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2011年4月

2011年4月30日 (土)

「脱・原子力ニッポン!」を(5)

 原発割安神話はくずれた

 いま稼働中の原発を全部ストップする、それで安全になるかといえばそうはいきません。福島原発も地震発生と同時に核分裂反応は自動停止したのです。しかし危機的な状況に陥ったのはその後の事です。ベテランの技術者の手で、長期間管理し続けなければなりません。

 原発の運転を全部やめるというのは、供給電力の3割がなくなることになり、日本中が厳格な計画停電でマヒ状態に陥るでしょう。決して現実的な解決策とは言えません。今の段階では、福島の経験を教訓に安全対策を総点検し、追加措置を講じながら次の点検時まで運転続行を図るべきでしょう。しかしこれは、あくまでも地元自治体の意向が優先します。

 新しい原発を作れば、確実に地球上の放射性廃棄物が増えていきます。完璧に減らすためには巨大宇宙ロケットでも作って軌道外に放り出すしかなさそうです。今回の事故の損害補償金は、結局電気料か税金で国民が負担することになるでしょう。

 今後の事故に備えた追加の投資、地元対策、割高になる保険金どれをとってもコスト増要因だけです。かわりになる新エネルギーは、倍以上のコストがかかると言われてきましたが、最近は増産効果や技術革新で安くなり続けており、逆転に手がとどくところまで見えてきたようです。

 ことに有力なのが太陽光や風力で、太陽光は消費場所に最も近いところに設置でき、送電コストがかからない、運転やメンテのコストもほとんどゼロ、電力需要がピークになる夏の昼間がもっとも発電に適しているのも強みです。

 夜は発電できませんが、逆に原発は、電力が余っている時間帯であっても24時間体制で運転し続けなくてはならない運命を持っています。その電気を水力発電所の水車を逆転させることに使うようですが、ロスはまぬかれませんね。同じ水力でも巨大ダムの1極集中ではなく、小型分散型ならまだまだ開発可能だと思います。

 余談ですが、世界一の石油埋蔵量を誇るサウジアラビアは、同時に太陽光資源でもぴか一です。雨が少なく国土の大半が利用できない酷熱の砂漠であれば、太陽光発電にもってこいです。
 日本がその発電に協力し、冷房、淡水化設備などに利用してもらい、それに相当する石化燃料を送ってもらえば、CO2総量は変わりません。

 海洋国日本では、洋上風力発電が有望のようですが、潮力、波力といった未開拓の分野があり、地熱利用にも期待が持てます。今のままでも電力不足で不自由が続いたり、経済が落ち込むことは避けられません。仮に脱原発によりそれが長引いたとしても、核のない世界に夢を託した方がいいと思いませんか。

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2011年4月28日 (木)

「脱・原子力ニッポン!」を(4)

 「鉄は国家なり」、そういうキャッチフレーズがあったかどうかわかりませんが、卑弥呼の時代がそうだった。朝鮮の慶州のあたりで競って掘り出し、日本に移入して矢じりや剣などの武器、鍬など農機具、工具などに加工・供給した有力豪族が支配者になったようです。

 最近では昭和はじめから戦後にかけてです。軍艦、大砲、戦車みんな鉄です。八幡、富士など巨大鉄鋼会社が産業の花でした。戦後復興も鉄の役割は大きく、製鉄のための石炭の「傾斜生産」などという産業政策がとられました。

 西洋でもそうですね。戦後にできた欧州石炭鉄鋼共同体が今のEUのはじまりです。それがしばらくして日本は「原子力は国家なり」になりました。ただ、日本は原爆被害国なので、表だっては言えません。

 そこから高度成長が始まり「神武景気」「いざなぎ景気など、神話がはやりました。GNP(国民総生産)神話があります。それは、日本のエネルギー消費量の伸びと全く同率でした。その中に、原発の「安全神話」もひそめられていたのです。

 神話の作り手は、政府、原子力委員会(初代委員長・正力松太郎、委員にノーベル賞受賞者・湯川秀樹博士も着任したが、就任後1年余で委員長の無軌道ぶりに愛想をつかして辞任;前掲書)、そして、学者、メーカー出身者等からなり、疑義をもつ人を委員から排除する、同安全委員会です。このシリーズ(1)では次のように書きました。

「原子力体制」という言葉は、政・官・電力会社・地方自治体、それに学・メーカーまでを一丸とし、手厚い国の保護のもと市場原理とは縁のない一種の社会主義的な施政をいい、いまなお公式に通用している。

 政府が特定の産業育成のため資金と人をつぎこみ、自由競争を排除するのが、社会主義体制です。また資本主義体制なら、企業は売り上げを増やし経費を最低限にし、利益をあげて株主に奉仕するわけです。

 この度の福島原発事故は、その両体制のもっとも悪いところをだけを備えてしまった「原子力体制」が犯人です。その体制を構成する上記の6者がいずれも責任を取ろうとしません。中には知らん顔で、早く攻撃する側につきたい、と思っている人(ことに政治家)さえいます。

 その原子力体制ですが、事故がなくてもそろそろ崩れかけていたのです。国内電力需要の頭打ち、原発立地のむつかしさ、安全対策の追加投資、新技術開発の停滞、放射能廃棄物対策などでコストは上がる一方、政府の後押しがなければとてもやっていけない事情です。

 今回は「脱原発」に反対する人へのメッセージを書く予定でした。紙数がつきそう?なので簡単にします。統一地方選では、脱原発に反対の首長や議員も多く選出されました。こんな状態でも今世論調査をすると、計画停電のブラフが利いており、過半数が現状維持、脱原発反対になるような気がします。

 原発の賛否に右か左かの差はありません。橋下知事は、脱原発を宣言したようです。石原知事や池田自民党総務会長などは依然として原発依存主義です。マスコミ報道だけでくわしい理由は分かりませんが、1、日本経済を支えるため必要、2、コストが安い、3、新エネルギーは量と価格で太刀打ちできない、などのようです。

 1、は「鉄は国家なり」を引き継いだGNP神話そのままの発想で古い。2、は政府援助や追加投資、廃棄物処理のコストを計算に入れていない見込み違い。3、はそう決めてかかるほどの差でなくなった。という見識に背を向け、なおかつ今の「原子力」体制にメスを入れていないようでは、一顧だにする価値がないでしょう。

 もうひとつ共通して言えるのは、今後増え続けて減ることのない放射性物質の脅威について、何の危惧も抱いていないような無神経ぶりです。今後、電力が何でまかなわれようとも必ず料金が上がります。それでないと膨大な今回の事故補償費がまかなえない。そのうえ、また大事故を起こす可能性のある原発を作るおつもりなのでしょうか……。

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2011年4月26日 (火)

「脱・原子力ニッポン!」を(3)

 科学史、技術論などの分野で論文を多く発表し、『思想の科学』の創刊など、科学のあり方を鋭く問い続けてきた物理学者、武谷三男氏(2000年4月没)が編纂した『原子力発電』(岩波新書)という著作がある。

 この本は1976年2月、つまり35年前に発行された本だが、その冒頭「序にかえて」で、今回の福島原発を予測したかのような名文がるので、今回はその紹介にあてたい。

 原子力利用の長い道のりは、目前の目的のためにあせればあせるほど、ますます遠い見果てぬ夢となっていく。原子力はまだ人類の味方でなく、恐ろしい敵なのである。日本の諸所方々に建設され、さらに計画されている大型の原子力発電所が何をもたらすだろうか。さらに世界の原子力発電所が人類に何をもたらすだろうか。われわれは無関心でいるわけにはいかないのである。

 現代はいまだに原水爆時代であって原子力時代ではない。これは私がすでに東海一号原発導入のとき以来唱えつづけてきたことであるが、現在もそのまま成立する。一般にいって戦後の技術革新をになう主要な技術は、第二次大戦中に開発されたもので、戦争の性格を強くもっている。圧倒的規模での大量生産、大量消費は、第二次大戦の「みな殺し戦争」のやり方を、利潤場面に転用したやり方であり、戦争は勝つことだけに目的があり、あとは野となれである。戦後平時の各国独占資本のシェア争いの場面で同じことが行われ、あとは野となれ式競争が、地球汚染をまねき、特にブレーキのない日本で公害天国を現出させた。

 第二次大戦およびその後の技術革新の特徴を象徴的にあらわしているのが原子力である。これは戦争技術としては人類の滅亡を、今日直ちに用意しており、平和利用も不用意にやられたとしたら、やはり、じわじわと人類を滅亡に導くであろう。

 結論的にいうと、原子力平和利用は一方において、原水爆を克服しない限り、人類のものとはならない。他方において、世界で利潤機構が本質的な役割を果たしている限り、人類を蝕む脅威をますます増大させていくだろう。

 今日、原子力を考え、それに対処する場合に、今日までの道のりを常に念頭におかねばならない。原子力との取り組みの苦闘の歴史が最近ほとんど忘れられているのは残念なことである。故坂田昌一博士は三害として「歴史の忘却」「経験主義」「固定化」をあげていたが、歴史の教訓を高度の意味でとらえることが必要であろう。

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2011年4月24日 (日)

「脱・原子力ニッポン!」を②

  前回、「原子力体制」と名付けられた日本の政策キャンペーンの話をした。意識して生まれたものではないが、「55年体制」と呼ばれた体制も、50年とは持たなかった。ところが、「原子力体制」は60年近く命脈を保ち、この度の事故がなければまだ続いたに違いない。

 冷戦が日本の原発を産み落とした」というと、「エッ?」と思う人もいるだろう。「原子力体制」作った時の客観条件がなくなっているのに、そのままの「体制」を引きずっているのは、占領軍を引き継いだ形で安保条約が結ばれ、1960年以来変えようともしなかった「惰性の政治」そっくりそのままくりである。

 占領時代は、GHQにより、原子力の研究は禁止されていた。それが、復活し、米仏に次ぐ第三の原発大国になった裏には、米ソ間の熾烈な核開発競争があった。例をあげてみよう。
 ・1953/5 米、ネバタで原子砲実験
 ・1953/8 ソ連、水爆実験に成功
 ・1954/1 米、原子力潜水艦進水
 ・1954/3 米、ビキニで2度目の水爆実験
 ・1954/6 ソ連、世界初の原発送電開始
 ・1955/3 フランス、原爆製造開始
 
 そして、わが国の原子力体制の骨格がほぼ固まったのは55年末頃である。

 日本の原子力政策の特徴は、国家安全保障の基盤維持のために先進的な核技術・核産業を国内に保持するという方針(これを「国家安全保障の基盤維持のための原子力」の公理と呼ぶ)を不動の政治的前提としている。

(中略)「国家安全保障のための原子力」の公理というのは、日本は核武装を差し控えるが、核武装のための技術的・産業的な潜在力を保持する方針をとり、それを日本の安全保障の主要な一環とするということである。

 それによって核兵器の保持を安全保障政策の基本に据えるアメリカと、日本の両国の軍事的同盟の安定性が担保されている。「国家安全保障のための原子力」という言葉の付帯的意味には、先進的な核技術・核産業をもつことが国家威信の大きな源泉となるという含意がある。(吉岡斉『原発と日本の未来』岩波ブックレット、より)

 当時の日本人は、54年にマグロ漁船第5福竜丸がビキニ沖で死の灰を浴びたり、55年に第1回原水爆禁止世界大会が開催されるなど、放射能被害には敏感だった。 その一方で、これから超エネルギーである原子力が技術の力でコントロールされ、人類の平和に貢献する、新生日本は、それには乗り遅れないようにしたい、こういった願望は「鉄腕アトム」にも表現された。

 アメリカにとってはどうか。極東で核兵器は持たないが、核技術すべての工程をこなせる国が西側陣営に加わっている、これは核競走にとってプラスにこそなれ、マイナスではない。そういった日米の戦略は、当時あまり表面に出てこなかった。

 しかし、東西冷戦の終結、ソ連の解体、日本の高度成長、電力需要の急増などで「原子力体制」の背景は全く変わった。そのあと、さらに変わっている。スリーマイルやチェルノブイリの事故などを受けた原発立地反対運動、これから増加する耐用期限切れの原発対策や安全対策、放射性廃棄物処理などのコスト増である。

 先進国では、この先原発が斜陽化しかねない状況だったが、そこに現れてきたのが、地球温暖化防止策としての原発と発展途上国からの需要増大である。これを原発関連事業者や「体制」に依存してきた面々は、「原発のルネッサンス」と呼んでいるようだが、もはや「体制」が形骸化していることを裏付けたようなものだ。

 政府の援助を期待する「体制」を残す道は、内外に向けて「脱原発」に全勢力を傾けるしかないだろう。それは、決して後ろ向きの事業ではない。原発はますますコストが高騰し、住民への補償などを考えれば、民間会社としてリスク負担をこえる原発の新設・運営を続ける会社はなくなるに違いない。

 核の技術は、原発からのリーズナブルな撤退、廃棄物処理、核軍縮に伴う業務などに活用して海外にも売り込み、併せて新エネルギー開発、環境保全などが営利事業として成り立つよう、新たな体制としての再構築が期待される。これまでの方針の延命策は、亡国への道でしかない。

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2011年4月22日 (金)

「脱・原子力ニッポン!」を①

 「唯一の被爆国・日本」が、「3度目の被曝国・日本」になった。

 「これからの日本をどう作っていく」といった議論が盛んになりそうだ。当塾は声を大きくして主張する。これはチャンスだ、「脱・原子力ニッポン!」でいこう。 というと、「自然にやさしい新エネルギーの開発普及」と思うだろう。そうではない。それは半分で、あとの半分は、原子力の研究とそれにたずさわる事業で世界一となれ、ということである。

 原発を作ったり外国に売り込んだりするのではなく、原発を廃炉にしたり、放射性廃棄物処理のノウハウを持ったり、核弾頭や原潜・空母などの解体事業を行うのだ。地震国ニッポン、被曝国先進国ニッポンの生きる道である。

 当然、外交は核軍縮・核拡散防止、戦争放棄の先頭に立つ。日米同盟がこれで壊れることはない。むしろ深化につながるだろうし、つなげなくてはならない。自民党でもない、民主党でもない、そのような政策を掲げて新党立ち上げれば、やがては第一党になれるはずだ。

 結論を先述べたので、ここから先は時間のある方だけお読みいただき、妄言でないことをご理解いただきたい。

 世界の原発は、去年までの統計でアメリカ104基、フランス58基、日本54基、以上がベストスリーで、第4位が日本の半分のロシア14基である。脱原発国を名乗れる資格十分の実績(福島の経験を含めて)を持っている。

 日本に原発建設を促進させる政策はいつから取り入れられてきたのか。講和条約が発効してわずか3年後の1954年、早くも改進党議員・中曽根康弘らによる動きがあり、読売新聞社主であった正力松太郎がひそかにアメリカのCIAとわたりをつけ、55年末までに「原子力体制」の骨格がほぼできあがった。

 「原子力体制」という言葉は、政・官・電力会社・地方自治体、それに学・メーカーまでを一丸とし、手厚い国の保護のもと市場原理とは縁のない一種の社会主義的な施政をいい、いまなお公式に通用している。

 「体制」といえば、戦争前近衛内閣当時の「新体制」を思い出さざるを得ない。国家目標を実現させるために政党を解体し国論の統一をはかる方向だ。日本人の悪い癖だが、その体制に乗らない、また乗れない輩は「反体制」として村八分になり、競ってバスに乗り遅れないようしがみつく。

 当塾は、核の傘論や北朝鮮の核などに関連して、核に関する研究や核武装についての議論すら封印する、いわゆる核アレルギーにつていは批判的だった。一方、原発の安全神話には懐疑的で、新設ではなく撤退の方向が正しいと思っていたし、輸出についても、事故をどう防ぐのかが気になっていた。

 しかし、「脱原発」とまでは言わなかったのは、そのうち、画期的な技術の進歩があり「原子力の平和利用」に寄与する余地があると思っていたからだ。それがもろくも崩れ去ったのは、今回の原発事故で示された「原子力体制」への不信である。

 「体制」とは便利な道具だが、いざとなると誰も責任をとらない。ことに許しがたいのは、原子力安全委員会などを構成する学者で、「想定外」などを集団で陳謝したものの誠意は全く感じられない。現委員が現地本部を訪れたのは、事故発生から40日もたってからやっと1人来ただけだという。

 旧委員の中には、安全神話に加担した反省で謹慎するのかと思ったが、逆にあれやこれやのアイディアを持ち込み、政府や現場がそれを採用しないとか、決定が遅いといって荒れ狂っているものがいると聞く。

 そんな手合いにこの先の新技術に夢を託すわけにはいかない。しっかり自らを総括し、新論文を提出してみそぎを済ませてからでないとこの世には出せない。次いで、このブログでも指弾していた東電幹部である。こう見てくると政府が最も最善を尽くしているようだが、最高責任を背負う立場だから逃げはきかない。

 これからの最も重い責任は、60年近くも続いたこの「体制」を菅首相の言うように「白紙に戻して」再検討することである。当ブログで「原発を国営化せよ」と主張したが、これは、電力会社にこれまでのような無責任な運営を任せられないという一時的な措置である。民主党は結局「体制」に取り込まれてしまっていたが、これを見直すことができるかどうかである。

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2011年4月21日 (木)

原発対応と消防の違い

 同じ災害でも火災と原子力災害ではずいぶんちがう。どう違うか。

 消防は「喧嘩と火事は江戸の華」の時代から、数百年におよぶ伝統と実績があるが、原発ではすべて初体験。

 消防法という法律がある。その基本精神は「自分の事は自分が守る」である。たとえば無人島とか野中の一軒家がある。隣の家や山林などに延焼するおそれもない。そういうところは持主が火の用心をすべきで、消防隊が出動することはない、という考えだ。

 したがって自分の町は自分が守るという消防団の発想、江戸でいえば火消し「め組」のプライドがそのベースにある。政府の所管も統合前の自治省、今の総務省となるが、細部は自治体の条令で定められ、しばしば中央の基準を上回る規制をすることもある。

 消防法には「危険物」の規定がある。石油は全面的に危険物で、灯油はもとよりアスファルトまで入り、化学薬品もそうだ。ところが、火災の原因ですくなくない電気・ガスは危険物ではない。もちろん核燃料棒も放射能も入っていない。

 電気・ガスの保安、安全は経産省(旧通産省)の管轄で、産業保護・奨励の立場からコスト増になるようなことは避けたがる。消防法にゆだねられている部分ならば、地方議会は安全確保を最優先し、保守から共産まで全会一致で厳しい規制を条令化することができる。

 危険物を製造・保管する工場では、町の消防が来てやたらに水をかけたりするとかえって危険な場合がある。それを考えて昔から自衛消防隊を自前で組織していた。現在は、一定規模を超える施設がある地域には、単独または企業が共同で、高所放水車、化学消火車など特殊機能を持った機材を駆使する自衛消防隊設置が義務付けられている。

 福島原発で、なにも外国から取り寄せなくても高所放水車は国産でいくらでもあるのだ。どうして警察の高圧放水車などを思いついたのだろう。それより、今頃電源車を配備するなど、災害時の自衛組織が大アマだったことは、国家主導・地方軽視または蔑視による災害としかいいようがない。

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2011年4月19日 (火)

松岡外交

 日本の現代史で、良くも悪くも外交で活躍した人というと、幣原喜重郎、松岡洋右、吉田茂の3人を思い浮かべる。幣原は、「幣原外交」と名付けられたような、緊張緩和・平和外交が持ち味。松岡は、国際連盟脱退に見らけるような強硬路線と日独伊三国同盟。そして、吉田が巧妙にさばいた戦後処理である。

 吉田はさておき、松岡は幣原を「軟弱外交」とレッテルを貼って、議会で猛攻撃を加え名を上げた。さらに満州事変をめぐる国際連盟の決議に首席全権として出席、唯一の反対票を投じて連盟を脱退し、国民の喝采を得た。

 外務大臣となった1940年(昭和15)には、三国同盟に調印、翌年は日ソ不可侵条約をまとめた。三国同盟は、太平洋戦争勃発の多きな誘因となったとされるが、戦後はA級戦犯として逮捕され獄中で病死した。片や幣原は、戦後2番目の総理になって新憲法を起草する役割を担った。

 松岡は、昭和天皇に嫌われていたというが、戦後の歴史家からも、軍の意向を容れたようにとられ、評判はあまり良くない。中国や満州で仕事をしたため、「大陸派」という位置づけがあるが少年時代をアメリカで過ごし、外交官となってパリ講和会議(1919)に広報官で派遣されるなど、世界的な視野は広い。

 松岡は日本を孤立させるのではなく、もっと壮大な構想を抱いていたようだ。しかし、結果は「策士策におぼれる」結果となった。歴史上はたびたび名が出てくるが、外相を務めたのは第2次近衛内閣のわずか1年に過ぎなかった。

 麻雀が好きで、「役万を作ろうとして役万に振り込む」ような男、という評判がある。周囲にはお構いなく、自ら描いている理想に突っ走る。そのためには手段を選ばないが、独善が災いして結局は身を亡ぼし日本を亡ぼす結果になった。 

 次に示す松岡語録は、向米一辺倒のこれまでの外交は、外交ではないと喝破しているいうようなもので、現今の外交とのスケールの違いを見せつけている。また、対米交渉でも、彼の米滞在経験からくる教訓を残している。

(その1)
 将来長きにわたる根本の目標と、その目標地点に到達する道行とは混同してはならない。具体的にいうと、ある国と提携しなければならない目標を定めても、これへの到達の途中、その相手国といがみ合うこともあろう。

 またどうしても敵として倒さねばならぬ国でも、国際関係の現実に立脚して、やむなくいちじ媚態を呈しなければならないこともあろう。否、相抱擁しなければならないことさえ絶無とはいえない。それはマキャベリズムであっても、現実に処するにはしかたがない。

(その2)
 アメリカ人を相手にするとき、卑屈はいちばん禁物であり、凛乎として、なぐられたらなぐり返す気合を示してこそ、うまく事が運ぶし、また親友にもなるチャンスも生まれてくる。(林茂編『人物・日本の歴史14』読売新聞社、所載)

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2011年4月18日 (月)

美談

  これほど日々「美談」が聞ける世の中を塾頭は経験したことがない。戦時中も「美談」はあふれていた。肉弾3勇士、軍神・広瀬中佐など勇敢な兵士の話、銃後の母や節約して飛行機献納したなどの軍国物語だ。Dscf3393_2

 しかし今回のは違う。語りがない、教えもない、ヒーロー・ヒロインもいない。あるのは、瞬発的な心と感動と連帯で、そこに「公」の姿はない。それは震災を知った人か被災した人かを問わない。このかつて体験したことのない、またこれからも体験することがないだろう現実を共有し、生き抜こうとする決意、それが「美談」として現れる。

 日本人だけではない。多くの外国人。「この困難を耐え忍び、これで利権を得ようとする不届きものなど一人もなく、団結する姿に感動した」と報道される。政治退廃への皮肉できないか、と思う心の悲しさとわびしさはいかんともしがたい。

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2011年4月15日 (金)

倒閣を言う売国政治屋

 右翼が気に入らない人につけたがる常套語「売国」という言葉をあまり使いたくない。しかし、日本が戦後築いてきた国際的信頼が大きく毀損し、復興に疑念が持たれているような時期、国政を停滞させ、混乱させようとする行為がどうして愛国的と言えようか。

 首相に辞任をつきつけているとマスコミが報じている4人である。西岡武夫、鳩山由紀夫、小沢一郎、谷垣貞一、その他大勢いるが付和雷同組としてここでは書かない。まず、4人組が言う初動措置の混乱、指導力欠如、方針不明瞭、言動への不信、そういったことが、仮に本当だったとしよう。

 それであっても、福島原発事故処理や放射能対策、行方不明者の捜索など、寸刻を争う懸命の仕事が菅首相の下で今も進行中である。首をすげ替えることで、それらがうまくいくというのであろうか。

 逆である。指揮命令系統の組み直し、スタッフの変更、方針の混乱や不徹底が避けられない。いますぐ辞任するのでなくても、そういった発信をするだけで最高指導者への信頼を傷つけ、国をあげての協力体制に水を差すことになる。

 もちろん、日本の動向を注視している世界の目は、「この期に及んで醜い権力争いにうつつを抜かす、同情や支援に値しない国」ということになるだろう。4人組は後釜に誰を考えているのだろうか。

 野党代表の谷垣はともかく、あとの3人はうしろから弓を引く利敵行為にあえて乗り出したということだ。小沢は、夏にも裁判をかかえている身であり、それでもあえて権力を手中にしたいというのなら、カダフィーそこのけの独裁者ということになろう。

 鳩山には、「協力の依頼もないのにしゃしゃり出るわけにいかない」というような発言があったという。この人の言葉はあきれてものが言えない。被災地で献身的に活動しているボランティアに、はたして依頼を受けて出かけた人がいただろうか。

 国から歳費をもらっている議員である。当然「私にできることがあれば」と申し出るのが当然であろう。西岡は参議院議長で党籍を離脱しているが、議長が政局にかかわるような発言をするのは全く異例で、首相よりこの方がはるかに適性を欠いている。

 最後に谷垣であるが、世界に恐怖をまき散らすような原子力発電所をつくり、原子力政策を推進してきたのは、歴代の自民党政府である。民主党政権は、まさにその尻拭いをさせられているのだ。

 その反省なくして、現政権攻撃をする資格はない。もし、反省する気があるのなら、党員を現地に派遣してがれき撤去に協力させるようなことがあってしかるべきではないか。

 「政治は3流……」、悲しいかな現実である。

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2011年4月14日 (木)

終戦直後は電力豊富

 ある有識者の偉い先生曰く、「電気の節約も終戦直後のことを思えばまだまだできるはずです」。
 ご存知ないな。知らない人が聞くと毎夜ローソクの火で過ごしたように聞こえる。戦争中は爆撃目標になることを恐れて灯火管制というのをやった。街灯からは電球を取り去り家庭の照明も暗くした。なにも節約したわけではない。

 戦後は、軍需工場で電気を使わなくなったので、食料は不足していたが、電力は一挙に余ってしまった。家庭で使う電気は、電燈とラジオぐらいだ。ちょっとした家には電気アイロンもあったが、まだボディーに炭火を入れるアイロンも活躍していた。困ったのは、電球が切れると換えが手に入りにくかっただけ。

 電蓄(電気蓄音機)や扇風機はお金持ち用だ。ビルやデパートは天井に大きなファンの扇風機がゆっくり回っていた。ほかに家電製品なるものはまだ発明されていない。そこにはやったのが電気コンロである。

 ニクロム線(誰でも知っている言葉だった)を渦巻き状に取り付けた簡単なもので、煮炊きやこたつに入れて使った。小さくても2~300Wは使う。電気代は安くはないが、今の感覚からすればふんだんに使えて便利だった。

 煮こぼれなどがあればニクロム線がよく切れる。それをつなげては使うのでニクロム線がだんだん短くなる。消費電力がふえるので、しまいに今でいうブレーカーにあたる鉛線のヒューズが飛ぶ。そこで、荷札についている細い針金を一本抜いてきてヒューズがわりにつないでまた使う。

 そんなことをよくやったものだ。終戦直後をすべて悲惨と見るのは当たっていない。生活の知恵はいろんなところで働いた。ただ、今度の震災があらゆる意味で先の戦争に劣るものではないことだけは、実感として間違っていない。レベル7である。

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2011年4月13日 (水)

大災害による切放の例

 このたびの大震災で福島地検が容疑者31名を釈放し、昨日捜査が残る5人をのぞき26人を在宅起訴等処置を決めたという報道があった。釈放が報じられた時、容疑には窃盗、詐欺、強制わいせつ、なかには暴力団組員組員まで含まれている、という、言外に当局の措置を疑問視するような報道もあった。

 このような釈放措置を《切放=きりはなし》といい、江戸時代は『御定書百箇条』に法制化されていた。切放後3日以内に定めた場所に来れば、その囚人の刑を一等減じることも規定されている。

 以上の措置は、明暦3年から安政5年の201年間で15回も適用されていた。地震ではなく「大火事は江戸の花」のせいだが、それをよいことに逃亡してしまう囚人は、ほとんどゼロに近かったようだ。その際、石出帯刀(歴代、小伝馬町牢獄などを所管した)から次のように言い渡される。

 途中神妙ニ分散致さず、私差図の場所へ立退き申すべし、もつとも申渡相守り、立退候えば、先格これ有り、銘々御仕置筋の御宥恕もこれ有るべし、なお、私よりも其の段急度相願遣可き間、心得違仕らず、差図の場所へ参着すべし。(以上、石井良助『江戸の刑罰』参照)

 明治以後にもその例がある。関東大震災で横浜刑務所(収容者1131名)、市谷刑務所(収容者1020名)の全員釈放であった。この場合もほとんどが短時間で戻ってきたという。くわしくは
http://yoshimine.dreama.jp/blog/445.html
をご参照願いたい。危機管理には、こういった江戸時代以来の「仕来たり」も、しっかりマニュアル化しておくべきだろう。

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2011年4月12日 (火)

反原発は国論になるか

 震災後1か月が過ぎた。その間、メディアは震災マターで埋め尽くされた。その中身は、地震被災地・被災者と原発事故・電力不足に大きく二分されている。地震の命名は、政府が乗り出して「東日本大震災」に統一したが、どうやらそれでは追いつかない。それに+「東電」が必要だ。

 原発事故の深刻度を示す国際原子力事象評価尺度(INES)を、レベル5から1986年のチェルノブイリ原発事故と同じレベル7まで引き上げることを、政府の原子力安全委員会が決定した。震度的表現でいえば、レベル7弱に達したということだろう。

 当然世界はそれ以上の厳しい目で見て居り、原発保有国では新設凍結、廃止に向けた反対運動なども盛んになっている。ここで、日本が安全性強化・新増設、輸出促進などの政策をとり続けたら、世界の同情を失い大恥をさらすことになるだろう。

 財界、自民党、民社党内の推進派、それに石原都知事などは、なんとか反原発ムードがおさまり、旧に復したいとと思っているだろう。かく言う塾頭も、安全確保、廃棄物処理などの技術が日本の国益に資するところがあり、核拡散や核軍縮にもかかわるIAEAの活動に寄与できれば、その研究を進めるべきだという考えだった。

 それが一挙に崩れ去ったのは、今回の東電をはじめメーカー、学者、政府機関などいわゆる原発村メンバーに対する不信感が爆発したからである。これを世論とし政策として実現させるためにはどうすればいいのか。

 すでに、国内でも反原発デモなど市民運動も起きていることが、ブログ「イサオ プロダクト ワールド」などで紹介されているが、マスメディアは一切報じない。しかし、その一角にも明らかな変化が出てきている。

 本塾が取り上げることの多い毎日新聞(4/12)の「記者の目」、野沢和弘記者による《「原発なき社会」生きる覚悟を》を紹介しておく。こういった考えが一般化し、政党の公約に現れ、国民の投票行動がタレント候補、パフォーマンス候補だけに流れないようになる日を期待したい。

(前略)フェイルセーフが機能しなかった。素人の素朴な疑問や恐れを排し、専門家で温めてきた危機管理への慢心や過信があったのは明白だ。「想定外」で片づけてはいけない。同時に、過去の不祥事批判がどうして慢心や過信の見直しにつながらなかったのか、報道側にも省みる余地がある。

(中略)世界の国々が原発の恩恵を享受する中で、日本は技術も実績もありながらあえて原発を放棄することができるだろうか。飛躍的な技術革新がない限り電気のコスト増はあらゆる経済活動や暮らしに重くのしかかるだろう。

 それでも覚悟を決めるしかない。危機管理の限界に直面した今、原発なき社会の希望と停滞を引き受けて生きるしかないのだ。

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2011年4月10日 (日)

「想定外」は思考停止だった

 「津波の高さは想定外」というのが東電の表現であるが、「最初から考えなかった」という方がどうやら当たっていそうだ。10mを超えるような津波は、前に書いた「鎌倉大仏連想」をはじめ貞観地震、三陸津波など日本では何度か経験している。

Dscf3392  東京電力が9日に公表したところによると、津波の被害は次のようなものである。:図解はNHK、数字等は毎日新聞4/10

■1~4号機の敷地の高さ:海面から約10m
■同、あらかじめ想定した津波:5.7m
■今回の津波の高さ:14~15m
■浸水した高さ:地上4~5m

【当塾観察】
1.想定した津波の根拠は、チリ地震津波4.2mに1.5mを加えたもの。
2.ポンプ室は海に最も近く、半地下式で別の写真によると屋根部分が破壊されている。
3.各機タービン建屋の海側地下1階にある自家発室に通ずる入口は、いずれも海側に向いており、一見商店のシャッターのような扉の下部4分の1程度が破壊されているように見える。
4.ポンプ、発電機が海水による冠水で使えなくなったのは分かるが、ポンプ室の屋根を地面とフラットにしたり、建屋の出入り口を海側正面に置かず左右いずれかに置けば破壊を免れたのではないか。
5.浸水の危険のあるところ、または危険物を扱う民間工場では、設備に防水型・防爆型機器を使うのが常識だが、その点はどうなっていたのか。
6.原子力安全委員会には、上記のような津波による被害を考慮しなくてもいい、といった公式文書があるようだが、そういった見識を持つに至った経緯を調べる必要がある。

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2011年4月 8日 (金)

奈良大仏のお返し

 4月8日は、花祭り、灌仏会、お釈迦様の誕生日だ。ネット上の「今日は何の日」にも出てこないようなさびしい日になってしまったが、仏教系の幼稚園に入った人なら、何らかの楽しい思い出があるだろう。

 クリスマスをはじめ、バレンタイン、ハロウィーンなど、かつての日本文化に関係のないキリスト教祭日だけが、なぜかいやに幅をきかせている。4回前に鎌倉大仏を書いたので、今度は奈良の大仏へ行って見よう。

 奈良の東大寺が1億円の借金をし、これを東日本大震災被災者救済の寄付金に充てるというニュースがあった。飢饉や疫病から民を救う悲願から大仏建立を思い立った聖武天皇の故事にあやかるものだという。

 今上天皇・皇后両陛下は、都内から仙台・東北各地まで足をのばして被災者を見舞うことになったようだ。これもまた前例がない。ま、それはともかく、聖武天皇の詔(743年・天平15)というのを見てみよう。

 国中の銅を尽くして尊像を鋳、大きな山の木をみな伐って仏殿を構え、ひろく法界におよぶまで朕の知識(同志)を集めて、ともに利益を受け菩提を招致したいと思う。

 天下の富をたもつのは朕であり、天下の勢いをたもつのも朕である。この富と勢いとをもってすれば、事はなりやすいが、心はかえって至らなくなる。といって、強いて人々を協力させようとすれば、不満の声もあがろうし、罪に落ちる者すら出るであろう。

 それゆえ知識に加わろうとする者は、至誠の心をもって、毎日三度盧舎那仏を心に念じ、みずからが大仏をつくのまつるというきもちになってほしい。さらにまた、一枝の草、一把の土ほどのわずかな物でも、造営のために寄進したいという者がれば、願いのままみな許そう。

 国司・郡司たちは、今度の事を口実に、百姓を徴発したり、増税したりしてはならない。(『日本の歴史3』中公文庫より)

 どうやら、見通しのないまま、積極財政に打ってでたらしい。『続日本紀』はすでにこの年、「用度の費やすところ、あげて計(かぞ)うべからず」と書き、橘奈良麻呂は、後年「東大寺造って人民苦辛す」といっているから実質は大衆負担となったのであろう。

 それでも、見事にできあがったのは、749年陸奥国小田郡(宮城県遠田郡)から黄金が発見されて、財政を救ったことが大きい。陸奥国の大災害に、東大寺としてはほお被りできないいわれがあるということになる。

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2011年4月 7日 (木)

石原都知事「天罰発言」

 思ったことを不用意に放言するので有名な都知事は、このたびの震災に「天罰」という言葉を使った。塾頭にとっては「天敵」のような存在だが、年代がほぼ同じこともあり、発言の背景の認識に共通点があることも否めない。

 たとえば「支那」という言い方である。戦争が終わって「支那そば」を「中華そば」と言いかえさせられたことに抵抗を感じた。屋台で食べる支那そばが、どれほど子供の食欲をそそったか。支那そばは支那そばである。

 しかし、中国がいやがるというなら、なにもあらがって言いはやすことはない。むかし、「倭国」はいやだから「日本」にしてくれと申し入れて、かの国はそれ以来「倭」の表記をやめた歴史があるではないか。

 「天罰発言」もそうだ。都知事には、ノアの方舟洪水やアトランティス大陸海没伝説が、人間(文明)の堕落に対する天罰という、<文学的>表現が頭に浮かんだのだろう。

 塾頭も津波被害の規模を知った時の第一感は、まさに「日本沈没」だった。しかしそこから先は違う。すぐ、それを身近に体験する被災者の身になってものを考え、嘆き苦しむ。ところが都知事は違うようだ。

 当事者を抜きにして「俺はこうだ」という自己中心の観察者的表現を考える。それが政治家や官僚らしからぬ率直発言に聞こえ、人気を保ってきたのだろう。彼は発言を取り消し謝罪したが、都知事立候補を辞退するとは言わなかった。

 自信満々なのである。

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空は青い!!

 多数派は常に間違っている。自分が多数派にまわったと知ったら、それは必ず行いを改めるときだ。

          マーク・トウェイン

 空はどこに行っても青いということを知るために、世界をまわって見る必要はない。

          ゲーテ

              …………なるほどflair(塾頭)。

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2011年4月 5日 (火)

反戦塾乗・11/4/5

 東京電力京葉支社から来たはがきです。

Dscf3387
 当地は、新聞の朝夕刊は殆ど時間通りに配達され、宅配便や生協の配達も支障なく届きましたが?。

Dscf3388  「花見は自粛しましょう」。どこかの自治体は音頭を取っているそうですが、そんなの勝手でしょ。

 ある美容院の話。「入学式や卒業式用の和服着付けも予約があったれど、みんなキャンセル。この着物も返さなければ……」。

 消費電力のピーク時でもないのに、あっちもこっちも競って電気を消しうす暗くしている。これって便乗節約ですよね。げすのかんぐり、ではなく、悪のり。昭和天皇崩御のころを思い出します。

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2011年4月 3日 (日)

鎌倉大仏連想

 かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は
          美男におわす 夏木立かな

  与謝野晶子の詩だが、残念ながらお釈迦さまはまちがいで、阿弥陀如来像なのである。詩としては釈迦牟尼仏の方が断然いい。阿弥陀如来にすると、ピリッとした緊張感がなくなり、駄作になってしまいそうだ。

 高くすんだ青空、背景に緑の小山。奈良の大仏と異なり鎌倉大仏は、解放感にあふれている。ところが最初からそうではなかった。創建からしばらくは、1辺4~50mの立派なお堂の中にお住まいだったのだ。

 それが、明応7年(1498)の大震災でお堂が津波にさらわれ、雨露にさらされる身の上となられた。この津波は、お堂の裾を洗う程度の生易しいものではない。東海、東南海複合型の大地震で10mを越す大波が押し寄せたに違いない。

 浜名湖が海とつながり、関東から紀伊の方にかけて、犠牲者の数は今回に匹敵するほどであったらしい。しかし仏様は「想定外だ」などとはおっしゃらない。自らの地震対策に万全を期すとともに、再びお堂に入ることは断念されたのだろう。

 これらのことについて、写真入りでくわしく解説したサイトがあったので、ご紹介しておく。ここでは、関東大震災の慰霊碑、記念碑、供養塔など多く紹介されており、後世に語り継ごうとした当時の人の努力が見える。仏の顔も三度……許せないことがあることも今回はしっかり記憶しておこう。

 http://www5d.biglobe.ne.jp/~kabataf/kantoujisin_isibumi/kamakura/kantoukamakura2.htm

 オバマ米大統領は、子供の頃母親に連れられて鎌倉を訪れた。大仏様より抹茶アイスにひかれたようだ。去年来日した時、広島へは行かなくても、鎌倉の幼い思い出を温めるため、米軍のヘリで飛んだ。

 米軍は、今大地震救援のトモダチ作戦でフル回転している。本国でも高校生などがガンバレ・ニッポンの大合唱をしている映像がテレビにでた。これに対し、日本人も精いっぱいの感謝の念を惜しまない。

 アメリカは、リビアとの戦争に手を貸さないようにしている。それはそうだろう。イラクにアフガンに出兵して独裁者をなくした。ところが、感謝されるどころかますますにくしみを買っている。米兵の戦死者はふえ、心は傷つき、底の見えない戦費がふくらむだけで、得るところがなかった。

 同じ米軍の活躍でもどちらがいいか、賢明なアメリカ人は気がつき始めている。オバマは、大仏の柔和な顔と、ほろ苦くても甘い抹茶アイスの味を、しっかり思い浮かべるいい時期に来ているのだ。

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2011年4月 1日 (金)

原発現場に陣中要務令を

 『陣中要務令』には、帝国陸海軍ことに士官以上の軍人が遵奉すべき神髄が示されており、大正13年8月に発令されたものです。当塾では、関東軍が満州をめぐって中央の意向に逆らい、陰謀やテロで戦線を拡大していったことを調べる上で、この要務令を史料として調べました。

 その中で「独断専行」をよし、とするような記述が、にあることを記事にしたことがあります。天皇の軍隊ということで、文民統制は全く利かず無謀な戦争に突っ込んでしまいました。その部分を除くと、今の自衛隊にも骨子が受け継がれているともいいます。

 軍隊とはどういうものか、軍人として心得ておかなければならないことは何か?。なかなか味わいのある文章なので、声を出して読む価値があります。ついでに、漢字読み取りのクイズをしてみましょう。アンダーラインの読みの回答は、文末にあります=まちがっていたらごめん(^-^;)。

 読みがわからなかったり、まちがった場合は、100点満点で1問につきマイナス2点、90点以上ならなかなか優秀、塾頭も頭が上がりません。70点以上なら合格ということにしましょう。

 ついでに言いますが、は、この際菅総理大臣、そして東電幹部に繰り返し読んでもらいたい部分です。もうこうなったら遅い、とは言いません。せめてこれからいい方向に向かうよう、渾身の努力を傾けてください。
 

【陣中要務令】

綱 領

 軍ノ主トスル所ハ戦闘ナリ故ニ(1)百ノ事皆戦闘ヲ以テ基準ト為スヘシ

 軍ハ軍規ヲ以テ成ル其消長ハ勝敗ノ由テ(2)ルル所タリ軍規常ニ厳粛ナラサル可カラス(3)シテ軍規ノ要素ハ全軍ヲシテ至誠上長ニ服従シ其命令ヲ確守スルヲ以テ第二ノ天性ト為サシムルヲ要ス

 命令ノ実施ニハ独断ヲ要スル場合(4)カラス(5)シ兵戦ノ事タル其変遷測リ難ク命令ノ指示情況ノ変化ニ伴ハサルコトアリ此ノ如キ場合ニ於テハ受令者自ラ其目的ヲ達シ得ヘキ方法ヲ採リ独断専行ハ応変ノ道ニシテ常経ニ非サルナリ(6)ニ発令者ノ意図以外ニ脱逸ス可カラス

 典則ハ運用ヲ待ツテ始メテ其光彩ヲ発揮ス而シテ運用ノ妙ハ人ニ存ス人々(7)ク身ヲ以テ責ニ任シ機宜ニ応シ之ヲ活用スヘシ(8)ヨリ(9)ニ典則ニ(10)クヘカラス又之ニ拘泥シテ実効ヲ誤ル可カラス

 軍務ハ多端ナリ是レ各級指揮官ヲシテ各々其任務ヲ分(11)セシムル所以(12)ナリ故ニ各級ノ指揮官ハ一般ノ目的ト任務トニ(13)ヘ(14)ラ心力ヲ職責ノ在ル所ニ(15)シ他ノ補助ニ倚頼(16)スルコトナク毅然トシテ其任務ヲ全ウスルコトニ努ムヘシ此ノ如クニシテ後全軍ノ協同一致得テ期スヘキナリ

 統帥ノ要訣(17)ハ軍隊ヲシテ常ニ百般ノ準備ヲ整ヘ命令一タヒ下レハ勇往邁進シテ忠愛ノ至誠、精鋭ノ技能ヲ発揚シ自ラ信シテ優秀ナル成功ヲ期待セシムルニ在リ而シテ情況ヲ達観シテ明断果決、敏活ニ処置スルハ又部下ノ自信ヲ鞏固(18)ナラシムル要件トス

 為ササルト遅疑スルトハ指揮官ノ最モ(19)ムヘキ所ト為ス(20)モ之ヲ為シ之ヲ断行セハ(21)ヒ其ノ方法ヲ誤ルモ尚為ササルト遅疑スルトニ勝ル蓋シ此両者ノ軍隊ヲ危殆ニ陥ルルコト(22)ロ方法ヲ誤ルヨリモ甚シキモノアレハナリ

 将校及下士ノ一挙一動ハ(23)ク部下ノ模範タリ慎マサル可カラス殊ニ剣電弾雨満目悽愴(24)ノ間に立チテ沈着機ニ処シ泰然トシテ動カサルトキハ森厳ナル威容自ラ外ニ顕ハレテ部下ノ蜀望ヲ堅持シ以テ其志気ヲ作興シ成功ノ因ヲ固アスルヲ得ヘシ平生修養セサル可カラス

十一(略)

------(読みの回答)------
1 およそ       16 いらい
2 よってわか    17 ようけつ
3 しこう       18 きょうこ
4 すくな       19 いまし
5 けだ        20 いやしく
6 みだり       21 たと
7 よろし       22 むし
8 もと         23 ことごと
9 みだり       24 せいそう
10 そむ
11 たん
12 ゆえん
13 かんが
14 もっぱ
15 つく

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