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2011年5月23日 (月)

前方後円墳のなぞ

 今月に入って、原発以外をテーマにしたのは1回しかない。間をとってブログをすこし軽くしたいという気持ちが今回の題。古墳は塾頭の趣味でもあるので、これまでも斉明天皇陵など何回も取り上げてきた。

Dscf3415  今回は、特定の古墳ではなく、卑弥呼の頃(3世紀中ごろ)から推古、聖徳太子の前(6世紀いっぱい)まで続いた「前方後円墳」のなぞと特異性である。最大のものは、仁徳天皇陵といわれる大山(だいせん)陵古墳の全長486mで、北は岩手県から九州一円に至るまで、大山陵の10分の1程度のミニ古墳も含めて一体いくつあるのだろう。

  あの鍵穴のような、三味線のばちのような、あるいは帆立て貝のな独特の形が特徴的で、あなたの身近にもきっとあるはずだ。宮内庁指定で立ち入り禁止の皇室陵に指定されていなければ、その一番高いところにのぼることをお勧めする。

 古墳が作られる位置は、大抵海とか川から見上げられる眺めのいいところ、という説がある。支配者に畏敬の念を集めさせるため、というのが定説だが、葬られた故人にとって気分のいい場所というのもあってもいいと思う。そういった思いであたりを見渡したい。

 一番高いところは、通常後円部だが、何故「後」円なのだろう。どっちが前か後ろか決め手がないのに、学者さんが勝手に決めたらしい。そういえば、天皇陵などでは、前方部に向けて鳥居が立っているところもあり、そこが前だといわれればそうなのだろう。

 最も合理的な説明は、周りの土を掘って、円や四角のやや大型の墓を造る風習は弥生時代にすでにあった。その土を掘ったところが池になり、一か所だけ通れるところを残した。それが発展し定着したのが前方後円墳で、鏡なら柄に当たる部分が墓の前にあたるというものである。

 もうひとつわからないのが、前方後円の向きである。カットでご覧のように、すべてバラバラで勝手な方角を向いている。全国すべてそうで、比較的揃っている奈良県北部の佐紀古墳群は、円部を頭とするとすべて京都の方を向いているようだが中には例外もあり、中心線を引いてみると平行にはならない。

 ピラミッドであろうとアンデスであろうと、古代遺跡の祭祀に関する方向感覚は極めて正確で、現代人を驚かせる。日本も例外ではないという所説を見たことがあるが、この無法則なバラバラさ加減はなぜだろう。誰か研究した人はいないのだろうか。

 前方後円墳がもてはやされるのは、中国文献にある卑弥呼の時代に箸墓という大型前方後円墳が奈良盆地の纏向に出現し、都あとらしい建物跡も見つかった。その後、同タイプの墓が急速に全国的に広まったことによる。

 最初の頃のものは、縦に穴を掘って棺を収め、纏向の王朝から配られたと見られる三角縁神獣鏡が多く副葬されている。また円筒形の埴輪とか、特殊な祭器など各地で共通する器物が出土する。

 後期に入ると墓室は横穴式に代わり、石棺の構造など同じ工人が作ったとしか思えないような似たものが発見される。そういった伝播のしかたを見て、纏向から始まったヤマト王朝が墓型や大きさなどをコントロールする支配地域となったという解釈がでてくる。

 いずれにしても、伝説・神話に近い時代から確実な文献・資料がある時代につながって前方後円墳が続いたということが大切で、万世一系は信用しないがヤマト王朝の伝統が引き継がれてきたことは確かだろう。

 しかし、その後の律令時代や現在の法制のような中央による地方の支配と言った考え方をするのも無理がある。スタイルが似ていると言っても、個々を見ると独自性があり、中央規格で統一されているようには見えない。

 むしろ、葬祭をめぐる交流のなかでもたらされる共通の道具や器物の普及とか、「これはいいなあ、この部分は真似してみたい」という中央思考の流行のようなものではないか。そういった個性的な面が、テンデバラバラの方角に頭を向けた作り方に関係しているような気がする。

(図版は古市古墳群。白石太一郎『古墳とヤマト政権』より)

【続・前方後円墳のなぞ】
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-2219.html

【前方後円墳のなぞ(その3)】
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-8890.html

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コメント

確かに、全体を通して見ると、向きがばらばらで統一が取れておりませんね。
しかしながら、当時の地形等で立体的な側面から見ると、果たして何らかの事情もあるのでは無いかとも推測されそうな気もします。

例えば、ピラミッドもそうですが、マヤ文明の古代遺跡とか見ると、天文学等の様々な面で統一が取れたものになっていることを思えば、これも日本文化との相違点とみることも出来ます。

日本文化というものは、感性があって理性は後から生まれてくるようなもので、理性があって感性は後からついて来るものと言う外の文化との根本的な違いがあると見れば、それだけで納得することも出来ます。

これも、当時の日本人達の感性の賜物ということで、一つの文化遺産として、民族博物館や歴史考古館当たりで保存し、外国人観光客に見せても良いのでは無いでしょうか。

投稿: asa | 2011年6月 3日 (金) 22時18分

感性説というのは、ひかれますね。図版の古市古墳群は、川が大きく蛇行した中にあります。しかし、それは現在の地形で、当時はどうだったか。現地に立ってみて想像するしかありません。

まあ、割と自由奔放だったという点はどうでしょう。理性で説明してくれる人があらわれないものか。政治よりこういったことを考えている方が健康によさそうです。

投稿: ましま | 2011年6月 5日 (日) 11時52分

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