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2010年11月

2010年11月29日 (月)

日本もなかなかやるなあ 

 前回のエントリーが「騒がしい日曜日」だったので、今回もその続きの3題話としよう。まず大相撲九州場所。魁皇は、把瑠都を下して塾頭の念願通り、日本人として白鵬に続くランキング2位を確保した。

 これだけではない。新聞予想によると来場所番付は、これまで三役9人中、日本人が2人だけだったのが5人になり、過半数を占める。なんかとかその調子を続けてほしい。といっても、レイシズム大嫌いの塾頭である。
 
 こういった楽しみ方があるのも外国人力士が大勢いてこそ。バルトや黒海など出身地をほうふつとさせるしこ名に親しんだり、中国や韓国の力士ももっと上位にきてほしいとも思う。もちろん日本人力士が頑張っていればこそである。アジア大会や真央ちゃん不振を嘆くことはない。次があるし後進も育っている。

 2題目、黄海の大軍事演習である。緊張を高める効果はたしかに上がっている。そんな中、中国が6か国による緊急会議を持ちかけてきたようだ。米韓日は、そんな雰囲気ではない、と乗らない方針だという。

 こんな時、アメリカのカーボン・コピーではなく「今後、韓国に向けた軍事攻撃(北のいう物理的打撃)を一切しない」という約束を取り付けることを条件に、開催を検討する、などの提案ができないものか。鳩山就任当時の国連演説、「世界の架け橋」にならそうなる。

 それを民主党政権に期待した方が無理だったようだか、振り上げた拳をおろせない韓国やアメリカも、そうした役を買ってもらえた方が、内心うれしいのではないか。日本は、いつまでもアメリカ・ネオコン暴力団の子分でいた方が楽だという、政財官界の宿痾からいつ抜け出すのか。

 最後が、沖縄県知事選である。仲井間現知事の当選が決まった。対立候補の伊波氏と、どっちに決まった方が普天間基地の県外移設を実現しやすいか、伊波氏を支持しつつも実はよくわからなかった。

 先ほどの話と共通するが、アメリカ・ネオコン暴力団の子分でいた方が楽だという、政財官界やマスコミの中には、依然として仲井間知事なら「辺野古の日米合意を実行しやすい」という超楽観論があるようだ。

 あるいは、持てる権力をフル動員して民意を覆そうというのか。そうすれば反基地闘争で抜き差しならなくなり、アメリカにとっても利益に反する。つまり、その考えは誰が見ても非現実的なのだ。沖縄タイムスは、社説で「政府が説得する相手は仲井真氏ではない。米国に正面から向き合うことこそが求められている」と県民の真意を訴えた。

 政府は、極秘でもいいから、辺野古案撤回に動かなければならない。そしてすぐにでも始めなければならないのは、日米同盟深化の中で、普天間移転をどうするか、両国で知恵を出しあうことにつきる。

 それをうまく取り運ぶためには、仲井間知事で、前原外相というのがいいのかなあ、という期待もある。要は、菅首相の指導力ひとつだ。今日は、楽観論3題にもなってしまった。

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2010年11月27日 (土)

騒がしい日曜日

 11月最後の日曜日が明日だ。大相撲千秋楽。白鵬が優勝し、おひいき魁皇が大関トップで第2位の地位を占めれば、これは大したものだ。沖縄の知事選、高い投票率と中途半端でない結果がほしい。それが沖縄のためでもあり、日本のためでもある。

 昨日、「黄海大海戦」を書いたが、中国が経済水域外ならという、遠回しの懸念で、予定通り空母ジョージ・ワシントンも加わる「黄海大演習」が展開される。日本の政府は、閣僚を足止めして待機させるそうだ。

 これは、危機管理のためではなく、菅・仙石の右派議員に対する追従演出だろう。朝鮮人学校への補助策延期だとか、仙石問責決議本会議に、本人が急遽ブルーリボンをつけて出席するなど、このところ醜さが目に余る。

 仮に、演習が引き金で戦争が起きたら……。テポドンが横須賀に向けて発射される。なぜなら……。正日の父・金日成は抗日ゲリラの勇士(ということになっている)である。その後、講和もなければ国交もない。したがって「敵国」のままなのである。

 交戦相手の空母ジョージ・ワシントンの母港が横須賀で、兵員や物資や弾薬がそこで積み込まれたのならば、延坪島(ヨンビョンド)砲撃よりはるかに立派な口実がつくのだ。そこまで考えての「閣僚足止め」ならば評価をするが、そんなことはあるまい。

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2010年11月26日 (金)

黄海大海戦

♪煙も見えず雲もなく 風も起こらず波立たず
  鏡のごとき黄海は ……

 70歳以上の人なら、思わず節をつけて歌いだしたくなるだろう。それほど軽快で明るいテンポの節回しだ。今から116年前、日清戦争の時の歌である。中国は、最近はじめて海軍力を強化、近隣国に脅威を与えている、というのは嘘で、日清戦争当時は新鋭大形艦を網羅した「北洋艦隊」に勝てる戦力をもつ国はないと思われていたのだ。

 朝鮮半島の主導権をめぐって日中が正面衝突し、黄海の制海権を競う日本海軍にとって初めての近代戦が展開された。双方の総トン数はほぼ拮抗していたが、日本はスピードのある小回りが利く軍艦と砲門数で勝っていた。

 4時間にわたる海戦の結果、清国の3隻を撃沈し4隻に大損害を与えて追い払うことに成功した。日本側も旗艦松島などに損傷を受けたが、結果は圧勝であった。陸戦でも戦意におとる清軍を追撃し、国境・鴨緑江を越えて遼東方面に攻め込んだ。

 一方、黄海の制海権を握った日本軍は、山東半島に上陸、北洋艦隊が逃げ込んでいた威海衛軍港を海・陸双方から挟み撃ちにし、完全にこの海を制覇した。北洋艦隊水師提督・丁汝昌は、毒を仰いで自決した。

 ここまで攻め込まれれば、北京はのど元を押さえられたようなもの、清は世界の予想に反して白旗を掲げることになる。

 その黄海で、28日の日曜日から米原子力空母、ジョージ・ワシントンを含む米韓合同軍事演習が始まる。北の韓国砲撃をけん制する威示行動だ、前回企画された時は、中国の猛烈な反発で空母の参加はとりやめたが、今回は抗議せず我慢しているようだ。

 仮に、日米韓の合同演習だったらどうだろう。絶対に黙っていない。北京が危機にさらされる、という黄海大海戦の悪夢がよみがえるからだ。「♪煙は見えず雲もなく」などのんきな気分でいられない所以がそこにある。中国が黄海が玄関口とか庭先だというのはそういう意味だ。

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2010年11月25日 (木)

秋の名残り……

Dscf3177  どころではなく、政治の世界はもはや真冬なみ。仙石長官の「暴力装置」発言があって、直ちに記事(「痴耳」)にしてから早くも一週間、4日前には、そのままのタイトル「暴力装置」でとりあげ、たくさんのアクセスをいただいた。

 国会質問者の勉強不足と、マスコミの腰の引けた対応を嘆いていたが、ようやくというか、やっとその言葉に対する、まっとうな論評を目にすることができた。

 25日付「毎日新聞」の「木語」、金子秀敏専門編集委員の「暴力装置?実際正しい」がそれである。さすがは新聞記者、平易でわかりやすく説得力もある。

 しかし、いかんせん。勢いづいたポピュリズムの歯止めにはならない。自民党は馬淵大臣とともに明日問責決議案をだすという。論理を重んずる社共両党、世界平和に献身する学会バックの公明など、その提案理由で賛成するのであろうか。

 「木語」の最後にこういう。

「暴力と実力を言い間違えた」という仙谷氏の釈明も変だ。実力とは結局、暴力の実力のことなのだから。みんなよくわからずに無駄な議論をしている。

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2010年11月24日 (水)

南北砲撃戦と護憲派

 このブログは、「護憲派」に分類されているらしい。しかし、塾頭はそれにやや抵抗を感じているものの、「9条の会」賛同人に名をつらねた経緯があるので、否定するわけにはいかない。昨日、朝鮮南北境界線近くにある延坪島(ヨンビョンド)が北から砲撃を受け、民間人を含め死傷者もでた。

 この事件で、護憲派や沖縄からの米軍基地縮小促進派は、間違いなく旗色が悪くなった。その責任は、本家護憲派の社共と、それと軌を一にするいわゆる「平和勢力」にあると思う。こういった事態に日本はどう対応するか、これまで何も指針がなかったことによる。

 天安艦沈没事件で、北の仕業とすることに「まさか」と思い、北の否定を信じている人もすくなくなかった。しかし今度は、否定しきれるものではないし、国際法上も容認されるはずがない。やはり北には、暴発や先走りも含めて「まさか」があり得る、そう思わなければならないのだ。

 それならばどうすればいいか。前から言っていることだが、核アレルギーを脱し、核の研究は大いにやるべし、いざとなればすぐ核兵器が作れるいわゆる「寸止め」体制にする、それでこそ世界の核軍縮に発言力を増すこともできるのだ。

 北が、今回の大砲の代わりに中距離弾道ミサイルを日本に向けてきたらどうするか、200発あるとされるが、不発弾や命中精度が悪いとされるだけに、無差別攻撃となりかえってこわい。これはMD迎撃だけでは防げないだろう。核と同様、発射基地をたたく精度の高い武器も研究すべきだ。

 そういったことを、戦後の半世紀、アメリカに頼りっきりになっていた。左も右も、「自ら国を守る」という意識が低いのだ。塾頭は、日韓併合までの、朝鮮の「事大主義」(力の強い勢力に仕える)が、ついに亡国の不幸を招いたという史実がいつも頭にある。

 その頃の日本はそうではなかったが、世界に背を向けて大陸侵略に向かったため、敗戦というダメージを受けた。そして生まれた平和憲法である。それに守られて、以来一人の外国人の命も奪っていないし、攻撃を受けたこともない。

 日米安保条約本文はうまくできている。地位協定や防衛指針など不公平な取り決めや運用を改めれば当分は、継続されるべきものだと思う。結論をいうと、日本の安全を守るのは、国民の国を守るという強い意志と、外国を侵略したり不当な軍事干渉をしないという憲法の意図を、厳格に守るというこのふたつである。

 これまでも何度か書いてきたが、塾頭の「改憲案」を最後につけくわえておこう。なお、自衛隊の規範は、別に仮称「自衛組織基本法」で定めておけば、海保や警察などと同様、憲法に書かなくてもいい、という考え。

日本国憲法 第2章 戦争放棄 第9条に追加
 
③公務員は、法律に定めがある場合をのぞき、武器を携行し、または利用して外国または日本国領土以外の地域で行動してはならない。

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2010年11月23日 (火)

NATOとロシア

----(国名は過去のエントリーからの再録)----
    |■EUだけに加盟している国
   | アイルランド オーストリア スエーデン 
   E フィンランド キプロス マルタ
| U■EUとNATOの双方に加盟している国
N  27 フランス ドイツ イギリス イタリア 
A  カ オランダ ルクセンブルク デンマーク 
T  国 ハンガリー エストニア ラトビア ベルギー
O  | ポルトガル チェコ ギリシア スペイン 
28 | ボーランド スロバキア リトアニア
カ  | ブルガリア スロベニア ルーマニア
国  ■NATOだけに加盟している国
|   アメリカ カナダ トルコ ノルウェー 
|   アイスランド クロアチア アルバニア
-----------------------------------

 11月20日、ポルトガル・リスボンでNATO(北大西洋条約機構)の首脳会議が開かれた。決定事項のポイントは2つある。ひとつは、アフガンでの戦闘任務を14年末までに終えるという「出口戦略」の策定で、これには日本の代表も加わった。

 もう一つは、ロシアとの協力強化だ。アフガンは、帝政ロシア当時から植民地化で英国と衝突したり、近くは、ソ連軍撤退でソ連崩壊の引き金になるなど、ロシアにとって因縁浅からぬ地だ。ここの復興に向けてNATOと緊密な協力をする。

 さらに、オバマ出現前、あれほどもめた北欧のMD(ミサイル防衛システム)配備だが、今度は欧州の安全の目指して双方の連携をはかることになった。NATOは、いうまでもなく第2次世界大戦後、ソ連東欧の共産圏に対抗する米欧の集団防衛機構として発足したものだ。

 その条約5条にある「締結国は欧州又は北米の一締結国以上に対する武力攻撃を全調印国への攻撃と見做すことに合意し、」云々は、そのまま、日米安保条約第5条が当てはまり、アメリカの戦後防共戦略の両翼をなすものであった。

 両者の大きな違いは、日米が2国間の条約であるのに対し、NATOは多国間条約であるが米欧同盟とも言われるように実際は、抜きんでた軍事力を持つアメリカ対ヨーロッパ西側諸国間の条約といっていい。

 冷戦崩壊後は、アメリカを「世界の警察官」に押し上げる役割を果たしたが、今度はロシアまで加えて「世界の警察官」をNATOプラスに肩代わりさせようとしているように見える。これは、日米同盟にロシアを加えようというのと同じで、日本の右翼諸君は目をむくだろう、「ありえない!」と。

 しかし、これは今に始まったことではない。20年前には、コソボ紛争を中心に、ベルギー南部にあるNATOの欧州連合軍総司令部で、ロシアや旧共産圏北欧諸国の司令官が欧米の軍人と机をならべてバルカン半島作戦を指揮していたのだ。

 ロシアと地続きのヨーロッパ諸国が戦火を交えた歴史は数えきれないほど多い。それだけに「戦争と平和」に対する、言い方は変だがお互いに「経験豊富」なのだ。日中、日ロに見られるような過剰反応の繰り返しだけでは、正常な国交が開けず、お互いにマイナスになるというのも常識になっている。

 こういった中で、欧州で核兵器を中心に軍縮が急速に進むことが考えられる。日本外交が現在の体たらくでは、完全に世界の新しい潮流に取り残されることを憂慮しなければならない。NATO・ロシアの新体制でひとつ気がかりなのは、対イラン・シフトやイスラムとの文明摩擦が顕在化するのではないか、ということである。

 そこで、注目されるのは中国やトルコ、インドなどの存在である。この3国はいずれも国内のイスラム勢力を無視できない。宗教や領土問題でしがらみのない日本だけが、双方に公正な印象をもって迎えられる国になり得るのだ。よほど足場を固めてかからないと、「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」という「日本国憲法」の理想は、雲散霧消することになりかねない。

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2010年11月21日 (日)

「暴力装置」

 先週18日の木曜日、「痴耳(オクミミ)」と題して、明治の文明開化の世相を記事にした。その作業中に、仙石官房長官が国会答弁の中で「自衛隊も暴力装置……」という文言をとらえられ、質問者や野党議員の猛反発で発言を撤回、謝罪したというニュースを知った。

 それに対して、その言葉はドイツの社会学者、マックス・ウェーバーにより定義された一種の学術用語で、それを暴言・失言ととらえるのは抗議をする方の無知である、と指摘しておいた。さらに柳田法務大臣の不用意発言などがからんで、このところ菅内閣が危機に瀕している。

 前述の記事以降、公開日時を翌日にした写真をのせたまま外泊し、パソコンにご無沙汰していた。その間、今日日曜日になってもマスメディアは、失言と位置付けたままで、仙石長官の発言の意図を解説しようとするところが、私の知る限りではなかった。

 自衛隊を「暴力装置」という位置づけで発言している前例に、石破元防衛庁長官があることに触れたマスコミはあるようだが、その意味するところまで深入りしていないようだ。これについては、高名な政治ブログ「kojitakenの日記」で豊富な情報を載せている。

 しかし、圧倒的な世論誘導の前には為すすべがない。民主党内閣が窮地に追い込まれているのは、仙石長官が「不本意ながら発言を撤回」――これについては、その前のエントリー「偽悪者・仙石長官」に「首相の泥をかぶる」彼の姿勢として書いておいた――したことである。

 それにもかかわらず、その撤回と謝罪をなぞっただけで何の弁護もしない菅首相に全責任がある。失言ではない。撤回などせず、その抗議が誤解によるものであることを指摘し、正々堂々と議論すべきであった。なぜならば、「暴力装置」の意味するところは、民主主義国家の根幹をなす文民統制の由来を語るうえで、重要なキーワードであるからである。

 それを議論し、国民に深くアピールする機会をむざむざと放棄したのである。下手に撤回してしまったので、マスコミも議論の俎上にのせることをためらってしまった。たしかに、「暴力」という日本語は聞こえが悪い。「暴力団」「暴力バー」「暴行」などロクなものがない、私自身、かねてそう思っていた。

 この用語を変えるならあとで、石破さんや仙石さん、前原さんなどが相談して決めればいい。しかし、今や手遅れになった。指導力を疑われ、力強さに欠け、首脳会談でメモを読み上げる首相の力量では、所詮無理な注文なのであろうか。

 期待した民主党に、鳩山首相で裏切られ、また菅首相の期待が外れ、日本国民は三度政治の泥に足をすくわそうになっている。世界の嘲笑を浴び、ファシズムを頼りにする地獄を再び見なくてはならなようなことは、どうしても避けなくてはならない。ここは、先輩の模倣ではない若い力に夢を託すしかないのだろうか。

「暴力装置」の詳細はこちらをご覧ください。

http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-c54d.html

追記

 11/22朝、「柳田大臣辞任の意向」というニュース・テロップがTVに流れた。多分菅総理は「やむを得ない」として了承するのだろう。しかし、これは首相のこれまでの言明、および柳田氏本人の意向とは異なる。

 首相は、また「有言実行」が中身のないことであることを露呈することになる。こういった迷走ぶりが「市民運動型民主主義」の発想から来るものならのなら、やはり、首相の器ではないといわざるを得ない。それでもなお、「石にかじりついて」でも、政権を維持してほしい。

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2010年11月19日 (金)

雨あがる

起きあがる菊ほのか也水のあと 

菊の後大根の外更になし

                          芭蕉

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2010年11月18日 (木)

痴耳(オクミミ)

 ペリーによってもたらされた(1854年)電信機は、明治8年(1875)までにほぼ全国に行きわたった。インターネットが、初めて日本の複数の大学間で接続された1984年と比べても、遜色のないスピードである。以下は、『東京新繁盛記』よりの抜粋である。

 電信ノ世界ニ於ケルヤ、開化ノ駅路ニシテ文明ノ飛脚ト謂ウ可キ也、欧米ニ新事奇談アレバ、則チ数日ヲ出デズシテ亜細亜人ノ耳ニ上ル、真ニ是霹靂、未ダ響カズシテ電光空ニ掣(ひらめ)キ、火光溌起シテ特地ニ人ヲ射ル、惰夫懶婦ト雖モ終世酣睡シテ、世界ノ大事ヲ知ラザル者ナシ、況ヤ、国内ニ事変有ルヲ聞カザルノ痴耳有ラン乎

 明治の先覚者は、いち早く先端技術を取り入れ、またたくまに東洋初の先進国入りを果たした。現今を明治維新になぞらえる政治家や評論家は山ほどいる。新情報化時代の到来は、まさに明治維新とそっくり、といっていいだろう。

 しかし、政治家は果たして「終世酣睡シテ、世界ノ大事ヲ知ラザル、惰夫懶婦」でないといいきれるだろうか。今聞いたニュースによると、仙石官房長官が自衛隊を「暴力装置」といったことに対し、自民党の世耕議員が抗議、長官は「実力装置」といい直して陳謝したという。

 武器や強制力を持つ軍隊や警察などを「暴力装置」と定義したのは、マックス・ウエーバーで、以後、戦争や平和を論ずる場合、用語として広く世界に通用する言葉だ。仙石長官は、世耕委員の無知を指摘してもいいのだが、そこは「柳腰」の長官だけあって、審議の障害にしないよう陳謝訂正した。

 塾頭は、国会で繰り返されるこういった次元の低い泥仕合を見るにつれ、世界に対して「痴耳」の議員が揃っているとしか思えない。明治維新は、どうやら口先だけのことに過ぎなかったようだ。

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2010年11月16日 (火)

偽悪者・仙石長官 

 前回、馬淵澄夫国土交通相と仙谷由人官房長官の不信任案を出すということについて「敵塩になりませんか」と題して記事にした。そして、「まさか、本気じゃあないでしょうね」とも書いた。自民党は、それにもかかわらず予算委員会に付議、社民党以外の野党が賛成したが成立できず葬り去られた。

 ということは、信任されたということだが、自民は最初からそうなることが分かっていたのに出したというのは、やはり本気ではなく、議事妨害と面子だけだったということだ。他の案件と違い、外交がからむ問題だけに、まったく無駄なことをしたものだ。

 馬淵氏がビデオ流出の最高監督責任者というのはわかる。しかし、仙谷氏の「説明責任を果たそうとせず、適格性を著しく欠いている」、というのはなにを指すか全くわからない。このところ、小沢氏たたきの目新しい材料がなくなったので、かわりにターゲットを仙石氏に替えたという話がある。

 中国外交を弱腰といわれ、「柳に風」という表現を「柳腰」と言いちがえたことで「撤回しろ」とつめよられたり、メモを望遠レンズでぬすみ撮られたのを「盗撮」といっからといって大げさに抗議されたり、もと大物総会屋だった小川某の連絡先が記録されていたという、弁護士なら当然ありうる話を、鬼の首を取ったように報道されたり、まったく取るに足りないことで袋叩きになっている。

 こうなると天邪鬼の塾頭は、仙石氏を応援したくなる。仙石氏は、なかなか立派な名官房長官である。尖閣諸島問題が起きてからの言動対応は、「司法の判断による」と、たとえ政治的なウソがあったにしろ、いうことが一貫していてぶれていない。

 外交関係で重要なことは、原則的な発言がぶれないことだ。日本をすっかりダメにした鳩山外交の右往左往ぶりを繰り返すようなことをしていない。さらに付け加えると、首相にかわって、泥を一身にかぶっていることだ。

 官房長官は、いつも控えめで首相を表に立てるようにする逆をいっている。だから言いたいことを言っては、悪者を演ずることになる。保安官の秘密漏えいにつてい、厳正な方途を確立しなければならないという発言に対してもそうだ。

 「彼は愛国者で、売国政権にそれを裁く権利はない」という石原都知事妄言は論評に値しないが、「あれは秘密ではない、すぐに公開していればこんなことにならなかつた」という、外交問題や法的ルール無視のあと出しじゃんけん論、そして国民の知る権利論などの抵抗は、なかなか強い。

 そういった中で、「崩れ始めた文民統制」を特集として出す雑誌も出始めた。『サンデー毎日』11/28号のサブタイトルはこうなっている。

・馬淵国交相は辞めてはならない
・「流失保安官英雄視」は「5・51事件」と酷似
・自衛隊暴発に飛び火する危険

 また、一般紙でも両論併記ではあるが、右翼論客を含め、文民統制の危うさを指摘する声が最近になって大きくなったような気がする。5・15事件については、「11本の指」というキーワードで、本塾に検索の多い記事があるが、中国大使館や小沢一郎事務所にたびたび銃弾のようなものが送り付けられるという報道を思い出した。ご関心のある方はこちらへ。l

 すこし、外交や軍事そして歴史を勉強した人ならすぐわかることだ。仙石さん、あなたは悪代官でなく名官房長官だ。初心を忘れずにその調子でしっかりとすじを通してほしい。
 

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2010年11月14日 (日)

敵塩になりませんか

 自民党は、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件のビデオ映像流出問題で、馬淵澄夫国土交通相と仙谷由人官房長官の監督責任を追及し、罷免も含めた辞任を要求する方針を決め、さらに、菅直人首相が両閣僚を更迭しなければ参院での問責決議案の提出も検討するのだそうです。

 まさか、本気じゃあないでしょうね。中国のネットウヨはこう書きます。「領海内で合法的に操業していた漁民を逮捕した日本の所管大臣が責任をとって辞任」、「総理大臣も責任を国会で追及されて辞職に追い込まれるに違いない」、「小日本は全面降伏。中国人民の勝利だ!」。

 中国共産党のタカ派はこういうでしょう。「打落水狗!」。ASEAN諸国もロシアもアメリカも日本の政治の混乱にはあきれ返っている、今こそ徹底的にたたきのめして、決定的優位に立つチャンスじゃないか、胡錦濤は生ぬるい、と。

 世界の動き、国益よりも、政局しか目にない、そんな自民党なら、支持率過半数はとても無理でしょうね。最近は自民党の良識派にも注目しているんですが……。

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2010年11月12日 (金)

晩秋の水辺

踏ん張るカラスうり

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2010年11月11日 (木)

盗撮

 まあ、おとなげないというか、たしなみがないというか、これが新聞記者ではがっかりする。毎日新聞(10/11)より引用させていただく。

9日の衆院予算委員会に仙谷由人官房長官が持参した資料が撮影され、同日付の読売新聞夕刊に掲載されたことについて、仙谷氏が「盗撮」と発言した問題で、毎日新聞などが加盟する日本新聞協会在京8社写真部長会は10日、謝罪と発言の撤回を求める抗議書を仙谷氏あてに提出した。

 同写真部長会は抗議書の中で「国会の予算委員会などの写真取材は、公に認められた取材席から通常取材の範囲内でこれまでも撮影している。『盗撮』との発言は到底容認できるものではない」としている。【飯田和樹】

 「盗撮」は、日本語で「ぬすみどり」である。本人に気づかれないように、そっと見るのは「ぬすみ目」、色っぽい語感である。「暇を盗んで」というおだやかな表現もある。仙石長官の「盗撮」発言がそんなに目くじら立てることか。

 しかも、一人じゃあ言えないから仲間と連れ立って抗議をする。「柳腰」発言でもそうである。このような、うっかり発言は私もよくする。他人から言われ「あっそうか」と頭を掻いて笑い飛ばす程度のことだ。「到底容認できるものではない」とは、また大げさな、よっぽど暇なんだなあ、と思う。

 それよりも、海保職員の中国漁船衝突ビデオ流出事件の方だ。石垣島ではなく、あるはずのない神戸の方から流出したということは、映像をなんらかの方法で盗んだことには違いない。窃盗だけではなく、撮影者や編集者に無断で公開したのなら著作権の問題もある。

 この方が、立派な盗撮なのに、マスコミは秘密かどうかだけに目を向け、「見たかった」という国民の素朴な(マスコミ)声だけをクローズアップし、義挙であったかのような報道をする。「知る権利」というが、これでは、まるで国民を「でば亀」扱いにするのと同然だ。

 最近、マスコミの劣化ということをよく耳にする。「そういった手合いに国運を左右されるようでは、この国の将来が心配になってくる」というのが、是非、おおげさであってほしいものだ。

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2010年11月10日 (水)

琉球処分 3

 前回、不用意に「琉球藩」という言葉を使ってしまった。明治4年(1871)に、廃藩置県の詔勅が発せられ、「藩」がなくなったはずなのに、明治5年に新設された珍しい藩である。支配者・尚泰は藩主とはいわず、藩王と称することにして侯爵の位が授けられた。シリーズの最初にかかげた井上馨提案と同じ年である。

 ここらに明治政権が直面した過渡期の苦労が見える。いかに小さくとも、国と藩では全く違う。琉球王に納得せよと迫っても無理というものだ。清への朝貢はそのまま続けられ、日本の要求する政治体制に抵抗するため、ひそかに支援を要請していた。

 前に述べたように、約400人の兵と160人の警官派遣という「威力侵奪」で、王国体制を解体し、沖縄県としたのは、明治12年である。清国は反発し、国際問題化した。アメリカのグラント大統領は、交渉による解決をはかるよう助言した。

 その交渉の過程で、日本は、「王国の復活はできないが、沖縄本島を含まない宮古・八重山諸島を中国領とし、他方、すでに締結済みの日清修好条約に日本商人が欧米諸国と同様、中国内部で商業活動できるよう改定」する案をだした。

 この案は、1880年(明治13)に調印する段階に至ったが、琉球から亡命した王国人士がこれに反対したこともあってたなざらしにされた。やがて関心は朝鮮に移り、日清戦争(明治27年)によりこの問題も白紙にかえった。

 歴史を扱う場合、途中経過があっても結論がないものや、「若しも……」といった仮定の問題提起は、敬遠されたり無視されたりするケースが多い。しかし、太平洋戦争と沖縄、米軍基地の集積、普天間基地移転、尖閣列島問題、すべてこの「沖縄処分」と不可分であることを忘れてはならないだろう。 まさに、沖縄県民をどう守るかということが問われているのである。

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2010年11月 9日 (火)

琉球処分 2

 前回 1 は明治政府が、琉球の「日中両属」を断ち切るための、井上馨建議を取り上げた。それまでの琉球の状態はどうだったのだろう。慶長の薩摩藩派兵以降、現在の行政区画、鹿児島県の範囲が薩摩藩の直轄地、沖縄本島以南、現在の沖縄県の範囲が、薩摩藩の附庸=従属国として存在した。

 日本国内でも、両属の事実はよく知られており、1782年(天明2)に九州を旅した町医者・橘南渓は、見聞録を次のように残している。

 琉球は、唐と日本に両属したる国なれば、両方商ひをして、金銀の自由よく、大いなる利徳(ママ)を得て大富国也

 両属、つまり双方から受ける冊封とはどういう関係をいうか、定義はないが、AからBに「王」とか「将軍」などの称号を与える。BはAの慶事などの機会に使節を派遣して朝貢する。AはBの外交や内政の自主性を尊重し介入しない。「信」と「礼」を基本とする間柄であり、細部を条約化したり規定するということはない。ということで、近代化前の日中の認識は共通していたようだ。

 こういったことから、弘化元年(1844)のフランス船による琉球の開国通商要求に続き、イギリス船も来航、嘉永6年4月にはアメリカがこれに続いた。アメリカは日本開国への足掛かりとするためで、琉球の軍事占領まで視野に置いていた。

 このペリー艦隊が6月、浦賀に現れて幕府を震撼させる。そして翌54年3月、日米和親条約が結ばれ、開国への第一歩となる。ペルーは帰りも琉球に寄り、独立国として「琉米修好条約」を締結した。同様の条約は、フランスとも結ぶことになる。現在と同じではないが、対中国貿易をにらんだ重要な拠点という意識がアメリカにあったのであろう。

 ところが、明治維新が実現したあと、前回も触れたように琉球漁民54人が台湾の原住民に殺されるという事件が起きた。日本が日清両属の「曖昧なる陋轍」を打開させようとしている時である。琉球住民を邦人保護の対象にするためには、まず、日本国民であることをはっきりさせなくてはならない。

 琉球と台湾、いずれも清国の出方にかかってくる。そこで国際的支持を取り付けるため、アメリカ、イギリスに働きかけたが、いずれも異議の申し出はなく、アメリカは台湾出兵を了解する姿勢すら見せた。

 その上で、柳原前光公使が「日本の琉球藩民」が殺されたことについて、清国の見解をただしたところ、清国側から「台湾全島は清国領であるが、ただ蛮族は化外の民で清国の政教のおよばないところである」という発言を引き出した。

  それを「化外孤立の蕃夷であれば、日本の考えで処置していいんですね」という結論に持ち込んだ。しかし、日本のより大きな収穫は、琉球が日本に専属する領域であることを国際的に認知させることができたということだろう。

 ただ、琉球王朝としては、これまで一国家として貿易や外交の権限行使ができたのに、日本の藩や県といった地方組織に閉じ込められることは、プライドを損じるだけでなく、経済や産業などに何のメリットももたらさない滅亡への道と映ったであろう。

 そこで、日本側のいかなる説得にも応じす断固反対を貫くことになる。

(参考文献:『日本の歴史20』中公文庫4、『国境を越える歴史認識』東京大学出版会ほか)

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2010年11月 8日 (月)

琉球処分 1

 明治5年5月、政府が初めて琉球問題を討議したときの、大蔵大輔・井上馨による提議書である。これは、維新後間をおかず琉球の実効支配を合理化する目的があり、反省を含めた政府の方針が余すことなく表現されている点、今日の領土紛争や沖縄差別の根源に横たわる問題を提起しているものとして興味深い。

 なお前年11月に琉球船が台湾に漂着し、乗っていた宮古島の人たち54名が現地人に殺される事件が起きた。この報告が北京駐在の日本公使からもたらされたのは前月のことである。その後の日清間の動き、琉球王家の反応などについては、後に続けたい。

     琉球国ノ処置ヲ議ス
 慶長年間島津義久琉球ヲ征シ、中山王尚寧ヲ擒獲シ、皇国ニ服従セシメ候ヨリ以来、

【解説】慶長11年(1606)、琉球征討したのは島津家久(義久はまちがい)。彼は幕府に琉球征討の許可を求め、同14年3月、3000余の兵と100隻の船で琉球を攻めて、4月に占領した。この時琉球王などを人質として鹿児島に連行し、2年後にようやく帰国を許した。

同国ノ議ハ薩摩ノ附庸ト看做シ、諸事同藩ニ致委任、延テ至今日候。

【解説】附庸=従属国。島津氏は琉球征討後、与論島以北の島々を直轄地とし、琉球本島以南の島々に尚氏の支配を認めた。

因テ其版図離合ノ概略ヲ考査致候処、中興ノ始祖舜天、源為朝ノ遺裔ト云説ハ姑ク措キ、服従以来覲礼ヲ修、幣帛ヲ献、恭順ノ誠ヲ表シ、歴世不懈而已ナラズ、言語風俗官制地名ノ相類似スル、総テ我光被中ニ不洩一証ニ有之、

【解説】琉球最初の王は、源頼朝に討たれはずの為朝がのがれて漂着したという伝説はともかく、代々幕府に対し代替わりなどの儀礼的遣使を怠らず、言語風俗官制地名など似たものが多く、光被=徳の及ぶこと、つまり例外なく日本の支配下にあったとする。

殊其形勢ヲ視察致候得バ、我薩ノ南岬ト相距僅数十里、豆ノ無人八丈、蝦ノ薩加連ニ比スレバ内地ニ接近スル大逕庭ナシ。故ニ彼国ハ我残山ノ南海中ニ起伏スル者ニシテ、一方ノ要衝、皇国ノ翰屏、譬バ手足ノ頭目ニ於ルガ如ク、運為ノ職ヲ尽シ捍護ノ用ニ可供義、喋々竭論ヲ不待候。

【解説】ここでは地政学や防衛に触れる。我が国の鹿児島の岬からわずか数十里で列島に連なり、伊豆の八丈島、蝦夷地のサガレンと比較しても接近する逕庭=大きな庭と小道のようなもので、一方の要衝で翰屏=垣根となり守りになっている。手足と頭目にもたとえられる。捍護ノ用=防衛線として欠かすことのできないことは、議論を待つまでもない。

尤彼従前支那ノ正朔ヲ奉ジ冊封ヲ受候由相聞、我ヨリモ又其携弐ノ罪ヲ匡正セズ、上下相蒙曖昧ヲ以テ数百年打過、何トモ不都合ノ至リニ候得共、君臣ノ大体上ヨリ論候得バ、仮令我ヨリ涵容スト謂ドモ、彼ニ於テハ人臣ノ節ヲ守リ、聊悖戻ノ行不可有義勿論ニ候。

【解説】ここでは、中国の正朔=元号や暦を採用し、冊封を受けていたことについていう。これについては、曖昧にしたまま数百年も放置したことをなんとも不都合だったとしている(実は、日中ともに鎖国状態だった期間が長く、琉球を通じた裏貿易でメリットを得ていた)。しかし、君臣の間柄から節を守り、いささかも悖戻=逆らうようなことがあってはならないと結論。

況百度維新ノ今日ニ至リテハ、到底御打捨被置候筋ニモ無之ニ付、従前曖昧ノ陋轍ヲ一掃シ、改テ皇国ノ規模御拡張ノ御措置有之度、去迚威力ヲ挟ミ侵奪ノ所為ニ出候テハ不可然、依テ彼首長ヲ闕下ニ招致シ、其不臣ノ罪ヲ譴責シ、且前文慶長大捷以後ノ状況、順逆ノ大義、土地ノ形勢、其他伝記、典章、待遇、交渉ノ上ニ表見スル証迹ヲ挙テ詳細ニ説明シ、彼ヲ使テ悔過謝罪茅土ノ不可私有ヲ了得セシメ、然後速ニ其版籍ヲ収メ、明ニ我所轄ニ帰シ、国郡制置、租税調貢等悉皆内地一軌ノ制度ニ御引直相成、一視同仁、皇化洽浹ニ至候義所仰望御座候条、尚篤御廟議被為尽此段具陳仕候。以上。

 壬申五月三十日    大蔵大輔 井上 馨

  正 院 御中

【解説】ご一新を果たし、西欧列強に伍していくためには従来の曖昧さを残しておけない。この際「皇国ノ規模御拡張」を、と版図拡大の意図を隠そうともしていない。ただし威力侵奪はいけないといっている。中山王を呼びつけ懇切丁寧に説得してこれまでのダブルスタンダードを謝罪させ、茅土=封じられた土地を取り上げて内地並みの県郡制にしたいから、審議してほしいという具申書である。

 しかし、琉球藩王はこれを拒否、結局、明治12年に約400人の兵と160人の警官派遣という、「威力侵奪」により廃藩を強行した。(参考文献『日本近代思想体系22』岩波書店、ほか)

    

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2010年11月 6日 (土)

国家安全・子孫繁栄

 秋空の下鎮守の森で歴史の勉強会。

2010_11040002  反戦塾はお休み。コメントへのレスポンスを転載します。

カーク さま
たしかに重くなりました。このエントリーの題は、「゛軽すぎる゛戦争観」だったのですが……。

おっしゃるように、どの国からであろうと、ミサイルほど手におえないものはありません。たった一人の錯乱者がいれば、一発でめちゃめちゃになってしまうのですから。

尖閣関連ビデオの流出など、その意味でコントロール不能の事態が起きたわけで、ただ事ではありません。真相はわかりませんが、もし出所が海保なら指揮・命令系統の破たんです。田母神論文の自衛隊でおあろうが前田証拠改造検事の検察であろうが、国民の安全が危機に瀕している――とは、おおげさでしょうか。

心配性の塾頭はそう考えるのです。

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2010年11月 4日 (木)

世界の軍国主義国

 塾頭は「軍国日本」に生を受けた。当時、「軍国」であることを恥じらう人はなく、息子をけなげに戦地に送りだす婦人を「軍国の母」といって励ました。そしてありえなかった敗戦、肉親の死、飢餓、財産の喪失そして屈辱、それらは議会も内閣も財界も情報も教育も、果ては天皇さえも牛耳ってしまった軍部――、軍国のなせるわざだと思った。

 世界広しといえど、今どき軍国を売り物にしているのは、北朝鮮しかない。「先軍主義」といい、手を振らずピョコンピョコンとケツを上げるあの一糸乱れぬ軍人パレードを、恥ずかしげもなく世界中に振りまいている。

 あとふたつ、かくれ軍国主義国にアメリカと中国がある。当塾では、かねてそれとはなしに触れてきたことで、「仮想敵国には朝鮮のほか米中両国を」などと書いたこともある。
 
 ところが今日の毎日新聞(11/4東京判)には、別々の記事で露骨にそう書いてある。こういった側面を明らかにすることは、マスコミにとって重要なことで、産経であろうが赤旗であろうがそれは同じであろう。

 簡単に紹介しておこう。ひとつが「発信箱」というコラムで、筆者は論説室の布施広氏である。

 米国在勤時、知人から「この国は軍国主義的民主主義と考えると分かりやすい」と助言された。もちろん軍国主義とは違うのだが、軍事力こそ米国を世界一たらしめる源泉、崇高な理想を実現する手段、と考えているのは確かだろう。日本にはない感覚だ。(以下略)

 
 塾頭の想像を加えると、アメリカ大陸には、イギリス、ドイツ、フランス、スペインなど欧州各地からの開拓者、さらには奴隷としてのアフリカ人など、多くの人種や異なる宗教の人々がやってきた。

 それらの人々が遭遇したのが独立戦争、南北戦争、先住民との抗争などである。そこから、銃こそ自由と発展と生存を保証するかけがいのないものだという思想を生んだ。また、ヨーロッパ各国より大きな力を得るためには、一つの国としての団結が必要だった。州の数だけ星を並べた星条旗はその象徴である。

 多様な人種が集まり、また大富豪から底辺の階層まで格段の差もある。しかし、最下層にいる人であろうとも、アメリカン・ドリームを信頼し、「世界一」の国民であることに誇りを持つことが、軍国主義的側面を支えているのであろう。

 もう一つは、金子秀敏専門編集委員担当のコラム「木語」にある「危うし温家宝首相」である。先月29日にセットされていたベトナム・ハノイの日中首脳会談のドタキャンや、その直後の10分間懇談など、最近相次ぐ温家宝氏周辺の混乱ぶりをウオッチしている。

 別の報道記事では、このキャンセルが温家宝の秘書役の猛反対によるものらしいことを書いている。この秘書役は中南海(中国共産党指導部)との連絡役で、中国の楊外相を上回る実力者に位置付けられ、会談をセットした外相は、秘書役を説得できなかったという情報もあるようだ。

 また、10分間懇談で、温首相は菅首相に対し「外交について対外的な表明をするときは慎重に行うべきだ。民意は非常にもろいものだ」と言ったとされ、馬脚といっては悪いが、強硬姿勢が中国内部の問題に起因していることが浮き彫りになってきた。

 金子氏のコラムに戻るが、中国共産党機関紙「人民日報」の記事に掲載された論文のタイトル「正しい政治の方向に沿い、積極穏健に政治体制改革を推進せよ」を取り上げ、中国人が眼光紙背に徹いて読むと、「政治の正しい方向」とは、硬直した社会主義のことで、「改革を積極穏健に推進する」とは、改革をやらないのと同義語だと解説した。

 そして香港の新聞は、これを温家宝が政治改革(党幹部の特権廃止や汚職追放などの改革を意味するといわれる)が急務だ、とする呼びかけへの温首相批判、と読んでいることも紹介した。

 さらに、「温首相の政治改革を批判する背後の勢力は軍ではないのか。そうは書かないが、読者にはそう伝わるのである」としめくくっている。新聞が書いたとはいえ、これは憶測である。しかしこれでは、まるで暗号だらけの国だ。

 塾頭は、共産党の一党支配をかつて中国を支配した「帝王」に当てはめてみた。そしてこの帝王の正体は、革命前夜の党の軍隊八路軍、さらに蒋介石の国民政府軍との死に物狂いの戦闘で成り立った「中国共産党」そのものである。軍がなければ党がなく、党がなければ国もない、というのが軍国主義中国のバックボーンである。そう考えれば、納得できそうな線である。

【関連エントリー】
「アメリカ人の性格」
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-b06b.html

「日中関係構築の好機」
http://hansenjuku.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-f578.html

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2010年11月 2日 (火)

司馬遼太郎と北方領土

 以下は、1986年(昭和61)に司馬遼太郎が書いた『ロシアについて――北方の原形』の中にある文章である。北方4島が日本固有の領土であることは疑いの余地がなく、江戸期以降の長い日ロ交渉史から見ても、自明のことであるとして、ロシアがこれを占拠し続けていることについて、

 日本政府がこれを非とする――私も非とします――以上、政府はこれについての解釈と要請を何年かに一度、事務レベルでもってソ連の政府機関に通知しつづける――放棄したのではないといということを明らかにしつづける――ことでいいわけで、あくまでも事は外交上の法的課題に属します。これをもって国内世論という炉の中をかきまわす火掻き棒に仕立てる必要はなく、そういうことは、無用のことというより、ひょつとすると有害なことになるかも知れません。

 つづけて、帝政ロシア以来、膨張によりできあがった若い国であって、以来他の隣接国ともかず多くの国境問題を顕在化したり潜在化させたりしてきたという歴史を説明したうえ、

 もし、ソ連が、無償で――無償などありえないことですが――北方四島を日本に返還するようなことがあれば、それとおなじ法解釈のもとで、多くの手持ちの領土を、それはわが国の固有領土だと思っている国々に対しても返還せねばならないというりくつがなりたちます。それが仮に単なるりくつであるにしても、いったんソ連領になった「領土」を、もとの持主に返すようなことをソ連の首脳部がおこなうとすれば、おそらく国内的にかれらはその地位をうしなうことになるでしょう。(下線は傍点部分)

 とし「ともかくも、ソ連の首脳部にとって、返還など、無理難題を越えたほどのことだということを、私どもは成熟した国民として理解しておく必要があります」、としめくくっている。彼をして「媚ロ派」などと言いかねない手合いがありそうだが、「坂の上の雲」などの歴史小説をものするためには、不断の関心と膨大な資料をこなせる能力が必要だし、その意見は重く見なければならない。

 これは、尖閣諸島問題と全く性格を異にした背景があることを理解しなければならない。それと同時に、中ソの間でも一時は戦争さえ視野に入れた国境紛争があったのを、長い交渉の結果、中間線で解決したケースがある。これらを研究し、気長に取り組む覚悟が必要だ。

 そうすると、元島民が生きているうちに故郷を取り戻せなくなるなど、感情を表立てる意見がでてくるが、だからと言って有利にことが運ぶわけでなく、むしろその逆だ。勉強不足で未成熟なマスメディアや売名政治家のあおりを、この際冷静に見極めなくてはならない。

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2010年11月 1日 (月)

軽すぎる戦争観

 もう旧聞に属するが、3年ほど前赤木智弘さんというフリーターの方が、「希望は、戦争」という論文を書いたということに驚いた。まあひとつの社会現象として納得はしたのだが、若者の戦争に対する認識の軽さが気になっていた。

 たまたま資料整理をしていたところ金光翔著「<佐藤優現象>批判」(『インバクション』第160号・2007年11月刊掲載)というスクラップがあり、精読した記憶がないので目を通してみた。筆者は在日韓国人3世で、岩波書店で雑誌『世界』の編集をしていた人らしい。

 その中に、こういうくだりがあった。文中の軽いのりで、まともにとる必要はないのかも知れないが、週刊誌や娯楽雑誌ではない。まともにとる人がいないとは断言できないし、場合によれば有害だ。

 そもそも、改憲か護憲(反改憲)か、という問いは、以下の問いに置きなおした方がよい。日本国家による、北朝鮮への武力行使を認めるかどうか、という問いだ。

 簡単な話である。仮に日本が北朝鮮と戦争した際、敗戦国となることはありえない。現代の戦争は、湾岸戦争にせよイラク戦争にせよ、アメリカ単独もしくはアメリカを中心とした多国籍軍対小国という、ゾウがアリを踏むような戦争になるのであって、ゾウの側の戦争当事国本国が敗北することは、100%ありえないからである。

 大衆は、マスコミの人間ほど馬鹿ではないのだから、そのことは直感的に分かっている。したがって、対北朝鮮攻撃論が「国民的」世論となってしまえば、護憲派に勝ち目は万に一つもない。

 全体の論旨は、佐藤優を北朝鮮攻撃肯定派と見なし、彼をのような「リアリスト」を取り込むことで、護憲勢力の幅を右派の一部まで広げられる、という雑誌編集方針は、「妄想の最たるもの」だとい言いたいことのようだ。

 塾頭が懸念したのは、たとえ仮の話である話としても、あまりにも戦争を軽薄単純に考えていることである。まず、戦争を自分の事として考えたことがなさそうなことと、戦争は簡単に起きるし、また終わらせるゲームのようなものとしか認識がないように思えるからである。

 ここでは、全体の論旨を問題にしない。戦争に対する無知が、これから先、市民をあらぬ方向に導きかねない、という歴史上の教訓が一切顧慮されていないことだ。戦争を言うときは、抽象論や観念論を避けるようにしてもらいたいものだ。

 まず「戦争の性格」である。今は国対国の戦争や、飛行機、軍艦など重装備同士の戦争はほとんどなくなった。金氏の見方では、イラク戦争やアフガン戦争にアメリカや多国籍軍が勝ったと思っている。たしかにハイテをク兵器を使った電撃作戦で旬日の間に首都制圧を果たした。しかしそれは、一作戦上の戦闘に勝っただけで、戦争には負けている。

 何千人もの兵士が犠牲になり、何年かけてもビンラディンが見つからず、治安回復のないまま撤兵せざるを得ない。どうして勝ったと言えようか。これが、冷戦以後の戦争なのである。覇権主義から抜け切れない軍事大国は、まだその愚かさかを後生大事に持ち続けている。

 北朝鮮や中国との戦争を考えてみよう。石原都知事が尖閣諸島問題などに関連して、日本は核を持たなければならない、などと妄言をはいた。それに対して、日本は核を持っても中国には勝てないと前のブログに書いておいた。

 核戦争では、発射基地設定や目標地点の集約で、奥深く国土の広い方が圧倒的に有利になる。これは幼児にもわかる理屈だ。石原さん、やはり頭をさげてアメリカの核の傘をお願いに行きますか?。次に北朝鮮に行こう。

 これも、戦えば日本に勝ち目はない。北の常備軍は精鋭の100万人だ。日本は14万人、アメリカを入れても16万人、量だけでなく質も、兵の忠誠度や贅沢を言わない点で相手の方が上だろう。なぜそれを言うかというと、北と戦って勝つためには相手国に行って国土を完全制圧しなければならないからだ。

 山岳地帯にはすでに軍事トンネルが多く準備できている。ハイテク機器を使って爆弾や銃器をどれほど打ち込んでも音を上げないことは、ベトナムや中東ですでに体験済みである。韓国で、天安艦沈没事件のあと、地方選があった。事件の北関与の発表は、与党を有利にするための「北風」作戦だ、という風説があったが北風は吹かなかった。

  最近の『朝鮮日報』を見ると、大衆の中に「北と戦争をすると韓国人は死に直面する」という恐怖感が働いたのではないか、と分析している。韓国の兵力は56万で、北の半分強だが、徴兵制度もあり実戦経験も自衛隊と違って豊富にある。

 中距離弾道ミサイル(ノドン)も相手が上だ。200発あるといわれるが、日本は地対空など防空が主、他国攻撃用はない。北には迎撃用ミサイルPAC-3などで守るしかない。もっとも、北のは命中率が低く、燃料もそうないだろうからそれで日本が滅びることはない。

 やっぱり、日本に上陸する能力なければ勝てないから、自衛隊が領土の制海権・制空権を握ってさえいれば大丈夫だ。このように、ゾウとアリの比喩が滑稽なことはすぐわかるだろう。さらに付け加えると、多国籍軍というのは国連決議がなければ作れない。北との戦争であれば拒否権のある中国が賛成するわけがなく、日米連合軍だ。

 さて、韓国はどっちにつくだろう。中立であればまだ良し。北につく可能性の方がより高いのではなかろうか。また、かつて朝鮮で多くの戦死者を出したアメリカが、日本に代わって主力になって戦い助けてくれるわけがない。 

 右とか左とか、護憲とか改憲などと、昔に出された宿題を、特に今の若い人がこねくり回す時代ではない。ゼロから考え直すべきだ。反戦塾だから戦争ごっこは嫌いだが、もっと戦争を現実的に見て、時代にそぐわない大国意識や軍事優先国家のお先棒をかついだり、そばづえを食らったりしないようにしなければならない。

 結論を言おう。日本は攻めに行ったら負けなのだ。しっかり守る分には、島国ということもあって相応の力を持っている。ミサイル攻撃があれば、打ちもらしもあって被害が出る。しかし一番強いのは、日米同盟ではない。外国へ攻めていかない、という平和憲法をより強化し、相手が攻め込む理由をなくすることだ。

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