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2011年6月11日 (土)

待ったなしの「脱原発」

 菅首相の中途半端な脱原発宣言が進展をみせず、国民にすっかりあきれられた政局ごっこが続いている。そういった中、原子力行政は方向が定まらないまま、停止中の原子炉再開などをめぐってどんどん悪化の方向をたどっている。前回の社・共に続き、今回は自と民を観察してみよう。

 まず、両党とも石破自民党議員がいうようにこれまでの反省、自己批判がなくては、先に進めない。口でいうのは簡単だが、(1)脱原発に向けての全面的政策転換、(2)組織見直しや安全基準強化による現状維持、(3)さらに安全強化をはかったうえでの推進策、のどれを目指すのかにより、反省の中味が違ってくる。

 特に3番目を放棄することは、原子力技術保持・発展、原子力産業の保護育成、エネルギー源の獲得と安定供給という国策のもと、政・官・財・学が一体となった利益共同体である「原子力体制」の否定につながる。これは、自民党が長年慣れ親しんできた政治権力機構にメスが入るということである。さらに他の産業にもかかわる自民党ならではの構造的な問題で、民主党の自民党出身者などを含め、かなりの抵抗を受けることになりそうだ。

 次に2番目であるが、エネルギー消費量がそのまま成長率を表すと信ずる古典的な成長優先論者は、「原発がないと日本経済は壊滅する」と絶叫し、「地域経済が破たんし借金が返せない」と嘆く地元政・官界もこれに同調する。一方、政党とは無関係に「節電なんかいやだよ」という、原発には縁遠い無頓着市民もこれに加わる。

 最後が「脱原発」である。それを示唆した菅首相の退陣表明で、党内が混迷を深めている。民主党は、鳩山首相の温暖化ガス削減目標もあって原発促進に政策転換したが、期間も短く自民党ほど深入りしていなかった。その矢先に今回の事故である。自民党より再転換はしやすいが、頑強な反対派は切り捨てる覚悟が必要だろう。

 しかし、菅首相の指導力が失われ党の危機的状況が続けば、ますます後退を余儀なくされそうだ。「脱原発」には、まず、国家規模の節電体制の構築、安全点検が済んだ運転中の原発の稼働継続、廃炉原発を補う火力発電所等の運転、その間を利用して代替新エネルギーの開発・普及という手順を踏むまなければならない。そういつた、国民的合意のもと20年以上かけた計画となる。

 その用意のないまま、すでに停止中の原発運転再開をめぐって政府・地方の間で攻防が始まっており、一朝一夕では解決しそうもない状況だ。新基準もなく、安全に関する新組織や法律もなく、事故に対する防護対策もないところに、議論が進むはずがない。

 経産省が運転再開をお願いするにしても、「何年何月には本炉を停止させます。それまでの間、こういう対策をとりますから、どうかお認めをいただきたい」と脱原発宣言をすれば、あるいは納得されるかも知れない。

 震災から3か月が過ぎた。まだ原発事故の終息には時間がかかるが、一刻一秒を争うというような事態からは脱却したのではないか。脱原発の手順を踏むための仕事はすでに始まっているし始めなくてはならないのだ。

 しかし、大連立や、妥協暫定内閣では前に進まない。ここは、解散総選挙に公約として掲げ、政界再編も視野に入れた対決の中で決めてもらわなくてはならない。中途半端は、エネルギーの安定供給、原発の安全対策の双方に危機を招く。

 それがなければ、前回触れたようなことを社・共に提起してもらわなければならない。また、民・自の有志議員の奮起もうながしたい。各党が不毛な政争に明け暮れしている間、国民が立ち止まっている余裕はないのだ。

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