打落水狗
日本語流にいえば「溺れる犬は叩け」である。中国の作家・魯迅が使ったのがはじめといわれるが、「羊頭狗肉」とか「狗鼠(くそ)」とか、中国は犬に関してどうもイメージがよくない。日本の「忠犬ハチ公」とか、「犬公方・徳川家綱」など、愛犬物語にはことを欠かないのとどこかちがう。
紀元前の前漢はじめ、「絞兎死して走狗烹らる」ということわざもあった。どんなすぐれた将軍でも、敵がなくなれば殺され(煮られ)てしまうという意だ。なぜ、こんな話題を持ち出したかというと、最近の、中国のヒステリックな反日姿勢や、大阪検察特捜部の破廉恥行為の報道、それに、大相撲やアメリカのイチロー記録バッシングに至るまで、すべて「打落水狗」ではないかと思えてしょうがないからである。
裏にあるのは「嫉妬」と「功利」である。高度成長で最長寿国で、という日本に対するネタミが、中国に限らずどこの国の民衆でも深層心理にないとは言えないだろう。それが、少子高齢化で成長も頭打ち、デフレで高福祉も赤信号となれば、まさに水に落ちた犬だ。
伝統と権威で我が物顔だった、大相撲と検察の虚構があばかれた。これも水に落ちた犬である。そこで、突然正義の味方づらをして犬叩きに専念するのが日本のマスメディアである。相撲と暴力団の関係など、特に内情熟知のNHKが知らなかったはずはない。
検察不祥事について、後追いの断片的記事をつなぎあわせると、マスコミでは、事実関係をある程度把握していたふしがある。それらを不問にしてきた罪は一体どうなるのだ。その罪深さを自覚としたNHKは、情報操作つまり視聴者のせいにして、中継自粛という筋違いの始末をつけようとした。
最近、新聞記者を「無冠の帝王」とあまり言わなくなった。それより、全体がサラリーマン化し、ジャーナリズムからほど遠い「どこかに向けて一斉にシッポを振る犬」に見えてきたのだ。名物記者・名物評論家といわれた人はほとんど姿を消しつつある。
国際間であろうと、国内問題であろうと、まず絶対に「水に落ちない」ようにする心構えが必要で、それには権威権力に対するおごりがないか、嫉妬を生むようなことがないかを、絶えず顧みることが必要だろう。
そして、マスコミにとっても「水に落ちることが絶対にない」とはいえないことを理解すべきだ。、それが、民主主義の名で言論の自由を封殺される事態を招くことに留意しなければならない。NHKの大相撲中継中止は、言論ではないが、ふと、そんなことを思わせるものがあった。
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