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2010年11月10日 (水)

琉球処分 3

 前回、不用意に「琉球藩」という言葉を使ってしまった。明治4年(1871)に、廃藩置県の詔勅が発せられ、「藩」がなくなったはずなのに、明治5年に新設された珍しい藩である。支配者・尚泰は藩主とはいわず、藩王と称することにして侯爵の位が授けられた。シリーズの最初にかかげた井上馨提案と同じ年である。

 ここらに明治政権が直面した過渡期の苦労が見える。いかに小さくとも、国と藩では全く違う。琉球王に納得せよと迫っても無理というものだ。清への朝貢はそのまま続けられ、日本の要求する政治体制に抵抗するため、ひそかに支援を要請していた。

 前に述べたように、約400人の兵と160人の警官派遣という「威力侵奪」で、王国体制を解体し、沖縄県としたのは、明治12年である。清国は反発し、国際問題化した。アメリカのグラント大統領は、交渉による解決をはかるよう助言した。

 その交渉の過程で、日本は、「王国の復活はできないが、沖縄本島を含まない宮古・八重山諸島を中国領とし、他方、すでに締結済みの日清修好条約に日本商人が欧米諸国と同様、中国内部で商業活動できるよう改定」する案をだした。

 この案は、1880年(明治13)に調印する段階に至ったが、琉球から亡命した王国人士がこれに反対したこともあってたなざらしにされた。やがて関心は朝鮮に移り、日清戦争(明治27年)によりこの問題も白紙にかえった。

 歴史を扱う場合、途中経過があっても結論がないものや、「若しも……」といった仮定の問題提起は、敬遠されたり無視されたりするケースが多い。しかし、太平洋戦争と沖縄、米軍基地の集積、普天間基地移転、尖閣列島問題、すべてこの「沖縄処分」と不可分であることを忘れてはならないだろう。 まさに、沖縄県民をどう守るかということが問われているのである。

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コメント

薩摩藩の琉球侵攻やこの記事にある明治の廃藩置県の強制ですが、この流れが沖縄戦での捨石扱いやサンフランシスコ条約第3条での米軍軍政下に置く決定などが決められたのでしょう。
そしてこの日本政府の沖縄に対する正義にもとる不公正な態度が今の普天間の問題にもつながっている可能性が濃厚です。
民主党政権ですが、矢張り歴史的な過去の問題点を全く考慮した痕跡が認められないのは残念なことですね。

投稿: 宗純 | 2010年11月11日 (木) 09時54分

宗純さま
コメントありがとうございました。

菅さんは、総理になる前沖縄の歴史を勉強した、と発言していましたが、それならぱ結論はもうでているはずです。

 でなければ、沖縄本島はアメリカに、宮古・八重山・石垣・尖閣各島は中国に割譲するしかありませんな。

投稿: ましま | 2010年11月11日 (木) 13時05分

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