« 金語楼の名せりふ | トップページ | 1富士2高か3かすみ »

2010年12月29日 (水)

見たくもない小沢・仙石バトル

 このところ、すっかり政治ネタから遠ざかっている。前向きではない、論評に値しないよう報道ばかりで、あきあきした。「閉塞感」という言葉すら、今やマンネリに聞こえる。戦前のあのころと同じ、という声に、暮れの寒さがひとしお身にしみる。

 小沢議員の条件付き政倫審出席声明、なんだこれは。「あくまでも証人喚問を」といっている野党は、開かれても出席しないだろう。また、与党を含めて仙石官房長官などの問責決議をからめ、首相の足元をゆるがす狙いもあるという。

 当塾は最初から証人喚問を決議し、守る方も攻める方も逃げ道をなくして、すっきりさせるべきだと主張してきた。喚問決議には全会一致の慣例があるが、最終的には与党理事も賛成にまわると見ていた。現に、小沢議員が政倫審出席を宣言したら、小沢支持といわれる議員たちもほっとした顔で、「これでいいのだ」と言っているではないか。証人だと偽証罪があるから、という理由は、「疑惑があります」というのと同じで、政倫審招致とどこが違うのかわからない。

 マスコミはさかんに、内閣改造・仙石更迭が避けられないように言っている。同じ問責決議を受けた馬淵議員についてはなぜかあまり名が上がってこない。国交大臣ではものが小さいのだ。野党の魂胆は、菅内閣を瀕死の状態に追い落とすことだけが目的である。

 そもそも仙石長官に狙いをつけた「問責」の中味は何だったのかさっぱりわからない。そこであらためて決議案を読んでみた。全部で5項目ある。尖閣諸島の処理、国会答弁の態度、暴力装置などの発言、国会同意人事案件の遅れ、それに朝鮮延坪島砲撃事件の危機管理だ。

 尖閣問題は、船長釈放について「外交上の判断が一地方検察庁でなされたと信じる者は誰もいない……と考えざるを得ない」という推論が先行し、「どちらにしても……」というあいまいな判断のもとで、仙石長官に責任があるとしている。

 ほかにビデオ流出事件を言っているが、「自分たちの責任を海上保安庁長官になすりつけようとしている」と、言外に官房長官の責任とすることに、やや無理があることを認めた格好だ。

 その他この問題にもるる説明を付け加えているが、船員を逮捕・拘留して取り調べをしたこと、中国の過敏な強硬反応などには、なぜか一切触れていない。決して満点とはいえないが、塾頭は全体の経緯から見て、まあまあの線におさめたのは、それなりに外交の成果だと思っている。

 かりに船長釈放の裏に、問責側のいうような事実があったとしても、「外交辞令」という言葉ではないが、外交にはいろいろな手練手管や言い回しが必要なものだ。一旦発せられた外交上の発言は簡単に覆せないし、建前をくずすわけにもいかない。それを悪しざまに追及することの方がよほど国益を損ずるのではないか。

 第2の暴言、失言とは、長官が国会で「しゃしゃり出て、話をすり替え、恫喝し……、最も拙劣な質問だ、と侮辱……」などという、要は、国会論議で言い負かされた意趣返しではないか。これまでののらりくらりの官僚答弁や、木で鼻をくくったような国会答弁よりはよほど見ごたえ聞きごたえがあった。

 第3では、傍聴席からメモを望遠カメラで写し取られたことを「盗撮」と言った、自衛隊の施設で反政府発言をする来賓を制限した、それに「暴力装置」発言などがすへて憲法に抵触する、ときた。もう解説する必要もない。誰が書いた原稿か知らないが、まるで子供の口ごたえにも似た幼稚な論理の連続だ。

 国会同意人事案件というのは知らなかった。多分事務ミスなのであろう。これが官房長官を取り換えなくてはならないほどの問題なのだろうか。

 最後が、韓国の砲撃事件を首相・官房長官ともに報道で知った、官房長官は首相より5分おくれて官邸に入った、というのが危機管理能力の欠如であるという。村山内閣の阪神大震災対応以来、ことが起きると必ず野党が攻撃目標にする。それで緊急措置がとれなかったというならともかく、こんなことまでつけ加え、盛りだくさんにしなければならないということで、この決議案のお里が知れようというものだ。

 ずいぶん仙石長官をかばっている、とお思いだろうが、彼にそんな義理は全くない。上記の問責決議案程度なら、指導力のない菅首相にこそ正面から問責決議を出した方がいいということだ。それで解散権を行使されたらかなわんと思うのであろうか。

 官房長官は女房役ともいわれる。汚職など不祥事による理由ならともかく、性格が気に入らないという類の問責だ。首相が長官を更迭するとなると、他から言われたから離縁する、というのと同じになる。

 首相はこれまでも、仙石氏をかばうようなそぶりがあまりなかったが、ここで断固仙石氏を擁護しとおすようなら、優柔不断、指導力欠如といったマイナスイメージが払拭できるだろう。それがなければ、首相に泣いて馬謖を斬る資格などない。残念ながら夫婦の絆だ、一緒に身を引いてもらうしかないだろう。

|

« 金語楼の名せりふ | トップページ | 1富士2高か3かすみ »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

持論・結論がなければ、議論する資格もないはずだが、相手かまわず言いがかりをつけて議論をしたがる人がいる。
折角、相手を議論で打ち負かしても、それに代わる自説を提案できないのは非建設的である。
議論では「破壊は建設なり」とは行かない。不毛の議論にしかならない。時間はいくらあっても足りない。

自説を述べればそれで万事発表は終わる。
さらに、自説に似た他説があれば、自説の優位性を述べることも有益なことである。
これは、人類の進歩につながる建設的な態度である。

考える人にならなければ、自説はできない。このような人は、とらえどころのない人と呼ばれている。
しかるに、丸暗記と受け売りの学力を使って議論をしかけようとしている。
真正でない学問をもって世俗におもねり、人気に投ずる言説をなすことを曲学阿世というが、こうした行いが横行している。
こうした行為は、あながち個人の責任には帰しがたいが、由々しい事実であることには間違いない。
イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

日本語には、時制というものがない。だから、未来時制もない。
自分達が努力して向かうべき理想の内容も語られることがない。いわゆる無哲学・能天気である。
未来社会の内容が明らかにならないので、われわれは未来社会の建設に着手出来ない。

日本人の世の中の把握の仕方は、現実の有様に関するものである。「世の中は、、、」の形式で表現される内容である。
現実の内容は、皆がほぼ一致する。一人から答を得たら、それで皆の答がわかる。
現実の内容は、変えられない。政治家には、政治哲学がない。
だから、日本人は閉塞感に襲われる。
英米人の世界観は、未来時制であり現実とは別次元の内容である。
これは人によって違うから、意見は一人一人聞かなくてはならない。
良い提案があれば、相互に協力して建設に励むことができる。

皆が同じ現実の内容を話すばかりでは議論はいらない。
「理屈などは、どうでもよい。現実は見ればわかる」ということになる。
議論をすれば、現実描写に関する個人的なケチの付け合いとなり喧嘩になる。
皆が仲良く生きてゆくには、問答無用で生活することである。
現実にばかり囚われては、別次元の世界が一向に見えてこない。向かうべき所に関する夢も希望もない。
それで、諦観も必要になる。

アングロ・サクソンの考え方が我々の現状の打開策となるであろう。
彼らのメンタリティを理解するために、我々には英語の勉強が必要である。
ある時、私はアフリカの学者から「日本では、何語を使って大学教育を行っているのか」と尋ねられたので、「日本の大学は、日本語を使う」としごく当然のように答えると、相手はびっくりしていた。
きっとその人は、日本語で学問ができるなどとはとても考えられなかったに違いない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

投稿: noga | 2010年12月29日 (水) 21時46分

長文のコメントありがとうございました。

多分、語学や翻訳に長じた方と拝察します。翻訳者は他国語以上に日本語に堪能でないと、その日本文は読みづらいものですが、哲学を含め最後まで読ませてもらいました。

ページを訪れ勉強させていただきます。

投稿: ましま | 2010年12月30日 (木) 09時39分

上のコメンとですが、丸々他の記事の張付けで自説がない。
ニセユダヤ人の山本七平の『日本語には時制が無い』との主張は間違いで加藤周一は過去形と現代形が同居しても文体として成り立つ日本語の特徴を指摘している。
紹介されている記事には真底腹が立ちました。
欧米白人キリスト教世界以外で、植民地化や属国化の危機を撥ね返して日本ただ一国だけが唯一先進国に成れた理由とは高等教育を全て日本語で行えるだけの実力があったからではないでしょうか。?
今までの日本語に無かった外国単語をそのまま使わずに、今では漢字の本場の中国でも使われている労組であるとか会社や民主主義など、全て新しく日本語の言葉を創作した先人の知恵と努力の目的とは、矢張り日本の独立の維持ではなかったのか。
この努力と知恵があっったので植民地化や属国化を免れ先進国になれたのです。
そう思って今の日本を見れば安易なカタカナ語の乱用とは日本の属国化の証拠ですよ。
年明け早々腹のたつ記事を読んで怒りがおさまりません。

投稿: 宗純 | 2011年1月 7日 (金) 10時10分

宗純 さま
コメントありがとうございました。

 そういう人っているんですよね。アメリカに勤務した経験を持つ外交官くずれとかに。小泉時代に一時利用された向きもあるが、それにも達しない受け売りの御幣担ぎではどうしょうもない。

 ××ブルタニカ・アメリカーナなど過去形で回顧され、本国でさえ厳しい反省に迫られていることに、まともに付き合っている暇はありません。

 褒め殺しにするしかないと思いました。

投稿: ましま | 2011年1月 7日 (金) 18時08分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/468248/38262402

この記事へのトラックバック一覧です: 見たくもない小沢・仙石バトル:

» アメリカは本当に弱者に厳しいのか? [ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ]
Tweet ゼロヘッジというブログを見ていると面白い記事 を見つけた。 このグラフ↓ その記事にあった表を日本語に訳し日本円に換算してみたもの。(単位は万円) 年収が30万~500万の人のいろいろな給付金や所得控除/税金などを差し引いた(加えた)後の手取... [続きを読む]

受信: 2010年12月31日 (金) 03時38分

« 金語楼の名せりふ | トップページ | 1富士2高か3かすみ »