるような奥歯にものの挟まったような言い方で、具体的なプログラムも示せない不十分なものであった。しかし、これまでの言動から当然予期されたもので、「唐突」ではない。改めて政策として記者会見を開き明瞭にした、という受け止め方をしたのは当然だったのである。

 それをまる2日もたたない15日の衆議院本会議で、政府の方針ではなく「私見」であると、弁明にこれつとめた。首相記者会見というのは、私見を聞く場ではない。これは、鳩山元首相の「学べば学ぶにつけ」発言に匹敵する、国民を愚弄した食言といわざるを得ない。

 すでに首相交代を予言したのだから、政策は次の政権で立ててほしい、というなら、現存原発の再稼働基準や、福島事故の反省に基づく法整備など、火急な任務が山積している。それならば、「脱原発」をやるなら菅首相に一刻も早く退陣してもらうしかないということになる。まさに自縄自縛そのもの。

 それにしても、不思議なのが民主党という党である。去年から2度代表に推挙し、2度議会で信任した首相を、執行部までこぞって引きずりおろそうとし、そういった議員の会ができても、脱原発の推進を主張する議員の会が、野党主導にできて民主党にはできない。

 自民党の支持率がこのところじわりじわりと上がってきているが、国民が、「これでは民主党よりまだましだ」と思い始めたのではないか。連合が妨害しているというが、そんなのは風評被害の一種だ。一部組合幹部の恫喝に屈するようでは、直ちに議員を辞めてもらうしかない。

 当塾では、エイモリー・ロビンズの著書『ソフト・エネルギー・パス』(カテゴリ・INDEX参照)をシリーズで紹介した。ロビンズは、エネルギー政策の転換をする上で、多大な困難に遭遇することがあり得ると説いている。

 それは、転換の企画の技術面や成功の確率の困難さではなく、国家戦略、経済構造、政治組織、ことによれば精神文化にまで立ち入った発想の転換が必要であるということである。したがって、既成の体制の中で利益を甘受していた階層、ことに官僚の抵抗をどう排除するかが大きな問題となってくる。

 これを乗り越えるためには、政府の強力な指導力が必要で、現民主党の政権ではとてもおぼつかない。唯一、脱原発を下支えするのは、イタリアの国民投票、ドイツの選挙による緑の党の躍進などのように、国民の熱がこもった支持に尽きる。

 軍国戦時体制を転換するためには、異例の御前会議に頼るという手があった。それがない現在、とって代われるのは、政界再編、解散総選挙しかない。それぐらいの大問題であるということを、あらためて強調しておきたい。

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2011年7月14日 (木)

「脱原発」と右翼

  本塾は1か月ほどまえに「菅降ろしの異様さ」という記事を掲げた。巷間喧伝されるような「菅降ろし」の理由が、どれをとってもピンとこないし腑に落ちないところがある。いまだにその謎は解けていない。

 「顔も見たくもない」というのは、「理由ではない」と言っているのと同じで、一国の総理に投げかける言葉としては、感情論まるだしの低次元な話だ。それを「顔を見たくないのなら早く法案を通して」と私的な会合でギャグを返したらら、それをまた「菅降ろし」の材料にする始末である。

 塾頭は、今年初めころ、菅首相の党内融和、団結に反する行動を厳しく非難したが、あまのじゃくだから最近では、かえって菅支持にまわりたくなった。前掲の記事の中で、

 野党が倒閣の決め手とした「外国人献金疑惑追及」が震災で不発に終わったことに対する腹いせであるとすると、ここでもレイシズム利用のにおいがしてくる。

 と、欧州の例なども参考にして書いた。同じことを最近の国会でむしかえているが、すでに退陣をほのめかしている首相にとっては、痛打とならない。当塾は、「反戦」の立場からことさら中国・朝鮮との対立をあおり、憲法の基本的人権を軽視するような右翼の動向を、許しがたいものと位置付けている。

 そこへ、党内の菅降ろしグループ11人が名乗りをあげた(文末引用参照)。メンバーを見ると前掲記事に書いた「右翼陣営が脱原発に危機感を持っている」という仮説が、なんだか真実味を帯びてきたように見える。

 手元のメモを下に記しておく。カッコ書きのある議員は、当然9条改正、集団的自衛権容認でも共通する。若手・中堅とは名乗りにすぎず、もうこれだけで十分だろう。

吉良州司 (外国人参政権反対)    
長島昭久(靖国神社参拝議連、外国人参政権反対)
石関貴史(靖国神社参拝議連、外国人参政権反対)
北神圭朗(外国人参政権反対)
鷲尾英一郎(靖国神社参拝議連、外国人参政権反対)
網屋信介
勝又恒一郎
杉本和巳
長尾敬(外国人参政権反対、夫婦別姓法案反対)    
山本剛正
金子洋一(外国人参政権反対、夫婦別姓法案反対)

 民主党の吉良州司、長島昭久両衆院議員らは13日、首相官邸に仙谷由人官房副長官を訪ね、菅首相が進めるエネルギー政策では電力危機を招く恐れがあるなどとして、首相の即時退陣を求める意見書を提出した。

 意見書は、退陣を求める理由として、九州電力玄海原子力発電所の再稼働を巡る混乱などを挙げ、「菅内閣の機能は完全に崩壊した。菅首相のもとでの被災地復旧・復興、原発事故の早期収束、国全体の復興は実現不可能だ」と首相の対応を批判した。意見書には、同党の若手衆参両院議員11人が名を連ねた。(以下略)
【2011年7月13日(水)20時7分オンライン配信 読売新聞】 

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2011年7月13日 (水)

隣家の敷地で遺跡発掘

Dscf3467  お目当ては8世紀中ごろ(天平時代)の遺構。貞観津波のあった頃よりさら100年ほど前である。成果は、複数の瓦片と一条の溝渠あと。半日の作業で終わり、翌日5か所の発掘ポイントをすべて埋戻し。

 千二百数十年前の奈良時代が急に身近になる。地主さんは建築前の調査協力義務を果たし、ホッとした面持ちだった。この広くない国土、廃棄物でよごさず子孫のために大切に残さなければ。

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2011年7月12日 (火)

横須賀で日米共同ストレス・テストを

 いきなり、「時事ドットコム07/11」の記事を引用させていただく。この内容は、NHKや各紙で報道されているが、なぜか読売と産経の電子版を検索したところ両紙には見当たらなかった。

政府の地震調査委員会は11日、東日本大震災の大地震の影響が続いており、神奈川県の三浦半島断層群でも地震の発生確率が高まった可能性があると発表した。同断層群が活動した場合、地震の規模は最大マグニチュード(M)6.7以上、横須賀市や横浜市などで最大震度7と予想され、従来は今後30年以内の発生確率が最大11%と評価されていた。この数字が具体的にどの程度高くなったかは不明だが、断層が動きやすくなったと考えられるという。(以下略)

 先月26日に、横須賀の米軍基地を母港とする原潜のことで、「恐怖!東京湾に原子炉2基」を書いたばかりである。その詳細は、

http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-1f0d-1.html

でご確認いただきたいが、内容は、東京都心を含む60Km以内の過酷事故の被害予想レポで、かりに福島程度の事故であったとしても、一斉避難のことを考えると国家破綻は免れないことがわかる。

 戦闘にも耐えられる潜水艦だからOK、でいいのだろうか。アメリカ人でさえ心配する人がいる。他人ごとではない、よそ事ではない。早速日米合同で「ストレス・テスト」をやっていただきたい。

 玄海原発とは違って、福島A級戦犯の原子力安全委員会や保安院など原子力村の住人だけではなく、アメリカが入るのだからすこしは信用できるだろう。石原都知事や黒岩神奈川県知事、森田千葉県知事も、まさか反対はすまい。

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2011年7月10日 (日)

脱原発の定義が必要

 「脱原発」がこれほど口にされたことはかつてない。ところが使う人によって解釈はまちまち、たとえば、停止中の原発再開について菅首相は「脱原発」だが海江田経産大臣は「推進派」などと、政治を語るプロでさえ間違った使い方をする。

 右か左か、白でなければ黒、天使でなければ悪魔。そういった単純さが時代の風潮とは困ったものだ。どうしても分けたければ次の4つになる。

1.推進派=成長路線、地球温暖化防止、核燃料サイクル開発でエネルギー資源確保などから、安全確保の上原発推進、輸出開始。(いままでの原子力体制維持強化)

2.技術信奉派=これまでの原子力体制には反省が必要だが、それらの改善や技術の進歩で復活させる余地を残しておきたい。(ヒューマン・エラー軽視)

3.脱原発派=エネルギー節約、電源の効率的分散、原発から再生可能エネルギーへの置き換えなどの組合せで数十年先には原発ゼロにする。(下図参照、菅首相は手順を明示せず)

4.反原発派=反対運動などで早期に原発を全廃に追い込む。(エネルギー政策欠如)

 現在の論調は2.と3.が多い。2.の論者は、日本経済の悪化、緊急停電のダメージを説くものが多いが、3.の将来原発全廃を目標とするかどうかで2.と3.の中間というのはあり得ない。菅首相の欠点は、2.と3.両方の主張を取り込もうとしたことにある。

Dscf3472_2  図は、それぞれの政策を枠で囲んであるが、その枠が重なり合いながら進んでいくという部分の説明が全く不十分と言っていい。それができないのは、やはり電力会社を含む既存権益の温存をねらう官僚等の抵抗であり、菅おろしの中核をなすことが、次第に明らかになって来つつある。

 菅氏の失政は、これと妥協を図るため仲間を切り捨てたり、自らの政治目標を宙ぶらりんにしたまま、ことを進めようとしたからではないか。かねて観察してきた「秋口解散」が、菅首相後継者の後継者の手によるものであったにしろ、現実味をおびてきたような気がする。

 菅おろしに「唐突」という言葉がよく使われるが、震災が発生したことがそもそも唐突なのだ。非日常の中で、前例踏襲や根回し優先の官僚主義では対処できない。その意味からの「唐突」は、大いに歓迎する。

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2011年7月 8日 (金)

敗戦前後の会社員

石崎重郎『石油日記』日本経済新聞社、より

  六月二十一日(木)
 戦局に伴い物情はすでに騒然を通り越して深刻、都民皆疎開逃避に右往左往して荷物を安全地帯に運ぶために、又は疎開先をさがすために出勤の率も半減、丸の内[界隈の会社]も大型爆弾に恐れをなして疎開相つぐ状態なり。

  七月四日(水)
 社長出社せず、常務は怪しき行動のみにして今日も又「ふみよ」の女将をつれて長野に行きしとか、橋本氏も帰らず。辞令をつきかえす工場長、社員がいると思えば、一方にはひとりぎめの任地に赴任して、辞令に対して動こうともせぬ社員もある。何たる会社であるか。全く胸も一杯なるような切なさだ。
 雨しきりに降る、わが心の底まで沁みるかの如く。

  七月二十七日(金)
 くだらぬ、実にくだらぬ、電話一本でこと足りる会社の現況の問い合わせに、午前中出頭せよなど軍需監理局へわざわざ二時間の無駄足だ。実に軽蔑に値する官吏の威張り様である。燃本へも行く用があるのだが行きたくもなし。

  八月十五日(水)
 昭和二十年八月一五日正午。
 大東亜建設の聖業はここに空しく挫折した、戦いは終了して、今日只今より敗戦苦難の生活始まる。
 会社の後始末をつけたら東京を離れよう、敵兵の銃剣下に少量の施米で生きて行く生活には堪えられぬ……。
 自分は固よりこの敗戦の責を子供のために負う。伯夷叔斉ではないが、かの西山に退いてその薇を食っても二人の子供だけは敗戦の辱しめから遠ざけて、天晴れ日本精神で鍛え上げた次の再建日本の国民に育て上げなくてはならぬ。[会社を]やめて米英ソ支の旗の見えぬところへ身をかくして魚樵の生活をしてもよい、子供の教育にわが半生をささげようではないか。

  八月十八日(土)
敗戦の現実を率直に受け入れて全土敵国の占領下に、これから一億総力を結集すべきだ。畏くも御詔勅には
「朕は常に爾等と共に在り」
と仰せられた、一君万民、天皇陛下とともにあるというこの日本国民の最後最大唯一のよりどころは何にしてもまして力強くわれら今後の苦闘を元気づけてくれるであろう。
 敵兵進駐をあと旬日にひかえて、わが心ようやく定まる。

(石崎氏は当時大協石油幹部社員、後に専務、顧問)

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2011年7月 7日 (木)

産経の早とちり?

Dscf3462   あわてて、お昼のTVニーュースを見たが何もなし。ネットを探して出てきたのは、下記のロイター。もうひとつ時事ドットコムをリンクしておこう。もうこうなったら、写真下欄の「詳細は夕刊フジで」を楽しみにするしかない。

 [北京 7日 ロイター] 中国は7日、江沢民・前国家主席が死去したとの報道を否定した。新華社が「権威ある筋」の話として伝えた。
 新華社は「江沢民・前国家主席が病気のため死去したとする、一部海外メディアによる最近の報道は、『純粋なうわさ』だ」と報じている。

 香港のテレビ局ATVは6日夜、江沢民・前国家主席が死去した、と伝えた。ATVは、前国家主席の生涯に関する特別番組を放映するとしていたが、死去について当局から確認が取れなかったため、中止した。

 中国のインターネットでも、前国家主席死去のうわさが流れている。

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2011年7月 5日 (火)

反戦塾乗11/7/5

米倉訪仏、有難迷惑?
 3月16日、おそらく福島第一原発がメルトダウンを起こしかけた頃、「千年に一度の津波に耐えたのは素晴らしいことだ。原子力行政はもっと胸を張るべき」と記者団の前で言い放った経団連の米倉会長。日本に居づらくなったのか、フランスへ行って彼の地の財界人に推進論をぶちまくっている。

 聞かされる方は、本当は商売敵の日本が脱原発し、原子炉輸出から手をひいてもらった方がいいはずなのに、そこまで気が回らないとは、お恥ずかしい話。

 前回記事にした「産業の空洞化」を盛んに喧伝していたのも彼だ。それに乗ってマスメディアで深刻そうにそれを受け売りしていた経済評論家や、したり顔でまくし立てていたコメンテーターも、最近はなぜか元気がない。帰ってからも、多分そんなことを気にする米倉さんではないだろう。

なぜかコケない菅首相
 塾頭から見ると、やんちゃ坊主か元気のいいガキ大将に見える松本復興相。発言がもとで早朝首相官邸に出向き辞表を出した。民放ニュース番組がこのネタを放っておくわけがない。くりかえし地元市民の反応などをおりまぜ、「菅首相の任命責任」に火をつけようとした。

 しかし、各局競争の中で、宮城県知事が部屋に入る前の松本大臣とおつきの人との会話からその後の一部始終を漏らさず放映する局がでてきた。その結果並みいるスタッフも、言葉遣いは悪いが、中身は被災地対策へのまっとうなアドバイスじゃないか、ということになった。

 明日から国会がはじまる。菅追及の決め手出現とばかり勇み立っていた自・公、松本氏の急な辞任もあってややズッコケた感じだ。後任に決めたのは、自由党から小沢一郎と行動を共にしてきた平野達男(参院・岩手)。手腕をどう発揮できるかにもよるが、このところ菅追放に腐心していた与党執行部を含め、コケるのは、アンチ菅の方、コケそうでコケないのが菅という図式が定着してきたようだ。

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2011年7月 4日 (月)

空洞化の脅威は福島の方だ

 「大きいことはいいことだ」というのは、何十年か前のチョコレートのコマーシャルに使ったキャッチフレーズである。それは、公害問題の深刻化やオイルショックへの反省もあって、いつしか消えてしまった。

 しかし発想そのものは、グローバル化や新自由主義のもとで形を変えて復活している。一段落したようだが市町村合併などもその一環である。大きいことが、時として犯罪的結果を招く面についての反省が中途半端であったのである。

 大量消費が美徳、大量生産も美徳、節約や生産の細分化は悪という考え方は、依然として健在で経済界の主流をなしているばかりか、それが人々の生活を律しており、教育であり文化であり政治であり、社会構造そのものという観念が染みついている。

 それを東日本大震災は津波のように一切押し流し、非日常の世界を現出した。その最も象徴的な事柄が「脱原発」である。この発想は、エネルギーとして何がいいか、といった矮小化した問題ではなく、まさに社会構造そのものを「人の幸せ」という面で考え直そうという、革命的な変革を目指したものだ。

 革命的ということで、既得権益にしがみつく人や、保守、特に右翼の人たちの御気に召さない点があるのだろう。しかし、この機運は、ヨーロッパですでに動かしがたい潮流となっており、遅からず米・仏にも影響を与えるだろう。

 そういった中、脱原発に反対する人の間で「電気料が割高になり、産業の空洞化が起きる」という言説がもっともらしく流布されている。これは「就職難が一層激化し、失業者が増える」という脅しである。

 専門家でない私がどうも首をひねるのは、原発であろうがなかろうが値上げに当面することは避けられない。ただし現在進んでいる15%節電、中には30%も節電している企業もあるが、値上げ額の多くは節電で吸収されるのではないか、という点である。

  すでに書いたことであるが、空洞化はすでに大きく進行しており、それが人件費の問題であることは多言を要さない。仮に電気料金が上がらないとしよう。そうしたら海外移転をやめて人件費の高い日本で仕事を続けるのだろうか。

 空洞化の責任を脱原発に押し付けようとする意図は明白である。事故があっても、日本の電力の質、停電のすくなさや電圧、周波数の安定など、世界最高レベルにある。経済界が移転しようとしているのはどこの国なのであろう。

 やはり、中国、東南アジアならやめておいた方がいい。向こうの都合で停電はたびたびあり得るし、需要の急増や資源の高騰で料金が上がる可能性は、日本と同様である。かりにそんなところへ移転しても、日本には、新エネルギー開発の新産業が興り、失業者を吸収することができるので心配ご無用である。

 それより、どうして福島の放射能汚染地域の土地を捨てざるを得ない「空洞化」の方に、真摯な目をむけないのだろうか。福島は国の一部で、空洞化は日本経済全体というなら、それこそ許すことのできない「棄民政策」といわざるを得ない。日本は、これから30年もかけて世界に冠たる新文化を手にしようとしているのである。

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2011年7月 3日 (日)

反戦塾寄席

☆近々大地震発生とかけて
 やってこない、と解く。その心は
 まだ「忘れた頃」でない

☆菅首相の早期解散ねらいとかけて
 岡田さん、と解く。
 その心は、幹事長(=菅自重)

☆この夏の計画停電とかけて
 台風の被害規模と解く。その心は
 過ぎてみないとわからない

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2011年7月 2日 (土)

原発と国策とエゴ

又渡一海千餘里、至松盧國、有四千餘戸、
濱山海居、草木茂盛、行不見前人

 以上、ご存知『魏志倭人伝』に描く、中国から松浦(松盧國)に到着した際の印象記である。「壱岐から千餘里を渡って着いた松浦は、四千戸余りが山と海に沿ったあたりにあり、草木が繁茂していて前を通る人も見えない」とある。

 その前の、壱岐・対馬が「地形が厳しく、耕地はあるが自給できず島民は交易などに頼っている」などと書いてある。松浦も半島で似たような条件があり、海女が海にもぐり、アワビを採取して権力者に献上する「依存経済」に頼っていたようだ。

 海江田経産大臣が停止中の原子炉運転再開を頼みに行った「玄海原発」はこんなところこにある。とはいっても、ここは太古から大陸との玄関口である。神功皇后の出兵伝説があり、豊臣秀吉が朝鮮出兵の基地にした名護屋城は、原発の目と鼻のさきにある。

 原発の立地としてふさわしいと考えたのは、人里離れた貧しい過疎地で受け入れられやすいと見たからであろう。しかし、なにも風光明媚で大陸からの玄関口あたるところに、こんな物騒なものを置いておくことはない。

 隣接して、唐津、伊万里、有田など大陸由来の焼き物名産地があり、長崎・佐賀・福岡などかつて日本の窓口になった九州の大都市が5、60Km圏内に入る。仮に福島のような事故があれば汚染海水は対馬海流に乗って日本海沿岸の漁業を壊滅させ、韓国、ロシアへの影響はフクシマの比ではない。

 それでも、塾頭は結果として定期点検を終えた2号機、3号機は運転再開すべきだと思う。ただし、それには次の条件が必要だ。
1.同原発全体の安全がギャランティーされなくてはならない。
2..佐賀県議会および隣接各県の同意が必要。

 さらに1.を詳述すると、「原発全体」と言ったのは、現在運転中の最も古い1号機が「中性子照射脆化」という金属疲労現象によって、原子炉の圧力容器が壊れ、爆発する危険が高いという井野博満・東大名誉教授(金属材料学)の指摘(週刊現代・7月2日号)がある。
(参考)「きまぐれな日々」
http://caprice.blog63.fc2.com/

 仮にそうであるとすれば、福島で「貞観津波学説」を無視した前例がある。直ちに停止して精査の上結論を出すべきだ。次に安全をギャランティーしたのが海江田大臣の言う「政府」であって、IAEAからも指摘を受けたチェック機能に疑問のある組織、原子力保安院によるお墨付きに基づく。

 電源全面喪失を考慮しなくてもいいと言い、福島の取り返しの利かない事故を招いたあの原子力安全委員会ですら、この原発再開に関与していない。新たな組織、安全基準などに準拠したものではなく、福島事故の教訓は枝葉末節のこと以外何一つ生かされていない。

 菅首相のいう「白紙にもどして」考え直し実施に移すためには、新たな法的措置が必要ということもあろう。そういったことは、事故調査委員会の結論を見てからというのでは遅すぎる。脱エネルギーを着実に進めようというなら、並行して真っ先に対処しなければならない案件だったのだ。

 それが無理ならば、運転再開の決定が遅れても甘んじて受忍しなければならない。今までも「安全神話」という政府の保証で国民は原発の建設・運転を認めてきたのだ。これまでとなにも変わらない手法で、納得してくれといい、それを了解したという関係に、なにか不純なものを感じさせるのはやむを得ない。 

 2..の問題であるが、古川康佐賀県知事は海江田大臣の要請を受けて受諾の方向を示している。すでに立地する玄海町が再開賛成で、知事の「県議会の議論を聞いて判断」といっているが、自民党多数の県議会で、楽観的に考えているようだ。

 さらに、「菅首相と会談して」と言っているが、これは正論である。再開容認の理由として「国策に協力する」というのは、知事としての義務でもある。ところが、何が国策なのかさっばりわからないのが現状である。

 首相が「脱原発」をはっきり言明し、その過程としての運転再開を手順をふんでお願いする、というのなら、それが国策となる。海江田大臣のお願いと安全保証だけで知事の責任を免れるわけにはいかない。

 福島での避難住民は、居住の自由をはじめ財産権など、明らかに憲法上の基本的人権を無残にまで侵害されている。それが、「国民の電力需要を確保するため」という「公共の福祉」を優先させたのであれば、それは、当該地域社会の中で住民が決定する権利を持つ。

 玄海原発では、玄海町だけではなく、地続きの唐津市や湾を挟んだ隣の長崎県松浦市が、九電と「原子力安全協定」締結を申し入れている。また、九州最大の人口をかかえる福岡県も協定申し入れの検討をはじめた。

 もはや、佐賀県知事だけではどうにもならないところへきている。さきに拙ブログの『ソフト・エネルギー・パス』記事で、政策転換が容易でないことを書いたが、まさにその事態に直面することになる。国民に向けて明確なメッセージを訴求できる内閣、政治の信頼を取り戻せる政権がどうしても必要だ。

 最後に、個別原発の運転容認の理由として「地元エゴ」がある。玄海町はマスコミから「沈黙の町」と評されている。地元民の意見を求めても「わかりません」といって逃げられることが多いという。同町は、さきに唐津などとの広域合併の協議に参加していたが、途中で脱退したいきさつがある。

 これは、交付金などの分け前が薄くなることを恐れたものらしい。今回の容認もエゴではないと言い切れるか疑問だ。このエゴは、交付された豪華ハコ物などの維持費、当初大きかった固定資産税の減価償却に基づく減収、従業員の隣接市街地への移住など、他原発でも地元活性化には結びついていない。「依存経済」の玄海、ではなく限界である。

 このあたりの構図は、これまで続いた沖縄在日米軍基地の問題と全く同様で、自民も民主も、日本の潮流の変化をどこまで理解しているか、「はなはだ心もとない」といわざるを得ないのが現状なのだ。

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