« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月

2010年12月29日 (水)

見たくもない小沢・仙石バトル

 このところ、すっかり政治ネタから遠ざかっている。前向きではない、論評に値しないよう報道ばかりで、あきあきした。「閉塞感」という言葉すら、今やマンネリに聞こえる。戦前のあのころと同じ、という声に、暮れの寒さがひとしお身にしみる。

 小沢議員の条件付き政倫審出席声明、なんだこれは。「あくまでも証人喚問を」といっている野党は、開かれても出席しないだろう。また、与党を含めて仙石官房長官などの問責決議をからめ、首相の足元をゆるがす狙いもあるという。

 当塾は最初から証人喚問を決議し、守る方も攻める方も逃げ道をなくして、すっきりさせるべきだと主張してきた。喚問決議には全会一致の慣例があるが、最終的には与党理事も賛成にまわると見ていた。現に、小沢議員が政倫審出席を宣言したら、小沢支持といわれる議員たちもほっとした顔で、「これでいいのだ」と言っているではないか。証人だと偽証罪があるから、という理由は、「疑惑があります」というのと同じで、政倫審招致とどこが違うのかわからない。

 マスコミはさかんに、内閣改造・仙石更迭が避けられないように言っている。同じ問責決議を受けた馬淵議員についてはなぜかあまり名が上がってこない。国交大臣ではものが小さいのだ。野党の魂胆は、菅内閣を瀕死の状態に追い落とすことだけが目的である。

 そもそも仙石長官に狙いをつけた「問責」の中味は何だったのかさっぱりわからない。そこであらためて決議案を読んでみた。全部で5項目ある。尖閣諸島の処理、国会答弁の態度、暴力装置などの発言、国会同意人事案件の遅れ、それに朝鮮延坪島砲撃事件の危機管理だ。

 尖閣問題は、船長釈放について「外交上の判断が一地方検察庁でなされたと信じる者は誰もいない……と考えざるを得ない」という推論が先行し、「どちらにしても……」というあいまいな判断のもとで、仙石長官に責任があるとしている。

 ほかにビデオ流出事件を言っているが、「自分たちの責任を海上保安庁長官になすりつけようとしている」と、言外に官房長官の責任とすることに、やや無理があることを認めた格好だ。

 その他この問題にもるる説明を付け加えているが、船員を逮捕・拘留して取り調べをしたこと、中国の過敏な強硬反応などには、なぜか一切触れていない。決して満点とはいえないが、塾頭は全体の経緯から見て、まあまあの線におさめたのは、それなりに外交の成果だと思っている。

 かりに船長釈放の裏に、問責側のいうような事実があったとしても、「外交辞令」という言葉ではないが、外交にはいろいろな手練手管や言い回しが必要なものだ。一旦発せられた外交上の発言は簡単に覆せないし、建前をくずすわけにもいかない。それを悪しざまに追及することの方がよほど国益を損ずるのではないか。

 第2の暴言、失言とは、長官が国会で「しゃしゃり出て、話をすり替え、恫喝し……、最も拙劣な質問だ、と侮辱……」などという、要は、国会論議で言い負かされた意趣返しではないか。これまでののらりくらりの官僚答弁や、木で鼻をくくったような国会答弁よりはよほど見ごたえ聞きごたえがあった。

 第3では、傍聴席からメモを望遠カメラで写し取られたことを「盗撮」と言った、自衛隊の施設で反政府発言をする来賓を制限した、それに「暴力装置」発言などがすへて憲法に抵触する、ときた。もう解説する必要もない。誰が書いた原稿か知らないが、まるで子供の口ごたえにも似た幼稚な論理の連続だ。

 国会同意人事案件というのは知らなかった。多分事務ミスなのであろう。これが官房長官を取り換えなくてはならないほどの問題なのだろうか。

 最後が、韓国の砲撃事件を首相・官房長官ともに報道で知った、官房長官は首相より5分おくれて官邸に入った、というのが危機管理能力の欠如であるという。村山内閣の阪神大震災対応以来、ことが起きると必ず野党が攻撃目標にする。それで緊急措置がとれなかったというならともかく、こんなことまでつけ加え、盛りだくさんにしなければならないということで、この決議案のお里が知れようというものだ。

 ずいぶん仙石長官をかばっている、とお思いだろうが、彼にそんな義理は全くない。上記の問責決議案程度なら、指導力のない菅首相にこそ正面から問責決議を出した方がいいということだ。それで解散権を行使されたらかなわんと思うのであろうか。

 官房長官は女房役ともいわれる。汚職など不祥事による理由ならともかく、性格が気に入らないという類の問責だ。首相が長官を更迭するとなると、他から言われたから離縁する、というのと同じになる。

 首相はこれまでも、仙石氏をかばうようなそぶりがあまりなかったが、ここで断固仙石氏を擁護しとおすようなら、優柔不断、指導力欠如といったマイナスイメージが払拭できるだろう。それがなければ、首相に泣いて馬謖を斬る資格などない。残念ながら夫婦の絆だ、一緒に身を引いてもらうしかないだろう。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2010年12月28日 (火)

金語楼の名せりふ

 戦時、お笑いの最高峰にいたのがエノケン・ロッパと初代・柳家金語楼である。非常時のすさんだ民心の緊張感をいやすのに、どれだけ役に立ったか計り知れない。金語楼は、二等兵として入営した体験を笑いにした「兵隊落語」で人気を集めた。

 汽車に乗って万歳で送られ……

 ああ、うれしい、勇ましい。僕も軍人になればこそ、この万歳が聞かれる。うれしい、実にうれしいことはうれしいが、これが除隊の万歳なら、どんなにうれしかろう。
 (『ことばの知識百科事典』三省堂)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年12月27日 (月)

「朝鮮」を考える

 最初に北朝鮮から韓国の延坪島(ヨンビョンド)を砲撃したことを考えよう。どんなに悪口を言おうが拳骨を振り回そうが、喧嘩は最初に手出しをして相手に傷を負わせた方が悪い。そして、その前に起きた天安艦沈没事件まで「やっぱり北の仕業だったんだ」と思わせることになる。

 この事件で得をしたのは、同盟強化の口実に使える日本とアメリカで、最も打撃を受けているのが中国である。全く信用のない北朝鮮をかばう役割を一人で背負い込む羽目になっている。利口なロシアは、成功こそしなかったものの、国連安保理かけることで一歩身を引き、国際世論に従う方に回った。

 ノーベル平和賞授賞式の妨害、日本との尖閣諸島問題に関する強硬手段、さらに韓国でも同じような漁船体当たり事件が起きて、それらが共振して国際的なイメージダウンにつながり、強硬な中国に警戒を強める結果を招いた。それだけでオリンピックも万博も台なしだ。

 韓国はどうだろう。ソウルの防空演習の映像を見て、日本の戦時中を思い出した。「空襲警報発令」で、街行く人も一斉に地下へ避難させられる。「デートの約束があるんです」などと言っても通用しない。真面目に協力しないのは非国民だ。

 若者は、とっさに徴兵され軍務つくことを心配する。戦争になるのがこわい。譲って避けられるものなら譲ってもいい。日本と違って戦争は現実で隣りあわせなのだ。韓米同盟があるからその抑止力に頼り、近代的機動兵力を以て徹底的に北をねじふせてもらいたい、などと考えているだろうか。

 日本人のように、北をコテンパンに軽蔑するようなことは好まない。なぜならば、北の人々は兄弟なのだ。朝鮮戦争を体験している人の多くは70歳以上になっているが身内は双方にいる。戦争は最初北が一方的に攻め立て、釜山のあたりまで進軍した。

 その後、米国が国連軍を率いて反撃、中朝国境近くまで押し返す。その過程で多くの韓国人の若者が北軍に逮捕され、「朝鮮人民勝利のため一緒に戦おう」と、見方によれば「拉致」に近い形で北軍と行動を共にする。

 北軍は、中国共産党のいわゆる「義勇軍」の援けで態勢を立て直し、もう一度38度線のあたりまで戻してきたところで、停戦協定が成立した。朝鮮半島はこうして何度も押しつ戻しつで戦火にさらされ、多くの兵士や民衆が生死の境をかいくぐる辛酸をなめた。

 北と行動を共にした韓国人は身内と切り離され、今でも「離散家族」として、限られた人しか往来できていない。停戦協定以後も、工作員の暗躍で自発的にあるいは強制的に国境を越え、離れ離れになっている人は、日本の拉致被害者とは比較にならないほど多い。

 日本人拉致が非道で許しがたい蛮行であることは論をまたない。しかし、韓国人は日本にあまり同情的とはいえない。朝鮮戦争の深い傷跡がそのまま今も続いているからである。そして、日本の拉致被害者を応援するつもりで発言される北朝鮮非難、あるいは蔑視には、反感さえ抱いているはずだ。

 北は兄弟の国である。それなのに往き来もできない、戦争の恐怖にもさらされ、毎日不安の日々を送らなければならない。「なぜ、そうなったのだろう」と考えるのは当然だ。かつて塾頭は、極左の人の言う「南北分断の責任は日本にある」といった主張に憤慨したことがある。

 日本は、連合国に無条件降伏をした。その時点で、朝鮮における日本の権力は一切失われ、連合国の決定に従うことになった。米ソが38度線で支配区域を分けたことと、その結果に何の責任があるわけではない、というわけだ。

 歴史に、「若しも」とか「3段論法」は禁物だ。ただし、情念の世界では自由にあってしかるべきだ。こういう考えはどうだろう。日本人そして為政者は、朝鮮についてそこまで配慮しても罰は当たらないと思うのだが。

 日韓併合で、朝鮮は日本になった。日本と戦ったアメリカは、日本を占領する。当然朝鮮もその範囲内だ。終戦直前に参戦し、日本降伏に貢献したソ連は満州から朝鮮に矛先を向けた。したがって朝鮮の半分は支配下に置いていいということになる。

 塾頭は、日韓併合に「朝鮮の植民地支配」という言葉を使うことに賛成しない。日本は植民地にする気はなく、日本そのものにしたかったのだ。「日韓併合」ではなく「(純)植民地」にしておけばよかったのだ。

 そして、敗戦が見通せた頃、李王殿下に施政権を返上すべきであった。そうすれば、アメリカもソ連も朝鮮を分割支配する口実を失う。また、南北に分断される可能性もなくなっていた。日本と一体化したばかりに、朝鮮は大東亜戦争につきあわされ、兵隊にとられたり、日本人同様に従軍慰安婦になる道を開いた。

 つまり、植民地であればまぬがれたかも知れない戦争と、敗戦までつきあわされたのである。日韓併合がなければ南北分断もなかった――これは自明の理なのである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010年12月25日 (土)

民主の外交勉強会

 民主党政権が誕生する直前、約2年がかりで、党中堅議員に日本の現近代史を講義した先生がいる。松本健一さんといい、歴史家であり評論家であり、小説家でもあるという多彩な顔を持つ麗沢大学教授で、現在は内閣官房参与をつとめている。

 講義を主催したのは、長い付き合いのあった仙石由人現官房長官で、中心メンバーが、枝野幸男、前原誠司、細野豪志、福山哲郎、小川純也、笹木竜三、若手で松浦大悟、さらに古川元久、足立信也、鈴木寛、松本剛明、蓮舫、小宮山洋子議員などが加わり、総勢30人ほどであった。

 顔ぶれは凌雲会つまり前原グループが中心で、講義内容がそのまま政策に反映しているとは思えないが、現在の外交政策の中枢をになうメンバーが含まれており、関心の持たれるところである。幸い、講師がその一部をまとめ、『日本のナショナリズム』(ちくま書房)として刊行されているので読んでみた。

 当塾は、過去にシリーズとして「朝鮮・韓国」1~23、「日中関係史考」1~12(カテゴリの「INDEX」からリンクできます)およびカテゴリの「東アジア共同体」を設け、「反戦」の立場からの考察を記事にしてきた。

 そこでまず驚いたのは、日本が中国に対する侵略的意図をあらわにし、中国の反日感情を決定的なものにしたのは、第1次世界大戦後の「対支21か条要求」からで、そこに歴史の転換を見る、という点と、日中の解きがたい対立は、将来EUを参考にした共同体(経済ブロックを超えた)を考えるべきだという点が、当塾の考えとほぼ一致していたことである。

 明治維新後の「富国強兵」や日清戦争は、帝国主義的侵略を目的としたものではなく、むしろそういった列強の侵略から身を守る必死の努力という面があった。また、ことさら統帥権とか天皇とナショナリズムを結びつけるような世相はなかった。

 こういった考えは、明治維新以降太平洋戦争に至るまでを一体化し、帝国主義への道程と見るマルクス主義史学とは違うし、もちろん戦争を美化しようとする歴史修正主義とは相いれない。松本氏は、対支21か条要求を中国に突きつけたのは、大隈重信内閣のポピュリズムだったとした。

 それが、外交関係を損ねる原因の大きな要素となった。ポピュリズム第2の失政が、シナ事変の収拾がつかず「国民政府を相手とせず」と宣言をして和平の道を閉ざした近衛文麿内閣、そして、第3のポピュリストを小泉元首相と位置付けた。

 目が国内の国民の方だけ向いていて、とどのつまり国民が喝采するようなイシューしか出さない。対外関係でいえば、外に敵をつくってこれを叩くというかたちにすれば、必ず国内はまとまるのである。

 わたしはこの戦略をむ「ハンチントンの罠」と呼んでいるが、これは国際政治学者のハンチントンが『文明の衝突』で述べていた論理で、国の中を一つにまとめるには外に敵をつくってそれを叩けばよい、という考え方である。

 まさにポピュリストがやる外交がこれで、ブッシュ大統領の対テロ戦争の戦略や、それに追随した小泉元首相の対外政策もこれと同じであった。(前掲書)

 小泉元首相を、大隈、近衛両首相と並び称すことにはやや違和感があるが、松本氏はこれまでバイプレーヤー的な扱いをされてきた大川周明や北一輝などの右翼、また、孤立を恐れず反軍演説をして除名された斉藤隆夫議員を取り上げ、ユニークな分析をしている。

 詳しく書く余裕はないが、それらの人々の中にあるアジア主義や、天皇機関説を肯定的にとらえた考え方を紹介した。そういったことで、この講義を聞いた民主党の要職をしめている人が、近現代史の知識もなく人種差別意識を持ったり、偏狭なナショナリズムに親しんだりすることは、あり得ないものと信じている。

  

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2010年12月23日 (木)

反戦塾乗10/12/23

Dscf3208 冬至の月影
 日差しは日ごとに伸びていく。菅内閣の冬至はまだこれから。年を越しそう。

小沢の黙示録
 一兵卒でも、取り巻きは首相以上。その取り巻きは、一兵卒の「気持ちをおしはかって」行動することになっているらしい。だから、首相とは違った意味で、何をしたいのかどうしたいのかサッパリからない。

  当塾は、証人喚問に応じるのが一番といった。塾頭が「おしはかる」とそうなる。一日も早くスカッとしたい。そうしないと、党内団結も、連立工作も、選挙応援もすべてが八方ふさがりだ。経緯があやしげな裁判にも不利だろう。

 証人喚問は、予算委員会理事による全員一致の決議が必要。委員長が小沢側近、かの中井冾である。全野党、与党の過半数が賛成する中で、小沢派と目される理事は反対を押し通すのに相当勇気がいるだろう。

 もっとも、4階から落ちてもびくともしない三宅雪子理事もいるから「余計な心配するな!」。「は~い」。

金のなる木・沖縄
 米軍海兵隊のグァム移転に、現地の水道などインフラ整備が必要。日本はこの費用として60億9000万ドルを分担、来年度分として4億2000万ドル融資が予算案で決まった。

 30年前の外交文書公開により、沖縄返還後米国が支払うことになっていた米軍用地の原状回復補償費4000万ドルを、日本側が肩代わりするという密約があった。しかしその文書は、焼却したらしいことがわかった。そのほか、返還協定で決まったの3億2000万ドルのほか、米軍施設改良移転費名目で6500万ドルを日本が負担する密約も見つかった。(毎日新聞ほか)

 「日本をただで守ってやっている。韓国はベトナムに兵を送って協力している。日本はそれもしない。それくらい出すのあたりまえだろ」などとおどされてのことだろう。沖縄基地からベトナムに直接発進することも、この時から黙認する約束ができた。

 沖縄は「金のなる木」だ。普天間移転など、中国・朝鮮もあるしそうあっさりとことを運べるわけがないだろ、などとゆすられているに違いない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月20日 (月)

ようやく出てきた「小沢喚問」

 当塾では、民主党小沢議員のいわゆる「政治とカネ」疑惑で、検察審査会の強制起訴決定が出てから、10月7日の「小沢氏には戦ってほしい」に始まり、同21日の「小沢国会説明の意義?」および今月9日の「反戦塾乗」まで3回エントリーしてきた。

 小沢氏の「法的に問題がない」という主張は信用できる、したがって国会の場で筋を通して説明してほしい。それも、政倫審の参考人招致ではなく「証人喚問」として立ち向かうべきだと主張した。これまでそういう声が全くなかったのを不思議に思っていたら、やっと今日になってでてきた。

 こう着状態の小沢・菅会談のあと、前後措置を検討する役員会で出たようだ。ということは、菅総理には最初からその考えはなかったのだろう。1時間半も話していて、幹事長と言うことが同じでは情けない。隠し玉として持っておくべきだったのだ。

 小沢・菅ともに今大切にしたいのは、「建前」と「大義名分」と「意地」、それに党内結束だ。マスコミはそうはさせたくないので、小沢の足を引っ張り、菅を踏みつけ、政局にしたがっている。まさかその方が新聞が売れる、というわけでもあるまい。

 政倫審に出たくなければ決議があっても断ることができる。小沢は断る理由も文書をもって明らかにしている。野党は、当然証人喚問に要求を切り替えるだろう。離党勧告しても応じなければそれまで、あとは除名しかない。党国会議員の半数近くの支持があった議員を除名することなどできるわけがない。

 証人喚問なら法的な根拠があって出席を断れない。また、国政調査権の行使で司法とは別の問題だ。そして、虚偽の証言には罰則もある。小沢が無実を証言することは、記者会見の発言などとは全く重みが違うし、裁判に関連しそうなことは、法により証言拒否の権利がある。

 小沢は、、一度は「国会の要請があれば」と言っていたのだから、菅や岡田に言われたからではなく、義務を果たすならこの方がいいのではないか。よほどへまな答弁をしない限り、再喚問とか、審議拒否などと野党が言えば、今度は非難のほこさきが野党に向かう。

 マスコミは、さかんに「これまで菅内閣の支持率化が急上昇したのは、いつも《脱小沢》をはかったときで、3度目の正直をねらっている」などというが、これはうそだ。支持の理由として、「脱小沢」だからなどという設問などしたことがないではないか。

 そのような論調に耳を貸すことはない。ただ、小沢問題にはこれしかないと思う。沖縄の基地問題と同様、菅首相の器量が問われる最後の場面にさしかかっていることだけは間違いないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2010年12月18日 (土)

言葉でごまかす「安保」

 民主党になっていはじめての「防衛計画の大綱」が発表された。一読してみてすっきり理解できるという人はまずいないだろう。政府文書とはそういったものだが、国民の安全にかかわるものがそれでは困る。

 当塾でも言ってきたが、日米安保条約そのものは、憲法尊重の文言もありそれなりによくできている。それは、60年来一言一句変わっていない。それが、言葉と運用でねじ曲げられ、イラク自衛隊派遣などは、違憲判決がでてもおかしくないようなところまで引きずり込まれた。

 「民主党なら安心」という期待はくずれ去った、鳩山・菅両首相のあの体たらくでは、自民党以上に危険かもしれない。なぜならば、言葉が軽いのだ。前言撤回が多すぎて信用できなくなった。

 さて大綱の方だが、当塾が3年近くも前に主張していた戦車隊の削減や、領域内の制海権、制空権確保、地対空ミサイル防衛システムを充実させるという考えは妥当な内容だと見る。

 それならば賛成かというと、そうではない。解釈改憲や、集団的自衛権の歯止めがなく、具体性のない言葉が躍っており、どう運用されるか信用できない点で、反対の方に近いのだ。

 まず、「グローバル」「シームレス」などという横文字が多すぎることだ。最近見たNHKの安保特集TV番組で、日本に「日米同盟」という言葉を使わせるように工作し、「同盟とは互いに血を流す間柄のことだ」と喝破したのは、やはりあのリチャード・アーミテージ国務次官補だったことを知った。

 大綱が国産というより米国産に近いと見なされる所以だ。菅首相は日米同盟の「深化」という意味不明語を持ち出したが、大綱でも「動的防衛力」という新語がでてきた。この解釈も、日本中心の自衛隊配備だけをいうのか、テロとの戦いまで含め、日米同盟共通の方針を指すのか新聞によって差がある。

 産経新聞など「動的防衛力は日常的な情報収集や警戒監視の活動を強化し、突発的な事態に迅速にたいおうするものとされるが何を意味するのかよくわからない」(18日付・主張)といいながら、タイトルは「評価する」である。

 安保の歴史は「ごまかし」の歴史である。言葉には、よくよく注意が必要だ。
 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年12月17日 (金)

斉明天皇物語 5

 たから姫を葬った墓すなわち斉明陵は、宮内庁が指定する車木(くるまき)ケンノウ古墳ではなく、奈良県明日香村の牽牛塚古墳らしいと報道されたのは9月10日である。それについては、「斉明天皇陵」で記述した。その後12月9日にその古墳に接するように新しい古墳が発見された。

 これは、『書紀』に記載のある大田皇女の墓ではないかということで、考古学会ではこれをもって確定的になったと評価している。しかし、宮内庁は依然として指定の変更はしないしいう、かたくなな態度を変えていない。明治時代には数件の指定変更があったというから、その後の天皇絶対視政策が庁内に残っているからではないか。

 宮内庁が根拠のひとつとする『書紀』の本文を以下に掲げるが、その前にあるたから姫葬送関連の記事を紹介しておこう。

 冬十月の癸亥の朔己巳に、天皇の喪、帰りて海に就く。是に、皇太子、一所に泊てて、天皇を哀慕ひたてまつりたまふ。乃ち口号して曰はく、

 君が目の 恋しきからに 泊てて居て
 かくや恋ひむも 君が目を欲り

十一月の壬辰の朔戊戌に、天皇の喪を以て、飛鳥の川原に殯(もがり)す。これよ発哀(みねたてまつ)ること九日に至る。

 朝鮮遠征軍を渡海させてすぐのことである。戦争より葬式といった感じだ。それにしても中大兄の母に対する敬慕・哀惜の歌は、たから姫の家族中心主義を余すことなく伝えているようだ。

 それから6年あとの春2月の条に埋葬の記事が出てくる。

 天豊財重日足姫天皇と間人皇女とを小市岡上陵に合わせ葬せり。是の日に、皇孫大田皇女を、陵の前の墓に葬す。高麗・百済・新羅、皆御路に哀奉る。皇太子、群臣に謂りて曰はく、「我、皇太后天皇の勅したまへる所を奉りしより、万民を憂へ恤(めぐ)む故に、石槨(いわき)の役を起こさしめず。冀ふ所は、永代に以て鏡(あきらかなる)誡めとせよ。

  これで見るように、たから姫と娘の合葬を示す2列並んだ石室、この陵のすぐ前にくっつくように設けられた新発見のやや小さい墓、これが中大兄の娘、つまりたから姫の孫娘の墓のようで、上記の記述に合致する。

 宮内庁が否定する根拠が、後半の石槨の役を免除した、という点だ。しかし「石槨を作らなかった」とは書いてない。たしかに、朝鮮遠征で国費(国民に課す徭役)を使い果たし、中大兄の即位、母、妹などの埋葬も延期していた。ようやく目途ついてきたのがこの頃だ。

 さらに、新たに使える労働力があった。それは、戦争を逃れて朝鮮半島から大挙押し寄せた難民や移住者である。その翌月、都を飛鳥から近江の大津に移している。これも多くの移住者をこの地の開墾や建設作業に当たらせたことが大きい。

 薄葬令は、この時始まったことではない。推古の頃から前方後円墳はすたれ、巨大天皇陵は小型化した。そのため、豪族などの円墳や角墳と区別がつかなくなり、8角形墳墓は天皇陵に限るという権威づけが行われたのではないかというのが定説だ。 

 大田皇女が出てきたので触れておく。中大兄の後継候補で、たから姫が溺愛した建王が夭折し、大いに嘆いたという話は前に書いた。ほかに妹が2人いる。大田皇女と鸕(う)野皇女だ。 この2人は揃って叔父・大海人の妻となった。

 大田皇女は、たから姫の出陣に同行しその間2人の子をなした。鸕野皇女は天武天皇となった夫の後を継いで、持統天皇となる。祖母斉明に次ぐ女帝だ。間人皇女も叔父に嫁いだが、たから姫の「家族主義」がここまで及んだのであろうか。今では考えられない近親結婚の連続である。

 一時、これを理由のひとつとして、「実は天武は天智の兄弟ではなく、朝鮮王族の出」だとか、「天智と父を異にする年上の兄だ」という「とんでも」学説がはやっていたが、最近また復活しているようだ。

 私は、これを一笑に付している。「ソ連の諜報機関の1資料にこうある」とか「正史に書いてないから真相である証拠」などという論法は、著名な某女性論者でもよく使う手であるが、歴史の著述者は、誰にでもすぐばれるような嘘は絶対に書かない。これは私の経験則である。

 『書紀』の完成は720年である。天武即位が673年、その年に18歳だった人は完成時65歳でまだ大勢存命しているはずだ。完成後秘密文書にしておくならともかく、早速普及のための勉強会なども開いている。特に家記などの資料提供した豪族関係者などは、関心をもって読んだに違いない。(完)

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2010年12月16日 (木)

斉明天皇物語 4

 斉明天皇こと、たから姫の生涯最後の場面は戦争である。都を出て瀬戸内海を船でわたり、九州の太宰府より奥の朝倉の宮を本営として朝鮮出兵の指揮を執る。姫といっても68歳、老いた彼女を神功皇后以来の行動に駆り立てたのは何だったのだろうか。

 「師(いくさ)を乞ひ救を請すことを、古昔に聞けり。危を扶け絶えたるを継ぐことは、恒の典に著れたり。百済国、窮り来たりて我に帰るに、本邦の喪(ほろ)び乱れて、依るところ靡(な)く告げむところも靡といふを以てす。戈を枕にし胆を嘗む。必ず拯救(すくひ)を存(たも)てと、遠くより来たりて表啓す。志奪ひ難きこと有り。将軍に分かち命せて、百道より倶に前(すす)むべし。

 簡単にいうと、懇願されてことわるのは道義にもとる。さあ、国をあげてこれをたすけよう、という不退転の決意を示した詔勅である。孝徳・斉明の時代を通じて、実質的な施政権を握っていたのは中大兄、とする研究者の説が多いが、私は、やはりたから姫の意思からではないかと見る。

 というのは、姫は中国が嫌い、その中国と同盟し、日本の命に背くことが多い新羅も嫌い、両国から攻められて亡国の憂き目にあっている百済は、日本に来ている人質と親戚づきあいのような関係も加わって、これを救わなければ天皇の権威に傷がつく、とでも思ったのか。

 卑弥呼の昔から、日本の最高権力者が巫女の役割を果たしていたのに、唐留学経験僧などが勝手に星占いをし、天皇の職権をないがしろにする。特に孝徳の時代は、宮中の制度や習慣が大幅に中国化したなどのことである。

 斉明紀の冒頭、たから姫即位直後の記事として書紀に次のような説話が載っている。

 夏五月の庚午の朔に、空中にして竜に乗れる者有り。貌、唐人に似たり。青き油の笠を着て、葛城の嶺より、馳せて胆駒山に隠れぬ。午の時に及至りて、住吉の松嶺の上より、西に向ひて馳せ去ぬ。

 たから姫は、661年夏、朝鮮発進の直前に朝倉宮で病没した。この時も大笠を着た鬼が葬儀の模様を山の上からのぞいていたという記事をのせているが、中国の間諜といううがった説もある。いずれにしても、たから姫と中国に関する思わせぶりな説話である。

 たから姫の生涯はここで終わるが、次回は、「斉明天皇陵確定か」という報道に関連する内容を中心にして、このシリーズをしめくくりたい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月15日 (水)

斉明天皇物語 3

 63歳になったたから姫が、なぜ前例のない2度目の天皇即位に踏み切ったのかはわからない。中大兄は27歳、皇太子のままである。ほかに有馬皇子という、孝徳の息子もいる。しかし、たから姫は、中大兄に建王という孫が生まれ溺愛していたので、ここに皇位を継がせたいという思いがあったのかも知れない。

 たから姫は早速飛鳥に帰り、推古女帝ゆかりの地・小墾田に瓦葺の豪壮な新宮を建てようとするが、それを支える巨木が見つからず断念する。それには屈せず、飛鳥東方に連なる山並みの最高峰・多武峰に観楼を建て石垣をめぐらせ、石積みの施設(2000年に発掘された亀型石など)やそれを運搬するための運河を掘るなど、膨大な建設工事に励んだ。

 労働者動員は10万余に上ったが、満足にできたものがない。『書紀』は、「狂心(たぶれこころ)」などという、世論の不評を遠慮なく載せている。このほか、斉明紀で多いのは、朝鮮3国を中心とする外交記事、阿倍比羅夫の蝦夷遠征、有馬皇子謀殺、それに白村江の敗戦を招いた朝鮮出兵である。

 有馬皇子謀殺は、うつ病気味だった有馬が紀州白浜温泉で療養したところ、すっかり快癒し、叔母・たから姫に報告した報告から話が始まる。その頃、たから姫は愛してやまなかった幼い建王が病没し悲嘆にくれていた。

 有馬の話を聞いて喜んだたから姫は、早速自分も行って見ることにした。たから姫一家がそろって都を空けている留守に、蘇我赤兄の謀略で有馬の謀反計画なるものができあがる。その赤兄の軍勢に有馬は逮捕され、白浜へ連行、尋問を受けたのち帰路で処刑された。このあたりのことは『万葉集』にも多く読み込まれているので有名だ。

 ここでたから姫の心が癒されたとは思えないが、比羅夫の3度にわたる蝦夷遠征で、秋田、青森、北海道南部などが自治領らしくなり、奄美諸島などの朝貢も定着した。その反面、首都飛鳥は、なんとなく不安な空気が漂っていた。朝鮮半島をめぐる緊張である。

国挙る百姓(おおみたから)、故無くして兵(つわもの)を持ちて、道に往還(かよ)ふ。国の老言へらく、百済国、所を失ふ相(しるし)かといへり

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月14日 (火)

斉明天皇物語 2

 夫のあとを継いで皇極天皇になったたから姫は、蘇我入鹿暗殺事件で動転、皇位を弟の孝徳帝にゆずった。そして、長男・中大兄を皇太子、長女の間人(はしひと)が皇后として新体制に加わった。

 姉から弟への政権移譲だが、ふたりの施政方針には相当隔たりがある。『書紀』が描くプロフィルは次の通りである。

 仏法を尊び、神道を軽(あなづ)りたまふ。貴き賤しきとを択ばず、頻に恩勅を降したまふ。

 一方の、たから姫(皇極紀)の方は、

 天皇、古の道を顧考へて、政をしたまふ。

となっているが、記事全体を見ても、たから姫は、祭祀重点主義で祭事設備への惜しみない投資や祈願・占星・予言など巫女としての務めを重視している。保守的ではあるが、家族を大切にし感性的である。

 これに比べ、孝徳の眼目は、政治改革(大化の改新)であり、唐文化の移入、地方、経済の重視、学問・民意の尊重、汚職追放などかなり革新的である。難波への首都移転は、この流れをくむものであろう。

 難波の宮での施政は8年続いた。そこにまた史上まれに見る不可解な政変が起こる。『書紀』の表現によれば、中大兄が天皇に大和への首都復帰を願い出る。難波遷都の効果が漸く現れようという時期である。天皇は当然のこととしてこれを拒否する。

 すると中大兄は、母・たから姫、妹で皇后の間人、弟・大海人をはじめ、官僚の大部分を引き連れて飛鳥に集団家出をしてしまう。さすがの孝徳も、この奇計に抗するすべがなかった。特に最愛の妻・間人が去ったことは、耐え難い精神的打撃であった。

 孝徳は真剣に退位を考えた。しかし、回っている国務を中断することはできない。こういったとき支えとなってくれた政権発足当時の有能な左右大臣、中国留学の実績を持ち閣内の2人の博士など股肱のスタッフがすべて故人となっていた。

 孝徳は、心労のあまり死の床に伏した。中大兄ら家出した一行はこれを聞いて飛鳥から揃って見舞いにやってきた。そのあたり、政権奪取のクーデターだったとするには、あまりにも不自然な行動である。ただ、祭祀重視のたから姫からすれば、喧噪の難波より幽玄の郷飛鳥の方が都にふさわしいことだけはたしかだろう。

 こうして、655年孝徳は難波の宮で崩御、皇太子・中大兄の即位は見送って、たから姫が飛鳥で10年ぶりの皇位につく。これが斉明天皇である。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年12月13日 (月)

斉明天皇物語 1

 斉明天皇陵ではないか、という発掘調査の結果についての報道が続き、「斉明天皇陵」と題したエントリーに多くのエントリーを頂いている。この天皇は、日本史上でもまれに見るユニークな天皇である。

 このブログでは何人かの天皇を、カテゴリ「歴史」でとりあげたが、この天皇は、天智天皇と天武天皇の母親ということで触れることはあっても、ひととなりを通して描いたことはなかった。

 ユニークな点というのは、女帝であり激変の時代を2度即位(重祚)しているからである。最初が皇極天皇で2度目が斉明天皇というおくり名(あとからつけられた「漢風諡号」)で、同一人物をさすのには適当でない。

 和風ではいずれも「あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと(天豊財重日足姫天皇)」という。他の天皇にもよく見られる美称を除いていくと「たからいかし」が残り、それが本名だということになろう。そこで本稿は、歴史記述風ではなく、主語を「たから姫」として物語風に書いてみたい。

 たから姫は629年に37歳で舒明天皇の皇后となった。相当晩婚である。実は再婚で、前の夫を高向王といい、漢皇子(あやのみこ)という子供もいる。高向王は用明天皇の孫とされているが、高向や漢という命名は、朝鮮半島からの渡来者と密接な関係があることをうかがわせている。

 それから、舒明天皇との間に3子をもうけた。中大兄皇子、間人皇女、大海人皇子でいずれも後の天皇、皇后になるが、これはのちに詳述しよう。中大兄が16歳になった年、たから姫は舒明と死別する。中大兄は葬儀で立派に弔辞を読むことができた。

 中大兄は、後を継ぐ位置にあるがまだ若く、別に年上で蘇我馬子の娘との間にできた古人皇子など後継者選定に困難があったためか、たから姫が天皇の位につく。いわゆる皇極天皇である。

 しかし、3年とわずかで思わぬ事件がおき、たから姫の弟・幸徳天皇と政権交代をするはめとなる。たから姫の目前でわが子・中大兄が蘇我入鹿を惨殺する、かの有名な乙巳の変の勃発である。

 この事件は、教科書に首がすっ飛ぶ絵などがあって、ことの次第は先刻ご存知ということにして、皇位継承の周辺だけを観察する。最初におことわりしておくが、この前後から『日本書紀』の史料に『藤氏家伝』が多く採用され、藤原氏顕彰で史実が曲げられているという説が多いが、証拠のないとんでも仮説より、『書紀』の重視でいきたい。

 まず、事件現場にいて事件を目撃した中大兄の異母兄・古人大兄の証言である。

 見て私の宮に走り入りて、人に謂ひて曰はく、「韓人、鞍作臣を殺しつ。韓政(からつひとのまつりごと)に因りて誅(つみ)せらるるを謂ふ。吾が心痛し」といふ。(『日本書紀』岩波文庫より、以下同じ。下線は本文標注。鞍作臣=蘇我入鹿)

 犯人と背景を突く発言としてよく引用される部分である。韓人は直接下手人をさすのではなく、漢政と共に、渡来人・帰化人の勢力争いが入鹿を殺した、という原因をさすものと解釈するのが穏当であろう。

 前に書いたように、たから姫一家は、帰化人と縁の深い地区の出身と見られ、蘇我氏もまた韓人の私兵軍団を持つなど、代々帰化人の元締め役のような氏族である。したがって古人自身も韓人に関係なしとは言えない。それらの内部に起きた勢力争いと見たのであろうか。

 しからば、たから姫はこの陰謀を事前に知っていただろうか。

 天皇大きに驚きて、中大兄に詔して曰はく、「作(す)る所、何事有りつるや」とのたまふ。

 その直後から蘇我本宗家殲滅戦に入り、入鹿の父蝦夷の自殺で、クーデターはその翌日に完了した。あくる日、たから姫は中大兄に譲位したいと申し出る。しかし、中大兄は中臣鎌子(後の藤原鎌足)と相談した結果、これを断る。

 目前の惨劇には、さぞかし動転しただろう。2日たっても、気持ちの整理がつかない。深い考えもなく18歳になったわが子にすべてを託したいと思ったのだろう。あらかじめこういうシナリオで芝居を打ったとはとても考えられないのだ。

 結局鎌子は、長幼の序を説き、身の危険を察知している古人を辞退させ、中大兄の叔父、たから姫の弟にあたる孝徳を担ぎ出し、皇后にはたから姫の娘、間人をあてた。これにより、かねて念願の政治改革・大化の改新に乗り出すのである。天皇の地位の全面移譲、たから姫の生前譲位という行為は、史上初のことになる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月11日 (土)

理解に苦しむ

 菅さんのことである。『大臣』と題した岩波新書は、1998年に菅直人さんが書いた本である。その中にこうある。

 たとえば、与党の代議士に金銭的な疑惑が持ち上がったとする。野党は証人喚問を要求し、国会は委員会審議がストップする。そんなときにコメントを求められた総理大臣はおそらくこう言う。「国会のことは国会に聞いておくれ。私は政府の人間として、国会にあれこれ言う立場にない」

 (中略)総理大臣は国会議員でもあり、同時に与党の党首である。自分の党の議員が疑惑を持たれているのであれば、党首として何らかの措置をとるべきだろう。

 まさにこの通りのことが、今、彼の身の上に降りかかっいてる。「最後は自分が決断する」とは言っているが、その弁明は、上記の心情といささかも違いはしない。それどころか、自分の党が分裂しかねないとか、政界再編必至などと、国民の不安を過去にないほどかきたていてるのである。

  同じ本で、大臣が1年足らずでコロコロ変わるようでは何もできない、と言っているが、そうならないよう彼がどう手をうってきたかさっぱり見えない。この本は、彼が1996年に厚生大臣を300日ほどつとめた時の体験をもとに、長年の自民党政治の中で、政治家がいかに官僚の操るままの仕事をしてきたか、それを打破するために彼自身どう活躍したのか、やや自賛をこめて書いたものだ。

 本が出たのは、新・民主党の代表に選ばれ、自社さ連携を解消する頃のことで、政治改革の先頭を走る意気込みで書いたものだろう。しかし、現在その経験が生かされ成果を上げるどころか、むしろ逆に官僚の離反で目も当てられないような状況になっているのではないか。すべて彼には予測できたことだ。

 この本では、細川内閣当時からの同志であった田中秀征氏の名が数回(多分畏敬をこめて)出てくる。その同氏は、菅氏が首相になった頃から、「資質がない」と口を極めて中傷し続けている。なぜそうなったのか、いつからそうなったのか、最初からそうだったのか田中氏は何も言わない。

 それならば、これまで多士済々の民主党の中で、なぜ何度も代表に選ばれたのかの説明がつかない。菅首相のおためし賞味期限はまもなく切れる。いつまでも「理解に苦しむ」人が首相の座にいるのは、国民にとって不幸この上もない。だれかこれを説明してくれないものか。

| | コメント (2) | トラックバック (3)

2010年12月10日 (金)

12月の光線

Dscf3199

「紫烟草舎」北原白秋の旧居を市川市里見公園に移築復元したもの

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 9日 (木)

反戦塾乗・10/12/9

  この「乗」は4回目のものである。調べてみると、最初が去年の12月3日、2度目は去年の今日、12月9日、それからずーと飛んで今年の5月24日。ちなみに「乗」とは「記録」の意味で、使われ方としては、永井荷風の『断腸亭日乗』が有名だ。だが、そんなことを毎度解説するようではしょうがない。

■開戦の日
 ――ということで、昨日が太平洋戦争開戦の日に当たることに気が付いた。来年で70年前のことになる。年をとるわけだ。わが海軍は、ハワイを急襲して米艦隊を撃滅。今は空母・ジョージ・ワシントンと仲良く黄海で合同演習。喜ぶべきか嘆くべきか……。

■金星探査あかつき
 金星探査機「あかつき」が軌道投入に失敗した。6年後再び接近したところで再トライするという。だれも言わないからあえて言う。直接費・間接費あわせて何億かかるのか知れないが、こんな膨大な税金の無駄遣いはない。

 地球温暖化の参考、子供に夢……?、どれを聞いてもどうもうさんくさい。はっきり言えばいいのだ「技術を兵器開発に応用すれば戦争の役に立つ」と。

 「だから止めろ」などと塾頭は言わない。ノーベルのダイナマイト発明は、戦争に使われ多くの人命を奪った。その厳しい反省に立って、ノーベル賞が生まれ、世界の平和や幸福に寄与する人々を表彰するようになった。

 原爆開発にかかわった学者の多くも反核運動の先頭に立った。今使っているコンピュータのソフト・ハードの発達は、軍事利用の研究でもたらされたものだ。研究成果が人類の生活に役に立つかどうかは、すべて人間がきめることということを銘記しておこう。

■市川海老蔵
 歌舞伎役者が酒場でけんかしてけがをした……、これがそんな何日も何日も繰り返すほど価値のあるテレビのニュースなのか。海老蔵がエビのように体を折り曲げて謝罪、あまり何度も繰り返すので他の局へまわすとそこもまた同じ。

 民放すべて同じなのでNHKなら、と思ったらそこまで同じ。海老蔵にしないと視聴率が落ちるのだろうか、でもどこも同じなら上がるわけがない。塾頭のようにあきれて消してしまう人がいれば、下がることもあると思うのだが。

 無期限謹慎をするというから、江戸大歌舞伎の伝統だけではなく、信長の頃のかぶき者、河原こじきといわれた時代からの演劇史も研究してみることをおすすめする。

■小沢招致
 民主党では岡田幹事長が悩んだ末、政倫審に小沢前幹事長を招致する方向で考えているようだ。なぜ(証人)「喚問」でなく(参考人)「招致」なのだろうか。小沢さんは首相に呼ばれてもでてこないような人だから、招致なら断るだろう。

 すでに被告人となることが決まったからには、政倫審のような非公開もあり得るという場でなく、裁判という司法のもとで真実が明らかにされる、したがって出席の必要はない、という小沢氏側の言い分にも一理ある。

 この及び腰でインパクトのない方針では、菅内閣の評判がさらに失墜することは必定、それならば最初から国政の必要上定められた、法的根拠のある「証人喚問」にした方がいい。これなら小沢さんは拒否できない。

 小沢さんは、「不法な支出はしていません」「法に従って」「国会決議があれば」というようなことを日頃よく口にする。世間の評判に反し、ある意味で「法」には生まじめな人だと思う。小沢さんが闘う舞台としては、小沢さんが作ったといわれる「政倫審」より、法的根拠がしっかりしている予算委員会の証人の方がふさわしいのではないか。

■訃報

 最初にブログを開設したのが05年、その当初のころからお会いしたことはないが、お互いのブックマークを設け、文芸上の薫陶を受けていた「狸便覧亭ノート」のtaniさまが、逝去されたことをコメントで知った。

 やや年上の先輩で、「反戦基地」というカテゴリまで作っていただき、応援・激励していただいた。地元での同好の士の世話役もされ、お元気そうだったのに残念なことである。ご冥福を祈り、左がわに設けた「桟敷席」のブックマークは、当分そのままにしておくことにする。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年12月 8日 (水)

一触即発

  海上では、米・韓・日3軍による大規模演習が続き、南北朝鮮では、互いに広範囲にわたる砲撃訓練の応酬が始まった。この軍事的緊迫をマスコミは「一触即発」と表現している。つまりいつ戦争が起きてもおかしくないということだ。

 マスコミは、北朝鮮の長距離ミサイル発射や核実験、中国の尖閣諸島事件対応に、「脅威だ、脅威だ」と騒ぎ立てた。今回は、延坪島砲撃の生々しい映像が報道された後続報が続いているものの、一般の反応には、「いつもあることのひとつ」といった慣れと軽視があるように思う。

 塾頭は、「今度は違うぞ」と思っている。なぜならば、どうも金正日のコントロール能力に疑問がではじめたことで、今回の砲撃もやや「暴発」に近いのではないかと思えるからである。後継者問題があるにしろ、こんな冒険まで侵さなければならないのは、統制維持が相当危機的な状態にあるということである。

 中国外交筋が「駄々っ子のような」と評していたことが暴露されているが、親(アメリカ)を怒らせてしまったら、やさしい言葉も飴玉ももらえないことぐらい金正日でもわかるはずだ。北になんの見返りがなかった場合、数名の不満分子の陰謀で容易に全面戦争に火をつけることができる。

 いつの場合でも、戦争は思いがけない動機で思いがけない時期に発生する。中国が恐れるのは、北の崩壊で混乱が発生し、難民が国境を越えてなだれ込むことである。内戦状態など発生すれば、真っ先に北に攻め込むのは案外中国軍である可能性が強い。

 その結果、中国の傀儡政権ができたにしろ、アメリカにとって決して悪いことではないのだ。

| | コメント (6) | トラックバック (3)

2010年12月 7日 (火)

総武国境から

Dscf3188  東京スカイツリーと称し、高さは634m(ムサシ=武蔵)になるという。だけど、あのあたり(隅田川東岸)は、かつて下総国(千葉県の一部)だった。両国という地名はその名残だ。

 画面手前の川筋も、「利根川」から「江戸川」に変えた。徳川幕府以来のパクリは、今なお続いている。そういえば「東京ディズニーランド」、あれは、千葉県浦安市だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 6日 (月)

これはもうアナキズムだ

 加藤陽子東大教授が、現今の時世は、5.15事件や満州事変の起きた1930年代にそっくりだ、という声があることを新聞で紹介していた。尖閣諸島漁船衝突問題のビデオ流出問題や、東アジアの緊張、経済危機、政治不信そういったもろもろの背景からくるものだろう。

 そこに飛び込んできたのがウィキーリークスである。秘密暴露の量・質は日本の比ではなく、世界の警察官を自称していたアメリカが火元で、しかもこの先まだ続きそうだということである。個人的色彩が強いとはいえ、反権力・反国家思想が各国をゆるがしているとあれば、これはもう、1930年どころか19世紀末までさかのぼらなければならない。アナキズムの再来である。

 日常的に戦争の危機にさらされ続けてきた欧州で、国家のありよう、存続価値が原点にもどって議論され、さまざまな抵抗運動が続発した。その中で帝政ロシアが崩壊し、共産党政権が目を見るに至った。仙石官房長官の発言した「暴力装置」も、その頃議論の中でできた言葉であり、右とか左とかには関係がない。何が問責の理由なのかさっぱりわからない。

 「国家が情報を独占するのは許せない」というのはアナキズムだ。アメリカは、そもそも銃や、州兵の存在、経済活動の自由、小さな政府など、アナキズムと共通な底流を持つ、右側の代表格・バタリアニズムの本場と考えていい国である。

 日本では、アナキズムの立場に立つ高名な思想家がいたが、「無政府主義」と訳され、天皇の存在を否定する不逞の輩とされた。死刑になったり虐殺されたりしたのは、共産党の弾圧以前のことである。またロシア革命では、アナキストがマルクスと激しく対立していたので、日本でもさかんな議論の対象となっていた。

 結局、マルクスの「国家社会主義」が権力を握り、アナキストを追放したため、他の国でも次第に勢いを失った。塾頭がその言葉を知った頃は、「歴史上あった思想」、同じ「アナ」でもアナクロニズム(時代錯誤)に通ずる蔑称に過ぎないという印象だった。

 それが、突然息を吹き返したのだ。21世紀の今になり、19世紀末と同じように世界に新しい価値観を求める模索が始まっている。この際、勉強のために当時はやった思潮にメスをいれ、20世紀を反省してみるのもいいのではないか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2010年12月 5日 (日)

護憲派の脱皮しかない

 「護憲派」というのはどこにいるのだろうか。社民党、共産党?、しかし政党支持率では一けた台から抜け出せない。そんなはずはない。もっといるはずだ。政治家では民主党にリベラルの会があるが政権を動かす力になっていない。

 インターネット……、当塾は護憲派に分類されているようだが、その中には、社共の党員や支持者によるブログ、旧・新左翼の系譜をひくもの、人権・環境保護などに根拠を置く人、さまざまあるように言われている。

 第一、そんな分類をして何の意味があるのだろうか。それより、ゴミ袋をぶちまけたようなネット・ウヨの方がよほど勢いがある。要はトレンドが作れないでいるのだ。かつては、学生や労働組合の若い力がそれを支えていた。

 今年度の流行語大賞が「げげげの~」だそうだ。NHK朝ドラを見続けたわけではないが、共感をもって迎えた大衆のほとんどは、反戦・護憲勢力であろう。その一方、尖閣諸島や砲撃事件で緊張を招く中国や北朝鮮の態度に憤慨し、米軍空母の加わった日・韓との合同演習を頼もしく見たのも同じ大衆だ。

 いわゆる「護憲派」は、「げげげ」の方はいいが、後者は苦々しい風景、と見た人が多いのではないか。気持ちは分からぬわけではないが、それでは、右か左か、黒でなければ白、というような右派陣営の冷戦思考と選ぶところがない。

 今、大衆が政治を動かす政党に投票するとすれば、どこがいいのか迷っている。「護憲」を「護憲」たらしめるためにはどうすればいいのか。前述の大衆の願いを吸い上げ、確固とした政策として掲げる政治家の出現を願うしかない。

 今月中に「防衛大綱」の見直しが行われる。アメリカが2月に公表した「国防政策見直し(QDR)」の海・空兵力を一体的に運用する「ジョイント・エア・シー・バルト構想(JASB)」にピッタリ沿ったものだ。

 この政策は、平野前官房長官時代に委員が選定された「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会(安防懇)」の諮問報告書に基づく。メンバーは平野長官に近い京阪電鉄の佐藤茂雄、京大の中西寛両氏をはじめ元駐米大使や防衛官僚など、いわゆる知米派で占められ、米側から「素晴らしい人選」との評価(毎日新聞)を得ていたという。

 この方針は、当塾が主張する日本領域内の制海・制空権確立という点で賛成できる部分はあるが、このままでは、憲法9条との関連がますますあいまいなものになりかねない。自民党時代もそうであったが、解釈改憲まっしぐらが目に見えてくる。

 これまで一縷の希望を持ってきたが、菅首相にこの方針の変更させる力量はとてもなさそうに見える。仮に小沢一郎氏に政治家としての期待を託せるようなら、窮余の一策でかけてみたいような気もするが、もともと解釈改憲の元祖のようなことを言ってきた人物である。また、政治手法もすでに過去のものになっている。その彼しかいないようでは、国民はあまりにも可哀そうではないか。

 「護憲派」ことに政治家は、「自衛隊の段階的縮小」とか「安保条約見直し」を捨て、ブッシュや小泉以来の知米派・知日派に占拠されている防衛政策立案を変更させるようにしなければならない。そのために、国民の立場に立った独自の「安防懇」を立ち上げて発表するなど、今すぐにでも脱皮を図るしか手がない。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2010年12月 3日 (金)

がんばれシーサー

Dscf3180  国土面積の0.6%しかない沖縄に、全国の米軍基地の74%を押し付けられている沖縄。しかも存在理由があいまいとあれば追い出さずにいられない。沖縄特産のシーサーくん、遠い本土の陋屋門柱で今日も獅子吼する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 2日 (木)

今、内灘数え歌

 もう半世紀以上も前のことである。石川県の内灘砂丘に米軍の砲撃演習場が作られようとして激しい反対闘争が展開された。朝鮮戦争の戦火さめやらぬ頃である。

 実は、当ブログと表題の「内灘数え歌」復活に全く偶然ながらかかわっていたことをご紹介したい。この復活にご尽力いただいた方からコメントをいただき、内灘の高校生が曲想を現代風にして復活させたということを知った。

 最初のきっかけは、当ブログの前身「反戦老年委員会」で、昔歌声喫茶必携だった『青年歌集』に収録してあった題名のいくつかを羅列したことに始まる。これが07年5月のことである。その後同年10月に、それを見た地元の米田さまから、内灘関係の歌曲をぜひ高校の実習用に使いたいとのお申し出があり、楽譜をコピーして差し上げた。

関連記事
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_2a83.html

 それから3年余、新たに高校生が立ち上がり、普天間基地移転問題や朝鮮半島砲撃事件で緊張の解けぬ今、歌曲の心をわがものとして演奏に当たるという。それが、朝日新聞毎日新聞の地方版に取り上げられたというご連絡だったのだ。

 同記事は、いずれ消去されることも考えて、代表して朝日新聞の主要部を収録させていただく。か細いブログながらお役に立てたという喜びで、塾頭は身の震えるほどの思いだ。これが沖縄に広がり、全国に広がればどんなにいいだろう。次の見果てぬ夢だ。

     ◇
住民ぐるみの反対運動で米軍試射場を撤収させた内灘闘争。反基地運動の象徴として口ずさまれた「内灘かぞえ唄(うた)」が、内灘高校の生徒有志4人の手で再現された。「若い世代にも関心を持ってもらいたい」と、エレキギターをかき鳴らすロック調にアレンジ。4人は、21日に内灘町である映画上映会「内灘から辺野古を考える」での演奏にむけ、練習を重ねている。

 かぞえ唄は、戦後、内灘砂丘が米軍試射場として接収されたことに対する反対運動で、住民や全国の支援者らが座り込みで抵抗した際に歌われていた。同校では、数年前に総合学習でかぞえ唄を編曲して演奏した経験がある。今回の上映会に合わせて軽音楽同好会の顧問教諭が生徒に呼びかけたところ、同町在住の2年生4人が手を挙げた。

 原曲は民謡風に合いの手が入るゆったりとしたテンポの曲。初めて聴いた4人の第一印象は、「何だこの歌は」「古くさい」。だが、ロック調にすれば若い人でも楽しめるのではと、演奏を重ねながらアレンジを繰り返した。

 イントロではギターの弾き語りスタイルで、途中からはギター、ドラム、ベースが刻むリズムに乗せて激しく歌い上げる。リーダーの鉢野邦尭(くにあき)さん(17)は「とにかく歌を聴かなければ歌詞の意味もわかってもらえない。同世代にも関心を持ってもらえたら」と話す。

 演奏は、21日午後1時から内灘町役場の町民ホールでの映画上映後に披露される。上映されるのは、米軍基地の移設に反対する沖縄・辺野古の人々や、射撃場を撤去させた韓国人たちの運動を描くドキュメンタリー映画「マリーンズ・ゴー・ホーム」(藤本幸久監督)。協力金として入場料1千円が必要。問い合わせは主催の実行委(090・9441・7472)。(菊地直己)

■内灘かぞえ唄

一つ日の丸むしろ旗

二つ舟小屋に泊まりこむ

ホヤ ホーヤ

三つみんなで反対すれば

四つ吉田はんも困るやろ

ホヤ ホーヤ

五ついのちをメッコにしても

六つ村をば金では売らぬ

ホヤ ホーヤ

七つ中山あやまらせ

八つ役人追い返す

ホヤ ホーヤ

九つこんどはだまされまいぞ

ドカンやめるまで動きやせぬホヤ ホーヤ

    ◇

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月 1日 (水)

宗教と戦争

 「反戦塾」なるが故に、「戦争はなぜ起こる」というような検索がよく入る。かつて、「差別」「経済」「拡張」「ナショナリズム」「宗教」の5つを、戦争原因としてあげてみたことがある。最初の1字をとると、「サケカナシ」になる。

 順不同で、当然それぞれが絡み合い、貧富の差は「経済」問題であり「差別」の原因であったり、領土紛争は「拡張」の意図が「ナショナリズム」に火をつけるなどといったことはある。それらの中で「宗教」が一番わかりやすいようで、実はむつかしいのだ。

 「聖戦」という宗教上の概念は今も健在で、日本でも、古代天孫族は「まつろわぬ蝦夷を征伐」などと、「天皇教」以外を敵として戦争をした。パレスチナに端を発する中東の戦乱は、宗教戦争のように言われている。

 たしかに、エルサレムの聖地争奪がイスラム・ユダヤ両宗教の譲れない衝突原因ではあるが、本当に「宗教」なのであろうか。もともとは、パレスチナにユダヤ人国家を建設するという「拡張」が問題なので「宗教」とか「文明の衝突」というのは、あとづけの理屈のような気が最近してきた。

 調べてみると、ユダヤ教に最も近く似ているのが、マホメットの始めたイスラム教である。その純粋性、簡潔さ、聖典(旧約聖書・コーラン)及び律法の尊重、偶像崇拝排斥など、ちょっと区別がつきかねるようなところもある。

 それに次ぐのがキリスト教カトリック、プロテスタントとなるのであろうか。ここまでが、同じ唯一の神を信ずるコーランのいう「経典の民」で、人頭税さえ収めれば結婚の対象としてもいいことになっている。

 日本のように、天皇の先祖だけでなく現代の天皇を神とするばかりか、山、岩、キツネ、オオカミ、雷、風など森羅万象を神としたり、如来と呼ばれる最高仏が10以上もある仏教などの「異教徒」が、コーランでいう聖戦の対象であり、ユダヤと戦うのが本旨ではない。

 ユダヤ教は4000年前頃にできた最古の宗教である。キリストが出現して、宗教として分離したのが西暦67年から68年頃、マホメットは7世紀になってから活動を始めた。十字軍がイスラムに攻めかかったのは事実だか、ユダヤ教徒も虐殺されたり迫害をこうむっている。

 続いて14~15世紀には英国、フランス、ドイツ、スペインなどから追放され、18世紀のフランス革命があった啓蒙期まで断続的に迫害が続く。しかしその後も、全欧やロシアの反ユダヤは衰えず、20世紀はヒトラー・ナチスで極点に達した。

 キリスト教への怨念は骨身にしみついているはずだ。もちろん、イスラムとの抗争はあっただろうが、その期間や規模の点で、アメリカをのぞくキリスト教国との軋轢の比ではない。その反省もあって、シオニズム(イスラエル回帰運動)にキリスト教国が理解を示しているにしても、それは、ユダヤとの宗教戦争とは、直接関係がない。

 和解の道は、キリスト教国を排し、親縁性のあるユダヤ・イスラムの直接対話にゆだねた方がいいのではないか。もちろん軍事力に圧倒的な差があるので、国連のギャランティーは必要だろうがもう潮時ではなかろうか。もっとも、異教徒の口出しすることではないと言われそれまでだが……。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »