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2010年11月 8日 (月)

琉球処分 1

 明治5年5月、政府が初めて琉球問題を討議したときの、大蔵大輔・井上馨による提議書である。これは、維新後間をおかず琉球の実効支配を合理化する目的があり、反省を含めた政府の方針が余すことなく表現されている点、今日の領土紛争や沖縄差別の根源に横たわる問題を提起しているものとして興味深い。

 なお前年11月に琉球船が台湾に漂着し、乗っていた宮古島の人たち54名が現地人に殺される事件が起きた。この報告が北京駐在の日本公使からもたらされたのは前月のことである。その後の日清間の動き、琉球王家の反応などについては、後に続けたい。

     琉球国ノ処置ヲ議ス
 慶長年間島津義久琉球ヲ征シ、中山王尚寧ヲ擒獲シ、皇国ニ服従セシメ候ヨリ以来、

【解説】慶長11年(1606)、琉球征討したのは島津家久(義久はまちがい)。彼は幕府に琉球征討の許可を求め、同14年3月、3000余の兵と100隻の船で琉球を攻めて、4月に占領した。この時琉球王などを人質として鹿児島に連行し、2年後にようやく帰国を許した。

同国ノ議ハ薩摩ノ附庸ト看做シ、諸事同藩ニ致委任、延テ至今日候。

【解説】附庸=従属国。島津氏は琉球征討後、与論島以北の島々を直轄地とし、琉球本島以南の島々に尚氏の支配を認めた。

因テ其版図離合ノ概略ヲ考査致候処、中興ノ始祖舜天、源為朝ノ遺裔ト云説ハ姑ク措キ、服従以来覲礼ヲ修、幣帛ヲ献、恭順ノ誠ヲ表シ、歴世不懈而已ナラズ、言語風俗官制地名ノ相類似スル、総テ我光被中ニ不洩一証ニ有之、

【解説】琉球最初の王は、源頼朝に討たれはずの為朝がのがれて漂着したという伝説はともかく、代々幕府に対し代替わりなどの儀礼的遣使を怠らず、言語風俗官制地名など似たものが多く、光被=徳の及ぶこと、つまり例外なく日本の支配下にあったとする。

殊其形勢ヲ視察致候得バ、我薩ノ南岬ト相距僅数十里、豆ノ無人八丈、蝦ノ薩加連ニ比スレバ内地ニ接近スル大逕庭ナシ。故ニ彼国ハ我残山ノ南海中ニ起伏スル者ニシテ、一方ノ要衝、皇国ノ翰屏、譬バ手足ノ頭目ニ於ルガ如ク、運為ノ職ヲ尽シ捍護ノ用ニ可供義、喋々竭論ヲ不待候。

【解説】ここでは地政学や防衛に触れる。我が国の鹿児島の岬からわずか数十里で列島に連なり、伊豆の八丈島、蝦夷地のサガレンと比較しても接近する逕庭=大きな庭と小道のようなもので、一方の要衝で翰屏=垣根となり守りになっている。手足と頭目にもたとえられる。捍護ノ用=防衛線として欠かすことのできないことは、議論を待つまでもない。

尤彼従前支那ノ正朔ヲ奉ジ冊封ヲ受候由相聞、我ヨリモ又其携弐ノ罪ヲ匡正セズ、上下相蒙曖昧ヲ以テ数百年打過、何トモ不都合ノ至リニ候得共、君臣ノ大体上ヨリ論候得バ、仮令我ヨリ涵容スト謂ドモ、彼ニ於テハ人臣ノ節ヲ守リ、聊悖戻ノ行不可有義勿論ニ候。

【解説】ここでは、中国の正朔=元号や暦を採用し、冊封を受けていたことについていう。これについては、曖昧にしたまま数百年も放置したことをなんとも不都合だったとしている(実は、日中ともに鎖国状態だった期間が長く、琉球を通じた裏貿易でメリットを得ていた)。しかし、君臣の間柄から節を守り、いささかも悖戻=逆らうようなことがあってはならないと結論。

況百度維新ノ今日ニ至リテハ、到底御打捨被置候筋ニモ無之ニ付、従前曖昧ノ陋轍ヲ一掃シ、改テ皇国ノ規模御拡張ノ御措置有之度、去迚威力ヲ挟ミ侵奪ノ所為ニ出候テハ不可然、依テ彼首長ヲ闕下ニ招致シ、其不臣ノ罪ヲ譴責シ、且前文慶長大捷以後ノ状況、順逆ノ大義、土地ノ形勢、其他伝記、典章、待遇、交渉ノ上ニ表見スル証迹ヲ挙テ詳細ニ説明シ、彼ヲ使テ悔過謝罪茅土ノ不可私有ヲ了得セシメ、然後速ニ其版籍ヲ収メ、明ニ我所轄ニ帰シ、国郡制置、租税調貢等悉皆内地一軌ノ制度ニ御引直相成、一視同仁、皇化洽浹ニ至候義所仰望御座候条、尚篤御廟議被為尽此段具陳仕候。以上。

 壬申五月三十日    大蔵大輔 井上 馨

  正 院 御中

【解説】ご一新を果たし、西欧列強に伍していくためには従来の曖昧さを残しておけない。この際「皇国ノ規模御拡張」を、と版図拡大の意図を隠そうともしていない。ただし威力侵奪はいけないといっている。中山王を呼びつけ懇切丁寧に説得してこれまでのダブルスタンダードを謝罪させ、茅土=封じられた土地を取り上げて内地並みの県郡制にしたいから、審議してほしいという具申書である。

 しかし、琉球藩王はこれを拒否、結局、明治12年に約400人の兵と160人の警官派遣という、「威力侵奪」により廃藩を強行した。(参考文献『日本近代思想体系22』岩波書店、ほか)

    

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私が探していたものを、ありがとう

投稿: FriestTer | 2011年9月 3日 (土) 09時59分

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