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2010年10月18日 (月)

平和は自信ある外交で

 日本では、田母神元自衛隊幹部、中国では地方中核都市の学生が主導するデモなど、尖閣諸島を震源とした地震の余震がまだ続いている。しかしこの先、国民が日頃の備えを整えておけば、心配されるような事態は何も起こらないはずだ。

 その備えとは、第1に日中2000年の交流を前向きに考え、発展強化させる善隣外交である。次は、どんな場合でも落ちついて行動できるよう、心構えを養っておくこと。3番目は、それを揺るがないものとする「東アジア共同体」という、耐震構造建築を作り上げることである。

 第1と第3は省いて、第2をひとくちでいうと、日本は寸土も侵させないし、外国へ武力をもって侵略せず、加担もしない、という固い決意を内外に示すことにつきる。日米同盟に全面依存しきることがいかに心もとなく、不安定なものであるかを、ここ数年でわれわれは学習した。

 そのために、専守防衛を任務とする自衛隊の強化が必要とあれば(塾頭は米中に続く第3のグループにいる日本の軍事費が少ないとは思っていないが)、それを厭ってはならない。くわしく触れる余裕はないが、自国防衛に無関心であったり、人任せにする国が、これまでに大きな戦争の原因になったり、地域の安定をそこなった例は枚挙にいとまがない。またそうすることが、日米、日中関係にとって悪影響をおよぼすというのは、いまや時代遅れの伝説である。

 そこで本題に入るが、これまで尖閣諸島事件で政府がとってきた姿勢は、前述に照らして大きな矛盾のないもののとして賛成である。むしろ、「勝った負けた」の国会論議やマスコミの誘導、悪乗りしたデモなどの行為が結果的に国益を損じ、日・中双方に不利を招いていることを知るべきである。

 ただ、「領土問題は存在しない」という硬直的姿勢は賛成できない。それは「問答無用」といわんばかりで、上記第1の原則に反した外交上の非友好的姿勢に他ならないからだ。「固有の領土だ」というだけでは双方平行線で最後まで解決しない。しかし、国にとっては基本的な命題で、不条理に譲歩したり主張を取り下げる必要はない。

 そこで、中国側の主張の基本的な考えを探るため、しばしば中国側がとりあげる、日本人学者の故・井上清京大名誉教授の《「尖閣」列島――釣魚島の史的解明》を参考にすることにした。その内容を批判するような形になるが、自身にはこれだけ膨大な資料を取材・分析する能力がなく、反論・教示もいただけない故人なので、読後感ということでお許し願いたい。

 まず、主張の基本的姿勢である。文中、いたるところで日本政府に(たとえ自民党政権であろうとも)帝国主義・軍国主義という形容詞を付したり「日共」と表現するなど一方を敵視した表現が多く、かつての孤立した新左翼の口調で語られている。せっかくの膨大な史料があらかじめ決められた筋書で解釈・利用され、公正を欠いているように見られる点は残念である。

 次に、「日清戦争で窃かに釣魚諸島を盗み公然と台湾を奪った」という結論部分である。教授は、「窃かに盗んだ」理由として、民間人がアホウ鳥の羽毛採取のため島の利用を思いつき、沖縄県庁に土地貸与を申し出たのが明治18年ころであるのに、9年間許可を躊躇していた事実をあげる。

 それは、清国(中国)領であるこを日本政府が自覚していたから、日清戦争に日本が勝利し、講和条約が開始される1895年3月20日に先立つわずか2か月ほど前、1月14日になってこっそり自国領に編入手続きをすませていた、という主張である。

 これには、大きな論理的破たんがある。講和条約では、台湾全島とその付属島嶼、澎湖列島など、中国から日本に割譲する区域を定めたが尖閣諸島が清国領であると日本が認識しているか不確定地域であると考えるのであれば、その条約に含めればいいだけの話である。こっそり掠め取る必要は何もない。

 日本側がいう、「無主の島」と決定するため慎重な調査を繰り返したというのは本当であろう。それは、清の異議申し立てがあった場合、その他の第三国の認証が得にくくなることをおそれていたと考えられる。これは、博士の主張に似ているようでも、「盗んだ」という動機とは全く違う。

 博士が、古来中国の領土と認識されていたという根拠は、明の時代以降、中国の冊封を受けていた琉球王朝との往来のため、航海の目標として、中国の文献に釣魚島の存在や、その先琉球側に海の色が変わる海溝があるなどの記述があることである。

 しかし、多く指摘されているように、航海の目標を書いた以上に、その島の利用とか領土とかには一切触れていない。博士が、領有していたと中国側が認識していたはずだ、と憶測しているだけである。博士の論文の一節にこういうくだりがある。

  釣魚島などの事が書かれている「福州往琉球」の航路記は、中国の冊封使の記録に依拠している。しかも、この程順即は、清国皇帝の陪臣(皇帝の臣が中山王で、程はその家来であるから、清皇帝のまた家来=陪臣となる)として、この本を書いている。それゆえにこの本は、琉球人が書いたとはいえ、社会的・政治的には中国書といえるほどである。(中山王=琉球王、塾頭注)

 待ってほしい。この伝でいけば、斉の皇帝に藩屏を誓う上表分を差し出し、斉から鎮東大将軍や征夷大将軍の位を受けた雄略天皇や、明の恵帝から「日本国王」の称号を受け、遣明使に「日本国王 臣 源表す、臣聞く……」という国書を持たせた足利義満の家来が書いたものは、すべて中国書と見てもいいことになる。沖縄や対馬が中国や朝鮮の領土といわれかねない暴論ではないか。

 塾頭は、近代国民国家が誕生する前の古文書や伝承を、領土問題の議論にのせる建設的な意味はまったくないと思っている。明の時代といえば、ようやくアメリカで独立宣言があり、その末期にはナポレオンがヨーロッパなどをあらしまわった時期である。

 清の時代になっても、満州出身の王朝の前近代性は、前エントリーでも見る通りおとおりおとぎ話級の伝統にしばられ、臣民はあっても国民はなく、台湾の生蕃は取締りの対象外などと、施政権や国境とかの概念も稀薄で、国際法による処理にもなれていない、いわば国民国家としての資質に欠けていたと言わざるを得ない状態であった。

 一足先に近代国家入りを果たした日本が、国際法のルールに敏感だったのと対照的である。明治政府が慎重に過去の経緯を調査し、近代的手続きを経て領有に至ったのはむしろ自然の成り行きで、奪ったの盗んだのという言辞は当たらないのではないか。最後にひとつだけ付言するが、塾頭は領土問題の解決は、西欧型の共同体をつくるしかない、と考えている。

 

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コメント

井上清氏の「尖閣」列島(釣魚諸島の史的解明)ですが、氏は大正2年生まれの歴史学者で、40年ほど前に出された学術論文なのですから、今から見るとなんとも時代がかった表現があるのはある程度は致し方ないでしょう。
学問的な一論文であり、余り政治外交的文章と考えない方が良いと思います。
尖閣諸島の日本名の由来が、実は19世紀末のイギリス海軍の測量時の名前のピナクル・アイランドの直訳であるなど歴史学の学術書と見れば結構面白いですよ。
ピナクルは教会の尖塔のことですが、それが日本名の尖閣の由来で、それ以前は中国名で呼ばれていららしいのですね。


投稿: 宗純 | 2010年10月20日 (水) 16時39分

宗純さま
コメントありがとうございます。

40年前頃も、多くの書籍・文献に接してきました。そうしてこういう書かれ方(軍国主義的・帝国主義的日本政権とか、米帝国主義という表現)で、大学の講義録もそんなのが支配的でした。

しかし、わざわざそういう形容詞をつけた文章は、「すでに色眼鏡をかけていますよ」ということを証明するようなもので、マルクス学者でもそんな書き方をしない立派な論文を知っています。

だから、いかなる業績を残そうとも、余計な書き方ひとつで敵・味方を特定してしまい、学問としての信頼度が落ちてしまうのは残念だ、ということです。

投稿: ましま | 2010年10月20日 (水) 17時28分

直接御記事にコメントするのは初めてと思います。トラックバックいただき,ありがとうございました。
できるだけ客観的に考えようとされる塾頭ましまさんの姿勢がよく伺える記事で,大変うれしく思います。
まず,井上清氏ですが,この方はどうも毛沢東に傾倒しておられるようで,反日共系であるようです。新左翼極左系各派とのつながりはよく知りません。でも極左新左翼の尖閣諸島に対する態度はどうなのですか?やはり尖閣諸島日本領土論に立っているのではないのですかね?という意味で新左翼系とも思ってないのですが(毛沢東主義派は除きますが)。

さて,このようなバイアスを掛けてみても(毛中国に有利なように恣意的に議論を展開してないか注意しても),《「尖閣」列島――釣魚島の史的解明》は非常に客観的に書かれていると思います。資料とその解釈がきちんと分けられているからです。

こまかな議論をここで行うつもりではありませんが,たとえば御記事中の
「沖縄や対馬が中国や朝鮮の領土といわれかねない暴論ではないか」
というような箇所には,ましまさんが「尖閣諸島日本領土」に結び付けたい恣意性が感じられます。
また,
「明治政府が慎重に過去の経緯を調査し、近代的手続きを経て領有に至ったのはむしろ自然の成り行きで、奪ったの盗んだのという言辞は当たらないのではないか。」
というあたりは,疑問(井上氏の理論が有力)と思っています。

とはいえ,この種の領土問題は,オンオフでどちらかに帰属させるというより,三分の理があれば何とか国境線を止揚して,共同運営のような形に持っていくのがベストだと思っています。これはましまさんと共通するものがあるのではないでしょうか。

投稿: アルバイシンの丘 | 2010年10月24日 (日) 00時29分

アルバイシンの丘 さま
 こんにちは

 熟読されてのコメントありがとうございました。
 ご意見について簡単にお答えしきす。

 まず、古代・中世の文献から日本の冊封関係の記録をあけたことに《「尖閣諸島日本領土」に結び付けたい恣意性が感じられます》というご指摘。

 そのとおりです。中国や井上氏の主張が、前近代の資料に傾斜しすぎていることがいかに《恣意的》であるかを比喩したまでです。

《「明治政府が慎重に過去の経緯を調査し、近代的手続きを経て領有に至ったのはむしろ自然の成り行きで、奪ったの盗んだのという言辞は当たらないのではないか。」というあたりは,疑問(井上氏の理論が有力)と思っています》

のご意見は、ご感想以上の根拠が書いてないのでわかりませんが、幕末から明治時代にかけての日本の外交史や、ことに日清戦争前後の政治史を通覧すると、井上氏のような帝国主義的「侵略史観」が日本に蔓延していた証拠はありません。富国強兵が覇権主義に変貌したのは、日露戦争以後という考えです。

投稿: ましま | 2010年10月24日 (日) 07時31分

おはようございます。

ご返事いただき,ありがとうございました。

「富国強兵が覇権主義に変貌したのは、日露戦争以後という考えです。」

これは新鮮です。井上氏は日清戦争も覇権主義の一環としてとらえています。私には未だどちらと確信があるわけではありません。
勉強してみます。

投稿: アルバイシンの丘 | 2010年10月24日 (日) 09時29分

 すみません。もうすこし捕捉させてください。

 日清戦争前の朝鮮は、ロシア・英国の帝国主義的植民地競争の標的になっていた。日本は、李王朝の近代化を促進したかったが、宗主国・清を頼りに国防を怠り、清は関心を示さずで、日本は危機感を抱いていたという背景があります。

 日清講和の下関条約当時は、朝鮮併合はもとより、満州国など大陸侵攻など考えていなかった。またその力もなかったということで、台湾移譲については、その前に発生した台湾出兵などの事情もからんでおり、当然の賠償と考えたでしょう。

 簡単に要約すると、当時はまだ列強の帝国主義・植民地競争真っ盛りで、日本は、中国・朝鮮が列強の虫食い状況におかれ、それが日本に波及することをふせぐための「富国強兵」だったと思います。

 第一次大戦後のベルサイユ体制で、列強の植民地競争が否定されるようになるのですが、日本は日露戦争に勝って軍部の力がまします。そこで後発の侵略行為を合理化し、エスカレートさせることになります。 
 
 

投稿: ましま | 2010年10月24日 (日) 12時13分

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 この問題は終息に向かいつつあるが,根本問題は何ら解決したわけではなく,将来再び,いや何度も繰り返されることだろう。多くの国民はこの問題に対しては普段,ほとんど考えたこともないはずなのに,テレビ・新聞報道などでナショナリズムを刺激されるとにわか国士さんになる,ということが今回も露わになった。これにはマスコミの責任がきわめて大きい。しかしそれにもかかわらず,どうやら大事に至らずに済みそうなのは不幸中の幸いと言うべきだろう。中国と何か事を構えたいとウズウズしていたある種の勢力にとっては何とも後味が悪いの... [続きを読む]

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