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2011年1月

2011年1月31日 (月)

菅首相語録の軽さ

 菅首相に限らず、今どきの政治家の語彙はまことに貧弱だ。中でも総理なるが故に、菅首相語録には、練れてなく紙片のような軽さを感じる。曰く「最小不幸社会」「第3の開国」「熟議」など、いずれも他からの借り物のようで、オバマが使った「Yes I Can!」のような肺腑を突く言葉にほど遠い。

 かといって、国債の格付け問題で「うといので」といったアドリブとも冗談ともとれる発言に、野党党首が、本会議場で慣れない金切り声を張りあげて食らいつく図は、国辱ものでもっと悪い。前項であげた3項目の内容を国民の前に明解にすることこそ、野党質問の神髄であるべきだが、やはり言葉を持たないからであろうか。

  上の3項目が、首相の思ったほど国民に受けないのは、いずれも言葉に跳ね上がるような勢いがなく「陽」より「陰」の印象になるからだ。「第3の開国」はよさそうに思うが、国民が「明治維新や敗戦と比べるほどのことか。失政だったグローバリゼーション指向や小泉改革とどこが違うのだ」というさめた気持ちを持っているからだ。

 首相が知らないのか、あるいは無視したのか、日英条約改定を前にした「第2の開国」がすでにある。明治32年、天涯茫々生・横山源之助著『内地雑居後の日本』を是非参考にしてほしい。(文中下線は、それぞれゝ、◎、●で強調したところ)。調べてもらえば決してオーバーではなく、TPP以上であることがわかるだろう。

  明治維新以来の日本の社会は、政治社交の上には悉く改革の歴史を示し、世人がぼんやりして居る間に活発なる改革は遂げられ、着々として成功を示し来たり、而して余れは維新の改革を以て、神武天皇以来、類少なき大改革なりとして、今日より之を思ふも、愉快に堪えざるなり、

 此の社会を根本より改革せんとする、現に改革せられたる、日本の歴史中例幾何やある、且つ僅に三十年前の事にして、少しく年取れる者は、大抵身親から知り居る事実なれば、特に我れ等は愉快とするなり、余は当時の青年政治家に対して、之を断行したる勇気と苦心とを謝すべし。

 二十七年に入りて、日清戦争起こりたり、今まで東洋の一孤島として、世界の注目の外に在りたる日本国が、俄に東洋の一大強国として、世界の注目を惹くに至れり、(◎)而して間もなく此の七月より、内地雑居といふ古今未曾有の時機に入らんとす(◎)、

 すなはち日清戦争によりて、日本の国は欧米諸国に其の價値を認められたりといふ者の、直接関係せるは支那帝国にして、欧米諸国は遠くより見物したるのみ、恰も、本所回向院に行きて、相撲を見物し、常陸山はつよし、梅が谷は強しと局外より見物して、その強弱を推測して知りたると同じく、其の実己れ自身が彼らと取り組みたるにあらざれば、果たして常陸山が強きか、梅が谷が強きか、実際知る能はざるが如く、日清戦争を見て居りたる欧米諸国も、今まで買ひ冠りたる支那老大国が、今まで軽蔑し居りたる日本に敗けたるを見、案外なるに驚き、そのエラキを認めたりといふに過ぎずして、その実如何ほどエラキか、如何ほど強きかを知らざるなり、

 然るに内地雑居は、今まで局外に居てのみ知りたる日本国の真価を知るの機会とは為らんとす、あゝ此処大事の場所にあらずや、(ゝ)唯だ日清戦争は、武器を以て其の勝利を決したる、言はゞ単純なる勝負に過ぎざりしが、内地雑居は、人情に於て、道徳に於て、産業に於て、企業心に於て、且つ労働に於て、技芸に於て勝負を決する戦争なれば、支那を相手に、軍器をもて勝敗の定まるやうな、気楽にして迅速なる者にはあらざるなり(ゝ)。

 果然四五年前よりそろそろ準備は始められたり、内地雑居準備等は当局者の間に設けられたり、民法商法の法典は編纂せられたり、警察事務取扱は丁重とはなれり、監獄事務も急に改められんとせり、民間には、英語研究会四方に起り、急に語学生増加し、欧文印刷所忙しく、教育家の間にも内地雑居後の教育方法研究せられ、文学者も志ある者は世界の文学を頭脳に置き、特に影響あるべき実業界に於ては、商人は日夜内地雑居後を夢み、工業家は資本を集めて基礎を堅めんとす、

 今や甲も、乙も、丙も、丁も、猫も、杓子も内地雑居を説き、七月以後を想像して身の始末を付けんとす、浮世風呂の流し場、床屋の店端、噂に出づるは内地雑居の事、鉄道の音響聞こへぬ草深き田舎に至るまで、長き日を此の噂に消し居るなり。

 (●)ああ読者諸君、特に余輩が本書に於て目的とせる職工諸君、卿等は果たして他の社会との人達と同じく、此の七月あるを覚悟し、内地雑居後の準備を為せるや、敢えて問はん(●)。

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2011年1月29日 (土)

桃の祀り

 昨秋、当ブログでも何度か取り上げている奈良県の纏向遺跡から、2765個という、通常では考えられない大量の桃の種が発見された。一昨年発見された大規模神殿跡に隣接する場所である。そのほかに、祈祷の供え物にしたらしい魚や獣などの遺物も発見され、ほぼ同時期にあたる「卑弥呼の都するところ」、という説がますます勢いを得ている。

 NHKは16日にこれを特番で紹介したが、魏志倭人伝が伝える「卑弥呼事鬼道能惑衆」の「鬼道」に注目し、「鬼道」→「道教」→「伝統祭祀」→中国に存在、ということで桃の実を山積みにして祀る風習を画像で見せた。

 その風習が日本に伝わったのは、卑弥呼の頃でなく、そこから何千年か前、中国南方から水稲耕作と共に伝来したものであろう。なぜならば、倭人伝が「衆を惑わす」といっていることから、北部に位置し、稲作に頼らない魏から見ると、すでに中国では異端の行事になっていたのである。

 卑弥呼が、先祖伝来の秘法を特技として受け継いできたとすれば、「鬼道」→「卑弥呼」→「纏向」→「箸墓古墳」→「三輪王朝」とつながり、天皇家の先祖が中国の稲作地帯からやって来たという推定がかなり有力になるのである。

 桃の話については、歴史学者・保立 道久氏のブログにくわしい。当塾では、桃の破邪の威力を、天皇家の先祖伝説である『古事記』の神話から平文にしてご紹介しよう。なお、同様の記述は要約されて『日本書紀』にもある。

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 妻である伊邪那美命に先立たれた伊邪那岐命は、会いたいと思って死者の国に追って行った。その入り口に差し掛かった時語った。「愛しているわが妻よ、二人で作った国はまだ完成していない。帰ってほしい」。
 
 伊邪那美命は答えて言った。「すぐ来てほしかったのに残念でした。もうここでの生活が始まっています。しかし愛する夫がここまでこられ、恐縮しています。冥界の神々神にも相談してみます。それがすむまで、決して私を見ないでください」

 伊邪那岐命は、なかなか戻らぬのを待ちかね、差している櫛を欠いて火をともし中に入った。そこには、死体にウジがたかり、頭には大雷、胸には火雷、腹には黒雷、陰部には拆(さき)雷、左の足には鳴雷、右足には伏雷と8柱の雷神がついている妻の姿があった。

 伊邪那岐命は、怖くなって逃げ帰った。怒った伊邪那美命は死者の国の醜女に追わせ、伊邪那岐命はそこから逃れるため、髪飾りを投げつけた。それはたちまちブドウの実になった。右の髪に差してあった櫛を欠いて投げ、これも筍になって、それほ醜女が食べている間に逃げ延びた。

 さらに、8雷神が1500の死国軍を率いて追ってきた。伊邪那岐命は持っていた十拳剣を抜いて振り向きざまにこれを防いだが、死者の国の境の坂本まで来たとき、そこにあった桃の実3箇を取って投げると、攻撃軍はことごとく逃げ帰った。

 伊邪那岐命は、桃に対して「日本のあらゆる人々が苦しみにあうときは、今日私を助けたように助けてくれ」と頼み、「意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)」という名を賜った。最後に伊邪那美命が自ら追ってきた。そして1000人かかって動かすような大石を死の国の境に置いて塞ぎ、離別の言葉を告げた。

 「愛しきわが夫よ。こうなったからには、汝の国の人民を一日に1000人殺すことになろう」。それに対し伊邪那岐命は、「愛しき妻よ、それならば私は一日に必ず1500の産屋を建てるようにする」といい、以来そのようになった。
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 これはすごい。縄文から弥生に移り、米の生産で食糧備蓄ができるようになったので、人口が急に増えたことと符合する。桃は桃太郎伝説にも見られるとおり女性とか生殖の象徴である。桃の節句も近づいた。まことに畏れ多いことながら、この際皇室の祭祀に大量の桃の供え物を復活していただいたらどうだろうか。

 ごたごたもめてる国会審議を待っていても、一向にらちが明かない。少子化対策にはこの方が手っ取り早く、霊験あらたかかも知れない。

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2011年1月27日 (木)

当塾採録のテーマと論壇

 自分の書いたことがどこまで正しいか、間違っていないかということは、日頃たえず気になるものである。したがって、関連のありそうな新聞記事は、すぐ目に飛び込むし、旅行の途中現地取材を省いたところへは、回り道をしてもできるだけ寄るようにしている。

 記述が正しかったと思えば、ひとり自己満足にひたり、疑問があれば言い訳か、別のところで訂正かを考えたりする。幸いにしてこれまで大失敗というほどのものはなかった。

 たまたま、今日の新聞の論壇時評を見ていたら、ウィキリークスで外交秘密資料を暴露したアサンジとアナーキズムというテーマで評論家・佐藤優が執筆し、また「中国・辛亥革命と日本人の100年」と題する、孫文と日本人の描いたアジア主義についての特集が、いずれも『中央公論』2月号にあることを知った。

 孫文に関しては、前々回の「菅首相の歴史認識」に書いたばかりであり、ウィキーリークス問題は、最初の報道があったばかりの頃、「これはもうアナーキズムだ」と題する記事を掲げた。アナーキズムについてことさら研究をしたことはないし、当時そういう論調もなかったことから、「やや、説明不足かな」という気がしないでもなかった。

 佐藤は、アサンジの発言や声明から、日本のマスメディアや有識者がWL(ウィキーリークス)を企業や官庁における内部告発の延長線上でとらえているが、それは間違いで、確固とした思想に基づく政治運動である、と断じている。

 アナーキズムを日本では「無政府主義」と訳しているが、自らをアナキストと規定する人はまずいない。国家の強権やシステムに抵抗はするものの、その前に「自由人」であること第一義とするからである。また、これまでも語感からして必ずしもいい意味ではとらえられていなかった。

 アサンジ自身もそうは言っていないが、佐藤は「19世紀フランスのプルードン、ロシアのバクーニンやクロポトキンなどのアナーキズムときわめて親和的だ」としている。そして、

 どの時代にもアナキストはいる。普段、アナキストの政治や社会ん与える影響は限定的だが、戦争が近づいたり、国家が社会に対する強権的姿勢を強めると、アナキストの活動を普通の人々が積極的に支持しないとしても、消極的に支持、もしくは容認するようになる。

といい、現在の国際情勢の不安さと国家の社会に対する管理・監視体制強化が民衆の不満を蓄積させ、特にヨーロッパ(ロシアを含む)では、伝統的にアナキズムが社会の一部に根付いていることから、力によってWLを封じ込めようとすると、WLに対する社会的支持が拡大するという逆の効果をもたらすと警告している。

 もうひとつの、孫文と日中関係の方だが、拙記事については、dendrodium の和久さまから「大変参考になった」と丁寧な紹介をしていただいた。それにしては甚だ不十分なもので、気にしていた。

 『中央公論』の特集は、松本健一内閣官房参与・麗澤大学教授の総論に始まり、「革命を支援した日本人たち」10人の紹介、革命当事者の人物評、「支那革命の真相」など38ページにわたる膨大かつ詳細なものである。

 とても全部は紹介しきれないが、拙ブログが結論とした、当時の一部日本人の孫文支持とは裏腹に、歴史の結末は孫文の抱いた理想から遠く離れた日本軍の大陸侵略という結果を招いたこと、またそれに触れることなく、日中友好の証とすることの不条理について、更めて訂正する必要がないという確信を持てた。いずれにしても企画は時宜を得たものといえよう。

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2011年1月26日 (水)

長あ~いネ

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2011年1月25日 (火)

菅首相の歴史認識

 24日に行われた首相の施政方針演説で、外交問題のうち中国問題について、中国革命の父といわれた孫文に触れた部分があった。それだけで首相の史観を云々するのは早計だと思うが、取りようによっては、的外れな演説になっていることを指摘しておきたい。

 これについて、同演説の部分と、当塾の前身「反戦老年委員会」に書いた「日中関係史」(当塾のバックナンバーにもそのリニューアル版シリーズがある)を再録した。破線内が引用であるが、すこし長いのでお急ぎの方は、最後の◎結論をご覧いただきたい。

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施政方針演説(官邸HP)

 アジア太平洋諸国との関係強化にも努めます。中国の近代化の出発点となった辛亥革命から、今年で百年になります。革命を主導した孫文には、彼を支える多くの日本の友人がいました。来年の日中国交正常化四十周年を控え、改めて両国の長い交流の歴史を振り返り、幅広い分野での協力によって戦略的互恵関係を充実させることが重要です。同時に、中国には、国際社会の責任ある一員として建設的な役割を果たすよう求めます。
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日中関係史考
(旧拙ブログ:反戦老年委員会)
DATE: 02/20/2007

  【満鉄とアジア主義】 前回は第一次世界大戦後を大正時代に区切って年表を書いてみた。それによるとこの時代、戦争は終わっていても、日本が得た中国国内の利権をめぐって紛争が絶えず、反日運動や日本軍との衝突が繰り返し起きていたことがわかる。

 日本政府、および日本人は大陸に対してどういう感触を持っていたのだろうか。日清、日露の戦勝は、安全保障・自衛の範囲から、次第に大陸おける地歩確立という帝国主義的植民地主義が一般に受け入れられるようになった。 その裏には、戦争による人命や財産の莫大な損耗には、相応の見返りが必要、という国民感情も関係する。またそれに反抗する中国、朝鮮人に対しては、関東大震災の際の居留民殺傷のような差別と蔑視と脅威を根づかせることにもなった。

 そこで植民地政策の先兵となった南満州鉄道株式会社(満鉄)の存在と、西欧の植民地主義排除を唱え、日本人の道義的深層心理に重なっていると見られる「アジア主義」の二つをとりあげ、この時代を考えてみたい。

 通常、1931年(昭和6)の満州事変やその翌年の満州国独立をもって、日本の中国侵略開始と見られることが多い。しかし中国側から見れば、日露戦争でロシアが持っていた不平等権益を日本がそのまま手に入れ、さらに対華21ヵ条要求などでそれを拡張強化させる方向を示したことで、「侵略」と受け取られても仕方がない面がある。

 満鉄は1906年(明治39)、日露戦争のポーツマス講和条約とその内容を承認した日清条約により、ロシアから日本政府に引き渡された権益のうち、大連~長春、奉天~安東県間の鉄道とその支線、鉄道付属地および撫順・煙台炭坑などの付属事業経営を目的とした株式会社である。

 当初資本は2億円。その半額は政府の現物投資、残りは年6%配当の政府保証つきの民間公募で細分化されていた。また所要資金は社債に頼ることにしたので、政府は金をかけずに事実上自由に動かせる国営会社を手にしたことになる。民間会社の体裁はとるが、当初から満州・華北の植民地経営をにらんだ国家の出先機関としての機能を隠そうとしていなかった。

 鉄道付属地は年々拡張を続け、1931年には当初の3倍以上、現在の横浜市の面積を上回る480平方㎞に達した。また鉄道10㎞につき15名の駐兵権を持ち、租借地同様中国の主権を排除した。満鉄は大豆など農産物と石炭を輸出し、日本からの輸入品・綿布などを運賃操作したり、エネルギー源を独占して利益をあげた。さらに多くの産業開発に出資したほか、資源調査、情報収集など植民会社の機能をフルに発揮した。優秀な人材を集めた「満鉄調査部」の名は今に残る。

 こういった西欧型植民地主義に抵抗し、中国の改革推進者で革命の父といわれる孫文がアジアの連帯と自決を目指す「大アジア主義」を唱えていたことが知られている。それに共感し、日本の侵略的行動に批判的立場をとっていたのが、国内の大物右翼であった。その代表格である玄洋社の頭山満が、1924年(大正13)来日した孫文に語ったとされる言葉を次に掲げる。(藤本尚則『巨人頭山満翁』山水書房、松本健一『竹内好「日本のアジア主義」精読』岩波文庫、所載)

 貴国四億の国民を以てして、外国の軽侮と侵害を甘んじて受くるが如きは、苟も国家を愛する志士豪傑の之を憤るのは当然である。嘗て満蒙地方が露国の侵略を受けし時の如き、幸にして我が日本が相当の実力ありたればこそ、多大の犠牲を払って、唇歯輔車(相互に助け合う)関係にある貴国保全の為め之を防止するを得たのである。依って同地方に於ける我が特殊権の如きは、将来貴国の国情が大いに改善せられ、何等他国の侵害を受くる懸念のなくなった場合は、勿論還附すべきであるが、目下オイソレと還附の要求に応ずる如きは、我が国民の大多数が承知しないであろう。

 これをもって「日本がロシアの侵略から中国を守った」とする俗説は誤りである。頭山に、日本がとっている行動を正当化しようという気はなく、むしろ逆である。しかしこれを聞いた孫文は一縷の望みを絶たれた思いがしただろう。このあと、孫文は神戸大学で「日本は世界文化に対して西方の覇道の番犬となるか、はたまた、東方王道の干城となるを欲するか」と日本に迫る悲痛の演説をするのである。

 この前年、孫文は一人の日本人の死に対し上海で追悼大会を開催した。孫文の意気に感動し、身を挺して協力した熊本県出身の大陸浪人・宮崎滔天に捧げたものである。現在の中国でも、「宮崎は中国人民の真の友人、傑出した国際的友人であり、同時に中国人民の革命隊列の中で思想が堅く、不屈であった一人の外国人革命戦士であったといえる。彼は中国人民の革命事業に対し、また中日両国民の友情あふれる交流に対して貴重な貢献をなした」と、最大級の賛辞が寄せられている。(『中国人の見た中国・日本関係史』編者:中国東北地区中日関係史研究会、編訳者:鈴木静夫・高田祥平、東方出版)
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◎結論

 端的にいうと、孫文を日中友好を象徴する人物として取り上げることは適切を欠く。孫文も韓国の金玉均も、自国の近代化を日本の明治維新から学ぼうとしたことは間違いない。そして、何度も来日しているので親近感は持っていただろう。

 しかし、孫文が親日家であるという証拠はない。前述の日本は「西方の覇道の番犬となるか、はたまた、東方王道の干城となるか」という「神戸演説」が有名だが、これは1924年(大正13)という年に行われた。

 その前年は、当塾がたびたび大陸侵略の始まりとしている「対支21カ条条約」を中国が破棄、中国全土で排日抗議運動が最高潮に達している。また、同国内では内戦に明け暮れし、孫文の理想実現にほど遠しという時期であった。

 日本の侵略的意図がますます高まる中、孫文は日本の姿勢に絶望を感じ、血を吐くような気持ちで行ったのが神戸演説である。明治以来、右翼勢力の第一人者であった頭山満や、大陸浪人といわれた宮崎滔天なとど、アジア主義者を中心に、孫文を支援する支援者は少なくなかった。しかし、いずれも国家の枠からはずれた、どちらかというとアウトロー的存在であった。

 当時、頭山と親交があり、憲政を旗印に改革を訴え入閣を果たした犬養毅も支持者であったが、彼は総理大臣になって半年足らずで5.15事件が起き軍人の凶弾にたおれた。こうして彼は、戦前最後の政党出身総理となり、戦争拡大の時代に入って行くのである。孫文の心の中には、「日本に裏切られた」という気持ちが存在しても不思議ではない。

 毎日新聞によると、首相が孫文を取り上げたのは、仙石前官房長官の示唆だったように伝えている。これも「神戸演説」の話が発端のようだが、仙石氏の発言の意図は、「覇道より王道を」という神戸演説を例にとり、尖閣諸島問題や中国海軍の軍拡傾向を批判する文脈からだったらしい。

 また、日本にとっても、その後の日本進路について、アジア内部からの最後の警告であったととらえるのが定見である。この意味からも、施政演説が木に竹を接いだような印象になり、共鳴や感動を得られない内容になっているのだ。

 3回前のエントリー「菅内閣と自転車」で、《必要なのは、政治家としての「史観」であり「人生観」である》と書いた。塾頭にとっては、その憂いがますます払拭できないものになてしまった、という観を深くするものである。

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2011年1月24日 (月)

反戦塾乗11/1/24

◆山岡鉄舟の六十首より

我思ふ心を鏡にうつし置
 人に見せなばをかしかるらん

 骸骨画賛
死に切てみれば誠に楽がある
 死なぬ人には真似もなるまい

我禁酒ころもの袖はやぶれけり
 さしてくださいついでください

 久間楳翁氏がことし七十九に成て
 いとすくやかなりと聞て
八十とせも近くな(鳴)る海(み)の友千鳥
 千代ながかれといはいても啼く

そくばくの年ふるままにむつまじき
 友はすくなく成にける哉

千早振神はいづも(出雲)にあるものを
 我に宿かる貧乏神めが

お医者さんいかん(胃癌)いかんと申せども
 いかんうちにもいいとこもあり

(出典:大森曹玄『山岡鉄舟』春秋社)

◆通常国会の施政方針演説

 実況放送午後2時から。途中で午睡。想定通り。

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2011年1月22日 (土)

小沢現象の怪

 「政治とカネ」、この正体不明の言辞がいつまで尾を引き続けるのだろう。そもそもは、法の不備とマスコミのセンセーショナリズムから発生し、国民世論が誘導されたものである。小沢氏が強制起訴され、判決が出れば決着するのだろうか。

 「政治」と「カネ」が密着した関係にあるのは、古今東西真理である。それをうまくさばくのが、すぐれた政治家の手腕である。なぜか、小沢現象の出現で「政治」は聖なるもの、善なるもの、というピューリタン的発想が蔓延したように思う。

 あえて極言すれば、「政治」は、悪であり俗なのである。聖なる政治家など卑弥呼以外に聞いたことがない。それでも、民衆は必要があって国や政治に頼らざるを得ない。だからこそ、法をつくり選挙をし監視し続けるのである。

 ところが、大きな矛盾がある。その法を作るのが政治家であるということである。民衆の監視に手ぬるさがあったことは否めない。その中にどっぷりつかって政治を動かしてきたのが自民党で、小沢氏もその中で政治を学んできた。ハマコーこと浜田幸一の言をかりると、社会党も土井たか子党首以外にはカネが渡ったという。

 したがって、政治家の長老はもとより、中堅クラスでさえ声高に小沢追及をする資格はない。まったく潔白だという人は、共産党・公明党議員か、それでなければカネを集める能力のない、無力の政治家だと思われても仕方がなかったのである。

 もちろん、塾頭はそれがいいと言っているわけではない。「政治家は聖人君子」でなければならないという発想に、やや危険を感ずるからである。「悪人だから日頃チェックしなければならない」という考えの方が健全である。この点は、あの中国でさえ一般の人が党や役人を信用していないことをこの目でたしかめた。

 以上の観点で、当塾は小沢氏が早い時期に国会で証人喚問により説明すべきだと考え、主張してきた。通常国会を前にいま大混乱に陥っているが、遅すぎたのだ。もはや強制起訴の日程も迫っており、実現の可能性さえ疑問視されている。この責任は与野党ともにあるが、与党の責任がきわめて重い。

 岡田幹事長が模索し続けた政倫審への招致では、こういう結果になるという予測は十分についた。なぜ証人喚問に最初からしなかったのだろう。それならば小沢氏は断れないし、野党も協力するので日程も早く決まる。

 与党内に「証人喚問だと、偽証罪もあるから」という消極的意見があるからだというが、これまた奇怪な話である。潔白ではなくて、偽証せざるを得ない、といっているのと同じではないか。また、喚問は委員会の満場一致で決めるという慣例があるようだが、小沢派の委員の賛成が得られないという理由も、それを説得するのが、委員長・幹事長の役目である。ねじれ国会の中で野党を含む多数の意見に反対する議員を入れ替えるなどしないと、予算審議に野党の協力を求めることなど、どだい無理であろう。

 これが、「小沢現象の怪」の2番目であるが、最後は与党の強制起訴による「離党勧告」と与野党の「議員離職勧告」の動きである。小沢氏は「無罪判決」がでる可能性がきわめて高いのである。若し、無罪になったら勧告を取り消し、頭をさげて謝るのだろうか。

 検察当局が不起訴にしたものを、名前も、審査の内容もわからない少数の国民による検察審査会、が再三にわたりくつがえし、弁護士が検察官役をするという異様な強制起訴である。「前例に照らして」という、「勧告」論者は、検察起訴とは性格が違うということを知らず、政治家として前例がないということを知らないわけではないと思うのだが。塾頭の頭がわるいのか、全く理解に苦しむ「怪」が多すぎる。

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2011年1月21日 (金)

菅内閣と自転車

 菅内閣は、あっちにふらふら、こっちにふらふらの自転車操業と評しても言い過ぎではない昨今である。首相自身は「仮免期間が過ぎたので……」などと発言して、早速「一国の総理にあるまじき……」などと噛みつかれているが、そんなマスコミや野党の言いががりは歯牙にもかけない態度が必要だ。

 内閣改造や、新年の強気発言を見て、すこしは変わるのかな、と思ったら、どうやらこれは首相か民主党の体質そのもので、そう簡単に変化しないような気がしてきた。それは、自信のなさから各自が自転車のハンドルを固く握りしめ過ぎていることによる。自転車でも自動車でも「あそび」がなければ、蛇行し危険が増す。

 首相は、異例といわれる外交にしぼった演説を昨日行った。それを聞きに行った外交官や、民間外交を担う人たちが聞き耳を立てたであろうが、内容は、下記「ポイント」のとおり、これまで伝えられていることから一歩もはみでたものでなかった。米中会談は主要5紙すべてが社説に取り上げたが、首相講演は1紙もないというお粗末さだ。

  菅首相は、外交は不得意な分野とされるが、それが固さに影響するのであろうか。首相が首相であるべき最大の任務が外交である。なにも直近の国情や、外交礼儀、そういったことに精通していなくてもいい。必要なのは、政治家としての「史観」であり「人生観」である。

 その点は、鳩山首相の方が優れていたが、いとも簡単に変節してしまったのが命取りになった。菅演説で消えたのがマニフェストにある「東アジア共同体」と言う言葉で、かわりに「TPP」が入った。その他の部分を含めて概観すると、自民党時代と同じか、むしろ後退、悪化の兆しすらある。

 今日の別の報道の中には、かつて沖縄駐留米軍トップで普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題に精通しており、辺野古移転案作成に影響力のあったと思われる知日派のグレグソン国防次官補が、辞任する意向であるというのがあった(時事通信、asahi com)。

 安全保障政策をめぐり、国務省との意見の対立が辞任の意向を示した背景にあるとの見方が出ており、このほかに、ホワイトハウスのベーダー国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長も近く退任する見通しで、オバマ政権の東アジア政策の実務責任者が刷新されることになる。

 こういった機会をとらえ、日本のスタッフも変更するなり、日本の希望をより強くアピールするといったハンドルさばきが菅政権にできるかどうか、かなり悲観的だが、講演で辺野古に触れず、国内移転を思わせるような発言をしたことに、かすかな期待をかけてみよう。

--首相演説のポイント(毎日新聞:01/21)---
・日米基軸、アジア外交の新展開、経済外交など5本柱で外交・安保政策を推進。
・日米同盟を深化。日米は政権交代にかからわず・維持強化されるべき関係。
・広範な分野で日中の戦略的互恵関係を深める。
・米軍基地負担で沖縄以外に住む国民の理解と協力をえられるよう、あらゆる場を通じて働き掛ける。
・環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の参加検討。
・北方領土問題解決に向け建設的なアプローチで臨む。
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2011年1月19日 (水)

反戦塾指定文化財

◆2003年、自衛隊イラク派遣反対デモ用旗指物  1旒。

Dscf3290 「やっていることと」「言っていることと」の小泉首相の二枚舌に、「舌の下が見えないぞ!!」と叫ぶデモ隊を書いた政治漫画が右上に貼ってある。

この先、役に立つようでは困るが、燃やすゴミにするのもまたしのびない。

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2011年1月18日 (火)

あなたにとって国とは?

 どんな答えになりますか?。①税金、②日の丸、③国会、④総理大臣、⑤年金、⑥旅券……。日頃あまり考えたことがないせいか、とりとめない空気のような答えになってしまいますね。

 戦中なら「天皇陛下」という答えが多かったかも知れません。男の子は命をささげる対象が国でした。江戸時代なら、「お上」といって、幕藩体制の中でのお役人とそのトップ、将軍になるでしょう。日本人は、極東の島国に住み外国から侵略を受けたこともなく、「国とは何か」を真剣に考える機会が少なかったようです。

 この点、ヨーロッパは違います。同じ土地に多くの民族が大移動で出たり入ったり、支配者が宗教の違いや領主や王族間の争いで変わり、そのたびに農民や庶民が大きな被害をこうむります。

 イギリスの哲学者・トマス・ホップズは、日本でいえば秀吉の天下から徳川初期の時代に生を受けた人です。その人は「リヴァイアサン」こそ国家である、と定義づけました。リヴァイアサンとは、キリスト教の「ヨブ記」四十一章にある卓絶した力を持つ伝説上の怪獣です。

 リヴァイアサンは、誇り高い地上の王である一方、それは、ワニのような、蛇のような、あるいは鯨のような巨大な怪物だが、その力で人間を守ってくれるなら便利な存在だ、としました。リヴァイアサンなくして、平和もなく、人間の存在もないと考えたのです。

 日本のように、気がついたらそこに国があった、というのとは違うわけです。ホップズ自身も危険を感じて、生まれ故郷を何度も離れています。宗教も、民族も、王侯も平和を保障するものではなかったのです。それからの3世紀余は、ヨーロッパ各地で国家をつくることに狂奔する時代になります。

 国とは「政治で」す。人々と権力者の「契約」です。それは「法」のもとで力を発揮します。こうして議会が生まれ、立憲君主国が生まれ、共和国も生まれます。これで国民の安全が図られるようになる一方、怪獣ですから警戒を怠るととんでもない害をもたらしかねないこともありうるのです。 ここで時代は、200数十年あとの1919年まで飛びます。第一次世界大戦でドイツが破れ、パリ条約が結ばれた年です。ミュンヘンのある講演会で、ドイツの経済学者・社会学者で志願兵の経験もあるマックス・ウェーバーが言いました。そうです、解職された仙石前官房長官の「暴力装置」発言に関係があるからです。

 過去においては、氏族を始めとする多様多種な団体が、物理的暴力をまったくノーマルな手段として認めていた。ところが今日では、次のように言わねばなるまい。

 国家とは、ある一定の領域の内部で――この「領域」という点が特徴なのだが――正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である、と。国家以外のすべての団体や個人に対しては、国家の側で許容した範囲内でしか、物理的暴力行使の権利が認められないということ、つまり国家が暴力行使への「権利」の唯一の源泉と見なされているということ、これは確かに現代に特有な現象である。

 言わんとしていることは、お判りでしょう。「暴力」の原語は、ゲバルトらしいのですが、かつて過激派の使った「内ゲバ」し同じです。武器・装備を持ち、一般にはない実力を有する組織を作り、それを認める権利は、国だけにしかない、またそれがなければ「国」の態をなさない、ということです。

 日本では、自衛隊に限らず広い意味で警察、海上保安庁も入るでしょう。つまり、国民の安全・平穏な生活を保つため必要不可欠の国家装置ということです。「暴力装置」は決して侮辱した言葉ではないのです。

 逆説的になりますが、ヨーロッパでは、何世紀にもわたって国と平和、そして民衆の在り方を考え続けてきた結果が、EUというより広範な「領域」を生み出したのではないでしょうか。

(参考文献:長井道雄『歴史と国家』中公叢書、マックス・ヴェーバー『職業としての政治』岩波文庫ほか)

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2011年1月17日 (月)

大学に「軍縮学科」を

 大学入試センター試験が昨日、一昨日にわたって行われた。新聞で見る出題はえらく難しい。これに解いてしまう若者には、尊敬してしまう。今日のテーマは試験のことではない。大学の専攻科目が過去に比べて高度化、細分化している。「軍縮学科」というのを作ったらどうだろうという提案だ。

 かつて、宇都宮徳馬という政治家がいた。自民党から出馬し、財界人でもあった。この人が私財をなげうって『軍縮問題』という雑誌を発行し続けたことは、ご記憶の方も多いと思う。北朝鮮に行って、今は神様となった金日成に面会し、面と向かって「世襲はだめだ」とたしなめた。そうしたら金日成は、友人の忠告として感謝したという。なぜか国力のなかった時代の方が大物政治家が多かった。

 以来、「軍縮」の大きな旗印は消えてなくなった。あったとしても、アメリカの顔色をうかがいながらのものにしか過ぎない。軍縮をとなえるならば、戦争、兵器、、科学それに外交・国際情勢の専門知識が不可欠である。日本には、政治家を含め、そういった人材が極端に少ないような気がする。

 アメリカとの共同開発や武器輸出が問題になっているが、「何でも反対」ではなく、地対艦ミサイルや、MD(ミサイル防衛)などへの知識を磨き、核兵器の将来についての展望・対処なども研究対象にする。そんな知識がないため、国会の「暴力装置」発言で、臆面もなく問責決議などが通ってしまったり、「日米同盟だけが頼り」、ということになってしまう。

 日本は昔から水雷掃海にずば抜けた能力を持っていた。地雷除去、クラスター爆弾廃棄、化学生物兵器の処理なども活躍できる分野である。それは、核関連兵器解体、核廃棄物処理にもおよばせてもいい。また、宇宙のごみ対策をはじめ、あらゆる環境対策にテクノロジーが生かされる可能性がある。

 憲法9条を持つ国として、これからの輸出産業に有望な分野になるはずである。そうしたことが、日本人の自信をとりもどせるいい機会になると思うのだが、いかがだろう。

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2011年1月14日 (金)

菅・中央突破内閣

 菅改造内閣の陣容が決まった。とりあえずの寸評である。

 与謝野馨経済財政大臣=自民→たちあがれ日本→無所属で財政再建、消費税上げに辣腕を振うか。
 江田五月法務大臣=小沢強制起訴、検察不祥事など問題山積。参議院議長から大臣というのは、史上初。社民連出身は菅首相と二人だけという仲。
 藤井裕久副官房長官=これまた珍しい。かつては小沢一郎のこわもてをカバーするような存在だったが、財務大臣となり一昨年暮れに限界を訴えて辞任した。枝野新官房長官を老成した立場からサポートする役割だろう。

 以上の3人は80歳に近い藤井さんをはじめ、70歳前後。引退しておかしくない年恰好の人ばかりで、普通なら清新さに欠ける老朽人事と言われそうだが、それぞれの役割分担が見えてくるところが妙。

 閣僚ではないが、仙石・党代表代行。拙稿で以前、仙石官房長官を問責決議を理由に更迭するようでは菅総理も終わり、と書いた。これも、安住淳国対委員長や岡田幹事長の後見人として活躍の場を与えたものとすれば、上記の3人の人事と相通ずるものがあり、野党のはしごをはずすという意味もあって、菅リアリズムを余すところなく発揮したということになろう。

 マスコミは例によって、反小沢シフトを貫徹などとはやすが、小沢支持派にはそれに見合う強力なコマがなく、はた目でそれとわかるバランス人事をしてみたところで、これから法廷闘争を控える小沢氏にとっては何のメリットもない。

 中野寛成国家公安委員長・兼拉致問題担当=民社グループだが労組出身ではなく、外国人参政権付与に積極的である。彼も衆院副議長経験者だが手腕は未知数。ほかには新人として、社民党を離党した辻本清美などとの声があったが、彼女には後に備えた別の役割がある。

 海江田万里経済産業大臣=党内にも反論のあるTPP加入で菅首相の大方針を推進するためのかけがえのない助っ人になるだろう。人気のない政策でも決断し、納得のいくように説明を尽くし、実行することで支持が広がる可能性がある。

 留任組の、前原、北沢、蓮舫大臣など、小沢氏が言うように「楽をしようとする役人」を使いこなせるようになるかどうか見守りたい。というのは、ほかに期待できそうな人材が見当たらないことにもよる。

 以上、菅総理の新年党大会挨拶の挨拶が打って変わって強気な態度に変わったことともあいまって、長期的にはともかく、民主党政権危機・中央突破内閣であると、やや好意的に見ておくことにする。

 

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2011年1月12日 (水)

「伊達直人」は義賊現象

 「タイガーマスク」という漫画の存在は知っているが、それ以上の知識はまるでない。プロレスで悪役を演ずるというだけで、悪人とは違うようである。しかし、善人との対比で世をわたるのだから、「義賊」めいたところがないわけではない。

 日本で「義賊」というと、石川五右衛門、鼠小僧次郎吉、説教強盗、ちょっと角度は違うが佐倉惣五郎、清水次郎長、ずっーとさかのぼれば、非行続きで高天原を追われ、少女を八岐大蛇から救った素戔嗚尊まで入るかも知れない。

 「義賊」が好きなのは、日本に限ったことではなさそうだが、世の中平穏無事のの時はあまり現れず、政治が乱れ民衆の不満が鬱積している時に現れる。英雄を待望するが、善人を装って人気とりに汲々とし、権力にしがみつく為政者の姿に絶望しているような時だ。

 民衆がホッとした気持ちにさせ喝采を得るのは、菅直人より伊達直人の方がはるかに上だ。まれに見るほどの閉塞感に覆われている現今、「義賊」も「ええじゃないか」も大歓迎である。日本の国を早く何とかしてほしい。

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2011年1月11日 (火)

対テロ戦争に地殻変動

 9.11から今年で10年になる。当初、敵はテロリストの首魁・ウサマ・ビンラディンと実行組織・アルカイダ、それをかくまうタリバンだった。ブッシュは、それに協力しかねないとして、「ならず者国家」を指定、イラクのように戦争で政権を倒したり、経済制裁を科したりした。

 ところが最近は、なんとなく様子が変わってきている。国家でも宗教でもなかった相手だったが、どうやら「敵はイスラム教徒」という風潮が強くなってきた。以前から『文明の衝突』などと、遠回しの言い方はあったが、宗教や民族を名指しすることはタブーとされ、慎重に避けられてきた。

 アメリカでは、「ホームグロウン・テロ」、つまりアメリカ国籍のアラブ出身者やイスラム教に改宗した若者が、テロ計画などの容疑で検挙された人数の約4割に達するという報道(毎日新聞)があった。捕えてみればわが子なりである。それは貧困などの動機もあるが、イスラム教徒であるという理由だけで、日頃過度な監視や差別を受けていることに起因することが多かったようだ。

 アメリカの官憲がこのような手法をとるのが常態化し、モスク建設を妨害し、「女性を軽蔑する野郎どもは一人残さず打ち殺す」といって、機銃掃射の引き金を引く米軍兵士の存在が不思議ではなくなった時代になったのだ。ヨーロッパでも右傾化が進み、人種差別への抵抗感が薄れつつある。

 テロリストの方にも変化がある。厳重な警戒のせいでもあろうが、アメリカ、イスラエルでのテロ行為より、中東アラブ各国やパキスタン周辺国での自爆テロの方が目立つようになってきた。その中にはキリスト教(コプト教)教会を襲って多数の死傷者を出すなどの事件も起きている。

 欧米がイスラム敵視に傾けば、「目には目を」で当然起きえる現象である。当塾では去年「宗教と戦争」という記事をエントリーした。その中で、ユダヤ教とイスラム教は、教義や慣習の点でキリスト教より親和性があり、長い歴史の中では双方ともにキリスト教から排撃された経験が長いことを書いた。
 
 パレスチナでの抗争は、半世紀を超える。他国の干渉さえなければ、そろそろ戦い疲れて和解の道を歩み始めてもいい頃だ。核をめぐるイラン対イスラエルの確執も一時ほどではない。アフガニスタンも、タリバン復権が現実味を増している。対立の構図がユダヤ対イスラムより、キリスト対イスラムに変わっている。

 パレスチナ問題が緩和の方向に向かえば、イスラム過激派もテロの口実の大半を失う。同時にアメリカやNATOなども早くアフガン撤兵を行動に移すことだ。こうして、宗教戦争への発展を阻止する政策を取らない限り、テロとの戦いは永久に続くことになる。通常戦力を誇示するだけでは、人類の不幸を取り除けない、ということがすでに常識化し始めている。

 混乱と機能不全に陥っている国内政治をよそに、世界は気づかれないようなスピードで変わろうとしている。せめて、政争の外にあるような感のある岡田外相に、かじ取りを誤らないよう願うしか手がなさそうだ。

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2011年1月10日 (月)

孤独な鳥2題

 Photo近所に白鳥がいると聞いて散歩の足をのばした。まさか、と思ったがただ1羽。図鑑で確かめたところ オオハクチョウに違いない。(その後コメントでコブハクチョウでは?、というご指摘を受けた。どうやらそれが正しいらしいので訂正します。)

 親と数羽の若鳥の家族群で行動するというが、逃げることなく近くへ寄ってきた。やはりさびしそう。

Dscf3279  ヒドリガモ夫婦を眺めているのは、カワウ。ウといっても今年の干支ではない。4Kmほど離れたコロニーからつがいで採餌に来ていたが、ここ2,3年は1羽だけ。

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2011年1月 8日 (土)

国際法と函館戦争

 日本で最初に国際法をたてに戦争をしたのは、幕軍の榎本武揚であった。国際法と言っても相手は官軍だかられっきとした内戦である。榎本は幕府で海軍をまかされ、オランダ留学の際手に入れた『万国海律全書』で猛勉強をしていた。

 時は明治2年、榎本の軍艦・開揚が江差沖で難破し、制海権は、官軍があらたに入手した甲鉄艦の手に移っていた。陸軍参謀・黒田清輝率いる官軍は、満を期して青森に結集、榎本軍総攻撃を目前に控えていた。

 この時、榎本の立てた作戦は次のようなものである。顧問として従軍していたフランス軍人の指導もあり、宮古まで来た甲鉄艦を迎えうち、アボルデージ=ボールジング(襲入攻撃)をかけることであった。残った回天など3艦を使い、司令官に荒井郁之介、奇襲の切り込み隊長には土方歳三を起用した。

 その朝、荒井らは艦型をかえ星条旗を掲げて、音もなく宮古湾に侵入していった。官軍の兵士の二、三は、漫然とアメリカ軍艦の近よるのを見ていた。回天が甲鉄に近寄ると、突如星条旗を日章旗(日の丸を使ったのは幕軍が先で、官軍はやむを得ず錦の御旗とする)に取り換えた。これは国際法上合法なのである。

 回天の舳先を甲鉄に乗りかけ、切り込みをかける予定だったが、甲板の高さの違い、悪天候、僚艦との行動時期のずれなとで、この奇襲は失敗し、反撃を受けて命からがら脱出、函館に帰投した。榎本の公法による「旗章変更」は、日本の武士の掟からすると「卑怯千万」となりかねないが、何故か世人はこれを激賞している。

 榎本の愛蔵書『万国海律全書』は、その後幕軍降伏の直前、「国益のため戦火にさらすにしのびない」として、榎本から黒田に届けられた。黒田は返礼に酒樽を贈ったが、これが幕府軍最後の決戦前の酒宴で酌み交わされた。

 黒田は、榎本の赤心と比類のない能力を高く評価し、のちに政府高官となる道を開いている。 『万国海律全書』は、宮内庁書陵部に現存するが、榎本の書き込みなどが随所にある。榎本が福沢諭吉に邦訳を頼んだが「翻訳者は榎本を置いてほかにない」と断られたというエピソードもある。

 以来、明治・大正を通じて日本は国際法遵守の模範生のように振舞ってきた。おそらく、武士の掟に代わる孫子の兵法のような感覚で、受け止められたのであろう。中国では比較的早く翻訳はされていたものの、清王朝の関心はうすく、朝鮮も無頓着だったため、近代化に取り残される原因の一つとなった。

 国際法とは、慣習法と国際条約の積み重ねによって成り立っているものである。国内法と違って、厳密な手続きを経て成文化したものではない。そもそもは、西欧列強が自らに都合のいいように組み立てられており、弱者に配慮したものとは言い難い。

 「東京裁判は国際法上」とか、「国際法上尖閣諸島は」などと、したり顔で説く人をよく見るが、国際法とは、時代により変化をするものであり、解釈も、守るかどうかも国によりまちまちである。明治以来の伝統で順法精神は維持すべきだが、金科玉条とはいかないのが、いわゆる「国際法」なのである。

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2011年1月 6日 (木)

自衛隊と尖閣諸島と憲法

 テーマは、軍事能力のことではなく、現行憲法の解釈次第では、自衛隊の出動ができない可能性があるということである。その前に、当塾でかつて「イクサ」の意味を勉強したことがあり復習しておこう。詳しくはリンク↓で見ていただきたいが、古代日本語では、「イクサ」と「タタカイ」を明確に区別していた。

http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-a6d8.html

 簡単にいうと兵器・兵員つまり軍備が「イクサ」で、それを使って叩きあうのが「タタカイ」つまり戦争を意味した。憲法9条は、「戦争放棄」でくくられているが、その二つの言葉を分けて考えなくてはならない。

 ところがいろいろな前置詞(特に下記朱色部分)がついてわかりにくく、渾然一体とした中で、解釈改憲の温床にもなっているのである。護憲派の当塾ではあるが、「護憲のためには改憲案が必要」と主張する所以のひとつである。

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   第二章 戦争の放棄
第九条 [戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認]日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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 さて、自衛隊をどう考えるかであるが、これも過去に記事(「自衛隊は違憲か」↓)を書いている。イラク派遣など、アメリカ自体が「ならずもの国家」の政権を倒したあとも、「テロとのタタカイ」を言い続けている中での自衛隊(イクサ)派遣は、明らかに憲法に抵触する。

http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-e509.html

 塾頭は、自衛隊が国内にいて、国民の安全をはかるための「自衛権」(タタカイ)を行使する限りにおいて「合憲」とする考えだが、海外でのタタカイは、いかなる口実、たとえば、日米同盟の「集団的自衛権(前エントリー参照)」の解釈変更、国連軍への参加などを含め、明らかに憲法に違反すると考える。

 さて、前置きが長くなったが、テーマの尖閣諸島の話に入ろう。前原外相などが「尖閣諸島に領土問題は存在しない」という発言をしていた。これに対して「中国が問題化しているのだから、存在しないというのはおかしい。話し合いのテーブルに着くべきだ」という、主に護憲派の意見がある。

 この違いは何なのだろう。「領土問題が存在しない」というのは、ここを「国内」と見ているからである。その限りにおいて、自衛隊は自衛権として「タタカイ」ができるのである。仮にその立場を捨てて、話し合い優先となれば、国際的に見て「国境紛争」に位置付けられ、憲法の「国際紛争を解決する手段」としてのタタカイは封印される。

 それでもいい、という人は、中国海軍の援護を受けた中国人が尖閣諸島に上陸した場合どうするのだろう。日本が「領土問題は存在しない」という大きな理由は、過去の歴史的経緯はもとより、海上保安庁の警備などで事実上の実効支配状態が続いている実績があるからである。

 ここが、竹島や北方領土と大きく違うところで、中国側が使用実績を作ってしまうと日本の立場は大きく後退し、大幅に譲歩せざるを得なくなることだろう。憲法の精神にのっとってタタカイを避けるのが第一である。しかし、国土・国民の安全や自衛のためのタタカイまで放棄した無防備国家になってしまうのは、かえって国際社会を不安定にする要因であることを知らなくてはならない。

 中国との協議は、民主党政権発足当時がタイミングとして絶好であった。将来の東アジア共同体を含みとするものである。その中で、沖縄基地問題なども期限を切らず沖縄の民意に沿った解決を模索すべくであった。そのいずれも進行できず、自民党時代より状況悪化に追い込んだ民主党の責任は極めて重い。

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2011年1月 3日 (月)

再び改憲議論が起きる可能性

 昨年末ほど政界が混迷し、見通しの暗いまま新年を迎えたことは、ちょっと記憶にない。責任の大半は与党・民主党にある。中でも菅首相の指導力に対し、「いずれは」という淡い期待をいだく人も、最近はほとんど見かけなくなった。

 旧臘29日に書いた「見たくもない仙石・小沢バトル」では、根拠薄弱、意味不明の仙石問責決議をかばうことができないような首相なら、内閣改造で人気を盛り返すことなど不可能だと言った。なぜならば、首相だけが生き延びようとする<ずるさ>を目立たせるばかりだからだ。

 マスコミ論調は、3月危機、6月危機、解散総選挙、政界再編などの乱世(自民復権)到来期待でもちきりだが、上記の<ずるさ>を乗り切り、以下の条件が揃えば、簡単にそうにはならないだろう。その第一は、小沢グループとの(一時的であるにしても)挙党一致体制確立である。

 次いで、遅きに失した感があるが指導力の強化である。これは首相の器量にもよるが、官僚のサボタージュを乗りきれるかどうかが大きい。官僚を味方につけるには、最低でもこれから一年はかかるだろう。現在はそのかじ取りが問われている時期だ。

 3番目は、発信力の問題だ。外国向けと国民向けの双方があるが、これが政権を弱体化させた大きな原因である。消費税増税問題、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加問題、基地や安保見直しの問題など、評判を気にしながら出したりひっこめたりするのが一番悪い。

 重大な方針決定をしたら、国民にしろ外国にしろそれが理解されるよう渾身の努力を払う、それがなければ、誰にも信用されなくなるというという最悪の結果を招くだけだ。日本のあるべき姿を示せない、理念がないということも、よく言われる。

 当然のことながら、これは言われて作るというものではない。ことによると、ガラガ゜ラポンの政界再編の中から飛び出てくるかも知れない。そのひとつは、戦前回帰、再軍備、憲法改正の右翼路線だ。一部首長の動きなどもからんで、公明党以上の勢力になる可能性は十分ある。

 護憲、米軍基地および安保の見直しついて社・共がその核になれる可能性はほとんどなく、民主の左派の力量も知れている。世界の潮流は、欧米をはじめ右翼優勢に傾いており、日本の右翼がそれを利用しない手はない。

 したがって、今年政界再編があるとすれば、右翼は自民党案より露骨な憲法改正を正面に持ってくる可能性がある。安倍内閣崩壊で改憲がと遠のいたと感じたのはつい先ごろだが、これからそれ以上の護憲派の危機がやってくる。

 当塾がかねて主張しているように、改憲案には改憲案を以てする以外にない。世界に通用する新しい平和理念に基づく外交政策と、改憲案を提起できる政治指導者が、与野党の中道勢力をリードする以外に、右派勢力に対抗できるすべはないだろう。

 護憲派にどれだけの危機感があるだろうか。

4日朝、緊急追記

 民主党が自衛隊の海外派遣を恒久法化し、集団的自衛権の見直しで自民党にすりよる検討を、今月から始めるという報道↓がありました。地元議員に「反対」のメールを送ってください。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110104k0000m010099000c.html

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2011年1月 1日 (土)

1富士2高か3かすみ

Photo_3

富士山が見えない方は写真をクリックしてみてください。

かすむのは、ヒート・アイランド現象の一つのようです。

左端は、方角からして東京タワー(未確認)。

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