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2011年4月19日 (火)

松岡外交

 日本の現代史で、良くも悪くも外交で活躍した人というと、幣原喜重郎、松岡洋右、吉田茂の3人を思い浮かべる。幣原は、「幣原外交」と名付けられたような、緊張緩和・平和外交が持ち味。松岡は、国際連盟脱退に見らけるような強硬路線と日独伊三国同盟。そして、吉田が巧妙にさばいた戦後処理である。

 吉田はさておき、松岡は幣原を「軟弱外交」とレッテルを貼って、議会で猛攻撃を加え名を上げた。さらに満州事変をめぐる国際連盟の決議に首席全権として出席、唯一の反対票を投じて連盟を脱退し、国民の喝采を得た。

 外務大臣となった1940年(昭和15)には、三国同盟に調印、翌年は日ソ不可侵条約をまとめた。三国同盟は、太平洋戦争勃発の多きな誘因となったとされるが、戦後はA級戦犯として逮捕され獄中で病死した。片や幣原は、戦後2番目の総理になって新憲法を起草する役割を担った。

 松岡は、昭和天皇に嫌われていたというが、戦後の歴史家からも、軍の意向を容れたようにとられ、評判はあまり良くない。中国や満州で仕事をしたため、「大陸派」という位置づけがあるが少年時代をアメリカで過ごし、外交官となってパリ講和会議(1919)に広報官で派遣されるなど、世界的な視野は広い。

 松岡は日本を孤立させるのではなく、もっと壮大な構想を抱いていたようだ。しかし、結果は「策士策におぼれる」結果となった。歴史上はたびたび名が出てくるが、外相を務めたのは第2次近衛内閣のわずか1年に過ぎなかった。

 麻雀が好きで、「役万を作ろうとして役万に振り込む」ような男、という評判がある。周囲にはお構いなく、自ら描いている理想に突っ走る。そのためには手段を選ばないが、独善が災いして結局は身を亡ぼし日本を亡ぼす結果になった。 

 次に示す松岡語録は、向米一辺倒のこれまでの外交は、外交ではないと喝破しているいうようなもので、現今の外交とのスケールの違いを見せつけている。また、対米交渉でも、彼の米滞在経験からくる教訓を残している。

(その1)
 将来長きにわたる根本の目標と、その目標地点に到達する道行とは混同してはならない。具体的にいうと、ある国と提携しなければならない目標を定めても、これへの到達の途中、その相手国といがみ合うこともあろう。

 またどうしても敵として倒さねばならぬ国でも、国際関係の現実に立脚して、やむなくいちじ媚態を呈しなければならないこともあろう。否、相抱擁しなければならないことさえ絶無とはいえない。それはマキャベリズムであっても、現実に処するにはしかたがない。

(その2)
 アメリカ人を相手にするとき、卑屈はいちばん禁物であり、凛乎として、なぐられたらなぐり返す気合を示してこそ、うまく事が運ぶし、また親友にもなるチャンスも生まれてくる。(林茂編『人物・日本の歴史14』読売新聞社、所載)

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