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2011年2月23日 (水)

「たて」と「やり」 2

 50年間1度も変えたことのない日米安保条約ですが、その実質的な中身は、あん饅が肉饅に変わったどころでありません。換骨奪胎という言葉がありまかず、うわべは同じでも、骨や内臓までとりかえた、といっても大げさではないでしょう。

 その最初のきっかけは、1991年にあると考えてます。すでにベルリンの壁は崩壊していましたが、ソ連邦が解体しロシアとなったのは、この年の12月30日のことです。同じ年の初めには、クェートに侵攻したイラクを撃退するため、湾岸戦争が開始されました。

 その戦争支援のため、海部内閣は90億ドル(約1兆2000億円)を追加支援したのにクェートからは感謝されず、血を流さずカネで済ませたからだ、などの批判が国内からも出ました。なお、好景気は続いており、9月に過去空前といわれた「いざなぎ景気(65/11~70/7)」を超えた、と経企庁が発表しています。

 それまでの安保を「冷戦下安保」としましょう。第2次大戦後、資本主義国は共産主義革命が伝染病のように広がっていくのを大変恐れました。朝鮮、ベトナムから、アメリカのおひざ元・キューバにまで及んだのです。

 信じられないでしょうが、日本でさえ絶対ありえないとはいえなかったのです。アメリカは、なんとかこれを水際で食い止めようと、アジアでは、日本・台湾・フィリピンの線でソ連を封じ込めようとしました。したがって、日本の防衛は、沖縄ではなく北海道が最重点で、ソ連の大部隊が敵前上陸してくる想定もしていました。

 その共産主義の脅威がなくなったのだから、これをきっかけに基地の大幅縮小や安保条約の見直しをするべきだったのです。しかし、台湾海峡で戦争の危険があるとか、通商や原油輸入のタンカーの安全を守るなどが論議され、沖縄の基地もそのままでした。

 1995年2月にナイ・リポート(ジョセフ・ナイ国防次官補「東アジア太平洋戦略報告(EASR)」)がだされ、「日米同盟は、国際共同体すべての平和と安定の維持という広範な利益をもたらしているのである」として日本防衛の自衛隊からアメリカの世界的パートナーとしての自衛隊を意図するようになったのです。

 日米政府は、1997年9月に新ガイドライン合意でこれを確認し、アメリカ軍が周辺事態(「周辺」の定義はあいまいで地域が定められていない)が起きた場合の行動の自由をみとめたため、安保の「事前協議」が空文化してしまったのです。

 日米安全保障条約がいつのまにか、日米同盟と言いならわされるようになりました。最初は反安保陣営が「日米軍事同盟」といっているのを、自民党政府が「経済条項もあり、軍事同盟ではない」と、陳弁これつとめていたものです。

 ガバン・マコーマック・オーストラリア国立大名誉教授は、1980年から、同盟という言葉が使われ始めたといいますが、日本ではもっと後のような気がします。NHKの安保特集TV番組で、日本に「日米同盟」という言葉を使わせるように工作し、「同盟とは互いに血を流す間柄のことだ」と喝破したのは、ブッシュ政権のタカ派リチャード・アーミテージ国務次官補だったと言っていました。

 ここまで干渉するとは、おそれいったものです。今回は条約のことなどでやや文が硬くなりましたので、次回は「たて」と「やり」漫談風に変えて、頭の体操をしてみたいと思います。

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