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2011年1月29日 (土)

桃の祀り

 昨秋、当ブログでも何度か取り上げている奈良県の纏向遺跡から、2765個という、通常では考えられない大量の桃の種が発見された。一昨年発見された大規模神殿跡に隣接する場所である。そのほかに、祈祷の供え物にしたらしい魚や獣などの遺物も発見され、ほぼ同時期にあたる「卑弥呼の都するところ」、という説がますます勢いを得ている。

 NHKは16日にこれを特番で紹介したが、魏志倭人伝が伝える「卑弥呼事鬼道能惑衆」の「鬼道」に注目し、「鬼道」→「道教」→「伝統祭祀」→中国に存在、ということで桃の実を山積みにして祀る風習を画像で見せた。

 その風習が日本に伝わったのは、卑弥呼の頃でなく、そこから何千年か前、中国南方から水稲耕作と共に伝来したものであろう。なぜならば、倭人伝が「衆を惑わす」といっていることから、北部に位置し、稲作に頼らない魏から見ると、すでに中国では異端の行事になっていたのである。

 卑弥呼が、先祖伝来の秘法を特技として受け継いできたとすれば、「鬼道」→「卑弥呼」→「纏向」→「箸墓古墳」→「三輪王朝」とつながり、天皇家の先祖が中国の稲作地帯からやって来たという推定がかなり有力になるのである。

 桃の話については、歴史学者・保立 道久氏のブログにくわしい。当塾では、桃の破邪の威力を、天皇家の先祖伝説である『古事記』の神話から平文にしてご紹介しよう。なお、同様の記述は要約されて『日本書紀』にもある。

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 妻である伊邪那美命に先立たれた伊邪那岐命は、会いたいと思って死者の国に追って行った。その入り口に差し掛かった時語った。「愛しているわが妻よ、二人で作った国はまだ完成していない。帰ってほしい」。
 
 伊邪那美命は答えて言った。「すぐ来てほしかったのに残念でした。もうここでの生活が始まっています。しかし愛する夫がここまでこられ、恐縮しています。冥界の神々神にも相談してみます。それがすむまで、決して私を見ないでください」

 伊邪那岐命は、なかなか戻らぬのを待ちかね、差している櫛を欠いて火をともし中に入った。そこには、死体にウジがたかり、頭には大雷、胸には火雷、腹には黒雷、陰部には拆(さき)雷、左の足には鳴雷、右足には伏雷と8柱の雷神がついている妻の姿があった。

 伊邪那岐命は、怖くなって逃げ帰った。怒った伊邪那美命は死者の国の醜女に追わせ、伊邪那岐命はそこから逃れるため、髪飾りを投げつけた。それはたちまちブドウの実になった。右の髪に差してあった櫛を欠いて投げ、これも筍になって、それほ醜女が食べている間に逃げ延びた。

 さらに、8雷神が1500の死国軍を率いて追ってきた。伊邪那岐命は持っていた十拳剣を抜いて振り向きざまにこれを防いだが、死者の国の境の坂本まで来たとき、そこにあった桃の実3箇を取って投げると、攻撃軍はことごとく逃げ帰った。

 伊邪那岐命は、桃に対して「日本のあらゆる人々が苦しみにあうときは、今日私を助けたように助けてくれ」と頼み、「意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)」という名を賜った。最後に伊邪那美命が自ら追ってきた。そして1000人かかって動かすような大石を死の国の境に置いて塞ぎ、離別の言葉を告げた。

 「愛しきわが夫よ。こうなったからには、汝の国の人民を一日に1000人殺すことになろう」。それに対し伊邪那岐命は、「愛しき妻よ、それならば私は一日に必ず1500の産屋を建てるようにする」といい、以来そのようになった。
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 これはすごい。縄文から弥生に移り、米の生産で食糧備蓄ができるようになったので、人口が急に増えたことと符合する。桃は桃太郎伝説にも見られるとおり女性とか生殖の象徴である。桃の節句も近づいた。まことに畏れ多いことながら、この際皇室の祭祀に大量の桃の供え物を復活していただいたらどうだろうか。

 ごたごたもめてる国会審議を待っていても、一向にらちが明かない。少子化対策にはこの方が手っ取り早く、霊験あらたかかも知れない。

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