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2010年9月15日 (水)

「戦中・戦後」断片⑦

戦時銃後3階級説編
 敗色が次第に色濃くなってきた昭和18年4月、戦局を国民はどう見ていたか。近衛文麿の秘書官で大阪警察局長をつとめていた高村坂彦氏のレポートが、高松宮など国家中枢にも届いていた。以下、細川護貞氏(細川元総理の父)の日記、『情報天皇に達せず』からの引用である。

  (これは、本塾の前身「反戦老年委員会」に収録、原文を一部変更したが、戦中の銃後の模様を公安の立場から3つの階層にわけて分析、決して一様ではなかった民情を忌憚なく観察表現したものとして貴重なものなので再録する)

 又、今日我国には三つの階級あり。一つは知識階級にして事態の悲観的なるをよく知り居り、東条内閣に反対せるもの――彼等は二人会合する時は悲観論を唱へ、四五人の時はこのまヽにては悪しと云ひ、十人以上なるときは一億玉砕の意気もて時難に進むべしと呼ぶ徒輩にして、本心は悲観論者なり――。

 及び町会長、警防団長程度の辛うじて新聞を読み得る階級にして、彼等は新聞の知識のみを以て、上流階級が戦争に協力せざることを憤激し、政府が一度号令せば、国民のすべてが蹶起すべきを信じ居る者にて、もつとも張り切つたる者、

 及び第三に所謂大衆にして、自己の生活のみを考え居る人々なり。彼等は一日も速かに戦争の終結を望み居る人々なりと。而して一般の低級なる官吏は此の二者に入るべしと。

 ちなみに、塾頭の家庭では、軍需工場勤務の父が第一の階級、母は第三の階級であったと推測している。そして第二の階級は、終戦間近のころ、配給物資の不足、防空訓練の形骸化などで急速に力を失い、戦没者家族の世話などに専念せざるを得なくなったようだ。

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コメント

戦前の超エリート官僚の分析ですが面白いですね。
実に正確に分析していて戦争を積極的に指導する二番目の町会長や警防団長(中産階級)と三番目の普通の庶民層の一般大衆の人数比率ですが、多分中間層は1割以下ですか積極てに発言し、9割はもの言わぬ庶民層でしょう。
もっと面白いのはインテリ階級で、事実を知っていた唯一の層であるのですが、2人なら真実を話し、4~5人なら真実の一部を話し、10人以上の多人数なら間違っていると知っている建前論しか喋らないのですね。
これ、多分今でも同じですよ。
そして自分自身は真実を知っているが世間に向かっては喋らないインテリ層の比率ですが中間層の10分の一以下の少ない数字ではないでしょうか。?

投稿: 宗純 | 2010年9月16日 (木) 13時23分

宗純 さま コメントありがとうございました。

 戦時は若者は応召を喜び、銃後はひたすら聖戦に協力し、戦場では「天皇陛下万歳」といって息絶え、占領下はGHQの押しつけにだまって耐えた、など歴史学者でさえ信じて疑わない人がいます。

 兄の分析は極めて明快で、基本的には今と同じです。ここには書かれていませんが、中学の教員は、第一と第二が混在していました。もちろん大勢の前で悲観論など言いません。

 しかし、生徒は分かっていました。教えられることの多い先生と、腕力はあるが空っぽの先生の差です。

投稿: ましま | 2010年9月16日 (木) 15時17分

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