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2011年6月

2011年6月29日 (水)

瓢箪からでた駒

菅・小沢が手をにぎる? 
 本塾で「原発は国営化せよ」という記事を書いたのは3月13日、福島原発の事故が容易ならぬ事態にあることを知った翌日である。また、「震災は政治改編の好機」を書いたのは同月28日であった。

 前者は、東電・小森常務が記者会見で行った発言を聞き、かねてから同社に抱いていた不信感が、この期に及んでも変わらなかったことを知ったからである。それが「原発はもう任せられない」という直感的かつ衝動的な記事となった。

 それから3か月半、東電の株主総会などの報道もからんで、最近では公然と国営化が議論されるようになった。脱原発派だけでなく、推進派からも経営保全、つまり「逃原発」策として主張されている。そんな甘やかしが通るはずがない。

 塾頭の考えは、原発を国が福島の所長のような人材を含め居ぬきで、買い上げる。 その場合、廃炉しかないような原発は、膨大な事後処理費がかかるので事実上引き取り価格の方が上回る。結局は無償没収に近くなるだろう。反対に国営原発が作った電力は、電力会社が買い取り義務を負う。

 安全第一だから当然コスト高になり、電力買い取り価格はそれを反映した高いものになる。電力会社はすぐ電気料金値上げ申請を行うだろうが、そうは簡単に問屋が卸さない。政府の厳重なチェックを受け、鼻血も出ないような合理化を迫られる。

 それができないようなら、地域独占の廃止、発電、送電の起業自由化で、現電力会社が最も嫌う方向に進まざるを得ないということだ。

 次の「震災は政治改編の好機」を書いたのも、菅首相が不信任案提出で辞意表明をする2か月も前である。その中で「9~10月ころ解散・総選挙」と書いたが、「塾頭のたわごと」と自ら宣言する「ガセ予測」には違いなかった。

 それが、どうだろう。プロの評論家どもがまともに「脱原発を争点に解散」などと言い出し始めたではないか。そこで解散総選挙を前に、プロにはできない大ガセ予測をひとつ掲げよう。「菅直人と小沢一郎は手をにぎる」というものだ。

 理由は、2人に次のような共通点がある。
・多数の心理を見極めようとする
・個別の意見を無視・軽視する独善的なところ
・現実主義者で、固有の目標がなさそうに見える
・自民党からの嫌われ者
・猛烈バッシングを耐え抜き、8月には山を越す

 以下は、前述記事の後半。

まず、政治目標を「危機突破・緊急対策政府」と「中長期復興・再建政府」に二分して考える。前者は現菅内閣が主体で、野党からも人材を集めた挙党連立内閣とする。ただし、期限を設け、9~10月ころ解散・総選挙で民意を問うて「中長期復興・再建政府」に移行する。

 選挙の公約作りは、政府の業務に直接たずさわらない党が中心となるが、今後の日本の経済・防衛の在り方のうち、「原発、凍結・削減」か「安全確保・推進」か、「日米同盟の抑止力依存」か「米軍基地縮小」か、さらに財政、福祉、景気対策など、諸対立点を明確にする。

 大政党は、なかなか党内を一致させることは困難であろうが、「民主党は見限ったが、自民に投票するのもいやだ」という国民意識がある中、党分裂・小党乱立をいとわず百花斉放で大いに論争を高めるべきだ。つまり55年体制前の状況を再現させる。

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2011年6月27日 (月)

恐怖!東京湾に原子炉2基

 福島原発事故や放射能汚染に関するニュースが、いまだ毎日のように大手メディアを占領しています。石原東京都知事の「東京湾に原発」の出まかせ発言はありますが、冗談ではなく、本当に60万Kwの原子炉が2基東京湾内にあること、そしてその危険性をマスコミは一向に報じません。

 かろうじて、東京新聞が06年6月15日に報じていますが、現在はネット版で見ることができません。ただ、これは「原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会」のパンフレット(PDF形式ファイル)上で確認ができます。

 かいつまんで言うとこういうことです。米海軍横須賀基地には原子力空母「ジョージ・ワシントン」が配備され、推進用に加圧水型軽水炉2基が装備されています。これが格納容器破裂のような大事故を起こした場合(より小さい40万Kwの商業用原子炉と仮定して原子力資料情報室が予測)の被害状況です。

 基地から風速4mの風下で
・8Km以内なら7Sv(シーベルト)で全数致死
・13Km以内(三浦半島全域)なら3Svで半数致死
・26Km以内(横浜市全域と川崎市の一部・房総半島横須賀対岸)なら1Svで一部死亡
・60Km以内(神奈川県全域と東京都区部、千葉県北西部南半と同県南半)なら250㍉Svで急性障害
・三浦半島で年間を通して最も多い南南西の風を想定すると、都心を直撃、被曝から約10年間で風下の120万~160万人が、がんで死亡する

 原子力艦だから原発より安全と言えるでしょうか。入港接岸中は原子炉を停止することになっていますが、福島事故は停止後に起きたはずです。艦内の原子炉は地上と違って狭い空間の中にあり、航海中は、緊急時を含めいろいろな制約の中で過酷な作業しなければならないこともあります。

 また、武力である以上秘密を公開する義務はなく、基地接岸中も基地施設として、日本が立ち入り検査などできない、一種の治外法権的環境に置かれています。それをなんとなく安全のような安易な気持ちで受け入れを決めた裏には、やはり日本の原発安全神話が作用していたとは言えないでしょうか。

 かつて当塾で、米国人弁護士ローレンス・レペタさんが「どうしてこんな人口密集地に原子力艦基地を許可するのか気が知れない」というような趣旨の発言を取り上げたことがあります。今なら身に染みて感ずるはずですが、アメリカ人から見ると当時すでに異常だったのですね。

 脱原発の中に、どうしても基地問題や地位協定見直しなどを含めなくてはならなくなるのです。「原発と原爆は違う」とか、脱原発に頑なな抵抗を見せる超保守勢力がありますが、こんなところにまで波及することを恐れていると思われます。

 前回、容易ではないソフトエ・ネルギー・バスを書きましたが、やはり脱原発と反戦は重なるのです。さあ、あなたならどう考えますか?。

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2011年6月25日 (土)

ソフト・エネルギー・パス(4)

容易ではない政策転換
 『ソフト・エネルギー・パス』は、原子力だけではなく、地球上有限の資源である石油の消費なども再生可能エネルギーに変えていくことを示しています。今回はシリーズの最後として、これをどう実施していくのか、またその影響が社会にどういう変化をもたらすのかという著者の観点を紹介します。

 たとえ機能しないような政策でも、およそ政策を変更することは容易な仕事ではない。そこには疑惑、対立が生まれ、試行ならびに激しい仕事が必要とされる。ソフト・エネルギー・パスの第一歩をふみだすことは、簡単ではない。(略)しかし、もしソフト・パスがけん命におこなわれれば、これは政治的に、力強くアピールするものになりうる。ソフト・パスは失業とインフレーション、経済成長と環境の質、不便さと脆弱性といった事象を相互矛盾の関係におかず両者をともに解決の方向にむける。(略)ソフト・パスは、失業者に職を、企業家に資本を、環境論者に環境保護を、軍事関係者に国家安全保障の強化を、小企業に技術革新、大企業にリサイクルの機会を、世俗人に素晴らしい技術を、敬けんな人に精神的価値の再生を、老人に伝統的道徳を、若人にラジカルな改革を、世界的視野の人に世界秩序と公正を、孤立守主者にエネルギー独立を、リベラルな人に市民権を、保守主義者に国家の権利を同時的に与えるのだ。

Dscf3447  脱原発反対派は、逆なことを言います。「空洞化が進み、失業者が増大する」と。その原因は、電気料金の値上がりで製造業が海外に生産拠点を移し職場を失う、という殺し文句です。空洞化は今に始まったことではありません。また、エネルギー多消費型産業が海外に拠点を移したという話も聞いたことがありません。

 海外移転の最大の理由は主に、人件費でしょう。またそれらの製品も、現地向け海外向けが多くなっており、これからは、企業戦略のなかでエネルギー・コストおよび安定供給どう位置づけられるかが問題で、空洞化の責任を一方的に電気料金に押し付け、脅かしているようにしか見えません。

 現実はどうでしょうか。福島事故以降、住民への補償金、運転再開のための安全強化対策、クローズアップされた放射性廃棄物や使用済核燃料処理のための費用などで、原発を続けてもコスト減になる要素はありません。電気料値上げはどっちみち避けられないはずです。

 原発コストが下がる見込みのない中、自然エネルギー・コストは多くの人の参加する自由競争で間違いなく下がり続けます。ただし、急には間に合いません。その間を、第1に節約、第2に現有原発の安全性保障、第三に火力・水力発電復活などでつなげなくてはなりません。

 今の政府に足りないのは、こういった将来の脱原発に向けたタイムスケジュールです。だから、脱原発賛成、反対の両陣営から信用されず、上述の「力強くアピール」する力に欠け、成否を危ぶまれる結果になっています。

 最後に付け足しておきますが、上の引用後段に「軍事関係者に国家安全保障の強化を」というのがあります。ロビンズは、原子炉から複製されるプルトニュームの核兵器利用は想像されているより簡単だとし、核の平和利用の美名のもと事実上核拡散そのものだ、ということを別のところに書いています。「反戦塾」ですから、その面からの考察が必要ですが、それらはまた稿を改めて考えてみることにしましょう。(完)

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2011年6月23日 (木)

ソフト・エネルギー・パス(3)

事故原因と危険について30年前に予告


 これからやっと本文に入ることになりますが、すでにシリーズの(1)で、大来佐武郎氏による本書の主張の要約を紹介したので、重複は避けようと思います。お断りしておきたいのは、当時のカーター米大統領にも影響を与えたとされるロビンズ氏のこの本は、当然のことながら多くの協力者から得た科学的知見や定量的データに満ちていることです。

 それがなければ、内容を忠実に紹介したことになりませんが、30年前の本であるため、たとえば彼が推奨した地域暖冷房より、小型のヒートポンプの方が不要な部分への熱供給を節約したり、電気特有のセンサーなどによるこまめな制御機能の方が節約に効果がある、というような評価のしかたに変化があったり、経済データなども現実とそぐわないものもがでてきました。

 したがって、現在日本で起きていることが、彼の特徴ある表現で予見されていたことを中心にご紹介することにとどめたいと思います。もうひとつお断りがあります。前回予告した、「エネルギー政策の転換がいかに困難であるか」などのテーマは、日本の場合、事故が先にきて政策転換があとになったため、著作本文にある順序を変え、事故関連記述をさきにし、予告記事を次回に繰り越させてください。

 原子力発電のように、技術的番狂わせと特殊な心理的ハンディキャップに依存している技術においては、予期しない異常事態が発生した場合、慎重にすべての機能をストップさせるか、あるいは社会的騒擾によって機能がストップさせられるかのいずれかが起ころう。われわれは一国の機能を停止させるか、あるいは潜在的に安全とはいえない運転に固執するか、いずれかを選ばなくてはならなくなるであろう。

 一〇〇〇億ドルの準民間原子力産業界の内部にも、近い将来、もし重大な事故が発生した場合、原子力は政治的にほうむられるだろうということを認める人が多数存在する。にもかかわらず、社会資本のそのように大きな部分を危険にさらすことの経済的、政治的意味を考えている人々はわずかしかいない。政府はそのように繊細、高価で重要な卵のいっぱい入ったかごを――純粋に政治的な脅しも含めた――脅威から守るために、何をどこまでやるだろうか。すでに個々の原子力発電所にとって――しばしば一秒当たり多額の金額にのぼる――停止のコストは、運手か安全上の決定をする場合の極めて重要な、おそらく重すぎるほどの要素となっている。

 高度技術の導入は、その商業的成功と公共ならびに自身の厚生をむすびつける人々の間に、影響力の大きい献身的な組織を形成させる傾向を生む。このような真摯な信念と、見え隠れする圧力、そして仕事を遂行するために必要とされる多大な時間とエネルギー等のために、これらの人たちは代わるべき政策選択肢について同等に十分な知識を獲得したり、これを議論する必要性を認めることができなくなっている。さらに電力計画に投下された資金と能力は、政府委員会にたいし、偏った影響力を発揮する傾向がある。これはしばしば政策機関と特別の目的を持った機関の間におけるスタッフの交換という手段を通じて直接的におこなわれる。このような近親相姦的関係が、ほとんどの工業国において深く浸透しており、このために政治的治療が長期にわたって難しくなるような形で、社会やエネルギーにおける優先順位のつけ方が歪められてきた。

 「近親相姦的関係」――、なんて過激な表現でしょう。ロビンズが、フクシマ事故を知ったあとなら、日本に遠慮して決してこんな言葉を選ばなかったでしょう。日本人にとって、それほど深刻な問題だったのです。

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2011年6月22日 (水)

ソフト・エネルギー・パス(2)

 前回は大来佐武郎氏の序言の紹介から始めました。今回は、著者が序章として「日本におけるソフト・パスの可能性」を最初に持ってきているので、そこから2、3拾ってみましょう。日本人の原発受け入れに対しは次のように観察しています。

 工業の急激な成長と多くの潜在的な困難を想定するとき、その背後にある社会価値および確実に莫大な費用のかかる新規のエネルギー施設に関する疑問が日々強まっている。なぜ多くの日本人が原子力施設を望まないか、その理由を探索するのがここでの目的ではないが、私はその理由の多くは健全なものだと思う。これらの施設が望ましいと思う官僚でさえも人々が望まないところで、建設を強行すれば、それは高い政治的コストを伴い、想定されていた統治の正当性を揺るがすかもしれないということを認めざるを得ない。(施設を受け入れた地域に、公的な「刺激」を支払うという日本独自のやり方は、他の国では施設がうけいれられるべきでないことの確認とみなされる)。

 この最後のかっこ書の中身を紹介したいために長い引用をしてしまいました。塾頭も前から疑問を感じていたことですが「札びらでほっぺたを叩く」、つまり態のいい買収ですよね。決して明朗とは言えない。アメリカの元沖縄司令官ではないが、やはり「たかりの名人」と見られてしまう。「日本独自の……」とは情けない話ですが海外の目はそんなものなんでしょうか。そして、日本の将来に対して次のように予測します。

 日本が立つ真のエネルギー問題の最先端は、省エネルギーと(なさねばならない仕事に合った質と規模のエネルギーを供給する)再生可能エネルギー源を総合化した理解可能な計画に、印象的な日本の技術と日本人の勤勉さと団結力とを用いることにある。しかしこのような計画は、それが育つ環境さえ与えれば、中央による上から下への指令という形ではなく、自ら数千の花を開かせることになろう。

と楽観し、最後にこう期待してしめくくります。

 日本人はその独創性と、自立の精神によって、どこの国よりも早くソアト・エネルギー・パスを達成するだろうと私は信じている。私はこの本によって引き起こされた議論によって、「日出ずる国」にいる人が世界を揺り動かすような機会を掴むことを望みたい。

 菅首相が、70日の国会会期延長を持ち出し、「再生エネルギー法案」の提出に執念を傾けていると報道されました。もう見たくも聞きたくもない国会の機能喪失ですが、次回はこういったエネルギー政策の転換がいかに困難であるか、またそれを達成するには、社会・経済・文化、あらゆる面で大きな転換がはかられ、人類が享受できる新たな発展を目指すことができる、という部分を紹介します。

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2011年6月21日 (火)

ソフト・エネルギー・パス(1)

 前回に続けて、30年以上前の本の紹介で申し訳ありません。この本も翻訳物ですが版を重ねた名著です。塾頭は当時石油会社に勤めていた関係でこれらの本に関心を持ち、前Dscf3444回の『エネルギーを考える』同様買い求めたようです。

 だから関心があったのは石油の方で、原発の危険性や非効率は知っていましたが知識が浅く、技術開発で改善される可能性もある、と考えていました。それが今回、「脱原発」に切り替わったのは、原子力村のウソだらけが、ここまでひどいとは思わなかったからです。

 何十年ぶりに本棚から引っぱり出し、ページをめくったら、あまりにも今日的な叙述があるのでびっくりしてしまいました。それと同時に、現在のいわゆる推進派が、当時でさえ時代遅れとされているのに、なぜ頑迷固陋に過去にしがみついているのか、不思議な気がします。

 分厚い本で、読み切るのに苦労しますが、福島事故を見た今、記事内容がそのまま迫ってくるようなところが随所にあります。ちなみに、ネットで調べてみたら、当時1800円の本が古書で最低5000円から7、8000円もしており品薄のようです。そこで勘所をピックアップしてご紹介することにしました。

  以下、エイモリー・ロビンズ著、室田康弘・槌屋治紀訳『ソフト・エネルギー・パス』時事通信社、からです。最初に外務大臣もつとめたことのある有名な国際人・大来佐武郎氏が書かれた序言に、本書の主張が要約されており、それを借用します。

 ①エネルギー政策の基本方針としては、ハード・パスとソフト・パスの二つがある。現在先進各国においては主としてハード・パスがとられている。

 ②ハード・パスは以下の内容をもつ。すなわち、今後もエネルギー需要は増大するということ、しかるにこれまで供給の中心をなしてきた石油の供給が頭打ちになるため、大幅なエネルギーの不足が生ずる可能性が高いという見通しを前提にして、そのギャップを埋めるために原子力や石炭のような代替エネルギーを開発すべきであるというのである。

 ③しかしこのハード・パスにはいろいろ問題がある。それは核拡散の危険、廃棄物処理、集中管理的社会指向などである。

 ④他方、ソフト・パスとは、(a) エネルギーの供給の中心を化石燃料や原子力ではなく太陽熱、風力などの再生可能エネルギーに置く、(b)エネルギーのエネルギーの需給ギャップを閉じるために、供給増ではなく、需要減(省エネルギー)に主として依存する、等をその内容とする。

 ⑤ソフト・パスはハード・パスにくらべて環境破壊が少なく、核拡散の危険性も少ない、集中管理より分散管理指向型となる、また、エネルギー消費全体を節約することに重点が置かれる。

 集中管理、分散管理の説明は長くなりますが、ここでは中央集権型・自己完結型、大量生産・大量消費型、エネルギー政策統制型・自由化型などを考えておいてください。そして大来氏は、「原子力利用の是非を含め、その立場を超えてエネルギーの専門家のみに限らず、多くの人に読んでもらいたい」とし、次のように結んでいます。

  それは本書が日本の将来動向に重要な問題指摘をしていると考えるからである。日本の現在の意思決定に欠けているのは、多様な意見をぶつけ合い、その中で取るべき手段の選択肢が次第に明確化していくというプロセスではないだろうか。日本は今後多くの基本的問題に当面すると思われるが、エネルギー問題に関してもあやまった選択をしないよう真剣に将来動向を考えておく必要があると思われる。

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2011年6月20日 (月)

この道はいつか来た道

 日本では原子力安全委員会、関係省、電力会社ではこの事故の教訓を生かすための総点検と改善策を進めた。また事故時の情報混乱にも鑑み、原子力委員会において原子力発電所周辺の防災対策の検討を行ない、地方自治体での原子力防災対策を充実させる方針が決められた。

 これを、海江田さんの話だと思うでしょう。ブー、はずれです。なんと29年前の1982年2月に発行された、藤井清光・武安義光『エネルギーを考える』改訂版という本に書いてあるのです。発行元は、日本放送出版協会、つまりNHKの本です。

 改訂版ではない同名の本は、76年7月に発行され、6版を重ねました。この手の本としてはベストセラーズです。なぜ売れたのか、2年半前にオイルショックが起き、日本国民が一時パニック状態におちいってから間もない頃だったからです。著者は、いずれも東大工学部出身で、それぞれ石油と原子力を専門とする高名な学者でした。

 なぜ6年あとに改訂版がでたのか、よくわかりませんが、興味深いのは、この間の79年3月にアメリカ・ペンシルベニア州スリーマイル・アイランドの原発事故が起きたことです。新たに「原子力と安全」という章が追加されました。上述の引用はその中のもので、スリーマイル島事故を指しています。そして次のように続けています。

 この炉は米国バブコックス社の設計にかかるもので、我が国には同様のものはなく、また日本では考えられず、許されない管理の不備がもたらしたものであるが、安全対策を高めるための教訓とすることが必要である。

 どうです。思い出しませんか?。その後のソ連・チェルノブイリ原発の時も「あれは、社会主義国のことで日本ではあり得ない」といった思いあがりのあったことを。二度あることは三度ある。日本は頭をまるめて出直す覚悟をしないと、これからさきの世界は、生きてゆけなくなるでしょう。

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2011年6月18日 (土)

海江田大臣がお願い?

 そりゃだめだ。変装したオオカミが「ここあけて」と言っているようなものだ。以下日経電子版(06/18)。

 海江田万里経済産業相は18日、記者会見し、原子力発電所を持つ11社に指示した原発の短期的な安全対策について「適切に実施されたことを確認した」と正式に表明した。原発停止の長期化による電力供給不安は国内産業の空洞化などを招きかねないと強調。福井県など地元自治体との調整が付けば来週にも直接訪問し、再稼働に向けた理解を求める方針を示した。

 定期点検で停止中の原発が再稼働しなくなると、来年には原発ゼロになる。電源の30%がなくなるということは、相当深刻な事態であることは事実だ。だけど、海江田大臣が「それを言っちゃあおしめえよ」になる。

 国内産業の空洞化が起きないようにするのは、産業の保護育成が任務の経産大臣の責任だ。ところが、原発の安全チェックの責任も経産省が持つ。電力会社を保護育成するため、経費のかかる安全対策を大アマにしたのが、そもそもこういった事態を招いた理由ではないか。

 のこのこ出かけて行って「産業の……」などと言ったら怒られるばかりだ。沖縄も「辺野古、辺野古」と言って、何度も現地へお願いに行くのと同じパターンで国費の無駄遣い。国際的権威を持つIAEAも、組織に問題あり、とはっきり認めている。もし、政府としてお願いにいくのなら、菅首相しかないだろう。そしてこう言う。

 ご心配いただいている原子炉は、○年さきには廃炉にします。その時間をお借りして、電源を新エネルギーなどに切り替えていきます。それまでの間、原発の安全には全力をあげます。福島の教訓を生かして、経費にこだわらず万全の対策を施します。

 安全委員会、保安院なども経産省から切り離し、原子力村以外のメンバーにお願いします。そのために、法律も最初から見直し、脱原発をめざして早急に成立させます。大変ご迷惑でしょうがどうかご協力願います。

 その最後のくだりのところだが、やめることを宣言した菅首相では、どうもお約束に重みがない。原発地元では、これまで同様、なし崩しにされるのではないかと思っている。この閉塞感を打ち破るには、菅さんでも河野さんでも誰でもいい。解散総選挙で公約に掲げ、イタリアのように国民投票で決めるしかないのだろうか。

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リモコン文化

リモコンで政治操る夢をみるDscf3442_2

チャンネルはなぜ回すのか知らぬ孫

リモコンを持てくるリモコンあればいい

リモコンがありすぎるのも邪魔なもの

リモコンをさかさに読めばンコモリ

ケイタイはリモコン文化のなれのはて

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2011年6月16日 (木)

菅降ろしの異様さ

  毎日新聞の金子秀敏編集専門委員が16日付のコラム「木語」で次のように書いている。

 昨今の菅降ろしが、どうも腑(ふ)に落ちない。

 菅直人首相では原発事故の処理ができないと野党が退陣を要求している。政権与党の岡田克也幹事長や枝野幸男官房長官まで任命権者である党代表・首相の退陣を口にする。

 仙谷由人官房副長官などは「月内退陣」を公言し、野党幹部と次の首相を私議したという。まさに乱世だ。

 だが変だ。菅首相はいつ、どのように事故処理に失敗したのか。だれが首相なら、どのような対策ができるか。だれも言わない。一時、海水注入を中断させたと騒がれたが、事実ではなかった。

 与野党が論じているのはもっぱら退陣の時期である。菅首相も、事故処理に「一定のめどがつくまで」と、退陣時期をぼかして防戦している。

 菅降ろしの理由は、ほんとうは原発事故対応の失敗ではないのではないか。3月11日の東日本大震災の前に戻ってみる。3月4日の参院予算委、11日の参院決算委員会だ。

 予算委では自民党議員が、前原誠司外相、野田佳彦財務相、蓮舫行政刷新担当相を脱税事件の容疑者から献金を受けたとして攻めた。前原氏は在日外国人からの献金も突かれ、2日後に外相を辞任した。

 決算委では菅首相が外国人献金疑惑を追及された。参院で菅政権打倒の「献金政局」が始まった--そのとたん大震災で疑惑追及は止まった。

 6月3日、自民党は参院予算委で首相、財務相、行政刷新相の献金追及を再開した。22日の会期末まで、参考人招致などで菅首相らを追及するらしい。とすれば菅政権が追いつめられているのはこの問題ではないか。

 菅首相ではどこがいけないのか、だれならばいいのか、そして何を改めればいいのか、みのもんたがそういった叫び声を、2、3日前の朝ズバでもあげていた。それに対し、並みいる政治コメンテーターは何も答えることなく、すぐコマーシャルに切り替わった。

 こんな疑問が、他にもマスコミ内部からも漏れだしている。「顔も見たくない」、「ダメなところは全部」「菅以外ならだれでもいい」などという、感情任せの政治家の発言に、どうして的確な説明ができないのだろう。

 この嫌菅感情は、政治家だけでなくマスコミ内部や一般市民にもある。「腑に落ちない」どころか、主権者国民にとってはなはだ座り心地の悪い、異様な状態である。ブログ「kojitakenの日記」には、原発問題と政治家に関する豊富な記事があるが、その中には、菅降ろしの陰に原発があるという東京新聞の記事の紹介もある。

 本ブログは前回、「原発と国威発揚」という記事を書いき、イタリアとドイツの脱原発に言及した。その際も気にかかっていたことだが、イタリアでは、ベルルスコーニ首相と右翼の大物有力政治家の原発指向に国民投票でNOをつきつけた。

 また、ドイツはフクシマ後に行われた地方議会選挙で緑の党の躍進があり、左翼陣営の勝利である。菅首相が、左翼だなどとは決して思わないが、市民運動出身の彼にそのレッテルをはり、施政のすべてを色眼鏡で見ようとする右翼が危機感を抱く、というシナリオは十分考えられる。

 右翼だから原発推進で左翼は脱原発などと考えるのは、よほどの単細胞的発想でしかない。原発の元祖だった中曽根康弘氏でさえ、「これからは太陽光の時代だ」などとすましている。右翼でも、左翼の体質に過敏に反応するのがレイシスト、すなわち人種差別主義者だ。

 話は変わるが「シネマトゥデイ映画ニュース」というサイトがあり、中学生アイドルの藤波心が「6.11脱原発100万人アクション」のアルタ前のアクションに登場し、脱原発への思いを語ったという記事を目にした。記事は次のように続いている。

 「脱原発言はタブー」という業界の風潮にも負けず、ブログに寄せられた批判にもうろたえず、まっすぐに自分の意見をつづった彼女に、ソフトバンク社長の孫正義は、「官房長官やら東大出の御用学者なんかより、14歳のアイドルのほうが的確な意見を述べている」と絶賛。一躍、脱原発のジャンヌダルクとよばれた。

 ブログへの書き込みは賛否相半ばするそうだ。試みに眺めてみると、批判の方は「14歳の餓鬼に何がわかる」とか「親がサヨだろう」、あるいは卑猥なひやかし、別のところでは「日本の原発を批判するのになぜ中国の批判はしないのか」などというのもあった。

 明らかにネットウヨのレベルまるだし。14歳の「餓鬼」の方が上だ。そのことより、「脱原発言はタブー」という業界の風潮というのが気にかかる。そのタブーなるものが、形を変えてTVを中心としたマスコミや政界に蔓延しているとすれば、それはやはり危険だ。

 左翼がよく言うのが「財界の圧力」であるが、原発については2つに割れており自民の一部にしか影響しないだろう。冒頭の引用にあるように、野党が倒閣の決め手とした「外国人献金疑惑追及」が震災で不発に終わったことに対する腹いせであるとすると、ここでもレイシズム利用のにおいがしてくる。

 塾頭は、仙石官房長官の問責決議でも、中国漁船の巡視船体当たり事件に絡めているようだが何が問題なのか、という点で全く同じような印象を持った。また首相は、不信任案否決のすぐあと、それまで見たことのないブルーリボンを急に胸につけてTVカメラの前に立った。

 このリボンは、北朝鮮拉致問題に関する国民運動のシンボルマークで、平沼赳夫議員など右翼を代表するようなメンバーが先頭に立ち普及に当たっている。菅首相は、左翼でない証しにこれをつけて現れたのだろうか。

 そこまで影響力があるとすれば座視できない由々しい問題である。これは、塾頭の妄想であり杞憂に過ぎないのかも知れない。マスコミのプロさえ解明できない疑問が素人に解けるはずがない。しかし、そうとでも考えないと、とても理解しがたいのが昨今の政局である。

 

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2011年6月14日 (火)

原発と国威発揚

 村上春樹さんが2011年6月9日(現地時間)、スペインのカタルーニャ国際賞授賞式でスピーチした。ヨーロッパでは、イタリアで脱原発の国民投票で94%の賛成。仏・英が推進派で、日独伊の3国同盟なるか?。これは悪い冗談だが、今回のテーマは国威発揚である。

 村上さんはスピーチの中で、広島原爆の碑文の「過ちをくりかえしません」の意を、被害者であるとともに加害者でもあると解説し、今回の原発事故における過ちに言及した。、原爆と原発が不即不離の関係にあることは、当塾でもすでに「フクシマ」と「ヒロシマ」(05/27)や「脱・原子力ニッポン」を(05/08)で主張した。

 さらに、村上さんは、日本人が効率を追いすぎたための原発容認という話をしたが、これはあまりにも大まかなくくり方で、原子力を国策として取り入れた1956年頃には、「効率」とは全く無縁なものだった。

 前にもふれたが、当時は冷戦のさ中で米ソの核開発、核武装競争が熾烈を極めており、その前年アイゼンハワー米大統領が「核の平和利用」についての演説をし、西側の同盟国となった日本が早速それに乗ったものだ。

 戦後の日本は、連合国に占領され、5大国から一転4等国以下となって生き延びられるか、という悲観ムードもあった。そんな中で、古橋広之進らが全米水上選手権大会の自由形で優勝するとか湯川秀樹のノーベル賞受賞とか南極観測隊の派遣など、将来に明るい「国威発揚」をもたらす話題は歓迎されたものだ。

 唯一の原爆被爆国である日本は、原爆の恐ろしさや非人道性は骨身にしみてて経験をしている。また、原子力の桁はずれたパワーが世界を変えていくだろうという予見もあった。これを、戦争のためではなく平和のために使うことで日本が貢献できれば、という単純な考えがなかったとは言えない。

 最初は東大や京大などの研究着手から始まる。中性子の存在を発見した湯川博士を輩出しただけの学問的素地はある。ただ、その成果は海のものとも山のものともわからず、山陰の人形峠などという所でウラン鉱をさがしたり、実験炉の設計などから始まったような記憶がある。

 だから効率的(実はもっとも非効率なのだが)などと考えるようになったのは、後半も最近に近い方である。当初は、ふんだんに供給された安い原油に到底太刀打ちできなかった。またエネルギー自給率を高めるというのも、オイルショックを受けた田中政権後にアクセルのかかった政策だ。

 福島事故の原因調査委員会の一員に加わっている吉岡斉九州大学副学長がその著書『原発と日本の未来』でいうように、「国家安全保障の基盤維持のために先進的な核技術・核産業を国内に保持するという方針」(国家安全保障のための原子力の公理)は、中曽根康弘(当時議員)が予算付けしてから、一貫して変わっていない。

 つまり、核武装をしない代わりの平和利用を口実とした技術保持が目的で、ウラン濃縮から原子炉、廃棄核燃料の再利用、処理技術まで一貫した核技術を手にすることだった。いわば、原発はそういった「国威発揚」の道具だったのである。

 しかし、原子力を国威発揚に使うのは、北朝鮮などだけでもう時代遅れになり、原子力に頼らない自然エネルギーなどの新技術が出だすにつれ、原発は斜陽視されようになった。そこに降ってわいたのが温暖化排出ガス削減である。日本の原子力村と民主党は、早速これに飛びついた。これを原子力ルネッサンスと呼ぶ。

 だが、福島事故はこれを無残に打ち砕いた。「国威発揚」も「国家安全保障のための原子力の公理」も福島第一原発と運命をともにせざるを得ない。このように、複雑な経緯をたどった原発であるが、「国威発揚」を残す手がひとつだけある。

 それは、持てる原子力の知識・技術・経験を世界の脱原発に生かし、核軍縮や拡散防止に国連・IAEAなどと協力し先頭に立つことである。それには、国際条約の変更も必要だが、日独伊3国同盟で国連に提案するのもよし、これから国威発揚に使おうなどと考えている国に、原発を輸出しようなど考えてはならないのだ。

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2011年6月13日 (月)

荷風の子孫の世

 Dscf3440  「葛飾土産」『荷風随筆集』(岩波文庫)から引用

 わたくしの若い時分、明治三十年頃にはわれわれはまだ林檎もバナナも桜の実も、口にしたことが希であった。むかしから東京の人が口にし馴れた果物は、西瓜、真桑瓜、柿、桃、葡萄、梨、栗、枇杷、蜜柑のたぐいに過ぎなかった。梨に二十世紀、桃に白桃水蜜桃ができ、葡萄や覆盆子に見事な改良種の現れたのは、いずれも大正以後であろう。

 大正の時代は今日よりして当時を回顧すれば、日本の生活の最豊富な時であった。一時の盛大はやがて風雲の気を醸し、遂に今日の衰亡を招ぐに終わった。われわれが再びバナナやパインアップルを貧り食うことのできるのはいつの日であろう。この次の時代をつくるわれわれの子孫といえども、果たしてよく前の世のれわれのように廉価を以て山海の美味に飽くことができるだろうか。
            昭和廿二年十月

 【塾頭解説】「覆盆子」は「イチゴ」と読む。多分、盆をふせたような葉っぱの下に実がなるからであろう。ちなみに、塾頭がチョコレートやシュークリームといったスイーツを口にしたのは、太平洋戦争前、小学校低学年のころ親がどこからか手に入れてきたのが最後であった。

 荷風は、孫子の時代が史上例を見ないほどの飽食の時代になったことを多分知るまい。終戦から2年たったこの年、8月14日浅間山爆発20余人焼死、9月14日キャスリーン台風死者2247人。10月1日臨時国勢調査、総人口7810万1473人。

 少子化時代の今よりずっと人口はすくない。ひるがえって今時の大災害後、先の子孫の時代にはどうなるだろうか、荷風と思いを同じくするものがある。

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2011年6月11日 (土)

待ったなしの「脱原発」

 菅首相の中途半端な脱原発宣言が進展をみせず、国民にすっかりあきれられた政局ごっこが続いている。そういった中、原子力行政は方向が定まらないまま、停止中の原子炉再開などをめぐってどんどん悪化の方向をたどっている。前回の社・共に続き、今回は自と民を観察してみよう。

 まず、両党とも石破自民党議員がいうようにこれまでの反省、自己批判がなくては、先に進めない。口でいうのは簡単だが、(1)脱原発に向けての全面的政策転換、(2)組織見直しや安全基準強化による現状維持、(3)さらに安全強化をはかったうえでの推進策、のどれを目指すのかにより、反省の中味が違ってくる。

 特に3番目を放棄することは、原子力技術保持・発展、原子力産業の保護育成、エネルギー源の獲得と安定供給という国策のもと、政・官・財・学が一体となった利益共同体である「原子力体制」の否定につながる。これは、自民党が長年慣れ親しんできた政治権力機構にメスが入るということである。さらに他の産業にもかかわる自民党ならではの構造的な問題で、民主党の自民党出身者などを含め、かなりの抵抗を受けることになりそうだ。

 次に2番目であるが、エネルギー消費量がそのまま成長率を表すと信ずる古典的な成長優先論者は、「原発がないと日本経済は壊滅する」と絶叫し、「地域経済が破たんし借金が返せない」と嘆く地元政・官界もこれに同調する。一方、政党とは無関係に「節電なんかいやだよ」という、原発には縁遠い無頓着市民もこれに加わる。

 最後が「脱原発」である。それを示唆した菅首相の退陣表明で、党内が混迷を深めている。民主党は、鳩山首相の温暖化ガス削減目標もあって原発促進に政策転換したが、期間も短く自民党ほど深入りしていなかった。その矢先に今回の事故である。自民党より再転換はしやすいが、頑強な反対派は切り捨てる覚悟が必要だろう。

 しかし、菅首相の指導力が失われ党の危機的状況が続けば、ますます後退を余儀なくされそうだ。「脱原発」には、まず、国家規模の節電体制の構築、安全点検が済んだ運転中の原発の稼働継続、廃炉原発を補う火力発電所等の運転、その間を利用して代替新エネルギーの開発・普及という手順を踏むまなければならない。そういつた、国民的合意のもと20年以上かけた計画となる。

 その用意のないまま、すでに停止中の原発運転再開をめぐって政府・地方の間で攻防が始まっており、一朝一夕では解決しそうもない状況だ。新基準もなく、安全に関する新組織や法律もなく、事故に対する防護対策もないところに、議論が進むはずがない。

 経産省が運転再開をお願いするにしても、「何年何月には本炉を停止させます。それまでの間、こういう対策をとりますから、どうかお認めをいただきたい」と脱原発宣言をすれば、あるいは納得されるかも知れない。

 震災から3か月が過ぎた。まだ原発事故の終息には時間がかかるが、一刻一秒を争うというような事態からは脱却したのではないか。脱原発の手順を踏むための仕事はすでに始まっているし始めなくてはならないのだ。

 しかし、大連立や、妥協暫定内閣では前に進まない。ここは、解散総選挙に公約として掲げ、政界再編も視野に入れた対決の中で決めてもらわなくてはならない。中途半端は、エネルギーの安定供給、原発の安全対策の双方に危機を招く。

 それがなければ、前回触れたようなことを社・共に提起してもらわなければならない。また、民・自の有志議員の奮起もうながしたい。各党が不毛な政争に明け暮れしている間、国民が立ち止まっている余裕はないのだ。

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2011年6月10日 (金)

「脱原発」政党の非力

 政界混乱、原発迷走の中で「脱・原発」の機運が高まっているが、これを党の政策として掲げているのは、社共両党だけである。地震後まもなく3か月、原発関連情報は放射能被害を中心に今なお国民の最大関心事である。

 どうしてこのような被害を受けなければならないのか、これまでにほとんどの人が、従来の原子力政策に犯罪的な欠陥があることを知った。そして「脱原発」の実現を期待する意見が、日ごとに高まり、市民権を得るようになった。

 民・自・公の3大政党は過去の政策を推進または支持してきた経緯もあり、いまだに前向きのエネルギー政策や原発の処理について、明確な政策提言を打ち出せずにいる。社共は、国民の心をとらえるまたとないいい機会を得ているのだ。

 共産党は、志位委員長が菅首相に政策転換の提言を手渡し、脱原発の署名運動を開始した。そして、社民党はA4で40ページにも及ぶ「脱原発アクションプログラム」を発表している。しかし、マスコミの冷淡さにもよるが市民の関心はそこに向いていない。

 社民党のプログラムは、過去の経緯を説き、問題点を列挙し、脱原発へ移行を可能なこととするデータを網羅するなど、なお注文はあるものの、取捨選択をす進めていけば新国策として十分たたき台になり得る。

 脱原発を果たしても、放射能のある廃棄物処理や外国の核施設の危険性は依然として継続する。それに対して日本が持つ原子力の技術、経験を今後どう活かしていくかという点もほしかった。しかし、「2020年までに原発ゼロ、2050年には自然エネルギー100%に」という、意欲的な目標に向けたタイムテーブルを示した点は評価できる。

 なぜ、市民の目が向かないか、それは、両党が慣用するスローガンのひとつとしか見ておらず、それで政治が動くとは考えていないからである。それが、万年ミニ政党化した両党の悲哀と言わざるを得ない。政治的影響力を取り戻すにはどうすればいいか。

 まず両党を解党し併合する。さらに他党の有志をつのり「脱原発議員連盟」をつくり議員立法までもっていく。そういった中で公約をかかげ、全国に新党の候補者を立てれば党勢の拡大疑いなしである。

 両党当事者は考えてもいないだろう。なぜならば、同じ政策をたてても細部で対立し「……はわが党だけ」の唯我独尊主義や「時により変節する」というような非難をしあう左翼同士討ち癖から脱していないからだ。

 政権を争う醜い攻防にあきあきしている国民は、せっかく良い政策をかかげるても、政治に反映させる力のない社共にあきあきしており、これも政治不信の原因になっていることに気づいていないのではないか。

 なに党であろうと、今、すばやい変身をとげることのできる党、これがきっと未来の政治を築く勢力になるだろう。無難を決め手とする暫定首相や大連立からは何も生まれるはずがない。

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2011年6月 7日 (火)

大連立構想は反小沢構想

 今盛んな大連立構想は、実現しない。

 その理由は、盛んに打ち上げ花火をあげているのが、ポスト菅に思いをはせる与党執行部であり、かねて反小沢の急先鋒であったメンバーだからである。自公は、単にそれに便乗して民主党の自壊を促進する事だけが最大の関心事で、大連立は財界や国民に向けたポーズだけであろう。

 期限を設けて大連立?。それができるのは、すでに辞任の意向を示した菅首相だけだ。期限を設けるというのは、首相に解散権がないのと同じだし、予算等の法案をいくつか通すだけで、議論の多い難問を残したまま右往左往する暫定内閣など、だれも引き受け手がないだろう。

 谷垣総裁の口からときどき洩れるのは、菅首相の失政ではなく「党内をまとめることすらできない」という点である。震災対応は、未曾有のことで混乱や手遅れもあったことは事実だが、他の人がやればもつと前進したという根拠はない。

 自民党は、大連立を言う前にマニフェストの撤回を、という。これは、民主党内の分裂をより鮮明にしようということだ。一方、小沢元代表は、先日の「不信任案賛成可決→脱党して野党の第3極をなしてキャスティングボードをにぎる」、という目論見が鳩山の軽挙でくつがえったたことにより、一転、強硬論をひっこめた。政権復帰をあせる自民の目論見に乗ることはないという気もあるだろう。

 小沢の狙いは、菅首相の即時退陣だった。しかしそれが叶わなくなった今、内心はすくなくとも秋口あたりまで菅で持ってもらいたいのではないか。その理由は、わが身にかかる裁判である。これが8月にもはじまり、秋には元秘書らの判決が出る。本人にとって最大の山場にさしかかる。

 党代表選と解散総選挙が秋にかかれば、山場を越えたとみて公然と権力闘争が展開できる。党を割って出るならそのあとでもいい。こんな事態をなんとしてでも事前につぶしたい、というのが、今の大連立構想ではないか。先手を取りたいという気はわかるが、小沢の方が何枚も上のような気がする。

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2011年6月 6日 (月)

高杉晋作と菅直人

 1000年に1度といわれる大災害、それに匹敵する国難が、政治家の資質低下と混乱である。これだけ国民の一致した非難があるのに、反省・改善の方向は一向に見えない。陰ながらであっても、支持する政党、応援したい政治家があり、共鳴できる政策があってはじめてブログに書こうという気にもなるが、それも見当たらず筆をなえさせいる。

 菅首相は、これまで「歴史が評価する」という言葉を何度か使っていた。彼の尊敬する歴史上の人物は、高杉晋作と伝えられている。辞意発表ですでに死に体同然となった首相は、今週中にも辞任の時期を明言し、残された期間で歴史評価に耐えられる仕事を残しておきたいだろう。

 それは、野党との野合であるはずはない。大震災対策、中でも原発の処理である。冷温停止のプログラムが来年初頭になるが、プログラムが軌道に乗るかどうか、見極めがつくのはもっと早く、秋口にも見通せるかもしれない。

 さて、高杉晋作の方だが、歴史上の人物ではあるが歴史に残る評価というのは、はなはだ心もとない。塾頭は、尊王攘夷でも外国(英国・中国)の実態を知って行動していたという点は買うが、近代史の大家・奈良本辰也氏は次のようにいっている。(『幕末・維新おもしろ事典』三笠書房)

 かれが活躍した時期は、文久二年(1862)あたりから慶応三年(1867)、年齢でいえば二十四歳ごろから二十八歳で死ぬ(結核・塾頭注)までの、わずか五年程度にしかすぎないのだが、やったことを並べてみると唖然とせざるをえない。

 よくいえば豪華絢爛なのだが、よくよく眺めてみると本気なのかふざけているのか見当がつかない。語録としてまとめてみても抱腹絶倒の連続で、天才なのか単なる遊び人なのか頭をかしげてしまう。

 辞世の句からして「おもしろきこともなき世をおもしろく……」とまで書いて力尽き、その下の句を野村望東尼につけてもらうわけだが、後世の人間にとってこの男ほどおもしろい人物はめったにいない。

 ――というように、専門家でも歴史的評価がしにくい人物だ。菅さんは、山口県生まれで、長州藩なら安倍晋三のように吉田松陰となるところだが、小学生時代の尊敬する人物は、同藩の晋作であつた。

 晋作の理念と人物、どちらにひかれたのだろうか。士族以外の農民・町民・僧侶・神官などを組織した奇兵隊リーダーとしても有名だが、別に市民運動を組織したわけでなく、藩の方針に沿ったまでだ。やはり彼の「生きざま」の方だろう。

 そうすると、野党をはじめ外野がいうような、「権力にしがみついて」というようなことはなさそうだ。また、相談なしに時々意表をつく発言をしたり、相手をはぐらかしたりするのは高杉流だ。しかし、まわりの人は、どれが本音かわからない。

 また、諮問会議のようなものをどんどん作るが、自分自身の方針がわからない、決定が遅い、という非難もある。塾頭は、これこそ市民運動出身者としての特徴をあらわしていると思っており、優秀な官僚に立ち向かえる唯一の武器にしているはずだ。しかし、まわりに市民はおらず、それが指導力を要求される宰相としての器量が疑われる原因になった、ということだろう。

 晋作は、当局の指名手配から身をかくすため、愛人同伴で四国金毘羅の博徒日柳燕石(くさなぎえんせき)の庇護を受けた。菅さんは四国八十八か所のお遍路さんで行き残したところをまわるそうだ。まだ枯れていい年ではないが、回顧録でも何でもいい。鳩山さんのように恥をのこさず、歴史に残る仕事だけはやりとげてほしい。

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2011年6月 2日 (木)

不信任案否決

 菅内閣不信任案は、マスコミの懸命な「菅危うし」予告にかかわらず見事に裏切られた。接戦どころか与党側の圧勝である。その前提には、民主党代議士会で菅首相が明らかにした、震災復興のめどがついた時期を見て辞職するという発言がある。

 不信任案賛成  152票 34%
       反対   293票 66%
 (投票総数)    445票 100%

 不信任案は、自・公・たちあがれの3党提出で、その他の野党は共同提案に加わらず、社・共は棄権にまわった。最大の焦点となったのは、民主党の造反者がどれだけ出るかであった。代議士会では、小沢氏と行動を共にするといっていた鳩山氏が、自発的辞任の申し入れを受け入れてもらった、と方針転換を表明、本会議場では青票を投じた。小沢派にしてみれば、裏切りである。

 また、原口一博氏も要求が容れられたという理由で賛成投票を避ける意向を示していた。小沢元代表ですら、自主投票という線まで後退し、小沢氏をはじめ15人(社共などを含めると33人)が本会議を欠席または棄権した。小沢氏の最後の賭けは、今後平将門に終わるのか、壊し屋として奇跡の復活をはたすのか。追い詰めたはずが、離党するのかどうか逆に追い詰められている。

 小沢支持グループのうち去就を決めかねていたメンバーは、党首会談や本会議開催直前に開かれた代議士会の模様まで見極め、ぎりぎりまで態度を決めかねていた。その経過の中で、昨日から今日までの間、風は賛成から否認に傾いているな、という感じがしていた。

 マスコミは何度も震災被災者や国民にマイクを向けていたが、「こんな時期にどうして国民そっちのけで、政争に明け暮れするのか」「首相をかえるというのか」という声に圧倒され、首相不信任の理由に首をかしげていることが明瞭になっていた。

 さらに、党首討論がそれに追い打ちをかけた。守勢で丁寧に協力を要請する首相と、具体的な失政をつく決め手を欠く谷垣総裁。攻めあぐねて最後は、「与党内をまとめてください」という内政干渉めいたの捨て台詞で終わった。山口公明党代表はもっと愚劣だった。中身というより、やくざの恫喝まがいの怒声は、国民にますます泥仕合の印象を残すだけになった。

 ここまで、小沢派の力がそがれたのは、鳩山工作もあるが野党の戦術の拙劣さにも原因がある。しかし最大の要因は国民の気持ちだろう。菅首相の辞任時期についてその時期が云々されているが、秋にはオバマ大統領と会う約束がある。辞任を表明した首相が大統領と正式会談をするわけにいかないので、決着をどうつけるか、それがひとつの目安となりそうだ。

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