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2011年4月 8日 (金)

奈良大仏のお返し

 4月8日は、花祭り、灌仏会、お釈迦様の誕生日だ。ネット上の「今日は何の日」にも出てこないようなさびしい日になってしまったが、仏教系の幼稚園に入った人なら、何らかの楽しい思い出があるだろう。

 クリスマスをはじめ、バレンタイン、ハロウィーンなど、かつての日本文化に関係のないキリスト教祭日だけが、なぜかいやに幅をきかせている。4回前に鎌倉大仏を書いたので、今度は奈良の大仏へ行って見よう。

 奈良の東大寺が1億円の借金をし、これを東日本大震災被災者救済の寄付金に充てるというニュースがあった。飢饉や疫病から民を救う悲願から大仏建立を思い立った聖武天皇の故事にあやかるものだという。

 今上天皇・皇后両陛下は、都内から仙台・東北各地まで足をのばして被災者を見舞うことになったようだ。これもまた前例がない。ま、それはともかく、聖武天皇の詔(743年・天平15)というのを見てみよう。

 国中の銅を尽くして尊像を鋳、大きな山の木をみな伐って仏殿を構え、ひろく法界におよぶまで朕の知識(同志)を集めて、ともに利益を受け菩提を招致したいと思う。

 天下の富をたもつのは朕であり、天下の勢いをたもつのも朕である。この富と勢いとをもってすれば、事はなりやすいが、心はかえって至らなくなる。といって、強いて人々を協力させようとすれば、不満の声もあがろうし、罪に落ちる者すら出るであろう。

 それゆえ知識に加わろうとする者は、至誠の心をもって、毎日三度盧舎那仏を心に念じ、みずからが大仏をつくのまつるというきもちになってほしい。さらにまた、一枝の草、一把の土ほどのわずかな物でも、造営のために寄進したいという者がれば、願いのままみな許そう。

 国司・郡司たちは、今度の事を口実に、百姓を徴発したり、増税したりしてはならない。(『日本の歴史3』中公文庫より)

 どうやら、見通しのないまま、積極財政に打ってでたらしい。『続日本紀』はすでにこの年、「用度の費やすところ、あげて計(かぞ)うべからず」と書き、橘奈良麻呂は、後年「東大寺造って人民苦辛す」といっているから実質は大衆負担となったのであろう。

 それでも、見事にできあがったのは、749年陸奥国小田郡(宮城県遠田郡)から黄金が発見されて、財政を救ったことが大きい。陸奥国の大災害に、東大寺としてはほお被りできないいわれがあるということになる。

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