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2011年1月 8日 (土)

国際法と函館戦争

 日本で最初に国際法をたてに戦争をしたのは、幕軍の榎本武揚であった。国際法と言っても相手は官軍だかられっきとした内戦である。榎本は幕府で海軍をまかされ、オランダ留学の際手に入れた『万国海律全書』で猛勉強をしていた。

 時は明治2年、榎本の軍艦・開揚が江差沖で難破し、制海権は、官軍があらたに入手した甲鉄艦の手に移っていた。陸軍参謀・黒田清輝率いる官軍は、満を期して青森に結集、榎本軍総攻撃を目前に控えていた。

 この時、榎本の立てた作戦は次のようなものである。顧問として従軍していたフランス軍人の指導もあり、宮古まで来た甲鉄艦を迎えうち、アボルデージ=ボールジング(襲入攻撃)をかけることであった。残った回天など3艦を使い、司令官に荒井郁之介、奇襲の切り込み隊長には土方歳三を起用した。

 その朝、荒井らは艦型をかえ星条旗を掲げて、音もなく宮古湾に侵入していった。官軍の兵士の二、三は、漫然とアメリカ軍艦の近よるのを見ていた。回天が甲鉄に近寄ると、突如星条旗を日章旗(日の丸を使ったのは幕軍が先で、官軍はやむを得ず錦の御旗とする)に取り換えた。これは国際法上合法なのである。

 回天の舳先を甲鉄に乗りかけ、切り込みをかける予定だったが、甲板の高さの違い、悪天候、僚艦との行動時期のずれなとで、この奇襲は失敗し、反撃を受けて命からがら脱出、函館に帰投した。榎本の公法による「旗章変更」は、日本の武士の掟からすると「卑怯千万」となりかねないが、何故か世人はこれを激賞している。

 榎本の愛蔵書『万国海律全書』は、その後幕軍降伏の直前、「国益のため戦火にさらすにしのびない」として、榎本から黒田に届けられた。黒田は返礼に酒樽を贈ったが、これが幕府軍最後の決戦前の酒宴で酌み交わされた。

 黒田は、榎本の赤心と比類のない能力を高く評価し、のちに政府高官となる道を開いている。 『万国海律全書』は、宮内庁書陵部に現存するが、榎本の書き込みなどが随所にある。榎本が福沢諭吉に邦訳を頼んだが「翻訳者は榎本を置いてほかにない」と断られたというエピソードもある。

 以来、明治・大正を通じて日本は国際法遵守の模範生のように振舞ってきた。おそらく、武士の掟に代わる孫子の兵法のような感覚で、受け止められたのであろう。中国では比較的早く翻訳はされていたものの、清王朝の関心はうすく、朝鮮も無頓着だったため、近代化に取り残される原因の一つとなった。

 国際法とは、慣習法と国際条約の積み重ねによって成り立っているものである。国内法と違って、厳密な手続きを経て成文化したものではない。そもそもは、西欧列強が自らに都合のいいように組み立てられており、弱者に配慮したものとは言い難い。

 「東京裁判は国際法上」とか、「国際法上尖閣諸島は」などと、したり顔で説く人をよく見るが、国際法とは、時代により変化をするものであり、解釈も、守るかどうかも国によりまちまちである。明治以来の伝統で順法精神は維持すべきだが、金科玉条とはいかないのが、いわゆる「国際法」なのである。

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