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2010年12月14日 (火)

斉明天皇物語 2

 夫のあとを継いで皇極天皇になったたから姫は、蘇我入鹿暗殺事件で動転、皇位を弟の孝徳帝にゆずった。そして、長男・中大兄を皇太子、長女の間人(はしひと)が皇后として新体制に加わった。

 姉から弟への政権移譲だが、ふたりの施政方針には相当隔たりがある。『書紀』が描くプロフィルは次の通りである。

 仏法を尊び、神道を軽(あなづ)りたまふ。貴き賤しきとを択ばず、頻に恩勅を降したまふ。

 一方の、たから姫(皇極紀)の方は、

 天皇、古の道を顧考へて、政をしたまふ。

となっているが、記事全体を見ても、たから姫は、祭祀重点主義で祭事設備への惜しみない投資や祈願・占星・予言など巫女としての務めを重視している。保守的ではあるが、家族を大切にし感性的である。

 これに比べ、孝徳の眼目は、政治改革(大化の改新)であり、唐文化の移入、地方、経済の重視、学問・民意の尊重、汚職追放などかなり革新的である。難波への首都移転は、この流れをくむものであろう。

 難波の宮での施政は8年続いた。そこにまた史上まれに見る不可解な政変が起こる。『書紀』の表現によれば、中大兄が天皇に大和への首都復帰を願い出る。難波遷都の効果が漸く現れようという時期である。天皇は当然のこととしてこれを拒否する。

 すると中大兄は、母・たから姫、妹で皇后の間人、弟・大海人をはじめ、官僚の大部分を引き連れて飛鳥に集団家出をしてしまう。さすがの孝徳も、この奇計に抗するすべがなかった。特に最愛の妻・間人が去ったことは、耐え難い精神的打撃であった。

 孝徳は真剣に退位を考えた。しかし、回っている国務を中断することはできない。こういったとき支えとなってくれた政権発足当時の有能な左右大臣、中国留学の実績を持ち閣内の2人の博士など股肱のスタッフがすべて故人となっていた。

 孝徳は、心労のあまり死の床に伏した。中大兄ら家出した一行はこれを聞いて飛鳥から揃って見舞いにやってきた。そのあたり、政権奪取のクーデターだったとするには、あまりにも不自然な行動である。ただ、祭祀重視のたから姫からすれば、喧噪の難波より幽玄の郷飛鳥の方が都にふさわしいことだけはたしかだろう。

 こうして、655年孝徳は難波の宮で崩御、皇太子・中大兄の即位は見送って、たから姫が飛鳥で10年ぶりの皇位につく。これが斉明天皇である。

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受信: 2010年12月15日 (水) 09時58分

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